ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第4話

 

   1

 

『実はお見せしたいものがあるんです。主人と息子が殺された事と、関係があるかどうかは分からないんですけど』

 通話越しの佐伯安江の声は、少し震えていたように誠は記憶している。連絡を受けたのは夕刻で、過去に類似した事件がないか署のデータベースをチェックしている時だった。収穫が無くて諦めようとした矢先での連絡は、迷うことなく誠を快諾させた。

 すぐに準備をして待ち合わせの公園に向かったのだが、到着した頃には既に陽が暮れていた。夕陽が空を茜に染める時間は短い。まだ西には茜の残滓が残っているが、あと10分程度で完全に夜の闇を映すだろう。数少ない遊具で遊んでいたであろう子供たちも家に帰り、静まり返った公園はどこか不気味だった。植えられた桜の樹は花を咲かせているが、朧気な街頭に照らされた樹木は公園に現れる魔物のように見えてくる。それほど公園は広くもなく、いくら暗くても安江はすぐに見つかるだろう。ひとまず敷地を一周してみたのだが、人気がまったくない。まだ安江は来ていないのか。

 しばらく待ってみよう。そう思い公園に設置されている唯一のベンチへと歩く誠の視線が、散った薄紅色の花弁が積もる地面の一画で留まる。花弁を敷物のように、女性もののハンドバッグが鎮座していた。誠は駆け寄りバッグを拾い上げる。

「佐伯さん」

 嫌な予感がして、誠は夜へ染まろうとしている周囲に呼びかける。応える者はなく、誠の声は宵闇のなかへと吸い込まれ、彼方へと消えていく。誠は視線をやや上へと移す。静かに、動くことなく立ち並ぶ樹木はどれも空に向かって枝を伸ばしている。誠の視線が止まった先で、1本だけ枝がだらりと垂れ下がっている。誠は目を凝らす。

 ぶらりと下がったもの。それは枝ではなかった。

 春物のコートに袖を通した、人間の腕だった。

「佐伯さん!」

 驚愕こそしたが、誠の意識は即座に警戒へと移った。犯人がまだ近くにいるかもしれない。ジャケットの内ポケットからM1917リボルバーを取り出し、周囲に険しい視線を這わす。

 安江の埋まった樹の根本で、背の低い常緑樹がかさかさ、と音を立てた。駆け寄り銃口を向けようとしたとき、横から何かがぶつかってくる。不意打ちに対処しきれず誠は地面に身を伏した。すぐに起き上がろうとしたのだが、上体を起こしたところで誠は視界に入った「それ」に目を剥き、呼吸するのも忘れてしまう。

 「それ」は人のようであって、獣のようでもあった。

 一瞬は被り物だと思った。犯罪者が雑貨屋で売っているマスクで顔を隠すのはよくあることだ。でも目の前にいるジャガーの顔をした「それ」はゴムやシリコンでは出せない肉の質感が見て取れる。被り物とするなら、本物のジャガーの皮を被っているようだ。

「貴様の仕業か!」

 ようやく体の緊張が解けて、誠は声を飛ばす。人の言語が理解できないのか否か、「それ」は何も答えず獣の呻きを漏らしながら誠の喉元を人と同じ形の手で掴んでくる。片手で首を持ち上げられながら、誠は冷静さを失わず「それ」を分析する。体は人間と同じだ。盛り上がった筋肉はダビデ像のような理想的な肉体美を湛えている。

 「それ」は無造作に誠を投げ飛ばした。体重が60キロ以上ある誠の体を片手で。受け身も取れず無様に着地する誠には一瞥もくれず、「それ」は踵を返して暗闇の中へと潜り込んでいく。そこで誠はようやく、夕陽の残滓すらも消えて完全な夜が訪れたことに気付いた。

 懐からスマートフォンを取り出し、素早く通話モードにして耳に押し当てる。すぐに小沢の声が聞こえた。

『氷川君、どうした?』

「現在謎の生物に遭遇。G3システムの出動をお願いします!」

 「きたきたきた!」と小沢の嬉しそうな声が聞こえるが、文句を言っている暇はなく誠は通話を切った。本来なら対テロ用の装備として開発されたG3を謎の生物への対処という形で運用するなど、警視庁幹部が簡単に許可を出すとは思えない。しかも、まだ試作機のG3システム運用は世間に公表されていない。世に出すには早すぎる段階だ。でもあの小沢澄子なら、許可が下りる前に強引に出動へと乗り出すだろう。複雑だが、そんな逞しい彼女への信頼があった。

