ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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 前回のあとがき欄の文面はアギト世界(というより本作の世界観)に伝わる聖書の一部のようなもので、作品の裏設定としてネタが思い浮かび次第書いていこうと思います。



第2話

 

   1

 

 今日も今日とて快晴な練習日和。千歌にとっては皮肉なことに。屋上での練習はいつもなら気持ちよく感じられるのに、今は残暑も体に浮く汗も鬱陶しい。ようやく訪れた休憩時間になると、コンクリートの床に大の字になって深い溜め息をつく。

「ラブライブの予備予選がこんなに早くあるなんて………」

 学校説明会中止は撤回された。その説明会が身を結び今年中に入学希望者を100人集めれば統廃合も撤回。それを達成するために、目下のステージのためにパフォーマンスを仕上げればいい。

 即ち曲。そう、曲が必要だ。ラブライブの予選と学校説明会で披露する曲が。

「出場グループが多いですからね」

 ダイヤの言うように、ラブライブにエントリーするグループは多い。ただでさえ競争率が高い上に、運営委員会から発表された予備予選の日程が思いのほか間近だった。

「この地区の予備予選は来月始め。場所は特設ステージ」

 ルビィが確認するように告げると善子が「有象(うぞう)魑魅魍魎(ちみもうりょう)が集う宴!」と口走っている。何を言っているか分からないのは今に始まったことじゃないから無視しよう。

「でも、どうして早いと困るずら?」

 花丸が訊いた。「それはその………」と答えあぐねていると、梨子が代弁する。

「歌詞を作らなきゃいけないからでしょ」

 「なるほど」と鞠莉が納得する。そう、問題はそこにある。予備予選と説明会まであまり時間がない。それなのに千歌が担当する歌詞がまだ完成していない。そうなると梨子が作曲に取り掛かれない。つまり曲ができず日が経つにつれて練習も少なくなっていく。

 しかも予選用と説明会用と2曲分必要ときた。ラブライブで披露する曲は未発表のものと定められていて、間の悪いことに予備予選は説明会の後。説明会で発表してしまったらもう転用はできない。ならば説明会に既に発表した曲を、という意見も出たのだが、以前から説明会用の曲は漠然とだが考えていたこともあって、今更予選へ回したくはない。

 そういうわけで、結果的に同時期で2曲制作ということで話がまとまった。まとまってしまった。勢いに任せて了承してしまったのは千歌なのだが、ただでさえ特別良くもない頭を悩ませる羽目になる。披露するのは新曲、なんて制限を設けたラブライブの運営委員会を恨みたくなる。何も最初から制限があったわけじゃなく、設けられたのは第2回大会から、とダイヤが教えてくれた。確かμ’sが優勝した大会だ。初回大会の盛況ぶりからエントリー数が爆発的に増えたから、数を抑えるための措置だったらしい。

「わたしばかりズルい!」

 と千歌は脳に刺激でも与えられないかと頭を抱える。

「梨子ちゃんだって2曲作るの大変、て言ってたよ!」

 自分の作業が滞ると進まないという現状が尚更プレッシャーをかけてくる。

「それ言ったら曜ちゃんだって」

 という梨子からの指摘にぐうの音もあげられない。「9人分だからね」と本人は軽い苦笑で返してしまうのだが、実質的に2曲なわけだから制作数は18着になるわけで。

「厳しいよ、ラブライブ………」

 もはや弱音を隠す気力すらない。

「それを乗り越えた者だけが、頂からの景色を見ることができるのですわ」

 ダイヤの言うことも重々承知なのだが、だからといって作業スピードが上がるわけでもない。

 空を仰ぐ千歌に、梨子の影が覆いかぶさる。

「で、歌詞のほうは進んでいるの?」

 「わあっ」と驚きながら、バネのような勢いで上体を跳ね起こす。「そ、そりゃあ……、急がなきゃだから………」としどろもどろになっているところで、

「ここに歌詞ノートがあるずら」

「わあああああああっ‼」

 いつの間にか花丸とルビィに歌詞のキャンパスノートを覗き見られている。まあ、見られてもほぼ白紙のようなものだが、その白紙具合が恥ずかしい。

 とはいっても、千歌だって怠けていたわけじゃない。昨夜だって徹夜するくらいの意気込みで作業に取り組んでいた。結局睡魔には負けてしまったが、作業の痕跡にはページの隅にしっかりと残っている。

