ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
その死体が発見されたのは、沼津市の市街から少しばかり離れた住宅街の一画だった。数カ月前に新居住宅の建設現場で縄文時代のものらしき土器の破片が見つかり、工事は中止。研究チームが発掘作業で土を掘っている最中に、土器ではなく人間の死体が掘り出されたらしい。
「死体が発見されたのは縄文時代の地層からだ。しかも掘って死体を埋めた形跡もない」
誠と同じく本庁から派遣された
平日の昼間だというのに、現場の周辺は野次馬が集まっていた。立ち入り禁止の黄色いテープの前で、巡査たちがメディアの記者たちに入らないよう絶え間なく呼びかけている。無理矢理入ろうとした一般人がいたらしく、スマートフォンを手にした若者を巡査が数人がかりで怒号を飛ばしながら取り押さえていた。別の場所では立ち入りはしなくても、近所の主婦たちが不安そうにこちらを眺めている。関心があるのも当然だ。1週間も経たずにまた同市内で殺人事件が起こったのだから。
「前回の樹の中の死体と同様、これも人間の仕業じゃないな」
河野は誠に視線を移し、そう言った。飄々とした口調だが、戸惑いを隠しきれていないと表情で分かる。刑事歴20年を越えるベテランの彼でも、このような奇怪な事件は今まで担当したことがないという。河野だけでなく、日本警察全体にとっても初めての事件だろう。
誠は「ええ」と応じ、
「犯人がアンノウンだとすると、次にまた被害者の親族が狙われる可能性があります」
樹の中に埋められた佐伯一家殺害事件。同じく犯人がアンノウンならば、また一家全員が殺害されると考えるのが妥当だ。だとしても、誠が遭遇しG3を起動不可までに追い込んだアンノウンは、「アギト」によって倒された。アンノウンは1体だけではない。この事件が本当に人間によるものではないとしたら、その可能性は高まる。
「えーと」と河野は手帳のページを捲る。
「両親を3年前に事故で亡くし、弟がいるが別々に暮らしていたようだ」
「では、弟さんに護衛を付けるよう手配をお願いできますか?」
「おう」と河野は何気なしに応じる。警視庁上層部でも、アンノウンの存在には懐疑的な見方が大きい。静岡県警もいるかも分からない敵のために人員を割くことはしないだろうから、きっと護衛は誠たち本庁から来た刑事に役が回ってくるだろう。
「どいて下さい」と不機嫌そうに鑑識たちが死体袋へと集まってくる。やれやれ、という溜め息を吐く河野に続いて誠も傍から離れる。鑑識たちが運んでいく死体袋を誠は眺めた。殺人事件としては不可思議な点が多すぎる。捜査を難航させるために、死体から身元を特定させるようなものは犯人によって持ち去られるのが定石だ。今回の被害者の身元や家族構成がすぐに特定できたのは、死体の衣服から運転免許証や所持金がしっかりと残った財布が発見されたからだ。隠蔽工作においてそんな初歩的なミスをするのは、犯人がよほど慌てていたか、被害者と何の接点もない通り魔的な犯行か。
「被害者の住所、教えてもらえますか?」
「おお、それは構わんが何を調べる?」
「犯人がアンノウンだとしたら、どうしても無作為に人を殺していると思えないんです。被害者たちの間に何か共通点が見つかれば、未然に被害を防ぐことができるかもしれません」
2
「前途多難すぎるよお………」
浦の星女学院前のバス停近くで千歌はがくり、と頭を垂れた。校舎の建つ丘を下ると駿河湾に面した道路に出て淡島がよく見える。バスを待つ間、こうして道路の淵に並んで腰掛けて海を眺めるのも良い。
「じゃあ、やめる?」
曜がそう言うと「やめない!」と千歌は即答する。口を真一文字に結ぶその真剣な表情を見て、曜は「だよね」と頬を
