ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

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第6話

 

   1

 

 浦の星女学院学校説明会

 門に掛けられた看板には無骨な字でそう綴られている。隅に付け足したかのような「Aqours Live」というのは、本日の一大イベントという趣旨だろうか。

「よろしくお願いしまーす!」

 門を潜る学外の幼い学生たち――高校の説明会だから、当然中学生だろう――に、メガホン越しで生徒が大声で宣伝している。他の生徒たちはイベントを盛り上げるため、石鹸水にストローで空気を膨らませシャボン玉を校内にくべている。

「我が校のスクールアイドル、Aqoursのライブもありまーす!」

 スクールアイドルか。門の外から賑やかな学生たちをバイクに寄りかかって眺めながら、涼は独りごちる。涼を蘇らせたAqoursという少女たち。それは一体何ぞや、と思っていたが、千歌からアイドルと聞かされた時はとても驚いた。まさか果南がアイドルをしているとは。失礼ながら果南も花丸も、色気より食い気という少女だったから。

 自分がここにいるのは場違いだ、とは理解している。でも、見てみたい、と思った。ステージに立つ果南を。彼女がどんな顔で歌い踊るのかを。もしかしたら海に潜っている時とは違う顔を見せてくれるのかもしれない。

 自販機で買ったお茶を飲もうとペットボトルのキャップを開けようとしたとき、ぴり、とした戦慄が脳内に走る。こんな時にか、と苛立ちを覚えながらも、バイクのエンジンを駆動させ丘を下っていく。麓の沿岸道へ出ると、待ち構えていたかのようにカマキリに似た異形の存在が立ち往生している。バイクを停止させ、涼は異常に大きな複眼を見据えた。

 涼や翔一がこいつらの存在を感じ取れるように、こいつらもまた自分たちの存在が分かるのだろう。力に目覚めた者を叩く絶好の機会だ。今は姿が見えなくても、そのうち水のエルと呼ぶべきアンノウンも現れる。無謀な戦いであることは承知だ。

 それでも逃げるわけにはいかない。

 その場しのぎでも、翔一の代わりでも、守るべきものはある。

 翔一の居場所。Aqoursの居場所。あの温かい空間を穢すことは絶対にさせない。

 あんな居場所がまだあるという事実だけで、この世界に絶望するには早すぎる。

 来い。お前らの悪意は俺だけにぶつけろ。全部背負ってやるさ。

 裡から沸き上がってくる力に身を任せ、涼はアクセルをフルスロットルで捻り敵へ向かっていく。

「変身!」

 

 

   2

 

 いくら全国的なラブライブの会場といっても、所詮は地区の予選会場。市営の体育館に控え室になるような場所なんてなく、参加するスクールアイドル達はそれぞれの衣装に着替えると廊下で出番を今か今かと待っている。

 準備を終えたAqoursの面々も既に待機していたのだが、会場に割に参加者が多すぎて、廊下には収まり切らず階段の踊り場へと追いやられていた。状況把握のために施設内を動くにも人口密度が高いもので、メンバー全員では移動し辛い。ひとりステージの様子を見に行ってくれていた梨子が戻ってくると、予選の流れを教えてくれる。

「いま前半が終わった、て」

 「いよいよだね」と千歌はやや緊張気味に応じる。やはりステージ前のこの時間は、緊張や不安がない交ぜになってどんどん大きくなっていく。特に緊張しやすい性分のルビィは、怖いのか涙目になっている。

「大丈夫」

 そう声をかけたのは曜だった。

「花丸ちゃんも言ってたよ。練習通りにやれば問題ないずら、て」

 親友と同じ口調で言ったお陰か、幾分かルビィの緊張も解けたらしい。そう、何も怖がることなんてない。納得のいく出来に仕上がるまで練習したじゃないか。練習で出来たのだから、本番でもできるはず。ただステージに立つ勇気さえあればいい。

 曜は衣装の裾を摘まみながら言う。

「それに、今回のルビィちゃんが作った衣装すっごく可愛い」

 照れ臭そうにルビィは笑った。今回は2曲ということもあって、衣装作りも曜とルビィで分担している。曜は説明会の衣装で、この予備予選の衣装はルビィが担当した。意外なことに、こちらをやらせてほしい、と言ったのはルビィの方だった。

