ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第4話

 

   1

 

 ご家族ですか、と警察から電話が来たのは、姉の帰りを待ってひと晩明けた朝だった。

 昨晩にいくら連絡しても電話に出なくて、暇を持て余して餃子の餡を皮に包んでいたがそれが終わった深夜になっても帰ってこなくて。テーブルに突っ伏したまま寝てしまった、皮肉なほどに日和が爽やかな朝だった。

 はい、弟です。そう応じると、電話口で警察官は淡々と告げた。警察から電話なんて何かあったのか、なんて不安になる余地も与えてくれず。

「今日、遺体で発見されました。確認のため、署までいらしてほしいのですが」

 それは傍から見れば人生最悪な朝なのだが、当事者になってみると怒りも泣き喚きもしなかった。至ってフラットに、昨夜に姉と一緒に食べるつもりだった餃子を朝食に焼いて、歯を磨いていたところで風呂に入っていなかったことを思い出してシャワーを浴びた。

 身支度を整えて警察署へ向かう道中、急ぐことなく歩いて行った。警察が発見した死体を姉と断定したのは、きっと死体の所持品のなかに姉にまつわる物品があって、そこから身内である自身へと至ったのだろう。道中、胸が塞がれる想いだったし、ゆっくり歩いているにも関わらずひどく息苦しかった。でも完全に虚無だったわけじゃない。ほんの微かな、でも絶対であってほしい確信めいたものがあった。

 姉さんが俺を残して死ぬはずがない。

 まだ約束だって果たしてないじゃないか。

 そう思うと足取りも幾分か軽くなって、でも本当に死体が姉だったら、という不安も拭えなくて、気持ちのいいはずだった初夏の新緑の香りが薄れていった。

 警察署の受付では、捜査担当の刑事と名乗る男が出迎えてくれた。すぐ死体と対面するものだと思っていたが、その前に事情聴取ということで狭い部屋に通されて色々と質問をされた。

 故人と自身の関係。交友関係。自殺の動機として思い当たること――

「自殺?」

 それまで淡々と応じていられたのだが、刑事が何気なしに告げた「自殺」という言葉に激しい違和感を覚え訊き返した。予想していたようで、刑事は表情ひとつ変えることなく、

「ええ、現場での状況から自殺として捜査を進めています」

 飛び降り自殺で、即死という簡単な説明だった。まだ死体との対面前で、遺族と確定していない以上それよりも詳しいことは聞かされないのか。あるいは本当に高所から飛び降りて死んだ、という事実しか現場には残されていなかったのか。

 安置所は署の片隅にあるらしく、そこまでの道のりはとても長く複雑に入り組んでいた。もし姉でなかったとしても、これから自分は死体を見に行く。そんな緊張感に足が重くなったが、これもよくあることなのか刑事は急かすことなく歩幅を合わせて案内してくれた。

 通された部屋はとても寒くて、その冷気に全身に鳥肌が立った。壁一面には正方形のロッカーが並んでいて、そのひとつから細長い「荷物」が抜き取られ部屋の中央に鎮座していた。その「荷物」である棺桶の蓋は開いていたのだが、顔は白い布を被せられて見えない。

 棺の傍に立つと、「では」と刑事がそ、と顔布を取った。

 死に化粧をしていないから皮膚に血色は感じられないが、その顔は高所から落下したにも関わらず生前の面影をしっかりと保っていた。眠っているみたいで、大きな音を立てたら驚いて目を覚ましそうだ、と不謹慎なことを考えてしまうほどに。

「お姉さんで間違いないですか?」

「………はい」

 確かにその顔は姉だった。いつも見せてくれた笑顔は完全に消滅していて、その寝顔は保存のための冷気に当てられるままに凍り付いている。

 どれほどの間、死体という物に成り果てた姉の顔を見つめていただろうか。死体を見るのは初めてなわけじゃない。10歳の頃に祖母が亡くなったとき、その死に顔を拝んだことがある。祖母のことは愛していたが、その死に対して当時はそれほどショックを受けていなかった。まだ死という現象の重みが理解できない子供だったというのもあるが、息を引き取る数週間前から入院していて別れが近いことを察していたこともある。かねてから予想していた事実が訪れたとしても、ショックなんて受けようがない。

 死体となった祖母の顔を見て、寂しさはあったが悲しみは沸いてこなかった。永遠の眠りについたその顔に刻まれ広げられた皺や染みが老婆の1世紀近い生命の記録のようで、確かに祖母は長い人生を生き抜いた、と不思議と清々しく思えたほどだ。

