ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第4話

 

   1

 

「はいお待ちどお」

 店主から差し出されたラーメンの丼は、脂でぬかるんでいて気を抜いたら手から滑り落ちてしまいそうだ。でも、このちょっとした粗雑さが河野のお気に入りみたいで、誠も嫌いじゃない。暑い季節で屋台だから冷房もないけど、こういう時期に汗をかきながらラーメンを食べるのが粋らしい。

 誠に割り箸を渡してくれた河野は嬉しそうに頬を綻ばせる。

「久しぶりだな、こうやってお前とラーメン食べるのも」

「はい、誘ってくれてありがとうございます」

 河野とは捜査現場くらいしか顔を合わせる機会がないから、こうやって一緒に食事をする時間がなかなか取れなかった。誠の快気祝い、と誘われたのだが、それがいつもの屋台のラーメンとは河野らしい。河野に倣って誠は最初にスープをひと啜りする。久々に口を満たす味に思わず安堵の溜め息が漏れた。

「しかしなあ、北條の奴も意地になってるんじゃないかなあ? V3だのGWだの」

「G3-Xです。V3は昔放送されてた特撮番組で、GWはゴールデンウィークの略です」

 「そうか」とおどけながら河野は麺を啜り、

「まあ何だ、北條の奴も根は悪い奴じゃない。色々迷惑をかけたかもしれんが、許してやってくれ」

 確かに北條にはユニットを振り回されてばかりだ。今もユニットを乗っ取るために何を企んでいるのか知れたものじゃない。でも、河野から頼まれると不思議とあまり彼を憎めなくなる。きっとこうしてラーメンに誘ってくれたのも、快気祝いより誠にそれを言いたかったのだろう。

「河野さん、好きなんですね北條さんのこと」

「まあ、ひとりくらいそういう奴がいないとな」

 それだけ言って河野は黙って食事を続ける。誠も笑みを零すと、伸びないうちに麺を啜った。

「美味いな」

「はい」

 

 大学時代の恩師に会いにいくから、G3-Xを扱ってみせた人間として一緒に来てほしい。

 その小沢からの頼みに、翔一はふたつ返事で了承した。家事以外は特に予定はないし、焼肉をご馳走してもらった恩もある。

 城北大学で待ち合わせてから小沢の恩師である高村教授の研究室へ向かう道中、彼女から事の顛末は聞いていた。G3-Xは今の状態では誠に扱うことができない。その問題を解決するために、小沢は高村教授に意見を聞きたいという。

 正直、説明を聞いても翔一にはいまいち腑に落ちなかった。確かにマスクの中で指示が飛んできたが、それ以外はいつもアンノウンと戦うときと同じ感覚でいたつもりだ。特に意識したことなんてない。G3-Xを装着して何も起こらなかったからといって、自分が特別だなんてことは全く思わなかった。

 氷川さん不器用だから。

 そんなふうにひとり解決していると、高村研究室という札の立つ部屋に着いた。小沢がノックすると、ドアの奥から「どうぞ」と素っ気ない男性の声が聞こえる。「失礼します」という小沢に続き、翔一も「失礼します」と中に入る。せっかく教え子が来てくれたというのに、高村は手にした書類から目を離さず吐き捨てるように、

「電話でも話したように私は忙しい。話があるなら手短にしてくれ」

 しまった、と翔一は気付く。手土産に菜園の野菜を持ってくるのを忘れてしまった。トマトが丁度赤く色付いてきた頃だというのに。

「警察の方から教授にもG3-Xの設計図が渡されたはずです。システムについて、教授のご意見を伺いたいのですが」

 小沢が言うとようやく高村はこちらを振り返る。

「珍しいな。君が人の意見を求めるとは」

「皮肉を言う時間はおありなんですか」

「前にも言ったように私は君が嫌いだ。だが君の才能は認めざるを得ない」

 そう言うと高村はデスクにあるPCのファイルを開く。液晶に映し出されたのはG3-Xだった。各部に翔一には理解できない数字やアルファベットが並んでいる。それを眺めながら高村は嘆息する。

