ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第4話

 

   1

 

 夜の沼津はとても静かだ。静寂のなか、先ほどのような怪物たちが街に潜んでいることを、住民たちは知っているのだろうか。少なくとも、果南を乗せた車を走らせるこの男は知っているらしいが。

「あの、あなたは………」

 恐る恐る、果南は声を絞り出す。乱暴することを目的に果南を車に乗せたわけではなさそうだし、万が一のことがあれば力を使って逃げ出せばいい。それに、この男が何故あの怪物を知っているのかも気になる。

相良克彦(さがらかつひこ)だ」

 男は短く応える。それ以上のことは何も語らず、夜の街に車を走らせていく。

 相良が車を停めたのは市内のマンションだった。エントランスに入るときも、エレベーターに乗るときも、廊下を歩くときも、相良は無言を貫いていた。時折果南が着いてきているか確認するように目を配せることはあったものの、何か言葉をかけるどころか体に触れさえもしなかった。

 その沈黙が尚更恐怖を掻き立てる。歩みを進める度、足音が響く毎に冷や汗が背中を伝っていく。

 やがて、相良は廊下に並ぶドアのひとつを前にして足を止めた。インターホンを押すと、すぐにスピーカーから若い女性らしき声が聞こえてくる。

『はい』

「俺だ」

 その短いやり取りの後、すぐにドアからがちゃん、と鍵を開錠する音が響いた。それも3回。鍵が3個も付いているなんて多すぎる。このマンション独自のセキュリティとでも言うつもりか。

 中からドアがゆっくりと開けられ、相良はじれったいのか無造作に開け放ち狭い玄関へ入る。部屋の中から眼鏡を掛けた大人しそうな女性が、果南をじ、と凝視する。

「本当なの? その子の力が覚醒を始めた、て」

「ああ、しかもかなり強力にな」

 ふたりは夫婦なのだろうか。それにしては随分と淡泊な雰囲気だが。廊下で立ったままでいると、「入れ」と相良に言われ果南は部屋へと入る。

 部屋の中はとても綺麗に片付けられていた。生活感がまるでない。つい最近引っ越してきたばかりか、住居としての部屋でないのか。インテリアの類が全く見当たらない。テーブルとソファしか置かれていないリビングに通された果南は、女性に促されるままソファに腰掛ける。女性は相良の隣に立ち、彼と共に果南へ冷たい視線を送ってくる。

「俺たちがあかつき号であの事件に遭遇して2年。いつかこうなると分かっていたが………」

 相良が何を言っているのか、果南には咀嚼できていなかった。あかつき号。確か涼の父が乗っていたというフェリーボートの名前。このふたりもあかつき号に乗っていたということか。いや、相良の口ぶりはまるで果南も乗っていた、とでも言っているよう。

「アギトに接触して、覚醒の時が早まったか」

 「アギト……?」と果南は反芻する。それは何を意味する言葉なのだろう。

 「ねえ」と女性は相良に訊く。

「この子は思い出したの?」

「いや、まだ忘れているらしい」

 相良が言うと女性は「そう……」と安堵したように溜め息をつく。

「一体何のことなんですか」

 我慢できなくなり、果南は立ち上がって語気を強める。さっきからふたりの会話が全く理解できない。

「忘れているならそれでいい。思い出そうともするな。思い出したら地獄を見ることになる」

 「いいか」と相良は果南の両肩を掴み、真っ直ぐに瞳を見据える。

「何があったのかは知らないが、静かに暮らしたいなら無暗やたらに力を使うな。奴らに嗅ぎつかれるぞ」

「勝手に決めないで!」

 肩の手を払いのけ、喚くように言う。

「あの人たちはわたしの好きな人を殺した。だからわたしが殺す。涼の仇を討つ!」

 復讐が何の解決にもならないことは理解している。涼がこんなことを望まないことも。でも、だからといってこの止めどない悲しみはどうすればいい。この虚無はどうやって埋めればいい。もうスクールアイドルで埋まるものじゃない。あの居場所は涼の代替にはならない。

