ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
何とか3人がかりで部室を片付けたものの、時間をかけてしまった。余裕があれば海岸でダンスの練習でもしたかったが、疲労もあるし無理はよくない。そういうわけで、疲れてもできる曲作りを千歌の家でするという方針になった。曜は曲作りに関してはからっきしだが、衣装についても話し合いたい。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」
千歌、曜、梨子の声が、十千万の居間に吸い込まれるように消えていく。とても静かだった。宿泊客も部屋でくつろいでいるか、出払っているらしい。自分たちを出迎える沈黙に、千歌は「あれ?」と首をかしげる。
「誰もいないの?」
梨子が訊くと、千歌は明後日のほうを向き、
「翔一くん、買い物かも」
「でも、バイクあったよ」
曜の指摘に千歌は「うーん」と唸るが、「とにかく部屋行こ」と2階への階段を上っていく。曜と梨子も後に続いた。千歌の部屋の前に掃除機が放置されている。襖も開いたままだ。
「ん?」と小首をかしげながら、千歌は自室へ入ると同時に声をあげる。
「翔一くん!」
梨子も曜と一緒に入ると、床で翔一が倒れている。「どうしたの翔一くん!」と千歌が肩を揺さぶっても、翔一の目蓋は開く気配がない。突然のことで困惑はあったが、曜は冷静を保ちつつ対処に入る。
「千歌ちゃんは脈があるか確かめて。梨子ちゃんは救急車」
曜の指示に従い、千歌は翔一の胸に耳を当て、梨子はスマートフォンを取り出す。呼吸を確かめるため、翔一の頭を固定しようと額に手を添えたときだった。
黒い霧のようなものが脳裏をよぎった。朧気だったもやがはっきりと像を成し、狭い路地の光景になる。誰かが見たものを、そのままの視点で見せられているようだった。視点の主は薄暗い路地を進み、その先で中年男性が地面を這いながらこちらに怯えた目を向けている。
この男性を曜は知っている。幼い頃に海釣りへ連れて行ってくれた千歌の父、高海伸幸だ。
――やめてくれ………――
うわ言のように伸幸が呟いている。ごぼっ、と口から血の泡を吐いて、瞳が閉じられると頭が力なく垂れる。伸幸は3年前に亡くなった。当時、連日ニュースで報道された現場にこの光景の場所が似ていることに気付く。いや、似ているどころか同じだ。
視点の主は伸幸を置いてその場から離れていく。粗い息遣いが聞こえた。息をあえがせながら走り、地下道へと潜り込んで――
「曜ちゃん?」
不意に声が聞こえて、光景は霧のように脳裏から消滅する。視線を下げると、翔一が心配そうに曜を見ていた。「良かったあ」と千歌が溜め息をつく。慌ててスマートフォンの通話を止めた梨子も同じように溜め息交じりに、
「一体どうしたんですか?」
「さあ、確かここで目眩がして………」
良かった、と思う余裕がなかった。さっきの光景は翔一の失った記憶なのだろうか。
「翔一さん、出ていってくれますか」
無感情に言うと、「え?」と皆が一斉に曜へ視線を集める。
「でもほら、まだ掃除終わってないし――」
「それはわたし達がやりますから、出ていってください」
思わず声を荒げてしまう。翔一は罰が悪そうに「はい」と言って部屋から出て行く。千歌と梨子は困惑の視線をこちらへ向けている。
「曜ちゃん、急にどうしたの?」
尋ねる千歌を曜はじ、っと見つめる。先の光景を話すべきだろうか。翔一の記憶らしき、伸幸の死の瞬間を。身内の死の真相を知る権利は当然ある。でもそれが、身近にいる存在が家族に手を下したと知れば、千歌の心に一生消えることのない傷を付けてしまう。
曜は無理矢理に笑顔を繕った。
「翔一さんいると、作業進まないし」
2
十千万を訪問すると、誠を出迎えたのは翔一だった。
「高海さんは?」
「千歌ちゃんなら部屋にいますよ」
「志満さんです」
溜め息を挟んで誠は言った。悲しいかな、慣れつつある翔一のおとぼけだ。
「志満さんなら旅館協同組合の集まりで遅くなる、って言ってました。中へどうぞ、お茶でも淹れますから」
「お構いなく、日を改めてまた伺いますから」
「いやあ、お客さんにお茶くらい出すのは当然のことです」
