ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 遅くなって申し訳ございません(土下座)




第4話

 

   1

 

 青年もどうやら、佐恵子に聞きたいことがあって訪ねてきたらしい。千歌は席を外したほうが良いと思ったのだが、青年は特に気に留める様子もなく千歌の同席を許してくれた。

「じゃあ、亡くなった君のお父さんがこの手帳を持っていたと?」

 テーブルに置かれた青年の手帳を見て数樹が尋ねる。「ええ」と青年は短く応じた。先の説明の簡潔さからも、青年はあまり口数が多い方ではないらしい。青年が語った身の上はこうだ。

 自分は父親の急死の真相を調べている。遺品の手帳に佐恵子の名前があったから何か知っていると思い訪ねた。

 あまり多くを語らない人物というのは、どこか無意識の緊張感を放っているように見える。普段は喋り好きな千歌でさえ、青年の傍にいて口を結んでしまう。

 千歌は開かれた手帳を眺める。使い込まれて黄ばみのあるページには何人かの名前と住所が綴られていて、その中には確かに佐恵子の名前とこの家の住所がある。

「佐恵子さん、何故そこにあなたの名前があるんです? そのリストは何を意味するんですか?」

 青年が尋ねると、視線を俯かせたまま佐恵子は「知らない」とか細く答える。

「知らないわ、私は何も………」

 佐恵子は涼と視線を交わそうとしない。自分の瞳から何も悟られないように決して。佐恵子が知らなかったとしても、青年の父親は彼女のことを知っていたはずだ。しっかりと手帳に名前と住所が記録されているのだから。

 青年が身を乗り出して「でも――」と言うと同時、佐恵子はソファから立ってそそくさと客間から出て行く。数樹は妹を咎めるようなことは言わず、ただその背中を見送った後に青年と千歌に苦笑を向ける。

「済みません、気難しい性格なもので」

 「いえ、こちらこそ……」と青年も罰が悪そうに頭を下げる。父親の死に関わっているのかもしれないなら、必死になるのも仕方ない。そう思うのは、千歌も父親が不可解な死を遂げた故の親近感だろうか。この青年の気持ちが分かる、なんて思い上がるつもりはないが。

「また来てください。今度はちゃんと話をするよう、妹に言い聞かせておきます」

 数樹の柔和な物腰に、千歌は「はい」としか言えなかった。あの様子だと今日は何も話してはくれないだろう。

「あんた、帰りは大丈夫か?」

 家から出ると、青年はぶっきらぼうに訊いてきた。すっかり陽も暮れて、最終バスも過ぎてしまった頃だ。

「大丈夫です。翔一くん来てくれるので」

 もっとも、無事ならばの話だが。でも翔一のことだ。あっけらかんと普段通りの顔で戻ってきてくれる。

 青年がバイクで去ってしばらく、翔一が入れ違いに戻ってきた。

「良かったあ、無事だったんだ」

「うん、ごめん」

 いつも通り優しくどこか抜けたところのある顔をすると、翔一は篠原家を見やり、

「それで、佐恵子さんは?」

「会えたんだけど、何か変なことになっちゃって………」

「変なこと?」

「上手く言えないんだけど、でもまた来て良い、って。だからまた来てみようよ。今度こそ翔一くんの過去分かるかもしれないし」

 千歌は明るく言う。翔一は過去の話になると決まって浮かべる不安げな表情を見せなかった。でも笑顔というわけでもなく、ただ何の感情も感じさせない顔で篠原家を眺めていた。

 

 

   2

 

 アンノウン出現から一夜明けた日の聴聞会は、現場にいた誠にも出席が命じられた。同席するのはG3装着員である北條。いや、厳密には元装着員というべきか。まず出だしから誠は驚かされることになる。

『北條君、我々の言いたいことが何か、分かっているかね?』

 PCの液晶のなかで、警備部長は冷たい声音で続ける。

『君は我々の通達を無視して、勝手にG3システムを起動させた。どういうことかね?』

 その言葉で、誠は昨晩の戦闘オペレーションの真実を悟る。G3装着員はまだ選考中で、ユニットの活動停止もまだ解けていなかった。つまり、G3は完全に北條の独断で出動していたということ。G3に対する想い入れの強い北條と、強引な小沢だからこそ生じた事態だ。

 お偉方に対して、北條は強気な姿勢を崩さず答える。

「あの場合、命令よりも人命の救助を優先させるのが警察官としての正しい選択だったはずです。それよりも、G3システムの武器を勝手に使用した氷川主任の方にこそ問題があると思いますが」

