ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
始発のバスも出ていない内浦は未だ眠りのなかにいる。道路を走る車は翔一がハンドルを握るワゴン車のみで、歩道にも通行人は全くいない。
「どうだった?」
助手席に座る曜がスマートフォンの画面を確認すると、ちらりと横目で見た翔一が訊いてくる。
「ルビィちゃんも花丸ちゃんも起きてました。今から向かうって」
そう答えると、後部座席にいる善子が「まったく」と呆れたように、
「こんな朝早く起きてるなんてね」
「それは善子ちゃんも同じじゃない?」
「ヨハネ」と強く念押ししつつも、善子は照れ臭そうにそっぽを向く。市街在住の曜と善子は翔一の迎えを要したが、ルビィと花丸の住所なら徒歩で十千万へ行けるだろう。
端末をポケットにしまった曜は翔一に尋ねる。
「翔一さん、梨子ちゃんから聞いたんですよね?」
「うん、誰からも応援されなかったんだよね?」
あっさりと翔一は曜たちにとって酷なことを言ってしまう。悪意がないことは理解しているのだが、この悪意のなさがどこかで誰かの神経を逆撫でしなければいいのだが。
「俺も何かできれば良いんだけど、やっぱりこういうのは皆で話し合ったほうが良いと思ってさ」
皆で話し合ったほうが良い、という提案はAqoursメンバーの中でなく、翔一からもたらされたものだった。早朝から電話が来て十千万に集まろう、と翔一から告げられたときは戸惑ったものだ。まさか翔一がAqoursのことを考えてくれていたことが意外だった。
「千歌ちゃん、夕べはどうでした?」
「何も言わなかったけど、結構落ち込んでたんじゃないかな? お風呂入らなかったし、ご飯も食べなかったから。だから俺心配で夜寝れなくて」
「そんなに?」と善子が訊いた。「うん」と応じた翔一は寝不足など感じさせない溌剌とした調子で、
「だってあの子、どんなに疲れても晩ご飯たくさん食べるからさ。前に学校でマラソン大会あった日なんて――」
「いや、いいわ」と善子は無理矢理会話を打ち切る。自信のある漫談だったのか、翔一は不服そうに首を傾げた。
「でもさ、やっぱり千歌ちゃんには元気でいてほしいじゃない。慰めてあげてよ。俺ケーキ作ったからそれ食べながらさ」
もしかしてケーキを食べさせることが目的なんじゃ、と思ってしまう。理由が何であれ、こうして機械を設けてくれたんだから翔一には感謝すべきだ。もっとも、これから千歌には酷な想いをさせてしまうかもしれないが。
不意に、車が急停止した。歓声で前へと体が押しやられ、シートベルトで押し返される。後部座席で善子も「ぐえっ」と呻いた。
「危ないじゃない!」
善子の文句は翔一に届いていないらしい。まさか、と曜は大体のことを察しながら翔一の横顔を眺める。いつもの笑顔が消えて、不気味なほど無表情な彼の顔が物語るものを。
「ごめん、俺行かなくちゃ」
2
車の陰に隠れながら、果南はただ困惑してその状況を見ることしかできなかった。戦いが繰り広げられている道路に1台のマイクロバスが通りかかったのだが、車体の屋根にはパトライトが付いていて市営の車両とは明らかに趣が異なる。停車するとドアから乗客たちが続々と出てくるのだが、ヘルメットを被りライフルを担いだ出で立ちは単なるバスの利用客でないことは混乱した頭でも理解できた。
規律の取れた動きの乗客たちは数人毎に離れた場所に散らばり、それぞれの配置で1列に並ぶとライフルの銃口を涼と怪物へと向ける。中には銀色の身の丈ほどある盾を持った者もいて、盾に隠れるよう列の後ろに唯一武装していないスーツ姿の男がつく。
涼は自分を取り囲む者たちの存在に気付いていないようだ。彼の赤い両眼には目の前にいる敵しか見えていない。雄叫びをあげながら敵の顔面に拳を浴びせ、脇腹を蹴り上げる。
「涼……!」
車から身を乗り出そうとしたとき、果南の行く先を「松浦さん!」と青い鎧を纏った人物が阻む。
「氷川さん⁉」
