ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
重い目蓋を開くと、カバーもかけられていない裸の蛍光灯が白色の光で誠を照らしている。
「気が付いたか。馬鹿な奴だ、G4システムに戦いを挑むとは。そんなにあの少女を救いたいか」
その水城の声で、自分の寝かせられているのが「敵地」と瞬時に理解し状態を起こす。簡素な寝台の傍にあるキャビネットにはG3-Xの装備が無造作に並べられていて、誠はインナースーツのみ着せられていた。
「どこにいるんです千歌さんは?」
水城はデスクに置かれたPCを起動しキーを叩く。液晶に映像ウィンドウが表示された。端にLIVEとあるから中継映像だろう。画面の中で、立てかけられた寝台に体を固定された千歌が眠るように目を閉じている。頭に被せられたヘッドギアからは無数のコードが伸びていて、それを取り囲むように設置された機器の前で野戦服姿の自衛官たちが作業をこなしている。
「千歌さん……!」
寝台から降りると脚が少しばかり軋む。先の戦闘からどれ程経ったのかは分からないが、手ひどくやられていたらしい。
「今、彼女の予知能力はG4システムのAIと協調している。その負荷のせいで彼女もやがて死ぬだろう」
何の気なしに水城は言ってのける。画面のなかで死にゆこうとしている少女。彼女のまだ続くはずの未来が閉ざされることを、この男は肯定している。
「彼女も死に近付くことで、偉大な力を発揮している」
死を背負うことが我々の使命、と水城は言っていた。その戦士としての決意を否定するつもりはない。命を危険に晒すことになっても、それが誠の警察官としての仕事なのだから。
でも、目の前にある光景は、明らかに逸脱している。戦うのは治安維持、市民を護るためだ。その護るべき市民にまで自身の主義を押し付けるだなんて。
「………違う、違いますよ水城さん。こんなことが赦されるはずがない!」
喚いたことでようやく、水城の目が誠へ向けられる。
「あなたは死に近付きすぎて、生きることの意味を忘れてるんだ!」
「甘ちゃんの戯言だな」
冷たく返し、水城は誠の肩を叩く。総監に負けないほど強い。でもあの時に感じられた温かさは全く感じられない。水城の手はとても堅く冷たかった。まるで硬直した死体のように。
「ええ、確かに僕は甘いかもしれない」
今になって、ひとつ晴れた疑問がある。それを誠は語る。
「僕の知り合いに、無条件に人生は素晴らしい、と言える人がいます」
翔一が何故、美味しい、などと人生を例えたのかようやく理解できた。
彼は自分を取り巻くもの全てを、見返りなんて求めず愛しているからだ。空も海も、樹も草も花も虫も。そして人間も。この世界の全てを美しい、と純粋に捉える心のまま生きている。だから彼は何を食べても、食べていなくても美味しい、と感じられる。
「僕は彼のようにはなれないし、あなたのようにもなれない。中途半端です。でも、これだけは言えます」
警察官という仕事柄、人間の悪意は吐き気がするほど見てきた。死後数日経って醜く腐敗した死体を見て実際に吐いたこともある。誠は世界の美しさよりも、醜さばかりに目を向けてきた。だから自分の人生の全てを肯定することはできない。
でも、だからこそ願う。
「僕は生きるために戦う。生きることを、素晴らしいと思いたい」
それはいわば、水城に対しての宣戦布告だった。あなたが死を背負って戦うというのなら、僕は生を背負って戦う。
そこへ、哄笑と共に深海が入ってくる。
「脆弱な人間の精神を語ってどんな意味があるというの? 人間はただG4の力に感謝すればそれでいい」
全てを見下すような饒舌さは語ることをやめない。
