ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 今回の結末は結構カオスなものになりました。まあ、この作品自体がカオスなのですが………。




第6話

   1

 

 沼津市は日本国内でも比較的温暖な土地で、海水浴場も他の街よりも早く開放される。富士山を見ながらの海水浴という観光資源を保全するため、内浦では住民たちによる海岸清掃が毎年の恒例行事になっている。浦の星女学院も地域奉仕として近くに住む生徒も参加することになっていて、沼津市街在住の生徒も希望すれば参加できる。

 朝の4時となると、まだ朝陽は昇っていない。昨晩は早めに床に就いたとはいえ、眠気でぼんやりとしながらも梨子は学校指定のジャージに着替えて三津海水浴場へと向かった。

「おーい梨子ちゃーん!」

 朝早くから元気な千歌が海岸から呼んでくる。隣にいる曜も眠気など感じない。

「おはヨーソロー!」

 「おはよう」と挨拶すると、千歌は手に持った提灯を差し出してきた。

「梨子ちゃんの分もあるよ」

 受け取ると、淡いオレンジ色の光が灯った提灯には「十千万」と毛筆で書かれている。十千万も海沿いに建つ旅館として全面協力しているらしい。

「こっちの端から海のほうへ拾っていってね」

 曜の説明を聞きながら、梨子は初めて参加する海岸清掃の様子を眺める。それほど大きくはない海岸を埋めるほどの人々が、提灯と大きな袋を手に集まっていた。

「曜ちゃん」

「ん、何?」

「毎年、海開きってこんな感じなの?」

「うん、どうして?」

「この街って、こんなにたくさん人がいたんだ」

「うん、街中の人が来てるよ。もちろん、学校の皆も」

「そうなんだ………」

 何気なく視線を向けた先では、志満と美渡と翔一が談笑交じりにゴミを拾っている。別のところへ視線を移すと、善子が拾った黒い羽を花丸が捨てるよう促し、その様子をルビィが苦笑して見守っている。また別のところでは、せっせとゴミを集める果南とダイヤのもとに鞠莉が加わっている。他にも浦の星のジャージを着た生徒たち。幼い子供から老人まで、世代を隔てることなく淡い光を手に海岸を清掃している。

「これなんじゃないかな、この街や学校の良いところって」

 これは梨子が初めて見たというだけで、全国のどこにもある風景なのかもしれない。でも、この裡を温めるような提灯の光は、この内浦の人々が生み出しているものじゃないだろうか。こうして皆で助け合っていて、皆で一緒に暮らしている光景を見ることができる。

 この暗いなかで灯る光を見ることができるのは、内浦だからだ。

「そうだ!」

 不意に、千歌は道路への階段を駆け上がる。道路は波の侵入を防ぐために高く施工されているから、階段の頂で「あの、皆さん!」と呼びかける千歌の姿は海岸のどこにいても見つけることができただろう。

「わたし達、浦の星女学院でスクールアイドルをやっている、Aqoursです。わたし達は学校を残すために、ここに生徒をたくさん集めるために、皆さんに協力してほしいことがあります。皆の気持ちを形にするために!」

 

 

   2

 

「ほら浦女のとこ。もう光ってますよ」

 翔一が指さした丘の上で、夕暮れのなか淡いオレンジの光が灯っている。はいはい、というように美渡は肩をすくめ、

「見てるよ。もう子供じゃないんだから」

「でもさ、凄く綺麗じゃない。あそこからランタンがばあ、って飛ぶんだよね? 早く見たいなあ」

 ふふ、と志満が笑みを零した。

「そうね。皆で協力して作ったんだもの」

 志満は三津海水浴場に集まった観客たちを見渡す。海岸清掃のときより人が多いのは、沼津市街や他の街から来た人もいるからだろう。

 沼津の魅力を伝える次のPV。それはAqoursの新曲披露も兼ねたミュージックビデオという形になった。丁度新曲を作ろうとしていた時期とあって、その演出としてあの光は考案されたものだ。

