ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第6話

   1

 

 朝から絶えず響いているセミの鳴き声は人によっては夏の風物詩として風情を、または騒音とで感性が分かれる。まだ高校生の曜にとっては夏休み中と知らせてくれるもので普段なら陽気でいられるのだが、この日ばかりはセミの声なんて意識の外へと追いやられていた。

 本音をぶつける、か。

 学校までの丘の坂道で、昨日鞠莉から告げられた言葉が強く裡で響く。千歌とは普段から何事も包み隠さず言える間柄だ。だから改まって本音を告げる必要なんてない。表面的にはいくらでもそう言えるが、裡の深いところへ潜り込むとなると、相当な勇気を必要とする。昨日鞠莉に打ち明けた「本音」こそ、千歌に言えていない。

 言おう。いつものように千歌と話して、その会話の中で本音を投げかければいい。千歌なら曜に応えてくれるはずだ。迷いを振り切るように首を振り、校舎へと足早に歩いていく。

「おはよー!」

 いつものように声を張って部室に入ると、既に他の面々は集まっていて練習着に着替えを済ませている。その中で「あ、曜ちゃん!」と待ち構えていたかのように千歌が駆け寄ってきた。

「見て見てこれ!」

 「ほら」と千歌が示す右手首に髪留めのシュシュが付けられている。

「わあ、可愛い」

 オレンジ色というのがまた千歌らしい。

「どうしたのこれ?」

「皆にお礼だ、て送ってくれたの。梨子ちゃんが」

 その名前を聞いた瞬間、曜は喉の奥で何かが引っ掛かるような感覚を覚えた。他の面々も梨子からの贈り物を見せるように、シュシュを付けた右手を掲げる。メンバーによって色が違うらしい。

「梨子ちゃんもこれ付けて演奏する、て」

 千歌はとても嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。本当に嬉しんだろうな、と曜は思った。千歌はそういった感情は隠さない。

「曜ちゃんのもあるよ」

 「はい」と差し出された水色のシュシュを受け取りながら「ありがとう」と返事をする。

「特訓始めますわよ!」

 ダイヤが告げると、皆は「はーい!」と返事をして部室から出て行く。

「曜ちゃん着替え急いでね」

 部室を出る直前に千歌が言った。

「千歌ちゃん!」

 咄嗟に呼ぶと、千歌は足を止めて振り返る。曇りを一切も帯びていない彼女の顔はとても眩しくて、いつものように長く直視することができなくなる。もし本音をぶつけたら目の前の顔に陰りを覆ってしまいそうで、曜は怖気づいてしまう。自分のせいで、千歌の笑顔を消したくない。

「頑張ろうね」

 曜はそれしか言えなかった。その裡を知るはずもない千歌は「うん!」と元気よく応じた。

 

 

   2

 

 どれくらい時間が経っただろう。診察室を前にした廊下の長椅子に腰掛けながら、誠は腕時計を見やる。小沢に病院まで連れてこられてから既に2時間は経った頃で、昼食時も過ぎているから空腹だ。

 あの北條との痴話喧嘩の後、小沢は誠の異変を忘れることなくそのまま病院へと引っ張った。道中に何度も大丈夫です、と誠が言っても聞かず、到着してすぐ即日検査を取りつけ誠はMRIによる全身スキャンと整体師による触診を受けた。しばらくして検査結果が出たとのことで診察室へと通されたのだが、何故か本人である誠は入れず小沢のみが結果を医師から聞いている。その間、誠は完全に手持ち無沙汰だった。

 誠自身、自分の身に起きていることは分かっている。何も誠だって、そこまで鈍感じゃない。入浴に服を脱いだ際、両の上腕が赤黒く腫れあがっているのを見たし、歩くだけでも脚に激痛が走り先ほどのように気を抜けば崩れてしまう。正直、今こうして座っているときでさえ腹筋と背筋が鈍く痛む。恐らく、G3-Xの強力なパワーによる負荷に耐えられなかったのだろう。シミュレーション上とはいえ、アンノウンを徒手空拳で撃破してしまうほどだ。いくらスーツに負荷軽減機構が搭載されているとしても、完全には抑えられない。装着員自身にも、ある程度の適性が必要ということだ。勿論、G3プロジェクトの際に誠は適性を認められて装着員として抜擢された。でもG3での適性が、そのままG3-Xへ持ち越されるとは限らない。

