ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト 作:hirotani
1
倒れた翔一をどこへ運ぼうかと考えたが、最も安全なのは涼の部屋しかない。彼も涼と同じく「人間ではない」存在で、病院になんて連れて行って体の異形さを知られたらどんな仕打ちを受けることになるか分からない。少なくとも、豪華な食事と寝床が保証された生活でないことは間違いない。
部屋のベッドに寝かせた翔一は、ほどなくして目蓋を開く。以前涼が経験したものよりは幾分軽い症状らしく、汗こそかいているが多量というほどじゃない。
「気がついたか」
「………ここは?」
「俺の家だ」と告げ、涼はベッドの傍まで引っ張ってきた椅子に腰かける。
「さっきも言ったが、俺は高海千歌に借りがある。そして彼女からお前を守るよう頼まれた。そういうことだ」
もっとも、ただのお守り程度では済まなくなってしまったが。敵は思ったより強敵で、しかもお守りの相手はアギトときた。
「でもどうして千歌ちゃんが。千歌ちゃんは葦原さんが変身できる、てこと知ってるんですか?」
「ああ」
翔一はすぐ起き上がろうとしたのだが、まだどこか痛むのか苦しそうに喘ぎながらベッドに横たえる。先ほどの戦いの痛みか、それとも翔一の力によるものか、医者ではない涼に判断はできない。そもそも、医者でも分からないだろう。
「無理をしない方がいい。俺たちの体は普通じゃないんだ」
冷蔵庫で冷やしておいたミネラルウォーターのペットボトルを開けて翔一に差し出す。
「お前の体にも何かが起こってるのかもしれない」
「そうですよね……」と翔一はペットボトルを受け取りながら、
「確かに……、普通じゃないですよね」
以前とは立場が逆になったな、と涼は微かに笑みを零す。
「前は、俺の方が世話になったな」
「え?」と翔一は不思議そうな顔をするのだが、数舜遅れて思い出したのか「ああ」と得心したように漏らす。人助けを忘れてしまうあたりが、まだろくに知り合っていないにも関わらずこの青年らしい、と思えてしまう。
「でも驚きました。葦原さんが変身できるなんて」
それは俺も同じだ、という言葉を押し留め、涼は黙って翔一の話を聞き続ける。
「初めて会いました。俺と同じような人と。何かちょっと嬉しい、ていうか………」
嬉しい、か。
その言葉に素直に同調すべきか逡巡する。自身と同じ苦悩を分かち合える存在。それは自身を受け入れてくれる者と同じくらい求めてやまなかったものだ。でもいざ目の前に、自身と同じ力に苦しむ者を目の当たりにしてしまうと、どうにもやるせない気分になる。あの屋敷の主人の言葉が正しければ、この力を持つのは涼と翔一だけじゃない。今もどこかで、誰かが苦しんでいる可能性があるということだ。
誰にも打ち明けることができず、人間でなくなっていく自分自身を拒絶し続ける。こんな想いをするのは俺ひとりで十分だ。そんな格好つけた悲劇の主人公気取りに甘んじていたものの、それは何も特別で崇高なものじゃない。この世界で、異形への苦しみはごくありきたりなものになりつつある。
そうなると、アンノウンとは世界に蔓延する悲しみを消そうとしている、とも考えられる。力によって苦しめられるのなら、いっそのことその命を絶つことによって救ってやろう、という彼らなりの慈悲なのだろうか。
そんなことを考えていたところで、インターホンが鳴った。続けてドアの奥から「翔一くん」という千歌の声が。涼はドアへと急ぎ、鍵を開けて千歌を中へ入れてやる。「奥にいる」と言うと、千歌は狭い部屋の中を駆け足で翔一の寝るベッドへと向かっていく。
「どうしたの翔一くん。怪我してるの?」
「何でもないから」と翔一は重そうに体を起こす。
「ちょっと疲れてるだけだから。それより駄目だよ俺の傍にいちゃ。またきっとあいつが襲ってくるからさ」
言い終わると同時に、翔一は苦悶に顔を歪めて頭を抱える。持っていたペットボトルを落としてしまい、床に水がどくどく、と飲み口から零れていく。額に玉汗を浮かべ、苦しみに散々唸った末に翔一の頭が力なく垂れ、眠りへと落ちていく。