「凄いずら」

「そっくり」

 花丸とルビィはその痕跡を見つけたのか、ページを捲る毎に笑みを零す。「結構、力作でしょ?」と千歌も昨夜の成果を見返してみる。我ながら上手い、と自画自賛できる。

 ページの隅に書き留めておいたのは歌詞になる文字の羅列――ではなくデフォルメした梨子の似顔絵。完成しなかったら怒られるだろうな、と想像しながら描いたものだから、数ページにわたる殆どの顔が怒り顔になっている。

「昨日、夜の2時までかかって――」

 制作時の苦労を話そうと思ったところで、眼前に梨子の顔が迫ってくる。絵じゃなく本物が。

「千歌ちゃん………!」

 絵よりも遥かに迫力のある激昂寸前の顔で凄まれ、千歌は「……はい」と力なく観念する。

 そういうわけで、屋上での練習は早めに切り上げて場所は部室へ。まずは取り急ぎ歌詞制作に専念することになった。曲ができなければ、練習も基礎練習しかできなくなってしまう。本番が近付く今、基礎練習はウォーミングアップとして行い大部分を曲に焦点を当てた練習にしたい。

 かといって場所を変えたら解決できる問題ではなく、机でペンを持っても開いたノートは白紙のまま。隅にある梨子の似顔絵に睨まれ続ける。ついでに本物にも。

「でも、このまま千歌たちに全部任せっきり、ていうのもね」

 限界を迎えてノートに突っ伏したところで、果南が言った。それに食いついたように鞠莉が、

「じゃあ果南、久しぶりに作詞やってみる?」

「い、いやあわたしは……、ちょっと………」

「前は作ってたじゃない?」

「それ言ったら、鞠莉だって曲作りしてたでしょ」

 「じゃあ衣装は?」と梨子が訊いた。「まあわたくしと――」と答えたダイヤが無言でルビィへ視線を送る。得心したように曜が、

「ああ、だよね。ルビィちゃん裁縫得意だったもん」

 そういえば衣装作成をルビィに手伝ってもらっていた曜は、度々彼女の技術を絶賛していた。殆ど何も教えていないのに期待以上の仕上がりになった、と。成程、経験者だったことも頷ける。姉妹揃ってスクールアイドルフリークだから、元々ノウハウを熟知していたのかもしれない。

「得意、ていうか………」

 と謙遜しているが、「これも」と花丸が更にルビィの実績を見せてくれる。

「ルビィちゃんが作ってくれたずら」

 花丸の手に掲げられているのは、花とクマのキャラクターが刺繍されたバッグだ。100円ショップで買ったものに刺繍を施したのだろうが、既製品と遜色ない出来に「可愛い!」と千歌は率直な感想を述べる。

「刺繍もルビィちゃんが?」

 梨子が訊くと、ルビィは気恥ずかしさに顔をやや俯かせながら「うん」と応じる。

 おもむろに鞠莉が席を立った。

「じゃあ、二手に分かれてやってみない? 曜とチカっちと梨子が説明会用の曲の準備をして、他の6人がラブライブ用の曲を作る。そうすれば、皆の負担も減るよ」

 彼女の提案に意義を申し立てたのは、恐る恐る手をあげるルビィだった。

「でも、いきなりラブライブ用の曲とかなんて――」

 気持ちは理解できる。予選通過を賭けた曲を担当することはプレッシャーになるだろう。千歌はアイディアが浮かばずプレッシャーなんて感じる余裕すらなかったが。鞠莉はそんな意見も想定内だったのか、

「だから皆で協力してやるの。1度ステージに立っているんだし。チカっちたちより良い曲ができるかもよ」

 焚きつけられたのかダイヤも立ち上がり、

「かもではなく、作らなくてはいけませんわね。スクールアイドルの先輩として」

 「おお、言うねえ」と果南もやる気になったらしい。「それ良い!」と千歌も同意を示す。互いに競い合うことで曲の仕上がりも良くなるのなら、それに越したことは無い。何より千歌の負担が半減する。後者は流石に口には出さないが。