またも驚愕が上乗せされた。スーツをしっかりと着込んだ姿しか思い浮かばない氷川誠が、鎧で武装して果南の目の前に現れた。ヘルメットも被っていない丸裸の顔を緊迫で満たし、果南の肩を堅いグローブで覆われた手で掴んでくる。
「ここは危険です、逃げてください」
そんなことをしたら涼はどうなる。あの無数に並ぶ銃口が狙うのは涼と怪物のどちらなのか。嫌だ、離れたくない。あれは人間なんです。わたしの好きな、わがままで弱虫なくせに強がってしまう人なんです。だから傍にいさせてください。あの人を撃たないでください。
そうまくし立てたかったが、絞り出そうとした果南の声は涼の雄叫びにかき消された。
「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」
涼の踵から鋭い刃が伸びる。足を大きく上げ、踵の刃を敵の肩にずぶりと突き立てる。刃渡りは肩から深々と刺された心臓まで届くほどの長さだ。あの生物にも心臓という器官があるらしく、苦しそうに身を悶えさせながら頭上に光輪を浮かべている。空いた足で胸を蹴ると、飛び散った怪物の血が涼の顔にかかった。
道路の中心で爆発が生じる。怪物から発した爆炎はその体を飲み込み、辺りに火の粉を撒き散らして、道路上に燃え移るものがなければ空気中に拡散して何事もなかったかのように消えていく。海に近いからか、爆炎は潮風に流されて怪物のいた痕跡は完全に消滅した。
まるでその時を待ち構えていたかのように、スーツの男が声を張り上げる。
「撃て!」
ばん、と耳をつく銃声が響いた。同時に弾丸が涼の肩を穿つ。間髪入れず銃声が幾重にも鳴り、弾丸を浴びた涼の体から血飛沫が辺りに撒かれる。
「危ない!」
誠が果南を抱き寄せ、流れ弾が当たらないよう現場に背を向ける。状況を見ようと上げた頭は、誠の手によって抑えつけられ堅い鎧のなかに埋もれる。銃声に混じって鈍く不快な音が響いた。涼の肉が弾丸で削がれる音だ。その音がする度に涼の叫びも聞こえる。弾丸の痛みに苦しむ涼の声。体を削ぎ落されていく苦痛の叫びに、果南は誠の腕のなかで震えが止まらなくなる。
銃声が止んだ。誠の力が緩み、彼の腕から抜け出した果南は頭を上げる。
涼は全身を自身の鮮血で濡らしていた。両肩と胸は大きく抉られ、頭の角が片方欠けている。逃げられないよう撃たれた足は爪先がなく、それでも涼は懸命にふらつきながらも立っていた。
全身を撃たれても、屈強に変化した体は死ぬことを拒み、生の痛みに耐えながらゆったりと前進している。どこへ向かおうとしているのか、人間とは異なる造形の目が捉えているものは分からない。自分を襲った狙撃手たちか、まだ生きたいと望む未来なのか。あんな体になっても、涼の本能はまだ懸命に生存しようとしている。
――やめて、もうやめて――
その願いが狙撃手たちに向けてか、涼に向けてか、果南自身にも分からなくなっている。もう涼を傷付けないで。涼もこれ以上苦しまないで。
声にすら出せない願いなど、あっけないほど簡単に踏みにじられる。静寂を破った1発の弾丸が、涼の左胸を穿った。弾の威力で後ろへと反った涼の体が、そのまま制御を失い仰向けに倒れる。
「松浦さん、逃げてください」
立ち尽くしていた果南に誠が促してくる。ずっと見開いたままの目で見上げると、誠は更に声を荒げた。
「逃げなさい、早く!」
びくり、と体が震える。硬直していた筋肉が一気に解けたように、足は意図せずその場から走り去っていく。
まだ目覚めるには早い時間の街には誰もいない。果南の足音と息遣いしか聞こえない。ランニングは普段からしているというのに、フォームは崩れて呼吸も乱れ切っている。それでも果南は走り続けた。あの場から離れれば、元の日常に戻れるかもしれない。ドルフィンハウスに戻って店の手伝いをして、もうすぐ復学する学校へ行き、友人たちと他愛のない会話を楽しむ日々に。
でも、その日常に涼はいない。もう永遠に現れることはない。
