ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
花丸とルビィの体験入部はタイミングとして良い時期だったな、と梨子は思った。
まだ設立して間もないスクールアイドル部の活動内容は、まだ手探りと言っていい。練習はしているが行き当たりばったりな面も否めず、決まった練習メニューもない。だから、この体験入部で改めて自分たちも今後の練習を固めていく方向だ。
まだ手探りではあるが、様々なスクールアイドルのブログを参考に練習メニューを考案した。大半は基礎体力づくりとダンスレッスン。ボイストレーニングも組み込んでいるが、準備運動程度の割合だ。曲作りは別に時間を見つけて作業するしかない。衣装づくりも同様に。
色々とあるが、最優先に解決しなければならない課題は練習場所だ。
ひとまず練習着に着替えてグラウンドを見に来たが、ソフトボール部が使用している。バットがボールを打つ音が盛大に響いた。部員たちが声を張り上げる様子を遠目にして、千歌が言う。
「中庭もグラウンドもいっぱいだね。部室もそこまで広くないし」
隅の一画なら練習に使わせてくれると思ったのだが、あまり現実的ではなさそうだ。ボールがどこへ跳ぶか分からない以上、ここなら絶対に干渉しない、という場所はグラウンドのどこにもない。
「砂浜じゃ駄目なの?」と曜が訊いた。確かに海水浴場は初ライブ前に使っていたし、悪くはない。
「移動の時間考えると、練習場所はできれば学校内で確保したいわ」
とはいったものの、と梨子は思う。まだ転校してあまり経っていないから、梨子だって学校施設を完全に把握しているわけじゃない。1年以上いる千歌が険しい表情をしているから、きっと思い当たる場所がないのかもしれない。
そこで、ルビィが意見を飛ばす。
「屋上は駄目ですか?」
「屋上?」と千歌が反芻し、ルビィは続ける。
「μ’sはいつも、屋上で練習してた、って」
有名なグループが屋上で練習してたなんて、と梨子は意外に思った。屋上は広くて練習場所としては好条件なのだが、これから暑くなる季節には直射日光が厳しく日陰になる場所もない。雨が降れば使えないが、それは屋外で活動する部なら共通することか。もしかしたらμ’sも、設立当初は何かと憂き目に遭うことが多かったのかもしれない。
とはいえ、現状では他に使えそうな場所もない。行ってみると、開けた空気に潮風が吹いていた。青空が広がる屋上を、千歌は「すごーい!」と子供のように駆けた。
「富士山くっきり見えてる」
帽子を被り直しながら曜が言う。丘の上に位置する浦の星女学院の最も高い場所。何の障害もなく、山頂に雪を被った富士山のシルエットがよく見えた。青々とした山肌は、今にも空に溶けそうだ。
「でも日差しは強いかも」
花丸が言うと、「それが良いんだよ」と千歌が、
「太陽の光をいっぱい浴びて、海の空気を胸いっぱいに吸い込んで」
梨子は深呼吸してみる。海から流れてきた潮の香りを仄かに感じ取れる。見上げると太陽が輝いている。言ってみれば、この屋上は内浦で最も太陽に近い場所。輝きたい、という千歌の願いに最も近付ける場所なのかもしれない。
「あったかい」
屋上のコンクリートの床に触れて、千歌が呟く。皆で集まって同じように触れると、日光で温められた熱が心地良い。思わず昼寝をしたくなってくる。そんなことを梨子が思っていると、花丸が仰向けになって空を仰ぐ。
「気持ちいいずら」
心地良さそうに目をつむる花丸の隣で、同じように千歌も仰向けになる。
「ねえ、曜ちゃん」
穏やかに千歌と花丸を眺めていた曜に梨子は呼びかける。「え?」と目を丸くする彼女の耳元に顔を近付けて尋ねる。なるべく責め立てないよう、穏やかな口調で。
「今朝、何で津上さんにあんなこと言ったの?」
曜の表情が陰りを帯びた。今朝も同じ顔をしていた。昨日、翔一が千歌の部屋で倒れていたときも。
「ちょっとごめんね」と花丸の頬を指でつついているルビィに断りを入れて、曜は立ち上がる。梨子も立ち、ふたりは3人から少し離れた場所に移動した。
