ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
「梨子ちゃん」
その声と、頬を包み込む手の温もりが梨子の意識を眠りから引き揚げる。重い目蓋を開くと、昨夜と同じく宵闇のなかで笑っている千歌の顔が見える。
「なあにい……?」
「ひとつお願いがあるの」
一体何だろう、とまだ眠い脳を巡らせながら、梨子は音を立てないよう布団から出る。
「海に還るもの」
千歌の口から出たタイトルで残っていた眠気が飛ぶ。どうしてそれを、と訊きたかったが、顔に出ていたのか千歌は先に答えを言う。
「ごめんね。今日の昼、梨子ちゃんの部屋で楽譜見たんだ。聴いてみたくて」
「でも、こんな夜遅くは………」
「それなら大丈夫」
千歌はそう言って笑った。
自宅から譜面を取ってくると、十千万の前で千歌は2台の自転車と共に待っていた。
「こんな夜中にどこ行くの?」
「良いから良いから」と千歌はサドルに跨ってペダルを漕ぎ始める。梨子も残された自転車に乗って後を追った。
太陽が水平線の彼方へ隠れた夜は、昼間と比べて断然涼しい。海の方から流れてくる潮風はどこか湿り気を含んでいて、冷たいというより温めだ。
千歌は長井浜方面へと自転車を走らせていた。途中でもしかして、と梨子は思ったが、予想通り千歌は県道から丘への道、浦の星女学院への道を走っていた。こんな深夜に校門は当然閉じているのだが、千歌は軽々と門をよじ登って学校の敷地に侵入する。校門なんて人の背丈くらいしかないから乗り越えるのは簡単だが、夜の学校に入るなんて忍びない。でも「ほら」と手招きする千歌に、しょうがないな、と思いながら梨子も門を乗り越えた。
校内にはスクールアイドル部の部室から入った。部長の千歌が鍵を管理していたから、侵入事態は簡単だ。
「考えてみたら聴いてみたことなかったな、て」
目的の場所までの廊下で、千歌はそう言っていた。確かに、家が隣同士でいつでも機会はあったのだが、千歌に梨子が作った曲を聴かせたことはなかった。自室に招いてピアノを披露することはあったが、それはAqoursの曲の試聴のため。梨子が誰かのためじゃなく、自分のために作った曲を千歌は知らない。
「ここなら思いっきり弾いても大丈夫だから」
目的の教室、音楽室に着くと千歌はそう言って梨子をグランドピアノへと促す。確かに学校なら、周辺に民家はないし近所迷惑にならない。
「梨子ちゃんが自分で考えて、悩んで、一生懸命気持ち込めて作った曲でしょ。聴いてみたくて」
「でも………」
「お願い、少しだけでいいから」
千歌の言う通り、この曲を作るのは簡単な作業ではなかった。誰かのためでなく、自分のための曲。自分の想いのままを表現するというのは、結構な根気を要する。何度も鍵盤を弾いて、何度も音符を書き直した。こうして完成した今でも、この曲の良し悪しは分からない。
「そんな、良い曲じゃないよ」
梨子は椅子に腰を落ち着かせ、鍵盤の蓋を開いた。鍵盤に触れようとすると、しばし逡巡する。観客が千歌だけとはいえ、人前で弾くのは少し緊張する。コンクールの全国大会に出場した経験もあるというのに、妙なものだ。
意を決し、鍵盤を指で弾く。いざ演奏を始めると、思いのほかすんなりといくことができた。
海に還るもの
内浦の海でダイビングをしたときに聴こえた、海の奏でる音。波のうねりのようで、でも海の底から湧き出る胎動のようでもあって。不思議な音だった。獣の咆哮とも、人の言葉とも異なる。全ての生命の根源から発せられる息吹にも感じられたけど、それに当てはまるとも断言できない。
あのときの音が、この曲になったの?
