ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 時計の針はさ、未来にしか進まない。
 ぐる、と一周して元に戻ったように見えても、未来に進んでるんだ。

――仮面ライダージオウ 常磐(ときわ)ソウゴ




最終話

 

   1

 

 ライブまであと11日。

 件の浦の星分校舎を目の当たりにして、鞠莉たち3人は面食らった。千歌から古い校舎とは聞いていたが、まさかお化け屋敷と見間違うほどのものとは。

 この措置が鞠莉の耳に届かなかったのは、卒業と同時に理事長は退任するから、という事で蚊帳に追いやられたからだろう。学校を存続させられなかった代わりとして編入の手続きは抜かりなく通したつもりだったのだが、スクールアイドル活動にかまけていたからか詰めが甘かった。

 後悔しても遅いのだが、鞠莉たちは様子を見に行かずにはいられなかった。残った生徒たちは恨んでいないから、と。

 でも浦の星の生徒たちは本当に良い生徒たちばかりで、そう広くない校庭で皆は楽しそうにステージ作りに勤しんでいた。閉校祭準備の日を思い出す。これから起こる事が楽しみで早く明日が来ないか、でもこの楽しい時間がずっと続いて欲しい、と矛盾を抱えてしまう。

 木枠のキャンパスに曜たちがペンキで巨大な絵を描いている。まるで昔ながらの銭湯絵みたい。

 その後ろではステージの土台が組み立てられていて、花丸が金槌を手に釘を打っている。すぐ横では飾り様のバルーンを膨らませているのだが、ガスを入れ過ぎて破裂した。その大きな音に傍にいた花丸含め数人がひっくり返り、心配した他の生徒たちが現場へと集まっていく。幸いにも怪我人はいなかったのか、すぐ生徒たちは作業に戻った。

 隅の方では千歌と梨子がPCに繋いだイヤホンを片方ずつ分け合っている。編曲作業だろうか、ふたり楽しそうに談笑し、時折目を閉じて音に聴き入っている。

 校舎の窓からルビィと善子が顔を出している。すぐにふたりは寸胴鍋とガスコンロを校庭に運びだしてきて、発泡スチロールの器に煮込んだ鍋の中身をよそっていく。湯気を立ち昇らせるその差し入れに眉を潜める生徒たちに、善子が得意げな顔で巻物を開いて見せた。

 あの巻物を鞠莉は知っている。何せ鞠莉自身が善子とルビィに渡したのだから。Mary直伝のシャイ煮のレシピを。海の家、閉校祭と研究に研究を重ね、更に食材の質を上げておいた。因みに味見はしていない。勢いで作ったのだから当然だ。でも美味なのは保証できる。どんな料理でもカレー味にしてしまえば美味しくなる、とかつて翔一が言っていたアドバイスに従って高級カレールーを投入しておいた。

 皆の反応は予想通り。ゲテモノな見た目に慄くけど、ひと口食べれば笑顔が広がっていく。ものの数秒で皆が夢中で丸ごと入れた伊勢エビや和牛ステーキを頬張っている。

 あの中に、わたしも少し前まで居たんだ。

 残った者たちを校門の陰から覗きながら、鞠莉は思う。先月までは鞠莉や、ダイヤと果南も高校生だった。卒業証書を受け取ったあの日を境に、もう皆とお揃いのジャージや制服を着て何かをする日は来ないのだろう。スクールアイドルは延長できたけど、それは先日の1度だけの、特別なライブ。

 理事長も兼任した高校生活に未練はない。また果南とダイヤと再びスクールアイドルのステージに立つことができたし、ラブライブで優勝までした。多忙だったし恐ろしい経験を何度もしてきたが、それ以上に楽しかった。

 また、あの中に戻りたいな。長く眺めていると、そんな欲が湧いてしまう。きっと、これから先も同じ望郷の想いが込み上げてくるのだろう。それは愛しい思い出だからこそ起こる、幸福の証明でもある。

 さあ、行こう。ふたりのもとへ急ぎ、鞠莉は校舎から離れていく。去る者たちにも、やれる事はある。果南から厚い紙の束を分けてもらい、市街へ向けて歩き出した。

 

 

   2

 

 見上げると、9色の虹が大きく掛かっている。本物に比べたら小さくて低い。けど、はっきりと色が視える。千歌たち、Aqoursの放ってきた光の色が。

「よく考えてみたらさ、Aqoursのステージを自分たちで1から作るの、これが初めてかも」

 曜の言葉に「そうね」と梨子が応じた。言われてみれば、曲やダンスや衣装は自分たちでやってきたけど、ステージまで自作するのは今回が初めてかもしれない。何から何までが手作りのライブ。

「新しいスタートに相応しい、てことだね」

 そのスタートは、もう明日に控えている。千歌たちの次への1歩と同時に、静真高校での説明会のリベンジでもある。父兄に、街の人々に、スクールアイドルが何なのかを知ってもらうための。

「これ入れたらあと少しだよ!」

 とむつが大声で言いながらロゴの形をしたバルーンを抱えている。「むっちゃん達も楽しそうだね!」と千歌が言うと、いつきが満面の笑みで応えてくれる。

「うん、皆で作るなんて、閉校祭以来だし」

「浦女の底力の見せ所だよ!」

 なんてよしみが頼もしくガッツポーズしてみせる。

「このステージで歌うんだね」

 完成間近になったステージを見渡し、曜が感慨深げに呟く。「楽しみね」と梨子も頷いた。

「緊張――しないずら」

 と強張っていた花丸の表情が一気に緩む。「ホントだ、何で?」と善子も。

「きっと、ちょっぴり大きくなったのかも」

 ルビィがその答えを導き出した。「マルたちが?」と訊く花丸に、ルビィは自信たっぷりに「うん!」と頷く。確かに不思議な気分だ。今まではライブが近くなれば不安なり緊張なり、何かしらの感情が湧いていた。でも今はとても落ち着いている。至ってフラットだ。

