まずは、今年に入ってやっと出番が来た主人公の弥生から。
「これ……で……よし……っと……」
鏡の前でクルリと体を回してから、どこにも問題が無い事を確認した。
今日は以前に箒と約束した夏祭りの日。
今日と言う日に備えて、私は押し入れから浴衣を取り出して洗ったり、アイロン掛けをしたりした。
本当は普段着で行くつもりだったんだけど、アメリカから帰ってきたおじいちゃんに夏祭りの事を話したら、『それなら浴衣でも着ていけばいい』と提案された。
私的にはどっちでもよかったので、二つ返事で了承した。
で、今に至るって訳。
「大丈……夫……だね……」
ちゃんと腕も足も肌が露出しないように、いつものように腕袋などで隠してあるし、首元なんかもキッチリと締めて見えないようにカモフラージュを施していた。
かなりの重装備だけど、これなら私でも問題無く浴衣が着れる。
「もう……着いてるの……かな……」
今、家にいるのは私一人だけ。
おじいちゃんはと言うと、私から夏祭りの事を聞いた途端に色々と準備をし始めて、今日もそそくさと私よりも早くに出かけていってしまった。
多分だけど、今回はこっちで屋台を出すつもりなんだろう。
お蔭で、夏祭りの楽しみがまた一つ増えた。
(でも、おじいちゃんってちゃんと場所を分かってるのかな?)
夏祭りが開催されるのは、箒の実家である『篠ノ之神社』と言う場所。
ここからは少し距離があるが、そこまでじゃないので大丈夫。
(……おじいちゃんの事だから、普通に知ってそうな気がする)
伊達に歳を重ねているだけあって、おじいちゃんはかなりの物知りだ。
この近辺の神社の場所程度なら、全て頭の中にインプットしてるだろう。
(日も暮れ始めてきたし、私もそろそろ出発しようかな?)
家の戸締りをちゃんとしてから、久し振りに草履を履く。
少し歩きにくいけど、これぐらいなら問題無いだろう。
出かける直前に、犬の外務大臣の体に寄り添うようにして、猫の財務大臣が気持ちよさそうに寝ている奇跡のツーショットを目撃したので、迷う事無く写真を撮った。
静かに寝息を立てている犬と猫のコンビは反則だよ……。
・・・・・
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・・・
・・
・
私の実家であり生家でもある篠ノ之神社。
夏休みの間、私は少しだけここにいることになっている。
ここでこうして過ごすのは本当に久し振りで、今となっては何もかもが懐かしい。
昔よく一夏と共に通っていた剣道場もそのままの姿で残っている。
これを見ると、自然と幼い頃の事を思い出すが、今はどうでもいい。
今日、最も重要な事は別にあるのだから。
(きょ……今日はこの神社で夏祭りが開催される。それは即ち、私と弥生が夏祭りデートをする日でもあるという事!)
そう。弥生の家で勉強会を開き、その場で彼女を夏祭りへ誘った日から、ずっと悶々とした日々を送っていた。
自分でもはしたないと分かっていても、色んな妄想が頭を過ってしまうのだ。
『この……たこ……焼き……美味しい……よ……』
『私の林檎飴も美味しいぞ』
『それじゃ……あ……食べさせあいっこ……する……?』
『えぇっ!?』
『はい……あ~ん……』
『あ……あ~ん……』
なにこれ最高。
弥生と一緒に食べさせあい……絶対にしたい!!!
いや、絶対にする!!! 絶対にだ!!!
「ほ……箒ちゃん? そんな所に立ってどうしたの?」
「はっ!?」
いきなり声を掛けられて我に返る。
慌てて振り返ると、そこには私の叔母である雪子叔母さんが着物姿で立っていた。
いつ見ても優雅な物腰で、同じ女として羨ましく思ってしまう。
「す……すいません。ついボ~っとしてしまって……」
「別にいいのよ。懐かしの実家ですもの。色々と思い出が蘇ったりしても仕方ないわ」
本当にすいません……。
過去の思い出よりも、弥生と過ごす妄想を思い描いてました……。
「でも、本当によかったの? 貴重な夏休みなのに夏祭りの手伝いなんかして……」
「それこそ気にしていません。ここは私の家ですし、手伝うのは当たり前です。それに、ジッとしているよりも体を動かしていた方が落ち着きますから」
「あらまぁ。そう言って貰えるとこっちも助かるわ。でも、折角の夏祭りなんだから、誰か誘いたい男の子の一人でもいたりしないの?」
「いえ。男は全くいませんが……」
「女の子ならいる?」
「うっ……」
バレてる……。
昔から、この人だけには隠し事が出来ない……。
「ふふ……。そうよね。今通っている場所は実質的に女子高みたいなものだものね。女の子に恋しても不思議じゃないわ」
「あはは……」
もう乾いた笑いしか出ない……。
「大丈夫よ。誰を好きになっても、私は箒ちゃんを応援するから」
「ありがとうございます……」
本当に、この人には敵わないな……。
「もしかして、その子を夏祭りに誘ってたりしてるの?」
「な……なんでそれを……」
「最近の箒ちゃん、どうも浮かれ気味だったから」
そ……そうだったのか……!
