ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 更新が遅くなり申し訳ございません。



第11章 友情ヨーソロー / 資格ある者
第1話


 

   1

 

 けたたましい咆哮が耳孔に響き、誠は肩を支えようとした北條の体を壁に落ち着かせて音源のもとへと向かった。駐車場に出ると、アギトに向かって異形の生命体が疾走していく。アギトは抱きかかえていた人物を地面に寝かせ、同時に生物の突進を受ける。

 誠はしばし呆然と立ち尽くした。アギトに襲い掛かったのはアンノウンじゃない。アギト捕獲作戦で狙撃されながらも逃走した、あの緑色の生物だった。突進の勢いのまま共倒れになった両者はすぐに立ち上がり、緑の生物はアギトの腹に蹴りを入れる。アギトは腹に食い込んだ足を掴んで動きを封じようとしたが、緑の生物は空いたほうの足を振り上げアギトの横顔を蹴り通す。

 我に返り、誠はスマートフォンを手に取った。コール音が鳴るとすぐに小沢が応答してくれる。

『氷川君、どうした?』

「アギトが謎の生物と交戦中。G3システムの出動をお願いします!」

 謎の生物がアギトの肩に掴みかかった。互いに足をもつれ合わせながら、工場の塀へと向かっていく。石のブロックを積み上げられた塀は謎の生物ふたりを前にあっけなく崩れて粉塵を撒き散らす。立ち込める塵煙の奥から、緑の生物の叫びが聞こえた。

 

 視界を奪う粉塵の中から、緑色の腕が伸びてくる。辛うじて腕で軌道を逸らすことができたが、間髪入れず繰り出されたもう片方の拳までは防ぎきれず腹に食らってしまう。更に膝蹴りが飛んできた。重い一発に咳き込みながら、後退し間合いを取る。

 粉塵が晴れてきた。緑の生物は大口を開け吼える。

「ウアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」

 その両足の踵から鋭い尖刀が伸びた。何だこいつは、と翔一は戸惑わずにいられない。アンノウンとは違う。アンノウンから感じ取れるものを、この生物からは感じられない。

 どちらかといえば、自分と似ている。

 いや、似ているけど違う。何が違うのかも分からないが、翔一の裡にある力がそう悟っている。

 緑の生物は跳躍した。宙で足を振り上げ、踵に生えた尖刀の切っ先を翔一へと向ける。振り下ろされた尖刀が自身に達するより速く、翔一は脚で払う。着地した生物の腹に渾身の蹴りを入れるが、向こうは痛みを感じないのか全く怯むことなく翔一の足を掴んでくる。

 ふわり、という浮遊感と共に視界が急速に駆け抜けていく。一瞬遅れて持ち上げられた、と気付いた。何て腕力だ。変身した翔一の体は増強された筋肉で重量が増しているはずなのに。

 ハンマー投げの容量で投げ飛ばされ、翔一の体は工場のシャッターを破り構内へ放り込まれる。鈍い痛みが背中に走った。鉄製のシャッターを破るほど頑丈な鎧を纏っているが、この姿でも痛覚はある。逆に言えば、この姿で痛みを感じるということは、かなり深刻な状況に陥っていることになる。

 よろめきながら立ち上がる翔一の腹に、生物は蹴りを見舞う。衝撃で微かに浮き上がったところで拳が胸に食い込み、怪力によって突き飛ばされる。工場内に停められていた車のボンネットに倒れ込むと、跳躍して距離を詰めた生物が踏み潰そうとしてくる。咄嗟に避け、生物の足はフロントガラスを蹴破り辺りに破片を撒き散らす。

 滅茶苦茶な強さだ。戦い方は野蛮そのものだが、圧倒的なパワーで全て帳消しにしている。まさに本能のみで戦っているみたいだ。

 首を両手で掴まれ、翔一の体が持ち上げられる。生物の爪が首筋に食い込み、喉が圧迫されて呼吸ができない。手を掴んで引き剥がそうとするがびくともしない。

 このままでは変身する力すらも削がれる――

 銃声が響いた。同時に生物の手が離れ、翔一の体はボンネットから床へと転げ落ちる。さきほど破ったシャッターの穴から、青の鎧を纏った戦士が拳銃をこちらに向けていた。右手に銃を、左手には腕と一体化した剣を装備している。