 ルビィの言う通り、千歌は成長できたのだろうか。輝きたい、と空に手をかざしていた1年前よりも。答えは明日になれば分かるだろう。

「千歌たちは先帰ってなよ」

 むつの言葉に、千歌たちは揃って首を傾げる。

「後はわたし達がやっておくから」

「しっかり休んで、良いパフォーマンス見せてね」

 いつきとよしみが続く。「でも――」と曜が食い下がったが、いつきは「大丈夫」と。

「わたし達の他にもたくさんいるから、ね」

 ぞろぞろ、と後方から幾重もの足音が聞こえ、千歌たちは振り返った。校門から入ってくるのは、静真高校の制服を着た生徒たち。その先頭には月が立っていた。

「いよいよだね」

 月の言葉を受け、善子が「くっ」と身構える。

「やはり聖戦は避けられないのか……!」

「落ち着くずら」

 普段通り聖戦のことは無視して、曜が尋ねる。

「月ちゃん、どうしたの?」

「あのライブ動画を観て集まってくれたんだよ。僕たちも何かできないかな、て」

 月の後ろには、善子の中学時代の同級生だった生徒たちもいる。彼女たちも率先して協力を呼び掛けてくれたのだろか。厚意は嬉しいけど、素直に受け取るにはまだ腑に落ちない部分がある。

「だけど、反対されてたんじゃ……」

 千歌が恐る恐る訊くと、月は「気付いたんだ」と答える。

「僕たちは何のために部活をやってるのか。父兄の人たちも」

「何のため?」

「楽しむこと。皆は、本気でスクールアイドルをやって心から楽しんでた。僕たちも本気にならなくちゃ駄目なんだ。そのことをAqoursが、Saint_Snowが気付かせてくれたんだよ。ありがとう」

 そう語る月の瞳は潤んでいるように見えた。自分たちのライブが月に気付きを与えた。彼女の目に、千歌たちは間違いなく楽しそうに映っていた。

「そうそう、わたし達も呼びかけたんだよ」

「だから遠慮なし」

「皆にも手伝わせて」

 彼女と同じように、AqoursとSaint_Snowというスクールアイドルを目の当たりにした生徒たちが力になってくれる。この現実で千歌は確信する。

 気のせいじゃ、なかったんだ。

 わたし達は、本当に輝いていたんだ。

「どうかな?」

 月の問いに「そうだなあ」と曜が勿体ぶってみせる。皆の視線を一身に受けた千歌は、リーダーとして当然の決定を下した。

「じゃあ、甘えちゃおうか」

 浦の星、静真を問わず伝播していく笑顔の波を見て、千歌は思う。

 こうやって繋がって、広がっていくんだな。

 夢や、輝きや、ときめきというものが。

 

「どうする? 少しだけでも練習していく?」

 家路の道を歩きながら、梨子がふと言った。陽が傾き始めているが、軽く走り込みをする程度の余裕はある。急に時間が空いてしまったから、このまま帰っても手持ち無沙汰になるかもしれない。

「それも良いけど――」

「悩みどころよね」

 と曜と善子が言う。「そういえば」と花丸が切り出した。

「鞠莉ちゃん達はいつまでこっちに居られるずら?」

 それは千歌も気にはなっていたことだ。でも本人たちには訊いていない。他の皆も同じらしく、黙りこくって沈黙が漂っていく。気にはなっていたけど、訊けなかった。その日が近付いていくにつれて、またラブライブ決勝前のような寂しさが込み上げてきそうだから。だからライブの準備や練習を適当に理由を付けて、3人とはSaint_Snowとのライブ以来会っていない。

「千歌たちのスタートを見届けたら、そのまま向かうよ」

 その馴染みある声に前方を向くと、果南が立っていた。果南だけじゃなく、ダイヤと鞠莉もいる。

「それぞれの場所に」

「Ciao」

 3人は普段通りだった。辛気臭さなんて微塵もない。

「やっぱりそうなのね」

 と梨子が得心したように言った。つまり明日ということだ。唐突すぎるからか、予想していた寂しさは沸かなかった。これは、後になってからじわじわと来るものなのだろうか。

「じゃあその前に、最後に皆で行かない?」

 新しい遊びでも思いついたかのような口調で鞠莉は言った。

「浦の星」

 

 

   3

 

 市街を抜けたバスは、沿岸道へ出てそのまま道なりに進んでいく。内浦の細く曲がりくねった道路を過ぎ、長井崎へのトンネルを抜けたところで、果南が何の気なしに言った。

「そういえば、バス停なくなっちゃんだね」

「学校なくなったら、使う人いないものね」

 当然のように梨子が言った。停留所の地名は浦の星女学院前。その名の通り、学校の通学用に設けられた停留所だった。学校が閉校すればもうお役御免。撤去されるのは当然の事。

 浦の星前で降りると、バス停の看板に廃止の張り紙があった。近いうちに廃止されるそうだから、ここで降車するのは千歌たちが最後の乗客かもしれない。停留所の傍にある生徒たち御用達の自販機も、設置した会社によって撤去されるだろう。

 もう、ここには誰も来ないのだから。

「何か懐かしい気持ち」

 丘道を登りながら曜が言った。

「まだ卒業式から少ししか経ってないのに」

 そう言いながら、梨子も懐かしむように丘の空気を目いっぱい吸い込んでいる。

「毎日通っていた道ですから」

 ダイヤが目を向けているのは、まだ実りがなくただの森に見えてしまうミカン畑に、所々で塗装が剥げ落ちたガードレール。静かで忘れ去られてしまいそうな地方集落の風景だ。

「少し来ないだけで懐かしくなっちゃうのかも」

 毎日見ていた風景を見渡しながら、果南が呟く。続いていた日常が終わった途端に尊く見えるなんて現金なものだ。でも千歌も果南を笑えない。千歌だって、学校や内浦という居場所への思慕が湧いたのも、統廃合の話が出たのがきっかけだったじゃないか。

 失ってしまう前に気付けたことは、慰めになったのだろうか。それが幸か不幸かを知るには、この先もっと時間を掛けなければ分からないかもしれない。

 グラウンドを前にして、千歌たちは足を止める。野球部が練習のために引いていた白線はすっかり消えかかっていた。大勢の生徒たちが踏みしめていた足跡も、風に吹かれて見えなくなっている。1画だけ、不自然な窪みがあった。焦げたように黒ずんでいるその部分は戦いの跡だ。翔一たちが1度手放した力を取り戻し、アンノウンを倒した爆心地。爪痕のようなその場所が風化するのは、もう少しだけ時間が掛かりそう。