「翔一くん!」
千歌は何度も翔一の体を揺さぶりながら呼びかけるが、彼は目を覚まさない。
「彼の言う通りだ」
そう告げると、千歌は涼へと視線を移す。
「君はここにいない方がいい。今度の敵は今までの奴らとは違う。正直言って、俺も彼を守り切れる自信がない」
翔一が千歌のもとを離れようとしたのは、懸命な判断だったと思う。「アギト」の力を持つ自分たちはアンノウンの抹殺対象。傍にいる人々に危険が及ぶことは想像に難くない。
それに、別離が翔一にとって酷な選択だったことは、同じ選択をした涼も理解できる。彼の意思をどうか尊重してほしい。全ては千歌を想う故のことなのだから。
千歌は何も言い返してこない。無言のまま眠る翔一の顔を見つめている。
2
ホールには千歌たちAqoursと同年代、高校生の少女たちが集まり、それぞれ同じ制服を着た者同士で固まっている。前方のみが照明で照らされていて、この招集の趣旨を知らない者でもおのずと視線が証明の当てられたスクリーンへと向く。
抽選、とスクリーンにはその2文字が大きく表示されている。
そう、これはラブライブ予備予選の順番を決める抽選会。公平のため、順番はくじ引きで決められる。今までならどの順番を引こうが、他のグループよりも良いパフォーマンスで票を集めればいい、と構えていられたのだが、学校説明会と日程が被ってしまった今回ばかりはこの順番がAqoursにとっては重要になっている。恐らく、この場に集まったスクールアイドルの中でAqoursが最も順番にこだわっているかもしれない。
「誰が行く?」
果南の言葉で、メンバーの間に緊張が走るのが分かった。先日のダイヤによれば、説明会に間に合わせるには1番手でなければならない。くじを引くのはひとり。普通ならグループのリーダーとして千歌が行くところだが、こんな責任重大な役目となると尻込みしてしまう。
「ここはやっぱりリーダーが………」
早速、ルビィに白羽の矢を立てられる。やはり千歌が行くべきか。これまで願ってきたものとはかなりスケールが小さくなるが、今回ばかりは奇跡が起こってほしい。
震える手をぎゅ、と握りしめたところで「千歌ちゃん」と、梨子がスマートフォンの画面を見せてくる。どうやらインターネットの占いサイトらしい。
「本日の獅子座、超凶」
「自信なくなってきた………」
そもそも「超」凶とは。大凶の更に上ということか。そういえば今朝、朝食の鮭の骨が喉に刺さった。いつもなら占いなんて、と気にしないのに、まだ喉にある鮭の骨のせいで信憑性が上がってくる。
「じゃあ鞠莉かな?」
と果南が振るのだが、「No」と鞠莉は慎重な姿勢で、
「ここはやはり、最初から参加していた――」
そうなると3年生は候補から外される。ダイヤが「曜さん?」と振るが、当の本人は「わたし?」と意外そうに自身を指さす。
「それが良いずら。運も良さげずら」
「いやあ、でも本当に良いの?」
と候補が決定しそうな流れになったところで、前方にいる司会者が揚々と抽選会の進行を始め、全員の関心がスクリーンへと向けられる。
「それでは、抽選会スタート!」
いよいよ始まった会にホールが沸きたつ中で「待って」と善子が口を開く。
「Aqours最大のピンチは、堕天使界のレジェンドアイドル………。このヨハネが、行きまーす!」
「無いずら」
「ブッブー、ですわ」
花丸とダイヤからの即却下とメンバー全員から向けられる冷ややかな視線に「どうしてよー!」と駄々をこねる。何故善子が駄目なのか、その理由を千歌が告げる。
「だってじゃんけんずっと負けてるし」
最初こそヨハネチョキ――善子曰く堕天使最強の手らしい――での反則負けだったが、流石に本人も負け続けは嫌なのか普通の手でじゃんけんに参加していた。でもその戦績は見事全敗。もはや天文学的確率にまで及び、本当に堕天使なんじゃ、と思ったほど。
ルビィと花丸が善子の肩にぽん、と手を乗せて、