 まさかの責任転嫁に、思わず誠は北條を横目で睨んでしまう。あなたは前回のオペレーションでは現場の市民を避難誘導せず逃走しただろう。反論する前に補佐官が尋ねてくる。

『どうかね、怪我のほうは?』

「はい、大したことありません」

 布で右腕を吊っているから見た目こそ物々しいが、肘の靭帯を傷めた程度に済んだ。しばらく安静にしていれば包帯も取れる、と医師からは説明を受けている。

 『しかし分からないことがある』と補佐官は前置きし、

『君はアンノウンに狙われた者の護衛をしていたそうだが、何故その人間が狙われると分かったのかね?』

「昨日襲われたのは、2日前に殺された被害者の配偶者だったんです」

 誠が答えると、警備部長が続けて尋ねる。

『アンノウンは血の繋がった親族を狙うと聞いているが』

「アンノウンが狙ったのは、お腹のなかの赤ん坊です。最初に殺された被害者の現場で姓名判断の本を見つけて、もしかしたらと思い護衛にあたりました」

 『なるほど』と補佐官は頷き、

『産まれてくる赤ん坊のために名前を考えていたということか。見事な推理だ。G3システムの装着員として、これからも活躍を期待しているよ』

 その言葉の意味を一瞬理解し損ねて、誠は「それじゃ……」と言葉を詰まらせる。補佐官は続ける。

『氷川主任を、もう一度G3システムの装着員として任命する。これが幹部会の決定だ』

 心臓が激しく脈打つのを感じる。もう一度Gトレーラーで、小沢と尾室と共に戦うことができる。子供のようにはしゃいでしまいそうな気持ちを抑え、警察官としての凛とした姿勢を崩さず誠は深く礼をした。

 画面の中で警備部長は腕を組み、重々しく口を開く。

『しかしまだ産まれていない赤ん坊まで狙うとは、一体どんな理由があってそんな。まるで、何かを怖れているかのようだ………』

 「怖れている……」と誠の唇がなぞる。物理的に有り得ない現象で人間を殺し、G3システムでも太刀打ちできないというのに――

「アンノウンが、人間を………」

 

 

   3

 

 波が立つたびに、内浦湾は陽光を反射する。バスの車窓から見える海の景色にも曜はハンディカムを向けているが、海は既に撮影済みだから使えるかどうか微妙なところだ。バスの最後尾の座席に並んで腰かける千歌たち2年生の会話は、自然と昨日のことについてだった。

 事の次第を千歌が説明すると、ハンディカムの電源を切った曜が「ふーん」と相槌を打つ。

「じゃあ翔一さん、まだその篠原さんて人と会えてないんだ」

 「うん」と応じながら千歌は昨晩の佐恵子の顔を思い出す。あの表情、まるで何かをとても怖れているように見えた。決して目を向けたくないような。

「しょうがないわ。だって友達が亡くなったばかりなんでしょ? 色々と不安定になるわよ」

 梨子の言うことはもっともだ。三浦智子と篠原佐恵子がどれほど親しい仲だったかは聞いていないが、友人ならばその死に何も感じていないなんてこともないだろう。そこへ記憶喪失の男や、父親の死について調べている男までやって来れば参ってしまうのかもしれない。

 ふと、千歌は根拠の分からない恐怖が込み上げてくるのを感じた。ただ翔一の過去について知りたいだけ。それだけのことなのに、この捉えようのない恐怖をどう友人たちに告げたものか。翔一の過去は知るべきだ。それが彼本人にとってプラスだという確信はある。どこかで翔一の家族や友人が待っているかもしれない。

 気のせいだ。そう自分に言い聞かせ、千歌は思考を今日の活動内容へと切り替える。バスはもう目的地へと近づいていた。

 

 PV撮影1日目は学校と十千万の周辺だったということで、2日目は少し羽を伸ばすことにした。内浦は海と富士山とミカンしか紹介するものが無かった、というのが本音だが。

 まず本日のシーン1は沼津駅前。紹介するのは市街在住の曜。

「バスでちょっと行くと、そこは大都会! お店もたくさんあるよ」

 シーン2は隣の伊豆の国市まで。結構な距離があるため自転車をレンタルして移動したのだが、それでも目的地に到着する頃にはメンバー全員が息切れし汗を滴らせる画がカメラに収められた。

