ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第5話

 

   1

 

 皆、どうしてるずら。

 東から昇った太陽に照り出される海を見ながら、花丸はふと思った。千歌をさらった車を逃してからも探し続けたけど、結局どこへ行ってもとうとう車は見つからなかった。一睡もしていないからか、頭がぼんやりする。

「食うか?」

 コンビニから出てきた青年が、花丸にのっぽパンを差し出してきた。「ありがとうございます」と受け取って食べる。大好物なのに、あまり味を感じない。

「あいつ、お前の友達か?」

「ずら………」

 花丸は思い出を語る。まだそう経っていないが、自分の人生の中で最も濃い数ヶ月間を回顧する。

「千歌ちゃんは、マルを本の世界から連れ出してくれた人なんです。とても明るくて、頑張り屋さんで、そんな千歌ちゃんだからマルの視たことのないところに連れていってくれる気がして………」

 本というフィクションが綴られた世界。それはつまるところ「嘘」の世界。花丸はそこに入り浸っていた。物語は様々だ。現実より辛い物語もあれば、現実より優しい物語もある。何より好都合なのは、自分で手に取るものを選べること。暗い気分になりたければ暗い小説を読めばいいし、明るい気分になりたければ明るい小説を読めばいい。

 現実は花丸の都合なんてお構いなしだ。次々と不都合な事象と感情が押し寄せてくる。この数ヶ月はそれが多すぎた。楽しいことも辛いことも。何もかもが花丸の小さい背中には重すぎて、背負いきれない。人生とはそういうものなのだろうか。荷物が重すぎたら、どうやってそれを降ろせばいいのだろう。こんな重すぎる「本物」を背負わされるなら、「嘘」でもいいから優しい世界に浸っていたほうがまだ良かったのかもしれない。

 そう、自分にはそれが分相応だった。大人しく嘘の世界に染まって、大した希望もなければ大した絶望のない、平坦なままの日常でいれば良かったのに。物語の紡ぎ手じゃなく、読み手に徹しているのが正しかった。そこに千歌はいない。親友のルビィもAqoursの皆もいないけど、皆を失う恐怖もない優しい世界。

 その「嘘」こそが、花丸の現実だった。

「そういうのも全部………、全部嘘になればいいずら」

 そうだ、全部書き換えてしまおう。辛いことも怖いこともない、全てを嘘にしてしまうような物語を。今は嘘でも、嘘に身を置けば本物と錯覚できる。

「言ったろ。嘘になんかならない」

 青年は冷たく言い放った。

「今からは、逃げられない」

「そんなことないずら。そんなのマルは嫌ずら」

 花丸は駆け出そうとしたが、「よせ」と青年に腕を掴まれる。

「逃げても無駄だ」

 乱暴に腕を振り払う。何故そんなことを言うのか。年上だからって、昨日会ったばかりのこの青年に花丸の何が分かるというのか。

「逃げたことあるずら?」

 苛立ちを包み隠さず訊くと、青年は目を泳がせた。何も言ってこないのを良いことに、花丸はまくし立てる。

「マルは絶対逃げるずら。凄く遠くに行って全部……、全部嘘にするずら!」

 き、と青年の目尻が吊り上がる。その目に怯んだのと同時、花丸は青年に抱きかかえられた。

「ずらっ⁉」

 無造作にバイクのリアシートに乗せられて、頭にヘルメットを被せられる。

「気が済むまで逃げさせてやる」

 それだけ言うと、青年もヘルメットを被ってバイクを走らせる。

「どこだ?」

「ずら?」

「逃げるんだろ? どこに行ったら嘘になるんだ?」

 その試すような言い方に、花丸は不貞腐れながら「あっちずら」と右を指さす。青年は花丸の指した通り、十字路に差し掛かると右折し、あるかも分からない目的地へと向かっていった。

 

 

   2

 

 底の見えない暗闇が広がっている。とても重い目蓋を持ち上げることもできず、千歌は夢なのか現実なのか分からない境地を漂っていた。一体何が起こったんだろう。そして今は何が起こっているんだろう。車に乗せられてからの記憶が判然としない。

