ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
どんな死に方でも、仏教では死者へ経文が読まれる。寿命で死のうが、事故で死のうが、殺されて死のうが、自ら死のうが例外なく。
火葬場の簡素な祭壇で、参列者が涼と叔父だけの寂しい葬儀が行われた。あんたはこんな最期で満足か、と涼は祭壇に鎮座する父に問いてみたが、当然ながら死人に口は無い。口は灰になってしまった。
発見されたのが無人駅とあって、父は死亡してから人の目につくまで数日の間駅のベンチで腐敗しかけていた。まだ死後間もなければ防腐処置をして実家へ遺体を移すこともできたのだが、朽ちた死体は周囲に腐臭を撒き散らす。だから父は息子である涼との対面を待たず荼毘に付された。
遺骨を納めた骨壺は両手でなければ抱えられないが、納められた人間の生前を思うと、とても小さく思える。世界で最も大きな人間と信じて疑わなかった父も、所詮は世界にいる大多数の人間のひとりだったということか。
遺骨は業者に輸送してもらうことにした。小さくなってしまった父を、あまり長く抱えたくなかった。
「どうするつもりだ? これから」
山間部の駅で電車を待つ間、叔父が訊いてくる。大学を中退したことは話あるから、今後の生活を心配してくれているんだな、と厚意を感じられる。地元に帰って父の船を継ぐべきかもしれない。でも、まだ船舶と漁業の免許を取る気にはなれない。答えずに黙っていると、叔父は質問を重ねる。
「何を考えてる?」
「……父のことです」
「ああ」と叔父は溜め息まじりに遠くを見やり、
「全く訳が分からんよ。いなくなってから死体で発見されるまで何の連絡もなかった。前は
「ああ、そうだ」と叔父は背広のポケットから手帳を出してページを開き、「義兄さんの手帳だ」と涼に見せる。
「こんなものが書かれているんだが」
そのページには何人かの名前と住所が綴られている。
木野薫
相良克彦
三浦智子
篠原佐恵子
今時メモなんてスマートフォンで事足りるが、父は電子機器の扱いが苦手で携帯電話なんて持たなかった。家に電話があるんだからそれで充分だろ、というのが父の主張だった。そのせいで連絡が取れなかったのだが。
「お前、見覚えはあるか?」
「いえ、知らない名前ばかりです」
一瞬、漁師仲間の連絡先だと思った。でも住所にばらつきがある。一体何の名簿なのか。でも、この名前の連なりが涼に今後の道を示している気がする。
「叔父さん。これ、俺が預かってもいいですか?」
2
誠からはその日のうちに連絡が来た。三浦の母親に電話で翔一のことを尋ねたのだが知らないという。そこで捜査は終わり、と思ったのだが、真面目なことに誠は三浦と親しかった友人の連絡先を教えてもらい、既に先方のアポイントも取ってくれていた。
『住所も近いですし、直接会ってみてはどうでしょう?』
電話口で誠はそう言っていた。住所は伊豆市。隣の市だから気軽に行ける。そこに住む
夕食後の食卓を囲み、千歌のメモを見た志満が「なるほど」と頷き、
「この人に会えば、翔一君の過去が分かるかもしれないのね」
そこで「さあさあさあお茶が入りました」と翔一がお盆の湯呑とお茶請けをテーブルに置く。
「これは採れたてキャベツの浅漬けです」
食べてみると、柔らかいけど歯ごたえのあるキャベツの葉が口の中でぽりぽり、と音を立てる。塩気も控え目で丁度いい。「あれ?」と翔一はメモに気付き、
「誰ですか篠原佐恵子さんて?」
「この前翔一が会うはずだった三浦さんの友達だって」と美渡が言う。「ああ」と曖昧に頷く翔一を逃すまいと千歌は告げる。
「ああ、じゃなくて会いに行こうよ。わたしも着いてってあげるから」
「でも、ほら俺こう見えて結構忙しいし。明日は庭の草むしりしなきゃならないし、天井裏の掃除もしたいし。最近なんかネズミの足音うるさくない? 夜寝てると、とてとてとて、って――」
「うちにネズミはいないわ」と志満が言った。旅館なのだから、定期的に業者を呼んで駆除してもらっている。しいたけが夜に吼えると、それがネズミ発生の合図だ。お茶を啜った美渡は意地悪く笑い、
「居候ならいるけどね、1匹」
「美渡」と志満が窘めた。
