ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第4話

 

   1

 

「こんにちは」

 背の高いほうの少女が、よく通る透き通った声で言う。「こ、こんにちは」と返す千歌の声が思わず弱くなった。すぐ隣で「千歌ちゃん?」と尋ねる梨子の声が聞こえる。きっと他のメンバー達も集まっているのだろう。それを確認することなく、千歌の視線はふたりの少女に貼りついて離れない。

「まさか、天界勅使(ちょくし)?」

 善子の頓珍漢な発言に動じることもなく、背の高い少女はこちらの面々を見渡す。

「あら、あなた達もしかしてAqoursの皆さん?」

 素直に肯定の言葉を返すべきなのだが、「え……、嘘。どうして………」と千歌の口からは戸惑いの声しか出ない。

「この子、脳内に直接………」

「マル達、もうそんなに有名人?」

 善子と花丸が口々に言う。背の高い少女は続けた。

「PV観ました。素晴らしかったです」

 そこでようやく、千歌は「ありがとうございます」と返すことができた。でも、目の前のふたりがただのファンとは思えない。

「もしかして、明日のイベントでいらしたんですか?」

「はい……」

「そうですか。楽しみにしています」

 そう言って背の高い少女は歩き出す。結局ひと言も口をきかなかった小柄なほうの少女は後を追う素振りを見せず、しばらくその場に立ったままでいた後に深々と礼をする。

 背の高いほうが千歌たちの横を通り過ぎようとしたとき、小柄なほうは突然こちらへと駆け出してきた。勢いをつけて床に手をつき、側方倒立回転(ロンダート)を決めるとその勢いのまま両脚で跳び上がる。彼女が宙を舞っているのは1秒にも満たなかっただろうが、その瞬間はとても長く感じられた。宙で体を捻る少女が、視線を交錯させたこちらへ不敵な笑みを向けたと認識できるほどに。

 その着地も見事だった。1歩も足を踏み外すことなく、狙っていたかのように背の高いほうの横に足を落ち着ける。

「では」

 背の高いほうが穏やかな口調でそれだけ言うと、ふたりは境内から颯爽と歩き去っていく。

「……凄いです」

 その短い、でも記憶にまざまざと刻み付けられた瞬間を総括するようにルビィが言う。

「東京の女子高生って、皆こんなに凄いずら?」

 のほほん、と言う花丸に善子が噛みつくように、

「あったり前でしょ! 東京よ東京!」

 ふたりの背中が見えなくなっても、千歌は彼女たちの去った方向をずっと見ていた。名前を訊くのを忘れていた。彼女たちは一体誰なんだろう。ただの女子高生じゃないことは確かだ。あのアクロバットもそうだが、何よりも千歌の記憶のなかで鮮明に残っているのは、あの調和の取れた歌声だった。

「歌、綺麗だったな………」

 

 

   2

 

 開発が進行中の都心の中で、Aqoursが予約した和風旅館は異彩だった。街中はお世辞にも空気が良いとは言えないから、畳の香りがとても心地よく感じられる。

「落ち着くずらあ」

 風呂上りで火照った体をうちわで扇ぎながら、花丸がしみじみと言う。この旅館はある程度東京に土地勘のある梨子が紹介したが、宿泊したことはなかったから良し悪しまでは分からなかった。ただ明日の会場とそう離れていなくて、かつ値段もビジネスホテル並の手軽さだったから候補として提案してみただけだ。

「気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」

 髪を梳かし終え、姿見の扉を閉じて梨子はテーブルにつく。思わず目が向くのは曜の恰好。皆はもう浴衣に着替えたというのに、曜はおそらく制服専門店で購入したキャビンアテンダントの制服を着ている。

「何か、修学旅行みたいで楽しいね」

 あなた修学旅行でもコスプレしてたの、と訊きたくなったが、それは善子の挙動に遮られる。

「堕天使ヨハネ、降臨!」

 まだ私服のままの善子も黒魔術ショップで購入した黒いマントを広げテーブルの上に立つ。「やばい、カッコいい………」とご満悦らしい。

「ご満悦ずら」

 はっきりと告げた花丸に善子は噛みつくように、

「あんただって東京のお菓子でご満悦のくせに!」

 行儀の悪い後輩を「降りなさい!」と梨子が窘めると、善子は素直にテーブルから降りた。今度は窓を開けて何やらぶつぶつと呟いているが、面倒臭いから無視しておこう。

 テーブルに置いてあった饅頭をつまみながら曜とお茶を飲んでいると、花丸が鞄からお菓子の箱を出す。

「お土産に買ったけど、夜食用にまだ別に取ってあるず――」

 辺りを見回す花丸の視線が梨子たちに留まる。見てみると、花丸が手にしている箱と梨子たちがつまんでいる茶菓子の箱は同じものだった。「あれ?」と曜がそのことに気付き、梨子も、

