ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第16章 虹 / 呼び逢う魂
第1話


 

   1

 

「えええええええええ⁉」

 スマートフォンで通話する鞠莉の甲高い声が、朝陽の下にこだまする。こんな朝早くに誰からだろう、と曜が疑問に思っていたところで、果南が「今度は何?」と訊く。

「良い知らせではなさそうですわね」

 沈んだ彼女の表情から察してか、ダイヤがやや諦め気味に促す。まさか今度こそ学校説明会中止、と身構えているなか、鞠莉は告げる。

「実は、学校説明会が1週間延期になる、て………」

 ひとまず中止にならなかったことは安堵すべきだが、喜んでいられるものでもない。鞠莉は更に続ける。

「雨の影響で道路の復旧に時間が掛かるので、1週間後にした方が良い、と」

「確かにその考えは分かるけど………」

 と梨子が理解したいのかそうでないのか煮え切らない想いを口に出す。

「でもよりによって………」

 曜は続きを口にするのに逡巡した。事情は理解できる。昨晩の雨は川の増水や土砂崩れ警報が出るほどで、道路が冠水した地区も出た、とネットニュースに掲載されていたほどだ。でも、いくら天災とはいえ間が悪すぎる。よりにもよってこんな時期に。

「どうしたの皆?」

 重苦しい雰囲気のなかで、屋根の縁まで歩いた千歌が能天気に言う。

「その分もっと良いパフォーマンスになるよう頑張ればいいじゃん」

 そんなリーダーの言葉を受けた面々を見ると、一様に皆が呆れを顔に出している。鞠莉だけは申し訳なさそうに、負う必要のない責任で表情を沈ませている。

「どうやら状況が分かってないようですわね」

 ダイヤが溜め息交じりに言った。曜の隣で梨子は額に手を当てている。千歌ちゃんのうっかりさに何とも思わなくなったのは長い付き合いのせいかな、と曜は苦笑する。

「問題です」

 と曜が教師気取りに言うと、千歌は疑問符を浮かべた顔を振り向かせる。

「ラブライブの予備予選が行われるのは?」

「学校説明会の次の日曜でしょ?」

 一応、日付は把握しているらしい。ここで気付いても良いのだが、未だ気付けない千歌を見かねてか梨子が「ですが――」と引き継ぐ。

「そんなとき、その説明会が1週延びる、という知らせが届きました。ラブライブ予備予選の開催日は変わりません。ふたつが開かれるのはさて、いつでしょう?」

 「そんなの簡単だよ」と千歌は得意げに腕を組む。一瞬遅れてその目が大きく見開かれたことから、ようやく事に気付いたらしい。

「ちょっと、うるさいわよ!」

「千歌ちゃん、朝ご飯できてるよ。皆の分もあるから一緒に――」

 と美渡と翔一、更にしいたけが出てきたのだが、驚きのあまり足を滑らせた千歌が屋根から落ちてしまう。幸いというべきか、落下地点にいた美渡としいたけがクッションになってくれたお陰で怪我はない。咄嗟に避けて無事だった翔一が「大丈夫?」と声をかけるが、千歌にはそれどころじゃなかった。

「同じ日曜だ!」

 

 清水町と富士市で発生した変死事件は誠も知っているが、捜査チームには加えられていない。それぞれの現場は距離があるものの死因が同じと断定され、殺人事件としたら同一人物による犯行と見られている。だが、不確定要素が多すぎてアンノウンによる犯行とも明確化できていないのが現状だ。だから捜査も不可能犯罪捜査本部ではなく、捜査一課で編成された小規模な操作本部に回されていた。

「北條さんが?」

 休憩所で缶コーヒーを飲んでひと息ついていた誠にその話を切り出した河野は「ああ」と頷き、

「熱心に調べていてな。被害者の高島雅英(たかしままさひで)橘純(たちばなじゅん)は同じアンノウンに殺された、て目星を付けてるらしい」

 差し出された捜査資料のファイルを開き、被害者たちのプロファイルを確認する。ふたりとも検死報告での死因は心臓麻痺になっている。これだけ見れば不幸な突然死としか言いようがなく、事件性は感じられない。それに、誠が不可能犯罪において着目している事項欄には、特記すべきものがなく白紙になっている。