「今やG4はあの子の力を得て時間を超越する存在になった。この意味が分かる? G4は今や別次元の存在。何者もG4に触れることすらできないのよ」
あの小沢澄子の設計を遥かに超えることの愉悦に、深海は浸っている。こんな人間のエゴのために、どれだけが犠牲になったのか。この自衛官はそれを想ったことがあるのか。いや、彼女はそんなこと気にも留めないだろう。こんな、人の命を消耗品としか捉えていない人間の皮を被った悪魔に。アンノウンのほうがまだ崇高に思えてしまう。
「もうすぐ最強の軍団が完成するわ。あの子が死んでも、種はもう撒いてあるもの。超能力者だっていくらでも補充できる」
種は撒いた、だと。誠はこの事件の真の根源を悟り、怒りと共に訊く。
「まさか、ESPクイズはあなたが………?」
深海は笑みで応える。それはもはや自白と捉えていい。
「あなたは、あのクイズでどれだけの人がアンノウンに殺されたか知っているんですか?」
「それがどうしたっていうの? アンノウンに襲われる前にこちらで保護すればいいだけの話よ」
「保護? どちらにしてもその人たちを犠牲にするのに変わりはない!」
「ただ無為に殺されるのと国防の礎として死ぬ。後者のほうが遥かに幸福だわ。彼らは最強の軍団を作った英雄として歴史に名を刻むのよ。これ以上に名誉なことがあるかしら?」
狂っている。いくら同じ天才でも、小沢はここまで道を踏み外したりはしない。小沢の言った通り、彼女とG4を野放しにするわけにはいかない。ここにいる水城や千歌だけじゃない。これからも国による被害者が増え続ける。誠が守りたいのは、そんな骸によって足場を固められた世界じゃない。
アラートが施設内に鳴り響く。深海はPCのキーを叩き、監視映像を表示させる。画面のなかで、黒い軍隊が蠢いていた。
「アンノウン! 千歌さんの力を使ったせいでアンノウンが反応して………」
深海は動揺を見せない。勝利への確信があるのか、水城へ事務的に死への宣告をする。
「G4システム出動」
「はい」と水城は応じ、帽子を被り部屋から出て行く。
「手伝ってくれるのならどうぞご自由に。必要ないけど」
冷たい微笑で誠を一瞥し、深海も部屋から出て行く。誠はインナースーツのファスナーを上げ、喉元を探る。スロートマイクは外されていない。G3-Xの装備と共に並べられたインカムを耳に当て電源を入れる。しばしのノイズの後、回線が通じる。
『氷川君? 無事?』
小沢の声に安堵しつつ、誠は「はい」と応じ装備を簡単ながら点検していく。
「駐屯地にいます。千歌さんがいることも確認できました」
『そう、良かったわ。こっちも近くに向かうから、合流地点は――』
「いえ、オペレーションをお願いします」
『え?』
「駐屯地はアンノウンの襲撃を受けています。僕も出動します。装備に問題はありません」
武装は携行していたGM-01とGK-06にガードアクセラーの3点のみだが、先の戦闘で発砲はしていないから弾丸はあるはず。スーツのバッテリーも十分だ。
『………分かったわ』
逡巡の後、小沢は許可を下す。誠は装甲を身に纏い、最後にマスクを顔に当てて装着する。Gトレーラーにシステム起動が送信されたのか、オートフィット機能が作動しスーツが誠の体形に合わせて収縮していく。
『G3-X、出動!』
2
脳裏に走る戦慄が、翔一の意識を覚醒させる。目を開けると木漏れ陽が射していた。どうやら森の中で眠っていたらしい。
「翔一さん!」
曜がはやる声色で呼ぶと、梨子が「良かった」と胸を撫でおろす。ふたりだけでなく、他のAqoursメンバーたちもいた。ルビィに善子に、果南にダイヤに鞠莉。花丸と千歌が、まだこの中にいない。
「皆、どうして………」
「チカっちの声が聞こえたのよ」