「じゃあどっちが良い曲作るか、競争だね」

 千歌が言うと、花丸が「ルビィちゃん」と不安げな親友に笑みを向ける。何も気負う必要がないことの安堵に、ルビィの表情から僅かばかりだが不安の色が薄らいだ。善子も自信ありげに「承知」と短く応じる。反対意見がないことを確認し、鞠莉は話を纏める。

「では、それぞれ曲を作るということで決まりね」

「よし、皆で頑張ろう!」

 

 

   2

 

「お邪魔します」

 玄関を上がる誠に、志満は「どうぞ」と居間へ通してくれる。

「千歌さんは、あれからどうですか?」

「全然変わりありません。今日も朝から部活に出掛けましたよ。元から元気だけが取り柄のような妹ですので」

 良かった、と誠は胸を撫でおろす。アンノウンに殺害された相良克彦の最期に遭遇したそうだから精神的なショックが心配だったが、あの少女は誠が思っているよりも強いらしい。

 控え目に笑うと、志満は改まって畳に三つ指を揃え深々と頭を下げる。

「先日は、千歌がご迷惑をお掛けしたようで、本当に申し訳ございません。この前の事といい、氷川さんには立て続けにお世話になってしまって――」

 旅館の仕事で謝罪する場も経験しているのか、その所作は淑やかなものだ。でも誠にとって女性に頭を下げさせるなんて失礼この上ないもので、慌てて「そんな、頭を上げてください」と促す。

「その先日のことなんですが、実は千歌さんが――」

 誠はあの日のことを打ち明けた。千歌が朝早く署まで自首しに来たこと。彼女の父を殺したのでは、という不安を。始めこそ志満はまた超能力か、とでも言いたげな表情をしていたのだが、次第に表情に陰りを帯びさせていった。

「そうですか。あの子がそんなことを………」

 志満は消え入るように言ってテーブルに視線を落とす。

「お恥ずかしい話、私も千歌のことは時々分からなくなってしまうことがあるんです。うちは父を早くに亡くして、母も東京に単身赴任ですから、長女として私が妹たちの親代わりにならないと、て思っていたんですけど………」

 突然の告白に誠はうろたえてしまう。事件捜査で被害者遺族の聴取を担当したときも、こんな感情の吐露を聞かされることは何度もあった。それなのに、ただ刑事として証言を集めることばかりに注力して、こういった他人の懊悩にどう言葉をかけてやれば良いものか戸惑うばかりだ。

「思えば父が亡くなってから、千歌はどこか遠慮しているような気がしていたんです。父にとても甘えていたのに、葬儀では涙1滴も流さなくて」

 所詮は他人の家庭事情。そう割り切れればどんなに楽なことか。でも何度もこの旅館の暖簾を潜り、彼女たちの生活ぶりを垣間見て、末妹のステージで邁進する姿を見てしまった。割り切るのに、誠はもう高海家に深く踏み込みすぎた。今更他人面して、この家族に漂う暗雲に目を逸らすことはできない。

 とは思っても、誠は精神科医やカウンセラーじゃない。ただ志満が吐き出す感情に、聞き耳を立てることしか対処方がない。

「いえ、本当に遠慮していたのは私のほうかもしれません。姉妹なのに、家族なのに変に気遣ったりなんかして。寂しい想いさせないように、て甘やかして。もっと叱るときはちゃんと叱るべきだったのでしょうか。どう思います氷川さん?」

