ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
わたし達の逃亡生活が終わったのは、南へと下る途中の山村だった。そこは農業と林業で生計を立てるごく普通の田舎だったのだけど、村人からアギトが発生した事でG3-Mild部隊と戦闘になり、その戦火で壊滅状態になった廃村だった。村人たちは全員が麓の仮設住宅へと半ば強引に避難させられたという噂を聞いたわたし達は、その村をしばしの拠点にしよう、とそこへ訪れた。
まだ住民が去ってひと月程度しか経っていない村は、正直なところ人がいなくても違和感がないほどに活気の痕跡が見られなかった。民家と畑ばかりの、街の喧騒から切り離されたかのような集落。実際わたし達が辿り着くまで結構な時間を要したわけだから、何もないのも納得だ。
とはいえ、何もなくても生きていくのに必要なものは一通り揃っていた。蔵にはその家で育てている米や野菜が蓄えられていたし、山奥でもまだ電気や水道は通っていた。村に着いて誰もいないのを確認できたわたし達が最初にした事は、お邪魔した家でお風呂に入る事だった。今までは雨の日に身体を濡らしたりタオルで拭いたりする程度だったから、これは皆で手放しに喜んだ。お湯に浸かるだけでも涙が出たり、身体の表面に溜まった垢で真っ黒になった湯船に笑ったりと色々な感情に振り回された。
その日の夕食も温かった。9人で鍋を囲んで、蔵にあったお米や野菜で雑炊を作り食べて、その美味しさに皆で感激しあっという間に鍋の中身を平らげてしまった。久々のまともな食事だった。多分、満腹という感覚を久しぶりに覚えたかもしれない。
「これから、どうすれば良いのかな?」
満腹で眠くなり始めたとき、曜ちゃんの言葉でわたしの眠気はどこかへと消し飛んだ。それは他の皆も同じ。やっと訪れた穏やかな時間に頬を綻ばせた各々の表情を険しくした。考える余裕が無かったのは事実だけど、目を背けてきたわけじゃない。皆、どこかで向き合わなければならない問題であることは理解していた。
「ずっとここで暮らしていくというのは、現実的とは言えませんわね」
ダイヤちゃんが言った。村にはまだ十分すぎるほどの食べ物があったけど、それもいつまで保つかは分からない。それに、ここだって安全とは言えないのだ。
「目立たずにいれば、警察も目を向けないんじゃない?」
善子ちゃんの言葉に「うゆ」とルビィちゃんは同意を示し、
「ずっと逃げるより、ここで隠れていたほうが――」
「でもそれじゃ――」
花丸ちゃんが何か言いたげに視線を泳がせて、鞠莉ちゃんがその後を引き継ぐように言った。
「多分見つかってしまうわ」
楽観視しながらも、皆どこかで抱いていた不安を鞠莉ちゃんは現実として告げた。
「わたし達と同じように、この村の噂を聞きつけたアギト達が逃げてくるかもしれない。そうやって人が増えたら目撃されるだろうし、そうなればすぐに警察が来て全員殺される」
鞠莉ちゃんの言う通りだった。誰も反論なんてできない。今もこの村へ逃れようとしているアギト達がいるかもしれない。同胞なのだから追い出したりはしないけど、その人達が警察の追跡を撒けているかは分からない。
「ずっと逃げるしか、ないのかな………」
沈んだ声音で呟いたのは梨子ちゃんだった。こうして普通にご飯を食べるのもままならない生活を、一生続けていくことになるのだろうか。いつ向けられるか分からない銃口に怯えて、安心して夜を眠れないまま。
「ねえ、海外に逃げるのはどう?」
善子ちゃんが閃いた、という顔でそんなことを言い出した。
「鞠莉の家に連絡すれば、ヘリくらい用意して――」
「無理ですわ」
ダイヤちゃんにぴしゃり、と撥ねつけられた。
「いま空路は完全にストップしているのですよ。すぐ自衛隊に発見されて落とされますわ」
「じゃあ船は――」
「船も同じです」
日本から出ることは叶わないらしい。小さな島国の中での逃亡生活がどれほどもつか。
ふう、と果南ちゃんは溜め息をつき、
