ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第4話

 

   1

 

 数ヶ月ぶりの登校ということもあり、朝の教室に入った果南はまるで芸能人のように同級生たちに囲まれていた。しばらくの間は話し相手といえば大半が年上のお客ばかりだったから、同い年の少女たちばかりの場に少し気負ってしまう。でも、休学前は自分もこの場にいた。すぐに慣れて、以前の調子を取り戻すだろう。

 学校っていいな、と果南は思った。授業や受験、就職準備に追われていれば、嫌なことも忘れられる気がする。この前まで裡を満たしていた悲しみも虚しさも、これからの忙しい日々が埋めてくれそうだ。

「果南」

 同級生たちの輪から抜け出したところで、待ち構えていたかのように鞠莉が声をかけてきた。抱き着いてくるかと顔つきを険しくして身構えたが、鞠莉はそんなことはせず代わりに後ろ手に隠していたものを果南の眼前に広げる。

 それは2年前、まだ果南たちがスクールアイドルだった頃のステージ衣装。スクールアイドルとして最後の活動をした、あの日の部室と同じように鞠莉は衣装を広げ、

「果南」

 覚えてるよね、あの時のこと。鞠莉はそう問いているようだった。うん、覚えてるよ。忘れた日なんてない。忘れようとはしていたけどね。

 突き付けられた衣装を手に取ると、鞠莉はぱあ、と顔を明らめる。ごめんね、鞠莉。もうわたし達にこれは必要ない。

 

 何だか賑やかだな、と千歌は思った。生徒が次々と登校してくる朝の学校はいつも賑やかなものだが、この日はいつにも増している気がする。それが気のせいでないと、水泳部のミーティングから教室に戻ってきた曜から知ることができた。

「果南ちゃんが?」

 ベランダに出た千歌が訊くと、曜は「うん、今日から学校に来るって」と答える。確か3年生もクラスはひとつだけのはず。だとしたらダイヤとも、鞠莉とも顔を合わせることになる。もう果南は教室にいるのだろうか。

「それで、鞠莉さんは?」

 梨子が訊いた。曜は眉を潜め、

「まだ分からないけど………」

 千歌は天井を見上げる。上階の3年生の教室はどんな様子なのだろう。

 何かが上階のベランダから飛んできた。布だろうか、ひらひらと宙を踊るそれは千歌たちの目の前まで降りてきて、更に下へと風に煽られながら落下しようとする。千歌の隣で曜がくんくん、と鼻を鳴らした。

「せいふくうっ!」

 と曜がベランダから跳びついた。「駄目え‼」と梨子とふたり掛かりで腰を掴んだおかげで落下は免れたが、少しでも気を抜いたら手を滑らせそうで冷や汗が額に滲む。制服好きもここまで来たら病的だ。

「これって、スクールアイドルの………」

 曜は得物を獲得したらしい。同級生たちの手を借りて引き上げると、両手にはしっかりと降ってきた服が握られていた。セーラー服のようだが、機能的には不要なリボンやフリルが施されている。

「これって、スクールアイドルの衣装?」

 千歌に続いて梨子も、

「どうしてこんなものが3階から?」

 考えているよりは確かめに行ったほうが早い。3階に上がると何やら騒ぎが起こっているようだった。教室の前では別のクラスの生徒のみならず2年生と1年生も群がっていて、その中にはルビィと花丸と善子もいる。千歌が教室を覗くと、教卓のあたりで生徒たちが密集している。その中心から、渦中のふたりの声が聞こえた。

「離して! 離せ、て言ってるの!」

「良い、と言うまで離さない!」

 生徒たちの奥で、鞠莉にしがみ付かれた果南が必死に抵抗しているのが見えた。周りの生徒たちはどう止めたらいいか手を出せずにいるようだ。

「強情も大概にしておきなさい! たった1度失敗したくらいで、いつまでもネガティブに――」

「うるさい! いつまでもはどっち? もう2年前の話だよ! 大体今更スクールアイドルなんて! わたし達もう3年生なんだよ!」

 「ふたりともおやめなさい! 皆見てますわよ!」と傍でダイヤが強く言っているが、まるで効果がない。

「ダイヤもそう思うでしょ?」

 鞠莉が訊いてもダイヤは「やめなさい!」と言い続ける。

「果南さんが再びスクールアイドルを始めることはありませんわ」

「どうして? あの時の失敗はそんなに引きずること? チカっち達だって再スタートを切ろうとしてるのに何で――」

 「千歌とは違うの!」と果南が吐き捨てたところで、その千歌本人にとうとう我慢の限界が来た。教室に足を踏み出す。「千歌ちゃん?」と曜の声が聞こえたが、千歌の耳には入っていなかった。

