ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 今回は翔一君が空気です。あと長いです。
 ごめん翔一君。主役なのに………。




第5話

   1

 

 誠は息を呑んだ。確かに花村の焼死体は、アンノウンの犯行にしては違和感があった。他の被害者たちに比べて花村は火傷の度合いが軽く、衣類や所持品も燃え残っている。捜査状況から不可能犯罪と断定していたが、もし人間に「可能」な犯罪だとしても、何故司が犯人なのか。

 司は笑っている。あまりにも馬鹿らしい、とばかりに。

「君は自分が何を言っているのか分かってるのか? 大体、俺にはアリバイがある。花村の死亡推定時刻に、私はGトレーラーにいた」

 花村の右腕に付けられた腕時計。炎で焼かれ針が止まった時刻が、花村の死亡した時とされている。確かにその時間帯に司はGトレーラーにいて、誠がこれまで集めてきた被害者たちを超能力者とする証拠を子供騙しと一蹴していた。

「ええ。あのとき私は丁度、最初の被害者の親族の護衛にあたっていた時間でした。あなたは花村をGトレーラー内から遠隔操作で燃やしたんです」

「遠隔操作………」

「スマートフォンのアンテナですよ。花村の遺留品を改めて調べてみたんです。花村の所持していたスマートフォンには、電波拡張用のアンテナが付いていました。そのアンテナには超高出力のLEDが使われていましたよ。通電しようものなら、簡単にショートしてしまうほどのね。あなたは、これを発火源として利用したんだ」

 あらかじめ標的を殺して、他人と一緒にいる状況下で現場に残しておいたスマートフォンに電話をかける。電波を受信したスマートフォンに接続されたアンテナのLEDが発光する際、高出力故に導線がショートして散った火花が遺体に燃え移り、殺害の証拠を全て焼却する。

 アリバイを作りながら同時に証拠隠滅をこなす。よく出来たトリックだが、完全犯罪とするにはいくつか粗がある。

「電話会社に、あなたのスマートフォンから花村に発信をした記録が残っていましたよ。更に花村の遺体を詳しく調べれば、あなたが使った揮発性のオイルが検出されるはずです」

 その可能性を司は見落としてわけではないだろう。現場を経験した警察官ほど、犯罪トリックの専門家はいない。

 そのリスクを加味してでも犯行に及ばせた根拠を、北條は告げる。

「でもあなたには花村を殺しても、アンノウンの仕業として処理される。いや、今の立場を利用して、強引にでもアンノウンのせいにする自信があった」

 不可能犯罪による焼死体が発見された直後なら、第2の焼死体も不可能犯罪と推理してしまう。更に自身の監査官とユニット責任者という立場。状況と権力によって、司はトリックの粗をカバーしようとしたのか。

 とても卑劣な行いだ。警察官としても、ひとりの人間としても。だが同時に誠には、本当に司がやったのか、という疑念がある。

 司は雨粒に覆われた窓へと視線を移した。何かを探しているように見えた。

「花村が、さおりを殺したのは間違いない」

 ぼそり、と呟くように司は言った。それは自らの犯行を認めた、自白にも等しい言葉だった。ああ、と誠は溜め息を押し殺すのに必死だった。

「奴は振られた腹いせに妹を殺したんだ。だからこそ、事件の直後に行方を眩ました」

 花村が自分の死を悟り翔一にレシピを託したのなら、本当に彼は司の妹を殺したのだろうか。真実を確かめようにも、花村もこの世には存在しない。全ては闇の中だ。皮肉なことに、その真実を葬ってしまったのは最も知りたかったであろう司本人だった。

「あのベーカリーで奴を見つけた瞬間、俺は奴を殺す決心をした。さおりの夢……、美味しいコーヒーとサンドイッチを出す小さな喫茶店をやるという、あいつの夢を横取りした奴を赦せなかった」

 司は北條に向き直る。自らの罪にやましさなど感じさせない、はっきりとした声で告げる。

「後悔はしてない。奴が殺したんだ」

「それを、偏見と言うのではないのですか?」

 北條が司から教授した、刑事としての矜持。あらゆる偏見を排除して、ただ事実を事実として直視する。冷静に物事を俯瞰することで真実を導き出し、法律の下に犯罪を裁く。それが法の番人である、警察官としての理想。

