ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
「――て訳なんだ」
ドルフィンハウスに訪れた千歌はラウンジの椅子で俯きながら翔一の事を語った。隣の椅子につく鞠莉は無言のまま果南に目配せをしてきて、果たしてそれがテレパシーめいた力によるものかは分からないが、果南はすぐに「あの存在」と悟った。
「そっか………」
それだけ返すと、話ついでに届けられた回覧板を店のカウンターに置いて、オレンジジュースを入れたグラスを手に戻る。「はい」とテーブルに置いても、千歌は好物のはずなのにジュースに手を付けようとしない。
「ねえ、ふたりとも何か知らないかな? 翔一くん、戦いに行くことはよくあるんだけど、でもいつもの翔一くんのままで帰って来て………。たまに落ち込んでるときもあったけど、あんなに怖がってるの初めて見たから、わたし何て言ってあげたら良かったのかな、て………」
千歌が話している間、隣で鞠莉はスマートフォンをいじっていた。ちゃんと聞いてあげなよ、と注意しようとしたところで、果南のポケットの中でスマートフォンがバイブレーションを震わせる。ちらり、と画面を見るとメール着信で、発信元は目の前にいる鞠莉。俯いている千歌に悟られないようこっそりメールを開くと、短く1文だけが綴られている。
――あいつに真澄が殺されたみたい――
息を呑みながら鞠莉に視線を向ける。鞠莉は何とも言えないように表情を曇らせている。同時にショックを和らげるための無意識的なものなのか、あの人真澄っていうんだ、なんて間の抜けたことを考えてしまう。
「チカっちは翔一のことが大好きなのね」
こちらの不安を悟られないためか、鞠莉がからかうように言う。「うん、大好きだよ」と千歌は俯いたままだが答える。その即答ぶりに「え……?」と鞠莉は狼狽した。もっとも、ふたりの言う「大好き」は解釈が違うと果南にはすぐに分かったのだが。さしずめ鞠莉は恋愛感情のことを訊いたのだろうが、千歌が答えたのは親愛や家族愛のようなもの。父親を失った後になって高海家に迎えられた翔一は千歌にとって兄と同時に、父親代わりにもなっていたのかもしれない。
何か思いついたのか、鞠莉が果南へ視線を送り、
「ねえ果南、彼に連絡できない?」
「彼?」
「わたし達を助けに来てくれた人よ。確か名前は――」
久しぶりに戻ってきたアパートの部屋はすっかり埃を被っていた。あまり物は置いていないから、掃除に手が掛からなかっただけまだ良かったが。
部屋に一通り掃除機をかけてからベッドに腰掛け水を飲んでいると、机に置いたスマートフォンが着信音を鳴らす。何かのセールスか、と思った。涼に連絡を寄越す友人も親族もいないのだから。
何気なく画面を見ると、発信元の松浦果南という名前が表示されている。そういえば連絡先消してなかったな、と自身の粘着ぶりに呆れながら、着信音を鳴らし続ける端末に無視を決め込みベッドに戻る。何の用かは知らないが、彼女と接触するつもりはない。彼女を想うからこそ涼が付けたけじめとして。
ようやく着信音が止んだ。早いところアドレスを消してしまおう、と端末に手を伸ばしたところで、留守電に切り替わったのか果南の声がスピーカーから聞こえてくる。彼女の声は聞き慣れた明るいものではなく、どこか他人行儀でたどたどしいものだった。
「涼、会ってほしい子がいるんだけど良いかな? 千歌っていう、わたしの友達なんだけど――」
千歌。その名前を聞いて、涼はまだ留守電中の端末を手に取った。
2
淡島への連絡船乗り場までバイクを走らせると、埠頭で果南と、その友人らしき少女ふたりが待っていた。
「涼……」
ヘルメットを脱ぐと、歩み寄ってきた果南をしばらくの間無言で視線を交わす。こうして彼女の顔をまじまじと近くで見つめるのはいつ振りだろうか。最後に言葉を交わしてからそう月日は経っていないはずだが、酷く懐かしく感じられる。
果南は何か言いたげだったのだが、後ろにいる友人たちに笑顔を向ける。
「紹介するね、この人が葦原涼。涼、こっちが小原鞠莉」