曜が翔一に腹を立てる気持ちは、まあ理解できる。梨子だって自室に男性が入っていたら驚くし嫌悪だってする。いくら人畜無害な翔一でも。
「女の子の部屋に入る津上さんもデリカシーないけど――」
「ううん、そうじゃないの。千歌ちゃん、翔一さんに部屋の掃除してもらってるから」
それは年頃の女の子としてどうなんだろう、と呆れながらも、梨子は質問を重ねる。
「じゃあ、どうして?」
曜は口を結んで視線を落とす。まるで別人みたいだ。いつも溌剌とした曜がこんな顔をするなんて。沈黙は長く感じるが、梨子は急かすことなく待つ。髪を揺らす潮風がやんだところで、曜は言った。
「わたし、翔一さんの記憶が視えたの」
「え?」
そこで曜は真っ直ぐ梨子を見据え、
「何でか分からないけど、頭の中に浮かんできたんだ。幻覚……、って思いたいけど………」
「津上さんの記憶って………」
逡巡するしかない。曜の言っていることの意味がまるで分からなかった。記憶が視えるとは、どういうことか。翔一自身ですら思い出せない彼の過去を、曜は知ったということだろうか。困惑と驚愕が入り混じりながらも、梨子は訊く。
「何を、視たの?」
「千歌ちゃんのお父さん」
「千歌ちゃんの?」
「うん」と首肯して、曜は再び顔を俯かせる。
「千歌ちゃんのお父さん、殺されたの。犯人はまだ捕まってなくて、捜査も進んでないみたい」
言われてみれば、と梨子は十千万を訪ねた記憶を辿ってみる。何度も訪問しているが、千歌の両親を見たことがない。
曜は震える声で続ける。
「翔一さんの記憶のなかにおじさんがいた。場所も、多分おじさんの遺体が見つかった場所と同じ」
「まさか、津上さんが犯人だっていうの?」
安っぽいサスペンスドラマじゃあるまいし、そんな偶然があっていいものだろうか。父親を殺した犯人が記憶を失って、自分の家で悠々と暮らしているなんて。
「きっと気のせいよ。津上さん、犯罪なんてできそうにないし」
「思いたいよ。でも、翔一さんも普通じゃなくて」
「普通じゃないって、どういうこと?」
「翔一さん、変身するんだ」
ふざけているの、と苛立ちが込み上げるところだった。曜の俯く仕草も、震える声も全てが自分を騙すための壮大な仕込みと思った。でも曜は冗談と明かすどころか、更に神妙そうに、
「翔一さん、変身して怪物と戦ってるの。翔一さんは皆のために戦ってるんだって信じてたけど、でも……翔一さんがおじさんを殺したんじゃないかって思うと、何もかもが信じられなくなって………」
曜は口を固く結んだ。今にも泣きだしそうな顔をしている。ここまでくると冗談とは思えない。でも、話を咀嚼することもできずにいる。怪物がいて、翔一が変身して戦う。そんなことが、本当に起こっているのだろうか。毎日学校へ通い、こうして練習している日常のどこかで、何が起こっているのだろう。
「まあ、千歌ちゃんにその話はしないほうが良いわね」
「うん」とだけ曜は弱々しく応じた。他人の曜でさえこの様子だ。身内を亡くした千歌がどれほど気分を沈めることか。
「さあ、始めようか!」
千歌の声が聞こえた。悟られちゃ駄目。そう梨子が目配せし、曜は首肯していつもの顔つきに戻り、3人のもとへと走り出す。
2
現場は高架下の歩道だった。バリケードとして現場を囲うビニールシートの前に、野次馬が集まっている。誠はそれを掻き分けながら進み、野次馬の侵入を阻む警察官に敬礼するとシートを潜る。
囲われた歩道の一画では、鑑識による痕跡の採取がせわしなく行われている。特に多いのが被害者、つまり死体のもとだ。写真撮影や記録に勤しむ彼等から1歩引いたところで、誠よりも先に現場入りしていた小沢と尾室が死体を睨んでいる。
「またアンノウンですか」
死体を見て誠は言った。まだ司法解剖に出していないから確定ではないが、恐らく死因は頭部外傷だろう。死体の後頭部からまだ渇き切っていない血が首筋にてらついている。即死だっただろうが息絶えた後も血は流れ続けたようで、地面にも血が広がっていた。人間の頭部は血液が多く通っているから、こうした頭部を損傷した死体からは結構な血が流れる。
「間違いないわ」と小沢は断言する。
「何とかしないと、このままじゃ被害者が増える一方だわ」
