ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 「ラブ&ピース」がこの現実でどれだけ弱く脆い言葉かなんて分かってる。
 それでも謳うんだ。

――仮面ライダービルド 桐生(きりゅう)戦兎(せんと)




第4話

 

   1

 

「ヨハネ、帰還!」

 数日振りに戻ってきた沼津駅前で、善子は両腕を広げ高々と告げる。だがイタリアから飛行機と新幹線と長距離移動に疲れた千歌たちは彼女に付き合う気になれず、適当にスーツケースを引いて適当な相槌を打ちながら駅前のターミナル広場から歩き出す。

「ちょっと待ちなさいよ!」

 なんて文句を言いながら追ってきた善子と一緒に、千歌たちは現地解散せず同じバスに乗ってとある場所へと向かった。

 そこは、来月から通う事になる分校舎。何度見ても、思わず溜め息が出てしまうほど古い。校門を潜って近付けば近付くほど、その年季の入り様が際立つ。

「誰もいないずら」

 廃墟じみた敷地を見渡して、花丸が呟いた。

「むっちゃん達ここだ、て言ってたんだけど」

 イタリアで飛行機に乗る前に連絡を交わした際、集合場所に指定されたのがこの旧校舎だったのだが。

「お帰りー!」

 という声に、千歌たちは2階部分を見上げる。建付けが悪そうな窓を開けて、むつ達3人組が千歌たちを出迎えてくれた。

 校舎の開放は既に済ませてくれていたらしい。前時代を思わせる校舎の床板は歩く度に軋みをあげ、窓から入り込む日差しに溜め込まれた埃が舞う様子がまざまざと映し出される。昼間にも関わらずお化け屋敷にでも入った気分だ。ここに移る事になると、最初にやる事は生徒全員での掃除になりそうだ。スクールアイドル部の部室を与えられた頃を思い出し、くすりと千歌は笑ってしまう。

「ごめんね。ライブの手伝いお願いしちゃって」

 「全然大丈夫」とよしみは言い、

「メール貰った時点で皆に連絡したら――」

 その続きをむつが引き継ぎ、

「すぐに協力してくれる、て」

 「へっへー」といつきは得意げに笑い、

「実はステージのイメージも出来ちゃってるんだ」

 「本当?」と梨子が嬉しそうに訊いた。「見て驚けよ」とむつは黒板に掛かっていたカーテンを勢いよく引き剥がす。

「じゃーん!」

 という3人の声と共に現れたのは、黒板いっぱいに色とりどりのチョークで描かれたステージのイメージ図だった。バルーンを使った演出に、背景に富士山。とりわけ目を引くのはステージに大きく掛かる9色の虹と、その中央に据えられたAqoursのロゴ。

 「どう?」といういつきの問いに、善子が「凄い!」と上ずった声で返す。

「でも、こんな立派なステージ……」

 嬉しそうに、でも少しばかり心配そうな梨子の呟きを曜が引き継ぐ。

「とてもじゃないけど間に合わないんじゃ――」

 やる気は勿論あるけれど、千歌が最も懸念しているのは時間があまり無いことだった。3人も手伝ってくれる事を見越しても、この黒板に描かれたイメージ通りのステージを完成させられるかどうか。

「わたしも言ったんだけどさ」

 とむつは何故か楽しそうに言う。続いてよしみが、

「何か皆に話したら、絶対Aqoursに相応しい凄いステージにする、て。浦の星だってちゃんと出来るとこ証明してやる、て」

「でもライブの音響のスタッフとか、人手不足ではあるんだけどね」

 といつきが付け加える。全て揃っているわけではないにしても、十分心強かった。今の3人の言葉だけでも、父兄を納得させられるんじゃないか、と思えるほどに。

「こんにちは」

 と教室に所在なさげに入ってきたのは、静真高校の制服を着た3人の生徒たちだった。「初めまして」と頭を下げる彼女らに、千歌たちも会釈を返す。一体どうして、と小首を傾げていると、月が彼女らの傍に立つ。

「僕のところに相談しに来てくれたんだ。まだ一部の保護者の反対もあるけど協力したい、て。でも、まだ少人数だけど」

 「さすが生徒会長!」と曜がお礼とばかりに言った。

「ありがとう」

 と千歌も月と、静真高校の3人にお礼を告げる。まともに話した事もないのに、こうして千歌たちと繋がりを求めてくれる人がいる。もし保護者への訴えが届かなくても、この事実だけで十分とさえ思える。

 「ああああ!」と不意に生徒のひとりが、善子を見て大声をあげた。当の本人は咄嗟に顔を背けている。

「もしかして、ヨハネちゃん?」

「ち、違います!」

 否定したが、「わたし、中学一緒だった」と生徒のひとりが歩み寄ってくる。

「いつもネットで見てるよ」

 日焼けしていない善子の白い顔が真っ赤に染まっていく。

「ヨハネ降臨」

 と3人が揃って堕天使ヨハネのピースサインで目を挟むポーズをしてみると、茹でダコみたいな顔になった善子は耐えられなくなったのか教室を飛び出した。その行く手は近くのドアから出てきた梨子に阻まれる。

「せっかく応援してくれてるのに逃げちゃ、駄目でしょ」

 笑顔なのが逆に怖い。「うっさい!」と善子は抵抗するのだが、更なる花丸という刺客がもうひとり。

「一緒に写真撮りませんか? ヨハネちゃんと」

「な、な、な、何言って——」

 「本当?」「撮る撮る」と生徒たちが嬉しそうにポケットからスマートフォンを出していく。

「待てーい!」

 往生際の悪い善子はそれでも逃走を試みるのだが、後方には中学の同級生たち、前方には梨子と花丸に挟まれている。

「逃がさないわよ」

「頑張るずら」

 と意地悪な笑みを浮かべるふたりに、堕天使ヨハネは涙目になっていた。

「ひ、酷い……。リトルデーモンの叛逆………」

 ようやく観念した善子は静真の生徒たちとヨハネポーズで記念撮影に応じたのだが、更にその後もひとりずつとのツーショットにまで——提案したのは梨子と花丸——応じる羽目になった。