「驚きましたね」

 耳を打っていた雑音のようなものが、声として認識できるようになる。

「彼女のESP数値は、我々の知るどの素材も凌いでいます」

 何を話しているんだろう。全く内容が理解できない。まだ意識が混濁している。

「問題は、この素材の予知能力を覚醒させることができるかどうか」

 聞き覚えのある声。そうだ、千歌をさらった女の声だ。

「大丈夫です。彼女のシータ派のパターンは、はっきりとその素質を示しています」

 千歌は沈みそうな意識のなかで名前を呼ぶ。それは希望を示す名前。どんなに辛く怖い状況でも必ず千歌を、千歌たちAqoursを助けてくれる存在を。

 

 ――翔一くん――

 

 

 上層部を通じて駄目なら直談判ということで再び八王子駐屯地を訪ねたが、果たして成果があるとは、誠にはとても思えずにいた。取り敢えず小沢が交渉へ向かってくれたが、彼女の強引さが功を喫してくれることを願うしかない。

 車で誠と共に待機する翔一は、施設のほうへ目を向けたままだ。あの中に千歌がいるかは分からないが、いるのなら今すぐにでも助けに行きたい気持ちは理解できる。

「津上さん、ひとつ訊いていいですか?」

 誠が言うと、翔一はようやく施設から視線を移した。

「僕の知り合いに、死を背負ってより強く生きている人がいます」

 こんな話を持ち掛けたのは、純粋に気になったからだ。日々を楽しそうに生きてる翔一が、死という概念についてどう考えているのか。記憶を失ったことを悲観せず、家事をして野菜を育てる彼は、人生をどう思っているのだろう。

「何か、嘘くさいですけど」

「嘘くさい?」

「はい。生きる、てことは美味しい、てことじゃないですか」

 「美味しい……」と誠は反芻する。

「はい。キャベツを食べても大根を食べても美味しいんです。もしかしたら、何も食べなくても美味しいんです。死を背負ったりしたら、不味くなります」

 正直、意味がよく分からない。何も食べなかったら、味なんて分からないじゃないか。やはりこの青年は理解しがたい。

 丁度そのとき、車の窓がノックされる。小沢だった。窓を開けると、翔一が「どうでした?」と訊く。

「やっぱり駄目ね」

 予想はしていたが、やはり徒労に終わると肩も落ちる。

「津上君、ここから先は私たちに任せてくれない? 必ず悪いようにはしないから」

 

 門前払いされることは予想の範囲内だったから、何の対策もしていないわけじゃない。一旦市街地で翔一を降ろして、誠と小沢は待機させていたGトレーラーで再び駐屯地へ向かった。駐屯地は山岳の森林に囲まれている。駐屯地の索敵に引っ掛からない距離でトレーラーを停車させ、事前に飛ばしておいたドローンのカメラで周辺状況を確認する。

 施設周辺にも監視カメラが確認できた。数と範囲から視覚になる場所を算出すれば、そこから侵入できるの。侵入者として交戦することも視野に入れれば、必然的に潜入するのはG3-Xを装着した誠が務めることになる。潜入なんて本来の運用ではないが、生身で行くよりはましだろう。それに交戦は極力避けるのが鉄則だ。あくまで高海千歌がいるという証拠を掴むことが最優先。

 PCの液晶にドローンの映像が中継される。映像のなかで何かが動いていて、自然と意識がそちらへ向けられる。巡回中の自衛官か、それとも野生動物か。小沢が映像をズームさせると、それはどちらでもなかった。

 すっかり見慣れた浦の星女学院の制服を着た少女ふたりと、さっきまで誠と一緒にいた青年。

「どうやら先を越されたわね」

 溜め息交じりに小沢が言った。

 

 森の中に佇む駐屯地を、曜は眺める。一切の無駄が廃され、実用性が追求された無骨な棟が軒を連ねている。華やかさを追うスクールアイドルとは対極だ。じ、とそのコンクリートで造られた建物の奥へと、意識を集中させる。

「………聞こえた?」

 同じように施設を凝視していた梨子が尋ねてくる。「うん」と曜は頷いた。もう一度、意識を研ぎ澄ませる。

 曲が聞こえた。それに連なるような千歌の歌声も。これは千歌と曜と梨子、3人で歌ったAqoursの初めての曲。ステージ上での千歌はいつも元気に歌い上げるのに、曜に届く歌はとてもか細い。今にも消えてしまいそう。

「千歌ちゃんはあの中にいる」

 内浦にいたときにも届いた千歌の声。それは曜だけでなく梨子にも届いたという。他の面々、ルビィも善子も、果南もダイヤと鞠莉も聞いていた。助けて、という千歌の声。居場所を示すような歌声が。