「お待たせいたしましたわ」

 着替えを済ませたダイヤが、千歌たちの前に姿を現す。

「ダイヤさん、綺麗」

 思わず千歌はそう告げている。他のスクールアイドル達も気合の入った衣装だが、その中でも衣装を身に纏ったダイヤは群を抜いて見惚れしてしまう。同じグループという贔屓目なしと言えるほどに。

「すっごく似合ってる」

 曜も立て続けに言うと、「そ、そうですか?」とダイヤは恥ずかしいのか目を逸らした。これまでのAqoursとは趣が異なる和装をモチーフにした衣装。着物の着付けや琴といった和の造詣が深いダイヤに、衣装は見事なほど馴染んでいる。

「ルビィ、ずっとずっと思ってたんだ。お姉ちゃん絶対似合うのに、て」

 スクールアイドルになることは、姉妹揃っての夢だった。ダイヤがかつて犯してしまった失敗からスクールアイドルから遠ざかってからも、ルビィはスクールアイドルへの熱を冷ますどころか強めていった。だからこそ、こうして姉妹でステージに立てることが嬉しいに違いない。自分がデザインした衣装を姉が着てくれることは、きっと涙するほど喜ばしいのだろう。これまで燻っていたのはきっと妹だけじゃなく、姉の方も同じこと。

 自分の願いを叶えてくれた妹を、ダイヤは優しく抱き留める。

「良い妹さんですね、ダイヤさん」

 梨子の言葉に「もちろん、自慢の妹ですわ」とダイヤは誇らし気に応じる。

「さあ、行きますわよ」

 普段の先輩としての顔で、ダイヤは告げる。予備予選も中盤。いよいよAqoursの出番だ。

 

「津上さん、お邪魔します」

 ビニール袋を提げて、誠はアパートの部屋に入る。今日もベッドで寝ていた翔一は重そうに体を起こし、

「氷川さん、何度もすみません」

「いえ、気にしないで下さい。今日はこれを持ってきました」

 ビニール袋から紙パックのいちご牛乳を出す。何だか負けた気分だが、こうして出来合いのものが売っているのだからわざわざいちごを潰す必要なんて無い。手巻き寿司だって食べたければスーパーの総菜を買えばいいだけの話。

 差し出されたいちご牛乳に翔一は弱く苦笑する。気のせいか、少し痩せたように見える。しっかりと食事は摂っているのだろうか。

「ありがとうございます。後で頂きますから、冷蔵庫に入れといてもらえますか」

「はあ………」

 言われた通り台所へ向かう。冷蔵庫の扉を開けると、中に大きな重箱と小ぶりな弁当箱が鎮座している。ひとり暮らし用の小さな冷蔵庫だから、スペースの大半を陣取っていた。

「津上さん、このお重は?」

「ああ、それ千歌ちゃんが持って来てくれたんです。Aqoursの皆で作ってくれたらしくて」

 勝手に開けるのも悪いな、と思いながらも誠は重箱と弁当を持ち出して、翔一のところへ運ぶ。

「食べないんですか?」

「ちょと、食欲なくて………」

 まあ確かに、ひとりで食べる分にしてはかなりの量ではある。

「せっかく作ってくれたんですから、少しは食べたらどうです? しっかり体力を付けないと」

「それは、分かってるんですけど………」

 見れば見るほど、翔一は顔色が優れない。あれほど朗らかだった笑顔が、今はどこかぎこちない。

「氷川さん」

 おもむろに、翔一は口を開く。

「氷川さんは、自分のために戦おう、て思ったことはありますか?」

「自分のため、ですか?」

 唐突に何の質問だろう、とは思ったが、誠は深く考えず答える。

「ずっと市民のために戦ってきましたが、1度だけ自分のために戦ったことがあります」

 それは、「死」を背負っていた者との決闘でのこと。G3-Xではなく、氷川誠という人間としての戦いだった。

「その時は、僕は生きるために戦っていました」

「生きる、ために……」

「ええ、生きていなければ、守ることはできません」

 こんなことを言うのは、何だかこそばゆい。結局誠の意思が彼に届くことはなかったが、それでも彼から受け取った「死」と「生」の両方を、背負うと誠は誓った。だからこそ、今もG3-Xとしてアンノウンと戦い続けている。