「アギト!」

 青の戦士が翔一を見て言う。「ハア………」と呻く緑の生物の背中から、からん、と乾いた音を立てて弾丸が零れ落ちた。まさか、あの筋肉は銃弾すらも弾いてしまうのか。

 翔一とよく似た赤い両眼を青の戦士へと向け、次の標的としたのか跳びかかる。青の戦士はすぐさま銃を発砲した。何発もの弾丸を受けた生物は、流石に堪えたのか身を仰け反らせて地面に伏せる。

 銃口を向けまま、青の戦士はオレンジの目を翔一へと向けた。危ない、と翔一は叫ぼうとした。それよりも速く、生物の蹴りが青の戦士に飛ぶ。咄嗟に避けて剣を振ったが、それも避けられたばかりか背後へと回られ背中に肘を打ち付けられる。

 翔一は追撃を加えようとする生物を背中から羽交い絞めにしようとするが、いとも簡単に振り払われ腹に蹴りを受ける。青の戦士は剣を振り回すが、空振りしたばかりか反撃の拳を食らった。

 やめろ、敵う相手じゃない。翔一は両者の間に割って入るが、生物は邪魔だ、と言わんばかりに翔一を突き飛ばす。食らいつこうとする青の戦士は再び剣を横なぎに一線するが、生物の手首から伸びた尖刀がその刃を叩き折る。更に胸に強烈な蹴りを食らい、機械仕掛けの鎧が火花を散らした。間髪入れず投げ飛ばされ、壁に激突するとまた火花を散らし装甲を焦がす。

 丸腰になった得物を仕留めようとする生物に、死角から掴みかかる。繰り出された拳を腕で受け止め、渾身の力を込めた拳をその肩に食らわせる。流石に仰け反った生物はすぐに体勢を立て直し翔一と対峙した。肩を上下させながら吐息を荒げ、血走った目はしっかりとこちらを捉えている。間合いを保ちながら互いの出方を窺う。

 ほぼ同時に跳躍し、回し蹴りを繰り出す。足の甲で打たれた脇腹が痛み、肋骨が軋みをあげる。翔一の蹴りも命中したはずだが、僅かに軌道が逸れたのか生物はよろめきながらも倒れない。

 そこへ、剣を腕から外した青の戦士が拳を生物の腹に食い込ませた。でも効果なんてなく、掴まれた腕を振り回されてあっけなく床につんのめってしまう。

 立ち上がろうとしたところで、生物は踵から伸びた尖刀を青の戦士の顔面へ振り降ろした。次の瞬間には辺りにオレンジの破片が散らばる。青の戦士は寸でのところ腕で防御したが、尖刀が掠めた顔面の右半分を抉られていた。断面から煙が立ち昇っている。半分だけ露わになったマスクから覗く顔を見て、翔一は息を呑んで動きを止めた。

「氷川さん………!」

 間違いなく、それは氷川誠だった。マスクを削がれながらも、まだ1歩も引こうとしない強い意志を込めた眼光を緑の生物へ向けている。その意志なんてものはあっけなく、頭に蹴りを食らった。衝撃でマスクが脱げて、完全に誠の顔が露になる。

 腹を踏み付けられ、誠は苦悶の叫びをあげた。生物がむき出しになった顔面に拳を向けたと同時、翔一の蹴りを脇腹に受けて身をよじらせる。間髪入れず翔一は拳を浴びせた。腹も胸も肩も。どこが致命傷を与えられるか、なんて考えもせず、ただひたすらに。

 渾身の蹴りを入れて突き飛ばした生物の体が、壁を破って外に放たれる。追跡せず、翔一は仰向けになったままの誠へと駆け寄る。誠は気を失ったのか、目を閉じたまま力なく頭を垂れている。肩で担いだ体は鎧を着こんでいるだけあって重かった。

 誠を担いだまま外に出ると、どこからか生物の咆哮が聞こえた。怒っているように聞こえたが、どこか悲しげにも聞こえた。

 

 

   2

 