 司は妹を失った復讐という感情に任せ、自らの矜持を捨ててしまった。同情の余地がないわけじゃない。だからといって、仮に花村が本当に妹殺害の犯人だったとしても、同じ殺人者に身を堕とす行為は決して赦されはしない。

 それは人が守ってきた、法という正義。悔しいが、あのアンノウンが言っていたことは間違いじゃない。人が人を殺してはならないという戒めは、人類の長い歴史の中で決して揺らぐことのなかった絶対的な禁忌だ。

「あなたは、最後に自分の心情を裏切った」

「そして君が、俺の心情を守ったというわけか」

 もはや警察官でなくなった司は問う。罪を暴かれた殺人者として。

「いつ分かった? やはりサンドイッチか?」

「それと、腕時計です。花村は右利きという証言だったのに、右腕に時計をはめていた。これは1度外れた花村の時計を、左利きの人間が付け直したせいです」

 「なるほど……」と司は頷き、

「つい、普段の癖が出てしまったか。しかし俺が左利きになったのは、君を庇って右腕に銃弾を受けた後遺症のせいだ」

 司は右腕をさする。北條は逡巡を挟み「ええ」と、

「分かっています」

「あのとき君を助けたのは、失敗だったな」

 人間とは、ここまで堕ちてしまうものなのか。刑事としての矜持を掲げ、それを部下に授けていた司にも確かな職務への誇りがあったはずなのに。

「いや、良かったと思う」

 司は震える声で言った。

「素晴らしく優秀な刑事の命を、救ったんだからな」

 その優秀な刑事が、俺から受け継いだ正義の下に俺を裁いてくれる。皮肉だが、これ以上に嬉しいことは無いよ。

 司はそう告げているかのように、満面の笑みを浮かべる。殺人者である彼に、北條の上司面して彼を評価する資格はない。それでもこの瞬間だけは、部下の成長を見届けさせてほしい。業に抗うよう笑う司の目から、大粒の涙が頬を伝っていく。

「行こうか」

 司はそう言って、会議室とは別方向へと歩き出す。北條は俯いたままその場を動かなかった。誠からは彼の顔が見えない。彼がどんな想いで尊敬する上司を断罪したのかも計り知れない。でもその全ては、北條の袖で顔を拭う仕草で悟ることができた。

 北條は司の後を追う。司にこれから待ち受ける司法の場へと。その先にあるものを受け入れたかのように、凛と背筋を伸ばして歩いていった。

 雨音が強く、署の屋根を叩いていた。

 

 

   2

 

「そんなの分からないよ。どうして言ってくれなかったの?」

 鞠莉は訊いた。言ってくれれば、何かが変わっていたかもしれないのに。

「ちゃんと伝えていましたわよ。あなたが気付かなかっただけ」

 ダイヤの答えを聞くと、鞠莉は黒澤邸を飛び出した。強い雨が頬を叩きつけてきたが、傘もささずに鞠莉は全速力で学校への道を走った。

 どうして、という問いが鞠莉の裡を満たしていた。誘われたときは興味なかったけど、3人で練習しているうちにスクールアイドルの楽しさに気付いて、どっぷりと魅力の虜になった。浦の星を離れることなんて考えられなかった。ふたりがいない場所で暮らしていくことなんて有り得ない。スクールアイドルはどこへ行ってもできるかもしれない。でも鞠莉がスクールアイドルをやっていたのは、ダイヤと果南がいたからに他ならない。ふたりがいなければ、輝けない。

 その気持ちもふたりは理解していたと思っていたのに。3人で過ごした日々を全員が望んでいたはずなのに、どうして――

 雨に濡れたアスファルトに滑って、鞠莉は盛大に転んだ。

 起き上がりながら、鞠莉は過去を回想した。人生の大半である果南とダイヤと過ごした日々。その中で交わされた何気ない会話。それぞれの想いが乗った言葉のしらべ。

 そして鞠莉は、記憶の一点でそれを探し当てた。

 それは2年前の下校中のこと。自宅が淡島にある鞠莉と果南は、本土からふたりで連絡船に乗って学校に通っていた。その日常はスクールアイドルを終わらせても変わることなく、表面上は普段と変わらなくても裡に鉛を飲み込んだかのようにどこか重い時期だった。

