豊かなスローライフを目指して   作:どん兵衛
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十一話 雛が巣立つ刻

 

 荊州、南郡は襄陽県。

 襄陽県の澄みきった湖から臨む、緩やかな山岳地帯の一角に司馬徽が開く学問所があった。

 その名も水鏡女学院。水鏡とは司馬徽の号。号とは現在でいうところの筆名(ペンネーム)のようなものだ。司馬徽はそこで才を問わず、意欲ある者に門戸を開いては学問を教えていた。

 司馬徽は生徒から学費を取らず、住み込みの生徒を中心に分担して自給自足の生活を送っていた。みんなで畑を耕しては山で山菜や茸、湖で魚を取るという、ゆったりとした生活を送る。

 

 司馬徽の才は広く知れ渡っていたが、司馬徽は一度たりとも仕官の誘いに応じなかった。

 俗世から離れ、静かに隠遁生活を送る。生活は必ずしも裕福ではなかったが、司馬徽は自然溢れる長閑な暮らしの中で、多くの書物と可愛い生徒達に囲まれていればそれで幸福であった。

 司馬徽の下には多くの才ある生徒が集まった。司馬徽は生徒達からは慕われたが、その排他的とも映る暮らしぶりは、必ずしも好意的に受け入れられはしなかった。司馬徽の才を求める者達からは時に揶揄の対象となることもあった。

 

「勝手に期待して、勝手に失望して…………」

「みなさん、自分達のことばかりです。誰も先生の気持ちを考えてはくれないのかな…………」

 

 水鏡女学院に通う諸葛亮と鳳統の二人は、そんな勝手な世間の者達にうんざりしていた。

 宥めすかし、甘い言葉をかけては仕官の誘い文句を述べ、断られれば一変して吐き捨てるように去っていく。人材を推挙するだけに腐心する者達にとっては、別に司馬徽である必要はなかった。

 優れた人物、または「そういう評判の人物」であればそれでよかった。司馬徽が学問所を開いているということにも特別な関心はなかった。「辞めさせればいい」と思ったのかもしれないし「場所を移せばいい」と考えていたかもしれない。どちらにしても、それだけのことであった。

 

「みんな勝手だよね。雛里ちゃん」

「そうだよね。朱里ちゃん。ホント勝手だよ」

 

 諸葛亮と鳳統の二人は、我執に囚われ師を軽んじる世間の者達を好きにはなれなかった。

 

 

 

 

 

 潮目の変化は、南郡の太守が代わってから。

 新しい太守は初めから評判が高かった。前漢皇族の血を汲む由緒正しき、劉一族の出自である新しい太守に領民は皆、高い期待を寄せていた。

 

「────新しい太守様、だってさ雛里ちゃん」

「そう、みたいだね。朱里ちゃん」

 

 そんな中でも諸葛亮と鳳統は変わらない。

 太守が誰であろうと自分達には関係ない。当初の二人はツンツンとした態度を崩さなかった。

 どうせ会うこともない、赤の他人でしかないと。自分達の師を、自分達の生活圏を阻害しないのであればどうでもいいと。二人はそんな冷やかな目で新しい太守を迎えたのだが────。

 

「でも、内政から行ったのは評価できるかな」

「内政の中でも疎かにしがちな、治安維持に率先して取り組んだのは凄いよね。朱里ちゃん」

「別に凄くないよ雛里ちゃん。当然のことだよ。評価はできるけど、凄いって程じゃないかな」

 

 まるっきり興味がないと言うわけでもない。

 学問を修める二人にとって、為政者の仕事ぶりというものは参考にしたくなるもの。

 ツンツンしていても気になるものは気になるもの。新しい太守が評判倒れじゃなさそうなことに二人は内心ホッと安堵しつつ「なら、どれぐらい出来る人なんだろう」と次第に興味も覚える。

 

