ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第2話

 

   1

 

「結局いつもの服になってしまった………」

 志満の運転するバンの後部座席で、一度家に引き返し私服に着替えた花丸は恥ずかしそうに呟いた。助手席に座る梨子はそんな彼女の装いに、

「そっちの方が可愛いと思うけど」

「本当ずら?」

「ええ。でもその『ずら』は気を付けたほうがいいかも」

「ずら⁉」

 花丸と同じように着替えた千歌とルビィには、そんなふたりの会話などまるで耳に入っていなかった。千歌はそのとき東京に胸を躍らせていたようだが、ルビィには少し前に姉から告げられた言葉がついて離れなかった。

 ――ルビィ、気持ちを強く持つのですよ――

 家を出る直前、ダイヤはルビィに優しく言った。それが何を意味する言葉なのか、全く見当がつかない。臆病なルビィがステージで委縮してしまう、と心配されたのかもしれないが、その予想は浅薄な気がする。

「ルビィちゃん」

 花丸の声で現実に引き戻され、ルビィは隣に座る親友へと視線を向けた。

「マルが『ずら』って言いそうになったら、止めてね」

 花丸には、ダイヤから言われた言葉のことを話していない。でも、彼女は何となくルビィの不安を察してくれたのだと思える。それを直接問うのではなく、普段通りのやり取りを交わすことで、少しばかり緊張が解けた。

 大丈夫、とルビィは自分とダイヤに言い聞かせた。花丸が、皆がいてくれれば何も怖くはない。

「あと、千歌ちゃんが暴走も止めてくれたら助かるわ」

 梨子が溜め息と共に漏らした。「ええ?」と口を尖らす千歌は後方へと目を向ける。

「心配なのわたしより翔一君だよ。初めての東京なんだよ」

 ルビィも後方を見やると、翔一のバイクがバンとの車間距離を保ちながら走っている。

「志満姉、何で翔一くんに一緒に行くよう言ったの?」

 千歌が訊くと、運転席の志満が「ふふ」と含み笑いするのが聞こえた。

「もしかしたら翔一君、記憶を失う前は東京に住んでいたかもしれないでしょ? そうしたら偶然家族や知り合いと会えるかも」

 

 沼津駅前に建つモニュメントの横で、曜はスマートフォンの時刻表示を見て「遅いなあ」と独りごちる。先ほど遅れるという連絡は受けたし時間の余裕もまだあるが、早く来てほしい。隣にいるのと一刻も早くこの場を離れられるように。

「あまつ曇りの彼方から、堕天使たるこのわたくしが、後にて数多なるリトルデーモンを召喚しましょう」

 何だか訳の分からないことを言っているこの自称堕天使は曜よりも早く駅前にいたのだが、その奇異な出で立ちでたちまち自身を中心とした人だかりを作っていた。ゴスロリ調のワンピースはまだ許容できるのだが、問題なのは翼やら羽のファーやら長すぎる付け爪、更にピエロなのかビジュアル系バンドなのか分からない白塗りメイクが人目をとにかく引く。おかげで声を掛けるのがたまらなく恥ずかしかった。

 集まっている人々の多くはこの堕天使もとい善子をスマートフォンのカメラで撮影している。その中に混じって千歌、ルビィ、花丸がにやにやという視線を投げていた。

「善子ちゃんも――」

「やってしまいましたね」

「善子ちゃんもすっかり堕天使ずら」

 「みんな遅いよ」と曜がひと安心している横で、「善子じゃなくて――」と善子が不気味に笑い、

「ヨハネ!」

 いきなり大声を出したものだから、驚いた群衆が一気に散っていく。それでも善子は構わず、

「せっかくのステージ! 溜まりに溜まった堕天使キャラを解放しまくるの!」

 それは好きにして良いが、とりあえずその奇抜なメイクは落としてもらおう。東京へ行く前に通報されないように。

 今度こそ準備が整ったところで、「千歌ー!」と急ぎ足でクラスメイトのよしみ、いつき、むつの3人が走ってくる。

「イベント、頑張ってきてね」

 いつきがそう言って、続けてよしみが「これ」と袋を千歌に差し出した。中に詰め込まれているのは沼津ご当地パンの「のっぽパン」だ。

「クラスの皆から」

 「わあ、ありがとう」と受け取る千歌に、よしみが期待を込めて告げる。

「それ食べて、浦女の凄いとこ見せてやって!」

 千歌は3人に真っ直ぐと眼差しを向けた。自分たちを応援してくれる人々。クラスメイトだけでなく、学校や地域の皆も良い知らせを心待ちにしているだろう。明日には朗報を持ち帰ってくる、という決意が千歌の言葉から見えた。