「Ciao」と金髪の日本人離れした顔立ちの少女が手を振る。以前、果南から話は聞いたことがある。確かホテルオハラの令嬢で、よく果南とダイヤという友人をからかっては面白がるとか。
「それで、こっちが電話で話した高海千歌」
彼女が、と涼は千歌の顔を眺める。あの屋敷の主人が言っていた、自身を蘇らせるよう進言してくれた恩人。
「こんにちは」と千歌は少し緊張した面持ちで軽く会釈した。どこかで見たような顔だ、と思ってすぐに当てはまる記憶を見つけ出す。そうだ、津上翔一という男の家で厄介になっていた時、抑えきれない力で危うく襲いかけた少女だ。あの時、彼女が涼の存在に気付かず本当に良かった。対面していたらこの再会はきっと警戒心を露にされる。
「あの……」と千歌は涼を見上げながら恐る恐る、
「あなたも、変身するんですよね?」
全身が硬直し、つい鋭く千歌を睨みつけてしまう。「あ、ごめんなさい。えっと……」と千歌は慌てて両手を振る。「いや……」と何とか応じながら、涼は果南へと向き、
「話したのか?」
「ううん。涼が眠っていたお屋敷の人からね。わたし達全員知っているけど、誰も涼のこと怖がったりしないよ」
目の前で怖がっている千歌を見てそれが言えるのか、と突っ込みたい。でもそれは「そうそう」という鞠莉の声で阻止される。
「むしろあなたがいてくれてわたし達助かってるんだから、あんまり気にしないでくだサーイ」
そう明るく言ってのける鞠莉は涼の顔をにやつきながら覗き込んでくる。
「………何だ?」
「果南てこういうwildな人がタイプなんだなあ、と思って」
「ちょ、鞠莉!」
と耳まで赤くした果南が鞠莉を睨みつけるが、すぐにそっぽを向いて、
「とにかく、早く千歌の家行きなよ。ヘルメット持って来てるよね」
「ああ」とリアシートに括りつけておいたヘルメットを外すと、ひったくるように奪った果南が千歌の頭に被せる。「ほら千歌乗って」と促されるまま、千歌はリアシートに腰を落ち着けた。涼もシートに跨り、エンジンをかけてアイドリングしながら千歌に尋ねる。
「家、どこだ?」
「あっちです。真っ直ぐ行けばすぐ着きますよ」
千歌の指さす方角へとハンドルを切り、バイクを走らせる。後方から「Ciao!」という鞠莉の声が聞こえたが、すぐに小さくなっていった。
「それで、俺は何をすれば良いんだ?」
呼ばれた用件を聞いていなかったことに今更になって気付き、尋ねる。
「翔一くんていう、わたしの家で暮らしている人がアンノウンに狙われているみたいで、葦原さんに守ってほしくて」
「アンノウン………。あの化け物はそんな名前なのか」
「警察の人はそう呼んでいるみたいですけど………」
アンノウン。確か誰も知らない、とか正体不明、という意味だった気がする。成程、確かにあんな怪物は誰も知らなかっただろう。確かあの男は、アンノウン達はアギトになる可能性を持つ者を抹殺している、と言っていた。憎んでいた者と同じになるかもしれない人間を守るのは複雑だが、そんな涼の矮小な憎しみは関係ないことだ。それに、涼の力だってアギトと同じなのだから。
「あ、あそこです」
千歌の言う通り、彼女の家にはすぐに着いた。厄介になっていたことがあるから、その旅館は朧気ながらも覚えている。
涼が路肩にバイクを停めると同時、旅館の門から青年がレーサータイプのバイクを押して出てくるところだった。
「翔一くん!」
リアシートから降りた千歌が、青年に駆け寄りその進路を阻む。
「千歌ちゃん………」
「何その荷物? どこに行くの?」
青年のバイクには、旅行でも行けそうなほど大きく膨らんだバッグが括りつけられている。名前を聞いてまさか、と思ったが、その顔は紛れもなく行き倒れていた涼を介抱してくれた青年だった。
あの時の笑顔の面影はまるでなく、強張らせた表情で逡巡を挟み翔一は答える。
「………きっとまたあいつは俺を狙ってくる。ここにいちゃ皆に迷惑が掛かるかもしれない」
バイクに跨る翔一に、涼はヘルメット脱いだ顔を見せる。
「津上翔一だったな」
涼の顔を見た翔一は驚きに目を見開き、
「葦原さん! どうして葦原さんが?」