「本当、色んなことがありましたわね」

 ダイヤが言った。色々とあり過ぎて、全部を詳細には思い出しきれないほどに。

「毎日賑やかだったなあ」

 そんな鞠莉の言葉に「賑やかというよりうるさい、かもだけど」と善子が皮肉を飛ばし、更に花丸が皮肉を上乗せする。

「善子ちゃんは人のこと言えないずら」

「何よ、ずら丸たちだって相当うるさかったでしょ!」

 どっちもどっちだ。というより、ここにいる皆が大人しくなんてしていなかったのではないだろうか。必ず誰かが事を起こして、他の皆が巻き込まれる。そんな日々をルビィが総括した。

「でも、楽しかった」

 そう、そんな賑やかでうるさくもあった日々が楽しく、過ぎた今となっては愛おしい。退屈な授業でどう居眠りをしないか奮闘して、昼食は弁当のおかずが何か楽しみで、待ち遠しかった放課後は着替えて練習場に向かう。大まかにはそんなルーティンが決まっていたけど、その中で毎日何かしらの変化があった。

 昨日できなかったことが今日はできて、明日は何をしようか想いを巡らせる。ここにはそんな想いの全てがあった。

 校門の前に着くと、植えられた桜の樹の花弁はまだ十分に残っていた。校舎の建立と共に植えられたここの樹々は、毎年卒業生を見送り新入生を迎え入れてきた。その役目を理解できずにいるのか、それとも抗っているのか、樹はまだ花弁を散らし続けている。

 樹々と同じように、校舎も卒業式の日から何も変わらず佇んでいる。あの日と全く同じで、夕陽を背に濃い影を落とす姿は時が止まってしまったかのよう。

「何でここに来たの?」

 千歌はそう訊いたが、果南は「さあ」とはぐらかし、

「呼ばれたのかな、学校に」

「でも、ちゃんとあってほ、としたずら」

 花丸の言葉に、全員で笑ってしまう。あって当然。学校や、過ごした日々が全部幻だったなんて、そんな結末があるはずない。

「あ」

 と声をあげた曜の視線を追って、校門の端へと目を向ける。

「開いてる」

 と曜の言った通り、門扉が僅かだが開いたままになっていた。また皆で集まったあの日に閉め忘れてしまったのかもしれない。

 千歌は門へと歩き、錆ついた扉に手をかける。触れた鉄はひんやりと冷たかった。このまま開け放てば、また校舎に入れるだろう。そうしたら、また生徒たちが待っていて皆で再び歌えるかもしれない。

「大丈夫」

 後ろにいる皆と、自身に向けて千歌は呟く。愛しい思い出に浸って泣く必要なんかない。

「なくならないよ。浦の星も、この校舎も、グランドも、図書室も、屋上も、部室も」

 残された校舎がどうなるのかは未定らしい。取り壊されるのか、違う施設に改装されるのか。何の目処も立っていない以上、しばらくはこのまま放置され朽ちていくだろう。どちらにしても、かつての面影は消えていく。

「海も、砂浜も、バス停も、太陽も、船も、空も、山も、街も」

 消えてしまうものはあるけれど、ずっと変わらず残り続けるものも、確かにある。どれだけ時間が経っても、居る人々が変わっていっても、彼が愛したこの世界は回り続けていく。

 世界は過酷で恐ろしい。

 でも、在るだけで美しい。

「Aqoursも」

 卒業式の日と同じように、自らの手で門扉を閉めた千歌は皆へ「帰ろう」と振り返る。ここはもう自分たちの居場所じゃない。だからといって、ここを忘れるつもりもない。

 千歌は胸に手を当てる。

「全部、全部、全部ここにある。ここに残っている。ゼロには、絶対ならないんだよ。わたし達の中に残って、ずっと傍に居る。ずっと一緒に歩いて行く。全部わたし達の一部なんだよ」

 いずれこの校舎がなくなっても、内浦からミカン畑がなくなっても、人々がいなくなっても、山も海もなくなっても、絶対に消えることはない。消さない、と誓ったのだから。ラブライブの歴史に名前を刻んだのだから。

 ずっと残っていく。浦の星女学院も、Aqoursも。青空に太陽が輝いている限り。

 千歌たちは学校を後にして――ううん、もう他人事のように語るのはやめにしよう。

 これはわたし達の物語だ。わたし自身の言葉で語らないと。

 わたし達は学校を後にして、振り返ることなく来た道を走っていった。あの場所で芽生え育んできた想いを裡に抱えながら。

 いつも始まりはゼロだった。

 始まって、1歩1歩前へ進んで積み上げて――

 でも気付くとゼロに戻っていて――

 それでも、ひとつひとつ積み上げてきた――

 何とかなる、て。きっと何とかなる、て信じて――

 それでも現実は厳しくて――

 1番叶えたい夢は叶えられず――

 またゼロに戻ったような気もしたけれど――

 わたし達の中にはいろんな宝物が生まれていて――

 それは、絶対消えないものだから。

 全速力で走ったわたし達は、三津海水浴場の砂浜で脚を休ませた。わたし達の物語で常にあった波間の飛沫。絶えず聴いていた潮騒に、海原から運ばれてきた香り。果ての視えない水平線。

 その風景は始まりの――始まるよりずっと前の幼い頃から変わらない。ちっぽけだったわたし達を引き合わせてくれたのは、この海だった。

 うん、そうだったね。皆、ずっと前にここに居たんだよね。

 飛べる、て教えてくれた彼を、またわたしのもとへ連れてきてくれた。

 あの白いワンピースの子に海の音を聴かせてくれた。

 あの幼い日に力いっぱい飛ばした紙飛行機は、空に溶けて青い翼をはためかす小鳥のように視えた。

 青い鳥があの虹を越えて飛べたんだから、わたし達にだってきっとできるよ。

 わたし達があの頃に感じていた予感は本物だったんだ。きっと産まれた時からずっと持っていて、失くしてなんてなかった。

 これから、どんなに長い時間が経っても、何があっても絶対に消えない。わたし達が持っている、無限の可能性はいつだって輝いている。

 それはこの物語を読んでくれているあなたの裡にも、きっと。

 

