ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
床と水平に吊るされている頭上のバーに、誠は軋む両腕を伸ばす。ただ掲げるだけで痛むなんて、これからやる事はどれだけの痛みが生じるのか。だからといって、止めるわけにはいかない。痛みなんて気合で何とかなる。そう、アンノウンに殺された被害者たちの痛みに比べたら、何てことはないはずだ。
掴んだバーの両端を掴み、思い切り引き下ろす。
「――っ!」
両肩に走った激痛のあまり手を離してしまい、バーが元の高さへと戻る。がきん、と負荷調整の重りが音を立ててトレーニングルームに響き渡る。額から一気に吹き出した玉汗が鼻梁を伝っていく。誰も利用していない時間帯で良かった。こんな体の各所をテーピングで固定した状態でトレーニングする姿を見られたら、止められるのは明らかだ。
負荷の重量を変えず、もう1度バーに手をかける。今度はゆっくりと、反動をつけず肩に力を込めてバーを下げていく。みしみし、という痛みが激しく訪れる。まだ辛うじて繋がっている筋繊維が悲鳴をあげているのが分かる。でもこれくらいで音を上げては駄目だ。深呼吸しながら誤魔化し眼前まで降ろすと、またゆっくりと力を抜いてバーを所定の位置へと戻していく。
たった1回しか下げていないのに、誠の全身は雨に降られたように汗で濡れていた。肩にはまだ痛みの残滓がある。
こつこつ、と靴音が聞こえてくる。誰か来たのか。やがて見えてきた姿は、今最も見つかりたくなかった小沢だった。小沢は誠のいるマシンへ歩いてくると、苛ついた声色で言う。
「あなた何をしているの? まだそんなことをして良い体じゃないでしょ」
粗くなった呼吸で誠は訴えた。
「小沢さん、どうしても納得がいかないんです。何故G3-Xの装着員が津上さんでなければならないのか。北條さんなら、まだ分かりますが」
市民を護るのが誠の仕事。その護る対象であるはずの翔一が戦わなければならないなんて、受容できることじゃない。元G3装着員としての卑しい意地でも何でもいい。嘲笑われようが軽蔑されようが構うものか。
戦うことが僕の職務だ。
「お願いします。もう1度僕にチャンスを下さい!」
誠に向けられていた小沢の視線が逸れて、彼女の饒舌な口が沈黙する。トレーニングルームには誠の粗い息遣いのみが繰り返し響き続ける。
しばしの逡巡を挟み、小沢は溜め息と共に誠へ視線を戻した。
2
幕が降ろされたように黒く閉ざされた空の下で、1日を終えようとする沼津の街は眠りに落ちていく。まだ灯りの灯っている家もちらついているが、それはごく少数で都会のネオンには遠く及ばない。
1日中練習に励んだにも関わらず、未だ眠りに就くことができずにいた曜は、自室のバルコニーで外の風を浴びながら贈られたシュシュを眺めていた。
結局話せなかった。
贈り物をしてきた梨子のせいではないのだが、嬉しそうにシュシュを身に着ける千歌を見ていると、どうしても今朝の決意が揺らぎ打ち明けられないまま今日の練習が終了してしまった。
本音でぶつかる、と言っても何て言えばいいのか。改めて考えると、どう切り出せばいいか分からない。試しに脳内でシミュレーションしてみる。
シーン1。千歌を壁際に追いやって問い詰めてみる。
――千歌ちゃん。わたしと梨子ちゃん、どっちが大切なの? はっきりして――
違う。少女漫画の影響を受けすぎだ。
シーン2。千歌をどこか大きな樹のある場所に呼び出して涙声で訊いてみる。
――千歌ちゃん。わたしのことあんまり、好きじゃないよね?――
「これもちがーう‼」
思わず大きな独り言を漏らしてしまい、羞恥が2乗される。咄嗟に口を閉じてバルコニーの塀に身を隠した。恐る恐る周辺の家屋を見渡して何の変化もないところをみると、どうやら床に就いた近隣住民を起こさずに済んだらしい。
シーン3。