「旅館のじゃなかったの?」

「マルのバックトゥザぴよこ饅頭!」

 ふたりで平謝りして帰りに買うから、と花丸をなだめていると、呆れ顔でこちらを見ていたルビィが「花丸ちゃん夜食べると太るよ」と苦言を呈す。

「静かにして! 集中できないでしょ!」

 窓際にいた善子が喚く。花丸も一向に落ち着きそうにないし、どうしたものか、と梨子が思索しているうちに花丸は「もういいずら、食べちゃうずら」とお土産用の包装紙を乱暴に破いて箱を開ける。「駄目よ!」「花丸ちゃん落ち着いて!」と曜とふたりで花丸の饅頭を掴む手を止める。明日はライブだというのに前日にやけ食いなんてしたら。

 もはや収拾のつかなくなった場を静観していたルビィはおもむろに立ち上がって押入れの襖を開ける。

「それより、そろそろ布団敷かなきゃ」

 押入れから畳まれた布団を出すが、ルビィの細い腕に布団は重すぎたようで、おぼつかない足取りで振り返った拍子によろけて盛大に転んでしまう。当然、すぐ近くのテーブルに集まっていた梨子たちも巻き添えを被った。

「ねえ、今旅館の人に聞いたんだけど――」

 丁度そこへ千歌が戻ってきたのだが、目の当たりにした部屋の状況を呑み込めない彼女は「あれ?」と戸惑いの声を漏らした。

 

 6人分の布団を敷いて改まって話を聞くと、千歌が旅館の従業員から知らされたのは、近くに音ノ木坂学院があるとのことだった。千歌にとっては憧れのμ’sが在籍していた高校。梨子にとってはかつて自分も在籍していた高校。

「梨子ちゃん。今からさ、行ってみない? 皆で」

 千歌が期待に満ちた眼差しでそう提案する。

「わたし、1回行ってみたい、って思ってたんだあ。μ’sが頑張って守った高校、μ’sが練習していた学校!」

 憧れの人々がいた場所なのだから、行ってみたい気持ちは分からなくもない。

「ルビィも行ってみたい!」

「わたしも賛成!」

 ルビィと曜も乗り気だ。

「東京の夜は物騒じゃないずら?」

「な、な、何よ。怖いの?」

「善子ちゃん震えてるずら」

 花丸と善子は違うみたいだ。まあ無理もない。昼間にルビィと花丸は怪物に襲われたのだから。今は守ってくれる翔一もいない。

 まるで神社へ参拝に行くような雰囲気だが、実際に通っていた梨子にとって音ノ木坂学院なんて普通の高校だ。生徒がいて、教師がいて、授業と部活動が行われているだけ。神聖なものなんて何もない。

「ごめん、わたしはいい」

 「え?」と皆の視線を受ける。気に留めない風を装い、梨子は立ち上がって布団へ向かう。

「先寝てるから。皆で行ってきて」

 布団に潜り込むと、曜の「やっぱり、寝ようか」という明るい声が聞こえてくる。続けてルビィの「そうですね。明日ライブですし」という声も。

 しばらく布団のなかで目を瞑ったまま何も考えずにいる間、他の皆も床に就いたようで静かになった。虫の鳴き声が聞こえて、時折車の通る音も過ぎ去っていく。

 どれほど時間が経っただろうか。梨子はなかなか寝付くことができず布団から出た。他の皆は気持ちよさそうに寝息を立てている。窓の障子を開けて夜空を見ると月が出ていた。旅館の趣と相まって、なかなかに風情がある。こちらに住んでいた頃は、こうして夜空を眺めることなんてなかった。東京で見る月も良い、と離れてから気付くことになるなんて。