「ありがと」

「大切にするね」

 撮影会はほんの数分だったのだが、すっかり魔力もとい生気を吸い取られたのか善子は「なんくるないさー……」と何故か沖縄弁で応じた。

「写真送るから、ID教えて」

 生徒のひとりがそう言ってスマートフォンを差し出してくる。慌てて善子も上着のポケットから端末を出して、機器同士を近付け無線通信する。ぴこん、と通信完了を知らせる電子音が鳴った。

「ありがとう、よろしくね」

 と差し出された手に、善子は逡巡したが満更でもなさそうに笑みを浮かべ握手を交わした。

「よーし、やるぞ!」

 ステージの姿を想像しながら千歌は意気込む。「でも」とそこへ花丸が口を挟んだ。

「向こうで歌ったときと違って、鞠莉ちゃん達はいないずら………」

 そう、今度こそ千歌たちだけの6人で歌うステージだ。不安が無いと言えば、嘘になる。正直怖くもあった。

「できる」

 と一蹴してみせたのはルビィだった。

「できるよ」

 更に強く、その言葉を繰り返す。不安だった皆の表情が晴れていく。スペイン広場で歌った後、ダイヤは言っていた。ルビィはもう何でもできる、と。確かに歌ったのは9人だけど、あのステージの演出を考えたのはルビィ達1年生だった。

 果南も千歌たちが見つけるしかない、と言っていた。あの言葉は突き放したんじゃなくて、信じていたからこそのものだった、と今更ながらに気付く。

 千歌たちなら見つけられる、と。

「わたしもできる」

「千歌ちゃんも?」

「うん」

 ラブライブ優勝も、輝きを見つけられたのも、9人だったからできた事。なら6人ではできないだろうか。

 そんな事はない、と証明してみせる。自分たちの手で。あの熱を抱いた1年前から少しだけ大きくなれた、この小さな体で。

「僕たちも頑張らないとね」

 月がそう呟いていたのを曜は聞いていたそうだが、ただ目の前の事だけを視ていた千歌には分からなかった。

 

 ホテルオハラのスイートルームから望む内浦の水平線に、夕陽が沈もうとしているところだった。空と海原は太陽から遠ざかっていくにつれて藍色へと暗くなっていく。しばらく離れていたせいか、幼い頃から見慣れていた景色が今はとても愛おしく見える。故郷を経ったら、次に見られるのはいつになるやら。

 千歌たちとは少し遅れて内浦に帰郷した果南たちは、鞠莉の勧めもありホテルオハラに滞在する事にしていた。果南もダイヤも、荷物は転居先に送ってしまったから実家に居ても私物がなく暇を持て余してしまう。

 何より、次はいつ集まれるか分からないのだから、今のうちに3人で過ごしていたい。

「それにしても、新しい学校がそんな事になっているとはね」

 バルコニーの柵に身を預けた鞠莉が呟く。

「ちゃんと話して下されば良かったのに」

 とダイヤも溜め息をついた。

「事情を知ったら助けようとしたかもね」

 果南がそう言うと、ダイヤは「それは――」と言葉を詰まらせてしまう。イタリア旅行――というより逃避行――に興じていなかったら、きっと鞠莉は介入しようとしただろう。統合先として手配したにも関わらず分校だなんて、もう離任したとはいえ理事長の彼女が知らぬ振りをするはずがない。

「自分たちで何とかしなきゃ、だもんね」

 分かってるよね、という意を言外に果南は繰り返す。あの夜、ホテルのロビーで本人たちに言った手前、自分たちが出る幕じゃない。

 新しいAqoursも、新しい学校も、千歌たちの問題だ。冷たいけど、してやれる事は何もない。

 それでも何か言いたげに口元を曲げる鞠莉に、「どうしたんですの?」とダイヤが促す。

「詰まんない! 何にもできないなんて」

 とまあ、鞠莉の口から出たのは責任感なんてものとは程遠い幼稚な理由だった。要は、自分たちだけ蚊帳の外なのが気に入らないだけだ。鞠莉のこういった面は全く成長する気配がない。後輩たちは少し見ない間に色々と悩んで乗り越えようとしている時に。

「仕方ないでしょう。わたくし達は卒業したのですから」

 ダイヤの言う通り、自分たちは卒業し内浦から去る身。妹同然に思っていた彼女から告げられた事を思い出し、果南は微笑を零しながら言った。

「千歌からも、このライブに関しては見ていて欲しい、て言われたし」

 千歌も他の皆も、果南たちに一切の助けは求めてはこなかった。普通と自虐しておきながら、彼女が1度言ったら決して曲げない事は知っている。

「分かってるわよ」

 深く嘆息しながら、それでも納得いかない、というように眉根を寄せながら鞠莉は応じた。ここはひとつ大人になって、温かく見守るべきだろう。かつて千歌の傍にいた彼がそうしていたように。

 不意に着信音が鳴った。音源は鞠莉のスマートフォンで、端末を取り出した彼女は画面を眺めながら口を開く。

「これ、て………」

 画面にある着信元の名前を覗き込み、果南たちは一様に首を傾げた。

 

 梨子が静かに障子を開けた部屋で、千歌はちゃぶ台でノートにペンを走らせていた。紙面と触れそうなほどに顔を近付けたその姿はまさに夢中そのもので、安堵からか梨子は頬を緩ませる。

 やっぱり、こうして何かに没頭している千歌が最も彼女らしい。脇目も振らず、ただ目標に向かって真っ直ぐ走っていくのが。

「調子良いみたいね」

 そう声を掛けると、顔を上げた千歌は「あ、ごめん」と梨子に気付く。「ううん」と梨子がかぶりを振ると、千歌は微笑し再びノートにペンを走らせる。作業の手を止めないまま、千歌は言う。

