ラブライブ!サンシャイン‼︎ feat.仮面ライダーアギト   作:hirotani

97 / 160
第17章 ダイヤさんと呼ばないで / 4人目の男
第1話


 

   1

 

 凄まじい熱気に当てられ、誠の意識が覚醒する。G3-Xのスーツ越しでも分かる熱は当然AIも感知していて、12時の方向に高温の熱源あり、というロゴをディスプレイに表示している。

 重い頭を持ち上げると、そこには火だるまになった人影がある。全身を焼くほどの炎に苦しみ悶えることなく、それは佇んでいる。やがて炎が消えると、そこにはまるで新生した不死鳥のような戦士が現れた。

 金色だった双角は赤い6本角に開き、目は温度を上げた火のように黄色い。角と同じく赤く灼けた鎧は、内部から燃えているのかひび割れ炎が漏れ出している。

「アギト……?」

 思わず誠はそう呟いている。アギトが戦法によって姿を変えることは知っていたが、あの姿はこれまでとは明らかに桁違いの力を感じる。その姿を簡潔に形容するなら、燃え盛る豪炎の戦士(バーニングフォーム)

 カマキリのアンノウンが、鎌を振り翳してアギトへ向かっていく。待ち構えるアギトの右手の表皮がひび割れ、マグマのように炎が燃え盛っている。燃える拳を握りしめ、アギトはアンノウンの胸を穿った。

 向かってきた方向へ跳ね返されたアンノウンの胸が、黒く焦げて小さなクレーターのように窪んでいる。たった1撃の拳。それはアンノウンの頭上に光輪を生じさせ、内部からの爆炎で身を焼いていく。

 アギトのベルトから武器が飛び出した。柄の両端から刃が付いた獲物を、アギトは掴み取る。振り翳した双刃刀(そうじんとう)を水のエルは錫杖で受け止めたが、圧倒的なパワーで押しやられ、体勢を崩されたところで腹に蹴りを喰らい突き飛ばされてしまう。

 「そうか」と呻きながら、水のエルはゆっくりと立ち上がる。

「アギトとは限りなく進化する力。それをあの方は恐れているのか」

 あの方、とは。アンノウンを統べる者が存在するというのか。

 水のエルは錫杖を構え直す。アギトも双刃刀を握りしめ、互いの武器を打ち付け合う。やはり、パワー勝負では今のアギトの方が上だ。武器を弾かれた水のエルに、アギトは炎を纏った双刃刀の刃を袈裟懸けに滑らせる。体を濡らしていた水分が蒸発し、その体からは水蒸気と炎が舞い上がる。

 水のエルの体が、その形を失った。宙に浮かぶ水の球は、まるで流星のように怪しげな光の尾を引いて彼方へと飛んでいく。アギトと立ち上がった緑の生物は視線で追うが、その姿は見えない。

 もはやこの場に用はない、とばかりに、アギトと緑の生物は陽光が射し込む外へ向かって歩き出す。

「待ってください。あなた達は一体――」

 呼び止めようとしたところで声が聞こえた。人の声。どこから聞こえているのか。あまりにもはっきりし過ぎていて場所も距離も判別ができない。まるで世界中にその呻き声が轟いているようだった。

 まるで苦しんでいるかのような呻きが、やがて叫びへと変わる。とても澄んだ声だ。一切の澱みがない美声が、汚らわしいものに浸蝕されたかのように怒りを孕んでいる。

「アああああギいいいいトおおおおおおおおおおおおおおおおっ‼」

 この声が、水のエルが言っていた「あの方」という存在なのか。この声にもっと近付けたら、アンノウンについて分かるのだろうか。それに、アギトなる存在にも。

 どれほどの間、その場に立っていただろう。声が消えても、ずっと耳の奥で反響を続けている。気付けばアギトも、緑の生物も姿を消していた。

 

 

   2

 

 説明会の撤収作業を終えてから涼のアパートに着く頃には、すっかり陽が暮れてしまった。今日の出来事は翔一にも聞いてほしい。1日に会場移動なんてことは、後にも先にもないだろう。この土産話で、翔一が以前の笑顔を取り戻してくれたらいいのだが。