 翔一はただ虚空を見つめている。一体何を考えているのかは分からないが、誠の語った信念が翔一に何らかの影響があるのだろうか。

「すみません。少しひとりにしてもらえますか」

 そう言って翔一は布団を被ってしまう。「ええ」とだけ言って誠は部屋を出た。今の翔一には、考える時間がたっぷりある。無事に十千万へ帰れるよう、誠は早くアンノウンを倒さなければ。

 その機会は、思いのほか早く訪れた。着信音を鳴らすスマートフォンの画面に、小沢の名前が表示されている。

「はい氷川ですが」

 

 

   3

 

「エントリーナンバー24、Aqoursの皆さんでーす!」

 司会者の声の後、暗転していたステージにスポットライトが灯る。「みんなー!」「頑張ってー!」と観客席から志満と美渡の声援が聞こえる。拍手が起こるのだが、申し訳程度のまばらな拍手だ。会場の規模と観客の数のせいじゃない。市営体育館でも数百人を収容するくらいの規模はあるし、観客も満員になっている。

 無理もないかな、と覚悟はしていた。分担するという案に乗っ取り、ステージに立っているメンバーは千歌の他に曜と梨子、ダイヤとルビィの5人だけ。9人揃ってのパフォーマンスを期待してくれていた観客にとっては、物足りないのは仕方ない。

「勘違いしないように!」

 まばらな拍手が鳴りやんだ静寂に、ステージにいないはずのソプラノボイスが響く。振り返ると、舞台袖から曲の衣装を着た鞠莉が出てくる。続けて果南も。

「やっぱり、わたし達はひとつじゃなきゃね」

 更に善子が、

「ほらほら、始めるわよ」

 花丸も、

「ルビィちゃん、この衣装素敵ずら」

 千歌たちが呆けているうちに、4人は練習した通りの、それぞれの所定の位置につく。突っ立ったままの千歌に、果南が言う。

「さあ、やるよ」

 胸の裡が、まるで太陽に照らされたように温かくなる。溢れ出そうになる輝きのままに、千歌は「うん」と頷き位置につく。

 尺八によって奏でられる旋律から、曲が始まる。事前に舞台演出として指定しておいたオレンジ色の柔らかな照明が、篝火(かがりび)のようにメンバー達を照らしている。まるで祭事の演舞のように、不思議と厳かな舞台で歌い、踊る。

 ここまで披露されてきた曲に比べたら、Aqoursの舞台照明は物足りなく弱々しく感じてしまうかもしれない。小さな(ほむら)の中で歌う自分たちはどうだろうか。ひとつひとつの火はとても小さいけど、でもその熱は何よりも高く燃えている。

 暗くて先が視えなくても、光が目の前しか照らせなくても、それでも1歩ずつ確かに進んでいる。

 そんな小さく、熱い火が九重(ここのえ)にくべられたとき、自分たちは何よりも輝ける。更に先へと進んでいける。

 この大きな輝きは、宵闇を照らして明日へと繋げてくれる。

 曲が終わると、開幕の静寂が嘘のように盛大な拍手が沸き起こった。しばらくこの高揚と歓声に浸っていたいが、生憎その暇はない。

「さあ行くよ!」

 千歌に続いて「ここからが勝負よ!」「みんな、大丈夫?」と梨子と曜も急いで舞台から引っ込む。

「どういうことですの?」

 というダイヤの困惑が聞こえたが、有無を言わさず皆を着替えさせ会場から駆け出す。未だに状況が呑み込めずにいる面々を、梨子が「皆、急いでー!」と急かす。

「もしかして、説明会に間に合わせるつもり?」

 先行する千歌を追いながら、果南が上擦った声をあげた。

 千歌が思いついたのは、ミカン園を通過し直線で一気に会場から浦の星へ向かうこと。修善寺から内浦にかけては一面がミカン畑になっていて、所持しているのはクラスメイトのよしみの家。既に協力は取り次いである。

 ただ山の中を『ランボー』よろしく駆け回るだけと思ったら、それは間違いだ。広大な山岳地帯のなか、農家だって毎日登山して畑の世話をしているわけじゃない。

「お嬢ちゃんたち、乗ってくかい?」

 畑に辿り着いた千歌たちを、むつがそんな台詞で出迎える。映画だったらこういったシチュエーションの乗り物はハーレーダビッドソンのバイクと相場が決まっているものだが、山の中を抜けるのはバイクではなく、運搬用モノレール。よしみが慣れた手つきでエンジンを駆動させると、小さな車体が振動を始める。