「このふたりに血縁関係は?」

「無いな。全くの赤の他人だ。でもまあ、複数のアンノウンが活動してる、てことも考えられるしなあ」

 河野は缶コーヒーを啜り、

「でも北條は別の理由があるのかもしれない、て言ってるんだ。お前の言うアンノウンは超能力者とその親族を狙う、ていうのとは別の見方をあいつは探ってるみたいなんだ」

「それは、どういうことです?」

「さあな、俺にもよく分からん。あいつは今までの被害者の経歴を調べるみたいだ。何でもそれが、高海伸幸の事件に繋がるみたいでな」

 高海伸幸はアンノウンに殺されたという誠の推理を、北條は支持しているというのか。あの北條がそんな素直だとは思えない。誠の推理とは別の切り口があって、高海伸幸がアンノウン絡みの事件で死に至ったことを、北條は探して求めているのかもしれない。

 でも、と誠は思ってしまう。もし高海伸幸殺害の真相が分かったとしても、残された高海家の親族は報われるだろうか。悲しみを経ても穏やかな生活を取り戻していて、末妹の千歌は夢に向かって邁進している。そんな彼女たちに過去の悲しみをぶり返させてしまうことが、果たして正義と言えるのか。

 はあ、と深く溜め息をつき、誠はコーヒーを啜る。一体何を迷っているんだ。目の前に真相があるのなら、がむしゃらにでも食らいついていくのが刑事としてあるべき姿だろう。もし北條の捜査で犯人が人間と分かれば、逮捕して裁判にかけて断罪することができる。それが最善のはずだ。遺族にとっても。

 

 

   2

 

 キャベツの千切りで指を切ったことなんて、初めてかもしれない。ここ2年間より以前の記憶はないが、そんなことを思いながら翔一は血の滴る指を眺める。

「あら大変」

 しばらくぼう、としていると、翔一の血に気付いた志満が薬箱を持って来て指に絆創膏を貼ってくれた。

「珍しいわね翔一君」

 心配そうに顔を覗き込んでくる志満に「そうですか? こんな時もありますよ」といつもと同じか分からない笑顔ではぐらかす。

「今朝もお味噌汁の味が少し変だったし、具合でも悪いんじゃない?」

 そう、翔一は朝食でもミスをした。味噌汁の出汁を取り忘れるという、初歩的なミス。ただ味噌を溶かしただけで、全く深みのない味にAqoursの皆は顔をしかめていた。玉子焼きも塩と砂糖を間違えて、甘い玉子焼きが好きな美渡から塩辛い出来に文句を言われた。実を言うと翔一自身、指摘されるまで自分が何を作っていたのか全く覚えていない。キャベツの千切りをしていたことも、指を切って初めて気付いたほどに。

 原因は分かっている。昨日の「あれ」を見たせいだ。眼鏡をかけた女性の背後から出てきたアンノウン。あれを見て根拠のない恐怖で全身が凍り付くような寒気に襲われた。何故だろう。アギトとして戦っているときは、敵に対して恐怖なんて抱いたことはなかったのに。こうして戦いから離れていても、何故かあれのことが頭から離れない。

「翔一君?」

 志満から呼ばれ我に返る。またぼう、としていたみたいだ。

「何ですか?」

「千歌ちゃんがまたお弁当忘れちゃったみたいなんだけど、私が届けに行くわ。翔一君は休んでて」

「いや、大丈夫ですって。俺行きますよ」

「え、でも………」

「いいからいいから」

 と志満の手から千歌の弁当箱を取って足早に玄関で向かう。気のせいだ。あまりにも強そうだったから動揺しただけ。

 内浦湾沿いの県道をバイクで走る翔一は、ただ運転に集中した。雑念を振り切り、夕食の献立すら考えず、バイクのハンドルをきつく握りしめる。

 弁天社の脇道を通り過ぎようとしたとき、車道の真ん中に立つ人影に気付き翔一はバイクを停めた。向こうも翔一に気付いているはずなのだが、むしろ翔一だからこそだろうか、車道から退く気配もない。眼鏡のレンズ越しに見つめてくる双眸は一切の感情を想起させず、虚ろで冷たい眼差しを送っている。

 ただの人間。そのはずなのに、何でこんなにも息が粗くなっているのか分からない。どうしてこんなに体が震えて、背中に冷や汗が伝うのかが分からない。昨日と同じだ。全く同じ恐怖が裡を駆け回っている。