 それを聞いたら居ても立ってもいられなくなって、曜と梨子は誠たちに気付かれないよう、こっそりとこの八王子にまで足を運んだ。他の皆も来る、と言っていたけど、まだ見つからない花丸の捜索に当たってもらうことにした。

「よし、ここからは俺が行くから、ふたりは戻って」

 翔一がそう言って、樹の陰から歩き出す。「嫌です」と曜はその後を着いていく。

「わたし達も千歌ちゃんを助けたいんです」

 「そうです」と梨子も強く言う。

「千歌ちゃんが泣いてる、て分かるんです。待ってなんていられません」

 「駄目だ」と翔一はかぶりを振る。いつも曜たちの頼みを聞いてくれる翔一は、このときばかりは頑なだった。

「何が起こるか分からない」

 そのとき、遠かったヘリのローター音が近付いてくることに気付く。耳を突くほど音が大きくなっていくと共に、強風が森の木々を揺らし草を撒き散らす。見上げると、ダークグレーに塗装されたヘリが曜たちに被さるように飛んでいる。機体から何かが降ってきた。

 それは人だった。パラシュートもなく地面に降り立ったその姿は、いつか見た警察の青い戦士によく似た、黒い鎧の戦士だった。ヘリが起こす強風のなか、黒い戦士は悠然とこちらへ歩いてくる。翔一が曜と梨子の前に立ち塞がった。だがその翔一の前にも、また新手が立ち塞がる。それは黒い戦士と似たシルエットの、警察の青い戦士。

「逃げて、早く!」

 組み付きながら告げるその声に、曜は驚愕の声をあげる。

「氷川さん⁉」

 確かめる間もなく、翔一に背を押され森の奥へと走る。背後から鈍い金属音が、ローター音に混ざって聞こえた。

 ヘリの起こす下降気流から抜け出したところで、翔一が足を止める。

「ふたりはこのまま逃げて」

「津上さんは?」

 梨子が訊くと、翔一は走ってきた方角へきつく吊り上げた眼差しを向け、

「氷川さんを助けなきゃ」

 翔一の腹に光が渦巻く。元の方角へ駆け出しながら、翔一は強くなっていく光と共に告げる。

「変身!」

 金色の鎧に身を包んだ翔一は、すぐに森の奥へ消えていく。

「翔一さん!」

 追おうと曜は駆け出したのだが、不意に響く苦痛に頭を抱えてうずくまる。

「曜ちゃん⁉」

 肩を抱いてくれた梨子にも同じことが起こったのか、彼女も頭を押さえつけ苦悶に顔を歪める。まるで頭の中で何かが暴れているようだ。

 まるで土石流のようになだれ込んでくる苦痛の正体を曜は悟る。

 この痛みは、千歌の叫びだ。

 

「アギト!」

 女性の驚愕が、どこか嬉しそうに聞こえる。

「丁度いい。G4システムの新しい力を試させてもらうわ」

 翔一くんが来てくれた。その歓喜は一瞬で消えてしまう。この女性は、アギトに勝つ自信を持っている。

「プロジェクション開始!」

 女性の張り上げた声に続けて、数々の声が上乗せされていく。

「目標、アギト及びG3-X」

「距離、共に300。G4と交戦中」

「安全装置解放。起動用意」

「ESP信号、伝導率82.5%」

「コード1405からコード3608へ移行」

 何かが頭の中へ入り込んでくるようだ。目を閉じているはずなのに、目の前に誰かがいるのが視える。ふたりの人じゃない存在が、千歌へ拳や蹴りを繰り出してくる。

 ひとりは青い戦士。

 もうひとりは、アギト。

 まるで他人の視界を見せられているようだ。目だけじゃなく耳も、嗅覚も、拳の感触も。誰かと繋がっている。

 千歌と繋がった者の鎧に覆われた拳が、青い戦士の胸を打つ。火花が散って、続けざまに打った拳が青い鎧を突き飛ばす。

 翔一の蹴りが飛んできた。紙一重で避けた脚を掴み、彼の金色の胸板に渾身の拳が突き刺さる。

 

 ――駄目、翔一くん逃げて!――

 

 懸命に叫ぶが、声にならない。戦いは続けられ、ふたりを相手にほぼ一方的な攻撃を加えていく。劣勢じゃないのに何故だろう。とても苦しい。繋がった人の荒い息遣いと振り上げる腕の激痛が、千歌にも伝わってくる。