「完璧だよ。G3-Xは素晴らしい」

 何が完璧で何が素晴らしいのはよく分からないが、高村の言葉に翔一は同意できる。実際に装着してみて、いつもとは勝手が違っても戦う分に問題はなかった。

「君が犯したミスはたったひとつだ」

「何でしょう?」

「この前一緒に来た、氷川誠だったかな? 彼を装着員に選んだことだ」

 その言葉に小沢は声を詰まらせた。高村は続ける。

「いや、少し語弊があるな。前に北條さんにも話したんだがね、G3-Xを装着できる人間なんて滅多にいない。何故ならあれは、完璧すぎるからだ」

 そうかなあ、と翔一は首を傾げる。自分にできたのなら誰でもできるんじゃないかな、と。そんな翔一を高村は一瞥し、

「今のままではG3-Xはただの飾り物にすぎない。しかし小沢君、君は何故G3-Xに手を加えようとしないんだ?」

「手を加える? G3-Xは完璧です」

「それが欠点なんだよ」

 高村は語気を強めた。

「G3-XのAI機能と同調するためには、大袈裟に言えば装着員は無我の境地にいなければならない。そんな人間はそこの彼の他にはまずいない」

 ああ、いることには気付いていたんだ、と安堵した翔一は自己紹介しようと口を開きかけるのだが、

「どうやら君はG3-XのAIレベルを落とすことを考えもつかなかったようだな。君は完璧なものを作りそれに満足してしまっている」

 まあ、美味しい料理にそれ以上味を加えようだなんて思わないし。そんなことをしたら台無しになってしまう。

「しかしG3-Xは人間のためのものだ。君は人間のことを考えるのを忘れている」

 言いたいことを全て言ったのか、高村は先ほどより僅かだが表情を緩める。おもむろにデスクの引き出しから透明なプラスチックケースを出すと、それを小沢に差し出す。

 中身は指の爪ほどに小さい電子版だった。

「これは?」

「G3-XのAI制御チップだ。それを使えばG3-XのAIレベルは落ちる。だが、人のものとなるだろう。それをどう使うかは君の自由だ」

 

 

   2

 

 UTXビルの街頭モニターの前では、既に大勢の人だかりができていた。その大半が少女たち。今年のラブライブがどうなるのか楽しみ、という熱気が伝わってくる。

 梨子たちAqoursの面々が人だかりの外縁に立つと、丁度モニターの映像が切り替わった。

 Love Live! FINAL STAGE

 AKIBA DOME

 そのアルファベットの配列を梨子は口にする。

「アキバドーム………」

 本来なら球場なのだが、現在はもはやラブライブ決勝ステージとしての施設という認識が世間で広まっている。

「本当にあの会場でやるんだ」

 感慨深げに果南が呟く。アキバドームで開催されるのは、何も今回が初めてではないらしい。第3回大会から決勝は球場で行われるのが通例になっている。

「ちょっと、想像できないな」

 千歌が言った。スクールアイドルをやりたい。ラブライブで優勝したい。そう言い出したのは千歌だったけど、いざその舞台で歌うという実感があまり沸かない。

 その怖れは梨子も同じだった。このまま勝ち上がれば、自分たちはあのドームで、歓声とサイリウムに囲まれながら歌うことができる。あの舞台に立てばμ’sの輝きの根拠が分かるかもしれない。でもそれは果てしなく遠い場所だ。宇宙よりも遠く感じられる。

 見れば、他の皆も似たような表情を浮かべていた。夢が現実になるかもしれない。それが自分たちにできるだろうか。ライバルはSaint_Snowの他にも大勢いる。日本中のスクールアイドルの頂点にしか辿り着けない境地に、普通の少女でしかない自分たちが果たして行くことができるのか。

「ねえ、音ノ木坂行ってみない?」

 そう言うと、皆の視線が梨子に集まる。

「ここから近いし、前わたしが我儘言ったせいで行けなかったから」

 「良いの?」と千歌が訊いてくる。「うん」と応えるのに逡巡は必要なかった。

「ピアノ、ちゃんとできたからかな。今はちょっと行ってみたい。自分がどんな気持ちになるか、確かめてみたいの」

 浦の星は好き、と断言できる。自分がピアノと向き合うきっかけを作ってくれた、このAqoursの皆がいるあの学校は確かな梨子の居場所になった。なら音ノ木坂はどうだろう。1年間だけの在籍で、ピアノ漬けの日々しか記憶になかった、あの学校に自分はどんな気持ちを抱いているのかは、今でも明瞭にならない。