「わたしがお願いしたの」と千歌が答えた。
「翔一くんを守ってくれるように、て」
「葦原さんが、俺を?」
翔一は怪訝な目で涼を見つめる。確かに、突然訪問してきて自分を守る、なんて言われれば戸惑うのも仕方ない。
「彼女には借りがある。借りは返さないとな」
千歌だけじゃない。翔一にだってしばらくの間世話になった。あの時の恩返しに、この護衛は丁度いい。でも翔一はかぶりを振り、
「やめてくださいよ。葦原さんには関係ありませんから。大体無理ですよ俺を守るなんて」
「失礼します」と翔一はヘルメットを被り、エンジンをかけるとアイドリングもせず逃げるようにバイクを走らせる。「翔一くん!」と千歌がその背中に叫ぶも、当然のごとく翔一はバイクを停めない。涼は急ぎバイクのハンドルを切り、翔一の後を追う。
沼津市街方面への沿岸道を、涼は翔一に食らいつくように走っていく。翔一は走り屋気質ではないらしく、しっかり法定速度を守っているお陰で追跡は容易いものだった。
水産試験場の脇を通り過ぎようとしたとき、建物の陰から飛び出してきた者の奇襲によって翔一はバイクから引きずり落とされる。運転手を失ったバイクは路面で車体を削られながら横転し、地面を転がった翔一は大した怪我はないのかすぐさま立ち上がり突如現れた襲撃者へ目を向ける。
その襲撃者は先日涼が仕留めそこなった、千歌がアンノウンと呼んでいた怪物。バイクを急停止させた涼はすぐに翔一の救出へ踏み込もうとしたのだが、目の前の光景に逡巡した。
いきなり現れた異形の存在に、翔一は怯えも逃げもしない。剣を手にしている襲撃者をき、と睨みながら間合いを保っている。どういうことだ。彼はアンノウンに怯えているんじゃなかったのか。
その涼の疑問は、翔一自身によって晴らされる。
翔一の腹に光が灯った。光は渦を巻き、やがてベルトのような形を作り彼の腰に巻き付く。
「変身!」
翔一の力強い声に呼応したかのように、ベルトのバックルから放たれた光が視界を塗り潰した。すぐに光が晴れると、翔一のいた場所には金色の鎧を纏った戦士が立っている。果南を襲った、あの憎き戦士が。
「何……⁉」
涼はその姿に、絶句しながらも目を逸らすことなく凝視する。
アンノウンはアギトになろうとする者を狙っている。あのアンノウンが、翔一の裡にあるアギトの力を察知して襲い掛かってきたのは間違いない。でも、涼はひとつだけ勘違いをしていた。
翔一は既にアギトとしての力を開花させていた。涼と同じく、アンノウンと戦えるほどにまで。
アンノウンは手にした剣を振り回すが、バックステップを踏みながら間合いを保つ翔一に剣先が届くことはない。両者は1度動きを止め、ゆっくりとした歩幅で互いの攻撃を探り合っている。
先に動いたのはアンノウン。剣を突き出すと同時、翔一は剣先を紙一重で避けつつ一気に距離を詰め、武器を握る敵の手首を足で払う。からん、と軽い音を立てて、剣がアンノウンの手から零れた。狼狽した様子の顔面に拳を打ち付け、下から渾身の拳を敵の顎に突き上げる。
思い切り殴り飛ばされた敵は、怒りの呻き声を上げながらも果敢に立ち上がろうとする。だがその時には、翔一の額から伸びた角が開いていた。傍から見ている涼にも、その溢れ出す力は感じ取れた。足元に浮かぶ金色の紋章が、翔一の足へと収束していく。神秘のエネルギーを纏い、翔一は敵の胸へ渾身のキックを叩き込んだ。
蹴り飛ばされたアンノウンの頭上に光輪が浮かぶ。身を悶えさせたアンノウンが助けを求めるかのように腕を伸ばした瞬間、その肉体が内部から爆散し木端微塵に吹き飛んでいく。
涼は変身した翔一の姿をじ、と見続ける。ひとまずの戦いを終えた翔一もまた、大きく見開かれた赤い目を涼へ向ける。でもすぐに、赤い両眼は明後日の方向へと逸らされた。涼も自然と同じ方を向く。今まで感じた事のない、冷たい戦慄を覚えながら。
ふたりの視線の先から、また異形の存在が歩いてくる。全身が濡れているのかてらついていて、顔面の大きなふたつの両眼は色こそ違うもののアギトと、そしてギルスに変身した涼によく似ている。アンノウンと似た気配だが、これまでのものとは感じる「圧」が桁違いだ。