その事実がせり上げてきた途端に、足の力が抜けた。走るペースは落ちていき、やがて1歩も進めず道路の真ん中で立ち尽くす。
そこへ1台のワゴン車が対面から走ってきた。見覚えのあるナンバーだ。停止した車の運転席から出てきたのは十千万に居候している気の良い青年で、彼は困惑した表情を浮かべながらこちらに駆け寄ってくる。
「果南ちゃん?」
何で翔一がここにいるのか、なんて果南は全く疑問を抱いていなかった。ただ悲しみのみが裡を満たし、翔一を前にして涙が溢れ出る。
「ちょ、どうしたの? 果南ちゃん?」
シートから降りた翔一が、崩れるように膝をついた果南を支える。目の前にいる翔一の顔は涙で見えなくなり、声も認識できなくなった。
涼が死んだ。
今度は離さないと決めたのに。これからはふたりで生きていけると思っていたのに。もうあの手の温もりは感じられない。世界は涼という異物の存在を許さず、果南だけが取り残されて何もかもが手遅れになった。
もう、どうしたらいいのか分からない。ひとりぼっちになった恐怖に立ち向かう術すらも見出せず、果南は泣きじゃくることしかできなかった。
ガードチェイサーへと走り、誠はシートに置いてあったG3のマスクを顔に被せた。マスクが誠の網膜を認証し、後頭部のカバーを閉じる。Gトレーラーにシステムがフル稼働状態に入ったことが伝達されたのか、すぐさま小沢の声が入ってくる。
『氷川君、松浦果南は?』
「無事に避難しました」
誠は先ほどまで銃撃の渦中にあった道路へと目を向ける。地面に横たわる生物を隊員たちが囲んでいた。まだ警戒を緩めず、銃口は未だにその生物の顔面へと向けられている。
北條はそんな生物の傍から異形の存在を見下ろし、
「やったか?」
血は大量に流れているが、死んでいるかは分からない。顔面が人間とは全く異なるのだから、外見から生死の判別がどうにも付き辛かった。隊員のひとりが生物の顔面にサイレンサーを装着したライフルの銃口を近付ける。
ライフルのバレルが、突然緑色の手に捕まれた。隊員は引き金に指をかけたのだが、生物にぐしゃり、とバレルを握り潰されて発砲を断念する。暴発を防いだその判断は流石機動隊といったところか。銃を潰された隊員が食らったのは跳ね返る弾丸ではなく生物の蹴りで、口から唾を吐きながら突き飛ばされる。
立ち上がった生物に他の隊員が銃口を向けるが、それもまた握りつぶされ、また蹴りや拳を受ける。生物が動く度に、その体からからん、と乾いた音と共に弾丸が零れ落ちた。暴動鎮圧に用いられる非致死性のものではなく、貫通性を高めるため先端を尖らせたライフル弾だ。北條の容赦のなさを物語る弾が、生物の強固な筋肉に押し返されるよう地面にばら撒かれていく。
『GM-01アクティブ! 目標を迎撃!』
小沢の指示を受け、誠はガードチェイサーの武装ハッチから銃を取る。
緑の生物は隊員たちの殆どをねじ伏せていた。離れた場所にいる隊員たちも、同士討ちを怖れてか発砲する気配がない。生物は北條を守る隊員の構える盾に拳を打ち付ける。鈍い音と共にジュラルミン製の盾がひしゃげ、衝撃に耐えきれなかった隊員も倒れる。
守りを失った北條は懐から出した拳銃を向けたが、それはあっけなく手で払われ首に手をかけられる。身動きを封じられた北條に生物が空いた拳をめきめき、と骨が鳴るほど強く握る。
その拳が北條の顔面に迫った瞬間、射程距離に達した誠の手が寸前で掴んだ。一瞬でも遅れていたら、北條の顔面はスイカを割ったように砕かれていたことだろう。
生物を押しやり北條から引き離す。拳を向けてきたが、銃創が堪えたのか動きが遅い。避けると同時に背後へ回り込み羽交い絞めにする。
「逃げてください、北條さん!」
北條は苦虫を噛み潰したように顔を歪めている。あまり気分のいい顔ではないが、怪我を負っていないということ。北條が走り去ったことで気が緩んでしまったのか、生物に拘束を解かれた。肘を胸に受け、衝撃の大きさに誠はごほっ、と咳き込む。緑の手が首に伸びて、喉を潰される前に誠も相手の手首を捻り抵抗する。