 当時、鞠莉は両親の勧めに従い海外留学を決めた。スクールアイドルという目標を失い、浦の星に留まる理由を見出せなかった。

 日本を発つのが近くなったあの日、以前よりも会話が少なくなった果南は言っていた。

 ――離れ離れになってもさ、わたしは鞠莉のこと忘れないから――

 同級生たちや教師たちから告げられたものと大差ないその言葉に、果南がどんな意味を込めたのか、今になって気付く。

 ああ、馬鹿だ。果南もわたしも。

 あんな言葉足らずで気付くはずがないよ。わたしだって自分勝手すぎるよ。

 鞠莉の未来のため、とダイヤは言っていた。どんなに未来の可能性を広げたところで、ホテルオハラ経営者一族の娘である鞠莉の未来は産まれたときから確定している。海外で経営を学び、父の跡を継いで事業を更に展開していく。良い大学へ進み、良い企業に入社し、もしくは自ら起業して豊かな資産を得ることが幸福なのかもしれない。鞠莉がその幸福を得ることを強く求められたのは、偶々得やすい家柄に産まれついたから。

 そんな幸福は一般論だ。鞠莉にとっての幸福とは、スクールアイドルとして親友たちと切磋琢磨し、その証を学校存続という形で残すこと。それを捨てなければならない未来なんて、たとえ幸福であってもいらない。

 でも、果南とダイヤは良しとしなかった。ふたりはいずれ過去になってしまう「いま」に傾倒するよりも、未来を鞠莉本人よりも見据えていた。ふたりとも鞠莉のことを見てくれていたのに、鞠莉のほうはふたりを全く見ていなかった。勝手にふたりも自分と同じ気持ちだ、と思い込んでいた。

 こんな事があって良いはずがない。互いに想い合っていたのにすれ違ったままだなんて。自分のために夢を捨てたふたりの真意に気付かないまま2年も過ごしていたなんて。

 鞠莉は叫んだ。雨音に掻き消されようが、涙が頬を打つ雨に混ざろうが、構うことなく。

 

 果南は自室で布団を被っていた。ここ最近、部屋にいるときはいつもベッドで横になって、そして泣いている。人前では普段通りでいられるが、ひとりになるとどうしようもない虚しさに耐えられなくなって悲しみに暮れていた。

 実のところ、復学が予定より遅れたのもこの悲しみ、涼を失った悲しみでずっと部屋に引きこもっていたからだった。両親は事故現場に巻き込まれたショックのせい、と警察から説明を受けていたらしい。現場にいた果南はその説明が嘘であることを知っていたが、それを訂正する気は起こらなかった。警察が市民に隠し事をしているとか、今はもうどうでもいい。

 あの日の涼の悲鳴、涼の体に浴びせられた銃弾。その時の記憶はふとした拍子にフラッシュバックする。

「涼………」

 布団のなかで、果南は嗚咽交じりにその名前を呼んだ。握った涼の手の感触を思い出そうとしたが、失われたあの手の温もりは次第に忘れかけている。失ったときの冷たさは残り続けているのに、温もりのほうは忘却へと沈んでいく。

 机のスマートフォンが鳴った。のそり、と起きて画面を見ると、鞠莉から2年振りのメッセージが届いている。

『今すぐ部室に来て』

 メッセージの文面はそれだけだった。少しだけ、虚しさが薄れた気がする。以前も遊びにしろ練習にしろ、鞠莉から呼び出されるのはいつも突然だった。こちらの都合なんてお構いなしに。

 さっきまで夕立が降っていたが、もう雨は途絶えて雲間からは夕陽が射し込んでいる。連絡船も復旧して、本土に渡れるとのことだった。

 既に生徒たちは全員下校したようだが、まだ教員たちが仕事中らしく学校の門は開いていて、駐車場にはまだ車が停まっていた。昼間は賑やかな学校なだけに、静寂は一層際立つ。部室に佇んでいた彼女も普段は何か喋っていないと落ち着かない質と知っているから、無言でそこにいる鞠莉の姿は余計に物々しく映った。