ぴちゃ、と水を滴らせながら、上位らしきアンノウンが歩いてくる。
「アギト……」
大きく裂けた口から、とても冷たい声が発せられる。
「お前は1度死んだはずだ。この私の手で」
喋った、と涼はアンノウンを凝視する。奴らは人間の言葉を理解できるのか。何て異様な光景だ。明らか人でないものが人の言葉を話すだなんて。
ふと、翔一の体が小刻みに震えているように見える。その場が1歩も動けず、視線を敵に逸らすこともできず、また敵と分かっていても向かっていくこともできない。
アンノウンの掌が、翔一に向けてかざされる。瞬間、その手から水流が勢いよく吹き出した。まるでクジラの潮吹きを至近距離で浴びたかのように、翔一の体は容易く吹き飛ばされる。地面を転がりながら光を放った体から、黄金の鎧が消えた。人間の姿に戻った翔一に、慈悲なんて与える余地なくアンノウンは手に持った長い錫杖を構えながら歩み寄ってくる。
両者の間に、涼が割って入る。
「変身!」
涼の裡にある力が、涼の体を不完全なアギト、ギルスに変貌させる。
「葦原さん……、何で葦原さんが………」
後ろから翔一の震えた声が聞こえたが、今は応えている猶予はない。「ウオオオオアアアアアアッ」と咆哮しながらアンノウンへ跳びかかるが、爪が達する前に錫杖であっけなく叩き落とされてしまう。間髪入れず、クジラの尾びれのような形をした錫杖の先端を首にかけられる。その先端は鈍く光る刃になっていて、ほんのひと捻りでも涼の首なんて容易く切断できてしまいそうだ。そうはさせまい、と刃を掴んで抑え込んだが、敵も想定内らしく錫杖を振り涼の体を投げ飛ばす。
げほ、と咳き込みながら涼は悟る。おそらく千歌が翔一を守ってほしい、と頼んだアンノウンは奴だ。それなりの場数は踏んできたというのに、涼が手も足も出ないほどの強さ。ここで戦っても、返り討ちに逢うのは目に見えている。
「着いてこい!」
翔一にそれだけ告げると、涼はバイクへと走る。翔一もようやく起き上がり、倒れた自身のバイクを起こした。
沿岸道を法定速度なんて無視して走っていく。ちらり、と後方を見やると翔一はしっかりと着いてきていた。アンノウンの気配は遠のいていく。どうやら追ってくるつもりはないらしい。いつでも殺せるという余裕なのだろうか。それとも、涼と翔一以外にも狙っている人間がいるのか。様々な憶測が脳裏に飛び交うが、まずはできるだけあの存在から離れることが先決だろう。
敵の気配を完全に感じなくなったところで、涼は変身を解く。バイクも元の姿に戻り、エンジンからも獣の呻きが消えて機械的な駆動音になる。
沼津港でバイクを停めると、それぞれの愛車から降りたふたりは少し距離を置いて視線を交わす。翔一からは戸惑いを感じ、涼の方からはあの時から沸々と滾らせていた憎しみの視線を送る。彼へ近付いていくにつれて感情が抑えきれなくなり、触れられる距離になると乱暴に胸倉を掴む。
「何故だ! 何故果南を襲った!」
「俺が果南ちゃんを?」
翔一はしばらく目を泳がせていたが、すぐに得心がいったように涼の目をしっかりと見据える。
「そうか、葦原さんそれで俺のことを……」
「答えろ!」
「違いますよ! 俺が果南ちゃんを襲うはずないじゃないですか! 果南ちゃんはアンノウンに襲われたんです。何とか助けることはできましたけど、あと少しでも遅かったら――」
翔一は悔しそうに口を結んだ。下手な嘘で取り繕うものなら問答無用で鉄拳を加えつもりで、場合によってはここで彼を手にかけることも考えていた。でも自然と涼の腕に込めていた力が抜けていき、胸倉から手を離す。
「信じて、くれますか………?」
「お前がアギトだとは思わなかったからな」
介抱してくれた時の朗らかな姿が、実際に拳を交えたアギトに結びつかなかった。失礼ながら、翔一はとても戦えるような男に見えない。
「お前に人は襲えない。それは俺にだって分かる」
むしろ、自分が守るべきだった果南を代わりに守ってくれたのだから感謝すべきだろう。それなのに今まであらぬ誤解で憎しみを募らせていたなんて、間抜けにも程がある。あの時の怒りが、そんな自分に向きそうだ。でも、と涼は今となっては不毛な別の可能性を考えてしまう。