「お前は、アギトではない………!」
至近距離で見ると、生物に刻まれたはずの創傷が見えない。抉られた肩は元通りになっていて、欠けた片方の角も伸び始めている。まさか治癒しているのか。この短時間で。
アギトに似ているが、明らかに目の前の生物はアギトではない。かといってアンノウンでもない。何だこいつは。何故こんなものが。生物は応えない。言葉を持っていないのか、咆哮で空気を震わせる。
「ウアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」
みしみし、と頸部パッドが悲鳴をあげ始めた。関節部分の装備は動きを阻害しないよう、どうしても脆弱になりがちだ。誠は右手のGM-01を生物の腹に向けトリガーを引く。たった1発だが、弾丸を受けた生物が後ろへと追いやられた。
銃を構え直し、更に発砲する。最初こそ生物はこちらへ迫ろうとしてきたのだが、間髪入れずに発射される弾丸を胸に受けて呻き声をあげながら後退していく。
更に撃ち続けた。足元に排出された薬莢が溜まり、比例して治りかけていた相手の胸に再び創傷が刻まれていく。堪えかねたのか、生物は胸を押さえつけながらおぼつかない足取りで走り出す。
地面に血を垂らしながら去ろうとするその背中に、誠はGM-01の銃口を向ける。足を撃って動きを封じた上でGG-02のグレネードを撃ち込めば息の根を止められるかもしれない。でも、あの生物をこの場で倒してはいけないような気がする。
アギトではない別の存在。だがあれもまたアンノウンと戦う存在なら、もっと知る必要がある。アンノウンが現れれば、アギトと同じように再び現れるかもしれない。
全身が焼かれているようにも、刺されているようにも感じられた。傷ついていない所など無いかのでは、と思えるほどに。痛覚の他には足を動かしているという感覚しかない。もしかしたら疲労しているのかもしれないが、それは痛みに塗り潰されている。
徐に後ろを見やると、狙撃手たちが追ってくる気配はない。安堵したせいかふ、と脚から力が抜けて、涼は前のめりに倒れた。血はもう流れていない。もしかしたら、体内の血を全て流しきってしまったのかもしれない、とおかしな事を考えてしまう。
もう起き上がる力も出せない。それでも涼は地面を這って進もうとした。逃げなければ。また撃たれるかもしれない。体を持ち上げようとした腕が一回りほど細くなり、元の肌色を取り戻す。腕の力も抜けて、涼はアスファルトの地面に頬を擦り当てる。
もう痛みは感じない。さっきまで体中を駆け巡っていた熱も。どくん、という自身の鼓動のみが聞こえる。それもまた弱く、間隔が長くなっていく。
脳裏に果南の顔がよぎり、彼女は無事に逃げられただろうか、と思い出す。まだ幸せだった頃、水泳のみに打ち込んでいた頃に出会った、まだ幼さが色濃かった彼女が涼に笑いかける。
果南、昔はああいう風によく笑っていたよな。正直、また会いに行ってお前に嫌な顔されたときは堪えたよ。あかつき号のことを訊きたかったのは嘘じゃないさ。でも、本当はお前に会いたかったんだ。またあの頃みたいに笑ってくれたらな、って期待してた。だから、俺の手を握ってくれたときはとても嬉しかった。お前とふたりで生きていけるのなら、こんな体になったことも受け入れることができる。お前を奴らから守るために、俺は戦うことができる。たとえ命が長くなくても、残された時間をお前が傍にいてくれるなら、絶対に幸せな人生だった、って肯定できる。
この気持ちをお前に伝えるにはどうしたらいいだろうな。また店に行けば、お前はいるかな。ああ、またお前と海に潜りたいな。
まだ、死にたくないな――
3
目が覚めて梨子が最初に感じたのは、頬に当たるピアノの冷たさだった。自室でぼう、っとしているうちに眠っていたらしい。服も着替えていないから生地の吸った汗の匂いがした。