鞠莉が答えてくれる。「やっぱり、じっとなんてしていられないよ」と果南も言う。立ち上がろうとするが、胸に鈍い痛みが走った。そんな翔一の肩を梨子が支えてくれる。
「そんな体じゃ無理です」
「大丈夫」と翔一は優しく梨子の手をどけて、重い脚に力を込めて立ち上がる。
「俺、千歌ちゃんを助けなきゃ」
翔一はここに集まった皆の顔を見渡す。これだけの人たちが、彼女の帰りを待ちわびている。それだけで、痛みなんて簡単に抑え込むことができる。
「千歌ちゃんは今、千歌ちゃんのいるべき場所にいないからさ」
千歌と同じ夢に向かう仲間たち。Aqoursは誰が欠けても駄目だ。この少女たちのいるところが、千歌の居場所。そして、翔一の守るべきもの。
「それに、千歌ちゃんを助けるために戦うなら、そこが俺のいるべき場所なんだ」
大丈夫、俺はまだ戦える。あの子を守るためなら、どこへだって行く。千歌ちゃんには、まだ美味しいものをたくさん食べてもらわないと。
頭の中で、誰かが叫んでいるのがずっと響いている。その声に導かれるように、花丸は青年に乗せられたバイクで八王子の山奥へと向かっていく。森の中には灰色の建物が佇んでいて、そこへ近付くにつれて叫びがどんどん大きくなっていく。
近くまで行くと、その叫びが歌と気付いた。これはAqoursの曲、地区予選で歌った『MIRAI TICKET』だ。それを歌っている声は――
「千歌ちゃん……!」
建物を囲む柵の前で、青年はバイクを停める。建物の中からは銃声と悲鳴が聞こえていた。
「ここにいろ」
青年に言われ、花丸はバイクから降りる。か、と見開いた青年の両眼が、赤く染まった。
「変身!」
緑の異形へと姿を変え、同じく変わったバイクを駆って青年は悲鳴と銃声が重なる渦中へと向かっていく。
バイクで柵を蹴破った翔一を出迎えたのは、あちこちに蠢くアンノウンの群れだった。港に出たときよりも遥かに数が多い。内部に侵入できる経路を探るつもりでいたが、これはどこへ行っても同じか。
なら、正面突破のみ。
「変身!」
ベルトから発せられた光が、バイクをも巻き込んで翔一をアギトへ変える。シートから跳び上がると、翔一の意思のままバイクがスライダーボードに変形し、そのシートに足を落ち着かせる。こちらへ向かってくるアンノウンを車体で薙ぎ払いながら、翔一は奥へと突き進んでいく。
3
「プロジェクション開始!」
「目標、敵アンノウン数複数。基地内各所に出現」
「安全装置解放。起動用意」
「ESP信号、伝導率86.7%」
「コード1405からコード3608へ移行」
「95.9%、最高値を測定」
行き交う声と共に、また感覚がシステムを通じて繋げられていく。まるで溶け合って「わたし」という意識が無くなりそうな恐怖のなか、千歌は歌を歌うことで自身を保とうとする。
ずっと口ずさみ続けた、Aqoursの歌。皆で叶えよう、と走ってきた夢の道程。そこに、繋げられた苦痛が割り込んでくる。
晴れた視界のなかで、野戦服を着た兵士が目の前で倒れる。視界が上がると、目の前にはアンノウンの群れがこちらへ歩いてくる。屋根から1体が跳びついてくるのが見えた。一瞬遅れ、同じことが起きる。装着員は千歌の視た方角へ脚を向け、アンノウンは吸い込まれるように顔面に足裏を埋めさせる。
向かってくるアンノウン達は、装着員の拳や蹴りの1撃で次々と爆炎に沈んでいく。今いる搬入口の群れを片付けるのに、そう時間はかからない。でも、その後の近い未来が千歌の脳裏を掠める。建物の陰からまた群れが沸いて出てくるのが視えると同時、電流を流されたような痛みが脳に走っていく。目を閉じても視せられる光景から、逃れることはできない。