悶々としていた自覚はあったが、浮かれてもいたとは……。
「それなら、その愛しの彼女が来る前に体を綺麗にしないとね。18時から神楽舞があるから、今のうちにお風呂に入っておくといいわ」
「分かりました」
い……愛しの彼女か……。
なんて甘美な響きなんだ……。
こんなにも素晴らしい日本語がこの世に存在してたんだな……。
それからも頭の中は弥生と回る夏祭りの事で一杯となり、弥生の浴衣姿なんかを妄想しながら風呂に入った。
弥生の浴衣姿……絶対に可愛いんだろうなぁ~……♡
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・・・
・・
・
「おぉ~……」
夏祭り会場である篠ノ之神社に辿り着くと、思っている以上に賑わっていた。
人も沢山いて、暗くなりかけているにも拘らず、電飾などでとても明るい。
(ここからでも見えるのが、篠ノ之神社の境内か……)
大きいな~。
自分自身が和の家に住んでいるせいか、こういった雰囲気を醸し出す建築物はとても大好きだ。
木製の家が出す独特の香りは非常に落ち着ける。
(法被を着た夏祭り実行委員っぽい人達が慌ただしく東奔西走してる。今から何かあるのかな?)
夏祭りである以上は、屋台以外にも色々とイベントが開催されるのかもしれない。
食べ物系屋台の制覇だけを目的にしている私には関係の無い話だけど。
「いい……匂いが……そこら中から……♡」
あっちこっちから魅惑の香りが漂ってきますニャ~♡
ほんと、どれから行こうか迷っちゃうよ~♡
目移りしちゃうニャ~♡
あ! 早速たこ焼きの屋台を発見! いざ、突撃~!
「お! 可愛いお嬢ちゃんだな! どうだい、お一つ!」
「ください……」
「毎度あり! ここらじゃあまり見かけない顔だけど、ここの夏祭りは初めてかい?」
「はい……」
「そうかそうか! それなら、初めて記念として、一つ多くおまけしといてやるよ!」
にゃんと! それはラッキー!
「ありがとうございます……」
「いいってことよ! 可愛い女の子にはサービスしねえとな!」
可愛いは余計です。
でも、たこ焼きサービスは素直に感謝です。
「ん?」
なんだか境内の方が騒がしいような気が……。
「遂に始まったか! くっそ~! 俺も見てぇなぁ~!」
「何を……です……か……?」
「そうか。お嬢ちゃんは初めてだから知らないのも無理はねぇな。この神社の巫女さんが『神楽舞』を披露してくれてんのさ」
『神楽舞』とはなんぞや。
聞こうとも思ったけど、なんか話が長くなりそうな気がしたので知ってる振りをする事に。
「なんでも、現役の女子高生が巫女さんをやってるらしいんだよ」
……まぁ……おじさんも男の人だもんね。仕方ないよね。
それに、この神社で現役女子高生って言えば、私が知る限りでは該当する人物は一人しかいない。
(折角、誘って貰ったんだし……私も少し見てみようかな……)
箒の普段とは違う一面を見てみるのも悪くは無い。
いつもはこっちが見られてるんだ。
偶には見る側になるのもいいだろう。
「はいよ! たこ焼きお待ち! 400円……と言いたいところだが、サービスついでに値段の方も半額にしておいてやるよ!」
「い……いんで……すか……?」
「おうよ! 構いやしねぇさ!」
なんて男気……。
これが祭りの男って奴なのか。
「それじゃ……あ……200円……」
「毎度あり! また来てくれよな!」
おじさんに手を振られながら、私は屋台を後にした。
ん! このたこ焼き………美味しい!
外はカリッとしてるのに、中はふんわりとジューシー!
タコもプリップリで最高~♡
熱さなんて気にしなくなる程に美味しいよ~♡
(よし。境内の方に向かいながら、食べ物系の屋台を攻略していこう)
そうと決まれば……次は向こうに見えるかき氷屋さんだ~!