「何かね、分かってきた気がするんだ。これからのスタートが何なのか」

「6人のAqours、てこと?」

「うん。スタート、てゼロなんだよ、てずっと思ってた。ゼロから何かを始めるから始まりなんだ、て」

 自分たちが始まりとしてきた時は、ゼロを突き付けられた時だった。東京のイベントで得票数がゼロだった時。学校の入学希望者がゼロだった時。無という数値を突き付けられながらも、それを始まりとする事でAqoursは走ってきたはずだった。

「違うの?」

「うん、違うよ」

 答えて、千歌は顔を上げる。真正面に見据える彼女の表情はとても晴れやかで、一切の澱みが感じられなかった。

「だってゼロ、て今までやってきた事がなくなっちゃう、て事でしょ。そんな事ないもん。今までやってきた事は、全部残ってる。何ひとつ、消えたりしない」

 今までやってきた事、と梨子はこの内浦に来てから浦の星で、Aqoursで過ごしてきた日々を追憶する。

 奇跡を起こせると信じて。そのために何度も挫折して、泣いて、それでも這い上がって。その果てに、輝きという奇跡は確かにあった。

 振り出しに戻った今を、千歌はゼロとは捉えなかった。アンノウンと、アギトという恐怖を経て今がある。今となっては夢と錯覚してしまうほどに全てが引いていったあの日々は、まだ自分たちの裡に残留している。

「そう考えたら、何かできる気がした」

 戻ったように見えても、決してゼロじゃない。ドームで歌った日からも、確かに自分たちは前に進み続けている。何気ない日々を糧にして。培ってきた想いを抱きながら。

「歌詞、楽しみだな」

「良い曲付けてよ」

「もちろん。一応これでも、毎日音楽の勉強してたのよ」

 スクールアイドルで忙しい日々だったけど、梨子だってピアノの練習を怠った事はない。何せAqoursの作曲担当だ。研鑽は積まなければならない。こうして詞を熟考している千歌を見ている度に思っている。

「向こうでも時間のある時、曲を聴きに行ったりして」

「そうだったんだ」

 流石はルネサンス文化の華開いた国。イタリアはそこかしこの劇場でコンサートが催されていて、梨子は飛び込みで鑑賞しに回っていた。

「わたし達だけじゃないよ。ルビィちゃんと花丸ちゃんは衣装の参考に生地屋さん覗いてたし。曜ちゃんと善子ちゃんは新しいステップを作ろう、て頑張ってたし」

 皆それぞれ、自分に出来ることをやっている。出来なければ、出来るまでやろうとしている。皆もどこかで気付いていたのかもしれない。ラブライブでの優勝が、まだ終わりではない事を。終わらせたくない、という願望の方が正しいのかもしれないが。

 「そっか……」と千歌は感慨深げに呟く。

「凄いな、Aqours。そんな凄い人たちのグループなら、きっと届くよね。翔一くんのところにも」

 またそうやって他人事みたいに。この少女だってAqoursで、梨子たちの先頭を歩いてきた人間なのに。

 翔一に会いに行く。千歌からその願いを聞いたとき、梨子がまず思ったのは無理のひと言だった。一体彼がどこへ往ってしまったのかも分からないのに。

 でも千歌は、無根拠に願っていたわけじゃなかった。千歌以外の面々が持つアギトの種とも言うべき力。それが道標になるはず、と千歌は言っていた。梨子たちの裡にある光が、翔一のもとへ導いてくれる、とも。

 何て皮肉な話だろう。力のある梨子たちでなく、ただの人間である千歌がその可能性に気付いてしまうなんて。でもだからこそ、梨子たちは千歌の背中へ着いていこう、と思えた。アギトとは違う、それでもアギトに届くほどの力を持った千歌だからこそ。

「良いなあ、そんなグループのリーダーで」

 と梨子が皮肉っぽく言うと、「良いでしょ」と千歌は返した。可笑しくなってふたりで笑っていると、廊下から志満の声が届いてくる。

「千歌ちゃーん」

 夜だからか、声は控え目だ。「何?」と千歌が部屋から顔を出すと、階段の陰から志満と不機嫌そうな美渡が顔を覗かせている。

「果南ちゃんから電話」

 美渡から言われ、千歌は眉根を寄せながら自身のスマートフォンの画面を見た。

「うわ、電池切れてる」

 

 

   2

 

 理亜がAqoursに入る。

 松月で3年生たちからその事を告げられ、集められたルビィ達は「ええええええ⁉」と驚愕の声を揃えた。

「転校してくる、てこと?」

 千歌の問いに、鞠莉は「Yes」とあまり気乗りしない様子で応える。隣で同じように眉を潜めながら果南が言った。

「春に手続きすれば丁度皆と一緒に新しい学校に通うことになるから、馴染みやすいだろうし、て」

 何があってその決断に至ったのかは、ルビィには分からない。でも、それが理亜の望みとしてはあまりにも違和感に満ちているような気がした。

「理亜ちゃんがそうしたい、て言ってるの?」

 ルビィが訊くと鞠莉は「いいえ」とかぶりを振り、

「まだ話してないみたい」

「ただ、聖良としてはそれが1番良いんじゃないか、て」

 と果南が補足する。聖良の発案、と分かると合点がいった。鞠莉は続ける。

「同じ卒業生としてどう思うか、てわたしのところに連絡が来て」

 取り敢えずの意見として、ダイヤが告げた。

「わたくし達で聖良さんと話しても良かったのですけど、やはり千歌さん達の気持ちも大切かと思いまして」

 つまりこの問題も、決断するのはルビィたち6人に委ねるという事だ。函館にも確かに理亜の居場所はあったはずなのに、どうして今になって沼津に移ろうとするのか。それなりの理由があっての事なのだろうが、相談してきた聖良自身も最善なのか分からずにいるのかもしれない。

「理亜ちゃんが――」

「Aqoursに入る」

 曜と梨子が改めて反芻する。

「ちょっと想像しただけでも………」

 と善子が重苦しそうに口を開いた。短い期間だけど一緒に練習した事もあったから、その延長と考えれば想像はできなくもない。恐らく、いや間違いなく理亜を加えた練習は厳しくなる。手足がぼろ雑巾のようになるまで追い込まれ、彼女に着いてこられなければ叱責を浴びるだろう。