 ならばもう、復讐しか生きる道はないじゃないか。

「これはお前のためなんだ。何もかも忘れろ。奴らは恐れているんだ。お前のような存在が――」

 最後まで聞かず、果南は念を部屋中に巡らせた。リビング、キッチン、寝室からありったけの電気コードをかき集め、それらは蛇のように床を這って相良の体へと巻き付かせる。足元と胴体、更に喉元を締め付ける。

「やめて! お願い!」

 女性が叫ぶ。果南が駆け出すと女性は「ひっ」と短い悲鳴をあげ、身悶えする相良はバランスを崩して床に倒れる。そのふたりを無視し、その横をするりと素通りして玄関で靴を掴むと裸足のまま外へ飛び出した。

 街灯のみが照らす街のなかをひたすら走り続けた。時折後ろを見て、ふたりが追ってこないか確認しながら。車が通りかかると家の陰に隠れた。現在地もどこへ向かっているのかも分からないまま走り、マンションが見えなくなったところでようやく足を止める。ペース配分も考えず長く全力疾走したせいか、一気に疲労が押し寄せてきた。粗い呼吸を繰り返す口に入った玉汗がしょっぱい。ひとまず地図アプリで現在地を確認しよう、とスマートフォンを取り出すと、画面にたくさんの着信とメッセージ通知が表示されていた。着信は全て千歌から、最後に通知されているメッセージも千歌からだった。

 ――先に皆で食べてるね。果南ちゃんの分も残しておくから早く帰ってきてね――

 その短い文面を見た途端、両眼から涙が溢れてくる。千歌は、Aqoursの皆は待ってくれている。自分がついさっき、人を殺していたなんて知らず。いや、きっと知ったとしても信じないだろう。

 あの場所に戻るなんて赦されない。でも、それでも赦しを請わずにいられない。例えもう、スクールアイドルとしてステージに立てなくても構わない。でも、せめて彼女たちにもう1度会わせてほしい。それが皆を騙すことになっても。全てを知られたとき、全てを失うことになっても。

 

 

   2

 

 合宿の間は十千万にメンバー分の部屋を取ろうと思ったのだが、生憎繁盛期の今は旅館としては有難いことに満室になっている。予約のキャンセルもなく、やむなく千歌の部屋に全員分の布団を敷いて寝ることになった。

 店の営業に練習というハードな1日を過ごしたからか、皆は床に就いてすぐ寝息を立てていた。千歌もかなり疲れてはいたが、なかなか寝付くことができずにいた。まだ戻ってこない果南が心配ということもあるが、もうひとつ気掛かりなことがある。布団を被り、千歌はスマートフォンで「ピアノコンクール」と検索をかける。

 検索リストの中で直近に開催されるコンクールのホームページを開くと、予選の開催日は8月20日とある。その日はラブライブの予備予選の日でもあった。間違いない、と千歌は確信する。梨子のもとに届いたコンクールはこれだ。そろり、と千歌は布団から出て、床で寝ている梨子に「梨子ちゃん」と小声で呼びかける。起きる気配はないが、大声を出すわけにもいかないので彼女の両頬を摘まんで「梨子ちゃーん」と再び呼ぶ。

「千歌ちゃん……」

 ゆっくりと目蓋を開いた梨子が、千歌を見上げながらすぼめられた口で言う。

「面白がってませんか………?」

 皆が寝ている部屋で話をするわけにはいかない。ふたりは忍び足で十千万を出て、三津海水浴場に場所を移した。できることなら皆にも話を聞いてほしいが、きっと梨子はそれを望まないだろう。きっと梨子も答えを出しあぐねている。なら、彼女の悩みを知るのは千歌ひとりでいい。