演奏しながら、梨子は裡で自身に問う。違う、と答えはすぐに出た。あの音がきっかけになったのは変わりない。でも譜面に書き起こした音符は、この内浦で過ごすうちに、自然と並んでいったもの。Aqoursとして皆と歌い踊って、ひとりまたひとりと仲間も増えていって。良いことばかりじゃなく、挫折も味わった。それでも皆でまた進むと決めた。輝きたい。千歌が発したその願いに、どうして共に歩こうと思えたのか。
ああ、と梨子は気付く。
わたしも、輝きたかったんだ。
千歌や、他の皆と同じように、わたしも輝ける場所を探していたんだ。
「………いい曲だね」
演奏が終わると、千歌は純粋な感想を述べてくれる。
「すっごく良い曲だよ。梨子ちゃんがいっぱい詰まった」
面と向かって褒められると照れ臭く、梨子は顔を逸らす。自分で作った曲を褒められるということは、つまりは曲に詰め込んだ自分の想いを肯定されたということ。千歌は感じ取ってくれただろうか。この曲に込められた、内浦で過ごした日々への思慕を。千歌やAqoursの皆と育んだ絆を。
「梨子ちゃん。ピアノコンクール出てほしい」
その言葉に梨子は息を呑んだ。千歌もコンクールの日程は知っているはず。ラブライブの予備予選に出られない。
「こんなこと言うの変だよね。滅茶苦茶だよね」
と千歌は苦笑する。
「スクールアイドルに誘ったのはわたしなのに。梨子ちゃん、Aqoursのほうが大切、て言ってくれたのに」
そう、今はAqoursのほうが大事だ。皆で、9人でゼロを1にするために合宿で猛特訓したじゃないか。梨子の問題に皆を巻き込むわけにはいかない。いや、雑念がなかったわけじゃない。さっきの曲が証拠だ。口ではAqoursが大切と言っておきながら、どっちつかずに迷っている。千歌はそれを見抜いていたのだろう。
「でも、でもね――」
「わたしが一緒じゃ……、嫌?」
「違うよ! 一緒がいいに決まってるよ!」と千歌は強く言う。
「思い出したの。最初に梨子ちゃん誘ったときのこと。あのときわたし、思ってた。スクールアイドルを一緒に続けて、梨子ちゃんの中の何かが変わって、またピアノに前向きに取り組めたら素晴らしいな、て。素敵だな、て」
その時のことは、梨子もしっかりと覚えている。ピアノから逃げ出してしまいそうで、そんな自分が赦せなかった梨子に、千歌は赦しを与えてくれた。やってみて笑顔になれたら、変われたらまた弾けばいい。千歌はそう言ってくれた。
「でも………」
梨子は視線を落とす。自信が持てない。今が、弾く時なのだろうか。曲を作れたからといって、自分は変われたのだろうか。実感が、確信が沸かない。
視界に何かが入り込み、梨子は顔を上げた。それは千歌の手だった。
「この街や学校や、皆が大切なのは分かるよ。わたしも同じだもん。でもね、梨子ちゃんにとってピアノは同じくらい大切なものだったんじゃないの? その気持ちに答えを出してあげて」
胸の奥から熱が込み上げてくるのを感じた。ああ、あの時と同じだ。千歌は梨子の気持ちを汲み取って、手を差し伸べて海の底のように暗い場所から引っ張り上げてくれる。
「わたし待ってるから。どこにも行かない、て。ここで皆と一緒に待ってる、て約束するから。だから――」
最後まで待てず、梨子は千歌を抱きしめる。
「本当、変な人………」
どうしてわたしのために。ささやかな疑問が沸いたがすぐに消えた。逆の立場なら、梨子もきっと千歌に前進を促した、と断言できる。何故なら、千歌は大切な友達だから。この内浦で出会って、梨子を前へと進ませてくれた人だから。望みを叶えてあげたい。足を踏み出せずにいるのなら、背中を押してあげたい。
腕を離すと、自然とふたりで両手を繋いでいた。とても暖かい千歌の手。彼女の裡から発せられる想いは、いつだって梨子と繋がっている。たとえ離れてしまっていても。