 スカイランタン。和紙で作った灯篭の中にろうそくで火を灯し、熱気球と同じ原理で空に浮かび上がらせる。その光が映えるのは夜なのだが、千歌の提案で時刻は夕暮れ時に決まった。昼と夜の交じり合った頃が良い、と。構想が決まれば後は準備すればいいのだが、流石にAqours6人だけで曲に衣装、更に灯篭製作は酷だと、浦の星の生徒をはじめ地域の住民たちにも協力が仰がれた。

 地元の学校の生徒たちに協力する声は多く、勿論十千万も全面協力した。志満と美渡は学校まで資材を運び、翔一は作業する生徒たちのためにキャベツたっぷりのスープを振る舞った。

 街の皆が協力してくれた。浦の星のために。学校を存続させようと奮起するAqoursに。

「でもなかなか思い切ったことするよね千歌も。こんな大掛かりになるなんて思ってなかった。お陰で休日返上だよ」

 そう言って美渡は肩を回す。年寄りくさい仕草に翔一は志満と共に笑った。

「でも内浦の魅力か。確かに住んでいても案外見えないものかもしれないわね」

 「そうですか?」と翔一は言った。「え?」と志満は不思議そうな視線を向けてくる。

「俺はここに来たときから気付いてましたよ。ここの農家さんの作る野菜とか、漁師さんが獲ってくる魚は美味しい、って。食べ物の味って作る人の人柄が出るじゃないですか」

 千歌はよく遊ぶところが無い、とか文句を言っていたが、翔一は内浦や沼津に不便なんて感じたことがない。みかん農業が盛んで、海に面しているから新鮮な魚が手に入る。人は食べて生きている。食べるもの、それも美味しいものに溢れるこの街はまさに都じゃないか。

「って食べ物のことばっかじゃん」

 美渡が翔一の胸を叩いた。「ええ? 大事なことだと思うけどなあ」としかめっ面をしてみせると、姉妹は揃って笑う。この笑顔も、食べ物に困らないからこそできる笑顔だ。そんな笑顔に満ちたこの街は、翔一にとっても大切な場所。守るべき居場所だ。

 「おお!」と周囲の人々が歓声をあげた。浦の星のほうから無数の光が浮かび、黄昏時の空に向かって広がっていく。きっと今頃、学校の屋上ではAqoursが歌っていて、その模様が撮影されているはず。この海岸からは聞こえないが、翔一の裡には千歌が聴かせてくれた、完成したばかりの曲が響いていた。

 確か曲のタイトルは『夢で夜空を照らしたい』だったか。それは気付きを歌った曲。この街が好きだという、千歌が綴った想いだ。

 ふと、翔一は観客の中から見知った顔を見つける。歩いていくと、先方も翔一に気付いて「どうも」と笑みを向ける。

「篠原さんも来てくれたんですか」

「ええ、こういったイベントはあまり無いですからね。せっかくなので」

「佐恵子さんは?」

 その名前を出すと数樹は苦笑を零す。

「今日も湖です。誘ってはみたんですけど、どっぷりと浸かってるもので」

「でも、できてまだ何十年しか経ってないんですよね? あの湖」

 翔一は何の取り繕いもなく告げる。腹の探り合いなんてできる性分じゃないし、こういったことは直球で訊くのが最善な気がした。

「そうですか、知られてしまいましたか」

 ひどく疲れたような声色で数樹は呟く。

「私たちの問題にあなたを巻き込んでしまった申し訳ありません。最初から事情を話すべきでしたが、あなたと会うことが妹にとってプラスになると思って騙していました。ですが、それは失礼でしたね」

 数樹はどこか安堵しているように見えた。これまで背負ってきた肩の荷が、少しだけ降りたような。

「よろしければ、一緒に湖まで来てもらえますか? 全てをお話します」

 

 今日もまた、早朝から夕刻まで佐恵子は湖でダイビングをしている。1日中、途中に休憩と軽食を挟んで湖底から土器の破片を拾ってきて、それを手土産に車で家へと戻っていく。この数日間、涼が見守ってきた佐恵子は同じ行動をとっている。彼女にとってはその湖と家の往復が日常のようだ。