 スクールアイドルは遊びじゃないのよ善子、とでも言うように。

「善子じゃなくて、ヨーハーネー!」

 なんてひとり芝居にかまけているヨハネもとい善子に「何想像してるずら」と花丸がやんわりと突っ込みを入れる。

 ルビィは思い出した。前に鹿角姉妹がこっちに来てくれた日、聖良が妹の近況を苦そうに語っていた事を。あの時点で、理亜はかなり追い込まれていたのかもしれない。

「どう思う?」

 曜が振ると、千歌は「そりゃあ、全然嫌じゃないよ」と返した。

「前に皆で話したようにAqoursは何人、て決まってるわけじゃないし」

 その言葉に同意するように梨子も、

「それに、理亜ちゃんも同じラブライブで頑張った仲間だし」

「良いんじゃない? 面倒臭そうだけど」

 函館にいた頃に絞られたのを根に持っているのか、素っ気ないながらも同意する善子に、花丸は皮肉を漏らした。

「善子ちゃんより教えてもらう事たくさんありそうずら」

 理亜がAqoursに入る。それ自体に異論が無いのはルビィも同じだ。彼女は今の、3年生が抜けるAqoursに必要なものを持っている。実力も熱意も。個人としてのレベルは、ルビィ達の誰よりも頭ひとつ抜けている。彼女が入ることでAqours全体のレベル向上も見込めるし、次のラブライブ優勝も現実になるかもしれない。

 それに、理亜が現状に苦しんでいるのなら、友達として助けてあげたい。彼女の居場所を作ってあげたい。

「うん、ただ――」

 「駄目だよ」とルビィは千歌の言葉を遮る。彼女が告げようとした事が、ルビィには分かる。

「理亜ちゃん、そんなこと絶対に望んでないと思う。Aqoursに入っても、今の悩みは解決しないと思う」

 ルビィ達が理亜の居場所を作ってあげたとしても、そこに彼女の気持ちはない。たとえ最善だとしても、自分の気持ちをそっちのけで事を進められて、あの理亜が喜ぶはずがない。

「どうしてそう思うの?」

 鞠莉が訊いてくる。

「だって理亜ちゃんはSaint_Snowを終わりにして、新しいグループを始めるんだよ。お姉ちゃんと続けたSaint_Snowを大切にしたいから、新しいグループ始めるんだよ」

 姉とのグループは、誰にも踏み込めない聖域。だからこそ、違う形で始めることを理亜は選んだ。再び冬が巡ってきたとき、新しい雪の結晶として輝くために。

 その輝きを自らの力で放つために。

「それってAqoursに入る、てことじゃないと思う」

 ルビィは断言する。Aqoursは、理亜の居るべき場所じゃない。彼女自身が作らなければ、前へ進まなければ意味がない。

「ルビィ、向こうでお姉ちゃんと一緒に歌って分かったんだ。お姉ちゃん達は居なくなるんじゃない、て。同じステージに立っていなくても一緒に居るんだ、て」

 「一緒に?」と反芻する千歌にルビィは頷き、

「理亜ちゃんは、そのことに気付いていないだけなんだと思う。いなくなってしまった聖良さんの分をどうにかしなきゃ、て。Saint_Snowと同じものをどうしても作らなきゃ、て。お姉ちゃんと果たせなかったラブライブ優勝を絶対果たさなきゃ、聖良さんに申し訳ない、て」

 ルビィと理亜は立場がとても似ている。どちらも去る姉の背中を見送らなければならない。一気に遠ざかってしまう姉の背を、自分の足で追いかけなければならない。

 ひとつだけ違うのは、一緒に同じところへ向かってくれる存在の有無。ルビィには千歌たちがいる。でも、理亜には誰もいない。たったひとりで目標だった姉を追いかけて、ひとりだからこそ尚更に自身を追い込んでしまう。

 傍に姉が居る事にも気付くことなく、裡に響く姉の歌声に耳を塞いで。

「多分、理亜さんの気持ちはルビィが1番分かっていると思いますわ。姉が卒業した、妹の立場として」

 そう言って、ダイヤは優しく微笑んだ。

「ルビィちゃんの言う通りずら」

「同意」

 花丸と善子が告げる。ふたりも函館でのひと時で、理亜がどれだけ聖良を敬愛しているか、どれだけSaint_Snowを大切にしていたか知っている。

「だとしたらどうすれば………」

 と梨子が吐露した。千歌には方法が既に視えているらしく、おもむろに椅子から立ち上がった彼女は告げる。

「そうだよ。教えてあげるのが1番だと思う」

 「そう」と果南は頷き、

「一緒に居る、て。ずっと傍に居るよ、て」

 鞠莉も同意するように、

「理亜ちゃんの1番大きなdreamをひとつ叶えて」

 理亜の最も大きな夢。

 彼女の、姉との、Saint_Snowが追いかけてきた夢。

 それに気付いた梨子が「夢……!」と呟き、

「そっか、夢か!」と曜も声をあげる。

「全員、同じ意見みたいですわね」

 そう告げるダイヤはとても嬉しそうだった。これからやろうとしている事が、楽しみで仕方ない、というように。

「理亜ちゃんの叶えたくて、どうしても叶えられなかった夢を」

 ルビィは声を大にして言う。理亜がもう終わった、と思っていた夢の続き。その言葉をダイヤが引き継いでくれた。

「そうですわね、叶えてあげましょう。皆で」

 夢の続きがどんな形になるか、ルビィには既に情景が視えている。きっと皆も同じはず。スクールアイドルならば、やるべき事はひとつだから。

「聖良さんにもすぐに伝えなきゃ」

 千歌が満面の笑みでそう言うと、果南は「じゃあ」とスマートフォンを取り出した。

「協力してくれる人が必要だね」

 

 

   3

 