 

   4

 

 街の人々は、こぞって沼津駅の方向を目指しているようだった。休日ということもあってか、老若男女問わず足を急がせている。地元民ばかりでなく、周辺地区や遠方からも来ているんじゃないだろうか、と思えた。

「やっぱり電車で来た方が良かったのかしらね」

 まだそんなに歩いていないというのに、小沢は早くも疲れたように漏らした。きっと満員だろうから、という事で車での移動にしたのだが、それはそれで駐車場探しに苦労して会場からどんどん遠ざかってしまった。

「だから言ったじゃないですか。スクールアイドル舐めちゃ駄目だ、て。前日入りは常識ですよ」

 なんて尾室がサイリウムの本数を数えながら小言を向けている。結構な本数だが、まさか全部持つつもりじゃないだろうか。

「あんたそんなに持ってきてどうするつもりよ?」

「どう、てふたりの分も持って来てあげたんじゃないですか」

「いらないわよ。そんなもん振り回す歳でもないでしょ」

「歳なんて関係ありませんよスクールアイドルなんですから」

「理屈が分かんないわよ」

 なんて応酬を繰り広げているふたりを横に、誠は暖かい風の吹く沼津の空気に穏やかな気分になれた。滞在していた期間が長かったせいか、まるで故郷に帰ってきたように安心できる。

 3年生が卒業し、6人になった新生Aqoursとしてライブをする。千歌からその連絡を受けて、まだ暇を持て余していた誠はふたつ返事で行くことにした。もうすぐ日本を経つ小沢と、G5プロジェクトを控えた尾室も一緒に。

 前方からこちらに近付いてくる人物に気付き、誠たちは揃って足を止めた。馴染みの瀟洒なスーツは、沼津の素朴な街並みでは酷く目立つ格好だ。

「北條君」

 小沢が少し驚いたようにその前を呼ぶと、北條は不気味にも視える笑みを浮かべ、

「お久しぶりです、皆さん」

 「何であなたがここにいるのよ?」と小沢が訊いた。まさか北條もAqoursのライブを、と一瞬思ったのだが、どうにもイメージが沸かない。当然本人の答えは違い、

「ええ、少々小沢さんが恋しくなりましてね――というのは勿論冗談です。こっちのフレンチの味が忘れられなくなりましてね。わざわざ出向いたら偶然にも、というわけです」

 北條の冗談なんて小沢は歯牙にもかけず、いつものように憮然と言い放つ。

「さっさと消えなさい。あなたの顔を見たら警察辞めた意味が無いわ」

「相変わらず口の悪い人だ。それにしても聞きましたよ。今度は海外の大学で教授をされるとか。どこへ行ってもお山の大将がお好きなようですね」

「何だったらあなたも私の授業を受けたらどう? 少しは賢くなるかもしれないわよ」

「いえ、結構です。必要な知識は全てこの頭に入っていますので」

 と自身の頭を指さす北條に小沢は「そうね」と同意を示す。

「嫌味を言う知識だけは詰まってそうね。目いっぱい」

「ま、それはお互い様、ではないですか」

「はいはい、じゃあね」

 心底面倒くさそうに吐き捨ててから歩き出す小沢を尾室と一緒に慌てて追いかける。ちらり、と一瞬だけ振り返ると、北條の口元が笑みを浮かべていた。いつもの皮肉めいたものじゃなく、初めて見る晴れやかな笑顔だった。

「喧嘩仲間、てやつですね」

 と尾室が笑いながら言うも「どこがよ」と小沢に撥ねつけられる。

「そうだ氷川さん」

 後方から呼び止められ、再び足を止める。「まだ何かあるの?」という小沢の険のこもった声音は意に介さず、北條は言った。

「来月から捜査一課に戻るそうですね。また一緒に働けることができて、嬉しいですよ」

 「え?」と呆けた声をあげてしまう誠に北條は肩をすくめ、

「おや、まだ通達が届いていませんでしたか。私としたことが迂闊でした。今のは聞かなかった事にしてください」

 「はあ……」とがらんどうな受け答えしかできずにいる誠に背を向けて、北條も歩き出す。

「やりましたね氷川さん、復帰ですよ!」

 はしゃぐ尾室の言葉で、ようやく意味が理解できた。小沢も嬉しそうに笑い、

「おめでとう氷川君。お祝いに焼肉行くわよ。久々にいつもの店ね」

 「良いですね」と尾室が言った。会場への足を速めるふたり見て、誠は思う。きっと焼肉を食べている間、会話の内容はユニット時代と何も変わらないだろうな。小沢が浴びるようにビールを飲んで、尾室は我先に、と肉を取って。これが3人での最後の食事、だなんて意識は微塵もなく。

 でも、それで良いんだ。このふたりと一緒に戦えたことは、誠の生涯できっと替え難い誇りになる。離れていても、どんなに時間が経っても、また会えたら自然と焼肉屋へ行くことになる。

 だから今は、この瞬間を最大限に楽しもう。ライブの後も焼肉。その後も、宿を取っておいた十千万で夜が明けるまで語り明かすのも良い。

 輝き始めた「明日」への期待を膨らませながら、誠も賑やかな街の中心へと急いだ。

 

「Aqoursのライブ会場はこちらでーす!」

 メガホンを片手に呼びかけている少女たちの誘導に従い、人々は駅前に特設されたステージへと歩いてく。地域の催し物程度にしか思っていなかったが、観客の密度は涼の予想を遥かに超える混雑ぶりだった。食べ物の屋台まで出店されていて、まるで縁日みたいだ。

 涼はまだ無人のステージを見上げる。無数のバルーンに囲まれる中で大きな虹が掛かり、そこには水色で「Aqours」というロゴが入っている。ステージの傍にあるテントでは制服姿の少女たちが機材の調整を行い、観客たちにライブ中での注意事項を呼びかけている。スタッフらしき者は全員が少女だった。教員や父兄らしき人々はいるのだが、手伝う様子はなくただ見守っている。