 僕じゃ、駄目なのか。

 全身に刺さる痛みのせいか、そんな弱気が出てしまう。気分を変えようにも何も思いつかない。同年代の若者なら、こんなときはスマートフォンでゲームでもするだろうが、そんなアプリケーションを誠は端末にインストールしていない。そもそも今は就業時間内だ。

 診察室のドアが開かれた。「お大事にね」と女医が言うと、小沢は「お世話になりました」と頭を下げる。誠も礼くらいはしたかったが、軋む体を持ち上げるのもやっとで、腰を上げた頃には女医も診察室へ引っ込んでしまった。

「どうでした、小沢さん?」

 内科系統は異常なしのはずだ。おかしな症状はないし、触診でも痛みに無反応を貫いたから整形外科のほうでもおそらく隠し通せたはず。

「しばらくここで静養しなさい」

 淡泊に小沢は言い放つ。でもすぐ嘆息交じりに、

「と言っても聞かないでしょうね………」

 流石に医師の目は欺けなかったか。きっと小沢は誠の体が表面上取り繕っている以上に深刻な状態だと聞かされたのだろう。誠自身、素人ながらでも筋肉の炎症程度で済まないことは分かる。恐らくは筋繊維の断裂。それも広範囲で。でもだからといって、今ぬくぬくと休んでいられる状況でないことは事実だ。

「そんな必要はありません。僕なら本当に大丈夫ですから」

「………馬鹿ね、あなたも」

 

 痛みに耐えながらGトレーラーへ戻ることができたが、そこで一息つくほどの余裕はない。

「氷川君、あなたではG3-Xを扱うのは難しいわ」

 その宣告が皮肉にも、誠に体中の痛みを一時でも忘れさせてくれる。

「僕ではG3-Xの装着員として相応しくないと?」

「はっきり言ってその通りね」

 何事も包み隠さず言ってくれる小沢の性分は有難いものだが、この時ばかりは流石に堪えた。G3装着員から外されるときも小沢は誠を強く推薦してくれたというのに。

「勘違いしないで。あなたは立派よ。何よりも人命を守るために自分を投げ出す勇気がある」

 小沢はそう言ってくれるが、誠にとっては褒められるほどのものでもない。人命を守るのは刑事として当然のことだし、相対する者がいくら脅威でも臆せず立ち向かうのが自分の仕事だからだ。誠としてはただ仕事をしているだけ。

「でもG3-Xを操るにはそれだけでは十分とは言えない。G3-Xには敵と対したとき、装着員に理想的な攻撃を促すAIが搭載されているの。G3-X自体がある程度の意思を持っていると言って良いわね」

 いまいち得心できない。あのシミュレーション時、誠の攻撃は全てAIの指示だったのだろうか。誰かに指示された記憶はない。ただ、戦っているうちに意識が遠くなっていたことしか覚えていない。筋断裂を起こした痛みによるものと思っていたが、あの意識障害もAIによる作用だったのか。

「装着員はその意思と同調しなければならない。あなたにはそれができないのよ。あなたの場合、体に無駄な力が入りすぎているのよ。それがG3-Xの意思と拮抗して、ただ動くだけでもあなたの体に余計な負荷が懸かりダメージを受けた」

「無駄な、力………」

 つまりこの体の痛みは、誠が無意識のうちAIに抵抗してしまったから生じたということだ。AIに従っていれば適切な筋力で動き、補正システムも作用する。誠のように抗おうとすれば、それらの補正のバランスが崩れむしろ装着員を傷付ける諸刃の剣になる。