 まさか僕に振るのか、と内心で誠は焦った。教育や子育てなんて、子供どころかまだ独身の自分に分かるはずがない。そもそも志満だって誠と歳はそう変わらないだろうに。

「それは、そう思いますが………」

 答えに迷っていると、じれったくなったのか志満の思考はどんどん加速していき、

「そうです。たまにはビシ、と手を上げるくらいのことはしないと」

「いえ、暴力はいけません。女性はガラス細工のように扱わないと」

 「私も女性です」と志満はむくれた。普段の淑やかな振る舞いとはまるで違うその少女じみた表情に思わず胸がどくん、と強く脈打ってしまう。

「ガラス細工ですか……、しかしおいくらのガラス細工なんでしょうか?」

「………は?」

「ガラス細工にも色々あります。値段によって扱い方も変わってくるでしょう?」

 何だこの質問は、と思ったが、とことん律儀なこの青年刑事は自身が購入を迷う値段を考えてしまう。

「それは……、5万円くらいですか?」

「あなたは千歌ちゃんに5万の価値しかないと言うんですか?」

 どうやら地雷を踏んだらしい。志満の初めて聞く荒げた口調に思わず尻込みしてしまう。

「ああ、いえ――」

「あの子の価値はお金になんて替えられません。当然でしょう」

 「はあ………」と応じながらも誠は首を傾げずにはいられなかった。

「いや、志満姉が言い出したんじゃない」

 そこで、お盆を手にした美渡が入ってきて誠の前にお茶を出してくれる。「すみません」と会釈しながら、内心でこの迷宮入り確実な会話を終わらせてくれたことに深く感謝した。志満は恥ずかしそうに頬を赤らめながら、また頭を下げる。

「すみません。興奮してしまって………」

「いえ、気にしないでください」

 そもそも、僕は何しに来たんだろう。この時点で誠は訪問の目的をすっかり忘れていた。

 

「じゃあ、わたし達は千歌ちゃん家で曲作ってるね」

 校門前でそう告げると、曜は千歌と梨子のもとへ向かい、3人で丘を下っていく。「頑張るずら」と花丸が手を振って見送ったところで果南が「さてと」と、

「わたし達はどこでやろうか?」

 ダイヤは顎に指を添え考える。こちらは6人と数が多いし、近場に大勢で行ける飲食店もない。

「ここら辺だと、やっぱり部室?」

 ルビィがそう提案する。それが最も無難なのだが、

「何か、代わり映えしないんじゃない?」

 善子の指摘通り、気分転換も兼ねているのだから普段使用している部室はなるべく避けたい。「そうですわね」とダイヤは同意し、

「千歌さん達と同じで、誰かの家にするとか」

 「鞠莉んとこは?」と果南が訊いた。鞠莉の家、つまりはホテルオハラ。幼い頃に果南と何度も訪ねて――というより忍び込んで――いたから、部屋の間取りや広さは把握している。

「確かに部屋は広いし、ここからそう遠くもないですし」

 3年生同士で話を進めていると、1年生たちの方で花丸がルビィに潜めた声で訊く。

「もしかして、鞠莉ちゃんの家って凄いお金持ち?」

「うん、そうみたい」

 声は小さいがダイヤの耳にはしっかりと届いた。恐らく果南と鞠莉にも聞こえている。更にそこへ善子も加わり、

「スクールカーストの頂点に立つ者のアジト………」

 一体何を想像しているのか、花丸と善子は揃ってこちらへ期待のこもった眼差しを向けている。妹だけは冷静でいてくれたことに安堵しながらも、正直ダイヤにはあまり良い予感がしない。

「わたしはNo problemだけど、3人はそれで良いの?」

 ホテル経営者を父に持つ影響からか、鞠莉は基本的に客人を拒まない。それをよく知っているからこそ、ダイヤはこの先に起こることが読めてしまう。1年生たちがすかさず挙手することも。

「賛成ずら!」

「右に同じ!」

「ヨハネの名に懸けて!」

 こんなにも熱望されたら鞠莉が黙っているはずがなく、

「OK, Let`s together!」

 

 

   3

 

「先に部屋行ってて」

 十千万に到着すると、千歌は曜と梨子にそれだけ言って裏手の畑へ向かった。いつもこの時間帯は、畑の世話をしているはず。予想通り、翔一はトマトの世話に勤しんでいた。赤く実ったトマトを嬉しそうに眺めるその横顔に「翔一くん」と声をかける。千歌の顔を認め、翔一は笑顔で迎えてくれた。