「この前とか突然何もない所でつまずいて海落ちちゃうし」
「マルたちがいつもハッピーなのは善子ちゃんのお陰ずら」
と同級生たちにまで立証された不幸体質を「善子いうなー!」と振り払い、
「普段は運を溜めてるのよ! 見てなさい、いざという時のわたしの力を!」
尚更信用できない運だ。周囲の不幸まで引き受けたらもはや避雷針と言って良い。
「あなたがそこまで言うのなら」
そう言ってダイヤは善子の前に立ち、拳を向ける。
「ここでわたくしとじゃんけんしましょう。これに勝てたら、よろしいですわよ。ちなみにわたくしの本日の運勢は超吉ですわ」
「ダイヤさんも見てたんだ……」という梨子の呆れを咳払いで誤魔化し、
「とにかく、よろしくて?」
それが運試しとしては最も手っ取り早い。善子は緊張した面持ちで拳を差し出す。
「じゃあ、行きますわよ」
このようにして何故か抽選会の脇で始まった勝負は、「じゃーん」「けーん」の次の瞬間に雌雄が決する。
「ぽん!」
その結果は――
「か、勝った………」
ダイヤがグー。善子がパー。よって、善子の勝利。信じられないのか、善子は自分の出したパーを凝視している。たかがじゃんけんでこの驚きよう。
「すごい善子ちゃん!」
「善子ちゃんがパーで買ったずら」
ルビィと花丸の感嘆でようやく我に返り、
「てかヨハネ! それとずら丸、あんた今何かしたわよね?」
「知らないずら」
善子が手を出す寸前に、花丸が彼女の尻を軽く叩いたのは千歌も見ている。ただ驚いて咄嗟に手を変えただけなのかもしれないが、それでも勝てた。あの年中超凶の善子が、今日の運勢で超吉を出したダイヤに。
「これは、もしかしたらもしかするかも」
曜が期待を込めた声色で言い、ダイヤは負けた拳を引っ込める。
「分かりましたわ。あなたの力信じましょう。さあ引いてらっしゃい。栄光の1番を!」
そうしてメンバー達に見送られながら、善子は凱旋のつもりなのかいつもの堕天使ポーズで前方の抽選機へと向かっていく。抽選機は福引でお馴染みの6角型で、回して出口から出てきた玉に書かれた番号がグループに割り振られる。
抽選機を前にして、善子は大勢の注目を集めるなか呪文のようなものを呟いている。
「堕天使ルシファー。そして数多のリトルデーモン達よ。ヨハネに福音を、全魔力をここに召喚せよ」
皆口にこそ出さないが、あの子何言ってるんだろう、という声が聞こえてくる。あの明るく進行していた司会者でさえ口をうわあ、という形に開いているくらいだ。恥ずかしいけど、それでも今の善子はAqoursにとって救世主になるかもしれない。
「ヨハネ、堕天!」
ようやく抽選機を回した。1番。1番しかない。抽選機の回転が徐々に緩くなっていって、ころん、という軽い音が微かに千歌の耳に届く。玉が出た。スクリーン上に乱立された番号が不規則に点滅を始め、やがてひとつの番号のみに強い光が灯る。
「24番!」
司会者がその番号を読み上げた瞬間、膝から力が抜けた。
「
と語呂合わせしている善子に「喜んでる場合じゃないずら!」と花丸が容赦なく告げた。
こちらの事情など構わず滞りなく終了した抽選会の帰り、沼津駅に隣接している商業ビル内のクレープ屋でひと息つくことにした。好物のオレンジジュースを飲んでも全く気分が落ち着かず、千歌は喚いてしまう。
「どうするの? 24番なんて中盤じゃん! ど真ん中じゃん!」
「仕方ない。堕天使の力がこの数字を引き寄せたのだから」
なんて引いた本人は言い訳にもならないことを言っているが、それに突っ込んでくれるルビィはジュースのストローを吸い、花丸はクレープを食べている。
「申し訳ない!」
ようやく洒落にならない事を悟った善子は深く頭を下げるが、そんな彼女を梨子が「善子ちゃんだけが悪いわけじゃないよ」と慰める。そもそも、善子以外のメンバーが行ったところで、ピンポイントに1番を引き当てるなんて無理な事だった。
「でもこうなった以上本気で考えないといけないね」
腕組みする果南が、神妙そうに告げる。続けてダイヤが、