タコ焼きで油まみれになった口の中を洗浄しないとね。
その後にまた粉系の食べ物を食べに行かなくちゃ!
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
「や……弥生……」
「ん」
神楽舞を終えた後、まだ弥生が来るまで時間があると思った私は、巫女服に着替えた後にお守り販売の手伝いをしようと販売所までやって来た。
すると、そこには既に待ち構えていたかのように浴衣姿の弥生が立っていた。
普段は自然な形で流している黒く長い髪を後頭部で纏めていて、浴衣の柄は淡い紫色で朝顔が描かれていた。
もうハッキリ言ってしまおう。
私の想像の100倍以上に、浴衣姿の弥生は可愛かった。
「さっき……の神楽舞……」
「み……見てたのかっ!?」
「ん」
は……恥ずかしいぃ~!!
まさか、弥生に神楽舞を見られるとは……。
嬉しさと恥ずかしさが半分半分だ。
「凄く綺麗……だった……よ……」
「そ……そうか……」
今の弥生の方がずっと可愛いわ!
いや待てよ……もしも弥生が神楽舞の装束を身に纏ったら……。
(間違いなく最強に美しい……♡)
私などよりもずっと似合うのではないか?
要領のいい弥生なら、すぐに舞も習得してしまいそうだし。
「ん?」
そう言えば、弥生の腕に幾つものビニールが掛かっているような……。
「なっ!?」
間違いない……あれは、夏祭りに出店をしている食べ物!
もう既にかなり数の店を制覇しているのか……!
よく見たら、弥生の両手にはそれぞれに焼きトウモロコシとかき氷が握られているではないか。
「さ……流石は弥生。早くも屋台の食べ物を食っているんだな」
「うん。どれ……も美味しい……♡」
なんて幸せそうな笑顔。
やっぱり、弥生は食べている瞬間が一番幸せなんだな。
(前にも鈴辺りが言っていたが、これだけ食べて全く太らないのは本当に凄いな……)
同じ女子として、羨ましいの一言に尽きる。
よくある大食い選手達と同じ胃の構造をしているのだろうか。
「あら。もしかして、その子が箒ちゃんの待ち人ちゃん?」
「ゆ……雪子叔母さん……」
私が弥生と話している間に、後ろから雪子叔母さんがやってきていた。
全く気が付かなかった……。
「成る程ね。確かに、とても可愛らしいお嬢さんね。この子なら納得」
何が? とは問わない事にしよう。
「えっと……?」
「あぁ。この人は私の叔母に当たる人で、雪子さんと仰るんだ」
「篠ノ之雪子です。よろしくね?」
「板垣弥生……です」
「弥生ちゃんね。見た目通り、可愛い名前だわ」
「どうも………」
叔母さんナイス!
照れ顔の弥生をバッチリ脳内フォルダに保存完了だ!
「弥生ちゃんが来てくれたのなら、箒ちゃんは彼女と一緒に行ってきなさいな」
「いいんですか?」
「構わないわよ。箒ちゃんも、弥生ちゃんが来るまでの暇潰しのつもりだったんでしょ?」
「うぐ………」
どこまでこっちの思考を読んでるんだ……。
「そうと決まれば、まずはさっきの舞の汗を流してこないとね。その間に浴衣を用意しておくから」
「お……お願いします」
ここは大人しく叔母さんのご厚意に甘えよう。
これ以上、弥生を待たせる訳にはいかないしな。
「ちょっとだけ待っててね。すぐに来るから」
「大丈夫……です。待ってる間……に……また屋台……を回ってま……すか……ら……」
弥生のドヤ顔からのサムズアップ。
いつもは見れない弥生を沢山見れている!?
今日はアレか!? 私の人生最高の日なのかっ!?
「それがよさそうね。あまり食べ過ぎないようにね」
「了解……です……」
叔母さん。弥生にその心配は本気で無用です。
胃の構造自体が私達とは違いますから。
(急いで支度をして弥生の元まで戻ってこなくては……!)
だが、焦って逆に汗を流すのを疎かにしてはいけない。
弥生に汗臭く思われたくはないからな。
慌てず騒がず迅速実行の精神で準備をしよう!
だから、待っていてくれ弥生!
私はすぐに戻ってくるからな!
今年初めての弥生ちゃん登場。
新年最初の登場が浴衣って凄いですね。
流石は主人公。
次回は一夏が幕張メンバーを伴って夏祭りにやって来ます。