 もう3月だというのに、駅から踏み出した函館の空気は真冬のように冷たかった。路面も薄いが凍結していて、スパイクなんて付いていない革靴だと気を付けなければ滑ってしまう。コートも東京ではバイクに乗っても温かったものを着てきたのに、雪国の寒さの前では体の芯まで冷気の侵入を許してしまう。

 バイクで来なくて正解だった、と涼は震えながら思った。北海道は1度ロングツーリングに行きたいと思っていたけど、それは夏にでも改めて来るとしよう。

 果南から届いたメールには、件の店までのルートが事細かく記載されている。スマートフォンに表示されている地図を見ながら、涼は寒さから逃れたく目的地まで急ぎ足で、時折凍結した路面に滑りそうになりながら向かった。

 店の近郊まで路面電車が通っているのは幸いだった。車窓から函館の本州とは少しばかり趣の違った街並みを眺めていると、こういった電車での旅も悪くない、と思える。バイクだとよそ見が命取りだから、景色をのんびり見ている余裕はない。スピードに狂ったバイク乗りなら尚更だ。

 函館山の麓に広がっている市街は、学校が近くにあるからか店舗が多い。観光客向けに瀟洒に構える店の中で、茶房菊泉は年季を感じさせる民家のような店構えだった。店先に立てられたメニューには白玉ぜんざいとかの甘味が多いが、くじら汁なんて郷土料理もある。

 せっかくだし何か頼もうか、なんて考えていると、玄関の引き戸が開けられた。

「すみません、今日はもう――」

 和装にフリルエプロンを付けた店員らしき少女が言葉を詰まらせ、涼の顔を凝視してくる。

「もしかして、葦原涼さんですか?」

 「ああ」と応じながら涼は質問を返す。

「あんたが鹿角聖良か?」

「はい、初めまして」

 そう言って深く頭を下げると、聖良は閉めようとしていた店内へと涼を促してくれる。

「どうぞ、上がってください」

 「邪魔するよ」と礼を言いながら涼は店に上がり込む。もう本日の営業を終えたから、店内にお客は涼以外誰もいない。店の外観は古く感じたが、内装はよく手入れされていて清潔に保たれている。「どうぞ」と聖良はストーブが近くにあるカウンター席に案内してくれた。両手をストーブの前にかざすと、かじかんだ手が急速に温められていく。凍った血液が指先まで通っていくように感じられた。

「葦原さんのことは、果南さんから聞いています」

 カウンターの奥で何か作業をしながら聖良が言った。一体果南は今日この少女に何と話したのか。少し気にはなったのだが、敢えて触れずに涼も似たような事を返す。

「俺もあんたの事は果南から聞いた。妹とスクールアイドルやってるんだ、てな」

「わたしはもう卒業したので、スクールアイドルも引退ですけど」

 聖良が苦笑したところで、今まで嗅いだことのない独特の匂いが漂ってくる。

「どうぞ」

 と聖良が涼の前に出してくれたのは汁物のお椀だった。遅れてお茶の湯呑も添えてくれる。

「ここの郷土料理のくじら汁です。とても温まりますよ」

「ああ、頂くよ」

 両手を合わせ、箸を取ってお椀を口元へと持っていく。醤油で味付けされた汁は具の味とクジラの脂が溶け出し喉を通っていく。ひと切れ口に運んだクジラの身は独特の匂いと肉とは少し違う食感だった。好みは別れるかもしれないけど、漁村の生まれだからか涼はあまり嫌悪なく食べられる。

「美味いな」

 頬を綻ばせながら言うと、聖良は「ありがとうございます」とはにかんだ。物を食べて気分が安らぐのは、翔一に料理を振る舞われて以来かもしれない。彼がこのくじら汁に舌鼓を打ったら、自分の創作料理に取り入れそうだな、と思った。

「本当に、遠くからありがとうございます」

 改めて、聖良は深々と頭を下げて涼の旅疲れを労ってくれる。

「別に構わないさ。忙しいわけでもないしな」

「果南さんからのお願いだからですか?」

 なんてからかうような笑みを向ける聖良から逃れるように、涼は店内を見渡す。

「あんたの妹は?」

 理亜という彼女の妹へのサプライズと聞いていたから、踏み込んだ話をする前にその辺りの事を確認しておきたかった。聖良は少しばかり寂し気に目を伏せ、

「理亜は葦原さんと入れ違いに走り込みへ行ったところです。お店が終わるとすぐ練習に行くんです」

「そうか、一生懸命なんだな」

「ええ、昔から頑張り屋な妹でしたから」

 「失礼」と聖良は奥へと引っ込んでいく。すぐに戻って来て、涼に1枚の紙を見せてくれる。

「理亜が作ったチラシです。毎朝、校門で配っているみたいで」

 いっしょにスクールアイドルはじめませんか

 めざせラブライブ‼

 チラシにはその文字が雪だるまのイラスト付きで書かれている。

「少し前まで一緒にやってくれる人もいたみたいなんですけど………」

 詰まらせた聖良の言葉の続きが何となく想像できてしまい、涼は口に出した。

「今はひとりなのか?」

「はい。頑張り屋ですけど、頑張り過ぎてしまうところがあって、周りも着いていけなくなったのだと思います」

 涼はただ聖良の言葉に、お茶を片手に耳を立てていた。この手の懊悩は、変に気遣いの言葉をかけてやるよりは吐き出させてやるに限る。

「理亜がわたしとの夢を大切にしてくれるのは、勿論嬉しいです。でもわたしの、Saint_Snowのせいであの子が苦しんでいると思うと………」

 聖良は俯いたまま唇を結んだ。よく見ると小刻みに震えている。さっきから妹のことばかり語っているが、聖良だって苦しんでいるじゃないか。ラブライブ優勝という夢を果たせず、スクールアイドルも卒業してしまう彼女だって、叶えられない夢に何度泣いてきたのだろう。