 野次馬の多くが、現場になった工場の従業員だった。出勤したら勤務先に警察が来ていて、立ち入り禁止なものだから大半が困惑か苛立ちを露わにしている。

「何があったんですか?」

「爆発があったよな? 事故か?」

「おい説明しろよ!」

 規制線を前に、従業員たちが警官に立て続けに野次の混ざった質問を飛ばしている。

「まだ詳しくはお話できません。とにかく下がってください」

 警官の曖昧な返答が、今日の仕事を潰された従業員たちの苛立ちの火に油を注ぐ。

「ふざけんな! 説明しろって言ってんだよ!」

「警察のくせに何やってんだ!」

 怒号が飛び交うなか、涼は黙って規制線の奥で進められている捜査を眺めていた。パトカーに混ざって現場に停まる救急車の傍で、担架に長い黒髪の少女が慎重に乗せられる。

 先ほどまでの怒りが嘘のように引いていた。裡にあったものが全て垂れ流されたように、涼はガス欠のような虚無を覚えながらただ愛しい少女の姿を視界に収めている。

 少女の顔が、ゆっくりとだが動いた。

「果南……」

 届く距離じゃないのに、涼はその名前を呼ぶ。果南は緩慢ながらも上体を起こし、周囲に戸惑いの視線を向けている。救急隊員が果南に何か言いながら、ゆっくりと担架に寝かせた。

 生きている。

 空っぽだった裡が歓喜に満たされていく。涼は人混みを掻き分けながら、彼女を抱きしめたい、という望みのまま進む。でも、その歩みはすぐに止めた。

 元はといえば俺のせいじゃないか。

 俺が果南に会いに行ったから、彼女は巻き込まれてしまったんじゃないか。異形は異形を引き寄せる。これからも果南を求めてしまえば、また果南は奴らに狙われる。眠れない夜を過ごして、涼の愛したあの笑顔は失われてしまう。生きながら死んでいくようなものだ。

 俺たちはもう会ってはいけないんだ。

 それはとても苦しく、とても寂しい。果南からもう名前を呼ばれることはない。彼女の笑顔を間近で見ることもない。でも、それが彼女にとっては最善だ。涼のことは一時の感情、若気の至りと切り捨てて、いずれは忘れてしまったほうがいい。

 果南を乗せた担架が救急車に乗せられていく。涼は踵を返して野次馬の中から抜け出した。

 果南、俺はもうお前のもとには現れない。でも大丈夫、お前のことはこれからも守り続ける。たとえ気付いてもらえなくてもいい。お前が笑ってさえいてくれたら、それで。お前の笑顔を奪おうとする奴は、全て俺が倒す。

 再び空っぽになりかけた裡に、今度は怒りが注ぎ込まれていく。拳を強く握りすぎたせいで、指の骨がめき、と軋んだ。

「アギト………!」

 あの乱入してきた青の戦士が呼んでいた名前。それを憎しみに満ちた声で呟く。

 奴だけは許さない。もう果南は傷付けさせない。だから――

 地の果てまで探し出して、俺の手で殺す。

 

 

   3

 

「果南!」

「果南さん!」

 病室に入ってくるや否や、鞠莉が大声をあげる。マナーにはうるさいはずのダイヤでさえ。夏の暑さのせいか、それとも焦燥からなのか、ふたりは顔中を汗で濡らしていた。

 鞠莉はベッドまで急ぎ足で向かってきて、果南をきつく抱きしめる。

「苦しいよ」

「もう、心配したんだから!」

 頬を摺り寄せられながら、果南は鞠莉の金髪を撫でる。鞠莉よりは落ち着いた様子、でも不安を表情に出したダイヤもベッドの傍に立ち、

「みんな、心配してましたのよ。お布団は空っぽだし、電話には出ないし、しかも事件に巻き込まれたなんて………」

 「………ごめん」と果南は力なく返す。

「お店は?」

「千歌さんたちに任せましたわ。皆さんもお見舞いに来たがっていましたが、お店を休むわけにもいきませんので」

「そう………」

 普段の気力がごっそりと抜け落ちた声色を気遣ってか、ふたりにも懊悩が伝播したように雰囲気が重苦しい。昨日まで空元気でやり過ごしてきたけど、それすら抜けている。

 ダイヤは訊いた。

「どうして工場になんていたんですの?」

 「そうよ」と鞠莉は離れ、果南の真正面に顔を据える。その真っ直ぐな瞳に堪えきれず果南は目を逸らす。

「果南」

 不意に頬を掴まれた。くい、と顔の向きを鞠莉の真正面へと修正させられる。鞠莉の隣にダイヤも顔を並べた。

「隠し事はなし、ですわよ」

 それはこの3人が、再びスクールアイドルになったときに決めた約束だ。どんな些細なことでも、隠さずに相談する。本音を打ち明ける、と。

 やっぱりわたしは酷い女だな、とつくづく思う。罪としては最大のものを犯したのだから、親友を騙すことなんて微小なことだ。でも、もう逃げられない。ここで隠したところで、いずれは果南自身に限界が来る。呵責に堪えられなくなって壊れてしまう。