「翔一君だって無職なりに家のことしてくれているんだから」
「無職……」と翔一が所在なさげに反芻する。
「志満姉のほうが酷いこと言ってるよ」
千歌が指摘すると志満は誤魔化すように咳払いし、
「翔一君。過去を思い出すのが怖いのは分からなくないけど、あなたを想って待っている人がいるかもしれないの。そう考えたことはない?」
「俺を、待っている人?」
不安げに反芻する翔一は、そんなこと考えたこともなかった、とでも言いたげだった。無理もない。家族や友人のことを思い出せないのだから、果たして自分を待つ人がどんな人なのか、なんて想像しようがない。
志満は続ける。
「それにあなたが昔の自分を取り戻したとしても、私たちとの縁が切れるわけじゃないわ。人と人との繋がりは大切なものよ。あなたとの繋がりを断ち切られたことで、悲しい想いをしている人がいるかもしれないわ。そのことを、よく考えてみて」
翔一は何も応えない。まるで自分の裡にある何かを探すように、虚ろな視線を下ろしていた。
3
PCの液晶が映す事実に、ダイヤは深く溜め息をつく。対抗策を講じる前にはまず現状を理解しなければ。そう思い生徒会室のPCに保存された入学者数推移のデータを見たのだが、そこには厳しい現実が記録されていた。
浦の星女学院は毎年度の募集定員を100人と固定している。志願者数が定員割れを起こしたのは7年度前。そこから1年度毎に10人20人と減り続け、とうとう前年度の志願者――つまりは今年度の新入生――は14人という数字。
廃校の原因なんて考えるまでもない。多くの学校で廃校の理由は大体が共通していることだろう。受験人数の減少。直接的な原因はそれだ。使わなくなった教室は年々増えていて、学校設備は充実していても生徒数がそれに見合っていない。もはや生徒の学費から学校運営の資金を賄うことができなくなっている。統廃合が検討されているということは、既に資金の大半が経営陣からの援助金で捻出されているのだろう。
再び深い溜め息を吐き出す。体の力が抜けそうになったところでドアをノックする音が聞こえ、即座にダイヤは背筋を伸ばして「はい」と応じる。
「お姉ちゃん?」
ドアの陰から覗き込むように、ルビィが所在なさげに呼んでくる。
「どうしたんですの?」
「実は今日もちょっと遅くなるかも、って」
「今日も?」
「うん。千歌ちゃんが入学希望者を増やすためにPV作るんだ、って言ってて」
先輩を「ちゃん」付けで呼んだことに引っ掛かりを覚えたが、それは敢えて指摘しなかった。μ’sもメンバー間の上下関係を過剰に意識しないよう、敬称を廃したらしい。Aqoursもそれに倣ったのだろう。
それにしても入学希望者を増やすとは。状況が状況とはいえμ’sの活躍を反復しているようだ。一介の高校生たちがアイドル活動を通じて学校を宣伝し廃校を阻止した。前例があるとはいえ、当時とは場所も状況も異なる。同じ過程で同じ結果へ繋がるか、とは言い難いが、
「分かりましたわ」
ダイヤが言うと、ルビィは表情を明らめる。
「お父様とお母様に言っておきますわ」
網元の家柄といっても、両親は娘のすることに口を出すほど厳格というわけじゃない。節度さえ持っていれば反対しない。それが黒澤家の方針だ。
「良いの? 本当に?」
「ただし、陽が暮れる前には戻ってきなさい」
「うん、行ってくる!」
そう言ってルビィが廊下を駆け出そうとしたとき、
「どう? スクールアイドルは」
ルビィの足音が止まった。幼い頃から彼女はアイドルになりたいと願っていた。だからこそダイヤは妹が心配でならない。求めていた居場所が、輝けると信じていた居場所が、かえって苦しめてしまうのではないか、と。
「大変だけど、楽しいよ」
その答えに「そう」とダイヤはひとまず安堵する。まだ始めたばかりで、重要なのはこれからだ。でも楽しい、と感じられるのであれば、今はそれでいい。
「他の生徒会の人は?」
「みんな他の部と兼部で忙しいのですわ」
「そう………」
部活動を兼部する生徒は珍しくない。以前は禁止されていたそうだが、ダイヤが入学する前年度に兼部が許可されるようになったらしい。生徒数の減少によって部の廃部も増加傾向になっていった故の措置だ。