「眠れないの?」

 静かな声と共に、千歌が布団から身を起こす。

「千歌ちゃんも?」

「うん、何となく」

「ごめんね、何か空気悪くしちゃって」

 「ううん」と千歌は所在なさげに笑い、

「こっちこそ、ごめん」

 話して良いものだろうか。梨子の音ノ木坂への想いを。いや、話すべきだろう、と思い直す。千歌は梨子の音楽への想いを汲んだ上で、スクールアイドルに誘ってくれたじゃないか。

 この人ならわたしの、どんな想いも受け止めてくれる。

「音ノ木坂って、伝統的に音楽で有名な高校なの。わたし、中学の頃ピアノの全国大会行ったせいか、高校では結構期待されてて」

「そうだったんだ」

 いくつかの高校からスカウトの声が来て、音ノ木坂を選んだのは音楽室の設備が最も充実しているからだった。ピアノは信頼できるメーカーの上等品で、定期的に調律がされている。何より梨子の音楽活動を優先してくれて、学校が全面的にサポートしてくれるという条件も入学の決め手になった。

 入学当初はピアノに専念できる環境ができたことに胸が躍った。友人だっていたし、学校生活はそれなりに楽しんでいたと思う。でも、それは自分が何故スカウトされたのかを理解していなかったから。優先的に学校のピアノを使わせてもらったのは梨子への期待の表れ。高校でもコンクールに出場し、結果を残して学校の広告塔になってほしい、と。

 

 ――音楽室? ああ、いくらでも使いなさい。桜内さんには頑張ってもらわないとね――

 ――頑張ってね桜内さん。クラスの皆で応援してるから――

 

 教師や級友たちから毎日のように向けられた激励や労いの言葉で、梨子は次第に自分の置かれた立場を理解していった。

「音ノ木坂が嫌いなわけじゃないの。ただ期待に応えなきゃ、って。いつも練習ばかりしてて………」

 周囲の応援は純粋に嬉しかった。自分を支えてくれる人々への恩に報いなければ、と思った。でもそのために練習を重ねていっても、なかなか思うように鍵盤を弾けなくなった。スランプから脱するために練習の時間を増やして、休日には寝食以外の時間を全てピアノに費やした。でも弾く毎に納得のいく演奏ができなくなって。周囲が重圧をかけたせい、と責任を転嫁させたくなくて。でも自分の実力不足を認める勇気も出なくて。

 その頃からだっただろうか。ピアノを楽しめなくなったのは。

「でも結局、大会では上手くいかなくて………」

「期待されるって、どういう気持ちなんだろうね?」

 「え?」と梨子は千歌の顔を見た。この夜に千歌は梨子に不安げな表情を見せる。

「沼津出るとき、みんな見送りに来てくれたでしょ? 皆が来てくれて凄い嬉しかったけど、実はちょっぴり怖かった。期待に応えなくちゃ、って。失敗できないぞ、って」

「千歌ちゃん………」

 あの頃のわたしと一緒だ、と思った。かつて期待を背負っていた身として、梨子は千歌に何かアドバイスをすべきなのかもしれない。でも、何が最善なのか梨子にも分からない。気にしない、なんて無責任に考えられず、ただ重圧を背負ったまま受け流すことが梨子にはできなかった。今だって、スクールアイドル活動でその頃の不安を誤魔化しているだけ。千歌にかけてあげられる言葉が、全く見つからない。

「ごめんね」

 沈黙を破ったのは千歌だった。

「全然関係ない話して」

 「ううん」と梨子はかぶりを振る。こうして互いの不安を打ち明けることができただけでも、少しは肩の荷が降りたのかもしれない。不安なのは自分だけじゃない。そう思えるだけでも十分だ。

「ありがとう」

 梨子の言葉に込めた意味が分からなかったのか、千歌は「え?」と呆ける。梨子はそれ以上のことを言わなかった。この会話がどれだけ有難いか、今の千歌ならそう遠くないうちに理解してくれるはず。

「寝よ、明日のために」

 いくら怖くても明日は必ずやって来る。全力を出すために今できることは、体を休めることだ。「うん」と千歌は応え、布団に横になる。梨子も布団に戻った。虫の音色がまるで子守歌のように、梨子を眠りへと誘ってくれた。

 

 

   3

 