 でも、涼は見てしまった。それは一昨日のこと。まだ佐恵子が来ないうちに湖へ来ると、数樹がボートを漕いで湖の沖合へ向かっている光景を。数樹はいくつかのポイントでボートを停めると、持参していた麻袋の中身を湖の中へ沈めていた。数樹とすれ違いに湖を訪れた佐恵子は、数樹がボートを停めたポイントから土器を拾っていた。

 今日も今日とで、佐恵子は数樹が沈めたものを拾っている。それが超古代文明の遺構と信じて。この湖に聖なる戦士の像が眠っていると信じて。

 太陽が西の山々に隠れた頃、湖畔にクロカン車とバイクがやってきた。ヘルメットを脱いだバイクの運転手が涼に気付くと、「こんにちは」と溌剌とした挨拶をしてくる。確か津上翔一といったか。クロカンの方からは数樹が降りてきて穏やかな、でもどこか罰の悪そうな笑みを向けた。

「丁度いい、君にも説明しなければいけませんね」

「伝説は嘘だった、ということですか?」

 涼は尋ねた。責めるような意図はなく、淡々と。数樹は「ええ」と答えると車のボンネットに腰を預け、

「もう1年半も前になりますか。妹のやつ少しおかしくなりましてね。部屋に閉じ籠ったきり、一言も口をきかないようになってしまって。何とか心を開かせようと努力したんですが、あれは人形のように動かなかった………」

 そこで数樹は湖へと目を向けた。湖ではこちらに気付かない佐恵子が収集した土器を手にして波打ち際まで歩いている。

「そんなある日何の気なしに私はこの湖の伝説を聞かせたんですよ。誰が言い出したのか分からないが、もちろん私はそんな伝説が嘘だってことは知っていました。ここは灌漑用に造られた人造湖なんですから。ところがどういう訳かそのとき初めて、佐恵子は興味を示しましてね」

 ふふ、と数樹は笑みを零す。

「私はもう嬉しくて。これをきっかけに昔の佐恵子に戻ってくれれば……。それから佐恵子は毎日のようにこの湖に通うようになって。あれは、幻想のなかで生きてるんです。幻想を追い求めることで、辛うじて心を保ってるんです」

 何となく、涼は佐恵子の現実逃避が何からきたのかを悟る。

「訊かせてください。佐恵子さんはどうして心を閉ざしてしまったんです?」

「旅行に出掛けましてね。向こうで事故に遭ったのがきっかけらしいんですが」

 どくん、と脈が強くなる感覚を覚える。畳みかけるように、涼は更に問いかける。

「事故?」

「ええ、駿河湾のフェリーボートで」

「フェリーの名前は?」

 数樹は記憶を探るように一旦だけ視線を逸らし、再び涼に戻して答えた。

「確か……、あかつき号とか」

 裡を覆う霞が一気に晴れたようだった。やはり、佐恵子はあかつき号に乗っていた。きっとそこで何かが起こった。父と同じように心を閉ざしてしまうほどの事態に。

「でも、何か変じゃないですか?」

 おもむろに翔一が口を開いた。

「幻想のなかで心を保ってる、ってどうしてそんな必要があるんですか?」

「現実に耐えきれない人間もいる」

 涼が言い放つと、「どうしてですか?」と翔一は澱みのない眼差しで問う。

「こんなに世界は綺麗なのに。ほら、空も雲も、樹も花も虫も、家も草も海も――」

「世界は美しいだけじゃない」

 涼も翔一を見据えて告げる。それでも翔一は腑に落ちないらしく、

「そうかな? そういうのって見方によるんじゃないですか? 幻想のなかで生きるなんて、勿体なさ過ぎますよ」

 そういえば、この青年は記憶喪失だったか。羨ましいな、と涼は思った。何もかも忘れられれば、この世界は穢れのない美しいものという、ある種の幻想を現実と錯覚できるだろう。涼だって無根拠に世界は美しいものと信じていた。空はどこまでも澄み渡り、海はどんな存在でも受け入れてくれるものだ、と。翔一の感性は何も間違っていない。目に映るもの全てが美しいと思えれば幸せだし、万人がそうあるべきだ。