「ふたりともありがとう!」

 千歌の隣で、梨子は得心したように腕を組み、

「そっか、これだったんだ」

 「ミカン農家じゃ、そんなに珍しくないよ」とよしみが言った。そう、広大なミカン畑には、収穫したミカンを運搬するためのモノレールが敷かれている。これなら直線距離で、かつ徒歩よりもずっと速く移動できる。

「さ、乗って」

 促されるままに、メンバー総出で運搬車に乗り込んでいく。

「本当に大丈夫なのこれ?」

 梨子が不安げに呟く。確かに9人を乗せるのに車体は小さいかもしれないが、何だかちょっとしたジェットコースターみたいで千歌は楽しくなっている。

「全速全身、ヨーソロー!」

 と曜が高々と告げると、運転席につく果南がレバーを引いて車体のブレーキを解除する。車体が動き出した。

 ただし、とても緩慢に。

 これは時速何キロほどの速度だろうか。いや、キロメートルの単位で計測できるだろうか。幼児が漕ぐ三輪車ほどの速度しか出ていない。正直なところ、普通に歩いたほうが早い。

「冗談は善子さんずら………」

「………ヨハネ」

 花丸と善子も、そんな勢いの抜けたやり取りをかます。

「て言われても仕方ないんだけどね………」

 罰が悪そうによしみが苦笑している。彼女たちの顔も、とっくに見えなくなるほど進むと思ったのだが、普通に会話できるほどの距離だ。そもそもの話、スピードを求めて設計された乗り物じゃないから、車同然の速度が出るわけないのだが。

 じれったくなった果南が力いっぱいレバーを引く。

「もっとスピード出ないの?」

 ばき、と音がした。え、と千歌の思考が一瞬だけ止まる。何の音、と訊こうとしたところで、果南が照れ笑いを浮かべた顔で振り返った。その手にレバーをしっかりと握ったまま。

「………取れちゃった」

 そのカミングアウトの瞬間、車体が一気に丘陵を下った。ブレーキを破壊されたものだから、減速なんてできず重力に従って速度を上げほぼジェットコースターになっていく。

 普段は物静かなミカン畑に、千歌たちの悲鳴がこだましていた。

 

 そ、と蓋を開けた重箱の中身を、翔一はひと品ずつ見渡していく。どれも作った者の個性がよく現れている。料理について、Aqoursのメンバー達とはよく意見交換していたことがある。

 梨子には良い玉子の見分け方を、果南には魚の口に指を入れて新鮮さを見極める技を教えた。曜は器用だから翔一のアドバイスですぐ腕を上げて、善子にはタコ焼きが型崩れしないよう生地の配分を教えた。鞠莉からは世界中の高級料理をたくさん聞かせてもらえて創作意欲を刺激してくれた。ルビィとはスイートポテトの水分をどうやって閉じ込めるか、花丸とは柔らかいパン生地について語り合ったこともある。

 そして千歌。

 彼女は毎日、翔一の作った料理を美味しい、と言いながら食べてくれていた。翔一が出て行った十千万で、千歌はちゃんと食事を摂っているだろうか。自分の食べたいものばかり食べて、栄養が偏り過ぎていないだろうか。

 先ほどから、ずっと頭の中で戦慄が駆け巡っている。アンノウンが現れたのだろう。涼も敵を察知し戦っているだろうか。誠も出動したのだろうか。そういえば、Aqoursもラブライブの予備予選が今日だった。確か学校説明会も今日だった気がするが、よく覚えていない。

 皆、それぞれの場所で頑張っている。

 俺だけ何もできていない。

 ただ敵に恐怖して、部屋に閉じこもって、心配しに来てくれた少女の声にも応えられない。

 ――人の居場所を守るために戦ってきたのに、何で自分のためには戦えないの?――

 千歌の言葉が脳裏によぎる。自分のために戦うなんて、今まで考えもしなかった。いや、考えるのが怖かった。自分のためだなんて、そもそも「自分」というものが翔一には分からない。過去もなく、ただ力があるというだけでアンノウンと戦ってきた翔一が、何の意味を持って自分のために戦えばいいのか。