 それに、このふたりには明かさなければならない。ふたりとは、Aqoursとは別の場所へと引き離されるだろう。離れることは罰として受け入れる。でもせめて、理由を告げなければならない。果南がふたりと一緒にいられなくなる理由を。

 果南は順を追って話した。

 葦原涼という青年との出会い。

 彼との日々のなかで育んでいった初恋。

 涼の変貌と、果南にも起こった変化。

 犯してしまった罪。

「わたしは無意味な復讐のために、人を殺したの」

 その告白は、自分でも意外に思えるほど淡々と口に出すことができた。

「それでまた殺そうとしたところで、化け物に襲われた」

 どこか、他人事のように感じられた。あまりにも現実からかけ離れている。でも紛れもなく事実。果南自身に降りかかったことだ。

 全てを話し終えて、果南はふたりへと視線を向けた。話している間、ふたりのほうに目を向けずにいた。ふたりも途中で質問を挟むことはしなかったから、独り言のようにすらすらと話せたのかもしれない。

 予想していた通り、鞠莉とダイヤは困惑の表情を浮かべている。

「そんな……、有り得ませんわ」

 ダイヤが震える声で言った。「本当だよ」と果南の声も震えだす。

「ごめん。わたし、もうスクールアイドル続けられない――」

Wait(待って)

 と鞠莉が遮った。

「本当に果南がしたの?」

 え、と俯いた顔を上げる。普段は冗談ばかり飛ばす鞠莉だが、このときばかりは真剣な眼差しで果南に問いかけている。

「果南が力を使ったとき、近くに化け物がいたんでしょ? その化け物がやったんじゃないの?」

 何言ってるの、と思った。それを口にする前に、鞠莉は続ける。

「果南に人を殺すほどの力があるなら、ここで見せて。例えば――」

 そこで鞠莉は病室を見渡し「そう、これ」とベッドの脇に設置されているテレビを指さす。

「これ、壊してみて」

 「ちょっと、鞠莉さん……」とダイヤは窘めるが、語気が弱く建前としか聞こえない。きっとダイヤも証明してほしいんだ、と分かった。それもそうだ。いきなりわたしは超能力を持っている、なんて言ったところで信じてもらえるはずがない。普通の人間にないものを持っているというのなら、見せなければ。

 果南はテレビへと手をかざし、イメージする。薄型の長方形の中に張り巡らされた配線と、端子に使用されている金属。それらを共振させる波動を送り、内部からの崩壊を促す。

 鞠莉とダイヤはひと言も発することなく、果南の力が発現する瞬間を待っている。沈黙のなか、果南は念じる。

 ――爆ぜろ――

 殺したふたりにしたように、中にある部品を握り潰すように壊せばいい。場数を踏んだことで、破壊の容量は掴んだはず。なのに、テレビは微動だにしない。ただ沈黙が行き場もなく部屋中を彷徨っている。

「…………あれ?」

 かざした手を引っ込める。何の手応えもない。手を使わずに壊すのだから当然だが、力を使った感覚がない。

「壊れたの?」

 鞠莉がリモコンを手にして、電源ボタンを押す。画面が灯り、ワイドショーを映し出す。ふう、と安堵したような溜め息をつき、鞠莉はテレビを消した。

「殺したなんて果南の思い込みよ。果南にそんなことできるわけないじゃない」

 「そうですわ」とダイヤも慈愛に満ちた笑みを向けてくれる。

「あなたは誰かを傷つける人じゃありません。それはわたくし達が1番よく知っていますわよ」

「でも………」

 確かに、違和感はあった。途中で止めようとしたのに、抑えがきかなくなって相手を絶命へと至らせた。もしあれが自分の手によるものじゃなかったとしたら。そんな可能性があったとしても、罪の意識は消えない。彼らへ殺意を向けていたことは確かだ。果南は確かな殺意を抱き彼らのいる場所へと向かった。それは紛れもない事実。