 でも、この世界はそれを赦してくれるほど優しくはない。逃げたくもなるし、神や幻想といった不確かな存在にすがりたくもなる。目の前にいるこの青年はそれを忘れてしまったか、もしくは知らずに生きてきた世間知らずだ。

「佐恵子………」

 そのか細い声に振り向くと、数樹が波打ち際でペットボトルの飲み物を手に休憩している佐恵子を見つめていた。「よし」と駆け出そうとする翔一の肩を涼が掴んで止める。

「余計なことをするな。人間がみんな自分と同じだと思わないほうが良い」

「大丈夫です」

 呑気に笑いながら涼の手を払い、翔一は再び駆け出そうとする。涼は先よりも強く翔一の肩を掴んだ。何かと振り向く翔一の頬に、涼の拳が突き刺さる。地面に転がった翔一は左の頬に手を当てながら、涼を戸惑った目で見上げた。少しばかり興奮したせいか、涼も呼吸が粗くなっている。

 ゆっくりと立ち上がった翔一の目が、かっと見開かれた。ああ、殴られたのは腹が立つだろう。お前の拳も受けてやるさ、と身構えたが的外れだったらしい。翔一はバイクへと走り、急いでヘルメットを被るとエンジンをかけ、アイドリングもせずに湖畔から去ってしまう。

 一体何なのか。ただバイクのエンジン音が小さくなっていくのを聞いているだけの涼に、数樹が言った。

「行きましょう、私たちも。いま佐恵子は自分のなかに潜ってるんです。私たちの出る幕じゃない」

 「はい……」と涼は弱々しく応じる。あかつき号のことをもっと聞きたかったが、本人が現実から逃げているのなら仕方がないし、現実に引き戻す気もない。涼だって父の死を調べることで、現実逃避をしているようなものなのだから。兄の数樹でさえ幻想の世界へと逃がすことで精いっぱいだったのに、涼が佐恵子にどんな言葉をかけてやれるというのか。

 休憩を終えて再び湖に潜る佐恵子を一瞥すると、涼はバイクに跨った。

 

 

   3

 

 住宅街には厳戒態勢が敷かれ、被害者の家を中心として不可能犯罪捜査本部の警察官たちが辺りに目を光らせている。住宅街の市民たちの多くがこの時間帯に外出しているようで、避難誘導は思いのほか早く済ませることができた。何でも内浦のほうでイベントがあるらしく、それの観覧に行っているとか。何にしても、出払ってくれていたほうがこちらとしては助かる。

 誠も警護に参加しているのだが、問題はアンノウンが現れたとしてもG3が改修中で出動できないことだ。これで万が一に死者が出たら北條からの皮肉が――いや、北條の皮肉なんてどうでもいい。職場での立場やユニットの沽券ではなく、市民を守ることを最優先にする。それが警察官である自分の職務だ。

 気持ちを律したところで悲鳴が聞こえた。同時に絶え間ない銃声が。音の方角を向くと、街路樹の陰から黒馬のアンノウンが堂々とこちらへ歩いてくる。警官たちが拳銃を発砲しているのだが、命中している、していないに関わらず黒馬は歩みを止めることなく突き進む。

 馬鹿な。警備網はもっと範囲が広かったはず。どうやって掻い潜ってきたのか。瞬間移動でもしたというのか。

 河野と北條も拳銃を懐から抜くなかで、誠は家へと入った。リビングのなかで、外の銃声に怯えた様子の妊婦は膨れた腹を抱えるようにしてうずくまっている。

「逃げるんです!」

 誠は女性の肩を抱き、靴も履かせないまま外へと連れ出す。

「北條さん!」

 誠が呼ぶと、北條はアンノウンへの発砲を中断して近くに停まったパトカーの後部座席のドアを開けた。女性を先に乗せ、誠も後部座席へと乗り込む。

「早くしろ!」

 傍で銃撃している河野が声を飛ばし、北條が運転席に乗ってサイレンを鳴らしながらパトカーを走らせる。

 