 でも姉は違った。まだ20代の顔に皺も染みもなくて、これからも長く生きる余地を十分に残していたはずだった。

「どうして自殺なんですか?」

 訊くと、刑事は事務的に答えた。

「現場と遺体に、争った形跡は発見されませんでした」

「それだけで本当に自殺だなんて分かるんですか? 遺書はなかったんですよね?」

「確かに自殺という決定的な証拠はありませんが、同時に他殺という証拠も無いのです。事件性が認められない以上、自殺と判断するしか………」

 そこで刑事は言い淀む。それなりに職務経験は積んでいるようだが、こういった遺族を納得させられる術は未だに見出せずにいるようだった。

「どうして………」

 その問いを姉へと移す。頬に触れてみると、氷のように冷たかった。もはや体温を失った姉の体。そこに彼女の意識はない。脈は止まり、全身の血液は流れを止め、生命としての機能を完全に停止している。

「姉さん………」

 体にかけられた布から手がはみ出していた。それを握っても冷たく硬くなった手に温もりは戻らない。まだ生きている自分の手も冷やし、死の冷気へと誘おうとするように。

「どうして………、どうしてなんだよ姉さん!」

 頬を涙で濡らしながら問い続けた。

 何で俺を置いてったんだ。

 まだ姉さんに食べてほしいものが沢山あったのに。

 まだ姉さんと行ってない海だってあったのに。

 まだ約束だってあったのに。

 それなのにどうして――

 ただの肉の塊になったその死体に、姉の意識はどこにもない。これからも続くはずだった姉の人生はその寝顔と共に凍り付き、二度と溶けることはない。口のない死者は何も応えてはくれず、ただ問いは生きている者の意識の中で絶えず反芻し続ける。

 あの日から、どうして、という問いが頭のなかにとり憑いた。

 

 姉の記憶を全て失うまで。

 

 

   2

 

 にゃあ、という声で目を覚ます。猫かな、と思いながら目蓋の重い目をこすり、窓を見やる。早朝の海には白い鳥が飛んでいて、それがにゃあ、と鳴いている。ウミネコだ。鳴き声が猫に似ているのが特徴で、見た目はカモメに似ているから内陸に住んでいる人間から間違われやすい。

 ロビーに降りると、朝食の準備をしている民宿の女将が「おはよう」と声をかけてくれる。結構な高齢のようだが、よく通る声だ。

「おはようございます」

「早いねえ。若いのに感心」

「いつも今くらいの時間に起きてるんです。畑の世話があるので」

「へえ、兄ちゃん畑やってんだ。何育ててんの?」

「色々です。今の時期だとトマトとかキュウリとか。あ、春は大根育ててたんですけど、今年は出来が良かったんですよ」

 からからと女将は笑った。心の底から楽しそうだった。

「朝ごはんもう少し待ってて。味噌汁温めてるから」

 「はい」と笑顔で応じ、外へ出る。海辺の街というのはどこも沿岸部に民宿が立ち並んでいて、夏真っ盛りの今はどこの朝もサーファー達が波乗りを楽しんでいる。昼間だと海水浴客が大勢来るから、朝しかサーフィンをする時間が取れない。

 砂浜に腰掛けて、打ち寄せては引いていく波を眺めた。潮の香りを含んだ空気を吸ってみる。内浦とは微妙に違う潮だ。海は土地によって色や香りが異なる。そういった微妙な違いは、姉とたくさんの海に訪れていくうちに培われていった。

 姉は夏の賑やかな海よりも、海水浴シーズンから外れた人の少ない静かな海が好きだった。泳ぐ以外にも海の楽しみ方がある。冷たさを肌で感じるならプールでもできるけど、潮の香りや波の音、体の全てで海を感じるのを、姉は好んでいた。

 この各地の海を巡る旅のなか、どうして姉は海ばかりに連れて行ってくれたのか、と考えた。生前に姉は、産まれて初めて両親に連れられた海を見たときの感動を、成長してもずっと裡に留め続けていたらしい。

 ――悲しいことも嬉しいことも、楽しいことも辛いことも、海は全部受け止めてくれるの――

 いつかそんなことを言われた。似合わない台詞だね、とからかうと、海水をかけられたことを思い出す。

 紙飛行機を飛ばした海は見つからなかったが、もう時間切れ。今日は沼津へ帰らなければならない。

 姉の恋人だった男に会うために。

 千歌のためにご馳走を作るために。

 何を作ろうかな、と思考を切り替えながら、民宿へと引き返していく。

 姉さんとの約束は果たせなかったけど、あの子との約束は果たさないと。

 