ルビィはドアの前から動く気配がない。何を言おうとしているのか理解できる。だからルビィが告げようとしたとき、間髪入れずダイヤは遮ることができた。
「お姉ちゃ――」
「早く行きなさい。遅くなりますわよ」
ルビィには行くべき場所がある。ようやく見つけたのに、いつまでもダイヤの顔色を見てばかりいてはいけない。
ドアがそ、っと閉じられた。皮肉なものですわね、とダイヤは思った。Aqoursもダイヤも浦の星を存続させたい、という想いは同じなのに、決して道を交えようとしないなんて。
最初見たときは、質の悪い悪戯だと思った。あれが人間の死体だなんて思いもしなかった。
死体の第1発見者は聴取に対してそう述べていた。発見者は現場のコインパーキングから車を出そうとした際、隣に停まっていた車の運転席からその奇妙な死体を発見し、通報したという。
既に死体が運び出された運転席に、特に気になるところは見当たらない。バックミラーには安全運転祈願の御守りが掛けられていて、ドリンクホルダーには空の缶コーヒーが置いてある。シートは汗や体液を吸い込まなかったようで、異臭もない。
「氷川さん」
北條に呼ばれ、誠は車中から背後へと視線を移す。
「被害者の体は完全にミイラ化していたそうです。死亡推定時刻数十年前ということになりますが」
日本の多湿な気候のなかで珍しいケースだがミイラ化死体が発見されることは前例がないわけでもない。多くが持病の発作で絶命し、そのまま誰にも発見されないまま数十年も放置されたもの。稀に殺人事件で遺棄された死体がミイラ化したというケースはあるものの、そういった死体は身分証明書を持ち去られているから身元の照合ができず、大半が身元不明死体として処理されてしまう。
そういった点で今回の死体は幸運だった、と解釈するのは不謹慎だろうか。被害者のズボン――死体とは逆に真新しい衣服だ――に収まっていた財布から運転免許証が発見され、死体の身元は判明している。
こんな屋外の駐車場で数十年も放置されていたとは考えにくい。遺棄した死体を移したとしても、身分証明書を残しているという杜撰な犯行。全ての違和感を拭い去る答えを北條が告げる。
「アンノウンの仕業に間違いないでしょう」
だとすれば真っ先に浮上する疑問を誠は投げる。
「被害者の親族は?」
「3ヶ月ほど前に結婚したばかりだそうですが、血の繋がった親族はいないようです。取り敢えず護衛の必要はなさそうですが、アンノウンが現れた以上このままで済むはずがない」
そう、被害者に血縁のある親族のいない方が厄介だ。次に誰が標的になるのか全く見当がつかない。
何気なしに車中へ戻した誠の視線が、助手席に置かれた本に留まる。まだ買ったばかりのようで、本屋の紙袋が近くにある。手に取ってみると、それは姓名判断の本だった。占いが趣味だったのだろうか。
「既に聞いていると思いますが」
険のこもった北條の声に、誠は再び振り返る。北條は声色と噛み合わない余裕な表情を浮かべている。
「今朝聴聞会に呼ばれましてね。言われましたよ。あなたより私のほうが、G3システムの装着員として優れているとね」
「にも関わらず」と今度は明確な嫌悪の視線を向け、
「小沢澄子の判断ミスのせいで、私は捜査一課に戻された」
「あの人がミスをするとは考えられませんが」
先日の小沢から送られてきた戦闘オペレーションの報告書は誠も目を通している。北條はG3システムの武装を駆使したが、GG-02がアンノウンに有効なダメージを与えられず形成が崩れた。何度かスーツにダメージを負ったが、まだ戦闘可能と小沢はオペレーション続行を指示。だが北條は独断で緊急解除システムを作動させ武装解除。現場には少女数名がいたそうだが、北條は逃走してしまったという。
回収班が現場に赴いた頃にはアンノウンも少女たちの姿もなく、周辺住民からは現場で爆発があったという証言があった。恐らく、アンノウンはまたアギトが撃破したのだろう。
今朝の聴聞会のことも、小沢から電話で聞いている。市民に避難を促すこともせず戦線離脱したことから、もう一度G3システムの装着員を選考し直すと上層部は判断した。選考している期間に北條は捜査一課に戻るよう言い渡されたのだが、北條はあかつき号を引き合いに抵抗を試みる。だがそのスキャンダル公表は意味がない。上層部は市民に対して謝罪するだけで済むが、公表した当人は警察内部において今後のキャリアを完全に潰されることだろう。