装着員は地面に置いてあったミサイルランチャーを肩に担ぎ、引っ張り出したコードをベルトのコネクタに挿し込む。視た通り、すぐアンノウンの群れが出てきた。既に準備完了したランチャーから2発のミサイルが放たれ、アンノウン達を吹き飛ばしていく。
痛い。苦しい。耐え難い波が押し寄せ、とうとう歌えなくなる。どの未来も視えるのは倒れる兵士たちと屠られていくアンノウンばかり。苦しみばかりが渦巻いて、止めどなく拡散していく。
それでも、千歌は信じることをやめない。例え指間からすり抜けてしまうほど小さくても、希望の光は残っている。例え視ることができなくても。
「これは何?」
声が近い。懸命に目蓋を持ち上げ、千歌はうっすらと目を開く。薄暗いなかで、あの女性と白衣を着た男性が千歌へ、厳密には千歌のやや右方向へ目を向けている。
「計測の邪魔よ、外して」
「はい」と応じた男性が、千歌の右手に手をかける。やめて、と叫びたいが苦痛に声が出せない。無抵抗の千歌の右手から、ずっと身に付けていたシュシュが外される。
――駄目、それは皆との繋がり――
その瞬間、脳裏に浮かんでいた像が消え去った。同時に苦痛も、繋がっていた感覚が波のように引いていく。千歌ひとりのものに戻った耳を、ブザーのような音が突いてくる。
「どうした?」
女性の問いに、他の作業員たちは「分かりません!」と困惑を返している。
「伝導率、急速に低下。測定不能です!」
「ESP信号、断絶!」
「まさか……」と女性は食い入るように千歌へ顔を近付ける。一体何が起こったのか。どうしてシュシュが外された途端に。
「この子、超能力者じゃない………?」
アンノウンをGM-01で牽制しながら進む誠の視界ディスプレイに、駐屯地内部のマップが浮かび上がる。どうやら小沢が陸自の衛星にハッキングを仕掛け、データを入手してくれたらしい。
『氷川君、サーバールームは近いわ。そこに高海千歌はいるはずよ』
「了解」
マーキングされたマップの指示に従い、迷うことなく通路を進んでいく。途中で遭遇したアンノウンは止めどなく、GM-01の残弾も心もとない。アラートの音で、目的地へ近付いていると実感できた。
マップ上では目的地を示している扉は閉ざされていて、横にはパスコード入力のパネルが備え付けられている。コードなんて知らない誠は、筋力補正された足で扉を蹴破り中へ入り込む。施設内で最も厳重なサーバールームはまだアンノウンの侵入を受けていないようで、警備の自衛官たちがカービンを誠へ向ける。侵入者へ冷静に対処する様は、流石は自衛隊といったところか。
まるで血管のようにコードを伸ばす長方形のサーバー。そのモノリス群に囲まれるように、千歌は「繋がれ」ていた。誠はGM-01を構える。アンノウンではなく、本来なら守るべき人間に。
「自分のしていることを分かっているの?」
そうせせら笑うのは深海理沙だ。GM-01の銃口を向けられても、自衛官として訓練された彼女は物怖じしない。
「私の邪魔をするということは、この惨劇を更に助長することよ。あなたでは止めることはできない。G4システムだけがこの危機を救うことができる」
「あなたと話すことはありません」
この人と話すだけ無駄だ。未成年者略取及び誘拐罪で、続きは署でいくらでも聞いてやる。
千歌のもとへ歩く誠へ、カービンの銃弾が飛んでくる。狙いは精密だが、G3-Xの装甲に傷は付けられない。だが、こうも銃弾を浴びたままだと千歌に流れ弾が飛ぶ。仕方ないが、まずは自衛官たちを無力化するしかない。
突如、サーバールームの天井が破られた。瓦礫と共に降って来たのはアンノウン。すぐさま目標を切り替えた自衛官たちが発砲するが、頑丈なアンノウンにはまるで効果がない。
「逃げて!」