 十千万の朝は随分と早かった。玄関では美渡が宿泊客の靴を並べていて、暖簾を潜った誠に「ああ、いらっしゃいませ」と挨拶してくれた。日を改めて出直そうとしたのだが、美渡は志満を呼んでくれて、多忙であろう志満も嫌な顔せず誠を居間へ通してくれた。

 前日でもアポイントくらいは取っておくべきだった。

 お盆を手にした従業員が宴会場と厨房を行き来し朝食の準備に追われているのを見て、誠はそう思った。

「いつも朝はこんな感じなんですか?」

「これでも暇なほうですよ。ここ最近はお客様も少ないですし」

 アンノウンだろうな、と誠は察しがつく。警視庁はアンノウンの公表をまだ決断しかねているが、市民にはとっくに異形の存在が知られているだろう。志満もきっと、客足が遠のいた原因を察しているはずだ。それを言わないのは、きっと刑事である誠を気遣ってのこと。市民の恐怖を全く取り除けない刑事を前にしても、志満は嫌味など微塵も見せず誠にコーヒーを出してくれる。

「済みません、お忙しいところに突然お邪魔してしまって」

 「いえ、気にしないでください」と志満は誠の向かいに腰かけ、

「それで、今日はどうしたんですか?」

 誠は先日のことを話した。高海伸幸の家で発見された、裏返ったテニスボールとUSBメモリのことを。

「じゃあ、その映像には何も映っていなかったんですか?」

「ええ。志満さんはお父さんの家に行ったことは?」

「何度かあります。でも、隠し棚があっただなんて知りませんでした。それに………」

「ええ、妙ですよね。何故お父さんはUSBをあんな場所に隠しておかなければならなかったのか。お父さんは神話や伝説の研究者だと聞きましたが、具体的にはどんな研究をなさっていたんですか?」

 志満は自分のコーヒーカップに視線を落とし、

「詳しいことは知りません。ただ、古い神話は全てひとつに繋がっている、と言ってましたけど」

 誠は高校時代、よく歴史の教師が自慢げに話していたことを思い出した。色々な国の神話には似通った部分がある。例えば日本神話でイザナギは亡き妻に会うために黄泉の国へ行くエピソードがある。ギリシャ神話でもオルフェウスという吟遊詩人がイザナギ同様に亡き妻に会うため冥界へと行く。

 宗教や民族の数だけ伝説は存在している。それぞれに共通点があり、それら全ての起源を辿ると、やがてひとつの神話へと収束する。高海伸幸の研究とは、全てのルーツとなる神話の祖を突き止めることだったのだろうか。だとしたら、超能力がその研究にどう関係しているというのか。

「志満さん、お父さんに何か特別な力を持っていたということはありませんか?」

 「父がですか?」と志満は少しばかり戸惑ったように誠を見返す。

「いえ、そんなことはないと思いますけど………」

「力を隠していたとか」

 「氷川さん」と志満はまるで諭すように言った。その眼差しに誠は思わず怖気づいてしまう。

「父の事件を捜査してくれているのは嬉しいですけど、超能力なんて信じられません。裏返ったテニスボールだって、初めからそういう風に作ろうと思えば作れるかもしれないですし」

 試しに梨子の力を見てもらおうか、と思ってみる。だが彼女の力を見せて超能力の存在を実証してみせたとして何になるのだろう。ただ志満を論破するだけで、事件そのものは解決しない。仮に高海伸幸がアンノウンに殺害された推理が的中していたとしても、アンノウンなんて不可思議な存在に父を奪われた遺族の空虚は決して埋まらないのだから。

「そんなものは有り得ません」

 志満の断言に、誠は反論することができなかった。コーヒーを飲み干し、「今日は済みませんでした」と頭を下げると、客人を謝罪させてしまったことで罰が悪くなったのか志満は「いえ」と両手を振って、

「私のほうこそ済みません。氷川さんは私たち家族のために捜査してくれているのに………」

「いえ、警察が不甲斐ないばかりに何も進展せず――」

「あなたの責任じゃありません。またいつでもいらしてください。うちは日帰り温泉もやってますので。あとモーニングコーヒーも」

 そう言ってくれる志満の優しい笑顔が、誠の決意を更に強める。この人と、この人の家族が心の底から笑えるよう、この事件を解決させなければ。

「そういえば、津上さんは?」

「翔一君なら畑にいますよ。東京で怪我したみたいなんですけど、本人は平気って全然休もうとしなくて」

 どうやら翔一はアンノウンに襲われたことを言わなかったらしい。もっとも、警察としてはそちらの方が都合の良いことだ。依然として正体不明なアンノウンの存在を市民に告げたところで混乱が生じるだけ。まだ時期じゃない、と上層部は沈黙を決め込んでいる。