「あれ、今日は早いね。もう練習終わり?」

「うん。次の曲作らなきゃいけないから。曜ちゃんと梨子ちゃんも来てるよ」

「そっか、じゃあお茶持ってくよ。そうそう、今日トマトでプリン作ってさ。きっとふたりも気に入ると思うんだよね」

 軍手を脱いで中に入ろうとする翔一の服を掴む。目を点にして振り返る翔一に、千歌は何だか照れ臭くなって苦笑しながら言う。

「ちょっと、いいかな?」

「うん」

 千歌は縁側に腰掛けた。翔一もおもむろに隣に座る。どう切り出したものか、千歌が言葉を探しあぐねていると、

「答え、見つかった?」

 不意打ちが飛んできた。翔一の顔を見ると、穏やかな笑みを返してくれる。いつものほほん、としているのにこんな時は鋭いなんて。いや、翔一にも悟られてしまうほど自分は分かりやすいということか。

「ううん、まだ」

 そう千歌はかぶりを振る。相良の所にいた時に抱いた、自分の居場所という疑問。そんな疑問を抱くことがそもそもの誤解だった。千歌に超能力はない。これまでの居場所への思慕を捨てる必要なんてない。でも、あの沢木哲也という男との邂逅が、疑問を再浮上させていた。

 あの謎に満ちた男の言葉が真実なら、千歌以外のAqoursメンバーは全員、超能力を持っている。やっぱり自分の目に狂いはなかった。彼女たちは特別な、輝ける人たちだった、と誇らしく思う。でも、そんな特別な者が集まったグループに、ただの人間でしかない自分が居て良いのだろうか。

 悩みはしたし、これといった答えなんて無い。

「でも、何となく思うんだ。自分の場所を探してるのはわたしだけじゃない、て。翔一くんだってそうでしょ?」

「うん。もしかしたら曜ちゃんや梨子ちゃんも。他のAqoursの皆だって」

 力があるから居場所になるのか。力がないからそこに居られないのか。そんなものは関係ない。だって、皆のいるAqoursが千歌にとって特別だという想いに、変化はなかったのだから。

「居ていいのかな、じゃくて居たいんだ。この内浦に。浦の星に」

 「変かな?」と訊くと、翔一はかぶりを振る。

「全然。それで良いんじゃない? 自分の場所って、そういう居たい、て気持ちから見つかるんじゃないかな」

 裡の嫌な溜まりが、すう、と抜けていくように感じられた。心から出た笑顔を、翔一は受け止めてくれる。足が軽くなったように感じられて、はやる気持ちのままに階段を上っていった。

 

 淡島のホテルオハラは何度か訪ねたことはあったが、考えてみたらダイヤと果南は非常口か鞠莉が用意してくれた独自の潜入口ばかりを使っていて、改めてロビーという「正規」の入り方をした経験は殆どない。10年近くは見ていないロビーだが、うろ覚えの記憶とはあまり変化が無いように思える。初めてロビーに通された幼い頃に感じたこの空間の不気味さは、成長した今となっては呆れに変わっている。招待された側として失礼な感覚だとは思うのだが、やはりこのロビーは普通の宿に比べると異質に感じる。富裕層向けのリゾートホテルというのは抜きにして。

 仕立ての良いソファにサイドチェストで淡く光るランプ。照明を反射し更に空間を明るくする大理石の床。

 そして壁やそこかしこに飾られた絵画や彫刻といった芸術品の数々。

 そう、ダイヤが不気味に思ったのは芸術品のせいだ。まず目を引くのが2階へ続く階段の傍らに立つ鞠莉の等身大石造。柱に寄り添うように立っている小さな像は恐らく幼少期の鞠莉を象ったもの。そして絵画もほぼ全てが鞠莉と鞠莉によく似た婦人の油絵。このホテルの経営者にとって最も美しい妻子に溢れている。溺愛したくなるのも分かるのだが公私混同するのは如何なものか、と物申したくなる。哀しいかな、このインテリアを決めた人間が浦の星の全権限を握っている。