「ピアノコンクール、案内来てるんだよね?」

 ふたりだけで立つ砂浜で唐突に切り出すと、梨子は目を微かに見開き、すぐに苦笑を漏らした。

「ばれてたか」

 ラブライブとピアノコンクール。どちらを優先すべきか、千歌には決められない。勿論一緒にラブライブの方に出て欲しいが、梨子にとってはピアノだって大事なはず。これは梨子自身が答えを出さなければならない。誰かのためとかじゃなく、梨子自身がやりたいこととして。

「心配しなくて大丈夫。ちゃんとラブライブに出るから」

「え?」

 本当にそれで良いの、と訊きそうになり、千歌は口を閉じる。続きを聞かないと。梨子の気持ちを。

「確かに、初めて知らせが届いたときはちょっと戸惑ったよ。チャンスがあったらもう1度、て気持ちもあったし」

 雲間から月が出てきて、海面が月光を反射する。月光に照らされた梨子は笑っていた。

「でも合宿が始まって、皆と一緒に過ごして。ここに越してきてから、この学校や皆やスクールアイドルが、自分のなかでどんどん大きくなって。皆とのAqoursの活動が楽しくて」

 最初は梨子にとって、内浦はとても退屈な場所だったと思う。生まれ育った千歌でさえ退屈していたのだから。あまり人はいないし、娯楽だって少ない。こんな土地じゃ夢も持てない。ただ退屈を持て余して流れゆく時間を無為に過ごしていくだけ。

「千歌ちゃんとの出会いも」

 でも、都会から来た梨子は内浦にいる意味を見出していた。その意味に、千歌は相応しい人間になれているだろうか。こんな、何の取り柄もない普通怪獣に。

「自分に訊いたの。どっちが大切なのか。すぐ答えは出た。今のわたしの居場所はここなんだ、て」

 スクールアイドルとピアノ。そのふたつを天秤にかけて、梨子はスクールアイドルを選んでくれた。それはとても嬉しくはある。でも、本当にそれで良いのかな、とも思った。大切なものに優劣なんて付けるべきだろうか。どちらかを選ぶのに、片方を捨てなければならないなんて一体誰が決めたのだろう。

「………そっか」

 納得はできないが、するしかない。それが梨子の出した答えなら、千歌は受け入れるだけ。

「今のわたしの目標は、今までで1番の曲を作って予選を突破すること。それだけ」

「うん、分かった。梨子ちゃんがそう言うなら」

「だから早く歌詞ください」

「えー⁉ 今言うそれ」

「当たり前でしょ。さ、風邪ひくといけないから、戻ろ」

 踵を返して十千万へと歩く梨子の背中をじ、と見つめる。今の彼女はピアニストじゃなく、スクールアイドルとして在ることを選んだ。その選択を否定してはいけない。Aqoursのために曲を作ろうとしているのだから。

 でも、やっぱり――

 千歌が梨子の背中へ告げようとしたとき、

「果南さん?」

 梨子がそう言って早足で向かう。千歌も後を着いていくと、十千万の門の前で果南が佇んでいた。

「果南ちゃん!」

 呼ぶと「千歌……」と応じた果南は、額から汗を滴らせている。買い出しに行くと言っていたが手に荷物はない。やはりどの店も閉まっていたのだろう。

「もう、どこまで走ってきたの? 何度も連絡したのに」

 口を尖らせると、果南は「ごめんごめん」とおどけた笑みを浮かべる。

「気が付いたら結構遠くまで行っちゃっててさ。それよりお腹空いちゃった。わたしの分ある?」

「うん。取ってくるからお店のほうで待ってて」

 そう言って千歌は十千万へと早足で戻っていく。後ろで「梨子ちゃんは寝てなよ」「いえ、付き合います」とふたりの会話が聞こえた。

 台所で冷蔵庫から果南用に残しておいたシャイ煮と堕天使の涙――これは果南の口に合うか分からない――を出したとき、天井からどん、という音が響いた。最初は千歌の部屋でハンモックを吊るしていた善子が落ちたのかと思ったが、位置からして翔一の部屋だ。戻ってきたのだろうか。料理をテーブルに置いて、千歌は翔一の部屋へと向かった。

