ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 あれおかしいな。分割したのにまた1話の文字量が多くなりましたぞ(笑)。


第3話

 

   1

 

 暗い水の底と光の射し込む水面の狭間を、涼は漂っている。光へ向かい、水中から出て空気を肺いっぱいに吸い込みたい。でもそこへ至るのに体は言うことを聞かず、ただ波に身を委ねるしかない。

「それで、どうなんです彼の容態は」

 両野の弱々しい声が聞こえてくる。意外な声色だった。コーチとしての両野はいつも熱く、でも冷静に涼を指導してくれていたからだ。どんな顔で涼を見ているのだろう。見たくても目蓋が重くて開けられない。目蓋だけでなく、全身が鉛のようだ。それでも嗅覚と聴覚は機能していて、涼は自分がどこにいるのかを把握できる。

 消毒用アルコールの匂い。ぴ、ぴ、と一定のリズムで響く電子音。口元を覆う酸素マスクの感触。きっと病院だ。

「検査の結果が出ないと、詳しいことは分かりません」

 知らない男の冷静な声。おそらくは医者だろう。

「ただ全身の筋肉が発熱し、微かに痙攣を起こしています。何か激しいトレーニングを?」

 「いいえ」と両野は即答する。

「彼は一流の水泳選手です。競技会当日に影響を及ぼすようなトレーニングをするはずはありません」

 両野の言う通り、涼は昨日の練習を早めに切り上げて、家に帰ると指定されたメニューの夕飯を食べて床に就いた。大会直前に無理をしないように、という両野の教えに従い、本番にポテンシャルを最大限発揮できるよう体調管理は万全のはずだった。

 今日、市民プールで開催された水泳競技会は涼が事故から復帰して初めての大会。カムバック戦ということもあり気持ちが(はや)っていたのは否定しない。だが体調はすこぶる良好だった。その涼の体が、競技中に悲鳴をあげた。

 クロールで水を漕いでいる途中、唐突に体が熱くなった。体内で炎が燃え盛っているかのような熱だった。冷たいプールのなかにいながら体温の上昇は止まらず、空気を求めて水面へと手を伸ばしたところで記憶が途絶えている。きっと、そこで意識を失い病院に搬送されたのだろう。

 完治したと思っていたが、事故の後遺症が残っているのか。

 俺は水泳を続けられるんですか。そう聞こうとするも、唇は微かに震えるだけで言葉を紡ぐことができない。両野に気付いてほしい。自分は既に目を覚ましている、と。

 懸命に伝えようとしている涼の手が、ぴくりと震える。両野はそれに気付いてはくれなかった。

 

 

   2

 

 西の空へ傾く夕陽を反射させた海面が、船の軌跡に沿って揺らめいている。尾を引いて内浦湾を泳ぐ小型連絡船のデッキで、千歌は全身の力を抜いて身を縁にもたげさせる。

「あーあ、失敗したなあ。でもどうしてスクールアイドル部は駄目、なんて言うんだろう?」

 その疑問は一緒に乗っている曜ではなくダイヤにぶつけるべき、と理解はしているのだが、あの生徒会長はろくな説明もないままスクールアイドル部は承認不可、という剣幕だった。

 曜はおそるおそる言う。

「嫌いみたい………」

 「ん?」と千歌が視線を向けると曜は顔を背け、

「クラスの子が前に作りたい、って言いに行ったときも断られた、って………」

「え、曜ちゃん知ってたの?」

 通りで、ダイヤを見たときに怯えていたわけだ。「ごめん!」と両手を合わせる曜に「先に言ってよお………」とごちりながら頭を垂れる。

「だって、千歌ちゃん夢中だったし。言い出しにくくて。とにかく生徒会長の家、網元で結構古風な家らしくて、だからああいうチャラチャラした感じのものは、嫌ってるんじゃないかっ、て噂もあるし」