叫びながら、誠はアンノウンに組み付く。抵抗され、サーバーをなぎ倒しながら壁へと追いやり、その壁をも砕く。どれ程の部屋の壁を突き抜けていっただろうか。施設内の仕切りなんて無視しながら突き進み続けて、ようやく開けた場所に出る。瓦礫と粉塵に塗れて出たそこは格納庫だった。搬送用のトレーラーが並べられた空間にもアンノウン達がいる。でも、それほどの数はいない。固まるように蠢くその中心に、たったひとりアンノウンを屠っていくG4がいる。
「水城さん!」
格闘戦でアンノウン達をいなしながら、誠はG4のもとへと進んでいく。単身でありながら、水城は微塵も苦戦してはいなかった。G4の挙動は完璧だ。油圧システムからもたらされる圧倒的な力で組み付く敵を振り払い、一瞬の隙も与えず拳を振るい続ける。動作に披露や焦燥なんて感じさせない。それなのに、マスクから漏れる水城の声は酷く苦しそうに息をあえがせている。
「うああああっ」と呻きながらも、水城は完璧な動作でアンノウンと戦い続けている。動作と声が真逆だ。膝をつきたいが、AIはその苦痛を無視しプログラムされた通りに与えられた任務、即ちアンノウン殲滅を遂行し続ける。サーバーをいくつか破壊したから千歌と接続されたシステムに障害が発生しているはずだ。水城への負担も増している可能性がある。
誠がゆく手を阻むアンノウンの心臓を拳で貫き爆炎に変えた頃、水城のほうは既に包囲していたアンノウンの殆どを葬り最後に残った1体を相手にしていた。腹を何度も殴打し、よろけて倒れそうになるアンノウンの肩を掴んで無理矢理立たせ殴打を再開する。
「水城さん、G4システムは呪われたシステムです。離脱してください。これ以上は危険です。あなたの命までが――」
機械に誠の忠告を聞く耳はない。黒の鎧に覆われた拳はアンノウンの顔面を潰し、吹き飛んだその体が爆散する。しっかりと伸ばされた背筋。機械に制御された姿勢。それを保ったまま、水城は枯れかけた声を絞り出す。
「俺の答えは分かっているはずだ。どうする? 俺は死を背負い、お前は生を背負っている。どちらが正しいか、今この場で答えを出すか?」
「水城さん………!」
G4の青いセンサーアイが、誠へと向けられる。足がジュラルミン製の靴音を軍靴のように響かせながら踏み出してくる。G4のAIが誠を、G3-Xを任務の障害とみなしたのだろう。決して水城の意思じゃない。でも、その意思に同調した水城は誠との戦いに躊躇はない。彼は戦うだろう。すぐ間近に迫っている「死」を背負って。
《推奨 撤退》
G3-XのAIが警告する。合理的な判断ならそれが妥当だ。スペックが設定されている機械に、数字は覆すことはできない。
それでも誠は警告を撥ねつけ拳を構える。この戦いは逃げるわけにいかない。
この男の意志は哀しすぎる。
その肩から「死」を降ろさなければ。
4
右の手首から生えた刃を、敵の脳天に突き立てる。飛び散った血と脳漿が顔にかかり、涼の視界が一瞬だけ奪われた。その隙に、背後に回っていた敵に組みつかれ首筋を噛まれる。痛みに歯を食いしばり、肘打ちで離したところで腹に蹴りを入れる。
左の手首から伸ばした触手で体を絡めとり、引き寄せた勢いに任せて右手の刃で胸を切り裂く。周囲に爆炎が立て続けに巻き起こり、それでも敵は際限なく沸いて出てくる。一体どれ程倒したか、涼は数えてすらいない。どれ程施設の奥へと進んだのかも分からない。自分の居場所すらも把握できていない。
体が重くなってきた。短いスパンで何度も変身して、敵も多すぎる。ここで力尽きてしまうのも時間の問題か。
それでも涼は引き返すことなく、外からの陽光も射し込まない奥地へと進んでいく。何としてでも千歌という少女を助け出さなくては。あのマルという、自身のために清い涙を流してくれた少女のために。誰かのために死ねるのなら、こんな化け物じみた体になった意義があるというものだ。