「………何?」

 部室の入口で、ぶっきらぼうに果南は訊く。

「いい加減話をつけようと思って」

 鞠莉の小さな声が聞き取り辛く、果南は中へ入ろうとする。1歩踏み出した足裏に冷たい水の感触がした。見ると床には水溜まりができていて、部室の薄暗さで気付かなかったが目を凝らすと鞠莉は全身を濡らしている。金髪の先端から雫が落ちて、彼女の足元に溜まる水にぴちゃ、と音を立てた。

 背を向けたまま鞠莉は言う。

「どうして言ってくれなかったの? 思ってることちゃんと話して。果南がわたしのことを想うように、わたしも果南のこと考えているんだから」

 ダイヤは全部話したんだ。もう逃げることはできない。

 うん、そうだね鞠莉。わたしはずっと逃げてた。スクールアイドルからも、鞠莉からも。

「将来なんか今はどうでもいいの。留学? 全く興味なかった」

 そうはいかないんだよ。鞠莉はわたしとは家柄が違うんだから。将来、わたしがなれないものに鞠莉はなれる。その可能性を自分から捨てるなんて馬鹿だよ。何でそれが分からないの。

「当たり前じゃない。だって、果南が歌えなかったんだよ。放っておけるはずない」

 振り返った鞠莉の目尻に涙が浮かんでいる。果南は思わず視線を俯かせた。鞠莉のこんな顔は見たくなかった。こんな顔をさせるために、スクールアイドルを諦めさせたんじゃない。海外で将来のために頑張ってほしかったのに、こっちに戻ってきてほしくなかったのに。それでも久しぶりに顔を見たときは、表面上は冷たくしたけどやっぱり嬉しかった。

 不意に、ぱん、という乾いた音と共に頬が痛んだ。

「わたしが……、わたしが果南を想う気持ちを甘く見ないで!」

 腕を振り切った鞠莉に、果南は抑えきれない言葉を吐き出す。

「だったら……、だったら素直にそう言ってよ」

 ひりひりと痛む頬の熱が全身に伝播していくようだった。2年間も保ってきた沈黙、溜めてきた言葉がぼろぼろと出てきた。

「リベンジとか負けられないとかじゃなく、ちゃんと言ってよ!」

 何で口達者な癖に、そういう肝心なことは言ってくれないの。わたしのためを想うなら隠さないでよ。そうすれば、鞠莉の怪我をだしに無理矢理終わらせる必要なんて無かったのに。2年もこんな気持ち抱えずに済んだのに。何のための友達なの。

「………だよね」

 反論してくるかと思ったが、笑みを浮かべる鞠莉に果南は呆気にとられた。「だから――」と鞠莉は自らの頬を指さす。わたしがやったようにあなたも、と。

 それがけじめというものだ。互いに告げるべきことを告げなかったことに対する。

 果南が手を振り上げると、鞠莉は目を閉じて然るべき瞬間を待つ。いや、と鞠莉は手を降ろした。自分たちに相応しい和解とは、暴力なんてもので成すべきじゃない。もう一度やり直すなら、初めてのときと同じがいい。

 初めて会ったあの日。

 小学校に上がって間もなかった果南は、淡島に同い年の少女が外国から移住してきた、と聞いた。人形みたいなとても可愛い女の子だよ、と両親から聞かされて、ひと目見てみたくダイヤを連れてホテルオハラの庭園に侵入した。

 ――み、見つかったら怒られますわ――

 ――平気だよ――

 大人からの叱責に怯えるダイヤの声で、庭を散歩していたその少女に見つかってしまった。話に聞いた通り、いやそれ以上に美しい少女だった。金色の髪に金色の瞳。淡く赤みが浮く頬は白い肌によく映えて、本当に人形がピノキオのように命を与えられて動いているように思えた。

 ――あなたは?――

 舌足らずな日本語を紡ぐ少女に、幼い果南はどう対処したらいいか逡巡した。いつか見た内容すら覚えていない海外の映画で、確か親友同士が親愛の証として行っていたことを思い出し、