 曜の言葉を聞きながら、千歌は藍色に染まり始めた空を見上げる。1羽のカモメが飛んでいた。地上を歩く自分たち人間とは異なる世界を飛んでいる生物には、自分には到底見えない景色が見えているのだろうか。腕を伸ばし、手がカモメと重なったところで拳を握ってみる。当然、カモメは手中には収まらず、自分が捕まえられようとしていたことに気付かないまま気流に乗って西の空へと飛び去っていく。

 ダイヤは知らないのだろうか。千歌が観たあのグループは、そんな俗なものではないということを。ステージで歌う彼女たちが、世界を照らすかのように輝いていたことを。

 千歌はがらんどうに呟く。

「チャラチャラじゃないのにな」

 

 連絡船の目的地である淡島は、島全域が娯楽施設と言って良い。主とした施設は水族館だが、その周辺にはレストランやホテルも充実していて、リゾート地として観光客が利用している。連絡船が到着すると、千歌と曜は真っ直ぐに船着き場のすぐ近くにあるダイビングショップへと向かった。本日の営業を終えた店のウッドデッキで、ウェットスーツを着た少女が客の使用したらしいウェットを縁に干している。足音だけで気付いたのか、少女は黒髪を纏めたポニーテールを揺らして振り返る。

「遅かったね。今日は説明会だけでしょ?」

 「うん、それが色々と」と曜はその先を言わない。話ならこれからたっぷりと聞いてもらおう。「はい」と千歌はビニール袋を差し出す。

「回覧板とお母さんから」

 「どうせまたミカンでしょ?」と笑いながら穏やかな皮肉を飛ばす少女に、「文句ならお母さんに言ってよ」と千歌は口を尖らせる。この手土産を持ってくる際のお約束なやり取りに、少女は笑みを零した。

 千歌たちがテラスのテーブルに着いても、店主――といっても一時的な代理だが――の松浦果南(まつうらかなん)は腰を落ち着けようとしない。まだ仕事が残っているようで、重そうな酸素ボンベを並べるその背中に曜が「それで」と切り出す。

「果南ちゃんは新学期から学校来れそう?」

 ちゃん付けで呼んでいるが、果南は千歌と曜よりもひとつ年上で、浦の星の先輩にあたる。とはいえ幼い頃からよく顔を合わせていた仲で、学校の先輩後輩という形になっても今更訂正は効かない。それに、3人にとってはこの気兼ねない関係が最も心地いい。

「まだ家の手伝いも結構あってね。父さんの骨折も、もうちょっとかかりそうだし」

 果南は休学中の身だ。父親が交通事故で脚を骨折し、しばらく入院が必要とのことで家が経営する「ドルフィンハウス」を手伝う必要に駆られたからだった。随分と長く学校に来ていないが、出席日数は足りているから進級は問題なくできるらしい。

 「そっかあ」と千歌はボンベの手入れをする果南の背中を見つめる。

「果南ちゃんも誘いたかったな」

 「誘う?」と果南は作業を続けながら問う。「うん!」と千歌は揚々と応える。

「わたしね、スクールアイドルやるんだ!」

「ふーん。でもわたしは千歌たちと違って3年生だしね」

 そう言って果南は屋内へと入っていく。千歌は続ける。

「知ってるー? 凄いんだよ――」

 「はい、お返し」という果南の声と眼前に突き付けられた魚の干物で、千歌の言葉は遮られる。それを見て曜はおかしそうに笑っている。

「また干物?」

「文句は母さんに言ってよ」

 ミカンのお返しは干物というのも毎回のお約束だ。松浦自家製で味も翔一の折り紙付きなのだが、慣れた味は有難みを感じない。

「ま、そういうわけでもうちょっと休学続くから、学校で何かあったら教えて」

 休学中じゃなかったら、もっと粘れるのに。事情から来る遠慮に千歌は言葉を探しあぐねる。果南は手足が長くスタイルがいい。体にフィットしたウェット姿だと、それがよく見て取れる。アイドルとしては申し分ない素質を持っているというのに、勿体ない。