頭部外傷。全身打撲。脛骨骨折。心臓破裂。一連の不可能犯罪による被害者たちの死因はまちまちだ。でも共通しているのは、どれも大型トラックに匹敵するほどの衝撃を受けていること。それほどの衝撃を街中で受けておきながら、どこの現場にも衝突したと思われる物体の痕跡がまったく残されていない。
こんな時に、G3ユニットが活動できれば。歯を食いしばるが、同時に自分自身への疑問が沸いてくる。ユニットが機能していたとしても、自分はこの犠牲者を助けることができただろうか。こんな疑問、装着員どころか警察官としても失格だ。できるできないじゃなくて、することが職務だ。そのためのG3システムなのに、満足に成果を挙げられず活動停止にまで追い込んで、こうして犠牲者を増やし続ける。
僕は何をしているんだ、何のために警察になった。
G3装着員どころか、刑事としての矜持すらも危うくなってくる。G3を運用できなくても自分なりにアンノウンと戦う。そう決めたはずなのに、結局は何もできていない。
ただの人間である誠に、アンノウンは決して到達できない存在なのか。
十千万に戻る頃には陽は傾いていて、空はまるで1日中太陽に焼かれていたかのような茜色を映していた。
「氷川さん、これは単なる外れ馬券です」
誠が見せた馬券の写真とレースの成績表を見ながら、志満は何の気なしに言う。一応捜査上の遺留品のため、犯罪被害者のものだということは伏せてある。あくまでこれは、この馬券を購入した片平久雄が超能力を使っていたか、その是非についての相談だ。
「ただ外れ方に特徴があるだけです。偶然ですよ」
「偶然にしては、出来すぎていると思いますが」
「でも有り得ない話じゃありません。この馬券を買った人が超能力者という証明にはなりませんよ」
志満は誠に資料を返し、「どうぞ」と居間の座布団に促してくれる。腰を落ち着けたところで、台所から出てきた女性が「粗茶ですが」とお茶をテーブルに置いてくれた。昨日誠が待ちぼうけていたときに帰宅してきた高海家の次女だ。確か美渡と名乗っていたか。美渡が居間から出たところでお茶を啜ると、苦味に思わず顔をしかめてしまう。淹れ慣れていないらしい。
「何の捜査かは分かりませんが、こんなことからは手を引いたほうが良いです。刑事として他に仕事があるんじゃないですか?」
至極まっとうな志満の問いに、誠はいたたまれなくなり目を逸らす。さっき現場で見た被害者の死体。そう、目下に起きている事件の早期解決が最優先だ。それを被害者たちの共通点が超能力者なんて推理、市民から見れば自分はとんだぼんくら刑事だ。
「すみません、今のは私情でした」
志満はそう言って視線を落とした。
「私情?」
思わず尋ねたところで、誠は自分の軽薄さに呆れてしまう。事情に踏み込みすぎてしまった。だが志満は迷惑そうな顔をせず、自分のお茶を啜ると「刑事さんにならお話ししても良いでしょうね」と誠を見据える。
「実は私の、私たち姉妹の父親は3年前に殺害されているんです」
「お父さんが?」
「ええ、犯人はまだ捕まっていません」
刑事としての立場上、犯罪によって日常の壊れた家庭は何度も見ている。身内の死とは決して癒えない傷だ。前兆のある病や寿命でもなく、殺人事件という突然訪れた死。日常に空いた穴を目撃していながらも、当事者でない誠はその虚無を知らない。一見すれば平和に過ごしていると錯覚できるが、志満も美渡も、そしてあの無垢な千歌も父の死という虚無を背負わされている。
「すみません」
意味のない謝罪をすると、志満は笑みを零して、
「何も氷川さんが謝ることじゃありません」
まだ若いのに、何て気丈な人なんだろう。志満のように、一見では分からなくても理不尽な現実を背負わされている人間は多いはず。誠は改めて、自分の刑事としての矜持が問われているような気がした。自分の仕事が、世の中からどれほどの悲しみを減らせるのか。
「できたー!」
そこで、叫び声が聞こえてくる。どかどか、と床を鳴らしながら、タオルを頭に巻いた翔一が居間に入ってきた。
「氷川さん、ちょっと手伝ってもらっていいですか?」