 誠は暗闇へと乗り出す。謎の生物は慌てる様子もなく悠然と歩いていたからすぐに見つけることができた。その背広筋が盛り上がった背中にM1917の銃口を向けトリガーを引く。外れたのか。耳をつく銃声を意に介さずこちらを振り向く生物を見て、そう判断せざるを得ない。照準を頭に定め、再びトリガーを引く。

 今度は正確だったらしい。らしい、というのも発射された弾丸が謎の生物の眼前で静止し浮いているのが見えたからだ。もし止まっていなければ、間違いなく目標の顔面を吹き飛ばしたはず。しかし弾丸は目標の頭蓋を貫くことなく、まるで共振動を起こしたかのように砕け宙に霧散していく。

 「なに……!」と呆然と声をあげる誠に背を向けて、謎の生物は走り出した。とても人間の筋力が出せるようなスピードではなく、追跡を試みるもすぐに引き離されて夜の静けさへと逃げられてしまう。誠は進路を変え、大通りへと向かった。近づくにつれてサイレンの音が聞こえてくる。街路樹の通りを抜けて舗装された道路へ出ると、丁度赤いパトランプを光らせる大型トラックが到着したところだった。

 警視庁のエンブレムが刻まれた、G3装備一式とオペレーティングシステムが積載されたGトレーラー。装着員がひとりに限られている制約上、自由に動けるように設計された拠点。調整のために本来の持ち場である東京を離れ、整備施設のあるこの沼津に移っていたのは不幸中の幸いと言うべきか。

 誠が乗り込んですぐにトレーラーは発車した。カーゴに移ると誠は急いで衣服を全て脱ぎ捨てる。G3のインナースーツには、装着員のメディカル情報を採取するための信号素子が張り巡らされている。だからたとえ肌着一枚でも誤差が生じてしまう。黒のインナースーツで首から下を覆い、脚部、次いで胸部装甲を身に纏っていく。ひとりでは手の届かない部分のユニットは小沢と尾室が手伝った。背中のバッテリーパックの残量を示すバックルを腰に装着した後、最後の仕上げとして小沢がマスクを誠の顔に当てる。網膜認証のセンサーが眼球を読み取ると、マスクのディスプレイ上にロゴが表示される。

 認証 装着員:氷川誠警部補

 開いた後頭部がカバーに覆われた。小沢から警棒を受け取ると、マスクに搭載されたカメラとオペレーションモニターの中継を確認した尾室が「装着完了」と告げる。誠はカーゴに佇むバイクに跨り、欠けた右ハンドルに警棒を射し込む。計器類が点灯し、スタータースイッチを押すとエンジンが駆動した。背後でごおん、という音がする。装備で全身を覆われているから感じ取れないが、開いたハッチから風がカーゴ内に吹き込んでいることだろう。小沢がPCのキーを叩くと、ハンガーごとバイクが後ろへと追いやられ、トレーラーから道路へと伸びたスロープの上に乗ったところで停止する。

「2123、G3システム戦闘オペレーション開始」

 小沢が告げると、尾室が壁に設置されたレバーに手をかけ、

「ガードチェイサー、離脱します」

 ハンガーのロックが外された。バイクは重力に従い、後ろ向きのままカーゴから吐き出され、路面へと降りていく。車体のバランスが取れた頃を見計らい、誠はG3専用ビークルとして設計されたガードチェイサーのアクセルを捻り、Gトレーラーを追い越して宵闇へと走り出す。

 

 

   2

 

『沼津港付近に高速で移動する熱源あり』

 マスクのスピーカーから尾室の声が飛んでくると同時、視界のディスプレイ上に港への最短ルートのマップが送信されてくる。地図の案内に従い、誠はサイレンを唸らすガードチェイサーを向かわせる。

 熱を持つということは、あれは生物なのか。G3のコンピューターが視覚補正し暗がりに隠れた街をヴァーチャル表示するなか、誠は考える。あんな生物がいつ、どこで生まれたというのか。ジャガーが人間のように二足歩行し、長い時代をかけて進化を遂げた姿だというのか。自力で進化を遂げたには、いささか完成度が高すぎるような気がした。何せ造形が完璧すぎる。