 ばりばり、と空気を割くような音が空から聞こえ、次第に大きくなっていく。「何だろ?」と千歌は曜と共に音の方向を見上げる。ヘリコプターだった。果南はふたりよりも早く気付いていたようで、腕を組みながら淡島の北に敷地を持つリゾートホテルへ飛ぶヘリを視線で追っている。

 果南は何の気なしに言う。それにどんな感情が伴っていたのか、この時の千歌はまだ分からなかった。

「小原家でしょ」

 そこで果南はいつもの余裕ある表情でふたりに向き直り、

「早く帰ったほうが良いよ。お客さんから聞いたけど獅子浜のほうで事件があった、って」

 「事件? どんな?」と曜が聞くと、果南は顎に指を添える。

「それが分かんないんだよね。お巡りさんが結構来てたけど、何も教えてくれなかったらしいよ」

 

 

   3

 

 沼津方面に家がある曜と別れ、ひとりでバスに乗った千歌は三津(みと)海水浴場前のバス停で降車した。大きく伸びをして、とぼとぼと歩き始める。疲れる1日だった。疲労するほどの奔走は報われず、成果は無しだったが。

「どうにかしなくちゃな。せっかく見つけたんだし………」

 自作したチラシを眺めながら、千歌は思わず独りごちる。興味を持ってくれる人がいなくても、学校から承認を得られなくても、諦めきれることじゃない。スクールアイドルとは、千歌が見つけたステージだ。

 流れてくる潮風に頬を撫でられ、何気なく千歌は海岸へと目を向ける。まだ海水浴シーズンではないから、三津海水浴場は人気がない。だから、桟橋で長い髪をなびかせながら立っているその少女の存在は、とても目立って映る。紺色のブレザーはどこの学校だったっけ、と記憶を探っていると、少女はブレザーを脱いだ。「え?」と千歌はその場で立ち止まり呆けた声をあげる。少女は更にホックを外したプリーツスカートを勢いよく下げる。白いブラウスも脱ぎ捨てると、下着の代わりに着ていた紺色の競泳水着が露になった。

「うそ、まだ4月だよ?」

 いくら気候が温暖でも、内浦だって四季のある日本だ。冬は寒いし、春になっても水温はまだ16度前後。あんな保温性皆無の水着で耐えられるものじゃない。長時間浸かっていたら間違いなく低体温症、最悪の場合は心臓麻痺を起こす。

 千歌は鞄を放って走り出す。それに気付かない少女もローファーと靴下を脱ぎ捨てて駆け出した。桟橋の先端へ到達し夕陽の茜色を映す海面へと身を躍らせようとしたその華奢な腰に、追いついた千歌はすがりつく。

「待って! 死ぬから死んじゃうから!」

 「放して! 行かなくちゃいけないの!」と少女は千歌を振り払おうと身を悶えさせる。千歌はより一層腕に力を込める。力が拮抗していて、ふたりは前へと進み、後ろへと下がり、といった様相を繰り返す。前と後ろと引き合った脚が絡まり、千歌の脚が少女の脚を払ってしまった。

 少女の体がふわり、と宙に浮く。やがて重力に従って前のめりとなり、しがみついていた千歌も悲鳴を反響させながら穏やかに揺れる海面へと落ちていった。

 

「翔一君! 大変だよ翔一君!」

 そう叫びながら千歌が帰宅してきたのは、翔一が夕飯の準備をしている最中だった。今朝採れた大根の味を引き立たせるには、やはりふろふき大根がいい。鍋で大根を炊いている間に味噌だれを作ろうと調味料を合わせていた翔一は、全身を濡らす千歌の姿に目を剥いた。