 やがて、女の背後で「それ」は姿を現す。昨日は蜃気楼のように朧気だったのに、今は明確にその姿を捉えることができる。

「誰なのあなたは………!」

 女の顔に人間味が戻った。苦しそうに顔をしかめ、

「あたしの体を返して……!」

 背後に浮かぶ「それ」は冷たい声で空気を震わせる。

「もう、お前に用はない」

 女は両手で顔を覆った。眼鏡が顔から落ち、頬も目蓋も関係なく掻きむしる。爪を立てたせいで血が滲むが、それでも構わず裡に抱えるものを引き剥がそうとばかりに掻き続ける。

 血に塗れた顔面を強張らせ、女は目を見張る。震える唇も爪で引っ掻いたせいで出血していた。

「そんな……あたしがふたりを………?」

 一体何の告解なのか、翔一には分からない。女は「ごめんなさい」とうわ言のように呟きながら、目尻から流れる涙を頬の血と混ぜ合わせる。何度目かの「ごめんなさい」を告げて、女の体が崩れるように倒れた。雨も降っていないのにその全身は濡れていて、その傍らに、影でしかなかった異形の存在がこつ、と足音を立てて降り立つ。

 それは骸になった女と同じく、全身を濡らし指先から水を絶えず滴らせている。背中から鳥に似た翼が生えているが、果たしてこんなに濡れて空へ羽ばたけるだろうか。大きく見開かれた両眼は微生物にまみれた水のように濁っていた。

 今まで出会ってきたアンノウンとは違う。まるで聖霊(エルロード)のようだ。神から海を自身の領として承ったかのような、まさに水のエルとも呼ぶべき存在。

 翔一はハンドルを切ってバイクをターンさせた。ホイールの摩擦音を響かせながら、アクセルをフルスロットルで捻りエンジンを高速駆動させる。

 逃げなきゃ。

 その本能に近いもので、翔一はバイクを走らせる。

 あれと戦ってはいけない。

 戦っても、絶対に勝つことはできない。

 

 部室のテーブルに広げられた伊豆半島の地図を、メンバー全員で食い入るように見つめる。果南の指が伊豆市のある1点を指し示し、

「ここが、ラブライブ予備予選が行われる会場」

 「山の中じゃない」と善子が不満げに言う。会場として使用されるのは、伊豆市の市営体育館。お世辞にも街中とはいえない、かなり辺鄙な地区。ステージ上のパフォーマンスはインターネット上でも中継されて、それにまだ予備予選だから会場へのアクセスはあまり重要視されない傾向にあるらしい。

「今回はここで特設ステージを作って行われることになったのですわ」

 先日の大雨は駿河湾沿岸部の局地的なもので、伊豆半島のほぼ中心に位置するこの地区への影響は無かったという。予備予選の日程変更がなかったのもそのためだろう。学校説明会の会場は勿論浦の星女学院。縮小された地図上のなかで、直線でもかなりの距離が見て取れる。しかも間には山々が連なっている山稜地帯。

「学校の方角までのバスとか電車は?」

 曜が訊いた。果南は苦い顔で「通ってないね」とかぶりを振る。

「じゃあそっちに向けて、電車を乗り継いで――」

 と梨子が代案を出してみるものの、生憎こんな地方では交通機関は充実しているとは言い難い。電車もバスも1時間に1本だけなんてものは珍しくもないから、地元民は必然的に車での移動が多くなる。当然、高校生のAqoursで運転免許を持っているメンバーなんていない。