 理亜の夢を叶えさせる。Aqoursの皆からはそう聞いていたが、これは理亜だけじゃない。聖良の、Saint_Snowの夢だ。

「だから俺がこっちに来たんだ。あんた達の夢を見せてもらいに」

 涼の言葉に、聖良は目元を袖で拭うと目元の腫れた顔を上げる。

「そうですね。Aqoursの皆さんから連絡をもらったとき、正直迷っていたんです。わたしに、まだその資格があるのか、て」

 聖良は感慨深げに、想いを馳せるように遠くを眺める。

「その時、津上さんが言ってくれたことを思い出したんです」

「津上が?」

「はい。大好きなままならここで終わりになんかしないで、て。この先どうなるかは分からないけど、津上さんが言ってくれたように生きてみよう、て思えたんです」

 まさか聖良の口から翔一の名前が出たことに少し驚きながら、涼はお茶を啜る。彼の事だ。飾り気のない、でも嘘偽りのない言葉で聖良の裡を癒したのだろう。かつて荒み切っていた涼に生きる意味を見出させてくれたように。

 本人は自覚なんてしていないだろうが、翔一は多くの人間を救ってきた。アンノウンからも、アギトの運命からも。彼を思い出す事は何度もあるが、思い出す度に思うのは不思議な青年だった、という事だった。

 記憶喪失なのにいつも笑顔で。アギトなんて理不尽な宿命を背負わされたのに能天気で。記憶を取り戻しても前と変わらなくて。

 でも、そんな彼の生き方が涼には眩しい。同じ力を持っていて、同じ苦悩を共にしてきたはずなのに、涼と翔一は対極だ。

 俺もいつか、あいつみたいに生きられるかな――

 ふとそんな夢じみた想いにとらわれていたところ、聖良の声で現実に引き戻される。

「葦原さん、今日の宿は決まっていますか?」

「ああ、ホテルを予約してるが」

「じゃあ、お話はそっちでしましょう。ここだと理亜がいますから」

 

 

   4

 

 函館の早朝は零下にまで気温が下がるという。雪が降っていないにも関わらず路面は水分が凍結し、吐く息は瞬く間に凝縮され白い水蒸気になる。

 大音量のアラームで無理矢理起床した涼だったが、ホテルから出た瞬間に襲ってくる函館の寒気によって一気に体が起こされる。聖良は朝に強い質なのか、遅刻することなくホテルまで涼を迎えに来てくれた。

 まだ陽が昇らないこの時間帯から理亜は起床し、朝の走り込みに行くという。聖良は妹のランニングコースを知っているようで、迷うことなく朝の街を歩く彼女に涼は着いていく。

「前は、わたしも理亜と一緒に走っていたんですよ」

 聖良はそう言っていた。もう走っていないのは、彼女がスクールアイドルを引退したからだろう。

「うわあああああああああっ‼」

 まだ幼い叫び声が、夜明け前の街に響く。「理亜……」と聖良は悲しそうに呟いた。俺も前は、あんな風に叫びながら戦っていたな、と涼は思い出す。叫べば、裡に溜まったものが全て吐き出せると思っていた。どんな方法でもいい。忌々しいもの全てを身体の中から追い出したかった。でも何も出て行ってはくれない。ギルスの力は涼の裡に今でも居座り続けている。

 もっとも、1度は宿命から開放されたにも関わらず取り戻したのは、涼の意思だったが。

 貴族の屋敷みたいな旧函館区公会堂の前で聖良は足を止めた。この館の前で決行するという。ここは理亜のコース上で、彼女の言う通り髪をツインテールに纏めた少女がとぼとぼ、と力の抜けた足取りで歩いてくる。粗い呼吸で白い息を吐き出す理亜の目元は赤く腫れていた。涙をせき止めようと乱暴に拭ったのだろう。

 彼女は毎朝、姉と一緒だったコースを走りながら泣いていたのだろうか。終わってしまった夢を悔いて、次の1歩を踏み出せない現実に燻って。

「葦原さん」

 と目配せする聖良に「ああ」と頷き、涼は持ってきた3脚を手に所定の位置へと向かう。

 近付いてくる足音に気付いた理亜は、まだ涙の浮かぶ目を突然現れた姉へと向ける。

「姉様……。その恰好、どうして?」

 そう訊くのも無理はない。何せ聖良の恰好は、もう卒業した学校の制服なのだから。聖良は妹の質問には答えず、代わりに3脚を立て終えた涼へ「お願いします」と告げる。そこで理亜はようやく涼に気付いたらしく、「え?」と呆けた声を漏らした。

「葦原涼だ。あんた達を手伝うよう頼まれてな」

 そんな雑すぎる挨拶と説明で片付けつつ、涼はスマートフォンのカメラに鹿角姉妹を収める。すぐに端末からは陽気な声が。

『それでは、これよりラブライブ決勝、延長戦を行います!』

 テレビ電話でそう高らかに告げるのは、曜の従姉妹だという渡辺月。困惑のあまり、理亜はすっかり涙が引っ込んだようだった。そんな彼女に、涼は通話先で何が行われているか、端末の画面を見せてやる。

『決勝に残ったふた組を紹介しましょう! 浦の星から現れた超新星。初の決勝進出ながら、実力はトップクラス。スクールアイドルAqours!』

 画面の中で、「おー!」とAqoursの9人が窮屈そうにカメラに収まろうと顔を寄せ合っている。お陰で殆ど見切れている状態だから、思わず笑みを零してしまった。

『そしてもうひと組は、北の大地が生んだスーパースター、Saint_Snow』

 こちらは向こうのように大声をあげたりはしない。聖良は静かに、妹を見据えながら告げる。

「今からわたし達だけの、ラブライブの決勝を行います」

「え?」

 まだ戸惑っている理亜に、聖良は両手に抱えたものを差し出す。

「もし決勝の舞台に立てたら、この衣装とダンスと曲だ、て決めてましたね」

 とてもゆっくりとした動作で、理亜は姉から衣装を受け取る。着る機会が失われたと思っていたもの、夢の残骸とも言えるそれを、理亜は胸に抱きしめる。

「姉様……」

「もしAqoursと競うことになったら、決勝のステージに立つことができてたら、あなたに伝えようと思っていた」

 そう語る聖良の表情は、とても晴れやかだった。優勝できなかった事を悔いていたのは理亜だけじゃない。聖良にとっても、妹と歌える最後のステージだった。大会に出るには優勝するつもりで臨んでいたし、決勝で最高の歌を観客へ届けるための曲と衣装も前から準備していた。