「今日は皆疲れてるし、休もう。しばらくここに居る間、それぞれ考えておいて。これからどうするべきか」
ひとまずの提案に、わたしは無言で頷いた。他の皆も異論を挟むことなく同意して、その日の夜は眠りに就いた。屋根のある場所で眠ったのはいつ振りだっただろう。布団が人数分足りなかったから畳の上で横になったけど、十分に快適で泥のように熟睡できたことを覚えている。
夢を視ていた。いつか、翔一くんが菜園のトマトを使った料理を食べさせてくれた日の記憶。忘れかけていた味と日々が遠く感じられて、酷く虚しくなった。もうあの日々には戻れないのだろうか。志満姉も美渡姉も、お母さんもしいたけも、そして翔一くんもいない。
2
これからどうすればいいのか。
その答えをわたし達が出す前に、出さなければならない状況へと現実は押し上げてきた。無理矢理に。わたし達の意志なんて関係なく。
久々に目覚めの良い朝を迎えられたわたし達は村の散策をしていた。集落がどこまで続いているのか、周辺に何があるのかを確かめる必要があったからだ。でも見たところ村は山間のすり鉢状になった土地に民家が集まっていて、周辺には山くらいしかなかった。
お腹が空いてお昼ご飯の準備をしていたときだった。周囲の見回りに行っていた1年生の3人が戻って来て、
「警察が、G3がすぐ近くに――」
泣きそうな顔でルビィちゃんが喚いていた。「数は?」と鞠莉ちゃんが訊くと「4人ずら」と花丸ちゃんが答えた。
「これから増えるかも」
善子ちゃんが言った。確かに、偵察で4人という数なら、わたし達を見つけたら応援を呼んで更に数が増えるだろう。そうなれば周辺を包囲され、わたし達は袋のネズミだ。
「すぐに出ましょう」
ダイヤちゃんの指示に従って、わたし達はすぐに村を出ることにした。さようなら、美味しいお米と野菜。家を出るとき、わたしはまだ大量の備蓄が残っている蔵を一瞥した。
ルビィちゃん達がG3-Mildを目撃したのは麓へと下る北の道だったから、その反対の南方面へとわたし達は進んだ。山の中は道路の整備なんてされていなくて、急こう配や柔らかすぎる腐葉土に足を取られて進むのに苦労した。獣道を歩くのはすっかり慣れたものだったけど、やはり余計な体力は使ってしまう。しかも後方には敵がいつ追ってくるのか分からない。
敵。そう、かつてわたし達を護るために戦ったG3-Xと似た姿の彼らは敵なんだ。裡にそのような認識が生じていることにわたしは戸惑いを覚えた。あの中に氷川さんがいるとは限らないけど、彼の銃口がわたし達に向けられることがとても恐ろしく、寂しかった。
突如、わたし達の目の前が爆ぜた。
土が撒き散らされて、足場を崩されたわたし達は丘陵を転げ落ちていった。ほんの数秒ほどだったけど、転がっている間に岩や木にぶつかったせいで体の節々が酷く痛んだ。起き上がろうとしたわたし達の周りには待ち構えていたかのように4人のG3-Mildたちが銃を構えていて、恐らく本部に通信を送っていた。
「α-ワン、目標を確認。どうしますか?」
すぐに返答が来たのか「了解」と応え銃を構え直した。発砲許可が下りた、ということだろう。
「あなた達は、人を殺すことに何とも思わないんですか?」
オレンジ色の目を見据えて、わたしは訊いた。どうしても気になったのだ。本当に世の中の人々が、アギトを敵と思っているのか。
「答える義務はない」
逡巡を挟まずの回答だった。G3-Mildが銃の引き金に指をかけたとき、その銃が破砕音と共に砕けた。暴発にグローブを吹き飛ばされたG3-Mildの手から血が滴り落ちたけど、「構わん撃て!」と仲間たちに指示を飛ばした。
でも、他のG3-Mildたちも狼狽えて一向に発砲する気配がなかった。複数のオレンジ色に光る目は、わたし達の足元に光る金色の模様を捉えていたからだ。この光をわたしは知っている。わたしにはない、裡に宿る力を顕現させたもの。
光る紋章は渦を巻き、わたし以外の8人の足に集束していく。皆の身体から放たれる光は際限なく強まり、腰に出現したベルトが唸りをあげるように胎動する。