 否定の言葉をまくし立てようとしたが、それは鞠莉の抱擁に遮られる。さっきのとは違う優しい、果南を包み込むようなハグだった。今度はダイヤも加わる。

「苦しかったわよね、果南」

 その温かな鞠莉の声が、凍り付いた裡を融かすようだった。

「じゃあわたし、皆と一緒にいて良いの?」

 「当然ですわ」とダイヤが囁く。ダイヤの声も温かい。

「ようやくまた一緒にスクールアイドルになれたんですもの」

 ふたりの抱擁によって、融けた懊悩が溢れ出てくるようだった。もう決して戻ることのできないと思っていた温もり。それは失われてはいなかった。こうしてまた、ふたりを感じ取ることができる。絶対に放したくない、と強く願いながら、果南は涙に濡れた顔をふたりの腕に埋めた。

 

 

   3

 

 日本の夏は湿度が高いから、いくら日陰に入ろうとも湿った空気が体に纏わりついて一向に涼しく感じられない。幼い頃から沼津で過ごしてきたから慣れたものだと思っていたが、アメリカの乾いた気候のなかで過ごした期間で体感がリセットされてしまったのだろうか。

「一体、何が起こっているのでしょう………」

 病院前のバス停でベンチに腰かけているとき、ダイヤが独りごちるように呟く。

「What?」

 鞠莉が訊くと、ダイヤは汗で首筋に貼りついた髪をはらいながら、

「ここのところ、ずっと殺人事件ばかりが起こっていますわ。鞠莉さんも気付いているでしょう?」

「………まあね」

 確かに異常だ。アメリカから戻ってきてからというもの、毎日のように沼津市とその周辺で殺人事件のニュースが報じられている。日を追うごとに街から活気がなくなっていく様子は、鞠莉も肌で感じていた。海の家が経営できるほど海水浴客が訪れるのも奇跡と言っていい。もしくは誰も事件のことなんて身近に感じていないのか。もっとも、鞠莉だって果南が巻き込まれていなかったら、完全に対岸の火事としか捉えられなかっただろうが。

 警察が何も公表しないものだから、痺れを切らしたのかSNS上では市民による情報交換と推理の応酬が交わされている。木の中に埋め込まれた死体。水のない場所での水死体。初夏に発見された凍死体。街中で突然燃えあがったという焼死体。挙げられた事例はどれも荒唐無稽でデマという噂もある。

「果南さんを襲った化け物と、ここ最近の事件は関係があるのでしょうか?」

 「さあ?」と鞠莉は肩をすくめる。謎の死体とセットで付いてくる目撃情報は、決まって異形の怪物だ。中でも鞠莉が気掛かりだったのは、怪物と戦っていたという金色の戦士の話。肝心の写真が無いから真偽のほどは不明。サイト上に載せられていた写真は見事にピンボケしていて、シルエットすら分からない。これもデマという意見が大多数を占めている。

「わたし達のするべきことは、予備予選に向けて練習。それと果南を支えてあげること、でしょ?」

 鞠莉は言った。ダイヤは釈然としない様子だが「そうですわね」と一応の納得を告げる。

 そう、今は練習あるのみ。いくら不可解な事件が連発しているからといって、一介の高校生でしかない自分たちが少年探偵団のように立ち回れるわけじゃない。今はラブライブ。それだけだ。

It’s humid!(蒸し暑いわ)

 そう吐き捨て、鞠莉はベンチから立ち上がる。

「次のバスまでまだ時間あるわよね?」

「ええ……」

「飲み物買ってくるわ。ダイヤ何がいい?」

「では、お茶で」

「OK、お汁粉ね」

「言ってませんわ!」

 と冗談の通じないダイヤを置いて、病院のなかへと戻る。構内は冷房が効いていて涼しい。売店の前にある自販機は素通りし、トイレに入ると鞠莉はどの個室にも人がいないことを確認してスマートフォンで通話をかける。呼び出し音がしばらくなったのち、留守番電話のアナウンスへと切り替わった。

「マリーだけど、これ聞いたら連絡ちょうだい。『彼』が沼津にいるの」

 この留守電メッセージも何度送ったことだろう。こちらに戻ってから連絡を試みているが、未だに向こうからの返信はない。何かあったのかと心配にはなったが、まだ携帯会社から振り分けられた電話番号が使われているということは無事なはず。

 耳から離したスマートフォンの通話履歴に「木野薫」という名前が追加された。

 

 

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