 このライブは、全てが彼女たちの手作りだ。曲もステージも。それはまるで、これまでの軌跡を辿ってきたAqoursそのものを象徴しているようだった。彼女たちの歌を1度しか聴いていない涼に、少女たちの奮闘は想像するしかない。

 でも、この会場の賑わいでほんの僅かではあるけど理解はできる。彼女たちがどれだけ人々に愛されているのか。

 足元で何かが擦れる感触を覚え、視線を降ろす。1匹の子犬が涼の足にもたれかかっている。ひょい、と持ち上げられるほどに子犬は軽かった。丸々とした体を覆う毛がとても柔らかい。産まれて間もないらしく、真新しい首輪にはシイタケのストラップが付けられている。

「あ、こんな所にいた!」

 とこちらに駆け寄ってくるのは美渡だった。

「あれ、葦原さん?」

 涼に気付いて目を丸くする彼女に後れて、子犬を抱いた志満がやって来る。

「あら、葦原さんも来ていたんですか?」

 「どうも」と高海姉妹に会釈しつつ、自分の手の中にいる子犬と志満の腕の中にいる子犬を見比べる。志満が抱いている子犬もしいたけのストラップが付いた首輪を巻いている。犬の人相なんて分からないが、姉妹犬とみて間違いはないだろう。

「あれ、この子が人に懐くなんて珍しい」

 美渡が言うと志満も子犬に顔を寄せ、

「本当、とっても人見知りなのに」

 「ほらおいで」と美渡が涼の手から子犬を受け取ろうとしたのだが、子犬は涼の袖に爪を立て抵抗している。「あ、おい」と涼は子犬の手を簡単に引き剥がせるのだが、何度離しても子犬は懲りることなく袖を掴んでくる。

「きっと葦原さんの事が大好きなんですね、その子」

 その声は美渡でも志満のものでもなかった。辺りを見回してもそれらしき人物が見当たらず、不意に腰をぽんぽん、と触れられ視線を降ろすと千歌によく似た小柄な少女がしいたけを傍に連れて涼を見上げている。

 千歌に妹なんていたか――

「そういえば、葦原さんは母に会うの初めてでしたね」

「母⁉」

 志満の言葉に思わず大声をあげてしまったが、少女——ではなく3姉妹の母は涼に末娘よりも幼く見える口元に笑みを浮かべる。

「初めまして、3姉妹の母です」

 驚愕のあまり、ぎこちない会釈を返すのがやっとだった。姉妹の母ということは十千万の女将か。失礼ながら志満が女将とばかり思っていた。涼のような反応は珍しくもないのか女将は満更でもなさそうに笑い、

「葦原さん、よろしければその子と暮らしてもらえませんか?」

 「良い、しいたけ?」と女将は子犬の母親に尋ねると、しいたけは「ワン」とだけ吼えた。すると女将は涼へ視線を戻し、

「お願いします、ですって」

 本当にそう言ったのだろうか。涼は自分の手から離れようとしない子犬と視線を交わす。産まれたばかりの淀みない瞳はねだるように涼の手を舐めた。

「行くか、一緒に?」

 くうん、と子犬は応えた。涼は笑みを零し、しいたけの目線にまでしゃがんで語り掛ける。

「立派に育てるよ」

 子犬をしいたけの前に持っていくと、親子は別れの挨拶なのかしばし鼻先を擦り合わせていた。志満の抱く姉妹にも、同じように挨拶をさせてやる。

「名前は何て言うんですか?」

 涼が訊くと女将は思い出したように、

「そういえば、まだ決めてなかったわね」

 「確かに」と美渡が笑い、志満が言った。

「葦原さんが付けてあげてください」

 これには涼も困ってしまった。雌のようだが女の子らしい名前がなかなか思いつかない。どうしたものか悩み果てているうちに、マイクで拡張されたルビィの声がステージから響いた。

「皆さん、こんにちは」

 駅前にいる観客や、屋台の店主たちまでがステージに注目する。ルビィは着替えた衣装を隠すためか長いベンチコートで足元まで隠している。

「ルビィ達は浦の星――あ、元浦の星女学院スクールアイドルAqoursです。これから、この南口特設ステージにてライブを行います。今のルビィ達、新生Aqoursを是非見てください。よろしくお願いします」

 堂々と述べて、ルビィは舞台袖に引っ込んでいく。

「それじゃ葦原さん、失礼します。良ければまたうちの旅館に来て下さい」

 しっかりと実家の宣伝をした志満たちと別れ、涼は名前のない子犬をジャケットの中に入れて顔だけを出してやる。

「あれ、涼?」

 不意に背後から呼ばれて振り返ると、果南がいた。傍には鞠莉とダイヤも。

「Ciao、涼」

「ご機嫌よう」

 「ああ」と適当に返すと、果南は涼の胸元にいる小さな生き物の姿に苦笑する。

「その子、しいたけの子だよね?」

「ああ、何だか懐かれたみたいでな」

 そう言って頭を指先で撫でてやると、子犬は気持ち良さそうに目を細める。こうして見ると可愛いものだな、と愛着が湧き始めてきた。

「お名前は何て言うんですの?」

 ダイヤに訊かれ、涼は頭を掻きながら言葉を濁す。

「それが、まだ無いらしい」

「Oh, 吾輩は犬である、てやつね」

 そうはやし立てる鞠莉に「それ猫ね」とやんわり果南が修正する。

「果南が付けてやってくれないか?」

 「わたし?」と果南は逡巡しながら、子犬の顔をじ、と見つめて呟く。

「………わかめ」

「は?」

「うん、この子の名前はわかめ」

「お前、もっとマシなやつ無いのか?」

「じゃあ涼がもっと良いの付けてあげたら?」

 そう言われたらぐうの音も出なくなり、そんな涼を見て果南は勝ち誇ったように得意げな顔をしてみせる。

「じゃあ決定ね、わかめちゃん」

 と果南は子犬――もといわかめの頭を撫でてやる。志満曰く人見知りらしいのだが、わかめは涼が撫でてやった時と同じように果南の手を受け入れている。

「お前たちは、いつまでここに居るんだ?」

「このライブを観たら、もう行くよ」

「そうか」

 次に戻ってくるのはいつになるのだろう。いつになったら会えるのか、それは敢えて訊かなかった。

「涼もぐずぐずしてちゃ駄目だよ」

「遅くなっても、果南は待っていてくれるんだろ」

「どうかな」

 その日を待つんじゃない。会いたくなったら、会えるようになったら会いに行けばいい。それなりに時間は掛かってしまうかもしれないが、お互いに老けているかもしれないが、それでもいつか必ず。