内浦の三津シーパラダイスのキャラクター、うちっちーの着ぐるみを着て自身の感情を直接アピール。
――わたし、渡辺曜は千歌ちゃんのことが喘息全身ヨーソロー!――
訳が分からない。自分の思考ながら。悩み過ぎて知恵熱でも出してしまっただろうか。
普段の他愛のない会話は意識しなくてもできるのに、重要な事となると何故できなくなるのか。表面上だけ取り繕って中身がない。我ながら浅薄な人間だ。周囲から容量が良い、と評されがちなだけに尚更そう思える。
自己嫌悪が強くなってきたところで、スマートフォンの着信音が鳴る。梨子からだった。まるで図ったかのようなタイミング。しばし躊躇ったが、画面をタップして「もしもし?」と普段の明るい口調を意識して応じる。
『もしもし曜ちゃん? ごめんね夜遅くに』
「ううん、平気平気。何かあったの?」
『うん。曜ちゃんがわたしのポジションで歌うことになった、て聞いたから。ごめんね、わたしの我儘で』
「ううん。全然」
『わたしのことは気にしないで、ふたりでやりやすい形にしてね』
そう言ってくれても今更だった。曜が梨子の動きを真似することで形になってしまったのだから。今から変えても本番に間に合わなくなる。
「でも、もう………」
言いかけたところで喉元に押し留める。今口を開き続けたら梨子への恨み節を吐いてしまいそうだった。梨子は何も悪くない。千歌の隣という「居場所」を奪われた、だなんて八つ当たりもいいところだ。
千歌が誰と一緒に居ても、彼女の自由なのに。
『無理に合わせちゃ駄目よ。曜ちゃんには曜ちゃんらしい動きがあるんだし』
「そうかな………?」
『千歌ちゃんも絶対そう思ってる』
気遣い上手だな。だから千歌ちゃんは梨子ちゃんの隣が、居心地がいいのかな。
こうして話していると、尚更自分の立場がなくなっていくのが分かる。普段の声色を維持することもできなくなり、消え入りそうな声で曜は呟く。
「…………そんなこと、ないよ」
『え?』
「千歌ちゃんの傍には、梨子ちゃんが1番合ってると思う。だって千歌ちゃん、梨子ちゃんといると嬉しそうだし。梨子ちゃんのために頑張る、て……言ってるし………」
懸命に堪えてきた涙が目尻から零れてくる。声だけでも何とか取り繕うとするが、嗚咽が混じってどうしても震えてしまう。
わたしの「居場所」はもう、ないんだ。
『そんなこと思ってたんだ』
困らせてしまっただろうか。いや、困らせたに違いない。謝ろう、と涙を拭って口を開きかけると同時、梨子の声が先制した。
『千歌ちゃん、前話してたんだよ』
「え………?」
『曜ちゃんの誘い。いつも断ってばかりで、ずっとそれが気になっている、て。だから、スクールアイドルは絶対一緒にやるんだ、て。絶対曜ちゃんとやり遂げる、て』
中学で水泳部に誘ったとき、罰が悪そうに苦笑しながら断った千歌に、曜は悪い事しちゃったな、と思っていた。千歌と一緒なら、曜はどんなことでも楽しめる、と確信できる。でも千歌はそうとは限らない。曜と一緒でも、いや、曜と一緒だからこそ楽しめなくなるでは、と考えるようになっていった。
『曜ちゃん』と梨子は優しく言う。
『千歌ちゃんは、曜ちゃんが思ってるよりもずっと、曜ちゃんのこと大好きよ』
どう返せばいいか、言葉が見つからない。しばし口をまごつかせていると、『それじゃ、頑張ってね』とだけ言って梨子は通話を切った。耳から離したスマートフォンの画面は何の操作も受けずにいたため自動的に暗転している。
「曜ちゃん!」
千歌の声が聞こえた気がする。でもすぐ空耳だよね、と思い直した。もう夜も遅いのだし、千歌は寝ているだろう。
「曜ちゃーん!」
いや、空耳なんかじゃない。見下ろすと、家の前で練習着を着た千歌が立っている。
「千歌ちゃん……、どうして?」
「練習しようと思って」
「練習?」
「うん!」
暗がりのなか、僅かな街灯を受けた千歌の顔はやけに照り返っている。肩で息をしながら、千歌は声を張り上げる。