「説明会か、ラブライブなのか」
全員が逡巡し、沈黙が漂う。千歌の静かな声は、誰もが黙っているなかで自身でも驚くほどよく聞こえた。
「どっちかを選べ、てこと?」
説明会のために、ラブライブの出場を辞退するか。ラブライブのために、説明会でアピールする機会を放棄するか。
「そうするしかありません」
そう答えるダイヤの声は至極冷静で、流石は生徒会長、なんて皮肉すら思い浮かぶ。学校運営に直接携わっている鞠莉も同じく冷静に、
「そうなったら説明会ね」
「学校を見捨てるわけにはいかないもんね」と果南が同意を示した。
「それはそうだけど――」
梨子は反論しようとするが、ふたりの言い分も理解できているらしく最後まで告げることができず口をつぐんでしまう。梨子の代わりとばかりにダイヤが強く言う。
「今必要なのは、入学希望者を集めること。効果的なのは、ラブライブではありませんか?」
「たくさんの人に観てもらえるし」と言ったのは曜だった。
「注目されるし」
「それもそうずら」
そう告げるのはルビィと花丸。
「じゃあどうすんのよ?」
説明会かラブライブか。酷な2択の結論を、善子が促してくる。
「学校説明に出るべきだ、という人は?」
果南の問いに、挙手するメンバーはいない。ならば必然的にラブライブとなるだろうが、一応の措置として果南はもうひとつの選択肢を問う。
「ラブライブに出るべきだ、と思う人」
これもまた、挙手するメンバーがいない。こんな多数決にもならない様子に果南は溜め息をつき、
「どっちかだよ」
「分かってるけど」「決められないずら」と鞠莉と花丸が弱く抗議する。
現実問題、浦の星のアピールポイントはAqoursがほぼ全てを担っていると言って良い。他の部活は大会でとりわけ目立った功績もなく、進学でも有名大学への合格実績も乏しい。ダイヤも鞠莉も、説明会の進行はAqoursによる宣伝を前提として組み立てている。ラブライブを優先して説明会に広告塔のAqoursが不在だなんて、学校のイメージアップには繋がらない。
かといって、それを今回のラブライブを諦める理由になんてしたくない。
「そうだよ」
千歌は言う。こんなことが、問題の解決にならないと分かっていても。結論を先延ばしにしたところで、どうにもならないとしても。
「だって、どっちも大切だもん」
今すぐになんて決められない。今すぐに、この学校の存続を左右しかねない問題に今すぐ結論を出してしまうなんて。どちらを優先すべきだなんて、優劣なんて付けようがなかった。ラブライブも学校も。
「どっちも……、とても………」
3
結局結論は出ず、店で現地解散になった。メンバーたちがそれぞれの帰路についていくのを見送り、同級生の3人組だけになったところで果南が深く溜め息をつく。
「もう、悩んでる暇なんてないのに」
あくまで中立の立場で多数決を取り仕切っていたが、果南の中ではもう結論は出ているようだった。何事も秒ですぐ決めてしまう果南らしく、つい鞠莉はふ、と笑ってしまう。
「笑ってる場合じゃないよ。学校が続けば、千歌たちは来年もラブライブに出られるんだよ。何であんなに悩んでるんだか」
「だからこそですわ、きっと」とダイヤも溜め息交じりに、
「千歌さん達はまだチャンスがあっても、わたくし達は来年で卒業。9人揃ってラブライブに出るのが、今回で最後のチャンスだから決めかねているのです」
後輩からの配慮は嬉しいけど、それで千歌たちが余計な問題に頭を抱えるのは胸が痛む。それに後輩たちのためと、鞠莉もまた大人になり切れないのも事実だった。
「ダイヤは、ラブライブ出たくないの」
「出たいに決まってますわ」
即答だった。とはいえ鞠莉も、先ほどは説明会優先の側ではあったが、ラブライブはやっぱり諦めきれない。ようやく戻ってきたこの宝物のような時間を、終わらせてしまうには早すぎる。
「パパに頼んでみるわ」
「え?」とダイヤと果南は驚愕の声を揃えた。
「日程さえずらせば万事解決なわけだし。説明会を1日早めてSaturdayにするとか、できないか頼んでみるわ」