「とにかく、私はもう一度自分の優秀性を証明し、装着員に復帰するつもりでいます」
ここで虚勢を指摘したとしても、売り言葉に買い言葉の口論になるだけだ。今重要なのは目先の事件。誰を狙うか分からないアンノウンをどう阻止するかを考えるべきだろう。
「分かりますか? あなたに出番はない」
はっきりと告げる北條に、誠は力強く視線を返したまま沈黙を貫く。G3の装着員としてどちらが相応しいかなんて、そんなものはどうでもいい。互いに牽制し合ってユニットの活動を妨げたら本末転倒だ。
あなたが相応しいなら喜んで祝福する。
僕はあかつき号事件の英雄だとか、G3装着員なんていう勲章が欲しくて刑事をやっているんじゃない。
4
戦国時代に長浜城という城があった史跡公園は、岬という立地条件から内浦の全貌が見渡せる。ここから見る海と山は中々に絶景で、特に内浦湾を行き交うボートが特に曜のお気に入りだった。
「内浦の良いところ?」
曜の向けるハンディカムのレンズ越しに、本日の活動内容を聞いた梨子が言う。説明した千歌は「そう!」と応じ、
「東京と違って、外の人はこの街のこと知らないでしょ? だからまずこの街の良いところ伝えなきゃ、って」
Aqoursの活動においてライブや曲のプロモーションも大事だが、廃校阻止という目標を掲げるのなら自分たちの活動拠点を知ってもらおう。わたし達の住む街はとても良い街です、と宣伝し、浦の星女学院の入学志願者を募るのが、千歌の提案した策だった。
これもまたμ’sの例に倣ったのかというと、少し違う。μ’sがしたことといえば、ライブをしてラブライブの大会にエントリーし、プロモーションビデオを公開して知名度を上げた。それだけの、スクールアイドルならどのグループもしていることだった。
というのも、音ノ木坂学院は東京、日本の首都にある学校で、人口は多い。対して浦の星女学院は静岡県の過疎化が進む集落の学校で、内浦なんて場所を聞いても大半の人間はどこにある街なのか知らない。
「それでPVを?」
善子が腕を組みながら呆れたように言った。「うん!」と千歌はその隣に移動し、
「これをネットで公開して、みんなに知ってもらう」
ネットという単語に反応した花丸が「知識の海ずら」と感慨深げに言った。隣にいるルビィと一緒にハンディカムの視界に収めたところで千歌は後輩ふたりの間に入り、
「というわけで、ひとつよろしく!」
そこで花丸とルビィは、自分たちに向けられたレンズに気付く。曜は花丸の顔へと画面をズームさせた。
「いや、マルには無理ずら――、いや無理」
次にルビィへと移す。羞恥に頬を赤くしたルビィが「ピギィ!」と素早く画面から離脱して、曜は一旦ハンディカムから視線を外す。
「あれ?」
辺りを見渡すが、見晴らしの良い公園のどこにもルビィの姿が見えない。なんて素早い。というよりどこへ行ったのか。
すると善子が、
「見える。あそこよ!」
と公園のなかで一際高くそびえ立つ樹を指さした。まさか木登りなんてしたのか。茂る枝のなかにいないかと思ったとき、
「違います!」
少し離れたところにある案内板の陰からルビィが出てきた。すかさず曜がハンディカムを向けると、また画面から逃げ出した。
「おお、何だかレベルアップしてる!」
呑気にそう述べる千歌に、梨子が口を尖らせた。
「そんなこと言ってる場合⁉」
何度かメンバー紹介のプロモーションは撮っているものの、未だに花丸とルビィと梨子はカメラの前だと緊張してしまうらしい。台本なんて用意していないからほぼアドリブで紹介してもらうわけで、そういった面に最も耐性を持っていそうなメンバー、つまり千歌がメインを務めることになった。
街紹介なんて初めてだし勝手は分からないが、内浦は景色の材料にはそれほど困らない。思いついた順にカットを切っていく。
シーン1は富士山を背景にした。ハンディカムの前で花丸がカチンコを鳴らして画面から離脱する。因みにカチンコは曜のこだわりで用意した。まずは形から入りたい。
「どうですか? この雄大な富士山!」