「考えたんだけど、やっぱり曜ちゃん自分のステップでダンスしたほうがいい。合わせるんじゃなくて、1から作り直したほうがいい」
それは、本当の意味でパートナーと認めた者へ贈られる言葉だ。
「曜ちゃんとわたしのふたりで!」
梨子の代役なんかじゃなくて、曜自身のステップで踊ってほしい。梨子の真似なんかしなくていい。曜としてのダンスと歌で、一緒にステージに立って欲しい。時間があまりないことなんて気にしなくていい。最高のパフォーマンスを一緒に作っていこう。
それだけの想いが、千歌の言葉から読み取ることができた。それは単なる曜の思い込みかもしれない。千歌に言葉以上の意図はなかったのかもしれない。でも、ならどうして千歌はこんな時間に来たのだろうか。
確信を得るために、曜はバルコニーから部屋へと引っ込んだ。「曜ちゃん⁉」と千歌の声が聞こえたが、応じることなく曜は階段を駆け下りて外へ飛び出す。ドアの前にいるだろう千歌に顔を見せる勇気がなく、背を向けたまま後ろ足に近付いていく。
「曜ちゃん?」
そんな曜を不思議がった千歌の声を頼りに、後ろへと手を伸ばす。しばし這わせた指先が、生暖かく濡れた千歌の服に触れた。
「汗びっしょり。どうしたの?」
「バス終わってたし、翔一くんも忙しい、て言うし………」
内浦から沼津市街なんて、結構な距離だ。ましてや徒歩や自転車だなんて、夜とはいえこんな夏真っ盛りに酷だったことだろう。
でも、それでも千歌にはここに来るだけの理由があった。
「曜ちゃん、何かずっと気にしてた、ぽかったから。居ても立っても居られなくなって………」
照れ臭そうな千歌の笑い声が、次第に勢いを失っていく。嬉しさが曜の裡を満たしていく。収まり切らなくて溢れ出しそうだった。同時に羞恥もある。何て行き過ぎた思い込みをしていたのか。「居場所」を自分から離れようとしていたのは、曜自身じゃないか。離れる必要なんて、最初からなかったのに。
「わたし、バカだ……。バカ曜だ………」
「バカ曜?」と反芻する千歌へようやく向き合うと、曜は溢れる想いに抗うことなく親友へ抱き着く。突然のことに尻もちをついた千歌は「汚れるよ」と言うが、曜は「いいの」と返し背に回した腕の力を強めた。
「風邪ひくよ」
「いいの!」
「恥ずかしいって」
「いいの!」
「何泣いてるの?」
「いいの!」
3
会場として使用される劇場は東京のイベントと比べれば慎ましいものだったが、本番前の神経が張り詰めた緊張感は、毎度のこと変わりない。いくら人前に出ることに慣れている曜でも、この感覚はこれからも慣れることはないだろうな、と思った。いや、慣れていいものじゃない。半端な気持ちでライブに臨んでは駄目だ。むしろ、この緊張感が心地いいとすら思える。この緊張は曜ひとりだけのものじゃない。今ステージの袖で出番を待つ、Aqours全員のものだ。勿論、ここにいない梨子のものでもある。
そ、と右の手首に付けたシュシュに触れる。同じ仕草をする千歌と目が合って、互いに微笑を返した。梨子も今頃は、同じシュシュを付けてコンクールの本番に臨んでいるのだろう。こうして曜と千歌が梨子を感じているように、彼女もここにいるメンバー達を感じているだろうか。
もうすぐ出番だ。誰が言うまでもなく、皆で円陣を組み、中央に各々の手を重ねていく。千歌の声に重なる熱が、皆に伝播していくのを確かに感じ取る。
「さあ行こう、ラブライブに向けて。わたし達の第1歩に向けて。今、全力で輝こう! Aqours――」
その続きを全員で重ね合わせ、手を高く掲げる。
「サンシャイン!」
伸ばした手の上に重なる手は、ここにはない。このステージに立つのは梨子ひとりだけ。いつだってピアノはそうだ。たったひとりで舞台へ臨み曲を奏でなければならない。それはとても孤独な舞台だ。だからこそ、あの時は鍵盤に触れることができなかった。自分の他には誰もいない。誰も助けてはくれない。