「大好きだよ」
だから、必ずまた戻ってくる。この内浦に。大好きなAqoursがいる、この居場所に。
2
窓の障子を僅かに開けると、水平線から太陽の光が漏れ出ているのが見えた。懐かしいな、と涼は今となっては悲しくなってしまった感慨を覚える。故郷の漁村に暮らしていた頃、朝釣りに出掛けたときはよく岬で夜明けの瞬間を見ていた。
翔一によると3日は眠っていたらしい。長く休めたお陰か、体は前よりも軽くなった。老人のような腕はそのままだが、ちゃんと動くし力も入る。
障子を閉じて振り返ると、翔一は床に敷いた布団で気持ちよさそうに寝息を立てている。ベッドは涼に譲ってくれた。どこまでもお人好しな青年だ。自分を殴った男を介抱するなんて。
「世話になった」とちゃぶ台のメモ用紙に書き、涼は部屋を静かに出た。
――果南――
愛しいその声が聞こえたような気がして、果南は目を覚ました。寝たはずなのに、体がひどく重い。でも当然だ、と思い直す。人をふたりも殺してしまったのだから。皆の前ではどうにか何食わぬ顔ができたけど、完全に蓋をすることはできない。フラッシュバックは涼の今際の叫びに、殺したふたりの叫びまでが加わっている。ふとした時に叫びは果南の脳裏にこだましていた。
布団から出て、まだ寝ている皆の寝顔をひとりずつ眺める。誰もが幸せそうな顔だ。良い夢を見ているのだろう。
ふと、千歌と梨子の寝顔がないことに気付く。ふたりの布団は無人で、梨子の布団は綺麗に畳まれているが千歌の布団は無造作に捲られたまま。こんなところにふたりの性格がよく出ている。障子から光が僅かに透過していた。もしかしたら日の出でも見に行ったのかもしれない。
わたしも外に出よう、と果南は練習着に着替えて部屋を出た。波の音を聞いて潮風を浴びれば、少しは気分が和らぐかもしれない。
まだ従業員も出勤していない十千万の門前で準備運動をしていると、玄関ががらがら、と音を立てて開くのが聞こえた。
振り返ると男のようだった。きっと翔一だろう。彼は朝が早い。水平線から出てきた太陽の光が、足元から青年の姿を照らしていく。
光の下に晒されたその顔は翔一ではなかった。それはいくら望んでも2度と見ることのできないはずの顔で、向こうもまた光の眩しさに目を細めるどころか、更に見開いて果南を見返している。
「果南………」
その口から発せられた声は間違いなく涼の声だった。あれほど望んでやまなかったのに、果南は咄嗟に走っていた。「おい果南!」と涼の声が追ってくる。幻じゃない。全速力なのに、毎朝ランニングをこなしている果南に涼はすぐに追いついてきて、腕を掴んでくる。
幽霊じゃない。手から体温を感じ取れる。
「放して!」
果南は腕を振りほどいた。
「どうして? 死んだと思ってたのに」
生きていると知っていたら、ふたりを殺す必要なんてなかった。二度と会えないと思っていたから、あのふたりを憎んだのに。憎しみも殺した事実も、全て無駄になってしまった。正当化する意義が、皮肉なことに涼の生存で失われてしまった。
不意に肩を掴まれた。全身が硬直して動けず、されるがまま涼に抱き寄せられる。顔を埋める涼の胸の奥から鼓動が感じ取れた。走ったせいか激しく脈打っている。
「傍にいてくれ」
涼の囁きが果南の耳に入り込む。
「お前が一緒にいてくれれば、あの声も消えるかもしれない」
震える声で果南は訊いた。
「………声?」
「時々声が聞こえるんだ。嫌な声が………。だから頼む、俺の傍にいてくれ」
涼は強く果南を抱きしめた。涼の熱くなった体が、密着する果南の体温を上昇させていく。思えば、こうして抱擁するのは初めてだった。こうなることを望んでいたはずなのに、喜ぶことができない。何もかも変わってしまった。前は涼が。今度は果南のほうが。
「駄目だよ……、できないよ………」