 千歌が上級生たちを掻き分けて渦中に入ると、気付いた3人たちの視線を一気に受ける。

「いい加減に、しろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ‼」

 その怒号が教室内のみならず廊下にも響き渡り、果南たちも野次馬たちも、場の全員の声を静めた。後から聞いた話によると、声は1階の職員室にまで届いていたらしい。

「もう、何かよく分からない話をいつまでもずうっとずうっとずううっと! 隠してないでちゃんと話しなさい!」

 「千歌には関係な――」という果南を「あるよ!」と無理矢理黙らせる。「いや、ですが――」と困惑気味のダイヤにも飛び火した。

「ダイヤさんも、鞠莉さんも。3人そろって放課後、部室に来てください」

 「いや、でも――」と往生際の悪い果南に、千歌は更に語気を強める。

「いいですね?」

 3人は逡巡を挟んで応えた。果南と鞠莉は揉み合った体勢のまま。

「はい………」

 これでやっと全てが明らかになる。早く放課後にならないかな、と思っていると、曜の「千歌ちゃん凄い……」という声が聞こえた。

「3年生に向かって………」

 ルビィの言葉で、千歌はようやく頭が冷える。そういえば3人は上級生で、ここは3年生の教室だった。

「あ………」

 仕方がなかったとはいえ、先輩たちに粗相をした千歌はただ笑って誤魔化すしかなかった。

 

 

   2

 

 G3ユニット改革案。現在のユニットを解散し、司と北條を中心とした新たなメンバーに再編成する。その噂が誠たちの耳に入るのに、そう時間は掛からなかった。正式な通達はおそらく今日の会議で行われるのだろうが、既に噂は不可能犯罪捜査本部の刑事ほぼ全員にまで広がっている。

 これまでの成果の乏しさ。監査官である司の発案であること。これらのことから幹部会の決議が覆ることはまず無いだろう、というのが大多数の意見だ。英雄氷川誠の伝説もこれまでか、という揶揄の声まで聞いている。同情したのか河野がラーメンに誘ってくれたが、とても食べる気にはなれず誠は断った。

 ラーメン屋の店主はナルトで浮き沈みが激しい、と言っていた。浮いていた時期はG3装着員に抜擢された頃で、これからは沈んでいく時期に突入するのだろうか。占いなんて、と今まで気に留めたことはなかったが、こうして的中した状況になると信じてしまう。

「聞きました? 今日の会議のこと」

 尾室がそう切り出したのは、ユニットメンバーがGトレーラーで待機を命じられた午前だった。司と北條はいない。きっと新しいユニットの準備をふたりで進めているのだろう。

「やっぱり俺たちクビみたいですよ。新しいG3ユニットが誕生するって」

 知っています、と応える気にはなれず、誠は無言でガードチェイサーを眺めた。短い間だったが共に現場へと向かった相棒のバイク。次にこのマシンのシートに跨るのは誰になるのか。

 誰もが一言も発しない空気に堪えかねたのか、尾室がうんざりしたように言う。

「元気出しましょうよ。別に死ぬわけじゃないんですから――」

「うるさいわね」

 小沢が遮った。ヒステリックさは無いが、どこか痛々しい声色だった。

「あんたにはデリカシーってもんが無いの? 少しはしんみりしなさい」

 小沢もユニットを離れることを、幹部会は良しとしたのか。G3の開発者でシステムを隅々まで熟知している小沢なしで、一体誰がG3を上手く扱えるのだろう。

 尾室はべそをかいた子供のように沈んだ声で言った。

「何ですかそれ。ころころ態度変えないでくださいよ………」

 

 

   3

 