でも、今は孤独を感じない。仲間が大勢いると、ひとりでいる時間は孤独をより感じると思っていたのに、そんな空虚はどこにもない。右手にあるシュシュ。これを皆も付けているのかな、と想像するだけで裡が温かく満たされていく。
ひとりじゃない。
わたしには、皆がいる。わたしの「居場所」で待っていてくれる人たちが。
「Aqours、サンシャイン」
ひとり呟き、右手を高く掲げる。そうすることで、他の皆もここにいて、梨子と声を合わせているかのような錯覚を覚える。想像にしては、とても鮮明に映った。新しく作った衣装に身を包んだ皆が、梨子の贈ったシュシュを付けてステージへ前進していく姿が。
さあ、出番だ。梨子もまたステージへと歩き出す。
今なら分かる気がする。どうして千歌がスクールアイドルを始めよう、と思ったのか。スクールアイドルでなければ駄目だったのか。
千歌にとって輝くとは、ひとりで成し遂げることじゃない。誰かと手を取り合い、皆で一緒に輝くこと。「普通」であることに燻っていた千歌のもとに、「普通」な梨子や曜をはじめとする皆が集まり、ひとりでは到達できない大きな輝きを創る。その輝きは自分たちのいる学校、自分たちの曲を聴く人々へと、波のように広がっていく。かつてμ’sが成し遂げたように、無限に。
それが、千歌がスクールアイドルに見出した輝き。
鍵盤を前にして、梨子は曲を弾く。あの時聴いた海の音。それをきっかけに連ねられてきた、Aqoursとして千歌や皆と過ごしてきた時間。梨子の指は迷うことなく、何度も反復練習してきたメロディを奏でていく。機械的に弾けば上出来だが、そうはしない。しっかりと、内浦で過ごした日々への思慕を乗せ、一緒に過ごし、今このとき別のステージにいる皆へ届くよう、祈りを込めて。
勿論、皆に届くなんて物理的に不可能だ。でも、この世界は理屈だけで成り立っていない。こうしてピアノを弾いている今この瞬間、梨子には確かに聞こえている。ラブライブの予選で皆が歌っている『想いよひとつになれ』が。千歌の隣で、自分のステップで踊っている曜の姿が目蓋の裏に浮かんでいる。
皆、聞こえるかな。
わたしは聞こえてるよ。
曲に込めた通り、わたし達の場所は別々でも、想いは確かにひとつだよね。わたしは皆と一緒にいる。皆もわたしと一緒だよね。
曲が終わった。椅子から立って、観客たちへ礼をする。
観客席から何重にも連なった拍手が、会場に満ち梨子を包むように響いた。
ああ、と梨子は万感の溜め息と共に体から重いものが抜け落ちた感覚を覚える。
わたしはやっと、ピアノの呪いから解かれたんだ。
同じ頃、Aqoursと梨子とは別の、ある意味で舞台へと臨む者がいた。
4
『只今より、北條主任装着、V-1システムのマヌーバーを始めます』
扉の向こうから女性管制官のアナウンスが聞こえてくる。次にピー、という電子音が鳴り、同時に銃声が扉越しにもはっきりと聞くことができた。
スーツの装着をほぼ完了した誠は、扉の前で抱えたマスクを見つめる。見つめ返してくるのは馴染みのあるオレンジ色のセンサーアイ。エンジニアチームが急ピッチで完成させてくれたG3-Xのスーツは、G3よりも装甲面積が広くより堅牢な設計になっている。実際に重量も20㎏ほど増しているのだが、その分油圧の出力も増強され数値上のスペックは倍以上になっている。
大丈夫、と誠は裡で自身に言い聞かせる。今日まで小沢の指示通り静養に努め、負傷は完治した。システムだって理論上はアンノウンと十分に渡り合える。何より、小沢澄子が対アンノウン用として設計したシステムだ。不安要素なんてない。誠がAIに身を委ねれば何も問題は起こらないはずだ。
信じよう、AIを。AIを設計した小沢を。
マヌーバー終了を告げるブザーが鳴り、銃声が止む。誠はマスクを顔に当てる。網膜で装着員を認証するのはG3と同じだ。
《認証 装着員:氷川誠警部補》
視界ディスプレイにロゴが浮かび、後頭部のカバーが閉じられる。