 ラブライブ東海地区予選の会場になる名古屋に到着したは良いが、電車を降りた名古屋駅で千歌たちは早くも慣れない土地でのトラブルに見舞われていた。

「待ち合わせ場所は、と………」

 スマートフォンでむつから送られたメールの場所と、自分たちのいる場所を照らし合わせる。Aqoursと他の生徒たちは別々に来るから現地集合ということで話は落ち着いたのだが、その集合場所の指定が名古屋駅、と大雑把にしたことがまずかった。名古屋も日本有数の大都市で、その交通の中心とも言える駅が地方のように慎ましやかなはずがなかった。

 高層ビルと一体になった駅構内で、取り敢えず待ち合わせ場所として定番らしい東側の桜通口の金時計前に行ってみたのだが、むつからのメールで指定された駅前の噴水とある。

 取り敢えず噴水を探せばいい、と外に出たのだが、駅の広い構内で散々迷った挙句に反対の西側から出てようやく見つかった。

「むっちゃん達、来てないね」

 人の多い駅前を見渡しながら曜が呟く。千歌も辺りに視線を這わせながら、

「多分、ここで合ってるはずなんだけど」

 他にも噴水はあっただろうか。

 「千歌!」という街の喧騒に負けない声のほうを向くと、むつとよしみといつきの3人組がバスターミナルから走ってくる。

「ごめんごめん、ちょっと道に迷っちゃって」

 そう言っているむつの額からは玉のような汗が浮かんでいる。今日も暑いから立っているだけで汗ばむのだが、その中で駆けつけてくれた、とすぐに分かった。

「他の子は?」

 曜が訊くと、3人の表情が曇りよしみが、

「うん、それなんだけど。実は………」

 芳しくはなかったらしい。それでも3人が来てくれたことが嬉しいのは本当で、千歌は「そっか」と笑う。

「しょうがないよ、夏休みなんだし」

 曜の言う通り。貴重な夏休みなんだから皆だって思い思いに過ごしたいだろう。

「わたし達何度も言ったんだよ。でも、どうしても………」

 といつきが言うと、3人の表情が明るくなる。同時に多くの足音がこちらに近付いてくる。

「皆、準備はいい?」

 むつが大声で呼びかけると、集まってきた浦の星の制服を着た少女たちが「イエー!」とサイリウムを掲げる。クラス全員とか、そんな規模で足りる人数じゃない。

「全員で参加する、て」

 「皆?」と困惑と驚愕の混ざった声で呟くが、遅れて嬉しさが込み上げてくる。「びっくりした?」とむつが悪戯に笑う。

「うん! これで全員でステージで歌ったら、絶対キラキラする。学校の魅力も伝わるよ!」

 学校の皆で歌える。ステージで浦の星の魅力を振り撒くことができる。自分たちのために総出で駆けつけてくれる学校が、魅力的に見えないはずがない。

「ごめんなさい!」

 梨子の声が完成を遮った。

「梨子ちゃん?」

 逡巡を挟んで、梨子は固く結ばれた口を開く。

「実は……、調べたら歌えるのは事前にエントリーしたメンバーに限る、て決まりがあるの。それに、ステージに近付いたりするのも駄目みたいで。もっと早く言えばよかったんだけど………」

 生徒たちに梨子は深く頭を下げる。そりゃそっか、と千歌に落胆はなかった。運営側だってエントリーした人数に合わせて舞台装置を組み立てるのだから、飛び入り参加が禁止なのは当然のこと。

「ごめんね、むっちゃん」

 千歌も謝るが、むつ達は何の気なしに笑う。

「良いの良いの。いきなり言い出したわたし達も悪いし」

 それでも皆は、抱いた熱をまだ冷ましているわけじゃなさそうだった。よしみが力強く拳を握り、

「じゃあわたし達は、客席から宇宙1の応援してみせるから。浦女魂、見せてあげるよ」

 ああ、本当に素敵な人たちだ、と千歌は裡の熱を更に強くする。ひとりひとりの輝きが小さくても、この皆が一緒になればきっと大きな輝きへ至ることができる。ライバルになるグループが多いことも知っている。でもどこのグループよりもAqoursが、浦の星女学院が最も輝ける、という確信が持てる。