 インターホンを押して「翔一くん」と呼びかける。

「翔一くん、いる?」

 そう待つことなくドアが開いて、涼が顔を出す。

「あの、翔一くんは………」

 「もういない」とだけ言って、涼は1枚のメモ用紙を差し出してくる。受け取った紙には、短い1文のみが綴られていた。

 色々とありがとうございました 翔一

 千歌を部屋へ招き入れると、涼はインスタントコーヒーを出してくれた。ずっと翔一が寝ていたベッドを見ると、布団が綺麗に畳まれている。何と言うか、翔一らしい去り方だな、と思った。

「あいつならもう大丈夫だ。今頃君の家に帰ってるだろ」

 なら真っ直ぐ家に帰れば翔一に会えたわけだが、どの道ここにはまた足を運ぶつもりだった。涼に翔一のことを頼んだのは、千歌自身なのだから。

「ありがとうございました。本当にお世話になっちゃって」

「大したことはしてないさ。俺だって、君たちには感謝してもしきれない。蘇ってから、変身の後遺症がなくなった」

「後遺症?」

「ああ。前はあの姿に変身する度に体がおかしくなったんだが、君たちの力が俺の体質を変えたのかもしれない」

 そう言われて、千歌は複雑な気分に囚われる。涼を蘇らせた皆の中に、千歌は含まれていない。千歌だけが、持たざる者なのだから。

 それに、変身に代償が伴うだなんて初めて聞いた。翔一はそんな素振りを全く見せなかった。翔一の変身するアギトと、涼の変身するギルス。あの屋敷の主人は、涼はアギトと同じ存在と言っていたが微妙に異なるのかもしれない。

「それから、ひとつ忠告してもいいか」

 真剣な眼差しを向ける涼に、千歌は緊張でぎこちなく頷く。

「もうこれ以上俺に関わらないほうが良い。君だけじゃなく果南や、鞠莉という子も。そこは君たちの居るべき場所じゃない」

 涼からすれば、純粋に千歌たちのことを考えての言葉なのかもしれない。でも、千歌に拒否することはどうにも躊躇してしまう。果南はもう1度、この青年に会うために力を使い蘇らせた。せっかくまた会えるというのに、彼は自分から離れようとしている。それが彼なりの優しさと思うと、悲しいものに思えて仕方ない。

 翔一だってアギトだけど、十千万という居場所に収まった。なら涼にも居場所があっていい。

「葦原さんはどうするつもりですか? これから」

「俺は今まで訳の分からない運命に弄ばれてきた。だがそんなことはもう御免だ。自分の手で、俺は自分の運命を切り開いていこうと思ってる」

 その言葉も、声も、眼差しも。全てに強い意志を感じた。無力な千歌に、彼に対してできる手助けなんて何もない。

 ただ、その行く先の幸運を祈ることしかできなかった。

 

 家に帰ると「お帰りー」という馴染み深い、でも懐かしい声に迎えられる。エプロン姿で食器を卓に運ぶ彼の姿と笑顔はいつもと同じもので、安堵に千歌も笑顔で「ただいま」と返す。

「お帰り千歌ちゃん」

「おかえりー」

 優しく迎えてくれる志満と、何故か疲れた様子の美渡もいる、いつもの高海家の日常が戻ってきたんだ、と実感が胸の裡を温めた。

「てか美渡姉どうしたの? やけに疲れてない?」

 訊くと美渡は首をこき、と鳴らし、

「翔一が帰って来たと思ったらいきなり大掃除するとか言い出してさあ」

 言われてみれば、家の中が綺麗になった気がする。翔一が出て行ってから一応家事は姉妹で分担していたものの、やはり彼ほど手際が良くないから掃除ひとつ取っても隅に埃が残ってしまうことがよくあった。でも今は隅々まで掃除が行き渡っている。棚の上に積もっていた埃が一掃されていた。

「ほらほら、働いた後のご飯は格別だよ」

 と上機嫌に翔一は食卓におかずの皿を置いた。今日の夕飯は肉じゃが。他にもキュウリの塩もみやトマトとレタスのサラダ、芋の煮っころがしと一汁三菜に卓が彩られている。

「そうね、綺麗になったお家で食べると美味しいわよね」

 と志満も上機嫌だ。

「うん、明日はもっと綺麗にしちゃいますよ」

 翔一が言うと、姉ふたりは「え?」と低い声を揃える。

「もう、これくらいで十分じゃない翔一君?」

 志満が恐る恐る訊くが、こうなった翔一は止まるはずもなく、

「何言ってんですか、まだまだですよ。隅から隅までピカピカにして、生まれ変わった気分で頑張りましょう!」

 「もう、何張り切ってんのよ翔一」と美渡が更に疲れたように言う。

「ピカピカにすると気持ちいいぞ美渡! さ、明日の元気のためにご飯食べよう!」

 食卓に全員がついたところで、皆で合掌する。

「いただきます」

 ひと口啜った味噌汁は、ほんのりと出汁が効いていて無意識に安堵の溜め息が出る。いつもの翔一の作る味だった。

 