「うん、頑張る!」

 さて、出発しよう。士気が高まったところで、それを見事に崩してしまうのは一行の保護者だ。

「皆ありがとね。そろそろ新しい野菜育てるからさ、皆にもご馳走するよ」

 そう告げる翔一に3人はただ苦笑するしかなく、曜も張った肩の力が抜けていくようだった。

「それより早く行こう。もう電車来ちゃうよ」

 千歌が翔一の腕を掴み、駅の改札へと向かっていく。「いってらっしゃーい!」というクラスメイト達の声に背を押されるように、曜と他の面々も後に続いていく。

 

 

   2

 

 本来の職務管轄である東京に戻ってきた誠と河野は、千代田区の有楽町駅で電車を降りた。街には出ず隣の新橋駅間を繋ぐ高架下のアーケード通りに入ると、頭上から絶え間なく電車の通る重苦しい音が響いてくる。騒音というほどうるさくないのが、このコンクリートで固められた路地の窮屈さを演出しているようだった。路地の脇には店舗が並んでいるのだが、昼間にも関わらずシャッターが閉じられて人通りも全くと言っていいほどない。

「ここが、高海伸幸の死体が発見された現場だ」

 都市の裏側とも言える暗い通路の一点で、河野は足を止めた。事件の痕跡は当然取り払われていて、何事もなかったかのようにコンクリートの壁には時代を経ての染みが生じている。河野は手帳を開き、

「3年前の5月10日。死亡推定時刻は15時前後。勿論くまなく現場は調べたが、捜査に役立ちそうな遺留品は何もなかった」

「死因は何だったんですか?」

「それがな、どうもはっきりしないんだよ」

「どういうことです?」

「検死報告書によると致命傷になるような外傷はどこにもなかった。ところが内蔵だけがボロボロになっててな。といって何らかの毒物が検出されたわけでもなかったらしい」

 到底有り得ない殺害方法。その響きはすっかり誠に馴染みある。

「不可能犯罪……。それじゃまるで――」

「アンノウンの仕業か? だがな、高海伸幸が殺されたのは3年前。アンノウンが現れたのは最近のことだろ?」

 アンノウンによる殺人が始まった今年の4月から、誠は過去に似たような事件・事故を問わず警視庁と各県警のデータベースを漁ってきた。でも前例と呼べるほどの事件も事故も起こっていない。死体が樹に埋まっていたとか、どこから落ちてきたのか特定できない死体とか、水のないところで溺死した死体とか。強いて前例として挙げるなら、この高海伸幸殺害事件のみだ。

 「それにな」と河野は続ける。

「犯人らしき者についてちょっとした情報があってな。ホシは人間だよ」

 

 駅構内から街へ出ると、そこには内浦でも沼津でもお目にかかれない光景が広がっている。右手ではメイドが通行人に満面の笑顔と共に広告を配っている。左手ではクマのキャラクターとメイドが子供たちと記念撮影をしている。行き交う人々の歩く姿は颯爽としていて、何もかもが輝いて見えた。

「ここが(あまね)く彼の者が闊歩すると言い伝えられる約束の地、魔都・東京………」

 善子の呪文のような文言を横に、千歌たちは秋葉原のビル群を見上げていた。

「見てみて、あれスクールアイドルの広告だよね!」

 ビルモニターに映し出されたプロモーション映像を指さす千歌に曜が、

「はしゃいでると地方から来た、って思われちゃうよ」

 「そ、そうですよね」と東京の街に圧されたのか、縮こまりながらルビィも、

「慣れてます、って感じにしないと」

 確かに。ここは街であってテーマパークじゃない。まだ駅の入口で子供のようにはしゃいでは地方からのお上りさんに見えてしまう。

「本当、原宿っていっつもこんな感じでマジヤバくなーい? ほーほっほ………」

 何となく千歌は都会の女子高生を意識して言ってみるが、これが果たして正しいのか分かっていない。少なくとも違う、と梨子には分かっているようで、

「ここ、秋葉………」

 「てへぺろ」と舌を出して笑うと、冷たい視線を返された。テレビで見た流行の言葉らしいのだが。

 まず、千歌たちは駅から近いスクールアイドルショップへ向かった。その店は千歌がどうしても行きたかった場所で、あまり大きくない店内に入ると同時に千歌は感嘆の声をあげる。