 そう、今までは理由を「みんなの居場所」だなんて、外側へ求めていただけだ。立て続けに次々と言葉が脳裏をよぎる。自分と同じ戦う者たちの言葉の連なりが。

 ――俺は自分を哀れんだりはしたくない。俺が今の俺である意味を見つけたい――

 ――生きていなければ、守ることはできません――

 翔一は重箱にある玉子サンドを掴み口に運ぶ。具の玉子はしつこくならないようレモン汁が加えられていた。続けて箸を取ってサザエのつぼ焼きを食べる。貝類は時間が経つと固くなるから、食べやすいよう身を細かく切ってあった。ヨキそばのソースは少し焦がしてあって香ばしい。黒焦げのタコ焼きは何故か具がタバスコでむせ返りながら咀嚼し、口直しのシャイ煮は見た目とは裏腹にかなり美味だ。プリンは甘すぎなくて抹茶の香りがしっかりしていて、スイートポテトはしっとりとしていて舌触りが滑らか。のっぽパンは一気に口に詰め込んだせいで危うく喉に詰らせかける。

 重箱とは別になっている弁当は一気にかき込みながらも、その味に目を見開きながらしっかりと噛みしめる。この味は、自分の作る味によく似ている。あまり調味料を加えず素材を活かす味付けは、しっかりと彼女の舌に記憶されていたらしい。

「ご馳走様」

 空になった弁当箱に合掌すると、翔一はベッドから降りた。

 

 

   4

 

 校庭に設営されたステージには、生徒たちが膨らませたシャボン玉が漂っている。燦々とした陽光を受けてプリズムのように色が7つに分かれ、校内に無数の虹が乱反射している。

 その光に満ちたステージに辿り着いた千歌たちは、急ぎ身に纏った衣装でこの日の第2曲目を歌う。観客は、多くが学外からの中学生たち。自分たちよりも年下の、未来への夢や希望、または不安を裡に抱えながらこの丘の上に来てくれた人々。

 少女たちに千歌が贈る曲は、言うなればAqoursの原点回帰。自分たちの始まりを歌った曲。

 何かに夢中になりたい。無為に生き、何者にもなれない未来を変えたい。

 特別な理由なんてものは必要ない。ただ自分が望むから。誰かと一緒に頑張りたいから。昔からの夢だったから。そんなありきたりなもので十分な理由になる。

 でも、どこへ行けばいいのか、何をすればいいのか分からなくなってしまう時もある。分からなくてもいい。ただ自分の行きたい方向へ、ひたすらに進んでいけばいい。望みこそが、行き先を決めてくれる。

 そうやって夢中に走っているとき、ふと自身の胸に尋ねてみてほしい。

 君の心は輝いてるかい、と。

 答えが出たときに空を見上げてみてほしい。きっと、太陽が行く先を照らしてくれる。

 

 曲が終わると同時、ずっと留めてきた疲労が一気に押し寄せて汗が一気に体を伝う。考えてみれば当然だ。予備予選での出番を終えてすぐミカン畑まで走って、そして近場のミカン畑に着いたらすぐ学校まで走り続けていたのだから。夢中になりすぎて疲れなんて忘れていたかのよう。

 こうして無事に終わって、ステージから歓声を送ってくれる観客たちを見渡すと、今日までの諦めムードが全て質の悪い夢だったように思えてくる。いや、諦めムードは学校に着く直前まで続いてはいたけれど。

 山道を走りながら、何度も皆で口々に弱音を吐いた。間に合わない、あと少しなのに、ここまで来たのに、駄目なのかな。

 奇跡は起こるのかな。

 そう言いながらも、皆で走るのは絶対にやめなかったし、諦めなかった。

 千歌は思う。奇跡を最初から起こそうなんて人はいない。ただ一生懸命に夢中になって、何かを成し遂げようとする。何とかしよう、ともがき続けることが、奇跡をもたらしてくれる、と。