またのこぎりを使う作業じゃなければいいが、と思いながら、誠は翔一の後について裏庭へ出た。散乱した木の端材に囲まれてベッドが佇んでいる。既製品と遜色ない出来だ。ニスもむらなく塗られている。
「君は、ずっとこれを作っていたんですか?」
「はい。俺は後ろ持ちますんで、氷川さんは前をお願いします」
まあ、のこぎりを2本も折ってしまったし、これくらいの手伝いはするべきだろう。
そういうわけで、ふたりがかりでベッドを入口の広い正面玄関から入れたのは良いが、問題は屋内を傷付けないように運ばなければならないことだ。旅館なのだから、壁や柱に傷を付けるわけにはいかない。清潔を保っているが年季の入った宿だし、その辺に置いてあるインテリアも価値あるものばかりかもしれない。
「すみません、そこの階段の上なんですけど」
翔一がそう言ってきて、誠は振り返り横幅の狭い階段を見る。「ええ?」と思わず情けない声をあげた。こんな階段に接触もしないでベッドを運べるのか。
ベッドを縦にして、誠は慎重に1歩ずつ階段を後ろ向きに上がっていく。ようやく階段を上り終えて、ほっと溜め息をついたとき、
「氷川さん、そこ気を付けてください」
翔一の声に「え?」と眉を潜めると同時、どん、と背中を壁にぶつけた。
「もう一度お願いします」
罰の悪さを誤魔化すように、翔一は笑いながら言った。あまり広くない廊下に滑り込ませようと、ベッドの角度を変えて再び挑戦してみる。今度はベッドが柱にぶつかった。それほど強い衝撃じゃないから、大きな傷は付いていない。「もう一度」と翔一が言うものだから、今度はベッドを更に傾けてみる。やはりつっかえた。
「もう一度だけお願いします」
「………何度やっても同じですよ」
3
スクールアイドルというのはとにかく体力が求められるらしい。花丸とルビィを加えての練習は念入りなストレッチにダンスレッスン、その後に休憩がてら新曲の打ち合わせ。Aqoursは曲まで自分たちで作っているという。だとすると初ライブで披露した『ダイスキだったらダイジョウブ!』も、曲と振り付けと衣装全てを2年生の3人だけで作り上げたということだ。
凄い、と花丸は率直に思った。本を読んで「消費」するばかりの花丸に、彼女たちのように何かを生み出せる自信はない。
互いに協力し切磋琢磨して歌を作る。少しだけ、ルビィがスクールアイドルを好きな理由が分かった気がした。確かにこんな風に、一緒に何かをするのは楽しいかもしれない。
実際、花丸の目から見てルビィはとても楽しそうだった。初参加のダンスレッスンでは2年生に後れを取ることなく、完璧にステップを踏んだ。ルビィのアイドル好きは並じゃない。きっと色々なスクールアイドルのダンスを見ていくうちに、鋭い観察眼を身に着けたのだろう。好きこそものの上手なれ、とはよく言ったものだ。
曲の打ち合わせはそこそこに――千歌が作詞を進められなかったからすぐに終了した――この日最後の練習は学外で行う。淡島に場所を移し訪れたのは、島の山頂に位置する淡島神社へと続く石段。
「これ、一気に登ってるんですか?」
ルビィが少し怖気づいて訊くと、「勿論」と千歌は答える。
「いつも途中で休憩しちゃうんだけどね」
曜が茶化すように言うと、見得をばらされた千歌は苦笑する。休憩を挟んだとしても、この石段を登りきるのは運動部の練習よりもハードなのではないか。もっとも、花丸は中学時代も帰宅部だったから実際のところは分からないが。
梨子は言う。
「でもライブで何曲も踊るには、頂上まで駆け上がるスタミナが必要だし」
「じゃあ、μ’s目指して――」と千歌が言うと、曜と梨子はスタートの体勢を取る。それにならい花丸とルビィも構えたところで、千歌は告げた。
「よーい、どん!」
鳥居を潜り、森の中へ延びる石段を全員で駆け上がっていく。石段は1段1段の間隔が広くて、歩幅を広くしなければ1歩であがることができない。なるほど、確かにこれは体力づくりにはうってつけだ。最初こそ勾配は緩やかだったのだが、疲労の度合いで登っていくにつれて険しくなっていくのが分かった。前を走る4人との距離が広がっていく。先のダンスレッスンでもそれなりに体を動かしたせいか、蓄積していた疲労が一気に来た。