「そろそろ始まりますわ」

「新しいstartだね」

 ダイヤと鞠莉に倣い、果南もステージを見上げる。少し前までは自分たちが立っていたステージ。3人の顔には色んな感情が窺えて、どの色が強いのか決めかねているようだった。後輩たちのこれからを激励するような、もうあそこに立てない事への名残惜しさか。

 ステージから降りた彼女たちも、それぞれの明日へと向かい歩き始めていく。涼も、同行してくれるパートナーができた。胸に抱く小さい命を育むことを、今の生きる理由にしても良い。

 でも、彼はどうだろうか。この世界とは別の次元へと旅立ってしまった彼に、未来という概念は持ち合わせているのだろうか。

 彼と同じ境地へ往くことは、神話の時代から望まれていたアギトという生命体の悲願なのかもしれない。そこへ往くことでようやく、涼たちのような力を持つものは肉体という檻から解き放たれ生命体の完成を視るのかもしれない。

 だが、そのステージへ至った彼は津上翔一と呼ぶべきに値するのだろうか。アギトという強大な力を顕現させ、世界中の光を取り込み、プリズムで分けたように虹をはためかせた力の依代というべきではないだろうか。

 光に充てられ続け、雲よりも遥か上空の彼方を泳ぐ翔一はどんな夢を視る。永遠よりも長い時間を、彼はただ夢だけを視させられ、個としての意識を薄れさせ、やがては輝きという名の可能性を振り撒くための航海へと乗り出していく。

 そんなの、俺は受け入れない。

 涼は蒼穹へ目を据えた。卑しい人間の反感というのなら嗤えばいい。ただ俺は、俺の在りたいように在るだけだ。彼女たちも同じで、自分の心に従ってきただけ。その果てが延々と種蒔きをするだけのシステムになるなんてご免だ。

 だから戻ってこい、津上――

 

 

   5

 

 控え室にルビィちゃんが戻ってきたところで、わたしは「さあ」と皆に呼びかける。

「精いっぱい歌おう!」

 わたしの後に、曜ちゃんと梨子ちゃんが続く。

「皆のために」

「想いを込めて」

 更にルビィちゃんと花丸ちゃんと善子ちゃんが、

「響かせよう」

「この歌を」

「わたし達の始まりの歌を」

 わたし達は円陣を組んで、その中央に手を重ねていく。いつも本番前にやっていたコール。それぞれの番号を告げていく。

 わたしが「1!」と、

 曜ちゃんが「2!」と、

 梨子ちゃんが「3!」と、

 花丸ちゃんが「4!」と、

 ルビィちゃんが「5!」と、

 善子ちゃんが「6!」と。

 ここに居るのは、ステージに立つのはこの6人。メンバーは全員が揃っている。でもわたしには確かに聞こえた。6から続く番号が。

 ダイヤちゃんの「7!」という声。

 果南ちゃんの「8!」という声。

 鞠莉ちゃんの「9!」という声。

「聞こえた?」

 そう訊くと、皆は笑みを浮かべながら頷いた。気持ちがひとつになった確信を得て、わたし達は人差し指を中心に集める。ずっとゼロの形だったけど、もうゼロじゃない。1になったんだ。その1から、わたし達はまた始める。そして続けていく。

「1からその先へ、

 皆と共にその先の未来へ。

 Aqours――」

 内側から燃えていくような熱量と共に、わたし達は開幕の鐘を告げる。

「サンシャイン!」

 舞台に躍り出たわたしは、たくさんのお客さん達が集まってくれた駅前の広場を見渡す。密集している群衆から少し距離を置いた外縁に、3人の姿を見つけた。他にも知った顔ぶれが揃っている。

 氷川さんに、小沢さんに、確か尾室さん。葦原さんも。鞠莉ちゃんのお母さんまで居たのはちょっと驚いた。

 俄然張り切って、ずっとわたし達を温かく見守ってくれた人々へ歌い上げる。今のわたし達の想いを。

 そして、これからの希望を。

 それが輝きだ、て分かったからかな。ここまでの思い出のひとつひとつが、宝石みたいにきらきら光っている。

 楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、怖かったこと。その全てが大事な宝物。

 宝物だった居場所や大切な人と離れていても、ずっと心の中には残っている。引き出しを開けるように思い出せば、いつだってあの頃の光景が広がっている。

 その居場所で一緒に居た人と会いたくなったら、名前を呼べば良いんだ。そうすればきっと聞こえてくる。皆と一緒に口ずさんだ歌の一音一音が、踊るようにわたし達の周りで跳ねていく。

 絶対に忘れないよ。わたし達が一緒に育んできた想いや、輝きはひとつも漏らさず。夢があれば、心の奥底にある願いに正直になれば、きっとなれるんだ。

 なりたい自分に。

 普通なわたしができたんだもん。わたし達の歌を聴いて、この物語を読んでくれたあなたにだってできるよ。

 走り出してみて、上手くはいかないのかもしれない。泣いちゃうだろうし、躓いちゃうこともあると思う。でもね、それでも振り出しや、ゼロにはならないんだよ。

 ちゃんと前に進んでる。明日は今日よりも、夢へと確実に近付いているよ。

 気付けば、3人の姿が見えなくなっていた。どこに居るのか、探す必要なんてないことは分かっている。3人はもう行っちゃったんだ。それぞれの次の居場所へ。それぞれの未来へ。