 それまで静観していた尾室が口を挟んだ。

「でも氷川さんが無理だとすると、誰がG3-Xを装着するんですか?」

「それについては目を付けている人物がひとりいるんだけど………」

 小沢さんが目を付けているのなら、きっと優秀な人に違いない。他人事のようにぼんやり思っているところで、カーゴに通信が入る。

『静岡県警から各局、沼津市明治資料館、アンノウンらしき生命体出現』

 小沢がインカムを耳に付けると同時、別のところから通信がオープン回線で入る。

『V-1システム、出動します』

 その嫌でも聞き慣れた声に、小沢が「何ですって⁉」と声をあげる。

『状況は中継映像で確認せよ』

 小沢のPCに映像ウィンドウが送信されてくる。尾室と誠が覗き込む画面のなかで、ハチのような姿のアンノウンが青年の頭を掴みコンクリートの壁に押しやっている。恐らくマスクに搭載されたカメラをユニットだけでなく各局へオンラインに中継しているのだろう。

 装着員の視点で撮影されている映像のなかで、アンノウンの複眼がこちらへと向けられる。近接戦の間合いには程遠い距離で、映像の中に銀色の装甲に覆われた腕が移り込み、その手に握られた拳銃の引き金が引かれる。銃口がマズルフラッシュを散らすと同時、アンノウンの右手が弾かれるように青年の頭から離れた。突然の襲撃者に怒った様子のアンノウンは、標的だった青年を置いてこちらへと肩を鳴らしながら近付いてくる。

 その胸に弾丸が撃ち込まれ、その体を大きく仰け反らせる。G3のGM-01では牽制にしかならないのに対し、こちらの銃は効果的なダメージを与えられている。更にもう1発。今度は眉間に命中した。

 額を抑えたアンノウンが、背中の羽を振動させ空へと飛び経っていく。銃の射程圏外へ逃げられたからか、装着員は銃を降ろした。

『V-1システム、北條から静岡県警。アンノウン排撃に成功。まだテスト段階のため追跡は控えます』

 通信と映像が同時に切られる。一泊置いて、尾室が上擦った声で喚いた。

「何ですかこれ⁉ まだコンペも終わってないのに勝手に出動するなんて!」

 どか、と小沢は椅子の背もたれに背中を預け、

「らしいと言えばらしいわね。こういうスタンドプレーは北條透の得意とするところだし。人命救助の名目があれば上も目を瞑るでしょ」

「そりゃそうですけど。でも、アンノウンを追っ払って………」

 既に実戦での戦績を挙げたとなれば、コンペティションで優位に立てる。実戦投入に足る性能を証明してみせたV-1システムと、まだシミュレーション上での結果しか残せず、しかもAIによる装着員への負担という問題を抱えたG3-X。

「ヤバいんじゃないですか小沢さん。G3-Xはどうなってるんです?」

 自分たちを取り巻く状況を、尾室がはやし立てる。

「こっちはG3を造ったスタッフが全力を尽くしているのよ。多少の遅れはすぐに取り戻せるわ」

 G3-Xの製造は、G3開発に携わってエンジニアチームに引き続き委託している。基本設計はG3の延長線上にあるから、コンペティションまでには間に合うとの見立てだ。でも、いざスーツが完成しても装着員が不適任では元も子もない。いくらAIによるアシストがあっても、AIと同調できるかの素質も問われるのだから。

 先ほど有耶無耶になりかけた会話を誠は掘り返す。

「小沢さん。G3-Xの装着員として目を付けている人物がいるとのことですが」

「ええ」

「会わせてもらえませんか? その人物に」

 大した戦績は上げられなかったが、誠にもG3装着員としての誇りがある。会って、その人物がG3-Xの性能を最大限引き出すに足る人物なら、素直に身を引いてもいい。

「え、でもそれって………」

 見やると、尾室がにやにやしながら自身を指さしている。しばらく無言のままでいると、小沢が沈黙を破った。

「行くわよ」

「はい!」

 尾室はまずない。絶対にない。

 

 

   3

 

 小沢に着いて訪問したG3-X装着員候補の家は、誠にとっても既に馴染み深いところだった。年季の入った木造の柱に、夏の湿気を吸い取ってくれる畳。開け放たれた窓から入ってくる風が、窓際に吊るされた風鈴をちりん、と鳴らす。

「どういうことですか小沢さん? 何故高海さんの家に?」

 ここでその装着員候補と待ち合わせるのだろうか。そう思っていると、「お待ちどおさま」と翔一がお盆を手に台所から出てくる。お盆をテーブルに置くと、お盆の上にあるガラスの器の中で、水に浸された白い豆腐がぷるん、と揺れた。そのお茶請けに小沢は気を良くして頬を綻ばせる。