「ごちゃごちゃごちゃしてきましたわ!」

 ダイヤが頭を抱えた。追い打ちをかけるように「到底、間に合いマセーン」と鞠莉が呟く。

「空でも飛ばなきゃ無理ずらね」

 花丸が叶いもしないことを言うのだが、それを聞いた善子は「フフフ」と不敵に笑い、

「ならば、この堕天使の翼で!」

 更に現実離れしたことだが善子に関してはいつもの事なので、

「おお、その手があった」

「堕天使ヨハネの翼で大空から会場入りずら」

 とルビィと花丸は突っ込むのも面倒臭いのか表面上の同意を示す。調子を狂わされた善子は慌てて、

「嘘よ嘘! 常識で考えなさい!」

 「そうずら?」「ふーん」と適当に受け流されたことが腹立たしいのか、ふたりの首に腕を回し絞め技をかける。

「あんた達わざとやってるでしょ!」

 もう何やってるんだか、と呆れると同時、千歌は閃く。

「そうだよ! 空だよ!」

 ヘリコプターを使えば一気に移動できる。空なら交通渋滞もない。ステージを歌ってすぐにプロペラを回すヘリへ飛び乗り、呆気に取られた人々へ颯爽と。

 ――じゃあ皆、次の会場が待っているので――

「恰好いい……」

「スーパースターですわ!」

 善子とダイヤはその光景を想像してか目を輝かせる。ヘリのローターが起こす強風のなかステージに降り立つ。まさに天から降りてきた堕天使。スーパースター。

 ヘリだって現実的じゃないが、心配はご無用。Aqoursにはその方面で強い味方がいる。

「というわけで、鞠莉ちゃん!」

「Oh! さすがチカっち。その手がありまシタ! すぐヘリを手配して――、と言えると思う?」

「駄目なの?」

「Off course! パパには自力で入学希望者を100人集めると言ったのよ。今更力貸してなんて言えマセーン!」

 そこで鞠莉は千歌の眼前まで迫らせていた顔を離し、

「とにかく! All or nothingだとお考えください!」

 「駄目か……」と肩を落とす。小原家の財力をかなり頼りにしていただけ尚更に。

「空が駄目なら海は?」

 とルビィが言う。「船ですわね」とダイヤが船舶を持っているメンバーへ期待の眼差しを向けるのだが、向けられたほうの果南はぴしゃりと、

「うちは駄目だよ。日曜仕事だし」

 ならば、と千歌は曜へと向き、

「じゃあ曜ちゃんは?」

「わたし?」

「そう! 曜ちゃんのお父さんの船で!」

 空路が駄目なら海路。海だって交通渋滞はないのだから余裕を持ち、かつ一気に会場へ行ける。会場までの航路、豪華客船の甲板でゆっくり水着でも着てクルージングを楽しむのも良し。想像してみよう。全速全身ヨーソロー! という曜の号令の下に航海へ乗り出し、パラセーリングで海風を楽しむ梨子の姿を。

 ――見て! 今わたし、水色の風になってるの! つかまえてね――

「てわたしのその恥ずかしい台詞は何⁉」

 と見事に本人から突っ込まれた。

「そもそも、パパの船そんなんじゃないし」

 聞けば、曜の父が船長を務めるのは小さなフェリーボートだとか。それに父の個人所有ではなく会社のものだから貸し出しはできないとのこと。

「これも駄目か………」

 空路も航路も駄目。そもそも考えてみたら、予備予選の会場は半島の内陸なのだから船なんて出せない。そうなると手段は陸路しかなくなる。

 「常識的に考えて――」とダイヤが真面目な考えを述べる。

「説明会とラブライブ予選。ふたつのステージを間に合わせる方法はひとつだけ。予備予選出場番号1番で歌った後、すぐであればバスがありますわ。それに乗れれば、ぎりぎりですが、説明会には間に合います」

 「本当?」と千歌が訊くとダイヤは首肯し、

「ただし、そのバスに乗れないと次は3時間後。つまり、予備予選で歌うのは1番でなければいけません」

 順番とはどうやって決めるのか。それを訊こうとしたとき、千歌のスマートフォンが着信音を鳴らす。「ちょっとごめん」と部室を出て端末の画面を見ると、志満からだった。

「もしもし志満姉?」

『千歌ちゃん、いま大丈夫?』

「うん、どうしたの?」

『翔一君のことなんだけど、何だか様子がおかしいの。千歌ちゃん何か知らない?』

 「ええ、翔一君が?」と千歌は口を半開きにしながら尋ねる。

「おかしい、てどんな?」

『さっき千歌ちゃんのお弁当届けに行ったんだけど、途中で引き返してきたみたいなの。何か落ち込んでるみたいで、何を訊いてもすみません、としか言わなくて………』

 確かに何かおかしい、と千歌も今朝から違和感を覚えていた。朝食の味噌汁は味が薄かったし、玉子焼きはいつも甘いのに今日のは塩辛かった。弁当も流石にこちらから届けを頼むのも悪いので今日の昼食は購買のパンで済ませたが、いつもなら忘れても翔一が届けに来てくれていたのに。