 小さな伊豆長岡駅を前にして、曜のカメラに笑顔を向ける余裕もない梨子が息も絶え絶えに紹介する。

「自転車で、ちょっと坂を越えると……、そこには……伊豆長岡の、商店街が………」

 「全然、ちょっとじゃない………」と座り込んで呼吸を整えながら花丸が声を絞り出す。内浦から山ひとつ越えるから長い坂道が続くし、それだけに自転車のペダルがかなり重い。徒歩のほうが疲労は軽く済んだかもしれない。1時間ほど移動にかかるが。

「沼津へ行くのだって、バスで500円以上かかるし………」

 ルビィも長い移動にうんざりしているらしく不満を漏らす。高校生にとって片道500円は厳しい。沼津市街はまだ娯楽施設がある分良いが、この伊豆長岡駅前の商店街は苦労して坂を登っても、お世辞にも都会とはいえない。自然豊かな温泉地としてPRされているから、景観を損なわないようどちらかといえば静かな街だ。つまり、カメラに収めるべきものは何もない。

 いまいち絵面に華とインパクトがない。風景は悪くないのだが、富士山という最大のPRポイントを撮影してしまっただけに霞んで見える。

 酸素が足りない頭で何とかアイディアを絞り出そうとしたとき、地面に仰向けで寝転がる善子の姿が千歌の目に留まった。

「そうだ!」

 シーン3。場所は前回の開始と同じ長浜城跡。紹介は善子改め堕天使ヨハネが務める。移動と着替えに時間がかかったせいで夕暮れ時になったが、堕天使としては雰囲気が合っている、と思いたい。

「リトルデーモンもあなた、堕天使ヨハネです。今日はこのヨハネが堕ちてきた地上を紹介してあげましょう」

 「まずこれが――」とヨハネは近くにあるものを手で示し、

「土!」

 盛り土だ。公園の整備作業で出たものだろうか。触れられないよう周囲をカラーコーンで囲まれている。とにかく何の変哲もない土を紹介したヨハネは高笑いしている。でもすぐに違和感を覚えたのか、高笑いは勢いを失いやがて治まる。

 カメラを止めた曜は苦笑と共に言う。

「根本的に考え直したほうがいいかも」

 「そう?」と千歌は何となくこれで良いような気もした。

「面白くない?」

 疲れはしたがそれなりに画も撮れたから、後は編集次第で良いものに仕上がるような、漠然とした期待を込める。でも心配症な梨子はそうは思えないみたいで口を尖らせた。

「面白くてどうするの!」

 

 喫茶「松月」は十千万から少し歩いた、湾岸の通りに店舗を構えている。千歌たちが入った頃は空が茜に染まる頃で、あまり席数の多くない喫茶コーナーに他のお客はいない。お世辞にも繁盛しているとは言い難いが、近隣住民という常連客のおかげで安定した売り上げを得ている。

 全員の注文した菓子と飲み物が来ると、来店時からずっと眉を潜めていた善子が訊いた。

「どうして喫茶店なの?」

 すると隣のテーブルにつくルビィが、

「もしかして、この前騒いで家族の人に怒られたり………」

 「ううん、違うの」と千歌はミカンケーキにフォークを刺して持ち上げ、

「梨子ちゃんがしいたけいるなら来ない、って」

 切り分けもせずケーキをリンゴのようにかぶりつくと、向かいに座る梨子が慌てた様子で、

「行かないとは言ってないわ! ちゃんと繋いでおいて、って言ってるだけ」

 何でこんなに弁明しているかは分からなかったが、後になって梨子のわがままを聞いてあげた、と解釈されかねない千歌の口ぶりのせいだったことに気付いた。

 隣のテーブルでミカンどら焼きを食べる花丸にハンディカムを向けながら曜が言った。

「ここら辺じゃ、家のなかだと放し飼いの人の方が多いかも」

 「そんな……」とフルーツケーキをフォークで一口サイズに切りながら梨子は溜め息をつく。梨子は犬が苦手と知ったのは最近のことだ。曜は何となく察していたらしいが。しいたけは梨子のことを気に入っているようだから、てっきり梨子は動物が好きなほうだと勝手に思い込んでいた。

 咥内に残ったケーキの甘さを取ろうと梨子がコーヒーを啜ったところで「わん!」という甲高い声が店内に響く。

「またまた」

 どうせ誰かの悪戯でしょ。その手には乗らないわよ、とでも言いたげな苦笑と共に梨子はまたコーヒーを飲む。再び「わん!」と聞こえ、それが本物と気付いた梨子は目を見開き体を硬直させる。

 見れば、床に黒い毛の豆柴犬がちょこんと座って尻尾を振っている。席にいる全員の目がそこへ集中した。その一般的には愛らしい姿を見て、梨子は「ひいっ」と悲鳴をあげる。咄嗟に脚を上げて膝をテーブルにぶつけたものだから卓上の食器ががちゃん、と盛大な音を立てた。