 

 ――そうだ、それでいい。もっと死に近付け――

 

 男の声が聞こえる。ひどく掠れていて辛そうだ。その辛さも千歌は感じ取れる。同時に、男の苦痛に対する愉悦も。

 

 ――生に執着していては、人は兵器にはなれない。死だ。死を恐れるな――

 

 ――嫌だ、死にたくない!――

 

 千歌は叫ぶ。もっと生きたい。もっと皆と歌いたい。まだ夢を叶えていないのだから。まだやりたいことが沢山あるのだから。

 

 ――力を与えられた者には、それ相応の務めがある。俺とお前はその務めを果たすため、死を背負わなければならない――

 

 蹴り飛ばされた翔一の体が、草の中へ沈んでいく。

 

 ――自分もいずれ死にゆく人間であることを受け入れろ。それができてようやく――

 

 銃弾を浴びた青い戦士が、膝を折って倒れた。

 

 ――俺たちは兵器として完成する――

 

 

   3

 

 花丸の現実逃避の旅は、結局のところ1日と保たなかった。たったの数時間だけだったけど、知らない街までやって来たところで花丸は青年にバイクを停めてもらった。

「こんな程度で逃げられたのか? お手軽だな」

 青年の皮肉に反論する気になれない。分かっていた。いくら逃げたところで全てが嘘になんてなるわけがない。花丸の肉体は紛れもなく現実に生きているのだから。この現実に身を置いている限り、全てが本物だ。目を閉じたところで、目蓋のない耳から現実はやって来る。執念深く、否応なく。

 波の音が聞こえる。海が近いらしい。

「………海」

「何?」

「海に行きたいずら」

 花丸の要求に、青年は何も言わず応じてくれる。バイクでそう時間もかからず、海岸に到着した。砂浜は僅かしかなく、隆起した岩場に波が打ち寄せ飛沫に変わっていく。内浦とは違う磯の香りがした。

 青年は岩場に腰掛け、どこまでも広がる水平線を眺める。とても寂しそうな眼差しだった。今更ながらに、花丸の裡で疑問が沸く。たった1日しか行動を共にしていないのに、どうしてこの青年は花丸の我儘を聞いてくれたのだろう。この青年も、何かから逃げたかった時期があるのか。それとも、今も逃げているのだろうか。

「逃げたい、て思ったことあるずら?」

 その質問に、青年は逡巡を挟み答える。

「ああ」

「何から?」

「聞いたら、お前が俺から逃げたくなる」

 どういうことだろう。気にはなったが、訊く勇気が持てない。青年は言葉足らずに続ける。

「それでも生きていくしかない」

「それでも、生きていくしかないずら?」

 とても重く感じるその言葉を反芻すると、青年は「ああ」と、

「終わりが来るまではな」

 まるで、終わりの時を待っているかのような口ぶりだ。どんなに生きているのが辛くても、いつかは終わってくれる。最期はどうか安らかであるように、という祈り。安らかな最期を励みに生きるなんて、花丸には悲しすぎる。見たところまだ若いこの青年は、これから続く長い人生を、そんな虚無を抱えて生き続けるつもりでいるのか。

 果たして、それは「生きる」と言えるのか。まだ15年の人生しか過ごしていない花丸には分からない。そんな人生は悲しい、なんて上から目線で、花丸がどうしてこの青年に告げることができるのか。

「帰るぞ、今度こそ」

 そう言って立ち上がり、青年は花丸の背中を押す。砂浜に停めたバイクまで歩く途中で、青年は咄嗟に海を振り返った。

 その視線の先で、岩場の陰から人のようなものが跳び出してくる。昨日港で大量に出た、アリのようなアンノウンだった。

「逃げろ!」

 腰が引けた花丸の肩を掴み、青年は無理矢理に走らせる。青年は一緒には来なかった。花丸が岩場の陰に身を隠して振り返ると、アンノウンが砂浜に降り立っている。異形の怪物を前にして、青年は逃げようとしない。それどころか、アンノウンに向かって走り出す。