 だから絶対、自分たちに奇跡は起こる。空に虹が掛かるように。信じて突き進めば望みは神ではなく、自分たちで叶えることができる。

 所詮は子供の夢物語、なんて笑われるだろうか。でも現に今、千歌の目の前には奇跡が広がっている。ステージでの高揚と観客の溢れる笑顔が。

 学校か自分たちの夢か。どっちを取るかなんて選べない。欲張りでも、両方叶えたい。

 だから千歌は手を伸ばす。虹色のシャボン玉が昇っていく方へ、千歌たちを照らしてくれる太陽の、輝きの方角へと。

 

 内浦重須の麓にある町工場へ近付くにつれて、明らか作業とは思えない音が聞こえてくる。視線を上げると同時、工場の屋根からふたつの人影が落下していくのが見えた。普通の人間では運が良くても骨折は免れないのだが、異形のふたりは地面に激突しても構わず立ち上がり戦いを続けている。

 カマキリのようなアンノウンの蹴りを腹に受けて、緑の生物が咳き込みながら倒れる。すぐさま起き上がろうとしたところで鳩尾に蹴りを入れられ、更に胸を踏み付けられ起き上がれず地面に張り付けられてしまう。

 アンノウンが手に持った鎌を振り降ろそうとしたとき、ガードチェイサーから降りた誠は突進し胴に組みついた。その勢いを殺さないまま工場の社屋へと追いやり、壁を突き破って中に押し込む。衝撃で両者の体が離れたと同時、緑の生物がアンノウンに蹴りをかました。粉塵が舞う中ではアンノウンも視界不良らしく、成す術なくコンクリートの床を転がる。

 流石に2体1では不利と見たのか、アンノウンは工場の奥へと引っ込んでいく。この日は休業日らしく、作業員は誰もいない。照明もなく、外の光が遮断された薄暗い工場内の奥へと、誠と緑の生物は敵を追っていく。

 資材とフォークリフトの陰に、慎重に誠はG3-Xの索敵をかける。サーモグラフィや動体感知にも、敵は引っ掛からない。

 唐突に、緑の生物が呻き声をあげた。咄嗟に振り返ると、首にふた又の刃物を掛けられている。獲物を掴んでいるのは、先日誠を見逃したクジラのようなアンノウン。

 いつからここに。そう考える余裕もなく、誠はアンノウンへ駆け出した。だがアンノウンはまるで片手間のように、緑の生物を錫杖で壁へ押しやりながら誠に手をかざす。その瞬間、手から高圧の水流が噴射され誠の体を吹き飛ばした。更に転がった先には、待ち構えていたかのようにカマキリのアンノウンが。

 防御する暇なんてなく、胸部装甲を鎌で穿たれる。誠の横に、錫杖で突き飛ばされた緑の生物が転がってきた。

『胸部ユニットにダメージ。バッテリー残り60パーセント。これ以上の戦闘は危険です!』

『氷川君、離脱しなさい! 氷川君!』

 尾室と小沢の声が、薄れつつある誠の意識を引き戻そうと呼びかけている。ディスプレイもアラートと共に赤い光を点滅させていて、AIすらも誠に逃げろ、と警告している。でも駄目だ。体が動かない。

 密閉されたマスク内の酸素供給も効果はなく、誠は重い目蓋を閉じる。意識が飛ぶ寸前、誠の耳には足音が響いていた。アンノウンが止めを刺しに来るんだな、と奇妙なほど冷静に判断できたが、その予想は外れることになる。

 

 力の囁くままバイクを走らせ、酷く荒れた工場に侵入する。薄暗い中へ進んでいくと、バイクのヘッドライトが地面に伏すギルスとG3-Xを照らす。ギルスはこの場にやって来た翔一へ頭をもたげ、G3-Xのほうは気を失ったのか微動だにしていない。

 芦原さん、氷川さん。すみません、俺が不甲斐ないばかりに。

 裡で謝罪しながらヘルメットを脱ぎ、翔一はふたりの奥へと視線を巡らせる。薄暗いなかで、その気配と共に2体のアンノウンをしっかりと見据える。満たされた腹の底から、これまでにない程の力が奔流となって溢れ出そうとしている感覚がある。

 千歌ちゃん、皆。ありがとう。

 皆の居場所を、俺の居たいと願う場所を守るために戦う。

 その確かな「意味」を裡に抱きしめ、翔一は新たな変身を遂げる。

「変身!」

 

 






次章 ダイヤさんと呼ばないで / 4人目の男
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