 部屋の前に着くと、襖をノックする。

「翔一くん?」

 返事はない。千歌は襖を開けて部屋に入った。

 

 ――立て――

 裡から沸く声に起こされた涼は全身がとても熱かった。血液が沸騰し、このまま体内から蒸発してしまいそうなほどに。ベッドから這い出ただけで汗が大量に吹き出してくる。

「翔一くん?」

 少女の声が聞こえる。涼はまるで赤ん坊のように、腕を這って押入れへと進む。少女が部屋に入ってきたのは、涼が押入れへ潜り込んだのとほぼ同時だった。閉まり切っていない襖から覗くと、部屋に入ってきたのは寝間着姿の、果南よりも少し幼い少女だった。「翔一くん」と呼びながら部屋のなかを見渡している。

 ――襲え――

 また声が聞こえてくる。心臓がどくん、と強く脈打つ。

 ――あの無垢な少女を汚せ――

 黙れ。びくん、と痙攣する腕を抑えながら涼は念じる。それでも裡から目覚めようとしているものは黙ろうとしない。

 ――彼女の柔らかい肌を握り潰せ。あの体に詰まっている血を啜れー―

 腕の筋肉が隆起し始めた。唇を噛み、滲んだ血の匂いが口の中に広がっていく。

 ――襲え!――

 首を傾げながら、少女が部屋から出ていく。襖が閉じられるのと同時、涼は押入れから出て床に身を伏せた。殆ど動いていないのに疲労が激しい。このまま目を閉じたら眠れるだろうか。いずれ裡の力に呑まれて人を襲ってしまうのなら、このまま永遠に眠ってしまいたい。

 そう願っても、涼の体は生きようとしている。どくん、という心臓の鼓動が強く涼の体に響いていた。

 

 

   3

 

「どうなの? 北條透の具合は」

 昨夜の事件から一夜明けたGトレーラーで、誠に尋ねる小沢はどこか嬉しそうだった。

「はい、大したことはないようです。もう現場に復帰すると言っていました」

 ガードレールで簀巻(すま)きにされ、救急搬送された北條に誠も付き添った。救急車のなかで彼は意識を取り戻し、病院での検査で特に外傷も内傷も無しと診断された。大事を取って一晩だけ入院という措置が取られたが、先ほど不可能犯罪捜査本部のオフィスに出勤してきたところだ。

「そ、残念ね」

 表情を一転させ、小沢は椅子に腰かける。

「それにしても北條透を襲ったのが人間だったなんてね。それも超能力者なんて」

 北條の証言では、襲われた際に人影のようなものを目撃したという。夜だったこともあり顔は見えなかったそうだが、体形からして女性らしいとのことだ。他に目撃証言もなく、足取りは完全に途絶えている。

「手口から見て、殺された2名の機動隊員と同一犯と思われます。そして直後にアンノウンが現れた」

 現れたアンノウンは、無防備にも関わらず北條を襲わなかった。この事実が、襲撃犯が人間で、しかも超能力者と裏付けている。

「皮肉なもんよね。結果的に北條透はアンノウンに助けられたことになるんだから」

 確かに。あのままアンノウンが現れなかったら、北條はふたりの機動隊員のように殺されていたかもしれない。

 因みに本庁所属の機動隊員が沼津に滞在していたのは、作戦後の長期休暇を利用してのバカンスだった。他の作戦に参加していた隊員たちに聴取したところ、殺害されたふたりはサーフィンが趣味で駿河湾での波乗りを楽しみにしていたという。

「でも何を考えているんでしょう、その犯人」

 尾室が言った。

「どうしてアギト捕獲メンバーばっかりを」

 犯人が人間であるなら、捕獲隊メンバーに対して怨恨を抱いているということだろう。アンノウンに比べれば「人間味」があるから、犯行動機の推理もしやすい。でも、何故捕獲隊を恨んでいるのか。あの緑色の生物に何らかの想い入れがあるのだろうか。