 だから行ってみたい。

 裡の奥底にある、本当の気持ちを確かめるために。

「皆はどう?」

 訊くと、真っ先に曜が「賛成!」と挙手する。続けて果南も「良いんじゃない」と、

「見れば何か思うことがあるかもしれないし」

 音ノ木坂学院。それはスクールアイドルファンにとっては最も有名と言っていい学校。当然そのことを熟知している黒澤姉妹は、興奮に声を揃えた。

「μ’sの母校⁉」

 

 音ノ木坂学院は高台に校舎を構えていて、そこへ至るまでには長い階段が伸びている。何だか浦の星と似ているな、と少しだけ親近感が沸いた。距離は圧倒的に浦の星のほうが長いけど。

「この上にあるの?」

 まだ見えない校舎への階段を見上げながら曜が呟く。「何か緊張する」とルビィは頬を紅潮させ、

「どうしよう、μ’sの人がいたりしたら………」

「平気ですわ。その時はさ、さ、さ、サインと写真と………握手」

 妹を窘めつつも自分も緊張しているダイヤに「単なるファンずら」と花丸が微笑する。

 千歌も興奮を抑えられずにいた。この階段をのぼった先に音ノ木坂がある。その事実が、千歌の足を進ませていた。

「千歌ちゃん⁉」

「待って!」

「抜け駆けはずるい!」

 と皆が追いかけてくる。階段は思っていたよりも長くて、興奮も相まって次第に呼吸が乱れてきた。でも校舎が少しずつ見えていくにつれて足は速まり、頂上まで一気に駆け上がる。

 上り切った先で見えたのは赤レンガで造られた、でも「普通」の校舎だった。特別華やかというわけでもない。静かなのは、今は夏休み期間で生徒がいないからだろう。

 でもここは、スクールアイドルにとっては聖地と呼んでも過言じゃない。

「ここが、μ’sのいた………」

 かつて彼女たちが門を潜り、教室で学び、練習に励んでいた居場所。この学校の持つ意味はそれだけじゃない。

 一時期生徒数の減少で廃校の危機に陥りながらも、それを覆したのは経営陣ではなく生徒たちだった。世間から見ればただの子供でしかなかった少女たちが、スクールアイドルとして多くの人々に歌を届けたことで生徒を集め、現在まで存続している。

 普通の女の子たちが守った学校。彼女たちの奮闘の賜物。それこそ音ノ木坂学院が聖地といわれる由縁。

「なあ」

 不意に投げかけられたその憮然とした声に、全員で視線を向ける。路肩で茶髪を長く伸ばした青年がバイクのシートに寄りかかっていた。年齢は見たところ翔一と同年代だろうか。でも彼とは対照的で目つきが鋭い。刺すような視線に人見知りのルビィが「ピギィ!」と悲鳴をあげて花丸の背中に隠れた。

「ここに何か用か?」

 そう訊く青年も、とても学校の関係者には見えないが。

「すみません。ちょっと見学してただけで」

 曜が所在なさげに言うと、青年は「ああ」と納得したように、

「μ’sのファンか」

「わたし達もスクールアイドルです」

 千歌が訂正すると、青年は「そうか」とだけ返す。口数はあまり多くないらしい。

「μ’sのこと知りたくて来てみたんですけど」

「そういう奴、結構いるぜ」

 卒業生、というわけでもなさそうだ。音ノ木坂は女子校のはずだから。

「でも無駄足だったな。ここには何も残っちゃいない」

 そう言って青年は校舎へと目を向ける。不思議と、その眼差しが穏やかになった気がした。

「μ’sの奴ら、何も残していかなかったみたいだ。自分たちの物も、優勝の記念品も、記録も。物なんかなくても気持ちは繋がっているから、それで良いんだよ、てな」

 千歌も校舎へ視線を戻す。もし入れたとしても、μ’sの痕跡は何も見つからない。μ’sの母校として少女たちの間では聖地化されていても、その実は普通の学校と何ら変わりない。なるほど、通っていた梨子が知らなかったのも納得できる。