「だから、東京のイベントで歌えなくて」

 放課後の部室に渋々訪れた果南は、不機嫌さを隠すことなく椅子にふんぞり帰って言った。

「その話はダイヤさんから聞いた」

 千歌が言うと、果南は無言で隣に座るダイヤを睨む。ダイヤは一瞬怯んだ顔を見せるが、すぐに口を真一文字に結んでそっぽを向いた。千歌は続ける。

「けど、それで諦めるような果南ちゃんじゃないでしょ?」

 「そうそう」と千歌の背後から鞠莉が、

「チカっちの言う通りよ。だから何度も言ってるのに」

 この時ばかりは、鞠莉もおどけた様子は見せない。千歌は目を合わせようとしない果南に語りかける。

「何か事情があるんだよね?」

 果南は応えない。まるでPCがフリーズしたみたいに、微動だにせず無言を貫く。

「ね?」

 やっぱり何かあったんだ。イベントで歌えなかったことよりも、もっと深いものが。千歌が念を押すと、果南は視線を落として応える。

「そんなものないよ。さっき言った通り、わたしが歌えなかっただけ」

 ここまで強情だとは。

「ああ、イライラする!」

 千歌が頭を抱えると「その気持ちよーく分かるよ。本当腹立つよねこいつ!」と鞠莉が果南を指さす。

「勝手に鞠莉がイライラしているだけでしょ」

 果南が言うと、それまで口を挟まなかったルビィが「でも」と、

「この前弁天島で踊っていたような………」

 果南は紅潮した顔でルビィを睨んだ。先輩に睨まれたルビィは「ピギィッ」と小さく悲鳴をあげてそれ以上は何も言えなくなる。

「おお、赤くなってる」

 鞠莉が面白そうに覗き込むと、果南は「うるさい」と苦し紛れに返した。それでも鞠莉は嬉しそうに、

「やっぱり未練あるんでしょう?」

 がた、と音を立てて果南は椅子から立った。誰であろうと介入を許さない鋭い視線で鞠莉を見下ろす。

「うるさい、未練なんてない。とにかくわたしはもう嫌になったの。スクールアイドルは絶対にやらない」

 そう告げて、果南は部室から出て行く。誰も引き留めようとはしなかった。これだけ問い詰めても何も言わないのだから、引き留めたところで状況は泥沼の一途だろう。

「ダイヤさん」

 唐突に梨子から呼ばれ、ダイヤはびくり、と過敏に反応した。

「何か知ってますよね?」

「え? わたくしは何も………」

「じゃあどうしてさっき、果南さんの肩を持ったんですか?」

 「そ、それは……」とダイヤはゆっくりと席を立ち、次に勢いよく駆け出して部室から出て行く。

「善子ちゃん!」

 千歌が呼ぶと「ギラン」と擬音を口に出した善子はすぐさま後を追い、部室を出てすぐの所でダイヤを捕らえ堕天使奥義堕天龍鳳凰縛で拘束する。

「流石姉妹ずら」

 妹と同じく「ピギャアアアアアッ」と悲鳴をあげるダイヤを見て、花丸が呟いた。

 

 アンノウンに襲われた者の叫びを感じ取り、翔一は花村ベーカリーを飛び出してバイクで現場へと向かった。場所は恐らく、伊豆長岡方面へ伸びる狩野川の畔。

 バイクを走らせると、川辺の道路上でクラゲを被ったようなアンノウンが腰の抜けた青年にじりじり、と歩み寄っている。すぐ近くでは何かが燃えていて、地面に伸びたものが人間の手であることが視認できた。

 翔一はスピードを緩めることなく、バイクのカウルをアンノウンに突進させる。アンノウンが大きく吹き飛び、草むらへと投げ出された。

「逃げて、早く!」

 バイクから降りた翔一が手を貸すと、青年は何とか立ち上がって泣き出しそうな声をあげながら逃げていく。草むらで立ち上がったアンノウンが、翔一に憎悪のこもった目を向けた。

 翔一の腹で光が渦巻きベルトになる。アンノウンがゆったりとした歩みで距離を詰めてくるが、翔一は逃げることなく敵を見据えながら湧き上がる力に身を任せた。

「変身!」

 ベルトの発する光に包まれ、翔一はアギトに変身した。同時にアンノウンが拳を突き出してきたが、腕で受け流しつつその顔面を拳で突く。

 アンノウンの動きはそれほど素早くはなかった。翔一は立て続けに拳を浴びせていく。背中に反撃の拳を受けたが、耐えられないものじゃない。腹に渾身の拳を打ち込み、追撃の蹴りを回そうとした。