バルコニーに出てみると、厚い灰色の雲が空を覆っていた。これでは朝陽がどれほど昇ったのか分からない。朝の早い十千万が静かだから、目覚めるにはまだ早い時間帯なのかもしれない。
ふと海のほうへ視線を向けると、海岸へと歩く人の姿が見えた。梨子と同じように昨日と同じ服のまま。
「千歌ちゃん………?」
梨子はすぐに家を出て海へと走った。三津海水浴場はそれほど大きくないから全域を見渡せるのだが、砂浜のどこにも千歌の姿がない。まさか、彼女がそんなことをするはずがない。そう自身に言い聞かせるも、この空と同じ灰色の海は何もかも飲み込んでしまいそうで、彼女の熱も夢も深い底へ消えてしまいそうな恐怖が込み上げてくる。
「千歌ちゃーん!」
波の音に向かって梨子は叫ぶ。海中に音は届きにくいが、それでも呼ばなければならなかった。この波の奥から呼び戻さないと絶対に後悔する。何度も梨子は呼び続けた。
「千歌ちゃーん!」
飛沫のあがる音が聞こえた。浅瀬のところで全身を濡らした千歌が普段通り何の気なしに、
「あれ、梨子ちゃん?」
安堵と呆れで、背筋が曲がるほどの溜め息が出た。深刻に考えすぎた自分が馬鹿みたいだ。
「一体何してるの?」
訊くと千歌は「え、ああ……」と、まるで裡を探るようにして言った。
「何か視えないかなあ、って」
「え?」
「ほら、梨子ちゃん海の音を探して潜ってたでしょ? だからわたしも何か視えないかなあ、って」
もしかしたら、梨子が海の音を聴こうとしたときも、今の千歌と同じように見えたのかもしれない。確かに今思い返せば、知らなかったとはいえ春の海に水着で入るなんて危ない。
「それで?」
訊くと、こちらを振り向いた千歌はあの日のことを思い出したのか笑みを零した。
「それで、視えたの?」
「ううん、何も」
「何も?」
「うん、何も視えなかった。でもね、だから思った。続けなきゃ、って」
それは、昨晩に曜から投げかけられた「辞める?」という問いへの答えだった。
「わたし、まだ何も視えてないんだ、って。先にあるものが何なのか。このまま続けても、ゼロなのか1になるのか、10になるのか。ここで辞めたら全部分からないままだ、って」
続けた先に待っているものが成功とは限らない。高みへと昇るのか、それとも今よりも深い絶望へ落ちていくのか。可能性は五分五分。いや、昨日の結果から後者のほうへ傾いているのかもしれない。それでも千歌は続ける、と言っている。止まってしまえば永遠に夢の果てに視えるものが分からないから。
「だからわたしは続けるよ、スクールアイドル。だってまだゼロだもん」
誰だって絶望は辛いし感じたくない。避けられるものなら避けて通りたい。ここで止まれば先に待っている絶望から逃れられるのは確実だ。同時に希望が潰えるのも。
「ゼロなんだよ。あれだけ皆で練習して、皆で歌を作って、衣装も作ってPVも作って。頑張って頑張って皆に良い歌聴いてほしい、って。
今まで重ねてきたもの。重ねてきたつもり、と言うべきなのかもしれない。Aqoursとして活動してきたことは、何も積み重なってはいなかった。その事実が結果として無慈悲に告げられた。体を酷使したダンスレッスンも、喉を潰しそうになった歌唱レッスンも。衣装やPVを制作した手間も時間も。そして何より根底にあった願いすらも。
「スクールアイドルとして輝きたい、って………」
千歌は両の拳で自らの頭を叩いた。裡の痛みをリアルに体感しようと試みているように見えた。その口調が激しくなる。
「なのにゼロだったんだよ、悔しいじゃん! 差があるとか昔とは違うとか、そんなのどうでもいい!」
他のグループはラブライブ決勝まで進んでいた。μ’sの頃よりもスクールアイドル全体のレベルが高くなった。それもまた事実ではある。でも、千歌の裡にあるものの根源はそれらではなかった。最下位だったことではなく、誰からも票を貰えなかったこと。誰かを笑顔にするためのスクールアイドルなのに、誰も笑顔にさせられなかったことだった。