 まるで、神が最高の形として創り出したかのように。

 港に近づいたあたりで、G3のセンサーが目標を捉えた。目標は走っていた。時速60キロを越えるガードチェイサーとほぼ互角の速度で。

「目標を確認。接近します」

 『了解』と小沢が応える。誠はガードチェイサーのスピードを上げ、謎の生物が駆け込んだ港の一画へと入ったところでマシンを停車させた。

 そこはコンテナ置き場だった。荷物を詰め込まれ、貨物船に積載されるのを待つ立方体の箱がまるで積木のようにいくつも重なっている。既に本日の積み下ろし業務は終えたようで、職員はいない。ここに駆け込んだはずの謎の生物も。静寂が波の音と、潮風がコンテナの間をすり抜ける音を際立たせている。

『GM-01アクティブ。発砲を許可します』

「了解」

 武器の使用許可を小沢から受け、ガードチェイサーのリアトランクから銃を取り出す。GM-01スコーピオン。銃身の長さは拳銃と変わりないが、設計上はアサルトライフルだ。

『氷川君、近いわよ』

 オペレーションモニターと同期するディスプレイで、目標の熱源反応を示す座標がゆっくりと、しかし確実に誠との距離を詰めている。周囲に視線を巡らせ、街灯の光を受けてコンテナに映った人ならざる者の影を捉える。

 誠は影、その前にいる謎の生物に銃口を向けトリガーを引いた。腕部装甲が発砲時の反動を全て抑え、一寸の狂いもなく目標へ弾丸を浴びせていく。

 

 はずだった。

 

 連射された弾丸は全て目標の寸前で弾道を反らし、背後のコンテナに穴を開けていくだけだった。

「効かない、そんな⁉」

 鋼鉄製の砲丸も破壊する威力だぞ。咄嗟にGM-01を見てしまったことが致命的だった。謎の生物は一瞬で距離を詰めてきて誠に掴みかかる。銃身で打撃を与えようとするが撥ねつけられ、手から零れ落ちてしまう。

『GM-01をロストしました! ステータスZに移行』

 尾室の上ずった声がマスク内に響く。尾室にとっても想定外の事態に違いない。多数のテロリストを単体で制圧するために設計されたG3が、たった1体の敵で武器を失うなんて。

 謎の生物が誠の腹を蹴り上げる。スーツを装着した150キロある誠の体が宙へと投げ出され、停車していた事業所のものらしき車のボンネットに落下しフロントガラスを砕く。背中から落ちたことが状況を悪化させ、尾室が知らせてくれる。

『バッテリーユニットに強度の衝撃。バッテリー出力80パーセントにダウン』

 想定外の事態が多すぎる。敵はテロリストどころか人間ですらなく、武器を失い、耐衝撃用の機構が組み込まれたバッテリーユニットにダメージを負うなど。

 痛みに歯を食いしばりながらボンネットから滑り落ちると、態勢を立て直す暇もなく謎の生物の蹴りが胸に響く。武器を失っても、誠は刑事として日々近接戦の訓練も受けている。G3運用に伴い、米海軍特殊部隊(ネイビーシールズ)出身の元軍人を講師に招いて近接戦を叩きこまれた。己の体ひとつでも十分に戦える。

 培った技術とスーツの筋力補正を上乗せした拳を浴びせ、更に蹴りを入れる。謎の生物の体が、先ほどの誠と同じように宙へと舞う。だが謎の生物は蹴り飛ばされたわけではなかった。蹴りを受けると同時に自ら跳んだのだと、車の屋根に着地した余裕ある佇まいで理解できた。

 屋根から下りた謎の生物が車体を押した。あまりのパワーでサイドブレーキが破壊されたらしく、重量が1トン近くある車体が誠へと向かってくる。馬鹿な、G3の筋力補正でも1トンの物体は動かせないというのに。驚愕のあまりに回避を忘れ、まともに車体と衝突してしまう。ボンネットから屋根へ、屋根からトランクという順に地面へと転がる。

『胸部ユニットにダメージ!』

 胸部装甲が火花を散らした。内部でパーツがいくつか故障したらしい。誠を轢いても車は止まることなく、先ほど誠がフロントを破壊した車と衝突した。ガソリンタンクに当たったのか爆発を起こし、赤い炎を燃え上がらせる。