 だがそんな経営一族展覧会なロビーでも、1年生たちにとっては華やかなセレブ空間らしい。

「凄い、綺麗!」

「何か気持ちいずら!」

「心の闇が晴れていく………!」

 子供のようにはしゃぐ後輩たちに果南は「そんなに?」と戸惑いを漏らしている。

「初めて来た時はあなただって――」

 その時のことは今でもよく覚えている。初めて鞠莉がホテルに招いてくれた日、あまりの豪華絢爛さに幼い果南はバルコニーから一望できる内浦の景色に向かってこんな大声をあげた。

 ――わたし、ここに住む!――

「そうだっけ?」

 恥ずかしさからか、果南はそう言ってそっぽを向いてしまう。その日果南は夕方になっても帰りたくない、と駄々をこねて迎えに来てくれた父に叱られ涙目で帰宅したのだが、そこまでの暴露はしないほうが良いだろう。

「それよりも、ここに来たのは曲を作るためですわよ」

 いつまでもロビーから動こうとしないばかりか、善子に至ってはソファでくつろぎ始めている。1年生たちを引っ張るように鞠莉が居室としているスイートルームへ連れて行くのだが、いざ始めようとしたところでまた横槍が入る。

「お嬢様、ルームサービスをお持ちしました」

 ワゴンを押したホテルのボーイが部屋を訪ねてきて、ワゴンを受け取った鞠莉はソファにかけたダイヤたちのもとへ持ってくる。運ばれてきたルームサービスを見て、また1年生たちが興奮に満ちた眼差しを向けた。

「お待たせ、afternoon teaの時間よ」

 ワゴンで運ばれてきたのは4段のティースタンドだった。1段目の皿にはケーキとサンドイッチ。2段目の皿には紅茶のポットと人数分のカップ。3段目の皿にはフルーツ盛り合わせ。4段目の皿はクッキーとクラッカー。

「超、未来ずら……!」

 友人宅で出されるおやつにしては豪華な品々に後輩たちは釘付けになっている。

「好きなだけ食べてね」

 見た目も華やかなお菓子を食い入るように見つめ、まずはマカロンを手に取る。

「このマカロン、可愛い」

「ほっぺがとろけるずら」

 ルビィと花丸はその味にご満悦だが、善子は手にとったチョコレート色のマカロンをじ、と睨んだまま口にしようとしない。体重が気になるのだろうか。まあスクールアイドルとしては立派な心掛けだが。

「駄目よヨハネ! こんなものに心奪われたら浄化される。浄化されてしまう。堕天使の黒で塗り固められたプライドが――」

 何やら喚きながら葛藤している善子の口に、隙を見て花丸がレモン色のマカロンを放り込む。堕天使のプライドはどこへやら、善子は破顔してソファに倒れ込む。どうやら浄化されてしまったらしい。

「何なんですの?」

 よく分からない茶番が終わったところで、鞠莉が山盛りのマカロンが乗った皿を持って来て、

「ダイヤたちもどうぞ」

 のんびりお茶を啜っている場合じゃないことは理解している。だがダイヤもまだ高校生の少女で、目の前に甘いお菓子を差し出されて無視できるほど大人じゃない。しかもホテルオハラで提供されるお菓子。一級品なのは間違いない。

 ひとつだけなら、とダイヤは果南と共にマカロンを口に運んだ。甘いだけじゃない、素材の味まで奥深く生地の滑らかさが舌を喜ばせる。そうなると紅茶が欲しくなって、アールグレイの柑橘系の香りで口直しすると今度は抹茶味のロールケーキに手をつける。

 しばらくすると、今度はチョコレートでコーティングされたポップコーンが運ばれてきた。これを善子と花丸が見逃すはずもなく、

「このチョコ味がまた堪らないのよね」

「堪らないずらあ」

 と両手いっぱいになるまで掴んで頬張る。ホテルなだけあって映画配信サービスも充実していて、ルビィは数多いラインナップから吟味した映画を楽しんでいた。画面の中で長い髪の女性がラクダに乗った砂漠の民族と何やら取引をしている。タイトルは『ハーモニー』というらしい。

「ところで、わたくし達何しに来たんでしたっけ?」

 

 






 人は主の現身(うつしみ)である
 人は主の寵愛を受けるものである
 故にエルは人を殺してはならない
 マラークは人を殺してはならない
 そして人も人を殺してはならない

             創世記外典
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