『第1次マヌーバー終了』
扉が開かれた。がちん、とジュラルミン製の靴音を打ち鳴らしながら、誠は演習ルームへと脚を踏み入れる。部屋の中央に立つV-1は銀色の装甲を纏っていて、右手には拳銃が握られている。他に武装らしきものは見当たらない。なるほど、射撃を得意とする北條が装着するなら射撃特化型が最適ということか。先日出撃した際も、拳銃ひとつでアンノウンを撃退していたからその威力は既に実戦で立証されている。北條にとってこのコンペティションは消化試合も同然だろう。
無論、消化なんてさせるつもりは無いが。
『氷川誠主任装着、G3-Xのマヌーバーを始めます』
いよいよだ。余計な雑念は捨てよう。怯えず、気負わず、目の前のことに対処すればいい。それがG3-Xの性能を最大限に発揮するための資質。
控え室に戻ろうとするV-1とすれ違う際、マスク越しに北條が語り掛けてくる。
「ざ、とこんなもんです。私に、撃ち損じはありませんよ」
そう言って北條は拳銃を誠に向けてくる。勿論、それは戯れで彼に発砲の意思なんてない。だがAIはそうは思わなかったようで、
《対象の敵性を認識。防衛のため実力行使を推奨》
ディスプレイにロゴが、AIの声が表示される。その文字に誠は目を剥いた。
違う、彼は敵じゃない。
まるでその思考を読み取ったかのように、AIが更なるロゴを提示する。
《装着員のミッション継続は不可能と判断。システムコントロールを本機へ移行。シークエンス開始》
何だって、一体AIは何をするつもりだ。これでは駄目だ。とても演習なんて成立しない。
中止を申し出ようと口を開いた瞬間、誠の視界に歪みが生じた。酷い耳鳴りも襲ってくる。視界がノイズに覆われていき、体の感覚も遠くなっていく。自分がどんな体勢を取っているのかすら分からない。ふわり、という不気味な浮遊感が五感を覆い被さるように消していく。まるで脳が溶けてかき回されていくようだ。
駄目だ、こんなところで倒れては。まだマヌーバーは始まってすらいないのに。深い奈落へ落ちようとする意識を押し留めようと、ままならない思考を続ける。一体何が起こった。マヌーバーはどうした。管制室にいる小沢は何を見ている。
視界が戻っていく。目の前にいる朧気な影が徐々に像を形作っていき、ようやく視覚がまともに機能し相対する者を捉える。
アンノウン!
目の前にいるのは、カメのようなアンノウンだった。唯一G3で撃破に成功し、シミュレーションでも相対したものと似た個体。いつ演習ルームに侵入してきた。まさか、このマヌーバーの場に超能力者がいるとでも。
考えるのは後だ。現れたのなら倒さなければ。
アンノウンが伸ばしてくる太い腕を捻り上げる。向こうも膝蹴りで反撃してくるが、不思議なほどにそれは弱いものだった。スーツが衝撃を全て吸収し、誠へのダメージは皆無だ。いける、という確信と共に、誠は敵の胸に拳を打ち付ける。
不謹慎な考えだが、これは好機だ。北條のV-1システムは実戦で性能を証明してみせた。ならば誠もG3-Xの性能を、実戦で証明してみせる。このアンノウンをこの場で撃破することで。
今までのG3で苦戦していたことがまるで嘘のように、誠の拳はアンノウンに有効打を与えることができていた。1撃を見舞うごとに相手はたたらを踏むように体勢を崩し、それが誠に攻撃の隙をくれる。
アンノウンも度重なるダメージに恐れをなしたのか、こちらに背を向けて逃亡しようと地面を蹴る。だがそれよりも速く、誠の足は敵の背に蹴りを入れる。倒れた敵の襟首を掴み無理矢理立たせると、その顔面に渾身の拳を入れた。生物じみた様相なのに、拳の感触はまるで金属を殴ったように固い。カメならではの堅牢さか。
流石に頭部へのダメージは堪えたのか、アンノウンは糸が切れたように倒れる。まだだ。爆散していないということは、まだ敵の息の根は止まっていない。止めの1撃を加えようとしたとき、