「ん?」と千歌は視界に何か入り込んだのか、バス停へと顔を向けた。曜も千歌の視線をなぞる。
「あ、花丸ちゃん!」
「おーい」と手を振る千歌の視線の先で、花丸が微笑と共に「こんにちは」と慎ましく返してくれる。「はあ、やっぱり可愛い」と千歌は呟いた。だがすぐに目を細めて、花丸のすぐ近くにあるシュロの樹をじ、と睨む。曜も目を凝らしてみると、シュロの太い幹から纏められた髪がひと房はみ出ているのが見えた。
「あ、ルビィちゃんもいるー!」
千歌は嬉しそうに言うと、鞄から出した棒つきキャンディーの包装袋を解いて立ち上がる。ルビィの隠れているシュロの樹へ近付き、「ほーらほら怖くなーい」と小さな子供に呼びかけるように飴を振ると、幹の陰から怯えた目をしたルビィが半分だけ顔を覗かせる。
「食べる?」
千歌が穏やかに差し出すと、ルビィは少しだけ緊張した表情を緩めて飴を取ろうとする。袖から半分だけ出した手が飴に届こうとした直前で、千歌は飴を僅かに引っ込めた。ルビィはこの手の挑発に乗りやすいらしく、樹の陰から出てきて飴を取ろうと再び手を伸ばす。届こうとしたところでまた千歌が引っ込め、「ルールルルー」とまるで羊でも呼ぶようにハミングしながらその応酬を繰り返す。
「とりゃあっ!」と千歌は真上へと飴を投げた。宙を舞う飴に気を取られたルビィに、好機とばかりに千歌は「捕まえた!」と抱き着く。逃れようとばたばた、と両手を暴れさせるルビィの口に落下してきた飴が収まり、驚いたルビィは動きを止めた。
丁度、そこへ沼津駅行きのバスが到着した。
バスの乗客は千歌たち意外誰もいない。浦の星の生徒たちの多くは部活、1年生は部の見学でまだ校内に残っているのだろう。曜と最後尾の座席についた千歌は、ひとつ前の席につく後輩ふたりに早速と言う。
「ふたりとも、スクールアイドルやらない?」
直球だなあ、と思いながら曜は特に口を出さずに見守ることにした。一緒にやれる仲間が増えるのは、千歌のみならず曜にとっても嬉しい。
「スクールアイドル?」
そのコンテンツを知らないのか、花丸が反芻する。「すっごく楽しいよ、興味ない?」と千歌が訊くと、花丸は申し訳なさそうに、
「いえ、マルは図書委員の仕事があるずら」
「いや、あるし………」と花丸は最後を訂正する。「ずら」は確か静岡の方言だ。今時方言を使うのは祖父母の世代くらいだから、花丸の家は3世代で同居しているのかもしれない。
「そっか、ルビィちゃんは?」と千歌が振ると、所在なさげに飴を舐めていたルビィは「あ、う……」としどろもどろに小声で答える。
「ルビィはその……、お姉ちゃんが………」
「お姉ちゃん?」と千歌が訊くと、本人の代わりに花丸が答えてくれた。
「ルビィちゃんはダイヤさんの妹ずら」
「え、あの生徒会長の?」と千歌は上ずった声をあげた。曜も初耳だった。あまり似ていない姉妹だ。ダイヤは堂々としている反面、ルビィは天敵に怯える小動物のようにおどおどしている。
「何でか嫌いみたいだもんね、スクールアイドル」
曜は何気なしに言う。ルビィは「はい……」と消え入りそうに応じた。妹だったら何でダイヤがスクールアイドルを毛嫌いしているのか知っていそうだが、それはこの場で訊くべきことじゃない、と思った。この人見知りな少女は、出会って間もない自分たちに踏み込んだ話をしてくれそうにない。
それに、本当にダイヤがスクールアイドルを嫌っているのかも怪しい。あんなにμ’sについて詳しいのに、どうして認めようとしないのか。古風な家柄の娘という意識故のものなのだろうか。
「今は曲作りを先に考えたほうが良いかも。何か変わるかもしれないし」
曜は直面している課題を提示する。「そうだねえ」と千歌は気の抜けた返事をした。次に思い出したように、