 「さあね」と小沢はいくら考えても現状では答えが出ない尾室の疑問を一蹴し、

「でもこれでアンノウンは超能力者を狙う、ていう氷川君の説も信憑性を帯びてきたわね」

「でも何故、何故アンノウンは超能力者を襲うんでしょう?」

 それは以前、司龍二から向けられた疑問だった。何もかもが謎に包まれた存在に、そんな疑問を向けるのは無駄なのかもしれない。理由を知ったところでアンノウンによる不可能犯罪を防ぐ手立てがあるとは言えないが、やはり疑問は抱かずにはいられない。

 小沢は明後日の方向へ視線を向け、探るように言葉を紡ぐ。

「超能力というのが人間の未知の可能性の芽生えとするなら、アンノウンはそれを怖れているのかもしれないわね」

「未知の、力………」

 人間は脳を全体のうち10%しか使っていない、という説がある。この説は科学的には「神話」即ち根拠のない娯楽的な都市伝説だ。でもこの10%神話の本質は説の真偽ではなく、人間には未知の可能性がある根拠として扱われていること。自分たちにはまだ進化の余地が残されている。脳が残りの90%を発揮できるようになったとき、現在の科学では説明のつかない現象が起こせるかもしれない、という希望。

「とにかく今はアギト捕獲作戦に関わった者の護衛のことを考えましょう。さっき上から通達があったわ。氷川君は北條透の護衛をするように、て」

 「ま、仕方ないわね」と溜め息をつきながら、小沢はPCのキーを打ち始めた。

 

 青年を翔一の部屋に寝かせてもう3日経つが、未だ目覚める気配はない。いや、1度目覚めてはいるのかもしれない。昨夜アンノウンとの戦いから戻ったら、青年は床でうつ伏せになっていた。いくら呼びかけても起きないからまたベッドに寝かせたのだが、今度目覚めるのはいつになるか、全く予想はつかない。

 冷水を絞ったタオルを額に乗せ、翔一は眠り続ける青年の顔を覗き込む。顔色は健康的とは言えないが、大分血色が良くなってきた気がする。

 続いて腕へと視線を移した。顔よりも腕のほうの血色が悪い。水気もなく、皮膚が収縮して皺が寄っている。まるで死人の皮を貼り合わせたみたいだ。

「翔一くん」

 襖の奥から千歌の声が聞こえて、翔一は「はい」と応じて襖を半分だけ開ける。朝の練習に向かうのか、部屋の前に立つ千歌は既に練習着に着替えていた。

「ああ千歌ちゃん。おはよう」

「おはようじゃないよ。昨日もまた戦いに行ったんでしょ? 無事に帰ってきたんなら言ってよ。心配したんだから」

「ああそうかそうか、ごめん」

 ずんずん、と詰め寄ってくる千歌をこれ以上進ませまいと、両腕を広げて立ち往生する。その挙動が怪しまれたのか、

「誰かいるの?」

「いや、別に」

 と翔一は部屋を覗き込もうとする千歌の眼前を体で覆う。

「何か変。もしかして猫でも拾ってきたとか?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「じゃあ何? 見せてよ」

 襖を更に開けようとする千歌の腕を「不味いって!」と掴み、

「千歌ちゃんきっと驚いちゃうからさ」

「驚く、て何に?」

 「良いから良いから」と肩を掴んで回れ右させ、背中を押して部屋から追いやる。

「落ち着いたら言うからさ、今日のところはごめん!」

 ばたん、と勢いよく襖を閉じると、奥から「もう!」という千歌の声が聞こえた。ふう、と安堵しながら振り返ると、すぐ目の前に青年が立っていた。「おおっ」と驚くが、すぐに青年の目覚めに頬が綻ぶ。

「あれ、目覚めました?」

「ここはどこだ?」

 青年は無感情に訪ねてきた。

「十千万旅館です。あ、そんなことよりお腹空いてません?」

 

 

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