 でも、確かに彼女たちはここにいた。こうして学校が存在していることが、何よりの証拠。

「どう、何かヒントはあった?」

 梨子が訊いてくる。「うん」と千歌は応えた。

「ほんのちょっとだけど」

 ここで何を見つけたのか、千歌自身にもまだはっきりとは分かっていない。でも、何かが裡に灯った気がする。

「梨子ちゃんは?」

「うん、わたしは良かった。ここに来てはっきり分かった。わたしこの学校好きだったんだな、て」

 それは、ピアノが大好きな梨子だからこその答えなのかもしれない。あまり良い思い出は無かったのかもしれないけど、大好きなピアノに打ち込んできた、今の自身に至る軌跡を彼女は肯定することができた。自分のこれまで、良いことも悪いことも全て受け入れ、ようやく前に進んでいける、と。

 千歌は校舎に向けて深く礼をした。千歌を中心として皆も一列に並び礼をする。青年の言ったように、ここには何も残っていないのかもしれない。でも無駄足なんかじゃない。ほんのちょっとでも、μ’sのことが理解できたのだから。

 彼女たちが頑張れたのは、この学校が好きだったから。だから自分たちの物を残す必要なんてなかった。

 頑張った結果は、輝いた結果は置いていかなくても、こうして今ここにあるのだから。

「ありがとうございました!」

 自然と出たその言葉が9つに重なる。スクールアイドルというものを、自分たちの標を与えてくれたことへの、最大の感謝だ。

 エンジンが駆動する音が聞こえる。頭を上げると、青年はバイクで去って行った。

 

 

   3

 

「結局、東京へ行った意味はあったんですの?」

 帰りの電車のなかで、ダイヤが尋ねた。その肩には、旅で疲れた体に電車の揺れが心地よくなったのかルビィが寄り添って寝息を立てている。ルビィだけでなく、後輩たちはほとんどが夢の中だ。

「そうだね、はっきりとは分からなかったかな」

 果南にも、この旅で自分たちが何を得られたのかは分からずにいる。でも、今窓の外を見やる千歌は何かを見つけたのかもしれない。一体それが何なのか、本人も分からずにいる。答えが出るまで待つしかない。

「果南はどうしたら良いと思うの?」

 と鞠莉が訊いてきた。

「わたしは、学校は救いたい。けど、Saint_Snowのふたりみたいには思えない」

 あの姉妹のことは、素直に凄いと思う。PVでのダンスも歌も高水準に達していたし、何よりコンビネーションは他のグループより頭ひとつ抜けている。血の繋がりという濃い絆のなせる技かもしれない。実際に会ってみて、スクールアイドルとしての矜持も見習うべきところがある。でも尊敬はできても、あの姉妹のようになりたいかと問われれば、話は別だ。

「あのふたり、何か1年の頃のわたしみたいで………」

 Saint_Snowは立派だ。技術も信念もある。でも他を寄せ付けないほど立派すぎて、どこか窮屈にも見えた。立派すぎる信念は妥協を許せなくて、やがて独りよがりになって足元をすくわれてしまう。1年の頃、全部を抱え込もうとして親友を苦しめてしまった果南のように。

 不意に、鞠莉が果南の胸に顔を埋めてきた。ハグかと一瞬思ったが違うようで、鞠莉は果南の胸に顔を摺り寄せながら、

「bigになったね、果南も」

「訴えるよ」

「流石、恋をすると成長するものね」

 そう耳元で囁かれて、動揺のあまり乱暴に押し退けてしまう。それでも嫌な顔はせず、むしろにやけているあたり今の果南はかなり顔を紅潮させているのだろう。自分でも顔が熱くなっているのが分かる。

「い、い、いけませんわ。わたくしたちはスクールアイドルで、それ以前にまだ高校生で勉学に励むのが――」

 「分かったから落ち着いて」と興奮して呂律が回らなくなっているダイヤをなだめる。鞠莉はシートにもたれ、

「連絡は取れないの?」

「………うん。涼の連絡先知らなくて」

 あの日から涼の姿は見ていない。彼は1年の頃と同じように、忽然と果南の前からいなくなってしまった。あの頃はまだ良かった。店のお客や地方新聞から涼の近況を知ることができたのだから。でも今、彼がどこで何をしているのかは分からない。生きているのかさえも。