果南が言うと、「何故?」と涼は背中に回した手を引いた。体が離れたことで、互いの顔が向かい合う。
「何があった? 俺と一緒に生きるんじゃなかったのか?」
「もう前のわたしじゃない。元には戻れないよ」
「果南………」
涼が浮かべる困惑の表情に堪えきれず、果南は目を逸らす。
涼は愛してくれるだろうか。こんな人殺しの女を。こんな自分に、彼から愛される資格なんて無い。
でも、とそこで思い直す。果南がいくら拒絶しても、涼は果南を守ってくれていた。人間でなくなった自分を受け入れてもらえなくても、それでも彼は果南を想ってくれていた。
今更ながら彼の強さに気付く。見返りなんていらない。ただこの人が生きてくれていれば、それでいい。この人を苦しめるものを排除するための力が、わたしの中に宿っているんだから。果南は涼の瞳を見据える。
「元には戻れないけど、涼を守ることはできる」
「俺を守る……?」
「涼を傷付けた人が、また涼を襲うかもしれない。だからわたしが守る」
「何を言ってるんだ………?」
果南は念じた。涼の体が後ろへと突き飛ばされ、突然のことに彼は尻もちをつく。
「果南?」
涼は見開いた目で果南を見上げた。踵を返して果南は走り出す。あの男、一昨日に仕留め損ねたあの男はパトカーに乗っていた。きっと警察官だろう。警察署へ行けば見つかるかもしれない。そこを殺してやる。もう涼は傷付けさせない。
3
朝の7時半を過ぎると、マンションの正面エントランスから立て続けに住人たちが出てくるのが見えた。
本庁から出向している警察官には沼津市警の独身寮があてがわれている。家賃は特別手当として免除され、署にも徒歩で通えるほど近い。いくら警察官とはいえ所詮は公務員で住居をふたつも構えるほど高給ではないから、出向組の大半は寮に入居している。誠もそのひとりだ。でも「大半」に迎合しようとしない北條透は住まいにも拘りが強く、わざわざ市内のマンションを賃貸していた。実際に訪れて初めてその外観を見たが、ざっと10階はある地方集落の中では高層になる集合住宅は、とても20代の独身男性が住めるような家賃ではないだろう。収入の額は誠とそう変わらないはずなのだが、高級なスーツにしても一体どこから金が出てくるのか。
エントランスの自動ドアから出てくる北條はすぐに分かった。相変わらず質の良さそうなスーツで颯爽と誠の待つクラウンへと歩いてくる。
「おはようございます氷川さん」
「おはようございます」
「せっかく迎えに来てくれたんです。私が運転しますよ」
「すみません」
こうして誠が迎えに来ているのも護衛のため。北條を襲った超能力者が特定できない以上、この遠回りな出勤もいつまでなのかは分からない。
ふたりでの出勤は静かなものだった。何か会話をしようにも、ハンドルを握る北條の趣味が分からないから話の種がない。もっとも、北條のほうに何か趣味があったとしても、誠のほうが無趣味だからどちらにしろ会話は弾まないのだが。
「北條さん」
信号待ちをしているとき、誠のほうから会話を振った。
「何です?」
「昨日の話なんですが――」
昨日の人間の善悪についてもっと深く話そうとしたところで、信号が青に変わる。エンジンを吹かす音が聞こえるのだが、車は進もうとしない。視線を横へ流すと、北條は何度もアクセルペダルを踏み込んでいる。ギアがニュートラルになっているのでは、とレバーを見たが、しっかりとドライブに入っている。
「どうしました?」
「いえ、調子が――」
体が一気に前のめりになった。追突された、と一瞬思ったが衝撃が弱すぎる。体がシートから離れそうになったが、シートベルトがロックされみしみし、と体に食い込んでくる。
後部が浮いている。そのことに気付いたのは、フロントガラスが全面アスファルトの地面を映したときだった。まるでワイヤーで吊り上げられているようだ。