「だから宇宙1の歌、聴かせてね」

 いつきの言葉に「うん」と強く頷き、千歌は会場へと脚を踏み出す。

 この裡にあるものを存分に解き放てるステージへと。

 

 

   3

 

 その邸宅は、森の中にひっそりと佇んでいる。伊豆の国の温泉街にはまだ離れている山中で、浮世離れした豪奢さもあって幻想的にも視える。まるで彼岸と此岸の境目に建っているようだ。家主がこの家に移り住んでそう経っていないはずだが、建物には結構な年季が入っている。

 志満から聞いたことがある。バブル経済の時代、富裕層向けの別荘としての開発が進められたがすぐに頓挫し、建てたものの買い手がつかなくなった物件がいくつか放置されたままになっているらしい。この家もそのひとつだったのだろう。

 立派な門の脇に設えられたインターホンを押すと、すぐに男の声で応答が来る。

『はい』

「突然すみません。僕は――」

 要件を言おうとしたところで、

『どうぞ、お入りください』

 門が左右に開かれる。門から玄関まで結構な距離があり、バイクで庭園の中央に伸びる道を進んでいく。芝生がよく整えられた庭園には小さいながら噴水があって、中央では女性像の掲げる瓶から水が注がれている。

 玄関もまた立派な木製の扉が構えられている。扉に刻まれたレリーフを背にして、研究室で見た写真と同じ顔をした男性が立っている。

 バイクから降りて尋ねた。

「あなたが“津上翔一”さんですか?」

 その名前――千歌と曜に発見されたときに持っていた封筒の宛名――を聞いた男は苦笑を零し、

「その名前は、今は君のものだ。今は別の名前を名乗っている」

 かつて「津上翔一」だった男は名乗る。

 それは、この2年間に失われていたはずの名前。

 親から授かり、姉から呼ばれ、そして忘れていた名前。

沢木哲也(さわきてつや)、とね」

 

 ひた、という音が涼の意識を現実へと引き戻す。その布が擦れるような音は眠りから目を覚ますほど大きくはなかったのだが、変異した涼の鋭くなった聴覚は、近付いてくるその音をはっきりと捉えていた。

 目を開くと、視界に透明なガラスの花瓶が映る。花の挿されていないその花瓶が一気に迫ってきて、寝起きの涼は重い体を咄嗟に退けた。続けて視界に入ったのは女だ。眼鏡を掛けた若い女性が、花瓶を手に掲げている。再び花瓶が振り降ろされた。涼はベッドから体を滑らせ、花瓶は柔らかい布団にぼふ、と衝撃を吸収される。

「何やってんだ!」

 その声と共に、部屋に男が入ってきて女に組み付いた。状況が全く呑み込めないが、身の危険に晒されていることは理解できる。

 女は目を血走らせながら喚いた。

「木野さんからの命令よ。さっき電話があったの。この男は始末しろ、て」

「何⁉」

「この男は私たちに災いをもたらす、て」

 男の手を振り払い、女が花瓶を振り降ろす。花瓶が接触する寸前で、涼は女の肩を掴んで突き飛ばした。壁に頭をぶつけたせいか、女が床に倒れる。

「真澄! おい真澄‼」

 男が真澄と呼ばれた女を揺さぶっている。涼は重い体を持ち上げて部屋から出ると、すぐに玄関を見つけて靴も履かずに外へと飛び出す。

 

 

   4

 

 沢木邸は、家主である沢木哲也以外に誰もいないようで静まり返っていた。ただでさえ静かな地方集落で、車もほとんど通らない山道沿いに建つ家にはセミの鳴き声と鳥のさえずりしか聞こえない。都会の喧騒に疲れた者にとっては心地よいかもしれないが、喧騒とは無縁の田舎暮らしの者にとっては不気味な静けさだ。まるで世界の終焉のなかに放り込まれたようだ。最後の審判で、全ての人類が地獄へと落とされ誰もいなくなった世界のよう。