「変身!」

 砂浜を駆ける青年の体が、黒く変色していく。その皮膚に緑色の筋線維が束なって鎧のように形成され、額から2本の角が伸びていく。赤く充血した両眼が大きく見開かれた。

 自らも異形になってアンノウンと拳を交える青年の姿に、花丸は目を見張る。翔一と同じ力。でも翔一の変身するアギトとは似ても似つかない。

 渚にアンノウンを組み伏せると、青年は馬乗りになって顔面に拳を打ち付けていく。だが苦し紛れなアンノウンの反撃を、青年は顔面に受けてしまった。仰け反ったところで追撃の蹴りを喰らい、仰向けに倒れる。形勢逆転。今度はアンノウンが馬乗りになって、青年を一方的に(なぶ)っていく。

 首を掴まれ、無理矢理立たされたところで腹に拳を埋められる。ごふ、と咳き込む顔は変異によって表情が分からない。でも、花丸には異形になった顔の奥で、青年が苦痛に悶えているのが分かった。

 あれが、青年の逃げたかったこと。彼の言葉が、花丸の胸に次々と刺さっていく。

 

 ――どこへ行ったって同じだ。今は嘘になんかならない――

 

 どこに行っても、青年のあの姿は常につき纏ってくる。「自分自身」からは、決して逃げることができない。

 

 ――それでも生きていくしかない――

 

 辛いなら、自ら命を投げうって逃げるという選択肢もあったはず。それなのに、彼はそれをしなかった。死への恐怖という、ありふれた理由からかもしれない。だけど彼は「それでも」と生きている。異形に成り果てようが。その姿になることがどんなに痛くて苦しくても。

 

 ――終わりが来るまではな――

 

 「ウオオアアアアアッ」と吼えながら青年は拳を突き出す。でもそれは簡単にいなされ、脇腹に入った蹴りで砂浜に身を転がす。すぐさま起き上がると、青年は牙を剥いて雄々しく咆哮をあげた。

「ウウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」

 呼応するように、砂浜に停めてあった青年のバイクが緑色の姿に変わった。青年と似た2本の角を生やしたカウルを顔のようにもたげ、誰も乗っていないのにタイヤが回転し砂を撒き上げながら走り出す。

 まるで忠犬のように駆け付けたマシンのシートに跨り、青年はアンノウンへ突進した。岩場へ投げ出された敵へ、青年はシートから高く跳躍し右脚を振り上げる。その踵から尖刀が伸びていた。

 アンノウンが立ち上がると同時、重力に任せて踵の尖刀がその肩へ突き立てられる。雄叫びと共に、青年はアンノウンを蹴飛ばした。肩から胸にかけて斬り裂かれた体が、爆発で四散していく。

 勝利の余韻に浸る余力もないのか、青年は岩場に膝をついた。その姿が、元の人の姿へと戻っていく。肌色の皮膚からは玉汗が流れていて、粗い呼吸に肩を上下させながらも立ち上がる彼の目が、花丸のほうへ向く。

「お前……、逃げなかったのか………」

 枯れた声を絞り出す彼に、花丸は震えた脚近付いていく。

「そんなに怖かったのか?」

 確かに怖かった。すぐにでも逃げ出したかった。でも、逃げてはいけない、と強く思った。青年は逃げなかったのだから。果敢に立ち向かっていったのだから。

「見てたら、辛いのが分かったずら。痛いのが分かったずら………」

 涙に頬が濡れていた。この青年の抱える宿命を想うと、止めることができなかった。この青年にとっては呪いでしかなくても、それでも彼の力は花丸を助けてくれた。そんな相反する因果に、泣く以外の対処が見出せない。彼の苦痛を受け止めることのできない無力さに、ただ泣くしかなかった。

「馬鹿かお前。俺のために泣くなんて」

 青年は苦笑を零す。「だって……」と嗚咽交じりに言葉を探る花丸の顔を、青年は強引に自身の胸に押し付ける。花丸の髪を無造作に撫でる青年の手つきは、こういったことに不慣れなようだ。でも花丸は青年の胸に顔を埋めながら、確かに彼の強く脈打つ心臓の音を聞いた。この人は生きている。この人自身が自分の命を否定しても、自分だけは肯定したい。でなければ、この人に助けられた事実すら嘘になってしまう。

「ありがとう」

 その言葉の後に鼻を啜る音がした。胸から顔を離して見上げる。青年は目こそ充血させていたが、涙は流していない。今までどれ程涙を堪えたのか。きっと花丸の予想を遥かに上回る。

「お願いします」

 まだ止まらない涙を流しながら、花丸は言う。向き合わなくてはならない。彼のように強くなれなくても、「それでも」生きるために。

「千歌ちゃんを……、マルの友達を助けてください」

 

 

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