「冷奴ね。随分乙なものを出してくれるじゃない」

「ええ、夏といえばやっぱこれでしょう」

 朗らかに言いながら翔一は誠たちの前に手際よく箸と小皿を並べてくれる。

「ところで何です今日は? 志満さんも美渡も千歌ちゃんもまだ帰ってませんけど」

「今日は君に用があって来たのよ」

 手を止めて目を丸くする翔一に小沢は尋ねる。まさか、と誠は小沢の意図を悟る。

「ビールは無いの?」

「すみません、お客さん用のはあるんですけど勝手に出したら不味いので」

「冷奴だのビールだの、そんな場合ではありません」

 ふたりの間に誠が割って入った。そもそも小沢は仕事中に飲酒するつもりか。G3-Xの設計時もアルコールが入った状態で作業していて気が気でなかった。

「小沢さん。まさかG3-Xの装着員に目を付けている人物って――」

「そう、彼よ」

「ちょっと待ってください! 何故彼なんです? 全くの素人じゃありませんか。しかもよりによって――」

 こんな戦闘とは程遠い人間に。そう言おうとしたが、翔一の素朴な疑問に遮られる。

「何ですG3-X、て?」

 まあ、当然の疑問だ。いきなり尋ねてきてG3-X装着員として警察に協力してほしい、なんて不躾にもほどがある。まずはしっかりと説明し本人の同意を得なければなるまい。もっとも、誠はこの人選に不満しかないのだが。小沢が目を付けたのだからきっと優秀な人材だと思っていたのに、どうしてこんな戦闘スーツよりエプロンのほうが似合う男なのか。

 誠の不満をよそに、小沢は冷奴をつまみながら簡潔だがG3-Xの説明を始めた。システムの運用目的と戦う対象――つまりはアンノウンと、システムが及ぼす可能性のある弊害のこと。それらを守秘義務なんてお構いなしにべらべら、と。

「じゃあ俺がG3-Xとかを着てアンノウンと戦え、て?」

 大雑把ながらも理解した様子の翔一に「そうね」と小沢は応じ、

「見たところ君はいつもリラックスしていて緊張感というものがまるでない。それが良いのよ」

「無茶です。非常識すぎます」

 説明の間ずっと黙っていたが、とうとう我慢できず誠は告げる。

「何か面白そうですね」

 と翔一が言った。まるで新しい遊びに誘われたかのような物言いだ。小沢の説明を聞いていなかったのか。

「面白そう? 冗談じゃありません。遊びじゃないんだ」

 自然と声が荒くなる誠を「まあまあ」と翔一は(なだ)めながら、

「氷川さんそうムキにならないで。あれ、食べないんですか冷奴?」

 「取りましょうか?」と伸ばされた翔一の手を拒み、誠は小皿を手に取る。

「冷奴ぐらい自分で取れます」

 指の筋肉は無事なはずだから、食事に支障はない。器の豆腐を箸で摘まみあげるが、

「あっ」

 するん、と豆腐は箸の間をすり抜けて器へと戻った。ぽちゃん、と器を満たす水が飛沫をあげてテーブルを濡らす。

「駄目ですよ氷川さん、無駄に力入れちゃ」

「無駄な……力………」

 そんなことあるはずがない。ただ豆腐を掴むのに何故無駄な力を入れるというのか。豆腐も掴めないからG3-XのAIと同調できないだなんて、そんな訳がない。

「ほら、俺が取りますから」

「余計なお世話は止めてください。君は黙って見てればいいんだ」

 と再び器に箸を伸ばす。刺し箸という手もあるが、そんな行儀の悪い真似をしたら負けだ。そ、と箸で豆腐の両脇を固定し、そのままゆっくりと持ち上げていく。ぷるぷる、と豆腐が小刻みに震えているが、それは負傷のせいだろう。きっとそうに違いない。

「どうです? まさに完璧だ」

 安堵しながら豆腐を醤油に浸すが、翔一は「甘いなあ」とかぶりを振る。

「甘い? 何が」

「これは木綿豆腐だから上手くいったんです」

「も、木綿?」

 豆腐に種類なんてあるのか。この頃、食に無関心だった誠はキャベツとレタスの違いすら分からなかったほどだった。ブリとハマチが実は同じ魚だったことも、緑茶と紅茶が実は同じ茶葉だったことも結構後になって知ったこと。