「花丸ちゃんはどこで降りるの?」
「今日は沼津までノートを届けに行くところで」
「ノート?」と千歌は訊いた。花丸は「はい」と相槌を打って、「実は説明会の日――」と事情を説明する。
説明会で1年生は教科書の配布と在籍している間のカリキュラムについての説明。そしてクラスでの自己紹介と進んでいた。今年度、浦の星女学院の新入生は1クラスに収まる程度の人数で、必然的に同じ面子で高校生活を過ごすことになる。他の生徒たちは自分の名前と、他には趣味や中学時代に所属していた部という当たり障りのない自己紹介をしたのだが、ひとりだけ一線を画す同級生がいた。
その同級生、
「堕天使ヨハネと契約して、あなたもわたしのリトルデーモンに、なってみない?」
どこか挑発的とも取れる不敵な眼差しをクラス全域に向けたのだが、生徒たちはもとより、担任教師ですら言葉を失った。花丸にとっては幼稚園の頃と変わらない言動だったから特に思うことはなかったのだが、当人は生徒たちから放射される不穏さを感じ取ったのか、教室から出たきり戻ってくることはなかった。
結局その日は放置された善子の鞄を花丸が届けに行ったのだが、対応してくれたのは母親で彼女の顔を見ることはなかった。
「それっきり、学校に来なくなったずら」
花丸はそう締め括る。「そうなんだ」としか曜は言葉を見つけることができなかった。千歌も苦笑するしかなくなっている。
今年の1年生は濃いなあ、と曜は思った。
3
夕陽を反射した海面が、太陽への道を形作るように光の道を波打ち際まで伸ばしている。この道を辿ったらどこへ行くのかな、とぼんやり眺めながら梨子は思った。当然そこは海面だ。足を踏み入れれば沈むし、太陽めがけて泳いだとしても延々と海が続くだけ。水平線の彼方なんてものは存在しない。水平線は続き、この地球を1周するだけで完結する。
「桜内さーん!」
後方から溌剌とした声が聞こえてくる。またか、と梨子は溜め息をついた。またスクールアイドルについて延々と聞かされるのか。そう憂鬱になっている間に砂浜を踏む足音は近付いてきて、
「まさか、また海入ろうとしてる?」
予想の斜め上で、千歌は梨子のスカートを捲って覗き込んできた。「してないです!」と咄嗟にスカートをおさえる。「良かった」と呑気に言う千歌に顔を向けることなく、露骨に迷惑と声に乗せながら梨子は言う。
「あのねえ、こんなところまで追いかけてきても、答えは変わらないわよ」
「え?」と千歌は漏らし、「違う違う、通りかかっただけ」と笑った。
「そういえば、海の音聴くことはできた?」
千歌の質問に、梨子は沈黙を返す。千歌を巻き込んで海に飛び込んだとき、海は何も梨子に聴かせてはくれなかった。代わりとして冷たい海水で梨子を包み込んで、冷たさを刺すような痛みへと変えて梨子を陸へと追いやった。ピアノだけでなく、海にも拒絶されたように思えた。人生の大半を占めるピアノに続いて、地球の大半を占める海にまで拒まれるとは。
まるで世界そのものから異物のように吐き出されたような気分だった。吐き出されても、梨子の耳は未だ世界の一部として存在できる千歌の声がはっきりと聞くことができる。
「じゃあ、今度の日曜日空いてる?」
「どうして?」と梨子は訊いた。「お昼にここに来てよ」と千歌は答えになっていない返答をし、
「海の音、聴けるかもしれないから」
「聴けたらスクールアイドルになれ、って言うんでしょ?」
少しだけ皮肉を込めて問うと、千歌は「うーん、だったら嬉しいけど」と腕を組む。きっと提案の根拠はそれにあったのだろう。
「その前に聴いてほしいの。歌を」
「歌?」
「梨子ちゃん、スクールアイドルのこと全然知らないんでしょ? だから知ってもらいたいの」