「こんなに小さいのに⁉」

 千歌が言うと梨子は即座に上ずった声で、

「大きさは関係ないわ。その牙! そんなので噛まれたら死――」

 「噛まないよ」と千歌は大きな欠伸をして犬歯を露わにした豆柴をひょい、と抱き上げる。

「ねー、わたちゃん」

「あ、危ないわよ! そんなに顔を近付けたら――」

「そうだ、わたちゃんで少し慣れるといいよ」

 と千歌は豆柴のわたあめを梨子の顔へと近付けさせる。まずは小型犬に触れて、そこからしいたけに慣れてもらおう。でも眼前にいる小さな生き物に梨子は怖がっているのか笑っているのかよく分からない表情を固めている。松月の看板犬として人懐っこいわたあめは、その小さな舌で梨子の鼻先をちろり、と舐めた。すると硬直が解けた梨子は俊敏に椅子から立ち上がり、真っ直ぐトイレへと駆け込んでしまう。

「梨子ちゃーん」

 曜が呼びかけると、ドア越しに梨子がまくし立てる。

「話は聞いてるから早く進めて!」

 「しょうがないなあ」と千歌は溜め息をつき、善子の方へと向く。既に善子は持参してきたノートPCを開きキーを叩いていた。

「できた?」

「簡単に編集しただけだけど、お世辞にも魅力的とは言えないわね」

 と善子は肩をすくめる。堕天使ヨハネの動画配信をしていた善子でさえ限界があるとは。

「やっぱりここだけじゃ難しいんですかね?」

 ルビィが力なく言う。あと市内で撮影していない所といえば、沼津駅前のメインストリートであるリコー通りくらいか。あの辺りなら大手企業の店舗やオフィスも多いから、市内でも結構賑わっている。うっかり見逃していた。あそこが市内で最も華やかな区域だ。

「じゃあ沼津の賑やかな映像を混ぜて………」

 これがわたし達の街です、というPVにしようかと構想を膨らませたところで、

「そんなの詐欺でしょ!」

 トイレの方から梨子の声が飛んできた。

「何で分かったの⁉」

 「段々行動パターンが分かってきているのかも」と曜が穏やかに笑いながら言った。何だか嬉しいような恥ずかしいような複雑な気分だ。肩を落としたとき、不意に曜が声をあげた。

「うわ、終バス来たよ!」

 窓を振り返ると、店の目の前にあるバス停に丁度バスが停車している。曜と同じ市街在住の善子も「うそー!」と慌ててPCを片付け始めた。

「ではまた――」

「ヨーシコー」

 とバスへ走っていくふたりを見送る。

「結局何も決まらなかったな………」

 ただ街の紹介をするだけでも、何が魅力なのか全く見つけることができなかった。自分たちの住む沼津の魅力とは、いったい何なのだろう。

「なああああ!」

 突然、ルビィが声をあげて立ち上がる。

「こんな時間、失礼します!」

 まだミカンどら焼きを食べている花丸の襟首を掴み、ルビィは引きずるように店から飛び出していく。窓を挟んで、花丸はこちらにどら焼きを咥えながら手を振っていた。

 壁の時計を見ると、針は7時を回ろうとしている。

「意外と難しいんだなあ。良いところを伝えるのって」

 おもむろに言うと、まだわたあめが怖いのか、トイレから出てこられない梨子の声が聞こえてくる。先ほどよりは、穏やかな声色だった。

「住めば都。住んでみないと分からない良さも、たくさんあると思うし」

「うん。でも学校がなくなったらこういう毎日もなくなっちゃうんだよね」

「そうね………」

 それは、やっぱり嫌だな。周りには海以外何もないし、市街へ遊びに行くのにもバスで片道500円以上かかる。それでも、友達と過ごした学校はなくなってほしくない。きっと、μ’sもこんな気持ちを抱いたからこそ、伝説と謳われるまで頑張っていけたのだと思える。

「スクールアイドル、頑張らなきゃ」

 わたあめを床へ降ろすと、餌の時間なのか店のバックヤードへと一直線に走っていく。「今更?」とようやく梨子がトイレから出てきた。梨子の瞳を真っ直ぐ見据えながら、千歌は宣言する。