 ――は、はぐ………――

 それはお互いの存在を感じるためのもの。

 触れる相手の肉体の持つ熱を確かめ、心を通わせる儀式。

 始まりのときと同じように、果南は両腕を広げた。

「ハグ……、しよ」

 その言葉に開かれた鞠莉の目から涙が落ちる。外見は大人びているのに、まだお子様な中身に違わず声をあげて泣き出して果南の胸に飛び込んでくる。前はよく、こうして事ある毎に抱擁を交わしていた。二度と来ることは無いと思っていた瞬間が戻ってきてくれたこの現実に、果南の目からも温かい涙が流れる。

 ふと、涼もこんな温もりを望んでいたのかな、と思った。

 永遠の零下へと落とされた彼に、この熱も、感触も与えることはできない。こうして鞠莉に再び抱擁を与えたことが、彼にできなかったことの罪滅ぼしになることは決してないだろう。

 でも、これで良いよね。

 涼に何もあげられなかったわたしでも、また親友に温もりをあげられたんだから。まだ誰かの冷えた心を温められるんだから。

 果南は強く鞠莉を抱きしめた。心が溶け合っていく感覚。交わり合う想いが、どうかずっと結ばれ続けることを祈りながら。

 

 部室から届くふたりの嗚咽と笑い声を聞いて、ダイヤは安堵の溜め息をついた。鞠莉が戻ってきた時点で何かが起こることは覚悟していたが、良い方向へ転がってくれたことは喜ばしい。全てが当時に戻ったとは言い難いが、ふたりがまたあの頃のように分かり合う日が来た。それだけで十分。

 校門まで戻ると、総出で待っていたメンバーの中で千歌が笑みを零す。

「ダイヤさんて、本当にふたりが好きなんですね」

 肯定はするが、後輩相手にそれもまた照れ臭いから「それより――」と強引に話題を変える。

「ふたりを頼みましたわよ。ああ見えてふたりとも繊細ですから」

「じゃあ、ダイヤさんもいてくれないと」

 千歌が悪戯っぽく笑う顔を近付けてくる。思ってもいない言葉に「ええ?」と声が上擦り、ダイヤはそっぽを向く。

「わたくしは生徒会長ですわよ。とてもそんな時間は――」

 それに、自分にまたスクールアイドルをやり直す資格なんてない。親友と後輩たちのため、という名目で千歌たちの輝きたい、という願いを否定してきた。同時に彼女たちなら、という期待も抱き、自分たちにできなかった夢を勝手に託していた。そんな都合の良い無責任な生徒会長に対して、千歌は言ってくれる。

「それなら大丈夫です。鞠莉さんと果南ちゃんと、あと6人もいるので」

 他の面々も、ダイヤに笑みを向けている。これまでしてきたことの報いを受けられず、正反対なこの和みにどう返したらいいか逡巡していると、ルビィがダイヤの前に立った。

「親愛なるお姉ちゃん。ようこそAqoursへ」

 もし妹と共にステージに立てたら。そんな夢を見なかったことはない。自分が1年生の頃、ルビィも浦の星に入学したら一緒にスクールアイドルをやりたい。でもその夢は自らの手で潰した。自分のせいでルビィもスクールアイドルを諦めかけ、あくまで曲の聴き手に徹しようとする姿を見るのは辛かった。

 だから、2年後にルビィが自らの意思で夢を掴んでくれたのは、直接伝えることはできなくても自分のことのように嬉しい。自分に妹と同じ夢のステージに立つことは、本来ならば赦されないことだ。

 でも、目の前の妹はダイヤが自ら嵌めた枷を外そうとしてくれる。ルビィだけでなく、他の後輩たちも。一緒に歌い踊ってほしい、と迎えてくれる。

 まだ自分には、夢を見る資格がある。資格を彼女たちは与えてくれた。ならばその恩に報いよう。再び、あの頃の夢を取り戻して。

 ダイヤは笑みを返した。

 2年前に止まった時が、動き出した瞬間だった。

 

 

   3

 

 もうすぐ陽も暮れようとしているにも関わらず、普段なら眠ろうとするこの地方市街もこの日は大いに賑わっていた。駅から川までの道には屋台が並び、リンゴ飴や綿菓子といった祭り限定の食べ物が売られている。道行く人々の多くは浴衣を着て、時たま扇子やうちわで穏やかな風を顔に浴びている。その喧騒はどこか東京に似ているが、年に多くはないこの街で起こる人々の織り成す声に東京で連日感じられる鬱陶しさはない。むしろ暖かで心地良い。