「駄目?」と千歌が訊いてくる。どう答えたらいいのか、しばし考える必要があった。イエスかノーで答えられるものじゃない。逡巡を挟み、梨子は「あのね」と、
「わたし、ピアノやってる、って話したでしょ?」
「うん」
「小さい頃からずっと続けてたんだけど、最近いくらやっても上達しなくて、やる気も出なくて。それで、環境を変えてみよう、って」
言うなれば、今の状態はスランプ。決して珍しいことじゃない。何かに打ち込んでいる人間にとって、必ずぶつかるものだろう。傍から見れば何のことでもないのかもしれない。でも梨子にとって、幼い頃からずっと上達し続けてきた演奏に変化が無いのは恐怖意外の何者でもない。傷ついたレコードが何度も同じ部分をリピートし続けるように、梨子の指は同じ音を反復している。
「海の音を聴ければ、何かが変わるのかな、って」
梨子は目の前に両手をかざした。ピアノを弾くように、でも鍵盤に触れることができない手を。
「変わるよ、きっと」
穏やかに言って、千歌が両手を握ってくる。笑みを浮かべる彼女に梨子は撥ねつけるように言った。
「簡単に言わないでよ」
あなたに何が分かるの、と眼差しで訴える。汲み取っているのかそうでないのか、千歌は笑みを崩さない。
「分かってるよ。でも、そんな気がする」
真っ直ぐな瞳だった。澄み切っていて、迷いのない。常に前進している者こそができる瞳に、思わず梨子はふ、と笑みを零してしまう。
「変な人ね、本当」
結局は、自分をスクールアイドルに誘うため。作曲をさせるために言っているだけ。梨子は裡で自身に言い聞かせる。断る理由もないのに一蹴するほど、梨子は薄情じゃない。でも、今は断る理由がある。
「とにかく、スクールアイドルなんかやってる暇はないの」
「ごめんね」と手を放そうとするが、千歌は手を放してくれない。力強かったが、無理矢理、というものは感じない。その不可思議さに梨子は眉を潜め千歌の瞳を見つめる。
千歌は言った。
「分かった。じゃあ海の音だけ聴きに行ってみようよ。スクールアイドル関係なしに」
「え?」
「なら良いでしょ?」
それだと、あなたの目的から外れてるじゃない。思ったその言葉を梨子は喉元へ留める。屈託のない笑顔の千歌に、取引じみたことは似合わないように感じ取れる。この少女は純粋に、自分に海の音を聴いてほしいんだな、と信じることができた。こんな笑顔ができる人間は、他にどれほどいるのだろう。
「本当、変な人」
4
十千万に帰宅すると掃除機の音が聞こえてきた。高海家の居住スペースの方からだ。居間を覗くと、千歌に気付いた美渡が手にする掃除機に負けず声を張り上げる。
「遅い! 洗濯までする羽目になったじゃない!」
文句を飛ばし、美渡はテーブルの上に置かれた洗濯籠を指さす。
「アイロンかけといてよ」
はあ、と溜め息をつきながら千歌はひとまず鞄を置きに行こうと自室へと向かう。部屋着に着替えようか迷ったが、もたついていたら美渡がうるさそうだからすぐ居間に戻ってアイロンと台を押し入れから引っ張り出した。
普段はやらないことでも、旅館の手伝いによく駆り出されるから洗濯やアイロンがけくらいはできる。特に苦労もなく、滞りなく済むと思っていた。
「一丁上がり、と」
アイロン台の近くで掃除機をかけていた美渡がヘッドを振り上げた。電源がついたままのヘッドがすれ違いざまに千歌の髪を吸い込んでくる。
「うわああああっ!」
咄嗟にアイロンから手を放し、千歌は髪をおさえる。「やばっ」と美渡はすぐ電源を切ったのだが、吸引口に絡まったせいで髪が数本抜けてしまった。
「美渡姉わざとでしょ!」
「わざとじゃないって、本当!」
「どうしたの?」と台所で料理をしていた志満が入ってくる。指先から血が滲んでいた。
「志満姉こそ指どうしたの?」