 だが、翔一の蹴りが空振る。目の前にいたはずのアンノウンが消えていた。ふう、という吐息が聞こえ咄嗟に振り返ると、背後にアンノウンが猫背で佇んでいる。

 翔一は跳躍し、アンノウンへキックを叩き込もうと右足を突き出す。

 その時、翔一の胸が爆ぜた。体勢を崩して地面に伏してしまう。胸の鎧には多少の傷こそあるが、戦いに支障をきたすほどの致命傷じゃない。だが、徒手空拳ではこの前のように逃げられてしまうかもしれない。

 翔一はベルトのバックルに手をかざした。ベルトに埋め込まれた玉からハルバートの柄が伸び、引き抜くと同時に鎧をストームの青に染め上げる。

 ハルバートを首めがけて振るうも、アンノウンには身を屈めて避けられてしまう。だがそれは予想の範疇で、翔一はすかさず敵の腹に蹴りを入れた。敵の体が突き飛ばされ、間合いを取って地面に倒れる。

 距離を取られてしまえば敵の思う壺。あの爆撃を食らうか、逃げられるかだ。翔一はハルバートを振り回して風を起こす。降る毎に風を更に強めていき、旋風で舞い上がった塵で敵の目を眩ませていく。

 アンノウンが手をかざした。翔一の足元でちり、と火花が散るが、それが爆発を起こすときには既に風のごとく猛スピードで駆け出していた。翔一の目は旋風に煽られた敵を捉え、その腹にハルバートの刃を滑らせる。

 武器を振り切ると同時、背後から爆風を感じ取る。爆ぜたアンノウンの肉片が辺りに散らばり、それは自らが燃やしてきた人間たちのように炭となっていた。

 

 

   4

 

 長い話になるから、とダイヤは黒澤邸にAqoursのメンバー達と鞠莉を招待した。移動する間に空には灰色の雲が立ち込めていて、今にも雨が降りそうだ。沿岸に位置する沼津市は降水量が多いから、きっと降るだろう。

 ダイヤは語った。2年前のあの日、鞠莉だけが知らなかった真実。ダイヤと果南が2年間抱えていた秘密を。

「わざと⁉」

 居間でダイヤが告げたことを、下級生たちが反芻する。

「そう。東京のイベントで果南さんは歌えなかったんじゃない。わざと歌わなかったんですの」

 本来なら鞠莉が最も驚愕しそうなのだが、鞠莉自身は思いのほか冷静なようだった。驚愕よりも疑問が勝っていたからだろう。

「どうして?」

 鞠莉は訊いた。善子が「まさか、闇の魔術――」と話の腰を折ろうとしたが、それは花丸が無理矢理に口を塞いだことで阻止された。

「あなたのためですわ」

 ダイヤは答える。「わたしの?」と鞠莉は問いを重ねる。何故イベントで歌わないことが、わたしのためになるのだろう。せっかく掴み取った大舞台で失態を犯し、3人で積み重ねてきた努力を無駄にすることが何故、と。

「覚えていませんか? あの日、鞠莉さんは怪我をしていたでしょう」

 イベント当日、鞠莉は右足首にテーピングをして本番に臨もうとした。数日前のダンス練習での捻挫だった。パフォーマンスを納得のいく出来にまで仕上げるため、と疲労した体で練習を続行したために起こった事故だった。

 ダイヤと果南は辞退をする方針でいたが、鞠莉はそれを押し切った。自分のせいでそれまでの努力を無駄にしたくない。3人でやり遂げたい。そんな彼女の想いが汲み取れて、だからこそダイヤと果南は無下にしなければならなかった。

「わたしは、そんなことして欲しいなんてひと言も………」

 そう、足の痛みが辛いなんて鞠莉は一度も告げたことはない。彼女が決して弱音を吐かない性格であることは当然知っていた。

「あのまま進めていたら、どうなっていたと思うんですの?」

 ダイヤは淡々と言う。

「怪我だけでなく、事故になってもおかしくなかった」

「でも………」

 言葉を詰まらせていると、ルビィが得心したように言う。

「だから、逃げたわけじゃない、て………」

 それはダイヤの言葉だった。鞠莉が沼津に戻ってすぐ、スクールアイドルの活動再開を話し合おうと訪ねた日の会話。そういえば、あの日ルビィはお茶を持って来てくれていた。その時に聞かれたのだろう。