「────次は治水工事だってさ雛里ちゃん」

「善く国を治める者は、必ずまず水を治める、だよね朱里ちゃん。水害や干ばつ対策かな」

「管仲の言葉だね。それに並行して灌漑も行うって聞いたけど、下手に水路を造ると水利権を巡る問題や耕作地への影響も心配になるかな…………」

「そのことなんだけどさ、太守様が都から専門家を連れて来てるから大丈夫って話も────」

 

 一度語り始めたら止まらない二人。

 いつしか二人の話の中心には、新しい太守が行う内政のことが頻繁に挙がるようになっていた。

 

「交通路の整備なんだけどね、雛里ちゃん」

「うんうん」

「意図的に伐採せず、雑に残してる森林地帯があるけどさ。太守様、敢えてそうしてるよね」

「やっぱり朱里ちゃんもそう思う?私も進軍路を限定してる気がしてたんだ。絶対そうだよ!」

「だよねだよね!益州方面から進軍して来ると仮定した場合さ、この地に森林地帯が在るか無いかで大きく変わってくるもんね!絶対にそう!」

 

 南郡の新しい太守。つまりは劉表の内政。

 まさか劉表も、諸葛亮と鳳統に自分の内政を分析されているとは思いもしていないだろう。

 手を取り合っては考えの一致を喜ぶ二人。一人は諸葛亮。字を孔明。真名を朱里。紫紺のベレー帽を被った金髪ショートの美少女。「今です!」と手に持つ羽毛扇を振れば全てが成功しそうな、そんな不思議な雰囲気も秘めている。学問を修める生徒らしく、顔や体型には些か幼さが残る。

 もう一人は鳳統。字を士元。真名を雛里。ツバの長いトンガリ帽子を被った、快晴の空のように澄んだ蒼く長い髪を両サイドで結んだ魔女っ娘美少女。その人見知りした性格を物語るかのような不安気な瞳がなんとも愛くるしい限りである。鳳統も諸葛亮と同じく、顔や体型は非常に幼い。

 

「やっぱり今の太守様ってさ────」

「うん、少し────じゃなくて、かなり凄い太守様だと思うよ。領内の評判もずっと良いし」

 

 後に劉表に仕え、天才軍師として大陸中に名を轟かすことになる諸葛亮と鳳統の二人。

 二人は軍師の卵である頃から、その卓越した才気を発揮しては劉表の統治を評価していた。

 劉表が優れた太守であること。そして領民に良く慕われていること。幕僚も粒揃いで、地元の豪族もよく従っていること。まだ劉表が南郡を治めて数カ月ではあったが、これから地盤が固まることは二人の目には明らかだった。優れた太守は二人にとっても喜ばしいと思う。だが────。

 

「────雛里ちゃん。太守様、やっぱり先生を連れて行っちゃうのかな?」

「どうなんだろうね、朱里ちゃん。今の太守様、求心力も高そうだから断ったら先生、もうこの地に住めなくなっちゃうかも。太守様が許しても、太守様の周囲の人達が許さないかも…………」

 

 司馬徽を師と仰ぐ二人には、劉表の存在は必ずしも好ましくばかりは映らなかった。

 優れた太守は時に畏怖の対象となることもある。二人は師である司馬徽のことを想い、悩む。

 やがて劉表が学問を奨励すると、水鏡女学院にも食糧や支援物資を送った。沸き立つ生徒達の中で諸葛亮と鳳統の二人は複雑な思いに駆られる。「外堀を埋められている」二人はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 支援物資が二度、三度と届けられた。

 そうなると学問所の生徒達も次第に、劉表に対して高い好感度を持つようになっていく。

 そんな中でも諸葛亮と鳳統は未だに変わらない。師である司馬徽が自室にて劉表へお礼の文を書く最中、そこへ二人は待ったとばかりに入って行くと、司馬徽に向かって説得を試みる。

 

「先生、待って下さい!これは先生を絡め取ろうとする太守様の工作です!」

「朱里ちゃんの言う通りです!先生をなし崩し的に引き入れようとする太守様の策略でしゅ!」

 