千歌が訊くと、「包丁で切っちゃって」とおどけたように志満は笑った。「絆創膏……」と美渡がタンスの上に置いてある薬箱へ手を伸ばしたのだが、ロックが外れていたのか取っ手を掴んだ瞬間に蓋が開いて傾いた箱から中身が盛大に零れ落ちてしまう。
「あちゃー」と言う美渡に「もう何やってるの」と呆れながら千歌が中身の回収を手伝おうとするのだが、「ワン!」と吠えるしいたけの声にはっ、とアイロン台へと目を向ける。熱を帯びたアイロンを当てたまま放置していたシャツから火がめらめらと燃えている。
「志満姉、水水!」
千歌が促し、志満は大慌てで台所へと戻っていく。とはいえバケツか鍋に水を張るまでに、火は範囲を広げようとしている。十千万は木造だから火の手なんて一気に広まって全焼してしまう。千歌と美渡が特に対処法も考えないままアイロンへと駆けだしたとき、居間に入ってきた翔一が服に毛布を被せた。
千歌と美渡の動きが止まる。翔一が2、3度毛布を押し付けた後に捲ると、火は消えていた。水を張ったボウルを手にした志満が戻ってくるが、お役御免になったボウルをどうしたものか手に持ったまま翔一を見つめている。
アイロンを焦げたシャツから放し、翔一はいつものあっけらかんとした表情で言った。
「もういい、俺がやろう」
アイロンがけ、掃除、しいたけの世話、夕飯の下ごしらえ。翔一がそれらを全てこなすのに2時間もかからなかった。
霧吹きの水で湿らせた衣類に翔一は焦げ目を落としたアイロンを当てて、すう、と生地に滑らせるとしわが一気に消えた。美渡が吸い残した隅のゴミや埃をすぐさま発見し、すぐさま美渡と千歌の部屋の埃も全て吸い取った。しいたけにブラシをかけると毛に艶が出て、気持ちよかったのかしいたけはすやすやと小屋の中で眠りについた。台所では志満がかつお節から味噌汁の出汁を取っている間、翔一は薄く切った豚肉に醤油ベースの合わせ調味料と絞った生姜汁で下味をつけた。今日の献立は生姜焼きらしい。
全ての作業が滞りなく、見事な手際でなされた。その反面で千歌と美渡の容量の悪さが明るみになったわけだが。
諸々のことが落ち着いても翔一は休もうとせず、裏庭の畑でほうれん草を摘み始めた。ハサミで摘み取った深緑の葉をザルに乗せる翔一はとても上機嫌で、鼻歌まで歌っている。
「良かった、元気になって」
しばらくほうれん草が食卓に並ぶのかな、と一抹の不安を抱きながらも千歌は安心していた。「そう? 別に普通だけど」と返す翔一の隣に千歌はしゃがみ込む。
「心配したんだよ。ずーっと落ち込んでて」
「ああ、あれ忘れていいから」
「もう」と千歌は口を尖らせる。翔一はそんな千歌に笑みを向けた。いつもの翔一の笑顔だ。
「何かちょっと自信ついた、っていうかさ。さっき家の仕事してて俺思ったんだよね。こう、自分のいるべき場所があるって良いな、って」
「いるべき、場所?」と千歌は反芻する。「うん」と翔一は頷き、
「俺だけじゃなくて、志満さんにも美渡にも千歌ちゃんにもあるだろ、自分の場所がさ」
千歌は翔一の顔を見つめた。十千万は確かに千歌の生まれ育った、千歌のいるべき場所だ。翔一はその場所が分からない。どこで生まれ、どこで育ったのか、一切の記憶を失っている翔一には。
「そういうのって誰にでもあるんだよきっと。で、皆自分の場所にいるときが1番幸せなんだと思う。だから――」
そこで翔一は言葉を詰まらせる。「だから、何?」と千歌が促すと、翔一は照れ臭そうに言った。
「そういう皆の場所を、俺が守れたらいいな、って」
明るい翔一の表情は、裏腹に千歌に寂しさを覚えさせた。皆それぞれに、自分の居場所がある。それは居場所を知らない翔一だからこそ
裡の寂しさを出すまいと、千歌は笑みを返して翔一の手を引きながら立ち上がる。
「じゃあ早く晩御飯作って。もうお腹ぺこぺこだよお」