 狩野川の河口で打ち上げられる沼津夏祭りの花火は、海に面した沼津市の土地を活かし市街地からも間近で見られる全国でも珍しい催しだ。河川沿いに建つマンションのバルコニーから顔を覗かせる者も多く、街に降りなくても祭りの雰囲気を楽しむことができる。

 祭りの日こそ酔っ払い同士が喧嘩をしやすく警官が配備されるのだが、それは沼津市警の役目で、誠たち警視庁からの出向組は仕事終わりに祭りを楽しむ余暇を与えられた。

「良いわね、こういうのも」

 屋台で購入した牛串焼きを肴に缶ビールを飲みながら、小沢が言う。因みに駅前で缶1本を飲み干し、今は2本目に突入しているがアルコールの影響は見られない。

「氷川さんは静岡出身なんですよね。来たことあるんですか?」

 尾室の質問に誠はかぶりを振った。

「いえ、沼津には来たことがなかったので」

 いくら地元と同じ県内といっても、親戚や友人がいなければ足を運ぶ縁はない。花火大会はどこの自治体でも催されるもので、珍しいものではない。誠たちは警察官という仕事柄、あまりこういった場で羽目を外す機会に恵まれなかった。

「でも驚きましたね。あの司さんが殺人犯だったなんて」

 尾室が言うと、小沢も「全くね」と応じる。

「いくら自首したとはいえ、とんだ食わせ者だったわ」

 アンノウンとは別件だった花村久志殺害事件。その犯人が司龍二だったことの衝撃は、すぐに署内に広まった。その罪を暴いたのが北條透であることも。誠はあの場のことを誰にも告げ口していないが、黙っていても殺人という警察官として最大の汚職はどうしても同業への警鐘として広められる。

 警察官だからといって聖人君主なわけじゃない。だからこそ自身を律し法の番人として在れ、と。

「ちょっと複雑ですよね。これで司さんが立案したG3ユニット改革案も白紙に戻って、僕たちの首も繋がった、てわけですけど」

 尾室の言う通り、司発案の新生G3ユニットは稼働直前にして頓挫し、引き続き誠たち現在のユニットメンバーで運用を継続する形になった。市民からの目撃情報からアンノウンもアギトが撃破した、と推測され、当面の問題は解決された。

 でも、誠の裡は晴れない。小沢に誘われなければ、こうして祭りに足を運んで喧騒に身を埋もれさせる気も起きなかっただろう。

「氷川君、どうかした?」

 この懊悩は小沢にお見通しだったらしい。

「あの司さんが、どうしても信じられなくて………」

 彼が自ら罪を自白する現場を目撃したというのに、未だに受け入れることができていない。同じ法の番人としての警察官が罪を犯してしまうなんて。多くの犯罪者を見てきて、自分はこうはなるまい、と戒めてきたはずなのに。北條はどうやってこの気持ちに整理をつけたのだろうか。

「時として人は信じられないことをする。あなたも刑事なら、それくらい分かってるでしょ」

「それは、そうですが………」

 犯罪者とは皆が同類というわけじゃないことは理解している。過去に何度も犯罪歴のある者もいれば、素行不良もなく健全な社会生活を送っていたのに突然罪を犯す者もいる。例え善良な人間でも、何かがきっかけで悪意の根を裡に降ろし表層へと茎を伸ばしてしまう。

 ビールをあおり、小沢は言った。

「ある意味アンノウンより人間のほうが怖いのかもしれない。裏があって表があって、更にまた裏がある。そんな生き物はまあ、人間だけでしょうね」

 空を飛ぶ鳥も、水中を泳ぐ魚も、悪意なんて感情は持たない。それは複雑な神経系統を持った人間のみの感情だ。この世界で最も高度な知能を与えられたにも関わらず、他者を傷付けるために使ってしまう。この祭りで賑わう人々の裡に、今この瞬間に悪意の種を植え付けられる者はいるだろうか。

 街を行き交う人々は狩野川に行くにつれて密度が高くなり、やがて河川敷に着くとピークを迎える。群衆はもはや潜り込む余地もないほどすし詰め状態だが、河川敷から多少離れていても花火を見るのにさして障害はない。