 謎の生物の拳が誠の顔面を打った。地面に伏す誠に追撃を加えようとするが、それはなけなしの蹴りを入れて阻む。立ち上がって近接戦へ持ち込もうとするが、完全に相手のペースだった。誠が何発拳を入れても動じない謎の生物は、たった一撃の蹴りで誠の体を突き飛ばしてしまう。ぶつかったコンテナがひしゃげ、肩と腕の装甲が火花を散らした。

『姿勢制御ユニット損傷。G3システム戦闘不能!』

 謎の生物が誠の頭を掴み、コンテナに打ち付けてくる。頭蓋に衝撃が響き、危うく意識が飛びそうになる。『映像信号ロストしました!』という尾室の声で意識を押し戻すことができたが、伝えられた状況は最悪を示している。

『オペレーション中止、氷川君離脱しなさい! 氷川君――』

 小沢の声がノイズにかき消されていく。通信機もやられたらしい。姿勢制御機構が使い物にならなくなったせいで、スーツがずしりと重くなった。もはやG3システムはただの硬い鎧でしかない。この圧倒的パワーの怪人を前にしては、次に強烈な一撃を食らえば装着員である誠の生命が危ぶまれる。

 離脱しようにも思うように動けない。謎の生物が拳を振り上げようとしたとき、誠は直感的に最期を悟った。

 だが、その直感は外れる。

 謎の生物は拳を下ろし、背後を振り返る。息をあえがせる誠への興味が失せたかのように暗闇の一点、こちらへゆっくりと歩いてくる人影を見つめている。誠も人影へと視線を向けた。人影の腹のあたりが光を放っていて、逆光で全貌がよく見えない。

 人影が炎上する2台の車のそばで歩みを止めた。その時点で腹の光は消えていて、完全に闇と同化している。再びガソリンに引火したのか、車が爆炎を起こす。プラズマの光を受け、影に隠れたその姿が露わになる。

 それは生物と呼ぶべきか判断しかねた。黄金の鎧に覆われた体は人型のシルエットでありながら、額から金色の角が2本そびえ立ち、顔の半分を大きなふたつの赤い目が占めている。生物というより戦士だった。

 謎の生物は呻き声をあげ、戦士へと向かっていく。戦士の出現に激しく怒っているように見えた。殴りかかってきた謎の生物の拳を戦士はいなし、その顔面に肘打ちを見舞う。更に拳を顔面に打たれた謎の生物が仰け反るのを見て、誠は驚愕した。G3の拳を受けても意に介さなかった謎の生物を、あの戦士はたった1発の拳でダメージを与えた。

『氷川君聞こえる? 氷川君!』

 通信が復旧したらしい。小沢の声に応えることなく、誠の意識は突如現れた金色の戦士へと向けられて離れない。

 謎の生物が掴みかかった。戦士はまるで力の流れを掴んでいるかのように、合気道の容量で謎の生物の肩を掴み投げ飛ばす。誠を圧倒した謎の生物が、離れた地面に投げ出された。

 戦士の双角が扇のように、左右へ開き6本の角になった。足元には金色の、開いた角によく似た紋章が浮かび上がり、その光を受けて戦士の鎧も輝いている。紋章は渦を巻き、戦士の両足へと収束する。身を屈めた戦士へと向かって謎の生物が駆け出した。戦士は跳躍し、宙で右足を突き出してキックで迎え撃つ。

 胸にキックを受けた謎の生物の体が跳ね返された。起き上がろうとしたところで頭上に光が渦巻く。まるで天使の輪のようだ。謎の生物は打たれた胸を押さえつけ、苦しそうに悶える。

「ア……ギ………ト……………」

 謎の生物が発した声が、そう紡いだ気がした。何かにすがるように手を伸ばした瞬間、その体が爆散した。飛び散った肉片にはまだ炎が灯っていて、細胞一片も残さず焼き尽くそうとしている。

 たった1撃のキックだった。それだけであの戦士は敵を葬ってしまった。爆発の凄まじさに(おのの)きもしない戦士は、ただ燃え残る炎を見つめている。その角が閉じて2本に戻った。赤い目が誠へと向けられる。