全てを塗り潰すほどの光に、視界が遮られた。一瞬で晴れた光の残滓がちらつく中、そこには8人のアギトが立っていた。金色の角を額から生やし、目を真っ赤に染めているけど、翔一くんや葦原さんのように異形の姿とは違う。皆それぞれの面影をしっかりと残していた。まるで人からアギトへと進化する途中のように見えた。
まず攻撃を仕掛けたのは果南ちゃんだった。先程銃を暴発させたG3-Mildへ突っ込んでいき、その腹に拳を沈めた。ごふ、と咳に似た声をあげたG3-Mildは体をくの字に曲げ、その背中から光の刃が鮮血と共に突き出した。
別のG3-Mildが至近距離からグレネードランチャーを発砲し、標的にされた曜ちゃんは拳を突き出し弾いてみせた。宙を泳いだグレネードはG3-Mildのもとへ戻り、炸裂し装甲に裂傷を負った。それでも2発目を放とうと銃を構えたのだけど、すぐさま鞠莉ちゃんとダイヤちゃんのキックを受けて沈黙させられた。
1年生たちのもとへ2人のG3-Mildが応戦したけど、ひとりは花丸ちゃんの拳でマスクを割られ、もうひとりはルビィちゃんの蹴りで背中のユニットを破壊された。善子ちゃんが両手から出現させた光の剣が止めになって、ふたりの鎧は肩から胸にかけて切り裂かれて血に染まり、そのまま力尽きて倒れた。
呆然とただ見ていただけのわたしの傍で、金属の軋む音が聞こえ視線を降ろした。鞠莉ちゃんとダイヤちゃんに蹴飛ばされたG3-Mildが、落ちていた銃を拾おうと手を伸ばしていた。故障したらしいマスクは脱ぎ捨て、男の人の顔が露になっていた。額から流れた血が眉間を伝っていて、わたしを見るその目は人間に向けるものじゃなかった。わたしは咄嗟に男の人が取ろうとしていた銃をひったくって、グリップを握り絞めて銃口を男の人の顔へと向けた。
相手の顔が恐怖に歪んだ。G3-Mildの部隊に入るため過酷な訓練をしてきた事が予想できた彼は、わたしみたいな非力な高校生相手に恐怖しているのが分かった。引き金に指をかける。ほんの少し指に力を込めただけで、この人を殺せてしまう。そう考えたら手が震えだして、抑え込むようにわたしは更にグリップを握る力を強く込めた。
皆はアギトに変身して戦った。なら、わたしだって――
引き金の指に力を込めようとしたとき、男の人の顔が一瞬にして消滅した。上から頭をまるでカボチャみたいに潰してしまったのは、梨子ちゃんの足だった。
「千歌ちゃん、大丈夫?」
梨子ちゃんはそう呼びかけたみたいだけど、わたしの耳には入っていなかった。ただ銃を握りしめたまま、頭を失って動かなくなった男の人の骸をぼう、と見つめているだけだった。
「千歌ちゃん!」
肩を揺さぶられ、ようやく我に返った。梨子ちゃんは銃を握るわたしの手に自分の手を重ねていた。
「もう大丈夫だよ。大丈夫だから」
その言葉を聞いて、手から力が抜けた。梨子ちゃんはわたしの指をゆっくりとグリップから引き剥がしてくれた。
「わたし、わたし何も………」
「いいから」
と梨子ちゃんはわたしを抱きしめてくれた。とても温かかった。その体温を感じられて、無意識に流れていた涙が頬を伝っていった。
「千歌ちゃんはわたし達が護るから。だからそんなもの持たないで」
密着する梨子ちゃんの身体が震えていることに気付いた。ああ、梨子ちゃんも怖いんだ。強まった自分の力の結果が、自分達を中心に広がっている血の海なんて。翔一くんと葦原さんも、それに木野さんも同じ恐怖だったのかな。強くなる毎にどんどん人から遠ざかっていって。その力で近くにいる人を傷付けてしまうんじゃないか、て。どこかで枷が外れてしまうんじゃないか、て。そんな皆に、ただの人間でしかないわたしに何ができるんだろう。
かさ、と落ち葉を踏む音が聞こえ、わたしの背に戦慄が走った。咄嗟に梨子ちゃんはわたしを背に回し、他の皆も音の方角へ真っ赤に染まった目を向けた。足音はどんどん近くなっていき、森の樹々の間からひとりの影が現れた。木の葉の陽光を浴びて露になったのはたったひとりの青年で、わたし達の姿を認めてひと言を発した。