 「でも、その後は?」と曜が訊く。「そうだよ」と千歌も、

「怪我が治ったら、続けても良かったのに」

 ぽつ、と雨粒が窓ガラスを叩いた。鞠莉の声は震えていて、強くなる雨音に掻き消されてしまいそうだった。

「そうよ……。花火大会に向けて、新しい曲作って、ダンスも衣装も完璧にして。なのに………」

 事実、鞠莉の捻挫はさほど重症でもなかった。翌日には腫れも治まったし、しばらくしたら普通に歩けるようになって3人で旅行にも出掛けられるほどだった。夏祭りまでは完治して、練習するほどの期間は十分にあった。もっとも、祭りに参加するつもりでいたのは鞠莉だけだったのだが。

「心配していたのですわ。あなた、留学や転校の話がある度に全部断っていたでしょう」

「そんなの当たり前でしょ!」

 鞠莉は叫んだ。浦の星を離れることなんて微塵も考えていなかっただろう。鞠莉は3人でスクールアイドルをやっていくことを強く望んでいた。それは嬉しくはある。ダイヤだって叶うのならそうしたかった。きっと果南も。

 ダイヤは淡々とした口調を崩さずに続ける。

「果南さんは思っていたのですわ。このままでは自分たちのせいで、鞠莉さんから未来の色んな可能性が奪われてしまうのではないか、て」

 鞠莉に留学と転校の話が来ていることは知っていた。高校も鞠莉の偏差値ならもっとレベルの高い学校へ進学することなど容易だったはずなのに、彼女は浦の星に行く、と譲らなかった。中学生だったダイヤは親友として一緒に高校も過ごしてくれることを嬉しく感じていたが、それが子供故の無責任さだった、と遅れて気付かされた。

 学校を救うためにスクールアイドルを始めた。だから浦の星に残る。

 果南から聞いた、職員室での教師と鞠莉の会話。ああ、大人になるべきなんだ、とダイヤは決めなければならなかった。

 いずれ親の会社を継ぐ鞠莉には、学ぶべきことが多くある。海外にも事業を展開しているホテルオハラの経営者として相応しい、一流の教育を受けるべきだ。調べてみたら、鞠莉が推薦された学校はどこも名門と呼べる、有名な実業家や政治家を輩出している学校ばかりだった。そこへ進めば、鞠莉の未来は大きく広がっていくだろう。自分たちと居るために本来享受すべきものが得られず可能性が少しずつ削ぎ落されれば、いずれ彼女をどこにでもいる平凡な人間にまで堕落させてしまう。

 まだ世間的には何の力も持たない「子供」のダイヤと果南には、鞠莉の将来に対する責任なんて取れない。子供の我儘で、親友の将来を潰すわけにはいかない。

 その懸念はイベントのずっと前から沸き起こっていた。スクールアイドル活動のせいで盲目的になっていた鞠莉は全く気付いていなかっただろうが。

 本番直前に鞠莉が怪我したことは、むしろ好機だった。いくらダイヤと果南が説得を試みても、鞠莉が浦の星を離れることは絶対にない。ならば、留まる理由を奪ってしまおう。鞠莉をこの地方集落に縛り付けている、スクールアイドル活動を終わらせて。

 その計画の発案者は果南だった。鞠莉からの誤解をひとり背負おうとする彼女にダイヤは別の方法を提案したが、果南は譲らなかった。

 ――元はと言えばわたしが鞠莉を無理矢理誘ったんだもん。ごめんねダイヤ。せっかくスクールアイドルになれたのに、台無しにしちゃって――

 果南はそう言っていた。更に元を辿れば、スクールアイドルを始めよう、と提案したダイヤにも事の責任はある。誰かを笑顔にするためのスクールアイドルが、あろうことか親友から将来を奪うだなんて耐えられない。そんな卑しい夢なら、捨てることになっても構わない。