 脳を貫くような戦慄を覚え、涼はバイクを停めた。涼の裡で目覚めた力が、倒すべき敵の出現を告げている。場所は山王湖だと無根拠に悟る。

 涼はバイクをUターンさせ、来た道を引き返しバイクのスピードを上げていく。力が目覚めたばかりの頃は苦痛しかなかったが、逞しいことに人間は慣れるものだ。裡からとめどなく溢れようとする力をある程度だが制御する術を、涼は得ている。

 背後から追ってくるように湧き上がる力を解き放つため、涼は吼える。

「変身!」

 一瞬にして、涼の全身が変わった。あの黒ずくめの青年が「ギルス」と呼んだ姿に。涼の駆るXR250も、ギルスになった涼に合わせるように、深緑のボディへと変身する。マフラーから発せられる排気音はまるで獣の咆哮のように聞こえた。

 解き放った本能のままに、涼は向かうべき場所へとバイクを疾駆させた。

 

 サイレンとパトランプのお陰か、大通りを走行する車は次々と路肩へ寄って道を開けてくれる。時折パトカーの存在などお構いなしというようにふてぶてしく走り続ける車もあったが、ハンドルを握る北條はそれらを追い越し突き進んでいく。どこまで逃げたらいいのかは分からない。アンノウンが諦めてくれるのを待つしかないのか。そもそも、アンノウンは諦めてくれるのか。後者の期待は捨てたほうがいい。

 不意に、車の屋根が鈍い音と共に凹んだ。

 怯える女性に頭を伏せるよう指示しながら、誠は運転席の窓からこちらを覗く黒馬に気付く。黒馬の腕が窓ガラスを突き破り北條へ伸びる。ハンドル操作を妨害されたせいで、路肩に停めてあった車を掠めてしまった。衝撃に体が持っていかれそうだ。踏ん張らなければ外に放り出されてしまう。

 黒馬は次に後部座席の窓ガラスを破る。ガラス片を撒き散らしながら伸ばしてくる腕を振り払いながら懐の拳銃を手に取ろうとするが、車が激しく揺れているせいで体が思うように動かせない。

 体が右へ行ったと思えば、今度は左へと持っていかれる。北條はハンドルを大きく切りながら車を走らせていた。黒馬を振り落とすつもりか。何度車体を大きく蛇行させても、黒馬は一向に落ちる気配がない。まるで洗濯機の中にいるようだ。三半規管が狂い始め、視界が不安定になってくる。

 再び天井から乗ってきた衝撃で、誠は辛うじて意識をはっきりと保つことができた。ガラスがなくなった窓から、パトカーと並走している赤と金色のバイクが見える。バイクはシートに誰も乗せていないのに、バランスを保ったまま走り続けている。まさか、という誠の予感を代弁するように、北條が口走った。

「アギトか!」

 アギトが来てくれれば、勝機はこちらに傾く。北條は蛇行運転をやめて、それでもスピードを緩めないまま走り続ける。ボンネットにアギトが転げ落ちてきた。続けて黒馬も。こともあろうか、両者はボンネットの上で殴り合いを繰り広げた。暴れてくれるせいでフロントガラスに亀裂が蜘蛛の巣のように広がり、殆どの視界を塞がれる。

 北條は大きくハンドルを切った。すぐ何かと衝突したのかパトカーが急停止する。強烈な慣性で体が前へと引っ張られ、シートの堅い骨格にぶつかった肩が軋みをあげる。フロントガラスのまだ亀裂の入っていない部分から、サイドボディがひしゃげた車が見える。路肩に停まっていたものと衝突したのか。鈍い音が聞こえてくる。戦いはまだ継続されているらしい。アギトと黒馬もボンネットから投げ出されたはずだが、ふたりにとってその程度で痛みは感じないのか。