次にシーン2は内浦湾。カチンコ係は梨子。
「それと、この綺麗な海!」
シーン3は観光案内所に場所を移した。カチンコ係のルビィは編集でカットすると分かっていても恥ずかしいのか、こちらに顔を向けてくれない。背景は観光案内所だが、メインは施設ではなく千歌の抱える段ボールに詰まった内浦の名産品だ。
「更に、ミカンがどっさり!」
シーン4は十千万から臨む内浦の街並。カチンコ係は善子。
「そして街には……、えっと街には………、特に何もないです!」
「それ言っちゃ駄目」と曜は苦笑交じりに言う。誤魔化しにかかった千歌のサムズアップが何とも虚しい。このシーンは完全にカットだ。
「みんなー、お茶が入ったよ」
十千万の玄関から翔一がお盆を手に出てくると、それほど張り詰めていなかった場の雰囲気が更に緩くなる。「今日は何ずらか?」と花丸が訊くと翔一は自信ありげに、
「採れたてキャベツの浅漬けと、新ジャガの煮っころがしも作ったんだよね。ささ、みんな食べてよ」
お盆を軒先の長椅子に置くと、花丸とルビィが先に箸を手にして料理をつまみ始める。
「お茶請けが何だか年寄りくさいわね」
お茶を啜りながら善子が目を細める。曜は何度も振る舞われているから気にならなかったが、確かに女子高生に出すものとは違うように思う。
「翔一さんてお菓子とか作れないんですか?」
曜が訊くと、翔一は腕を組んで「うーん」と考え込み、
「キャベツを使ったお菓子って何かあるかな?」
「何でキャベツで作ろうとするのよ?」と善子が指摘する。翔一の創作料理は当たりもあれば外れもあるから、結構危うい。
「もう、のんびりしてる暇ないのに」
曜の背後から梨子が呆れを漏らすが、花丸は「でも美味しいずら」とご機嫌に芋の煮っころがしを食べる。隣のルビィも頬を綻ばせながら芋を咀嚼している。因みに梨子が曜に隠れているのは、玄関先の犬小屋にしいたけがいるから。
「翔一」と玄関から美渡が顔を出してくる。
「あんた、そろそろ行かなくていいの?」
「あ、そうだった!」とお茶を飲んでいた千歌が声をあげる。千歌は「ごめん!」と両手を合わせ、
「今日用事があって、これから行かなきゃいけないんだ。だから今日はここまでにして、続きは明日にしよう」
PV制作は別に急ぎでもないから問題はないが、どうにも用事に翔一が絡んでいそうなのが気に掛かる。曜は尋ねた。
「良いけど、用事って翔一さんの?」
「うん」と千歌は首肯し、
「翔一くんの過去知ってるかもしれない人に会いに行くの」
「連絡取れたの?」と梨子が訊くと「そう!」と千歌は応えた。
「良かったですね、翔一さん」
ルビィは嬉しそうに言うも、当人は何とも言えなさそうな、言葉を探しあぐねて苦笑している。
「何よその顔、嬉しくないわけ?」
善子が訊いた。「えーと……」と翔一が口ごもると花丸が、
「恥ずかしい記憶を思い出すのが怖いずらね」
と善子へと悪戯な視線を向ける。「何よその目は!」と善子が噛みついたところで、その場を動こうとしない翔一に千歌が痺れを切らした。
「もう、早く行こうよ。ヘルメット取ってくる」
十千万のなかへ入っていく千歌に翔一は「いやほら」と
「これから夕飯の準備しないといけないし――」
「それは私と志満姉でやっとくから!」と美渡が無理矢理翔一のエプロンを剥ぎ取って、バイクへと背中を押していく。ようやくバイクのシートに跨ったところでヘルメットを手に戻ってきた千歌が翔一の頭に被せ、リアシートに腰掛ける。
「ほらエンジンかける!」
美渡に促され、翔一は渋々といった様子でセルスイッチを押した。バイクのエンジンがうねりを上げる。しばしのアイドリングを経て翔一はギアペダルを踏み込み、バイクを発進させた。
「ちゃんと会ってきなよー!」
走り去っていくバイクに、美渡は大声で告げた。海沿いの道を走っていくバイクを見送りながら、曜は不安と期待が入り交ざった、奇妙な感覚を覚える。
翔一の過去。前に視たあの像が脳裏によぎった。翔一が千歌の父を殺していないとは信じられるが、何らかの形で関与しているのかもしれない。それは知らなければならない過去だけど、知ってしまうことが怖い。
でも、翔一はもっと怖いのかもしれない、と思った。