「だよね。でも、今気づいた。なくなっちゃ駄目だ、って。わたし、この学校好きなんだ」

 何があって何がないとか、そんな理屈では語り切れないものがこの街にはある。故郷だから、という感情が大きいのかもしれない。でもそれで良いんだ、と思う。生まれ育った街だから、大好きな家族や友達がいる街だから、その街のひとつである学校はなくなってほしくない。それで十分じゃないか。

 移り住んでまだ数ヶ月の梨子にも、想いが伝わったのだと確信できる。彼女は笑って、「うん」と頷いてくれたのだから。

「こんにちはー」

 聞き慣れた声が店内に入ってくる。「あら、いらっしゃい」と店主の女性は嬉しそうにお客を出迎えた。お客は千歌たちに気付き目を丸くする。

「あれ、千歌ちゃん? それに梨子ちゃんも」

「翔一くん、どうしたの?」

「美渡がお茶請けに漬物とかは飽きた、って言ってさ」

 翔一はそう言うと、迷わず店主に「ミカンどら焼き4つください」と店主に告げた。商品が袋に詰められている間に翔一は財布から代金ぴったりに紙幣と硬貨とカウンターのトレーに置く。翔一が品の袋を受け取ると、千歌は梨子に言った。

「わたし達も帰ろっか」

「ええ」

 ケーキを食べたばかりだというのに、千歌の腹は既に空腹だった。十千万までの道を歩きながら夕陽に焼ける海を眺めていた翔一が、ぽつりと言う。

「ねえ千歌ちゃん。俺、もう一度佐恵子さんに会いに行こうと思うんだ。明日土曜だし、千歌ちゃん学校は休みだよね?」

「うん」

「一緒に来てくれるかな?」

「大丈夫だけど………」

 ちらり、と梨子を見やる。梨子は不思議そうな表情を浮かべながら千歌に無言で視線を返した。やっぱり、梨子も違和感を覚えたらしい。翔一が自分から過去にまつわる行動を起こすだなんて。でも、良い傾向なのだろう。それが例え、千歌に根拠のない恐怖を呼び起こすものだとしても。

 

 

   4

 

 親に何も言わず夜に家を出るのは、たとえ目的地がそう離れていない場所でも子供心には大冒険、と昔は胸を躍らせていたものだ。高校生になった果南にかつての高揚感が消滅してしまったのは、単に成長しただけだろうか。それとも、このちょっとした冒険の目的が決して愉快じゃないからだろうか。

 月明りだけが頼りで、しかも訪れるのが数年ぶりでも、ホテルオハラへの「潜入」ルートは容易だった。海は真っ暗で視界はゼロ、従業員に見つかる恐れもあるからライトも使えない。それでも何度も使った経路だから、陸への距離や自分の位置も分かる。昔に興じたスパイごっこのせいで、本当にスパイになれてしまいそう。上陸した果南は噴水のある庭を歩きながら、そんなことを思っていた。

 非常用ドアは開錠されていたから、ホテルの客室棟にはすんなりと入ることができた。宿泊費が高いのに随分と不用心なホテルだが、ここの経営者の令嬢が開けておいたのだろう。きっとその令嬢は、以前と同じスイートルームを自室としているはずだ。窓から光が点滅しているのが見えたから、きっと違いない。

 目的の部屋まで辿り着いて、ドアを開ける。テーブルランプだけが光源のスイートルームで、鞠莉はウェット姿で全身を海水で濡らした果南の来訪に驚きもしない。

「来るなら来ると先に行ってよ。勝手に入ってくると家の者が怒るわよ」

 よく言うよ。モールス信号を送って鍵まで開けておいて。前と同じ方法でわたしが来る、って分かっていたくせに。皮肉を喉元に留めて、果南は訪ねた目的を問う。

「廃校になるの?」

 浦の星女学院が廃校になるという知らせを受けたのは今日の朝だった。何故、いつ廃校になるのか。理事長である鞠莉に直接訊くのが手っ取り早い。

「ならないわ」

 その廃校問題に深く関わっているはずの鞠莉はそう告げて、更に続ける。

「でも、それには力が必要なの。だからもう一度、果南の力がほしい」

 果南の視線が、部屋の丸テーブルに置かれた一枚の紙へと向いた。上に大きく「復学届」と書かれている。父も近いうちに退院するし、そろそろ復学の準備を進めようと思っていた頃だ。この理事長がどこからそんな情報を仕入れてきたのか。行動力は突き抜けて高い人間だ。

 わたしが学校に復帰して何ができるの。わたしが何の力になれるっていうの。それ以前の質問を果南は投げる。

「本気?」

 鞠莉は果南を見つめ、奥底の視えない笑みを浮かべた。

「わたしは果南のストーカーだから」

 

 

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