「ささ、どうぞ」と促されるまま、誠は居間の座布団に腰掛ける。また不可解な殺人事件が起こったらしいから署に戻りたいのだが、お茶を飲むくらいなら良いだろう。
翔一はお盆を手に戻ってくると、テーブルに茶器を並べる。受け皿付きの湯呑、急須、茶筒、水指。お茶というのは結構道具がいるものだ。急須に適当な量の茶葉と熱湯を入れて湯呑に注ぐだけと思っていた。
「随分丁寧に淹れるんですね」
「そうかな? お客様ですから」
宿泊客にも、翔一は普段からこうしてお茶を淹れているのかもしれない。水指のお湯をまだ茶葉を入れていない急須に注ぐ翔一に、誠は尋ねる。
「ひとつ訊いていいですか?」
「はい?」
「君は超能力というものを信じますか?」
「うーん」と唸りながら翔一はお湯の入った急須を回し、熱を均一にしていく。
「信じません」
「何故です?」
「俺が超能力者じゃないからです」
なるほど、と誠は納得できた。確かに超能力なんて不可思議なもの、身の回りになければ信じようもない。誠もアンノウンによる事件がなければ信じなかった。
「あ、違った。やっぱり信じます」
そう言って翔一は湯呑にまだ無色な急須のお湯を注ぐ。
「信じる、何故? いま信じないと言ったばかりじゃないですか」
「俺、超能力者でした。ちょっと違うような気もしますけど、多分似たようなもんです」
「超能力者……、君が」
誠はまじまじと翔一を眺める。翔一は急須に茶葉を入れて、湯呑のお湯を急須に戻した。
「見せてください」
「駄目です」
「何故です? 自分の力を制御できないということですか?」
「いえ。前はそうでしたけど、今ではちゃんと自分の意思でやっています」
「じゃあ何故?」
「んー」と翔一は湯呑の水気を布巾で拭き取りながら、
「氷川さんきっと驚いちゃうから………」
「テレパシーですか? サイコキネシスですか?」
「違います。もっと全然凄いやつです」
「自分は刑事です。大概のことには驚きません」
「絶対絶対驚いちゃいます。もしかして気絶しちゃうぐらい驚いちゃいます」
「ではせめてどんな力なのか教えてください」
「強くなるんです」
「それで?」
「パンチやキックで相手と戦います」
「………もしかしてからかってるんですか?」
「とんでもない、マジです」
付き合っていられない。興奮が一気に冷めて目眩がしてくる。翔一の言った通り気絶してしまいそうだ。
待てよ、と誠は思い直す。もし翔一が本気で自分を超能力者と「思い込んで」いるとしたら。
「君はお酒を飲みますか?」
「お酒ですか? 飲みませんけど、どうしてそんなこと訊くんです?」
「いや、別に」とはぐらかした。巡査時代に酒乱癖のある酔っ払いを介抱した経験から翔一もその類かと思ったが、見たところアルコールの影響は無さそうだ。そもそも本人が飲まないと言った。これも詰まらない冗談だろう。
「そうだ、昨日常連のお客さんから貰った美味しい茶菓子があるんです。待っててください」
水気を取った湯呑を置いて、翔一が台所へと向かっていく。早くお茶を頂いて署に戻ろう、と思い誠が急須を取ると、
「駄目ですよまだ。お茶っ葉がお湯に馴染むまで待たなくちゃ」
目ざとい注意を受け、誠は素直に急須を置いた。茶葉がお湯に馴染むまで何分待てばいいのか。まあ、そんなに長い時間待つ必要もないだろう。翔一が茶菓子を持ってくる頃には飲んでもいいはずだ。
誠は腕を組み、しばらく同じ姿勢のまま待ち続ける。何だか瞑想しているような虚無に耐え切れず急須の蓋を開けて中を覗いてみる。十分に茶葉は抽出されていると思うが、ここで淹れると翔一が小うるさそうだ。誠は蓋を閉じて待ち続ける。一体、翔一は茶菓子の用意にどれだけ時間をかけるのだろう。
3
真夏日のような熱気に、善子は熱中症を起こすのではと思った。
とはいえこの日はまだ初夏に入ったばかりで、夕暮れ時ということもあり気温はそう高くない。暑さの原因は善子の冬物のコートにマスクにサングラスという出で立ちにあった。高校に入学して早々に起こした失態から知り合いに遭遇するのを怖れた結果がこの変装だ。内浦にある浦の星女学院の生徒で沼津市街に住む者はそういないと思うが、万が一という場合もある。現に先ほど、駅前の本屋で同級生の花丸を目撃したから警戒意識はより強い。