 応接間の質の良いソファに腰掛けて待っていると、沢木はレモンの入ったアイスティーを持って来てくれた。沢木が対面のソファに腰掛け、こちらと向かい合う。

「やっと会えた」

 そう言うと、沢木も感慨深げに「ああ」と、

「俺も君のことは、何度も聞かされたよ。俺も会いたいと思っていた」

 こんな邂逅は本意ではなかった。沢木にとってもそうだろう。本当ならこの場には姉もいて、この人物に料理を振る舞うはずだった。

 この男は津上翔一として。

 自分は沢木哲也として。

「話してもらえませんか? 姉さんのこと」

「何が訊きたい?」

「信じられないんです。姉さんが自殺した、てこと」

 沢木は一旦視線を俯かせる。でもすぐ向き直り、

「君の気持ちは分かる。あれほど明るく前向きな人はいなかったからな」

 そう、姉は誰よりも明るかった。彼女の笑顔に育てられた。姉とは何でも包み隠さず打ち明けられたからこそ、どうして彼女が自殺なんて手段を選択するに至ったのか。彼女は隠し事が下手だった。1度恋人がいないことをからかったことがあったのだが、そのとき姉は目を泳がせ作り笑いを浮かべながら言っていた。

 ――甘えん坊な弟を持つと、恋人なんて作ってる余裕ないの――

 きっと驚かせるため秘密にしておきたかったのだろうが、その反応で恋人がいることを悟ることができた。

 大好きな姉を取られた、なんて嫉妬はなかった。幸せになれるのなら、自分のもとを離れることになっても大歓迎だったのに。

「しかし、それが彼女の全てではなかったとしたら? 例えば君は、彼女が普通の人にはない力、特別な力を持っていることを知っていたか?」

「特別な力……?」

 沢木は語る。

「俺が君の姉さんに出会ったのは、尊敬する比較宗教学の教授に会うために上京したときだった。君の姉さんは彼の生徒だったが、俺と会ったときには既に特別な力に目覚めていた」

 力の片鱗なんて、姉は1度も見せたことがなかった。あの姉が隠し通せるはずがない。ずっと一緒に暮らしていたのだから、ほんの一端でも漏らしてしまうはずだ。

 いや、とそこで否定が浮上してしまう。その嘘の下手さすらも、嘘だとしたら――

「俺も教授も彼女の力に驚愕し、賛美したものだ。まさに人間の中に宿る神の力の発現のように思われてね。我々は様々な実験を行って、彼女の力を検証した。彼女も嬉しそうだったよ。自分の力がいつか世の中のために役立つ、と信じて」

 確かに、姉は大学院に進んでから帰りが遅くなったり、家を空けたりすることが多かった。所属する研究室での勉強が忙しい、と口癖のように言っていて、それでも勉強熱心だった彼女らしい、とそれほど深くは考えなかった。その言葉の裏にあった真実なんて知りようがない。

 自分たちの間に隠すことなんてない、と信じていたから。

 それほどに強く絆で結ばれた、たったひとりの家族だったから。

「やがて俺たちは愛し合うようになった。だが、そう長い間ではなかったよ。俺たちが幸せだったのは」

 そこで沢木は悲しそうに目を伏せる。今更何を、とすら思った。姉の葬式に、この男は顔を出さなかったのだから。

「君の姉さんは、自分の力を制御できないようになっていった」

 その双眸に涙が浮かぶ。声に嗚咽を混じらせながらも、沢木は語るのをやめない。

「神の力だと思っていたのに………。実は全く別のものだったのかもしれない。彼女はそう思うようになっていった。荒れ狂うその力に……、彼女自身の心までが呑み込まれてしまうんじゃないかと………」

 人の手の届かない力。人の視る夢。そう信じていたのに、自身を喰らおうとする力。肥大化したそれは宿主である姉を神どころか、怪物にしようとした。

 たったひとりの家族にすら明かせなかった、怪物と共に抱える絶望。海よりも大きく感じられた姉にも、それは大きすぎて重すぎた。

「じゃあ、姉さんはそのせいで自殺した、ていうんですか?」

 神のものと信じた力が、姉に自殺という手段を選ばせたのか。いや、違う。姉には他の選択肢がなかった。別の方法が見出せる前に怪物になるか、更にその前に人として死ぬか。無理矢理捻り出した究極の2択で姉には後者しかなかった。まだ弟への愛情を保ったままでいられるうちに、と。

 震える声を絞り出し、沢木は答える。

「そうだ」

 

 






 『アギト』原作で翔一君の記憶が戻っていた間の不思議な雰囲気を再現するにはどうしようか、とずっと頭を抱えていました。
 そこで翔一君視点の場面は「人称(例:俺・翔一)なし」という新しい表現に挑戦してみました。読み辛く感じてしまったら、感想にてご指摘ください。次からはやりません。

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