 でもそれは、もう心配いらない、てことなんだよね。わたし達6人でも、十分ステージで輝けるんだよね。

 うん、分かってる。こうなることは分かっていたよ。いつまでも一緒には居られない。別れの日は必ず来る。

 でも、やっぱり寂しい気持ちは消えないよ。皆一緒だったから、わたしは前に進むことができたんだ。皆が居てくれたら、怖いものなんて何もなかった。わたしの涙を皆が受け止めてくれたから、何度でも立ち上がることができた。

 だからせめて、気持ちだけは離れないで。何があっても、ずっと繋がっていて。

 そばに居て――

 

 ――ちゃんと居るよ――

 

 不意にその声が、わたしの胸の奥から全身に響いてくる。

 

 ――いつでもお傍に居ますわ――

 

 ――Don’t worry――

 

 ああ、幻なんかじゃない。夢でもない。わたしひとりだけじゃない。

 曜ちゃんも、梨子ちゃんも、花丸ちゃんも、ルビィちゃんも、善子ちゃんも。皆の心にしっかりと響いている。皆の声が共鳴して、口ずさむ歌声で震える空気が光を帯びていくのを感じられる。

 視えるよ、果南ちゃん。

 聴こえるよ、鞠莉ちゃん。

 感じるよ、ダイヤちゃん。

 皆のダンスが――

 皆の歌が――

 皆の熱が――

 それぞれが違うものを持っていて、でもそんな取り纏めのないものが集まることで、大きなひとつの光になった。

 ずっと、ずっと考えてきた。

 どうすれば、まだちっぽけなわたし達が彼と同じ輝きへと往けるのか。どうしたらまた彼と会えるのか、色んな方法を探ってみた。

 答えはすぐに出た。あの光に満ちていたドームと同じように、全力で歌って踊れば良いんだ。わたし達の放つ光。ひとりひとりが持つものは弱いのかもしれないけど、皆が一緒なら絶対にどこまでも高く届くはず。

 あの瞬間だけのものじゃない、絶対に消えない輝き。空っぽだと思っていたわたしの中には、皆と紡いできた物語が詰まっている。ああ、わたしにもあったんだ。皆が持つアギトとは違う、でも負けないくらいの輝きが。

 皆の灯す光が、わたしの中に入り込んでくるのを感じ取れる。異なる色の光が溶け合い互いの境界を失くすことで、わたしを器として生まれ変わっていく。

 溶け合っていくけれど、完全にひとつにはなっていない。皆の抱える想いは近いけれど、微妙に違っていて反発し合ってもいる。注がれていく想いは星の数ほどたくさんあるけれど、会いたいと願う人は同じ顔を浮かべている。

 視える翔一くん?

 これだけの人たちが、あなたと響き合いたい、て願ってる。戦いに行くあなたの背中を見てきたわたしの想いを、何が何でも伝えたい。

 あなたから受け取った愛と勇気を抱きしめて、わたしはもう1度、あなたに会いに往く。

 

 ――変身!――

 

 叫んだ瞬間、身体がふわり、と軽くなった。足踏みしているはずの地の感覚がなくなって、引かれるように“わたし”という意識が高く昇っていく。一緒に着いてきてくれた8人分の光がヴェールのように覆い被さって、魂と呼ぶべきわたしの姿を変えていく。

 背中から2枚の翼がばさ、と虹色の光を振り撒きながら大きくはためいた。一気にわたしの感覚はステージから離れると雲を越え、富士山を越え、空を越えていく。真っ暗な宇宙すらも瞬く間に過ぎ去ったわたしは更に前進し続ける。

 最後に頭を撫でてくれた、大きな手の温もり。飛行機雲みたいに残る彼の温かな光を手掛かりに、わたしはその名前を声高に呼びながら虹の彼方を駆け抜けていった。

 

 ――翔一くん――

 

 

 もはや懐かしい響きの名で呼ばれたことに気付き、「それ」は歩みを止めた。何てことのない些細な予感。絶えず流れ込んでくる声の中から、偶々かつて肉体を伴っていた名の音に聞こえただけだ。

 自身が津上翔一という個体として存在していたことを、「それ」は未だに記憶している。だが肉体を捨てアギトとしての完成形へと至った今、かつての旧い名とそれに伴う懐かしさなど無意味に等しい。それでも「それ」が翼を休めたのは、自身と同じ光の眩さを知覚したからだった。

 近付いてきた者の歩みは「それ」からしてみれば酷く緩慢だった。無視して前進を続けていたら距離が開くばかりで、永遠に追いつかれることは無かっただろう。

 ようやく視えものは「それ」が予想していたよりも遥かに未熟で、その動きが赤子のように緩慢なのも納得できた。せわしなく翼をはためかすその姿からは確かに自身と同じアギトの光を感じるのだが、数が多くひとつひとつの光が篝火のように頼りない。

 極めつけはその中心に座しているもの。8色の光を纏いながら「それ」の名を呼ぶ幼子からはアギトを感じられない。にも関わらずそこからも確かな光が視えて、9色の虹を煌かせながら追ってくる。

 「それ」はしばし揺らぎを覚えた。それが戸惑いという不要になって久しい感情であることに気付きながら、迫りくるアギトの正体の確信へと至る。

 9色から放たれる抑揚をつけた声の連なりが歌というものと遅れて気付く。そうだ。かつて地上で聴いていたAqoursという少女たちの歌。彼女たちの声を帯びるアギトの光の中心にいるのは、9人の中で唯一力を持たないはずの者。ただ不憫な肉体に縛られ続け、いつか朽ち果てるだけの人間だった。そこが8つの光の受け皿となって、ひとつのアギトとして顕現している。

「翔一くん!」

 高海千歌という人間を依代としたアギト・Aqoursが「それ」の名を呼ぶ。予想外のことに驚愕こそしたが、存外の喜びが粟立った。ほの一瞬で消えゆく光でしかなかった彼女がここまで至る術を手に入れた。