本屋で購入した『天使図鑑』という本を抱えて自宅のマンションまで歩いたところで、ふと善子は後ろを振り返った。誰かに見られている気がする。道路には車が行き交っているばかりで、通行人は善子の他にはいない。視界の隅、茜色に染まった空に黒い点がある。カラスだろうか。サングラスをずらして凝視してみると、カラスにしては大きい気がする。人のようなシルエットだった。真っ黒で腕からは鳥のような羽がある。
まさか、堕天使。
思うと同時にまさか、とかぶりを振る。だがシルエットはこちらへ近付いているようで、瞬く間に大きくなっていく。何やら不気味な寒気を覚え、善子は走った。マンションの前を素通りし、狩野川にかかる御成橋に出る。堕天使のようなシルエットは空から明らかに善子めがけて滑空してくる。近付いてくるにつれて、まるでカラスのような黒いくちばしがはっきりと視認できた。
突然、堕天使は方向転換する。旋回し、離れた所にあるあゆみ橋にそびえ立つ鉄塔の頂に停まる。
バイクのエンジン音が聞こえてくる。御成橋の下、川沿いに整備された遊歩道からだ。銀色のバイクが停車し、運転手がヘルメットを脱いであゆみ橋の方角を見据えている。バイクのシートから降りた運転手は若い青年だった。どこかで見たような気がする。記憶を探る間もなく、驚愕の光景に善子は青年を凝視した。
青年の腹で光が渦巻き、ベルトを形成して腰に巻き付く。
「変身!」
力強く告げて、青年はゆっくりと歩き始める。1歩進む毎に、ベルトのバックルから発せられる光が強くなっていく。橋の真下へと進んだところで、青年の姿が隠れた。善子は対岸へ走り、そこから出てくるであろう青年を目で追おうとする。
だが、出てきたのは青年ではなかった。それは金色の戦士だった。
堕天使が鉄塔から飛び経つ。両腕を広げ、漆黒の羽を散らしながら猛スピードで滑空してきた。衝突しようと向かってきた堕天使を戦士は紙一重で避け、その背中に裏拳を見舞う。多少バランスを崩しながらも堕天使は体制を整え、急旋回して再び戦士へ向かっていく。今度も避けようとしたが、その頬を堕天使の拳が掠めたことでよろめいてしまう。
堕天使が三度急旋回し、戦士めがけて滑空していく。戦士は両脚を広げてどっしりと腰を落とした。額から伸びた2本の角が開く。
「何よ、あれ………」
善子は思わず呟く。こんなこと起こるはずがない。堕天使が現れて、見知らぬ青年が金色の戦士に変身して、目の前で戦っているなんて。
戦士の足元に紋章が浮かぶ。戦士の角に似た紋章が渦を巻き、その足に集束していく。堕天使が肉迫しようとする直前、タイミングを見計らったのか戦士は跳躍した。人間では跳べない高さに身を躍らせ、キックの体制を取って堕天使を迎え撃つ――
その足が触れようとした瞬間、堕天使の体が弧を描いた。空を蹴った戦士の真上へと回り、がら空きになった胸を蹴り落とす。突然の反撃に戦士も対処できず、受け身も取れないまま地面に背中から落ちた。角が閉じられる。
胸を押さえながら立ち上がると、それを待っていたかのように堕天使が空から突進してきた。戦士の体を持ち上げたまま上昇し、川沿いにあるビルの壁に打ち付ける。衝撃で離れた戦士の体が、成す術なく地面に叩きつけられた。「うう……」と呻きながら戦士は立ち上がる。そこへ再び堕天使は滑空し、強烈な頭突きを戦士に見舞った。戦士の体が大きく突き飛ばされる。御成橋の中腹にぶつかり、鉄柵を掴んで橋上へ上がろうとする。善子は戦士のもとへ走った。助けないと、何故かそう悟った。
善子が辿り着くまであと数メートルのところで、戦士の手が鉄柵から滑り落ちる。金色の体は重力に従って落ちていき、狩野川に飛沫をあげて沈んでいった。
「ふっふっふ……」という気味悪い声を聞き取り、善子は上空を見上げた。あの声は堕天使のものか。堕天使は善子を一瞥する。背中に冷や汗が流れ、脚が震えた。そんな善子を嘲笑うようにまた「ふっ」と笑みを零し、堕天使は沼津市街のビル群へと飛び経ち、その陰に消えていく。
がくり、と善子はその場に座り込む。全てが一瞬のように短く過ぎ去った。これは夢だろうか。いや、夢だとしたらこの上気する鼓動は何だ。あれは全て現実だったのだろうか。駄目だ、頭が混乱して思考がおぼつかない。