 誠たちは打ち上げの瞬間を河川敷の淵で待っていたが、駿河湾で咲いたのは別の花だった。海上に設営されたステージで黄色い柔らかな光が灯り、舞台に立つ9人の少女たちの姿が浮かび上がる。

 その少女たちは、誠とも浅からぬ縁があるAqoursだった。東京で護衛にあたったときは6人だったが、新メンバーを迎えたらしい。その新メンバーの3人のなかに果南の顔があった。アギト捕獲作戦の現場に遭遇したばかりにショックでしばらく部屋に籠っていた、と彼女の両親から聞かされていたが、立ち直ったらしく彼女はこちら側の観客に笑顔を振り撒いている。

「へえ、良い機会だったわね。東京じゃあの子たちのライブ観られなかったわけだし」

 小沢が笑みと共に言うと尾室も、

「僕、学生の頃μ’sのファンだったんですよ。秋葉のライブなんか感動して泣いちゃって」

「μ’s?」

 小沢が訊くと尾室は目を見開き、

「知らないんですか? 伝説のスクールアイドルですよ。ラブライブ決勝戦がアキバドームで開催されるのもμ’sが秋葉のライブを成功させたからこそ――」

「はいはい分かった分かった。曲始まりそうだから静かにしなさい」

 まだ語り足りないらしく尾室は口を尖らせるが、素直に黙ってステージへ目を向ける。穏やかな旋律で曲のイントロが始まり、Aqoursの9人が(たお)やかに踊る。

 それは少女期の幼さを歌った曲だった。幼い故に間違い、すれ違い、それでも前を向いて、まだ視えない未来へ恐れず進んでいこうとする。

 未熟さは恥とも捉えられるが、それは大人特有の矮小なものかもしれない。恥を恥と感じるのは、それを糧としないからだ。彼女たちはきっと、自分の未熟さも夢や未来への糧として受け入れた。自分になくてはならないもの、と肯定できた。だからこうして歌うことができる。恥でなく、誇りとして。

 曲がサビの部分へ突入すると同時、花火が打ち上がった。大音響だがそれに掻き消されることなく、Aqoursの歌声も響く。夜空に咲く花のように、自分たちの夢もまた空に大きく花弁を広げていきたい、という願いが。

「未熟DREAMER………」

 サビで歌われた曲のタイトルを、誠は反芻する。彼女たちよりも少しばかり長く生きているだけの自分もまた、人としても刑事としても未熟なまま。いや、どれだけ生きようとも人は皆未熟なのかもしれない。完成された人間なんてどこにもいない。皆どこかに綻びがあり、そこから歪んでしまう。誠もそうだし、天才と謳われる小沢もまた然りだ。

 でもだからこそ、もっと良くありたい、と強く思う。刑事としても、人としても正しく在りたい。何人にも侵すことのできない、確固な信念を抱いて生きたい。

 僕はG3の装着員。Aqoursと、このライブを観ている人々の平穏を背負った、警察官なのだから。

 

「Aqoursか………」

 歌い終わった舞台袖で、果南が感慨を抱きしめながら自分たちの名前を口にする。久し振りのステージで、まさかそのグループを名乗ることになるなんて。

「ん、どうしたの?」

 曜が訊いてくる。

「わたし達のグループもAqours、て名前だったんだよ」

 「え、そうなの?」と千歌が言った。梨子が顎に手を当てて思案しながら、

「そんな偶然が………」

 梨子の言う通り、そんな偶然は有り得ない。Aqoursのスペルは、ラテン語で「水」を意味する「Aqua」と英語で「わたし達の」を意味する「ours」を繋げた、決して誰にも真似できないように考えた名前。

「わたしもそう思ってたんだけど」

 千歌たちの初ライブでその名前を聞いたときは、鞠莉の入れ知恵と思っていた。でも鞠莉本人からそれを否定されて、残るはこの会話に知らない振りを決め込む者に限られる。全員の視線が、その本人へと向けられた。

 堅物に見えて、実は誰よりもスクールアイドルが好きな者。まだ夢に目を輝かせていた頃の想いを捨てきれなかった、生徒会長へと。

「千歌たちも、わたしも鞠莉も。多分まんまと乗せられたんだよ。誰かさんに」

 

 




次章 シャイ煮はじめました / 暴走する力

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