『静岡県警から各局。沼津市大岡にてアンノウン出現との110番入電中』
その放送を聞き取ったAIの声がディスプレイに浮かぶ。
《推奨 現場へ急行》
言われるまでもない。バッテリー残量は十分だ。もう1体を相手取る余力はある。
翔一がアンノウンの気配を感じ取ったのは、畑の手入れをしていた際中だった。すぐさまバイクを走らせ、大岡に流れる狩野川へと向かう。狩野川に渡された東海道新幹線の高架線路、その下には川へと入る直前に森を整備された広場がある。そこで、この前取り逃がしたメスバチのアンノウンは小学生くらいの少年へじりじり、と歩み寄っていた。まるで自身の姿に慄く様子を楽しんでいるかのように。
「変身!」
翔一の体が、光に包まれアギトへと変わる。光を受けて金と赤の光沢を放つバイクのアクセルを捻り、猛スピードでアンノウンを撥ね飛ばす。不意打ちに地面を転がったアンノウンは、苦汁を舐めさせられたような憎悪に満ちた目を翔一へと向けてくる。
バイクから降りると同時、アンノウンが接近してきた。繰り出される蹴りを腕で防御し、更に突き出された腕を掴み投げ飛ばす。倒れ込んだところに蹴りを入れようとしたが、それは寸でのところで避けられ体勢を立て直される。
だがそれでも、格闘戦はさほど脅威でもない。腹に拳を沈ませ、相手がごふ、と咳き込んだところでその顔面へ拳を打ち込む。向こうも徒手空拳では分が悪いと判断したのか、頭上の光輪からレイピアを引き抜く。
ならばこちらも、と翔一はベルトの球の手をかざすが、アンノウンはすかさずレイピアを突き出して阻止してくる。続けざまに繰り出される剣尖は鋭く翔一を捉えてきて、武器を取り出す余地を与えてくれない。紙一重で避けることに集中しなければ、容赦なく急所を貫かれるだろう。
敵が突きを放ったところで、一気に懐へ入り込みレイピアを握る手を脇で固め動きを封じる。その隙で腹に肘打ちを見舞い、敵がたたらを踏んだところで間合いを取る。
武器を取ろうとしたとき、視界の隅に青い人影が映った。アンノウンもその介入者に気付いたらしく、翔一と同じくそちらへと視線を移す。
そこにいたのは、前よりも重厚な鎧を着こんだ青の戦士だった。両手に大振りな銃を抱え、こちらへゆっくりと歩いてくる。歩みを止めると、青の戦士は銃口をこちらへと向けた。細い銃口が束になったガトリングの砲身が、回転すると同時に火を噴いてこちらの足元を穿っていく。あまりの威力と弾丸の数に地面の芝生が捲れ上がり、土がむき出しになる。
翔一は近くの茂みへと跳び込み、弾丸の雨から逃れた。同じように樹の陰へと逃れていたアンノウンへ、青の戦士はオレンジの目を向ける。再び放たれた無数の弾丸が樹の太い幹を削っていき、瞬く間に折ってしまう。宙へ飛んだアンノウンは追ってくる弾丸から逃れるべく旋回していく。
弾丸の
フルオートで放たれた弾丸が、アンノウンの体を削っていく。ハチに似た体が文字通りハチの巣のように銃創を開けられ、とうとう宙で四散していく。
広場に静寂が訪れる。青の戦士が浴びたアンノウンの肉片と血はほどなく蒸発していき、その存在は初めからこの世界に無かったかのように跡形もなく消滅していく。何も知らない者が芝生の捲れた地面と折れた樹の幹を見たら、何が起こったと予想するだろう。
茂みの中で、翔一は戦士の左肩にマーキングされた「G3-X」の文字を見る。あれがG3-X、小沢が翔一に装着を要請してきた戦闘スーツか。だとしたら、今あの鎧の下にいるのは誰なのか。G3に引き続き誠が装着しているのだろうか。
茂みから出ると、G3-Xは翔一の存在を捉える。G3-Xは無言だ。無言のまま、抱えたガトリングの銃口をこちらへと向けてくる。
「っ!」
背筋にぞわり、と悪寒が走る。次の瞬間、円筒に並べられた銃口が火を噴いた。
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