未だに冷め止まない体温を確かに感じ取りながら、善子は呟いた。
「堕天使って、本当にいたんだ………」
4
「翔一君まだ帰ってきてないの? 珍しいわね」
夜も更けた頃に帰宅した志満が、無人の台所を眺めて呟く。長姉を出迎えた千歌はまた戦いに行ったのかな、と何となくだが悟った。
居間でテレビを観ながら羊羹を――台所に放置されていたものだ――つまみながら美渡が、
「翔一も年頃なんだし、夜遊びくらいするよ」
何て悠長なことを。千歌は皮肉を込めた視線を次姉に送る。気付きもしない美渡はテーブルに放置されたままの茶器を指さす。
「そういえばさっきまで刑事さん来てたよ。また今度来るってさ。何か訊きたいことがあるんだって」
千歌は部屋で曜、梨子と一緒に曲の打ち合わせをしていたから気付かなかったのだが、誠が訪問していたらしい。翔一が対応していたそうだが、いつの間にか外出していたとか。
志満は「そう」と応え、台所に脱ぎ捨てられたエプロンを着る。翔一が着ているものだから、志満にはサイズが大きい。
「さ、晩ごはん作るから手伝って」
「えー?」と千歌は美渡と共に口を尖らせる。妹ふたりに志満は溜め息まじりに、
「翔一君がいないんじゃ、私たちがするしかないでしょ」
仕方ない、と自分に言い聞かせて、千歌はテーブルの茶器をお盆に乗せ始める。翔一のことも心配だが、曜のことも気掛かりだった。部屋で話し合うときも明るくて、はきはきとしていて。曲の方向性が定まらず帰路につくまで、曜はいつもの曜だった。なのに、何故翔一にあんな突き放すようなことを言ったのか。曜だって、翔一のことを慕っているはずなのに。
あの記事を見つけたからだろうか。3年前、父が殺害された事件を扱った新聞記事の切り抜き。当時、千歌と曜が事件を詳しく知りたくて集めていたものだ。曜は翔一にあの記事を知られたくなかったのか。でも、何で隠す必要があるのだろう。翔一だって子供じゃないし、それくらいの受容はできるはずなのに。
バスの車窓から、曜は宵闇の空と同じ色を映す海を眺めた。海には魔物が潜んでいる。そんなおとぎ話を、幼い頃に伸幸が聞かせてくれた。
その魔物はどんな姿をしているか、誰も知らない。その姿を見た者はみんな魔物に食べられてしまったからだ。魔物は特に子供が大好物だ。だから子供はひとりで海に入っちゃいけない。海の底から魔物が常に目を光らせて、大きな口を開けて一瞬で飲み込まれてしまう。
伸幸は昔の神話や伝説に詳しかった。大学で教授をしていたから、職務上詳しいのは当然だったのだが。長期の休日が取れると十千万に帰って、夏休みで毎日のように千歌を訪ねた曜にも昔話を聞かせてくれた。伸幸が話す昔話のレパートリーは多様だった。同じ話、似通った話がない。ひとりで百物語すべてを語ってしまいそうなほどに。
伸幸は釣りにもよく連れていってくれたが、曜はただじっと魚の食いつきを待つばかりの釣りよりも昔話を聞いているほうが好きだった。伸幸はレパートリーの多様さもさることながら、話し方も上手かった。伸幸の口から出る言葉の連なりは曜の脳裏に情景を浮かばせ、意識を現実から遠く離れた場所へと導いてくれた。
でも、伸幸の語りは3年前に終わった。唐突に、何の前触れもなく。
曜は目を閉じる。目蓋に覆われた暗闇のなかに、終わりの瞬間が浮かび上がってくる。
骸になった伸幸を置いて、視点は地下道への階段を下っていく。息をあえがせながら微かに照明が落とされた通路を走り、地上への階段の前で立ち止まると呼吸を整える。その視線の隅で何かが動く。視点がそちらへ向くと、その正体は何てことのない、道路ならどこにでもあるカーブミラーだ。鏡に映った自分自身を他人と勘違いしただけのこと。
視点がカーブミラーを見たのは一瞬の間だけだった。落ち着きなく揺れているせいで、映った人物への焦点が定まらない。でも、鏡に映った視点の人物は男性のようなシルエットをしていた。
やはり、あの
――まさか、翔一さんがおじさんを――
その憶測をするのに曜は恐怖する。いつも朗らかな翔一が殺人を、それも伸幸を殺したなんて。確信に至る根拠なんてない。でも、否定できる根拠もなかった。