「悔しい……! やっぱりわたし……、悔しいんだよ………」
俯いた千歌の目元から雫が落ちた。梨子は服が濡れるのも構わず海へ入り、千歌を後ろから抱きしめる。
やっぱり、千歌ちゃんも悔しかったんだ。その安堵が梨子の裡を満たす。皆が全員悔しかったはずだ。全力を出してゼロだったのだから。今までの努力が努力とみなされず、切磋琢磨してきた時間の全てが無駄だ、と断じられてしまったのだから。
でも千歌だけは悔しさをおくびにも出してくれなくて。普段明るい千歌は本当に悔しくないんじゃ、もしかしたら満足しているんじゃ、とすら思った。そんな彼女が自分と同じ気持ちを抱いていた。無理矢理にも飲み込もうとしたものを吐き出してくれた。それがとても嬉しい。
「良かった……、やっと素直になれたね」
悔しい、という言葉を待っていた。わたしはそれを聞きたかった。
「だってわたしが泣いたら、皆落ち込むでしょ。今まで頑張ってきたのに、せっかくスクールアイドルやってくれたのに、悲しくなっちゃうでしょ。だから……、だから………――」
自分が始めたことだから。自分の夢に皆を巻き込んでしまったから。
そうやって千歌は自分を制していたのだろう。前だけを見ているようで隣も見ていて、時には後ろも見てしまう。全部を抱え込むのに千歌の体ではちっぽけで押し潰されてしまう。
「馬鹿ね」と梨子は抱擁の手を離し、
「皆千歌ちゃんのためにスクールアイドルやってるんじゃないの。自分で決めたのよ、わたしも」
確かに勧誘はしつこかったけど、最終的に決めたのは梨子自身だった。梨子だけじゃない。「おーい!」という声が砂浜から聞こえて振り向くと、梨子と千歌と同じように昨日の服のまま集まった皆がいて、その中で曜が手を振っている。
「曜ちゃんも、ルビィちゃんも、花丸ちゃんも、勿論善子ちゃんも」
趣味も個性もまとまりのない面々ばかりだ。でもきっと、皆どこかできっかけを求めていたのだと思う。自分を納得させようとしたり、気付かない振りをして目を背けたり。
皆だってそれぞれが輝きを探していた。一緒に探そう、と手を差し伸べて、きっかけを与えてくれたのが千歌だった。だから悔しいに決まっている。こうして同じ気持ちを抱いて分かち合える。
「でも………」
「だから良いの」と梨子は千歌の手を握る。
「千歌ちゃんは、感じたことを素直にぶつけて。声に出して」
皆も海へと入り、梨子と千歌のもとへ集まる。千歌は確かめるように、皆の顔をひとりずつ眺めた。千歌は知るべきだ。悔しいときも一緒にいてくれる仲間がいることを。
「皆で一緒に歩こう。一緒に」
もう全部ひとりで抱え込もうとしないで。悔しさはあなただけのものじゃない。わたし達皆のものなんだから。皆で分け合おう。あなたがわたし達の想いを受け止めてくれたように。
千歌の目から更に涙が溢れた。まるで赤ん坊のように大声で泣き出す。千歌が心配したような、悲しい気持ちなんて梨子は沸かなかった。千歌の気持ちが伝播したのか、梨子の頬にも涙が伝う。梨子だけでなく他の面々も。その涙の暖かさが愛おしい。ようやくAqoursがひとつになれたような気がして。
「今からゼロを100にするのは無理だと思う。でも、もしかしたら1にすることはできるかも。わたしも知りたいの、それができるか」
ゼロからの1。たったの1でも、踏み出せたら更に進んでいけると思える。1歩ずつ、前進していけばいい。
ひとしきり泣くと、千歌は笑って「うん」と頷いた。今からでも遅すぎるなんてことはない。ゼロなら、そこから始めればいい。何もないのなら、これからは得るものの方が多いはずだ。
空から光が射し込んでくる。見上げると厚い雲が割れて、太陽が世界に光をもたらした。千歌は太陽を見上げる。自分の、自分たちの目指す輝きの象徴へと。
まずは第1歩を曜が告げた。
「さ、戻って翔一さんのケーキ食べよ」
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