「千歌ちゃん、どうしたのそれ?」

「とにかく早くしないと。あの子震えちゃってるよ!」

「震えてる?」

「いいから早くタオル持ってきて! あとライターと着火剤!」

 緊急事態らしく、翔一は急いで洗面所からバスタオル数枚、台所に戻るとライターとゼリータイプの燃料を持って玄関で水を滴らせる千歌のもとへ持っていく。

「ありがと!」

 荷物を受け取ると、千歌はそれだけ言って飛び出していく。一体何があったのか、全く状況を掴めない翔一はただ千歌の背中を見送るしかできない。

「何があったの?」

 そこへ、聞きつけたのか志満がやってくる。

翔一はただ苦笑を浮かべるしかない。

「いやあ、俺もよく分かんなくて」

 「あっ」と翔一は台所の鍋を火にかけたままだったことを思い出し、急いで戻る。蓋を開けると、切り分けた大根は薄く飴色になっている。

「良い感じじゃないですか?」

 鍋を覗く志満にそう言うと「美味しそうね」と笑って応えてくれるのだが、すぐに不安げに翔一の顔を見つめてくる。

「翔一君、本当に大丈夫? 今日ぐらいご飯は私が作るわよ」

 志満が心配しているのは、今朝翔一に起こった謎の発作だった。あの叫びのような奔流はすぐに治まった。まるで波が一気に引いていくように、叫びは止んだ。特に体調の異変も感じなかったから今日は普段通りに過ごしていたのだが、志満は何度も翔一の体を気遣ってくる。

 翔一はあっけらかんと答える。

「平気ですって。寝てたらかえって落ち着かないですよ」

「なら良いけど、具合悪くなったらすぐに言うのよ」

 志満はそう言って台所を後にする。たれを仕上げよう。そう思いフライパンの上で温めた味噌にみりんをかけようとしたとき、翔一を奔流がなぶってくる。

 それは今朝と同じ見知らぬ誰かの叫びで、翔一は自分のなかで暴れるものを抑えつけようと、両手で頭を押さえつけた。

 

 タオルとライターと着火剤、家の倉庫から引っ張ってきた薪を抱えた千歌が海岸へ戻ると、浜辺でうずくまる少女の唇が血の気のない紫色へと変わっていた。浜辺に転がっていた煤まみれのドラム缶――きっと漁師が使っていたもの――に薪を入れ、着火剤のゼリーを添えるとライターで火を点けた。しっかりと薪に火が燃え渡るのに少し時間はかかったが、その間に千歌はタオルで少女の体を拭いた。

 ぶるぶる、という少女の震えは火の温かみにあてられてようやく治まり、唇にも血色が戻った。

「大丈夫? 沖縄じゃないんだから」

 千歌はそう言って少女の肩に新しいタオルをかける。

「海に入りたければダイビングショップもあるのに」

 多分この辺りの人じゃないだろうな、と千歌は思った。綺麗に畳んだ少女の制服は沼津では見たことのない学校のものだ。

「………海の音を聴きたいの」

 少女はぽつり、と言った。「海の音?」と千歌は反芻する。

「どうして?」

 千歌の問いは空しく波の音に呑まれていく。少女は背を向けたまま体を丸めている。答えてくれそうにない。初対面で名前も知らない千歌には。

「分かった、じゃあもう聞かない」

 そうげんなりと言いながらも、千歌は気になって仕方ない。海に音なんて、吐いた気泡が弾けるくらいの音しかない。

「海中の音ってこと?」

 前言撤回、とばかりに千歌は質問を重ねる。くす、という少女の笑みが聞こえた気がした。

「わたし、ピアノで曲を作ってるの。でも、どうしても海の曲のイメージが浮かばなくて」

 「ふーん、曲を」と千歌は興味を深め、

「作曲なんて凄いね」

 何かを表現することは、何かを生み出すことでもある。まだこの世にないもの、景色、世界を見つめ、それを絵や言葉や曲として視覚的、聴覚的に見聞きできるものとして産み落とす。それは誰も見たことのない境地を見出す先駆者になるということだ。