 さあ一緒に往こう。無限に輝く光を抱き虹の彼方へと。

 「それ」は歓迎の抱擁を交わし溶け合うことを促すが、アギト・Aqoursの中に在る魂はどれひとつとして全の中へ加わろうとはしない。

「駄目なんだよ、翔一くん」

 溶融を拒む千歌の意思が声となって「それ」に流れ込んでくる。

「まだここに来ちゃ駄目なんだよ。わたし達、まだゼロから1にしか進んでない。一気にこんな100とか、もっと先に駆け上がっちゃうのは早すぎるよ」

 何故それを良しとしないのか、「それ」は肉体という檻に囚われままの未練にただ閉口する。やはり、千歌はただの人間でしかないのか。全ての光を知覚し可能性の果てへ至った自身に、また肉体に戻れというのか。

 あんな脆く狭く窮屈な肉体にいては、砂粒ほどにまでこの意識は収縮されてしまう。旧き神の支配から脱却した生命体が、ようやく小さな地球(ほし)から羽ばたく自由を手にしたというのに。

 無限の可能性というものを証明し、それに相応しい形に至ることがアギトの、ひいては人間の悲願だったではないか。なのに何故、地上にまた足を付けなければならない。

「わたし達ね、叶えたい未来はあったけど、未来は視えなかった。ただそうなるかも、ていう可能性だけだったんだよ」

 そう、だからこそ不確かな可能性の結果を視るために「それ」は永遠ともいうべき航海へ乗り出した。人の脆い肉体では一瞬の光を連続させるだけで、悪戯に可能性という夢を視るだけで儚い命を終わらせてしまう。

 可能性の最果てへと至る標がこの境地だ。後に続く同胞たちの道筋に光を照らさなければ迷ってしまうじゃないか。

「良いんだよ、それで」

 と千歌は回り道を肯定する。

「わたし達は結果を望んでいたんじゃない。たった一瞬でも輝きが視えたらそれで進めたんだ。迷うこともあったけど、立ち止まらなかった。そしたら、今はちゃんと視える。新しい輝きや、往くべき場所が」

 アギト・Aqoursの腕が「それ」を抱く。どくん、と鼓動が伝わってくる。「それ」にとって鼓動とは肉体と共に捨てた器官の不要なリズムでしかない。それはアギト・Aqoursも同じはず。肉体から解き放たれてもなお、彼女たちの想いは脈を打ち続け体温を生じさせている。脈打つ必要なんてないのに。ここに満ちた光が常に温めてくれるのに。

 彼女から注がれる虹色の音が、肉声となって空気なき領域を震わせる。

 

 ――津上!――

 

 ――津上さん!――

 

 それはかつて共に戦っていた者たちの声だ。アギトの力をギルスとして顕現させた者。力を持たず這いながら追随してきた者。飛ぶための翼を持たず、重力の重さに喘ぐ声。息苦しさに吐き気を催しながら、呼吸し己の熱を燃やしながら吼えてきた者たちの声が、「それ」が捨てたはずの津上翔一だった頃の意思を呼び覚ます。

 ちっぽけな人間の器に収まる彼らがこちらを仰ぐのが視える。まだ地上にいる彼らにこの領域を認識することは不可能だろう。ギルスである彼でさえ、生涯をかけてもここを知覚するのは無謀といえる。

 有限の鼓動を刻む者たちの発する熱。「それ」の昔日に想いを馳せる彼らも、アギト・Aqoursもその熱を手放そうとはしない。かつて自身にも熱が存在し、その熱こそがこの領域に至らせた事実を「それ」は自覚した。

 熱を捨てることは間違いではないが、同時に正解でもない。熱を保持したまま往けるのなら、その可能性の果てを夢見るのもアギトの悲願と言えよう。

 だが、そうしたらまた振り出しだ。再びこの境地に戻ってくることは叶わないかもしれない。有り得たはずの可能性を自ら閉じるのは、旧き神と同じ過ちではないのか。だが、不自由さを享受する彼女はそれを理解した上で微笑む。

「可能性が無限なら、きっとまた辿り着けるよ。今度はアギトも人も一緒に」

 そうかもしれない、と「それ」はアギト・Aqoursの提示する可能性に頷く。全能な神と定義できる自身の予想を超えた術で、彼女はやって来た。時に予想外の、まさに奇跡と呼ぶべき現象を人間の身でありながら起こした彼女たちなら、別の可能性を形にできるだろう。

 ただ前のみを向いていた「それ」が、翼を得てから初めて故郷の小さな地球(ほし)へと振り向いた。凍てついた宇宙に浮かぶ惑星に満ちる星屑のような輝きは、戻れば認識する術を失うだろう。でも確かに存在している。目に見えなくても、耳で聴こえなくても。

 全ての(とき)を見渡し、全ての光を繋ぐ知覚と視野を放棄する。「それ」の内側からどくん、と産声のような脈が打ち始めた。鼓動が熱を生じさせ、全の光に溶け込んでいた「それ」が光輝に目覚めし(シャイニングフォーム)アギトの姿を構築していく。

 鎧が剥がれ落ち、羽化するように新生した津上翔一としての肉体に収まる意識が鼓動する心臓と同期し、目の前に居るアギトの光を纏った少女の姿を認める。

「千歌ちゃん」

 形を成した唇でその名を呼び、翔一は千歌の柔らかで熱い身体を抱き留めた。彼女を包み込む色がひとつ、またひとつと羽を零すように離れていき、翼を溶かしたふたつの熱を持った器が連続する刹那の中へと引かれていく。

「千歌ちゃん。少し、大きくなった?」

「うん。少しだけ、ね」

 無限の可能性を想起させる光の群れから、たくさんの人々の声が明瞭になっていく。その人たちの熱を感じるため、響き合うため、アギトの青年と人間の少女は在るべき居場所へと降りていった。

 

 ここに、幾重にも交わった物語が幕を閉じる。

 これは、運命に挑んだ者の物語。

 運命に抗った者の物語。

 運命を乗り越えた者の物語。

 

 つまりは、輝きの物語だ。

 

 





 光を授かりし人の子、紡がれし調(しらべ)によりアギトが座する光の最果てへと導かれん。
 愛と祈りを以てアギトを地へと降ろし、肩を並べし時こそ新たな世への扉が開かん。

   人の書
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