「うわあ、輝くう………!」

 缶バッジにポスターからタオルにクリアファイルといった日用品まで。勿論、伝説と謳われるμ’sのグッズも多く取り揃えてある。できることなら商品すべて買い占めたいが、現実問題として小遣いにも限りがある。宿代と電車賃を残し、何を買うか吟味しなければ。

「時間なくなるわよ」

 店の外で待っている梨子が窘めるように言った。続けて善子も。

「あれ、ずら丸とルビィは? 翔一もいないし」

 

 高いビルが視界に隙間なく並ぶ街並みは、ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で想像できる未来都市そのままの光景だった。道行く人々の何人かはアンドロイドなのでは、と花丸に錯覚させてしまうほどに。

「未来ずら……、未来ず――」

 ぽん、と肩に手を置かれて花丸は我に返る。危うく訛りを出してしまうところだった。止めてくれたルビィに照れ笑いを返すと、そこへ翔一が走ってくる。

「いやあ、探したよ。東京って人多いよね」

 こんなところで道草を食っている場合じゃなかった。花丸は周囲を見渡すが、絶えず人の行き交う街の中に他の面々の姿がない。ルビィが気まずそうに言った。

「はぐれちゃったみたい………」

 ルビィとは真逆に笑っている翔一はというと、

「ルビィちゃんが携帯持ってるんだし、大丈夫じゃない? せっかくの東京なんだし、少し散歩してみようよ」

 本来ならこういった事態を避けるために同行しているはずの翔一も、東京の空気にすっかり呑まれているようだ。さっきの千歌と同じように、翔一は少年のような無邪気な眼差しでビル群を見上げていた。

「どっかにスーパーとかないかな? 東京の珍しい食材置いてるお店」

 

 次に河野に連れられたのは喫茶店だった。街の賑やかさと華やかさから離れつつある銀座の外れにある「ラビット」のドアを開けて中に入ると、レトロという言葉の似合う雰囲気とコーヒーの香りが漂っている。店内の所々に置いてあるウサギの人形は日本の雑貨屋ではあまり見かけないデザインだ。海外からの輸入品だろうか。

「河野さん、久しぶりだね」

 カウンターの奥で、マスターらしき初老の男性が誠たちを迎えてくれる。

「ちょっと出向しててな。久々に来ても相変わらず暇そうだなあ」

 笑いながら言って河野はカウンター席につく。誠も河野の隣に座り店内を改めて見回した。確かに誠と河野の他に、こじんまりとした店内にお客は1組の若い男女しかいない。

「これがうちの良いところですよ」

 河野の軽口をあしらい、マスターは「いつものやつでいいですか?」と注文を取る。「ああ、頼むよ」という短いやり取りから、河野はこの店にプライベートでも通っていたと分かる。

 マスターがドリッパーにお湯を注いでいる間に、河野はドアのすぐ横に置かれている大きな機械のもとへ行く。何かの自販機にも似ているその機械に河野は100円硬貨を入れて、黄ばみのあるスイッチを何個か押す。するとガラス張りになっている上部からレコードが飛び出して、定位置に収まるとノイズ交じりにクラシックギターの音色が聞こえてきた。

「ジュークボックスって言うんだ。見たことあるか?」

「いえ………」

 昔の音響装置か。お客が好きな音楽を流すことができるなんて。自分の知らない時代だが、どことなく落ち着く。

「お待ちどうさま」

 誠と河野の前に、マスターはそっとコーヒーのカップを置いてくれた。ドリップ式で淹れられたコーヒーの香りが鼻孔をくすぐる。くつろぎたいところだが、ここには仕事で来ていることを誠は忘れない。

「では高海伸幸は殺される直前までこの店にいたということですか?」

 「ああ」と河野はジュークボックスから離れて席につき、

「結構なお得意さんでな。よくここで本を読んでいたらしいんだが、当日は連れと一緒だったというのが、マスターの証言だ」

 「連れ?」と誠は尋ねる。マスターは「ええ」と応え、

「あの日のことはよく覚えてますよ。丁度うちが開店10周年の記念日だったんで。まあ例によって暇だったんですけどね」

 そうマスターは微笑を挟み、

「で、最初に来てくれたのが高海先生と連れの方で――」

 「ああほら、あそこの席で」とマスターは手で店内の隅にある席を指し示す。今日は誠と河野以外で唯一の客である男女が座っている席だ。男は猫舌なのかカップに何度も息を吹きかけていて、その様子を向かいに座る女性が微笑ましく眺めている。