「今の手つきじゃ、絹ごし豆腐は取れませんよ」

 翔一が言うと、小沢も「絹ごし……」と呟く。何でそんな納得したかのような素振りをするのか。

「では絹ごしを出してください」

「うちにはありませんけど………」

「分かりました、買ってきましょう」

 と誠は十千万を飛び出し、近くのコンビニまで行った。道中、脚を負傷しているのを忘れて転んでしまい通りすがりの老婆に起こしてもらった事と、店内で豆腐の種類の多さに戸惑い危うく玉子豆腐をレジへ持っていきそうになった事は秘密だ。

 多少のトラブルに見舞われたものの、無事に購入して戻った誠は先ほどの木綿豆腐と同様の器に盛られた白い絹ごし豆腐を箸で挟み込む。大丈夫、所詮豆腐じゃないか。木綿のときと同じようそ、と掴んで持ち上げればいい。だが木綿よりもきめの細かい絹ごし豆腐は、箸で切れてしまい器へ落下する。もう1度、とふたつに割れた豆腐の片割れを掴むが、それもすぐ切れて落下。まだまだ、と再度挑戦するが撃沈。

 もはやぼろぼろに崩れて誠でなくても掴めそうになくなった豆腐を見て、小沢は嘆息交じりに漏らす。

「やっぱりね」

 その上司の言葉に、誠は「ちょっと待ってください」と訪問させてもらっている立場でありながら、箸をテーブルに叩きつける。このとき腕が痛んだが、意に介さなかった。

「豆腐を取れないから僕は彼より劣っていると言うんですか? 納得できません! 第一、何ですか豆腐なんて! こんなものはスプーンで掬えばいい話だ!」

「氷川さんがやろう、て言い出したんじゃないですか」

 翔一が呆れたように言ってくる。そんな彼を見て、

「あ、それに今思い出しました。君は無免許でバイクに乗ってるはずだ」

 「本当なの?」と小沢が身を乗り出す。何に対してなのか分からない勝利を確信しながら、

「記憶喪失の人間に免許が取れるはずありませんからね。そんな人間にG3-Xを任せるわけにはいきません」

 「甘いな」と翔一はエプロンのポケットから出した財布を開き、中身のカードを引き抜く。

「じゃーん!」

 咄嗟に奪うように手に取って凝視すると、それは紛れもなく「津上翔一」名義の運転免許証だった。見たところ偽装ではない。住所はこの十千万で、生年月日は21年前の4月1日。自動二輪車だけでなく普通自動車に中型自動車まで運転を許可されている。

「これは?」

「記憶喪失でも免許は取れるんです。知りませんでした? 勉強不足ですね」

 勝ち誇ったように笑いながら、翔一は誠の手から免許証を取り返す。後になって調べたら、戸籍法の下に記憶喪失による身元不明者が戸籍を得ることが可能だった。戸籍があれば運転免許証が取れるし、不動産の契約もできる。翔一は何の障害もなく社会生活を送れるというわけだ。

「だ、だから何です! バイクの免許とG3-Xは関係ありません!」

「氷川さんが言い出したんじゃないですか」

 もはや訪問の趣旨から完全に逸れてしまったのを見かねてか、小沢が窘めるように言った。

「あなた達、漫才やってるわけじゃないんだから」

 どうにも翔一と話していると調子が狂う。彼のペースに乗せられるというか、一気に疲れるというか。

「とにかく、さっきの話考えてみてくれるかしら?」

 小沢の質問に、流石に軽い態度を自重した翔一は「はい」と応じ、

「よく分かりませんけど、分かりました」

 どっちだ。それを言ったらまた小沢曰く「漫才」を始めてしまいそうで、誠は深い溜め息をつくに留めた。

 

 




 不器用エピソードとして豆腐の件は外せないだろう、と思って今回出しましたが、考えてみたらこのとき氷川さん全身の筋肉ズタズタで立ってるのもやっとだったんですよね。

 そりゃあ豆腐取れませんよ。

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