 何かあったとしたら、やはりアンノウン絡みか。それとも、1度思い出して忘れてしまった記憶がまた戻ったのか。とはいっても、翔一がそれくらいのことで落ち込むだろうか。あの記憶を取り戻しても変わらなかった翔一が。畑の野菜が全滅でもしない限り落ち込みそうにない翔一が。

「分かった、帰ったらわたしからも訊いてみるね」

 通話を切ると、背後から「チカっち」といつからそこにいたのか鞠莉から声をかけられる。

「翔一と、話をさせてもらってもいい?」

 

 

   3

 

 放課後練習の帰りに立ち寄った十千万に、翔一は姿を現さない。千歌曰く、いつも帰ったら真っ先に「お帰り」と出迎えてくれるらしいのだが。

「もしかしたら」

 と千歌は鞠莉を旅館の裏手へと案内してくれる。裏手にはたくさんの苗が植えられていて、青々としたなかでトマトやトウモロコシ、キュウリといった野菜が大きな実をつけている。翔一が育てたのだろうか。緑の茂るなか、翔一はトマトの実った苗の前で小さくうずくまっていた。まるで苗の中に隠れているみたい、と鞠莉は思った。

「翔一くん」

「翔一?」

 千歌と鞠莉が声をかけても、翔一は無反応のままこちらに背を向けている。

「やっぱりここにいたんだ。翔一くん、何かあると必ずここに来るよね」

 千歌の声はとても優しいものだったが、それでも翔一は無言を貫く。じれったくなり、鞠莉は唐突なのも構わず質問を向ける。

「ねえ翔一、真澄のこと知らない? 連絡が取れないの」

 そこで翔一はようやく「あの眼鏡を掛けた人?」と口を開いてくれた。「Yes」と答えると、翔一は背を向けたまま弱々しく言う。

「………多分、死んだと思う」

 全身が凍り付くような錯覚を覚える。同時に行き先のない悲しみと虚しさも込み上げてくる。正直、真澄のことはあまり好きになれなかった。いつも悲観してばかりで、その癖他人に依存してばかりで。あかつき号の仲間が次々に死んでいくと、その性分はどんどん加速していった。それでも鞠莉にとってはあの船での恐怖を共に乗り越えようとした仲間には違いないし、果南とダイヤへの沈黙も承諾してくれた。あれでも鞠莉たちを気に掛けてくれる大人だったのに。

「助けることは、できなかったの?」

 理不尽な質問を恐る恐る告げる。翔一は消え入りそうに、

「うん、俺逃げたから」

「翔一くんが逃げた?」

 千歌の口ぶりは信じられない、というようだった。鞠莉から見ても、翔一が敵から逃げるなんて考え難い。アギトとしての力を持った彼は怖いもの知らずに、どんな敵にも果敢に立ち向かう英雄的アイコンに映るだろう。でも鞠莉は理解できる。いくら記憶を失っていても、翔一の奥深くには真澄に潜んでいた「あれ」への恐怖が刻まれていることを。

「俺、あいつと前に会ったような気がするんだ」

 それが気のせいではないことを、鞠莉は知っている。翔一はあの存在と過去に遭遇した。できることなら、その恐怖すらも忘却してほしかった。そうすれば翔一はいつものように、アギトとして勇敢に戦い、あれを倒してくれたかもしれない。

 翔一は言う。とても弱々しく。

「俺はきっとあいつには勝てない。戦ったら俺は………。そう思ったら色々考えちゃってさ。何で俺がアギトなんだろう………」

 翔一の忘れているものを覚えている鞠莉にも、その問いは答えられるものじゃなかった。あの船にいた人々のなかで、どうして翔一「だけ」がより強い力を持ってしまったのか。

「あいつはきっとまた俺を狙ってくる。俺がアギトだから。何で俺アギトなのかな……。アギトを辞めることって、できないのかな………」

 それは無理よ、と鞠莉は裡で断言する。逃げられないのは翔一だけじゃなく鞠莉も同じ。あの船に乗っていた者は、背負わされた「アギト」という運命から逃れることはできない。

 たとえ背負わされた出来事を忘れてしまっても、運命はしつこく地の果てまでも追いかけてくるのだから。

 






 主は仰せられた
 それは始まりを終わらせるもの
 それは終わりを始めるもの
 それはアルファでありオメガである
 即ちそれはAGITΩである

             戦いの書
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