見上げるとルビィが待っていた。2年生は先に行ったらしい。崩れた姿勢で何とかルビィのもとまで辿り着くと、花丸は膝に手をついて乱れた呼吸を繰り返す。
「一緒に行こう」
明るくルビィは言ってのけた。花丸と同じ運動量のはずなのに、自分はどれほど体力が無いのだろう。花丸は息をあえがせながら声を絞り出す。
「………駄目だよ、……ルビィちゃんは走らなきゃ………」
「花丸ちゃん?」
気遣いは嬉しい。でも、ルビィはこんなところで立ち止まっては駄目だ。自分と一緒の歩幅では、ルビィはいつまでも進めない。
「ルビィちゃんは……もっと自分の気持ち大切にしなきゃ………」
ようやく呼吸が整ってきた。花丸は顔を上げ、ルビィの顔を見据えて告げる。
「自分に嘘ついて、無理に人に合わせても辛いだけだよ」
「合わせてるわけじゃ――」
「ルビィちゃんはスクールアイドルになりたいんでしょ?」
その問いにルビィは答えあぐねた。それでも答えはとうに出ている。こうして練習に参加して、最後までこの石段を登り切ろうとしていることが答えじゃないか。後ろにいる花丸を見ちゃいけない。
「だったら前に進まなきゃ」
家柄とか友達とか、そんなものは自分の気持ちに蓋をする理由になんてならない。自分を騙して縛り付けようだなんて、花丸は望まない。花丸自身がルビィを縛り付けてしまうのなら、この親友を解き放つことができるのなら、喜んで見送ろうじゃないか。
「さあ、行って」
「でも――」とルビィは不安げな目を向けてくる。大丈夫、ルビィちゃんはひとりじゃないよ。花丸は言葉の代わりに笑みを向けた。ここで花丸と別れても、この先には千歌と曜と梨子がいる。一緒に輝ける仲間が、ステージが、ルビィが望んでいたものがある。
「さあ」
そう促すと、ルビィはにっこりと笑った。別の意味と受け取ったのだろうか、石段を駆け上がっていく。ルビィは花丸のほうを振り返らず、真っ直ぐに走り続けた。その背中が見えなくなると、花丸はゆっくりと階段を下りながら、ルビィとの思い出を懐古した。
初めて会ったのは中学時代。花丸の居場所だった学校の図書室で、ルビィは蔵書のなかでは珍しいアイドル雑誌を読んでいた。ひとり過ごしていた花丸の友達になってくれた少女。とても優しくて、気にし過ぎな女の子。素晴らしい夢と、きらきらと輝く憧れを持ちながらも、彼女は胸に閉じ込めてしまう。胸のなかに詰まった光を。世界を照らすほどの大きな輝きを。
その想いを大空に解き放ちたいと、いるべき場所へ向かわせたいと、ずっと願っていた。ルビィの夢が叶い、彼女が輝くことが、花丸の夢だった。
「やったよ、登りきったよ!」
頂上のほうから、千歌の大きな声が響き渡った。良かった、と花丸は安堵に溜め息を漏らす。ルビィは無事に頂上へ辿り着いたのだろう。きっと山頂から臨む内浦は綺麗な景色なんだろうな、と羨ましく思う。登りきれなかった花丸には、頂から見える光景は想像するしかない。いつも本を読むとき、文字で情景を見るように。夕陽で焼かれたような茜色の空と、空と同じ色を映す海。思い浮かべるのは簡単でも、そこへ至っていないのだから感慨なんて湧くはずもない。
「何ですの? こんなところに呼び出して」
凛々しい声がロックテラスから聞こえてくる。木製のベンチに背筋を伸ばして腰掛けるダイヤは、一望できる内浦湾の景色を眺めることなく花丸に鋭い視線を向ける。
驚愕も恐怖もなかった。何せ、学校を出る前に生徒会室を訪ね、ここへ来るよう頼んだのは花丸本人なのだから。ルビィにとって最後の壁になるのは、彼女が敬愛する姉のダイヤだ。ダイヤは知る必要がある。姉妹だからこそ。最も近い存在であるからこそ。
「あの、ルビィちゃんの話を、ルビィちゃんの気持ちを聞いてあげてください」
「ルビィの?」
ダイヤは続けて何か言おうと口を開いたが、花丸は一礼して足早に石段を下りた。
花丸とルビィの、ふたりの物語はここでお終い。ルビィは自分自身の物語をようやく紡ぎ始めることができた。彼女の物語に、もう花丸は登場することはないだろう。
でも、それでいい。それがあるべき姿だ。いつだって花丸は物語の紡ぎ手じゃなくて、読み手だったのだから。