 そうしてダイヤは、沈黙を貫くことを決めた。後輩に自分たちと同じ轍を踏ませまい、という名目で浦の星からスクールアイドルを抹消させて。

 そうすることで、鞠莉が戻ってこないように。

 彼女が海外で、自らの可能性を広げられるように。

「まさか、それで………」

 全てを悟った鞠莉が声を絞り出す。玄関へ向かおうとする彼女を、「どこへ行くんですの?」と引き留める。

「ぶん殴る。そんなこと、ひと言も相談せずに………」

 ダイヤだって、出来ることなら話し合って互いが納得できる形で離れたかった。晴れ晴れとした気持ちで鞠莉を送り出したかった。でも鞠莉は絶対に応じなかっただろう、と確信できる。苦しいが、あれが最善だった。互いにわだかまりを残す以外に選択肢は無かった。

「おやめなさい。果南さんはずっとあなたの事を見てきたのですよ」

 全ては、想うからこそ起きてしまったこと。幼い頃に、海を越えて異国の地からやってきた金の髪を持つ少女を。

「あなたの立場も」

 本来なら関わるはずのない家柄の子。

「あなたの気持ちも」

 それでも出会えて、心を通わせた。

「そしてあなたの将来も」

 きっと自分たちよりも輝かしい未来を行く。

 たとえ離れることになっても、祝福して送り出そうと――

「誰よりも考えている」

 

 

   5

 

 まだ明るくてもいい時間帯なのに、外は厚い雲に覆われて日光が遮られている。弱く雨が降っているが、夕立ならたちまち強雨になっていくだろう。これから告げられることを思うと、雨がいつもより億劫になってくる。

 まだ会議まで時間があるから缶コーヒーでも買いに行こうと、休憩所への廊下を歩いている時だった。足音と共に話し声が聞こえる。できることなら聞きたくなかった、司の声だ。

「頼むぞ北條。新しいG3ユニットで、存分に力を発揮してくれ」

 どうやら北條も一緒らしい。尾室の持ってきた噂は残念ながら本当だったようだ。

 今更議場で抗論したところで、もはや上層部の決断が覆ることはない。もしかしたら新しい装着員とオペレーターの選定も済んでいるのかもしれない。

「司さん」

「ん?」

「あなたには色々と教わりました。例えば、あらゆる偏見を排除して、ただ事実を事実として直視する」

「刑事には必要な態度だ」

「でもそれを実践するのが、これほど辛いとは思いませんでしたよ」

 顔を合わせたくないから彼らとは反対方向へ回り道しようとしたが、誠は北條の声色に違和感を覚えて足を止める。邪魔者である誠たちがいなくなりG3ユニットを自分のものにできるというのに、北條の声には全く気力が感じられない。

 誠は廊下の角から、息を潜めてふたりを見た。司と北條が向かい合っていて、誠からでは北條の顔が見えない。

「何が言いたい?」

「先日殺された花村久志は、ちょっと変わったサンドイッチを作っていました。これがあなたの妹さん、さおりさんが作ったものと全く同じものでした」

「ほお、偶然だな。そういえば、君にもさおりのサンドイッチを食わせたことがあったな。あいつの作るピクルスのサンドイッチは美味かった」

 そうか、と合点がいく。誠が購入したピクルスサンドに北條が過剰な反応を見せたのは、自身の記憶にあるものと同じだったから。ピクルスの強い酸味をマヨネーズで緩和し、更にマスタードで味に彩りを添えたあのサンドイッチは、赤の他人が簡単に真似できるものじゃない。

「偶然? 違います」

 とても尊敬する上司に向けるものとは思えない鋭い声で、北條は続ける。

「調べたんですよ、花村久志について。花村は以前、ある事件の被疑者だったことがあった。司さおり殺害事件です。花村とさおりさんは以前婚約していたそうです。そして、婚約が解消された直後にさおりさんは殺害された。当然花村は疑われたが、犯行を立証することはできなかった」

 司と花村の思わぬ関係。妹の元婚約者であり、そして殺害の被疑者。妹のさおりと婚約という深い関係にあったのなら、花村がピクルスサンドのレシピを知っていても何ら不思議はない。

「はっきり言ったらどうなんだ?」

 司は余裕な佇まいを崩さない。北條に大きな影響を与えた上司らしく、彼によく似た佇まいだ。自身の指針とする人物へ、北條は明確に告げる。

「花村久志はアンノウンに殺されたんじゃない。アンノウンの犯行に見せかけて、司さん、あなたが殺したんだ」

 

 






 ダイヤが真相を語る場面は元は鞠莉視点で書いていたのですが、「何か違うなあ」と思いダイヤ視点に描き直しました。結構疲れました。

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