 

   3

 

 日が経つにつれて、気温も下がってきた。流石に朝方は肌寒くて、梨子は寝起きの体にカーディガンを羽織りバルコニーの窓を開ける。秋に差し掛かろうとしている内浦の空気は冷たく、でも澄んでいる。

 隣人はまだ寝ているのかな、と思ったとき、

「おっはよー!」

 と静かな町に響かんとばかりの声が聞こえた。隣家の旅館の門で、既に制服に着替えていた彼女は動かずにはいられないのか足踏みしている。

「先行ってるねー!」

 こんな時間だと、バスも始発だ。きっと学校には1番乗りじゃないだろうか。

「皆も行ってきまーす!」

 玄関先にいる姉たちとしいたけにそれだけ言うと、千歌はバス停へと走っていく。呆然と姉たちが妹を見送っていると、玄関からエプロン姿の翔一が顔を出し、

「あれ、千歌ちゃんもう行っちゃった?」

 そういえば、いつも千歌を起こすのは翔一の役目だったとか。「ええ」と答えた志満は薄い雲が掛かった空を見上げる。

「今日は雨かしら………」

 本当にそうかも、と梨子も裡で同意する。更に翔一が笑顔で何の悪気もなく、

「もしかしたら槍でも降ったりして」

 

「お前はアギトではない。アギトになるべき人間でもない」

 つい今ほど誠が告げたことを、小沢は反芻しながら自販機の缶コーヒーを渡してくれる。

「そう言ったの?」

 「はあ」と応じると、ベンチに腰掛けながら尾室が「アンノウンがですか?」と訊いた。あのオペレーションはいつも通り小沢と尾室がモニタリングしていたが、これまでと同様アンノウンはカメラに映らず、その声をマイクが捉えることもできない。誠も記録音声を確認したのだが、聞こえたのは酷いノイズで声とは呼べなかった。

「僕に止めを刺そうと思えばできたのに、そう言い残して姿を消しました」

 アンノウンにとって誠は殺すほどの脅威でもない、ということか。でも、脅威でなくとも邪魔者になるのならアンノウンにとって殺すという選択肢もあったはずだ。それをしなかったとは、殺してはならない、ということなのだろうか。

「どういう事なんでしょう、一体」

 答えのない尾室の問いに、「そうね」と小沢はしばし目蓋を伏せ、

「単純に考えれば、やっぱりアギトの正体は人間、てことになるわね。そしてアンノウンはアギトになる人間を襲っている」

「アンノウンは超能力者を狙ってるんじゃないんですか?」

 尾室の問いに小沢はすぐに答えた。既に彼女の中では、ある程度にまで仮説が組み上がっているらしい。

「アギトになる人間がその前触れとして超能力を使えるようになる。そう解釈すれば辻褄が会うわ」

 超能力者が、アギトの前触れ。誠は裡で反芻する。それが真実だとしてもたらされる事を、尾室が先に述べた。

「でもアンノウンに襲われた人って結構な数ですよ。そんな沢山の人間がアギトになる、ていうんですか?」

 アギトはひとりだけじゃない。アンノウンと戦えるだけの存在が、次々と現れようとしている。アンノウンはその脅威が誕生するのを阻止しようとしているのだろうか。でも、何故人間からアギトなる存在が生まれるのか。

「そうね、ちょっと信じられないけど」

 話の飛躍に小沢も今のところそれ以上の進展は考えがつかないらしく、コーヒーを啜る。誠もようやくコーヒーを啜ったのだが、味がよく分からなかった。

「信じられないことが起こっているかもしれませんよ」

 革靴を鳴らしながら、休憩所へ来た北條が誠たちを見下ろしている。

「探しましたよ。こんな所にいたんですか」

 さも当然であるかのように、北條はベンチの空いたスペースに腰掛ける。共用だから別に悪いというわけではないのだが、正直なところ誠は彼を歓迎できない。小沢に至っては嫌悪剥き出しの視線を送り、尾室は雰囲気を察していないのか何の気なしにコーヒーを啜っている。