「ふーふーしてあげよっか?」

「いらねえよ」

 あまり見ているのも失礼だ。誠はカウンターに向き直り、マスターの話に意識を戻す。

「相手は幼いがとても物腰の落ち着いた女の子でした。最初は何かひそひそ話をしているようでしたが、そのうち口論になっちゃって」

「口論というと? 内容は覚えていますか?」

「そんなことは有り得ないとか何とか、相手の女の子は言ってましたけど………。詳しいことまではちょっと………」

 相手が若い女性であれば、高海伸幸が教鞭を執っていた大学の学生という可能性が持てる。だが少女となるとおぞましい方向へと想像が向いてしまう。まさか妻子を持つ身でありながら裏切りに等しい行為を。いや、まだ決まったわけじゃない。そんな隠すべきものを行きつけの店に連れてくるはずがない。誠は河野へと向き、

「河野さんは、その相手の少女が怪しいと?」

「まあな。まあどこの誰だかまるで手掛かりが無いんだが」

 

 買い物を終えた千歌が店を出ると、待っているはずの皆が誰もいなかった。ひとりずつ連絡を取ってみると、それぞれが別の場所にいるとのことで。

 まず千歌は曜に電話した。

『制服100種類もあるお店があってね。凄いよこのお店!』

 次に善子。

『黒魔術グッズ見たいから。これはヨハネが彼の地に呼ばれたのよ! ライブとかにも使えそうでしょ!』

 次に梨子。

『ちょっと寄りたいお店があって………。本屋さんよ、本屋さんなんだから!』

 最後にルビィ。

『はい、花丸ちゃんと翔一さんも一緒です。ふたりともすっかり楽しんじゃって………』

 次は神田明神でライブの成功祈願に行く、って電車の中で話したというのに。

「もう、みんな勝手なんだから!」

 東京に胸が躍る気持ちは分からなくもないが。何となく家を出るとき梨子に呆れられた理由が分かった気がする。神社の場所は皆分かっているらしいから合流はできるだろうが、果たしてそれぞれの用事が済むまでどれほど待たされることやら。

 千歌はスマートフォンの電車乗り換えアプリを開き、秋葉原周辺の路線図を見てみる。行く予定はなかったのだが、時間が余ってしまうのなら「そこ」へ行くのも良いかもしれない。

 来た道を引き返し、千歌は秋葉原駅へと向かった。

 

 

   3

 

 そこは豊島区の住宅街だった。駅周辺にはそれなりに高層ビルが立ち並んでいるのだが、少し離れれば都会の喧騒から遠ざかった、静かな街が広がっている。

「あれが、高海伸幸が住んでいた家だ。事件以来空き家になっているがな」

 河野が指さした家は、外観でも分かりやすいほどに整備が行き届いていなかった。庭の雑草が伸び放題になっていて、家の外壁にまで(つた)が絡まっている。

「高海伸幸はここから近い大学に勤めていてな。この家を買って単身で住んでいた。沼津の家に帰るのも、年に数回だけだったみたいだな」

 家主を失ってまだ3年しか経っていないというのに、人の手が届かないとここまで朽ちてしまうものなのか。被害者が不可解な死を遂げた以上、この家にも捜査の手が及んだに違いない。でも未だに進展なしということは、事件に関連するものは何も見つからなかったということだ。

 ふと、誠の視線が家の傍を歩く通行人に向いた。そこへ意識が向いたのは空き家であるはずの家に通行人が玄関の鍵を開けて入り、更にその通行人が千歌だったからだ。見慣れた制服じゃなくて私服だったから、危うく気付かないところだった。

「河野さん」

 それだけで誠の意図は伝わったようで、河野は頷き誠の後に続いて家へと歩き出す。

 

 1歩踏み出す度に溜まった埃が舞い上がる。家の中はかび臭く、板張りの床には所々にささくれが生じていた。無理もない。父が死んでからというもの、家は一応高海家の名義となっているが誰も寄り付かなかったのだから。近所で幽霊屋敷だなんて噂されているかもしれない。