 いや、生きていると信じなければ。別れ際に涼は言ってくれた。

 ――俺とお前は、何度でも会わなくちゃいけないんだ――

 その約束を果たすのに、今度はどれくらい待つことになるのだろう。

「あまり気を煩わせないで」

 ダイヤが優しく言ってくれる。果南は笑顔でそれを受け止め、

「うん、ありがとう。でも今はAqoursのほうが大事だから」

 そう、今はこっちのほうが大事だ。自分の「居場所」でいてくれるAqoursで、浦の星を救いたい。

 駅に到着した電車が停まる。まだ沼津駅じゃないから、座ったまま発車を待っていたのだが、

「ねえ、海見て行かない? 皆で」

 不意に立ち上がった千歌がそう言った。

 

『静岡県警より各局。沼津港にてアンノウンらしき生物の目撃情報あり。G3ユニット出動せよ』

 車内通信機で指令部からの入電が来てすぐ、小沢からの通信が来た。

『氷川君、アンノウン出現。G3-X出動よ』

 ハンドルを握りながら、誠はマイクを取る。

「でも僕では――」

『私を信じて。もう1度やってみなさい』

 またG3-Xを装着したら、AIと同調できず暴走してしまうかもしれない。でも普段以上の強かさを感じ取れる小沢の声で、恐怖は少しばかり和らいだ。小沢のことだ。きっと何かを掴んだに違いない。

「分かりました」

 マイクを戻し、誠はパトランプのスイッチを押す。サイレンを鳴らしながら、Gトレーラーとの合流地点へとハンドルを切った。

 

 快晴日和が続いたから、陽光を燦々と浴びたトマトは張りのある実を赤く染めている。握り拳ほどの大きさにまでなった実だけ採って、まだ小さいものは残しておく。こうして間引きすれば、根から吸い取った栄養が残った実に行き渡って余すところなく大きく成長させることができる。

「すっかり大きくなったわね」

 嬉しそうに頬を綻ばせた志満が、菜園に顔を覗かせる。「志満さん」と笑顔で出迎えた翔一は、採取したトマトの入ったザルを手にして、

「今年は豊作ですよ。美渡も千歌ちゃんもキュウリに飽きちゃったみたいだし、今度はトマト尽くしなんてどうかなあ、て」

 ザルの中にあるトマトをひとつ掴む。水洗いしたときの水滴がまだ残っていて、夕陽を反射してきらり、と光った。

「食べてみてください。良い感じに熟してますからきっと甘いですよ」

 「ええ」と志満はひと口トマトをかじる。皮が裂けた瞬間、果汁が溢れてきて服に零れないよう志満は慌てて前のめりになった。

「美味しい。凄く甘いわね」

 笑顔を浮かべる志満の表情に、翔一は満足する。去年のトマトは酸っぱかったから、今年は肥料もこだわって改良に努めた。農薬や化学肥料を使えば効率も上がるが、それはしたくない。雑草や虫なんて毎日取り除けば農薬は必要ないし、旅館の残飯から堆肥を作れば化学肥料も買わなくていい。

 野菜は自然ありのままの環境で育てるのが1番。それだけは譲れないこだわりだ。

「さーて、千歌ちゃん夕飯までには帰ってきますよね。これ使ってご馳走作っちゃいますから」

「楽しみにしてるわ」

 何を作ろうか、と翔一は頭の中でレシピを組み立てる。確かタコがまだ残っていたからマリネに丁度いい。そういえばジャガイモとベーコンもあった。決まった。おかずのメインはポテトとベーコンのトマト煮にしよう。

 中に入ろうとしたとき、レシピでいっぱいだった脳裏に戦慄が走った。

 奴だ。アンノウンが現れた。

「すみません志満さん、俺行かなきゃ!」

「え? ちょっと翔一君?」

 トマトのザルを半ば強引に志満へ押し付け、翔一は駐車場のバイクへと走った。

 

 

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