 妹と歌えず、妹に伝える想いも宙に浮いたまま。

 そんな聖良と理亜の姉妹を救うためにAqoursの皆が考えたのが、この延長戦だった。競い合った者同士、大会のために研鑽してきたパフォーマンスを披露するためのステージ。

 Saint_Snowが決勝でAqoursと競っていたら。そんな「もしも」を彼女たちは自分の手で作り上げることにした。

 本当に、とんでもない行動力を持った少女たちだ。若さ故のパワーというべきか。それなら涼もそれほど年齢は違わないはずなのに、一体彼女たちのどこから力が湧き出るのだろう。

 チャンスは再び訪れた。その事をようやく理解した理亜は再び目に涙を浮かべ聖良の胸に顔を埋める。

「姉様……」

 擦れ声の妹を、「泣いてる場合じゃないですよ」を言いつつ聖良は抱きしめる。

『一緒に進もう、理亜ちゃん』

 スマートフォンからルビィの声が聞こえ、涼は理亜の耳元へ端末を持っていく。

『甘えてちゃダメだよ。理亜ちゃんや花丸ちゃん、善子ちゃんと出会えたからルビィも頑張ってこれたんだよ。ラブライブは、遊びじゃない!』

 最後のひと言に、鹿角姉妹は面食らったように目を剥いた。何でも理亜の口癖だったらしい。

「歌いましょう」

 姉の言葉に、理亜は涙を拭い力強く頷く。

「うん」

「ふたりで、このステージで。Aqoursと全力で」

 すぐに涼は準備に取り掛かった。ふたりが衣装に着替えている間、スマートフォンを3脚に設置し光量やフォーカス(焦点)を調整する。高性能とはいえ所詮はスマートフォンのカメラだ。本物の大会で使われる代物と比べたら劣ってしまうだろうが、それはご愛敬というもの。

 それに、これは観客のために行うライブじゃない。Aqoursによる、Saint_Snowのふたりのためのライブ。

 衣装に着替えてきたふたりが、所定の位置に立つ。スマートフォンと持ってきたスピーカーの接続を確認し、涼は曲の再生ボタンをタップする。

 東の方角から空が白み始めていくが、辺りはまだ暗い。満足な照明がない中で、朧げな光景はなかなかに良い演出じゃないだろうか、と思った。エレキギターの激しいイントロが、まさに眠りから否応なく目覚めさせるように響く。

 ハードなロック調な挑戦的で、攻撃的な旋律だ。まるで厳しい現実に抗おうとするような。でも姉妹が歌い上げる詞は、拍子抜けしてしまうほど明るく前向きなものだった。

 まさに応援歌と呼ぶべき曲だ。常に前を向いて、進み続ける人の背を押してくれる曲。聴き手や歌い手を問わず、耳孔に響かせる人すべてに贈られるもの。姉妹は決勝でこの曲を歌うことで、前に進もうとしたのだろう。

 力強く歌い上げるふたりは笑顔だった。こんな激しい曲とダンスをしながら、姉妹は心の底から楽しそうにしている。

 初めて観るスクールアイドルのパフォーマンスに、涼は圧倒されていた。気を抜けば機器異常のチェックを忘れてしまいそうなほどに。自分もこの空間を楽しみたい。観客として、もっとふたりの歌を聴きダンスを観ていたい。ふたりが最高のパフォーマンスができるよう声援を送りたい。

 足腰が立たなくなるまで。

 喉が枯れるまで、ずっと。

 惜しいことに、その時間は瞬きすれば終わってしまうほどに短かった。踊り切ったふたりの表情も晴れやかと同時に寂しげでもある。

「今のこの瞬間は、決して消えません」

 歌の詞にも込められたその言葉を告げながら、聖良は妹の手を握る。

「Saint_Snowは、わたしと理亜のこの想いはずっと残っていく。ずっと理亜の心の中に残っている。どんなに変わっても、それは変わらず残っている」

 ステージにいなくても、裡ではいつまでも一緒に居る。一緒にステージで歌い、踊っている。どれだけ時間が経とうが、ふたりの裡で響かせ合った歌が消えることはない。

「だから、追いかける必要なんてない」

 それが、聖良の伝えたかった言葉。わたしの背中なんて追わなくていい。あなたはあなたの、あなただけしか得ることのできない「輝き」を追えばいい。自分と一緒では見つけることのできない、理亜だからこそ見つけることのできる輝きが必ずある。

 もうわたしに、Saint_Snowに縛られることは無いんですよ、理亜。

 遅くなってごめんなさい、と聖良は詫びているようだった。この曲を一緒に歌わなければ、この言葉は何の意味も持たない薄っぺらいものになってしまうところだった。でも今の、やり切ることができたあなたなら理解してくれるはず。

 これから歌っていくステージが、あなたの本当のステージ。そこであなた自身の輝きを放てることを、わたしも応援しています。

「姉様」

 想いを受け取った理亜が、愛しそうに姉に抱きつく。強く妹を抱きしめる聖良の目尻から涙が零れた。

 Saint_Snowは、これで本当に終わる。

 そして始まるのだろう。姉妹それぞれが駆けていく、新しいステージへの物語が。

 春一番だろうか、暖かい風が吹きすさぶ。風に運ばれてきた1枚の羽が、鹿角姉妹の傍を通り過ぎていく。妙な羽だ。朧気な光を帯びていて、小さな篝火のように空高く舞い上がっていく。