「いやあ、こんな時に職場を離れて談笑できる余裕は、皮肉でなく羨ましい限りです」

「あなた、何故そういつもひと言多いわけ? 用があるならさっさと言いなさい」

 小沢に促された北條はやれやれ、と分かりやすいほど嘆息し、

「実はアンノウン関連の事件について、面白い発見がありましてね」

 河野から高海伸幸の事件を洗っているとは聞いたが、何か進展があったのだろうか。被害者の死と、アンノウンの関係について。

「どういうことです?」

 誠が訊くと、北條はこちらへ視線を向け、

「そのことで氷川さん、是非あなたのお話が聞きたいのですが。できればふたりきりで」

 何故、ここではいけないのだろう。その疑問は小沢が告げる。

「男ふたりで何しよう、ていうの? 話があるならここでしなさい」

 「小沢さん」と北條は心底面倒くさそうに、

「氷川さんはおしめの取れない赤ん坊じゃないんだ。いい加減に保護者面はやめたらどうです?」

 「それ言えるかもしれないですね」と笑う尾室に、小沢は険のこもった視線を向ける。無言の圧力に尾室はすぐに失言を悟り、だんまりを決め込んだ。

 

 流石に出向して半年近く立てば、沼津署内の構図も把握できるようになった。いつの時間帯にどこの場所でなら、人目につかずに済むのか。それほど長く話すつもりはないからか会議室の使用申請は出さなかったらしく、北條は駐車場への勝手口まで誠を連れていき、足を止めた。確かにこの場所なら、早退する署員がいない限り誰も近寄っては来ない。

「北條さん、僕に聞きたい事とは?」

「あかつき号についてです」

 その質問は各所で何度もされたものだが、ようやく落ち着いてきた今となっては懐かしく思える。

「どうして今更そんなことを訊くんです?」

 それが率直な疑問だった。今まで何かにつけて「あかつき号の英雄」と皮肉を込めて誠に付け寄ってきたのは北條だったのに。

「北條さんは既にご存知のはずですが」

「いえ、是非もう一度あなたの口からお聞きしたいんです」

 そう告げる北條の声色には、これまでの皮肉の一切が排されている。

「あなたはたったひとりで荒れ狂う暴風雨のなか、あかつき号の人々を救出した。その時の状況を、できるだけ詳しく」

「それは、構いませんが………」

 とはいえ、誠もあの事件の報告書には見聞きしたこと全てを書いた。報告書の記載が全てなのだが、恐らくこれまで誠にあかつき号の話を持ち掛けてきた者たちの中で、北條を含めてまともに報告書に目を通した者は皆無に等しいだろう。静岡県警でも警視庁でも、超局所的な暴風雨の中にあったフェリーボートに誠が単身で救助に向かった、という認識でしかない。プラスアルファとして、海上保安庁の巡視船が私用のためあかつき号の救難信号を無視した、という上層部の汚点という面もあったが。

 あの日の不可思議さをまともに聞いてくれたのは小沢と尾室だけ。聴聞会で報告した際も、誠の証言は戯言として切り捨てられていた。

「そうですね、北條さんが知らない事がひとつだけあります」

 そう言うと、北條は僅かに目を見開く。どんなに荒唐無稽でも、彼は誠の話を一字一句聞き漏らさないつもりだ、と確信できる。

「あれは、普通の海難事故ではありませんでした。あの日パトロール中だった僕は、今までに見たことのない現象を目撃しました」

 気味悪さすら覚えるほどの晴天。海から空へ昇っているのか、空から海へ降りているのか分からない光の柱。既に2年が経ったが、あの日の光景は今でも目蓋の裏に貼り付いている。

「そして近くを通りかかった漁船に協力を頼み、現場に向かった僕は光の中で暴風雨に見舞われているあかつき号を発見したんです」

 「なるほど」と北條は嘆息する。

「一種の異常気象とも考えられますが。救出した人々に、何か変わったところはありませんでしたか?」

「いえ、皆ただ怯え切った様子で――」

「怯えていた? 何に対して?」

「それは……、あんな目に遭ったんです。当然だと思いますが」

 当時はただ必死だったが、誠も救助後に落ち着いてからは遅れた恐怖に苛まれた。よくあんな状況の船に行こうと思ったものだ、と。下手をすれば自分も荒波に攫われ死んでもおかしくはなかった。両親からも立派な行いだが無茶はするな、と叱責されたものだ。