もしあの時の誤解がなければ、翔一を憎まなければ、果南との別離という選択を取らずに済んだのだろうか。彼女を守るため、彼女の傍にいることを赦されただろうか。いや、と思い直す。結局、自分が傍にいることで彼女にも危険が及ぶことに違いはない。どの道、離れるという選択は避けられないものだったのだろう。果南もまたアギトになる可能性があるとしても、それでも涼の守るべき存在ということに変わりはない。
「でも何で葦原さんが――」
口を開いた翔一だったが、すぐに言葉を止めて頭を両手で抱える。
「おい津上!」
呼びかけるも、翔一は苦しそうに顔を歪めるばかり。足元もおぼつかなくなり、崩れるように倒れた。
3
――しばらくは会えそうにない。落ち着いたら連絡する。それまでの間、絶対に俺の部屋には来るな――
そのメールが鞠莉のもとへ届いたのは今年の4月、アメリカから帰国してきたばかりの頃だった。何かあったのでは、と気掛かりだったのだが、あの船に乗っていた面々のなかでリーダー的存在だった彼の指示とあっては、従わなければならない。皆がパニックに陥る中で彼だけは冷静でいて、そして正しかった。だから彼が中心となって、絶望していた鞠莉たちを纏め上げるのは必然だったのかもしれない。
それでも、鞠莉は何とかコンタクトを取ろうとした。メールや電話をしても返事が来ないから、他の仲間たちからも近況を聞こうとした。でも彼は他の仲間とも連絡を断っていて、探偵を雇ってはみたものの結局何の手掛かりもなく悪戯に時間ばかりが過ぎていった。まるで彼という存在は霞のように彼方へ吹き去ってしまったように思えた。
もし彼が仲間たちの前に姿を現してくれたら、と思わずにはいられない。彼ならば、アンノウンに殺されていった仲間たちを助けることができたかもしれないのに。
連絡船乗り場で果南と別れてから、鞠莉は市街から遠く離れた住宅街に来ていた。ずっと身辺調査を依頼していた探偵から、先日になってようやく彼の所在を知ることができたからだ。約1年前に、この住宅街のアパートメントに彼と同じ名前の人物が転居してきた記録がある。その転居者が、今年の4月頃から近所の誰からも目撃情報が無いという話も。
探偵が探し出したアパートメントの1階で、所狭しと立ち並ぶドアをゆっくりと見ていく。住人がいる部屋にはドア脇のインターホンのすぐ上に簡素だが表札がつけられていて、鞠莉は並んでいるドアの中から「木野」の表札を見つける。
やっと、という想いからか、心臓が強く脈打った。インターホンを押してしばらく待ってみるが、何の反応もない。「薫?」とインターホンのマイクに向かって呼びかけるが、ドアの挟んだ向こうからは沈黙だけが返される。
「薫?」
今度はドアを叩いてみる。これも反応は無いのだが、ふと落とした視線の先にあるものに、鞠莉は目を剥く。ドアに備え付けられた郵便受けから、チラシや伝票といった郵便物がはみ出している。配達人が無理矢理突っ込んでいったせいか、その様相は中身が溢れかえったゴミ箱みたいだ。
ドアノブに手を掛ける。何の抵抗もなく、ノブはすう、と動いた。引くとドアが開き、中の少しばかり埃っぽい空気が僅かに開いた隙間から吐き出される。鞠莉はそのままドアを一気に開け、中へ入る。
まず他人の家に上がったら玄関で靴を脱ぐものだが、鞠莉は目の前に広がる光景に唖然として、靴を脱ぐのも忘れ恐る恐る玄関の段差を踏み越える。玄関に入ってすぐリビングなのだが、その床には割れたガラスや陶器の破片が散らばっている。無造作に転がったソファは鋭利なもので裂かれた傷があって、傷口からは綿が飛び出ていた。部屋の中央にある何かの枠らしきものは、恐らく床で破片が散乱したガラステーブルだろう。カーテンは引き裂かれて窓からの陽光が容赦なく部屋に注がれ、壁紙も刃物らしき物の傷が所々あって元の柄が分からない。
「何、これ………!」
混乱しながらも、鞠莉の思考がアンノウンという結論に結びつくまでそう時間は掛からなかった。