 「ここら辺の高校?」と千歌は聞いた。少女の逡巡を経ての「東京」という返答は波の音に消えてしまいそうで、耳を澄ましていなければ聞こえなかっただろう。

「東京? わざわざ?」

「わざわざっていうか………」

 口をまごつかせる少女の隣に、千歌は腰を下ろす。東京に住んでいるのなら、知っているかもしれない。

「そうだ、じゃあ誰かスクールアイドル知ってる?」

「スクールアイドル?」

「うん! ほら、東京だと有名なグループたくさんいるでしょ?」

「何の話?」

「え?」

 千歌は口を開いたまま静止させる。千歌がスクールアイドルを知った東京なら、この内浦よりも身近なはず。それなのに、少女はまるで今初めてスクールアイドルという単語を聞いたかのように首を傾げている。ふたりの間に漂う沈黙をすり抜けるように、後ろでバスが通る音が聞こえた。

「まさか知らないの⁉」

 興奮のあまり、千歌の声が大きくなる。

「スクールアイドルだよ! 学校でアイドル活動して、大会が開かれたりする」

「有名なの?」

「有名なんてもんじゃないよ。ドーム大会が開かれたことあるくらい、超人気なんだよ――って、わたしも詳しくなったのは最近だけど………」

 「そうなんだ」と少女は何の気なしに応える。あまり興味が湧いていないらしく、それが申し訳ないように視線を俯かせ、

「わたしずっとピアノばかりやってきたから、そういうの疎くて」

「じゃあ、見てみる? 何じゃこりゃあ、ってなるから」

 「何じゃこりゃあ?」と顔を上げる少女の眼前に「何じゃこりゃ」と千歌はスマートフォンを差し出す。少女は目を細めて画面を眺めた。どう述べようか感想を探るように、

「これが?」

「どう?」

「どうって……、何と言うか………、普通?」

 おそるおそる見上げてくる少女にそう言うと、「ああいえ、悪い意味じゃなくて」と慌てた様子で繕う。

「アイドルっていうから、もっと芸能人みたいな感じかと思ったっていうか………」

 千歌は少女へ背中を向け、海へと視線を流す。別に気を悪くしたわけじゃない。少女に見せた画像のグループは、在籍していた高校の制服を着ていたから当然の感想だ。他にもアイドルらしい可憐な衣装の画像もたくさんあるのだが、千歌にとって彼女らが制服で歌った曲は特別に想い入れのある曲だった。

「だよね」

 「え?」と少女は上ずった声をあげる。確かに彼女らがスクールアイドルと知らなければ、9人でポーズを決めた画像は単なる女子高生の集合写真に見えてしまうだろう。でも、ありふれた制服姿でありながら、ステージに立つ彼女らは違う世界に立っていた。

「だから、衝撃だったんだよ」

 千歌は西の空を眺める。太陽が海へ沈もうとしている方向。世界を照らす、その中心へと。

「あなたみたいにずっとピアノを頑張ってきたとか、大好きなことに夢中でのめり込んできたとか、将来こんな風になりたいって夢があるとか、そんなのひとつもなくて」

 頑張ったと誇れるもの、これは手放せないと熱中できるもの、こうなりたいと願える夢のどれも、千歌は持っていなかった。それはずっと抱いてきた虚無だ。

「わたしね、普通なの」

 幼い頃、小学校低学年から水泳の高飛び込みで才を発揮していた曜を、千歌は観客席で眺めているしかなかった。自分はあの場所にいることはできない。近くにいる親友でも、曜に追いつくことはできない。自分はただの、才能ある人間を羨むだけの、何の取り柄もない普通の女の子。

「わたしは普通星に生まれた普通星人なんだって、どんなに変身しても普通なんだって、そんな風に思ってて。それでも何かあるんじゃないか、って思ってたんだけど。気が付いたら高2になってた」

 口を開けて待っていれば、空から何かが降ってきてくれるんじゃないか。そんな根拠のない期待を捨てきれず、何も行動を起こさなかった千歌のもとには何も降ってはこなかった。ただ日々は淡々と、でも容赦なく過ぎて言って、「普通」のまま千歌は高校2年目の春を迎えようとしていた。