 北條は沈黙する。頭の中で何かを組み立てているように見えた。乗員乗客たちの恐怖の根源。そこに何かの鍵があるというのか。そもそも、あの事件とアンノウンに、一体何の関係があるのだろうか。

 

 

   4

 

 涼の脳内に戦慄が走ったのは、スーパーでの買い出しの帰り道だった。いつものように、奴らは何の前触れもなく現れる。咄嗟にバイクを停めて空を見上げた。灰色の雲が掛かりつつある空を、鳥にしては大きすぎる黒い影が滑空している。

 どうやら涼を狙っているわけではないらしい。カラスのような翼を広げたアンノウンが、徐々に高度を下げていく。涼はバイクをターンさせ、その後を追った。アンノウンの進路、そこには通勤中なのかスーツ姿の女性が自身に迫る異形に気付かないまま歩いている。

 空気を斬る音に気付いた彼女が振り返ったときには、既に遅かった。眼前にまで迫っていたアンノウンは彼女の体を容易く突き飛ばし、そのまま地面に降り立つことなく高度を上げて空高く飛び去っていく。宙を舞って地面に伏した女性は、涼がバイクで近付いても何の反応も示さない。

「おい! しっかりしろ!」

 女性を抱き起こして強く呼びかけるが、その目蓋が開く気配はない。「おい!」と更に呼びかけたとき、横から手が伸びてきて女性の手首に指を当てた。

 視線を上げると、サングラスを掛けた壮年の男がいる。男は次に女性の口元へ耳を近付けた。その行動が脈と呼吸の確認と、涼は遅れて気付いた。

 男は涼へ顔を向け告げる。不気味なほど至極冷静に。

「まだ脈があります。手を貸してもらえませんか? 病院に運びたいんですが」

「あんたは――」

「あなたと同じ通りすがりの者ですよ」

 「さあ」と男は女性を抱きかかえ、自分のバイクのリアシートに乗せた。意識のない彼女に掴まることは不可能だから、積載用の紐を赤ん坊のおんぶ紐のように使って背中に女性を縛り付ける。

 女性に被せるヘルメットが無いから道中でパトロール中の警察に見つかりやしないか、と冷や汗ものだったが、幸いにも遭遇は免れ沼津市立病院まで運ぶことができた。免れた、というよりも、男は市内の道を熟知しているようで警察があまり通らないルートを選んでいたように思える。

 裏口のほうから病院に入り、男は廊下に設置されていたストレッチャーに女性を寝かせる。すぐ近くで仕事中だった看護師が驚きながら「あなた達は?」と寄ってくるが、男は臆することなく、

「身内の者です。早く検査をお願いします」

 緊急事態であることを察してくれたのか、看護師は追求を止めてストレッチャーを押すのを手伝ってくれる。

 女性が検査室へ運び込まれてから、30分も掛からなかったと思う。男が一体何者なのか、と考える間もなく、涼は医師から呼び出され診察室で説明を受けていた。そういえば、身内と名乗ってしまったがどう説明したら良いだろう。こんな事態のときに何故か下らない心配をしてしまう。

 中年の男性医師はPC画面にレントゲンとCT検査の画像を表示させ、

「あまり良い状態とは言えませんな。折れた肋骨が著しく内臓を破損しています。緊急手術(オペ)の必要があるでしょうが、生恋率は極めて低い。覚悟はしといて下さい」

 正直なところ、赤の他人だから悲観に暮れるほどの情は沸かない。だからといって臨終に立ち会うのも目覚めが悪いが、もはや涼にできることは何もない。そもそも、病院で運ぶのも涼は殆ど何もしなかった。ほぼ全て、この謎の男がしたことだ。

「どこへ行くんですか?」

 出口へ向かおうとする涼の背に、男が尋ねてくる。

「できるだけの事はした。もう俺たちの出番は無いだろう」

 振り返ると、男はサングラス越しに涼を見据えている。先ほどの対処から多少の医療行為はできるようだが、ここまで来たら専門的な知識と技術を持った医師に任せるべき。本当の身内にも連絡してくれるだろう。

 でも男は、まだお役御免、と引き下がるつもりはないようだった。

「乗り掛かった舟という事もありますよ」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。