「でも、いいの?」と果南が恐る恐る訊く。
「余計なprideで、棒に振りたくないもん」
正直なところ、父が我儘を聞いてくれる保証はないのだが。これまで散々鞠莉の要求を呑んできたせいで、理事会からも反発の声が出始めているらしい。
「あ、わたしそろそろ帰らなくちゃ。お店手伝わないと」
スマートフォンの時刻表示を見た果南が慌ただしく言う。「では」とダイヤも、
「わたくしも帰りますが、鞠莉さんは?」
「こっちで少し考えてみる。ひとりになったら、他にも良いideaが浮かぶかもしれないし」
いつも通りお調子者らしく言ったつもりだったのだが、ダイヤは心配そうに鞠莉の顔を見つめ、
「あまり思いつめないように。わたくし達がいることを、どうか忘れないで」
やっぱり、ダイヤにはお見通しだ。駅へ走る果南にも、きっと悟られているだろう。ふたりに隠し事はやっぱりできない。
「ダイヤ、早くしないと乗り遅れるよ!」
「はいはい」とダイヤは果南のもとへ向かっていく。こちらに振り返り淑やかに手を振る彼女に、鞠莉も手を振り返す。
ありがとうダイヤ。でも、皆がいてくれるからこそ巻き込みたくないの。大丈夫、Aqoursの皆の誰も、あいつには近付けさせない。
たとえ、わたしの命に替えてでも。
親友たちの姿が見えなくなると、鞠莉は市街から閑静な住宅街へと歩いて行く。なるべく人を巻き込みたくはなかった。そう、ふたりと一緒に帰路につかなかったのもこのため。恐らく鞠莉の裡にある力は強くなりつつある。自分を狙う、異形の存在を察知できるほどに。
ぴり、と脊髄に電流が走ったかのような錯覚に陥る。無意識に顔を向けた方角、そこに連中が現れたのだろう。涼と同じように目を見開いた翔一も、ベッドから身を起こそうとする。でも数日経っても体調は落ち着かないらしく、すぐに胸を押さえて苦しんでしまう。
「今のお前には無理だ」
そう言って、涼は翔一をベッドに寝かせる。翔一はすがるように涼を見上げるが、そんな体ではまともに戦えまい。変身できるかどうかも怪しい。
「俺が行く」
ヘルメットとグローブを掴んで外に出るとき、「葦原さん――」と翔一の声が聞こえたが無視した。敵がいくら強敵だろうと、彼を守ると千歌から頼まれたのだから。少なくとも、翔一の回復を待つ間の時間稼ぎくらいはできる。
バイクで沼津駅前の市街を突っ切り、住宅街に入ったところでアンノウンの存在はより強く感じられる。近くにいる、という確信を持ったとき、マンションの陰から金色の髪を振り乱しながら少女が全速力で駆けている。あの金髪は身間違えようもなく小原鞠莉だ。
鞠莉を追うように、両手に鎌を携えたカマキリのようなアンノウンがその姿を現す。
「変身!」
ギルスに変身した涼は、バイクのシートから跳躍しアンノウンへ跳びつく。突然の乱入者に驚いた鞠莉は尻もちをつき、変身した涼を凝視している。
「逃げろ!」
そう吐き捨て、組みついたアンノウンを彼女から引き離していく。涼の腕を振り払ったアンノウンが鎌を一閃した。紙一重で避け、すぐ後ろにあったガードレールが紙のように切断される。腕を振り切った際に空いた腹に、涼は渾身の拳を叩き込んだ。こいつは手に負えない相手じゃない。
止めを刺そうと駆け出したところで、涼の首に向かって何かが空気を裂いて迫ってくる。首筋に触れる直前に掴んだそれは、クジラの尾びれのような形をした刃だった。辛くも防いだが、構わず押され近くのコンクリート塀にぶつかり抑え込まれてしまう。強靭な筋肉がコンクリートを陥没させたのだが、刃を備えた錫杖の持ち手は更に力を込めて涼を塀の中へ沈めようとしてくる。
「ギルス」
その冷たい声。ようやく視界に収めたそれは、翔一を追い詰めたあのクジラのようなアンノウンだった。
「お前もアギトと同じ者。存在してはならない者だ」
アンノウンが錫杖を振り上げる。その剛腕さに持ち上げられた涼の手が、杖から離れた。宙を舞った僅かな浮遊感の後、別の家屋の塀に激突した涼の体はコンクリートを突き破り瓦礫の中に埋まった。