 志満の言う通り、翔一は裏庭の畑で野菜の苗に水をやっていた。青々と生い茂る葉の間に、同系色のピーマンが見える。

「津上さん」

 誠が声をかけると、翔一はこちらを振り返りいつもの笑みで迎えてくれる。

「ああ、氷川さんもこっちに戻ってたんですか。やだなあ言ってくださいよ」

 「今お茶でも淹れます」と立ち上がる翔一を「あ、いや」と手で制し、

「そんなことより、どうです? その後体の具合は」

「特に変わりないです。あ、そうだ。今何時ですか?」

 誠は腕時計を見ながら答える。

「8時10分です」

「ということは後6時間で俺死ぬかもしれないんだ。忘れてました」

 「忘れてた?」と誠は水道場へと歩く翔一を追う。昨日もだが、何故そんなにあっけらかんとしていられるのか、まるで理解できない。

「君は怖くないんですか?」

 誠の質問に翔一はジョウロに水を注ぎながら「うーん」と、

「分かりません」

「分からない?」

「俺、何か死なないような気がするんですけど」

 よっぽどの大物か呑気なのか。小沢は翔一のことをそう推測していたが、こうして話すと確信できる。この青年はただ底抜けに呑気なだけだ。自分には平穏しか訪れず、それがほんの一手で崩れることがないと信じ切っている。呑気という言葉じゃ足りないくらいだ。

「何故? 何故そんな風に思うんです?」

「だって、『いま』生きてるじゃないですか」

 そう言って翔一は水道の蛇口を締め、まだ土が濡れていないピーマンの苗に水をやり始める。

「何が言いたいのか分からないな………」

 今この瞬間に生きているからといって、それが続いていくわけじゃない。事故や災害という理不尽から突然命を落とす者だって大勢いる。世の中は人間にそう甘くない。この青年は記憶を失ってこうなったのか、それとも元からこうだったのか。

 「あ、そんなことより」と翔一は実ったピーマンのひとつを摘み取る。

「どうですかピーマン。うちのは無農薬ですから、生でも安心して食べられますよ」

「いや、僕は………」

「ピーマン嫌いでした?」

「いや、嫌いじゃないですが………」

 「あれ?」と翔一は分かりやすいほどに悲しい表情を浮かべ、

「もうすぐ死ぬかもしれない俺のピーマンが食べられないんだ。寂しいなあ………」

 しゃがみ込んで子供のようにべそをかく翔一の後ろ姿は見るに堪えない。

「あ……、いただきます。是非食べさせてください」

 誠が言うと翔一はまるでバネのような勢いで立ち上がり、満面の笑みで「はい」とピーマンを差し出してくる。張りのある青く色付いた実を一口齧ると、無意識に「美味しい」という言葉がこぼれ出た。生なのに苦味も青臭さもない。

「あ、そうだ。ついでに草むしりも手伝ってもらえません?」

「ああ済みません。これから仕事でまた東京に行かなくちゃいけないので」

 「そうですか……」と翔一の声がまた沈む。

「あーあ。もうすぐ死ぬかもしれないのに、死ぬ前に氷川さんと草むしりしたかったなあ………」

 ピーマンを食べる手を止めて振り返ると、翔一はまたしゃがみ込んでいる。こんな姿を見ると本当にこの人は死なないんじゃないか、と思えてしまうが、万が一本当に死なれたら後味が悪い。死なないようアンノウンは必ず倒すが。

「分かりましたやりましょう津上さん」

 スーツのジャケットを脱いで、誠は翔一の隣にしゃがんで肩を叩いた。

「やりましょうよ草むしり。ほらそこの所生えてますよ」

 

 






 氷川さんはAqoursメンバーよりも志満さんとの絡みが多い気がしてきました。

 志満さんは『アギト』の美杉先生の役割なので氷川さんと絡むのは必然的ではあるのですが、男女ということから少しでも気を抜くとロマンスになりそうなので厄介です。

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