「安心しろ。俺は君たちの仲間だ」
証明するように、その青年はアギトに変身した。
3
「死にたくなければ一緒に来るんだ」
「どこに向かってるんですか?」
と訊いたのは曜ちゃんだ。「安全な場所だ」とだけ草加さんが答えると、今度は梨子ちゃんが、
「草加さんはどうしてあそこに?」
「俺の仲間が、あそこからアギトの力を感じ取ったんだ。俺たちは力を感じた場所から同じアギトに覚醒した人々を保護している。今向かっているのは、その拠点だ」
バックミラー越しに草加さんと一瞬だけ視線を交わしたわたしは思わず身震いしてしまった。何でだろう。この時ばかりは直感が冴えていたような、草加さんから発せられる何かは、わたしにも感じ取れたらしい。
「麓でG3-Mildの部隊がいるのを見て手遅れかと思ったが、土壇場で君たちが変身能力を得て良かった。まあ、大体のアギトがそういった危機的状況で変身できるようになるらしいけどね」
草加さんの言葉に、皆は喜べば良いのか迷っているようで一様に苦笑を浮かべていた。まだ困惑していたんだと思う。前から力がある事は示唆されていたけど、さっき変身して半信半疑だったものがようやく確信へと変わったのだから。
「君は――」と草加さんとまた鏡越しに視線が合い、「は、はい」と思わず上擦った声で応えてしまった。そんなわたしに草加さんは苦笑し、
「まだ変身はできないようだが、焦ることはない。覚醒には個人差がある」
「はあ……」
ひとまずこの人にはまだ知られていない事に安堵し、わたしは旨を撫で下ろした。緊張していると思ったのか、草加さんは少し嫌味っぽく笑い語り出す。
「それにしても、君たちもよく生きていたね。今やもう、アギトというだけで危険な状況なのに」
「どういう事?」と鞠莉ちゃんが訊いた。考えてみれば、ここしばらくは検問を怖れて人里を避けながら移動していたのだ。山道を渡り歩いていたからコンビニすらなく、世間の動向からは完全に隔離されていたことになる。
「アギトに覚醒した人の脳波は、普通の人間とは少し異なるらしい。その計測器が普及してからは、検問で毎日のようにアギト認定された人々がどこかへと連れて行かれるんだ」
「どこか、て?」と果南ちゃんが恐る恐る訊いた。曖昧にぼかした時点で嫌な予感はしていたのだけど、草加さんもかぶりを振った。
「分からない。連れて行かれた仲間は大勢いるが、まだ居場所は掴めていないんだ。アギトの弱点を探るための研究所か、それとも処刑場か………。連行された仲間たちはひとりも救出できていないのが現状てところかな」
草加さんはダッシュボードからタブレットPCを出すと、後ろ手にわたし達へと差し出した。「ニュースを見るといい」と言われ、促されるまま受け取ったわたしは画面をタップしニューストピックスを開いた。政府、新聞社、テレビ局。どの報道機関も報じているのはアギト関連一色だった。どこの街で何人の人がアギト認定されたとか、逃亡していたアギトを捕縛したとか。草加さんは言った。
「都市部は酷いものだ。市民が知人や隣人をアギトと告発するのは日常茶飯事だ。アギトと疑った人を集団で袋叩きにするなんて事件もある」
ニュースと草加さんの話を聞けば聞くほど、わたしの中で現実味が薄れていった。歴史の授業でたまに先生が話す民族紛争の話じゃないか。いつも退屈で眠気を堪えていた話が、いま自分の生きる時代と国で起こっているなんて誰が想像できるんだろう。
「信じられないかな? これが現実だ。これまでの平和な世の中じゃない」
そう語る草加さんの声には凄みが溢れていて、わたし達は全員押し黙ってしまった。節々に垣間見える黒いものから、彼もまたアギトである故に辛い想いをしてきたのかもしれない。
ぐん、と慣性で前のめりになった。ブレーキが掛かったからだ。前方に目をやるとパトカーが見える。その後ろにはひと回り大きな輸送車も。
「検問だ」
草加さんが呟いた。
「君たちは大人しくしていろ」
警察官の掲げる誘導灯に従い、草加さんは車を止めた。運転席の窓を開けると警官は軽くわたし達の方も一瞥して、