そのワイヤーが切れたように、車は一気に地面へと戻った。衝撃で跳ね返りそうになった体をシートベルトが押し留める。そのシートベルトのロックが外れた。次にドアが開いて、何かに押されたように車内から吐き出される。
「氷川さん、奴がいます! この近くに!」
同じく車内から投げ出された北條が言う。すぐさま立ち上がり、誠は懐から拳銃を出した。相手が人間では躊躇もあるが、超能力がどれほどのものか分からない以上、発砲も止む無しかもしれない。
刹那、強烈な圧が正面から襲ってきた。まるで巨大な手で突き飛ばされたようだ。見えないから対処のしようもなく、宙を飛んだ誠の体が街路樹の幹に叩きつけられる。
「氷川さん!」
駆け寄ろうとした北條に、今度は無人になった車が迫ってきた。しかも僅かに浮いている。強固なボディが北條に突進し、その体を弾き飛ばす。
「北條さん!」
道路沿いに建つ工場の壁に激突した北條が白目を剥いて頭を垂れた。車はゆっくりと旋回し、フロントを北條へと向ける。
エンジン音と共にマフラーが排気ガスを吹かしたが、それはすぐに止まる。誠は痛みに軋む体を起こし、北條へと駆け寄った。
誠に北條と呼ばれた男に引導を渡そうとしたが、それは果南の視界に入った怪物によって阻まれた。「ウウ……」と唸ったジャガーのような怪物が、果南へと鋭い眼光を向けている。
果南は工場の敷地へと駆け込んだ。すぐに頭上から影が落ちる。それはジャガーだった。数メートルほどの距離があったにも関わらず、驚異的な脚力でひと跳びしただけで追いついてくる。果南の前に着地したジャガーが鋭い爪で掴みかかってくるが、果南が念じるとその体は後方へ吹き飛ばされた。果南は更に念じ、積み上げられていた鉄パイプをジャガーへとぶつける。
大丈夫、怖れることなんてない。わたしにだって力はある。
果南は駐車場へと走った。大型トラックでも見つければ、あの怪物を押し潰せるかもしれない。
「果南!」
その声に思わず足を止める。向くと、涼が立っていた。涼はすぐ果南へと駆け寄ってくる。その視線が別のものへ向けられていることに気付き、追うと後ろからジャガーが走ってきていた。
「逃げろ!」
嫌だ、離れたくない。涼に戦ってほしくない。また変身したら、涼の体が蝕まれてしまう。今度こそ死んでしまうかもしれない。
涼は優しい声色で言った。
「心配するな、すぐに会える。俺とお前は、何度でも会わなくちゃいけないんだ」
涼の力を感じ取ったのか、ジャガーが足を止めた。敵と対峙した涼は吼える。
「変身!」
涼は変身した。黒ずんだ筋肉を隆起させ、ジャガーへと走り出す。果南も反対方向へと走った。今は逃げなくては。逃げて、涼の勝利を祈るしかない。
道路へ出たところで、街路樹にもたれて呼吸を整える。「フウ……」と吐息が聞こえ、咄嗟に果南は横を向いた。同時に首が絞めつけられる。
涼が対峙したのとは微妙な顔つきが異なるそのジャガーは、「フフフ」と笑みのような声を発していた。
アンノウンの気配を察知して工業区へバイクを走らせた翔一は、その光景に息を呑んだ。
「果南ちゃん⁉」
何故果南がここに。疑問は沸いたが、今はそんな余裕はない。翔一は腰にベルトを出現させた。
「変身!」
バイクのシートから飛び降りると同時に、アギトへ変身する。翔一の存在に気付いた雌豹が、果南の首から手を離した。解放された果南の体が、糸が切れたように倒れる。着地した翔一は、その勢いのまま雌豹に拳を振り降ろした。その頬を打ち、怯んだところで後ろへと押しやり果南の傍から引き離す。
腹に蹴りを入れて間合いを取ると、雌豹は好機と見たのか頭上の光輪から錫杖を引っ張り出した。武器を手にして有利と見たのか、口の端を歪める。突き出された錫杖に手を添えて軌道を逸らし、一気に肉迫したところで再び腹を蹴る。