 幼い頃に数えるほどしか訪れていないが、家の間取りは記憶通りで千歌は迷わず居間へと入った。ひとり暮らしには少々広すぎるくらいの一戸建て住宅で、父は空いたスペースに観葉植物を置くことが趣味になっていた。今でも放置されたままの植木には幼い頃の面影はなく、茶色く枯れた葉を垂らしている。

 居間にある埃に覆われたテーブル。そこで父は千歌に絵本を読んでくれた。当時の千歌はまだ幼稚園で、美渡が小学生、志満は中学生だったか。千歌が『桃太郎』の全て平仮名で書かれた文章を読み上げると、父は褒めてくれた。

 ――凄いぞ千歌、よく読めたな――

 ――ねえお父さん、おにがしまってどこにあるの?――

 ――さあなあ。でも、意外と近いところにあるかもしれないぞ――

 確かそのとき、美渡が「すぐお隣さんだったりして」と言ってきて、とても怖くなった覚えがある。

 ――こら美渡、千歌を怖がらせるんじゃない。大丈夫だ千歌、お父さんがやっつけてやる!――

 そう拳を握る父は誰よりも大きく見えて、誰にも負けないと信じて疑わなかった。ましてや誰かに殺されるだなんて、考えてもみなかった。テーブル以外にも父にまつわる思い出はある。それどころか、この家自体が父との思い出そのものだ。家を支える、居間の中央に立つ大黒柱。白く塗装された木柱には色とりどりの鉛筆で横線が引かれている。それは父が娘たちの成長を記録した線だ。志満の身長は黒の鉛筆。美渡の成長は青の鉛筆。千歌の成長は赤の鉛筆。

 ――千歌気を付け!――

 ――はい!――

 ――凄いぞ千歌。3センチも背が伸びてるぞ!――

 定規を当てて柱に線を引く父はとても嬉しそうだった。父に今の千歌を見てほしかった。スクールアイドルとしてステージに立つ姿を。

 玄関のあたりから物音が聞こえて、千歌は咄嗟に背後を振り返る。

「河野さん、氷川さん」

 驚きのあまり上ずった声で呼ぶと、ふたりの刑事は所在なさげに会釈する。

「すみません、勝手に入ってしまって」

 律儀に謝罪する誠に「いえ」と返し、

「どうしてここに?」

 その質問には河野が答えた。

「たまには、1から事件を洗い直してみても、良いかなと思いましてね」

「高海さんは、どうしてここに?」

 誠が訊いた。千歌からすれば沼津にいるはずのふたりが東京に来ていることに驚いているのだが、ふたりもまた然りなのかもしれない。

「明日スクールアイドルのイベントがあるので、それで。ここには来るつもりなかったんですけど………」

 父のことを思い出させるこの家を訪ねることに、何の意味があるのか千歌にも分からない。父の死を悲しんでいるという確信を得たいのか。顔も分からない犯人への憎しみを確認するためなのか。正直、犯人に対しての憎しみは千歌の裡に見つからない。顔が分かれば、はっきりと湧き出るのだろうか。それとも憎しみ以外の感情が芽生えるのか。

 悲しみとか犯人の顔とかよりも、千歌が知りたいのは父が殺された理由だ。何故あんなにも千歌を愛してくれた父が殺されなければならなかったのか。その理由が知りたい。

 柱に触れた指の感触に、千歌は「ん?」と眉を潜める。「どうしました?」と誠が訊いて、千歌は違和感を覚えた部分を凝視しながら、

「何かここ、隙間があるような気がして………」

 誠と河野が歩み寄り、柱に視線を向ける。鉛筆とは違う直線が引いてあって、そこの部分が微かに出っ張っている。誠は線を指でなぞり、次に手でみし、と軋みをあげるまで押してみる。誠は居間を見渡すと、近くに放置されていたハードカバーの本を手にする。

「ちょっと済みません」

 千歌が退くと、誠は柱に本を打ち付ける。四角く切り取られた部分が柱から浮き出て、誠は更に本を打つ。柱から手で外すと、上面が開かれたそれは箱のようだった。埃が舞い上がるのも構わず、誠は箱を逆さにして中身を床に出す。

 箱から出てきたのはUSBメモリと、黒いゴムボールのふたつだけだった。

 






 今回はファンサービス的な演出として「とあるふたり」を脇役として登場させたのですが、お気付き頂けたでしょうか?
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