 来るか――

 身構えようにも、戦闘不能に陥った今では対処のしようがない。だが戦士は誠に背を向けて、悠然と歩き始める。謎の生物を倒すことが目的で、誠の存在など眼中にないように。追跡しようにも、G3装備がまともに機能していない今の状況では無理だ。危機を脱したからか、意識が遠のいていく。体から力が抜けて倒れるも、誠は立ち込める煙の中へと消えていく戦士の背中を視線で追い続けた。その背中もぼやけていく。燃え残る炎も、宙をたゆたう煙も。

 まだ機能している聴覚がサイレンの音を捉える。Gトレーラーが回収に来たらしい。

 意識が完全に埋没しようとしているなか、誠は爆散する直前に謎の生物が発した声を思い出した。あれは何かを意味していたのだろうか。それとも単なる獣の咆哮がそう聞こえただけだろうか。

 マスクのなかで誠の唇がその音をなぞった。

「アギト………」

 

 

   3

 

「もう一度?」

 浦の星女学院前の停留所でバスを降りて、千歌から教室へ行く前の用事を聞いた曜はそう言った。昨日撥ねつけられた申請書を手にした千歌は「うん」と、

「ダイヤさんの所にいって、もう一回お願いしてみる」

 「でも――」と曜が言いかけたところで、千歌は「諦めちゃ駄目なんだよ」と遮った。

「あの人たちも歌ってた。その日は絶対来る、って」

 それは千歌が見つけたグループの歌にあった詞の1節。未来を切り開くのは、熱い胸だと。今の熱を保てば、きっと始まるはずだ。

「本気なんだね」

 穏やかに曜が言ってすぐ、千歌の手から申請書をくすねる。「ちょっと」と文句を飛ばそうとしたところで、千歌の背中が曜の背中と合わさる。その不意打ちに千歌は反応に困り、開いた口を静止させる。曜は言う。

「わたしね、小学校の頃からずーっと思ってたんだ。千歌ちゃんと一緒に夢中で何かやりたいな、って」

「曜ちゃん……?」

「だから、水泳部と掛け持ちだけど」

 曜の背中が離れた。代わりに千歌の背に紙がかさり、と押し付けられ、何か細いものを当てられたのかこそばゆい感触を覚える。振り返ると視界いっぱいに申請書の書面が入った。部員の欄に書かれた「高海千歌」という唯一の名前。その下に「渡辺曜」という名前が追加され、書面を差し出す曜は満面の笑みを向けている。

「曜ちゃん………」

 思わず涙が出そうになった。親友故の情けかもしれない。ただ見かねただけなのかもしれない。それでも、曜の「一緒にやりたい」という気持ちが胸を熱くさせてくれた。千歌は申請書を放り、曜を力強く抱きしめる。「苦しいよ」と曜が苦笑した。昂る気持ちのままに拳を振り上げ、

「よーし、絶対すっごいスクールアイドルになろうね!」

 

 一度3年生の教室を訪ねたところ、ダイヤは生徒会室にいるとのことだった。毎朝早く登校し、ホームルームが始まる前に生徒会の職務をこなしているらしい。

「よくこれでもう1度持ってこようという気になりましたわね」

 千歌が半ば押し付けるように差し出した申請書を眺め、ダイヤは皮肉を漏らす。

「しかもひとりがふたりになっただけですわよ」

 呆れと困惑が混在しているような口ぶりだった。設立に必要なのは5人以上、という話を聞いていなかったのか、と。

 やっぱり、と予想していた通りだったが、曜は隣に立つ千歌を止めようとは思わない。乗りかかった、いや既に乗った船だ。千歌と一緒にやると決めた以上、曜もここは押し通さねばならない。

 千歌は言う。

「やっぱり、簡単に引き下がったら駄目だ、って思って。きっと生徒会長は、わたしの根性を試しているんじゃないか、って」

 「違いますわ!」とダイヤは身を乗り出して千歌に顔を近付ける。

「何度来ても同じ、とあの時も言ったでしょ!」

 千歌も負けじと顔を近付ける。

「どうしてです!」

「この学校には、スクールアイドルは必要ないからですわ!」

「何でです!」

 これでは交渉どころじゃない。「まあまあ」と曜はふたりをなだめようと試みるも、まったく耳に入っていないようだ。千歌がここまで強気になるのは珍しいし、両家の令嬢という印象が強かったダイヤがここまで感情的になるなんて思ってもみなかった。彼女が唾を飛ばす勢いで吐き捨てる姿も。