「検問だ。そのままで頼む」
と草加さんに向けて拳銃に似た機械を向けた。あれが、アギトと人間を判別するための計測器だろうか。思ったよりも小さいんだな、と思っていると、機械が耳障りなアラート音を鳴らし始めた。一瞬にして警官と、パトカーの周りに居た人たちも顔を曇らせ始める。
「アギト確認! ステータスβへ移行! 繰り返す!」
警官たちがせわしなく動き回っていた。輸送車の中からライフルを構えた機動隊とG3-Mildがふたり出てきて、わたし達の乗るバンへと銃口を向けた。車内で皆と抱き合いながら恐怖に固まっていたわたしがふとミラー越しに草加さんを見ると、彼は薄っすらと笑みを浮かべていた。頼もしさ、というよりも恐ろしさを感じさせる微笑を。
草加さんはゆっくりとドアを開けて車から出た。それに気付いた警官たちは銃を向けて「動くな!」と叫んだけど、草加さんは構わず歩き出した。
「変身」
彼の呟きに隊長らしき人が目を剥き「撃て!」と指示を飛ばした。同時、草加さんの身体が光を放ち、アギトに変身した。黒紫の鎧を身に纏った草加さんはベルトから引き抜いた剣を逆手に構え、銃声が聞こえると同時に獲物を一閃した。弾丸だろうか、彼の足元に粒のようなものが落ちたのが見えた。
すぐさま後ろで控えていたG3-Mildたちが出てきたけど、草加さんはひとりの腹に拳を沈めて突き飛ばし、更にもう片方の胴に剣を一閃し、堅牢な鎧に覆われた身体を上半身と下半身に分けてしまった。飛び散る鮮血に思わずわたしは顔を背け、目を瞑った。
「応援要請を――」
警官の声が悲鳴に掻き消された。続く発砲音も、何かが弾けるような音も、その全てから逃れたくわたしはずっと耳を手で覆っていた。視覚のほうは完全に遮断できても、聴覚のほうは手の隙間から容赦なくわたしの耳朶に断末魔が入り込んできていた。すぐ近くで命が果てる音を確かに聴き取りながら、でも何もせずただ震えているだけだった。
全てが終わるのに、そう時間は掛からなかったと思う。次第に騒音は小さくなっていって、無音になったと同時に草加さんが運転席に戻っていた。そこでようやくわたしは目を開き、過ぎ去った惨事の跡を車窓越しに眺めた。まだ流れたばかりの、鮮やかな紅が道路上に広がっていた。血濡れに照りついた手足がまるで乱暴に遊ばれた玩具のように転がっていて、腹から引きずり出された腸が数メートルほど伸びていた。
草加さんが車を走らせたとき、過ぎていく死体たちの中で右半分を潰された頭の左目がわたしを睨んだような気がした。勿論、そんな事はない。彼は頭を半分なくした時点で、自分が死んだことにも気付かずに事切れたはずだ。その瞬間の、草加さんに立ち向かおうとした果敢な眼差しが死によって固定され、偶然わたしと目が合っただけに過ぎない。
でも、わたしは意識なき死体から責められているような気分に囚われてしまった。俺たちは必死に戦っているのにお前は見ているだけか、と。いや、見てすらもいなかった。わたしが目を背けた現実の中で彼らは死んだのだ。
胃の奥から酸っぱいものが込み上げてきて、たまらずわたしは窓を開けてえずいた。でも朝から何も食べていなかった胃から戻ってくるものなんてなくて、唾液が口の端から糸を引いて後ろへと飛んでいくだけだった。
「千歌ちゃん、大丈夫?」
と曜ちゃんが背中をさすってくれたけど、何をしても決して慰めにはならない事をわたしは悟った。脳裏に張り付いたあの眼差しは一生消えることはないし、しばらくは夢に出てくるかもしれない。それが償いになるのなら享受する。赦されるのなら、だけど。
「俺が怖いか?」
ハンドルを握りながら、草加さんにそう訊かれた。答えあぐねているわたし達を振り返らず、運転に徹しながら彼は続けた。
「君たちだって殺しただろう。綺麗事で生きていけるほど今の世界は甘くない」
次回予告
アギトの自由のために戦う事を選んだ千歌たち!
終わらない苦難の先に待ち受けるは希望か、それとも絶望かああ‼
次回 シャゼリア☆キッス 24.7
目覚めろ、その魂! 3+3+3は9千兆パワー‼