「まず! このままじゃ本当にこのままだぞ! 普通星人を通り越して普通怪獣ちかちーになっちゃう、って!」

 「がおー!」と千歌は大口を開けて少女に迫る。続けて「ぴー! どかーん!」と怪獣ごっこをする子供のようにまくし立て、振り返ると少女はくすりと笑みを零していた。

「そんなとき、出会ったの。あの人たちに」

 それは2ヶ月前、修学旅行で訪れた秋葉原の街でのことだった。

 自由時間に曜と都心のビル街を散策していて、客の呼び込みをしていたメイドから店のチラシを受け取ろうとしたとき、強いビル風が吹いた。メイドの持っていたチラシが撒き散らされて、拾おうと風に運ばれる紙を追いかけ、千歌はそこへ辿り着いた。

 ビルの壁に設置された街頭モニター。その中で制服姿の彼女たちは踊り、歌っていた。

「みんなわたしと同じような、どこにでもいる普通の高校生なのに、キラキラしてた」

 千歌はその曲が終わるまで、チラシの回収を忘れて見惚れていた。アイドルなだけあって、容姿はもちろん優れているほうだった。でもそれ以上に彼女らのダンスと歌は理屈や言葉での説明では物足りないほどに、千歌の心を震わせた。彼女たちの立つステージは千歌の居場所とは別の世界のようで、彼女たちはその世界を照らす太陽のように輝いて見えた。

「それで思ったの。一生懸命練習して、みんなで心をひとつにしてステージに立つと、こんなにもかっこよくて、感動できて、素敵になれるんだって」

 運命だと思った。待ち焦がれていたものとようやく出会えた。自分の行くべき世界。そこから見える景色。彼女たちと同じ場所へ行きたい、と願えるものがスクールアイドルだった。

「スクールアイドルってこんなにも――こんなにもキラキラ輝けるんだって」

 彼女たちの歌とダンス。太陽のような輝きが、千歌の空虚を埋めてくれた。空っぽだった自分のなかに、宝石がどんどん詰まっていくようだった。

「気付いたら全部の曲を聴いてた。毎日動画見て、歌を覚えて、そして思ったの。わたしも仲間と一緒に頑張ってみたい。この人たちが目指したところを、わたしも目指したい。わたしも輝きたい、って」

 普通な自分が、普通でない特別なものになれるかもしれない。彼女たちのように誰かを感動させる人間になれるかもしれない。確証はなくとも、その可能性だけで千歌は熱中できる。目指すところは光。ひいては自分が光になることが、千歌の願い。

「ありがとう」

 少女は穏やかに言った。

「何か頑張れ、って言われた気がする。今の話」

「本当に?」

「ええ。スクールアイドル、なれるといいわね」

 「うん!」と応えて、千歌は遅れて思い出す。そういえば事が事だったから、互いに自己紹介する余裕もなかった。大切な手順を飛ばしてしまった気がする。

「わたし、高海千歌。あそこの丘にある浦の星女学院、て高校の2年生」

 丘の頂に建つ学校を指さす千歌の隣に、少女は「同い年ね」と並ぶ。

「わたしは桜内梨子(さくらうちりこ)

 この出会いが何をもたらすのか、この時の千歌はまだ知らない。出会いに思慕を感じられるのは、少しばかり遅れた後になる。

「高校は、音ノ木坂学院高校」

 ふと、重厚なエンジン音が響いている。千歌と梨子は車道へと振り向いた。十千万の駐車場から1台のバイクが飛び出して、猛スピードで沼津方面へと走っていく。あのVTR1000Fは美渡が学生時代に乗っていて、今は翔一へと譲渡されたバイクだった。買い物かな、と思いながら千歌は翔一が去っていった方向を目で追った。

 この時、千歌は知らなかった。

 もうひとつの運命が動き出していたことに。

 

 


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