 羽は東の空へ飛んでいった。もうすぐ太陽が昇る方角へと。まるで光の中へ還元されていくようだった。また視られるだろうか。そんな期待が涼の胸の中に湧く。

 いつか俺にも夢ができたら、夢が叶ったら、あの羽は来てくれるのかな。

『あーあ』

 不意に、スマートフォンから鞠莉の声が響く。

『やっぱり楽しいな、School Idol』

『ですが今度こそ、これが最後ですわよ』

 と言いながら、ダイヤの声も楽しそうだった。そうか、と思い出しながら、涼は端末を3脚から外して鹿角姉妹のもとへと急ぐ。途中で果南の声が聞こえた。

『だから、最後に伝えよう。わたし達の想いを』

 果南たち3年生も、これが最後のライブになる。思わぬ形で訪れたこの延長戦で、彼女たちも9人で歌う最後の曲に、想い残したこと全てを乗せるつもりだ。

「次、Aqoursの番だぞ」

 姉妹にスマートフォンの画面を見せ、3人で身を寄せ合って小さな画面の中にいる9人の姿をじ、と見守る。

 沼津のほうはこちらより日の出が早いようで、ステージの背景にそびえ立つ山から今にも太陽が昇ってきそうだった。

 円陣を組むAqoursの中から、涼は果南の姿を見つけ出す。スクールアイドルとしての衣装を纏う彼女は、涼が知る彼女とは別の姿だった。大人ぶった振る舞いでありながら笑顔は少女らしさが残る面は知っていたが、いま画面の中にいる彼女はとても無垢に見える。アギトやあかつき号というしがらみから解き放たれているように。

 果南だけじゃない。千歌も、曜も、梨子も、ルビィも、花丸も、善子も、ダイヤも、鞠莉も。彼女たちは「いま」という時間を視ている。過去への後悔も、未来への不安もなく。自分たちの取り巻くもの全てを肯定するように一切の皮肉もなく笑っている。

 そんな彼女たちが歌う曲は、とても晴れやかで明るいメロディだった。音がひとつひとつ輝いているかのような。

 明るい曲調の中で、過去を惜しむ寂しげな詞が紡がれている。でも笑顔で、前を向き続ける力強さへと続いていく。この連なる詞が彼女たちの道だったのか、と涼は不思議な感慨に熱くなる胸の鼓動を実感する。

 涼と彼女たちを繋いだのは、裡に宿ったアギトの力。彼女たちの抱える宿命にばかり目を向けていて、その輝きというものには殆ど関心がなかった。ライブをまともに観たのも今日が初めてだ。

 彼女たちの想いが伝播でもしたのか、思わず笑みが零れた。護るべき存在として視ていたけど、彼女たちがここまで走ってきたのは彼女たち自身の力じゃないか。誰かが道を作ってやったわけじゃない。アンノウンだろうが神だろうが、往く手を阻むのにAqoursという少女たちは眩しすぎる。邪魔する余地も、護る必要もなかった。

 背景の山から太陽が顔を出した。この演出を狙ってこの時間に決行したのだろうか。計算にしろ偶然にしろ、彼女たちの歌声は夜明けを告げるのに相応しいほどに燦々としている。陽光が空に広がる光景は、世界が彼女たちの歌声で目覚めたように視えた。

 曲が終わった。ポーズを決める彼女たちに、鹿角姉妹は強い拍手を贈っている。

『凄い……』

 と画面から月の声が漏れた。

『スクールアイドル、て本当に凄い! このラブライブを僕たちしか観てないなんて、そんなの勿体ないよ!』

 興奮した月が端末を操作している音が聞こえたが、涼たちにその様子を窺うことはできない。何にしても、月の気持ちはとても理解できた。彼女の言う通り、このライブが無観客だなんて勿体ない。大会の優勝グループとそのライバルが競い合ったライブだ。友人と観に行って、この興奮を存分に語り明かさなければ気が済まない。生憎、涼の友人らしい友人はもうこの世界にはいないが。

『千歌ちゃん?』

 と梨子の声が聞こえた。月が向けるカメラの先で、千歌は東に昇る太陽を見上げている。

『分かった。わたし達の新しいAqoursが』

 千歌はそう言っていた。新しいAqoursとは。気にはなったが、答えは近いうちに視られそうだ。きっと彼女たちも、次の1歩を踏み出そうとしているのだろう。その目指すべき先を、ようやく見出したということだ。

「葦原さん」

 と聖良に呼ばれる。目を向けると理亜に警戒されているのか、聖良の後ろに隠れられてしまった。聖良はそんな妹に苦笑しながら、

「本当に、来てくれてありがとうございました」

 深々と頭を下げる聖良に、理亜も倣い遅れてお辞儀をする。

「別に良いさ。凄いんだな、スクールアイドル、て」

 そう言うと、頭を上げた姉妹は目を丸くして、でもすぐに笑みを浮かべた。

「果南さんは幸せですね。葦原さんみたいな優しい人が居てくれて」

「あいつ、俺のこと何て説明してたんだ?」

「果南さんがずっと待っている人、て」

 あいつは、と涼は深い溜め息をつく。羞恥は無かったのだろうか。いやないだろうな、とすぐ思い直す。初対面の時も目の前でウェットスーツを脱いで水着姿になるような少女だった。

「つまりは、そういうことですよね?」

 なんて聖良は小悪魔じみた笑みで涼を見上げている。この少女も果南と似たもので、大人ぶってこそいるが根はまだ子供らしさが残っているらしい。

 「姉様、どういう?」とこの手の会話にはまだ初心なのか、理亜が姉に尋ねた。

「恋人、ということですよ」

 「ええ⁉」と理亜は真っ赤な顔で涼を見つめた。茹でダコみたいだな、と初対面で失礼ながら思ってしまった。いや、函館なら茹でガニと例えるべきか。

 妹の反応に笑うと、聖良は「でも」と涼に向き直り、

「今更ですけど本当に良かったんですか、わたし達のところで。向こうなら、果南さんの傍にいられたのに」

 そんな素朴な質問をするあたり、聖良は色恋沙汰が未経験なのだろう。ふたりの間にしか分からないことがある。その辺りは経験者として、涼は答えた。

「良いさ。いつか追いついてみせるからな、あいつの所まで」

 

 






 長かったこの作品も、次で最終回です。
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