「あなたに言う必要はありません! 大体やるにしても曲は作れるんですの?」

 「曲?」と千歌が目を丸くして、ダイヤは更に怒りを増大させたが寸でのところで飲み込んだらしい。説明するダイヤの口調は少しばかり落ち着きを取り戻していた。

「ラブライブに出場するにはオリジナルの曲でなくてはいけない。スクールアイドルを始めるときに、最初に難関になるポイントですわ。東京の高校ならいざ知らず、うちのような高校だと、そんな生徒は………」

 そんな生徒はいないだろう。ダイヤの濁した最後の言葉は、きっとそれだ。浦の星女学院の生徒は100人にも満たない。「ラブライブ」というスクールアイドルの全国大会があることを、曜は千歌から聞いている。千歌の憧れのグループもラブライブで優勝しているらしい。そのグループは東京の高校に在籍していた。人口の多い東京は高校の数も多い。様々な生徒――作曲ができる生徒もいたことだろう。

 沼津という日本の一画にある街の小さな高校で、果たして音楽への造詣が深く、かつ自ら曲を作れる生徒がいるだろうか。そもそも、あのグループとは始まった環境がまるで違うのかもしれない。

 

「探してみせます!」

 そう啖呵をきって生徒会室を飛び出した。教室に戻って同級生たちに作曲ができるか、またできる生徒を知らないか聞いて回ったのだが、

「ひとりもいない………」

 ホームルームの開始時刻が近付き、席についた千歌は深い溜め息を漏らす。隣席の曜もがっくりと机にもたれている。

「生徒会長の言う通りだった………」

 「大変なんだね、スクールアイドル始めるのも」と曜は応じる。100人未満の小さなコミュニティとなれば、情報はすぐに広まる。だから1クラス聞いて回って収穫なしとすれば、本当に浦の星女学院に作曲のできる生徒はいないのだろう。

 「こうなったら」と千歌は机の中から音楽の教科書を取り出し、

「わたしが、何とかして――」

「できる頃には卒業してると思う」

 曜の指摘通り。カラオケは好きだが音楽に関して千歌は素人だ。楽器なんて学校で習う鍵盤ハーモニカとリコーダーくらいしか弾けない。それに得意でもない。開いた教科書にうなだれると、「はーい皆さん」と担任教師が教卓でホームルーム開始を告げる。

「ここで転校生を紹介します」

 教室の生徒たちがざわめき始める。転校生が来るという噂は聞いてはいたが、スクールアイドル部設立のことが思考の大半を占めていたから気にも留めていなかった。「どうぞ」と教師が促すと、ドアから長い髪を揺らした少女が入ってくる。

 少し緊張気味な面持ちで、まだ糊のきいたしわのない制服に袖を通した少女の顔を、千歌はじっと見つめる。初めて見る顔じゃない。だからこそ瞬きもせず、視線が離れない。

 「今日からこの学校に編入することになった――」と教師は区切り、続きを少女が引き継ぐ。少女は控え目なくしゃみを経て、「失礼」と前置きして自己紹介する。

「東京の音ノ木坂という高校から転校してきました」

 そこで少女はまたくしゃみをして、照れ笑いと共に名乗る。

「桜内梨子です。よろしくお願いします」

 繋がった、と千歌は確信する。枝分かれした川がひとつになって海へ流れるように、全てがあるべきところへ収まった。

「奇跡だよ!」

 思わず高らかに言って、千歌は立ち上がる。そこで梨子は千歌に気付き、「あなたは……⁉」と漏らす。

 ここから物語は動き出す。目指すべき場所へ続く道。そこへ至る入口がようやく見つかった。ひとりでは無理でも、一緒に頑張れる仲間がいれば、きっと扉は開ける。

 彼女たちと同じステージ。

 輝ける世界への扉が。

 共に輝けるであろう梨子に手を差し伸べ、千歌は言った。

「一緒にスクールアイドル始めませんか?」

 

 





 原作1話に相当するエピソードでお察し頂けたかもしれませんが、本作はこの通り『サンシャイン』と『アギト』のストーリーが並行して進むという構成になっております。

 なぜこんな形にしたかといいますと、私のなかで二次創作を書く目的意識が変化しまして、原作を知らない方に魅力を知って頂くため敢えて改変させない方向にしました。なので本作は原作のファンは勿論ですが、原作を知らない方にこそ読んでほしいと思っております。

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