ふらつきながらも歩き出すと、すぐに敵がどこからか現れる。近くに巣穴でもあるのか。両手から尖刀を伸ばし、手当たり次第に近付いてきた者から切り裂いていく。腕を振るい刃が敵に触れる度に鮮血が飛び散り涼の体を汚していく。
我ながら何て醜い姿だろう。元の姿に戻れても力の残滓は歳不相応な皺として現れる。変身する毎に体は着実に蝕まれていく。全ての苦しみから解放される時は近いのかもしれない。それでも、涼は奇妙に満たされた気分でいた。こんな醜い拳でも誰かのために振るうことができる。目の前の脅威から逃れるためでも、大切な人を傷付けられたことの憎しみでもない。
全ての敵を葬り更に進もうとしたところで、床の蓋が開いた。不意のことで反応が遅れ、穴から伸びてきた異形の手に脚を掴まれ引きずり込まれていく。下のフロアへの通路からは梯子が伸びているのだが、無理矢理引きずり降ろされた涼は何も掴めず床に受け身も取れず落下する。無骨なコンクリートの壁と柱で固められ、給水ポンプが並べられた地下空間は静寂に包まれている。
先ほどまで敵の呻き声に囲まれていた涼にとってその静寂はひどく不気味なもので、血走った眼で辺りを見渡す。「敵」は向こうから現れてきた。その個体もまたアリに似ているのだが、他の個体とは少しばかり違う。体形のフォルムがどこか女性的で、手には三又の刃を付けた槍を携えている。何より、その存在から感じる力を涼は本能的に感じ取った。さながら女王アリだ。
涼は雄叫びと共に拳を振り降ろす。だが敵の顔面に達する寸前に槍で受け止められる。腕を絡めるように槍を捻られ、涼は咄嗟に腕を引っ込めた。後退し間合いを取る。引っ込めた右手の拳を握ろうとしたとき、拳の感覚がなくなっていることに気付いた。不敵な笑みを零す女王アリの足元に転がる腕のようなものが視界に映る。
見下ろしてみると、涼の右腕は肘から先が途絶えていた。ぼたぼた、と溢れる血が床に滴り落ち、同時に焼けるような痛みが走る。
まだだ。腕1本なくしたところでまだ戦える。そう気張ったところで、凄まじい痛みと大量の出血は容赦なく涼の体を衰弱へと向かわせていく。血でぬかるんだ床に足を滑らせ、涼は膝をついた。視界が霞んでいく。涼をあざ笑うかのような女王アリの声も遠くなり、身を伏せたときの血の生温さも温度を失っていく。
ここまでか。
自身の血に沈みながら、涼は覚悟を決める。そう遠くないうちに来るとは思っていた。最期に機能を失いつつある脳裏に浮かぶのは果南の顔だと思っていたが、現実は違った。このとき涼の脳裏にいたのは、涼をここへ向かわせてくれたマルの顔だった。
よく「ずら」という訛りのある口調で喋り、水羊羹を美味しそうに食べ、そして「いま」という現実を嘘にしようとしていた少女。
ここで俺が死んだら、誰がマルの望みを叶えてやれる。彼女の友人を救い出すまで、くたばるわけにはいかない。
どくん、と心臓が強く脈打つ。血の中から起き上がった涼は、湧き上がる衝動のままに咆哮をあげた。
「ウウオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」
右腕の感覚が戻った。途絶えていた肘の先から、血と体液に濡れた腕が照りついている。まるで生まれたばかりの赤ん坊のようだ。生えた右腕から触手を伸ばし、女王アリの首に絡める。予想外の出来事に狼狽えた女王アリは武器を零した。涼は力いっぱい腕を引き、女王アリを手繰り寄せる。
一瞬で引き寄せられ恐怖に歪む女王アリの顔面に、涼はヒールクロウを叩き込む。
脳天から股下まで真っ二つに両断された体は、ふたつになった体をそれぞれ爆散させていった。