戦況がさほど傾いていないことに焦ったのか、「ウウッ」と唸り錫杖を振り回してきた。動きに隙がありすぎだ。雌豹が武器を構え直すよりも速く、翔一の拳が雌豹の顔面に打たれる。更に激昂したようで、大振りに錫杖を振り降ろしてくる。長い柄を掴み敵の動きが封じられた一瞬を逃さず、顔面に裏拳を見舞う。更に渾身の拳を顎へ突き上げる。
殴り飛ばされた雌豹の口元から牙が零れ落ちた。力を漲らせ、角を開く。跳躍した翔一に雌豹は錫杖を突き出してきたが、その先端を蹴りで弾き飛ばし、がら空きになったふたつの膨らみがある敵の胸にキックを見舞う。
胸を抑えつけた雌豹の頭上に光輪が浮かぶ。苦しそうに、まるで助けを求めるように伸ばされた雌豹の腕は、体内から生じた爆炎で吹き飛ばされた。
翔一は急いで果南のもとへと走った。
「果南ちゃん!」
倒れた果南の口元に手を当てる。掌に呼気を感じる。首筋に指を当てると脈を感じ取れた。
まだ生きてる。安堵した翔一は果南の体を抱き起こした。
敵が跳躍すると同時、涼も地面を蹴って高く跳んだ。宙で肉迫し、ジャガーが剣を振るよりも速くその脇腹に横蹴りを入れる。受け身も取れず背中から着地する敵を見据えながら、涼は肩に微かな痛みを感じた。見ると、浅いが創傷が刻まれて血が垂れている。ジャガーの剣を掠められたか。
涼は手首に生えた突起を掴んだ。ずるずる、と体液に塗れながら、ムカデのような触手を引っ張り出す。ジャガーの剣が涼の脇腹めがけて迫ってくる。涼がひと振りすると、腕の触手は剣に絡みつき軌道を逸らす。がら空きになった腹に蹴りを入れると、持ち主の手から離れた剣が乾いた音を立てて地面に転がる。
ぶち、と涼は不要になった触手を引き千切った。痛みはあるが、あの全身に浴びれせられた銃弾の雨よりはましだと思えてしまう。無造作に捨てた触手は本物のムカデのように蠢いていたが、その動きを止めると急速に腐敗して原型を留めなくなる。
武器を失っても迫ってきた敵の腹に拳を埋める。足を振り上げ、鋭く伸ばしたヒールクロウをその肩に叩きつけた。
ジャガーの頭上に光輪が浮かぶ。蹴りを入れて離すと、その強靭な筋肉が盛り上がった肉体は爆散して辺りに血と肉片を撒き散らした。
体が元に戻っていく。涼は周囲を見渡して果南を探した。すっかり皺まみれになってしまったが、この腕でもう一度彼女を抱きしめたい。その欲求だけが涼の裡を満たした。
果南、俺はもう離れたりしない。ずっとお前の傍にいる。だからお前も俺の傍にいてくれ。お前は俺を守ると言っていたが、そんなことはしなくていい。奴らが現れたら俺が戦ってお前を守る。お前はいてくれるだけで良いんだ。またお前に触れさせてほしい。また名前を読んで欲しい。
道路へ出たところで、涼は街路樹の傍で身を屈めている人影を見つけた。人じゃないが、怪物でもない。見覚えがある。初めてギルスに変身した日、果南と一緒にいて怪物に襲われたときに現れた金色の戦士だ。何故ここにいる。あれも怪物の気配を察知していたのか。
戦士の傍で誰かが倒れているようだった。顔は戦士の手に覆われて見えない。すぐに戦士は手をどかし、地面に横たわるその顔が見えた。
その顔は、涼は求めてやまない顔。
愛しいその顔は、目蓋を閉じたまま戦士に抱き起され、力なく頭を垂れている。
「果南………」
俺と一緒に生きる、と言ってくれた少女。
守ると誓った、俺の生きる理由。
体の奥から止めどなく熱が溢れてくる。全身の筋肉が軋みをあげて、腕がびくり、と痙攣を起こす。
――殺せ――
あの声が聞こえた。抗っていた声を受け入れる。裡を塗り潰そうとする衝動に、涼は身を委ねる。
「ウオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」
空気を裂かんとばかり、涼の咆哮がこだました。
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