 膨らんだエアバッグを押しのけながら、北條が拳銃を手に車から降りた。

「何をするんですか北條さん!」

「アギトを捕獲するんですよ!」

 誠も車から降りると、北條は戦っている異形たちへ銃口を向ける。「やめてください!」と誠は拳銃を握る手を掴むが、「邪魔するな!」と振り払われる。

「やめろ‼」

 無意識に、誠の拳が北條の頬を打った。倒れた北條の手から拳銃が零れ、それを取ることなく北條は誠へ憎悪のこもった視線を向けてくる。

 こちらの揉み合いなどよそに、アギトのほうも勝負を決しようとしていた。金色の角が開き、足元に紋章を浮かべている。向かってくる黒馬へと跳躍し、突き出した右足が黒馬の胸を穿ちその体躯を蹴り飛ばす。

 ああ、決まった。誠の確信の通りに、地面を転がった黒馬は裡から生じた爆炎に包まれて、その体を消滅させた。

 

 湖で佐恵子が怯えた目を向けたそれは、まるでシマウマのような姿をしていた。涼がバイクのエンジンを吹かすと、音に気付いた敵がこちらへと目を向ける。スピードを緩めることなく、涼は湖の浅瀬にいる敵へと水飛沫をあげながらバイクを走らせ、その彫刻じみた体躯にカウルをぶつけて撥ね飛ばす。すぐさま車体をターンさせ、砂浜に身を伏せる敵へ近付けると浮かせた前輪を容赦なく叩き込む。

 タフなことに、敵はバイクごと涼を押し返してきた。それなりに重量のある車体が脇へと払われ、巻き添えを食らうまいとシートから離れた涼は敵の顔面に回し蹴りを見舞う。重心を崩した敵にすかさず追撃の蹴りを加え、湖へと追いやった。

「ウオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」

 雄叫びと共に、涼の両足から尖刀が伸びた。よろめきながら立ち上がった敵へ跳躍し、その筋肉が盛り上がった肩にヒールクロウを突き刺す。胸を蹴って引き離した敵が湖面に倒れると同時、爆散した敵が辺りに水飛沫と肉片を撒き散らした。

 敵が消滅すると、涼の裡にある闘志は一気に引いていく。元の姿に戻った涼は湖を見渡した。爆発で波紋を揺らす湖面で、佐恵子の体が力なくたゆたっている。佐恵子を中心として湖の水が赤く染まり、それがじわりと広がっていく。

「佐恵子さん!」

 涼は湖面へ飛び込んだ。佐恵子の手が涼の方へ伸びるのが見える。涼は絶えず手足を動かして水を掻き、佐恵子への距離を詰めていく。めいっぱい伸ばした手で佐恵子の手を掴もうとするが、未だに掴めるのは水ばかり。どれ程泳げば届く。もう到達しても良いはずだ。涼は一旦止まり辺りを見渡した。左右前後。揺れる波間のなかにさっきいたはずの佐恵子が見つからない。

「佐恵子さん!」

 涼の叫びは水面の上でしか響かない。偽りの伝説と、偽りに塗れた者が沈んでいく湖の底には、決して届くことはなかった。

 

 

   4

 

 屋上から臨む空はオレンジから不安定な紫へと変わり、やがて藍色へと移ろう。幼い頃からずっと見慣れてきた景色だ。感慨なんて湧かなかったのに、この時の千歌の目にはその光景がとても愛おしく映る。

 故郷を眺めながら、千歌は後ろにいる皆へと告げる。

「わたし、心のなかでずっと叫んでた。助けて、って。ここには何も無い、って」

 地方の田舎町。生活に必要なものは最低限だけで、何も楽しめるものはない。でもそれは表面でしかなかったと、自分には何も見えていなかっただけだ、と17歳になろうとしている頃になってようやく気付くことができた。

「でも違ったんだ。追いかけてみせるよ。ずっと……、ずっと。この場所から始めよう」

 空へと昇っている灯篭たち。あの灯篭を作ってくれた人々の想いが、この街にはたくさん詰まっていた。こんな小さな街でも、多くの人の想いが響き合っていた。あの光のように、もっと高いところへと昇っていこう。

 振り返ると皆が千歌と同じように、期待に満ちた笑みを浮かべている。この仲間がいればきっとわたしは、以前は絶対にできないと思っていたことが今度こそ――

「できるんだ!」

 

 





次章 TOKYO / 父の手掛かり
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