 司馬徽に説得を試みる二人も、自分達が苦しいことを言っているのは百も承知だった。

 乱れていた治安は大幅に改善され、秋には豊作にも恵まれた。流民達が戸籍に戻っては人口も増え、それに比例するように田畑も増加。水田も整備されては、来秋の収穫にも期待が高まる。

 南郡を治める劉表の統治は、現段階ではケチを付けるのが非常に難しいレベルであった。粗を探そうとしていた諸葛亮と鳳統もそれを諦め、言い掛かりに切り替えざるを得ない苦しさである。

 

「二人共どうしたのかしら?」

「どうもこうも、先生は狙われてるんですよ!」

「そうでしゅ!今度の太守様は強敵でしゅ!みんなで団結しないときっと負けちゃいます!」

「あらあら、それは大変ですねぇ」

 

 二人の言葉を聞いた司馬徽は柔らかい笑みを浮かべては、落ち着きのある声色を発する。

 司馬徽は愛する生徒である二人の心中をよく理解できていた。そしてその不安を取り除くことも難しくないだろうという思いもあった。

 収穫期も過ぎた秋の暮れ。もう劉表がこの地へ赴任して来てから半年が経っていた。人物鑑定家として名を馳せていた司馬徽には、太守である劉表の人となりというものが既に掴めていた。劉表が自分を無理に登用するつもりがないことも、支援物資を届ける者達の態度から気づいていた。

 自分が培ってきた人の表裏を見てきた経験と、これまでの交流を鑑みれば十分に二人を納得させられるだろうと司馬徽は思った。が、果たしてそれだけでいいのだろうかとも考えてしまう。

 

「朱里と雛里は、太守様が嫌いなの?」

「…………………………」

「…………………………」

 

 二人を納得させるだけでは根本的な解決にならないだろう、と司馬徽は思った。

 司馬徽の開く学問所には才ある若者が集まっていた。その中でも特に傑出している者は三人。諸葛亮と鳳統はその三人の内の二人であった。

 二人は傑出しているが故に、人の機微というものを常人よりも深い地点で認識していた。数多くの司馬徽を求める者達の言葉尻に籠められた、その淀んだ楽欲を敏感に感じ取ってしまっていた。

 二人にとっての幸運は人里離れた山中に住んでいたこと。そして不幸は、この山中を訪れる者達が良心的な者ばかりではなかったこと。排他的であったのは、あるいは師の司馬徽ではなく、生徒である諸葛亮や鳳統の方なのかもしれない。

 

「嫌いじゃないです。でも────」

「良い太守様だと思います。けど────」

 

 司馬徽はそのことを長く思い悩んでいたが、決定的な改善策が取れぬまま今日に至っていた。

 今回のことが意識を変えるきっかけにならないかと司馬徽は考える。普段から劉表の内政について語り合っていることもそうだ。学問所外の他者に対して二人が関心を寄せることは珍しい。

 この巡り合わせは活かすべきだろう、と司馬徽は思う。二人もいつかはこの学問所から巣立って行く。外の世界を知らずにその刻を迎えるよりは、知った上で迎える方がずっといいだろうと。

 

「────朱里、雛里。貴女達も外の世界のことを深く知る時期が来たようですね」

 

 司馬徽は二人に語りかける。

 自分を説得したいのであれば、説得に足るものを二人できちんと用意しなさいと。

 そのためには人伝で得た噂話ではなく、自らの目と耳で見聞きして知ったものにしなさいと。

 要するに司馬徽は、劉表の治下にある街を見て来なさいと命じた。劉表がどんな人物であるかを正しく知り、その上で説得してみなさいと。

 

「善く人に好かれる者は、善く人を好く者です。貴女達も多くの人を知り、人に好かれなさい」

「は、はい。わかりました!」

「街……。街ですか、どうしよう…………?」

 

 秀でた才知とは羨望や喝采の的になることもあれば、時に恐れられ淘汰されることもある。

 諸葛亮と鳳統ほどの知謀に恵まれた士を求める者は多くとも、それを受け入れられる者は極々限られた一握りであると司馬徽は考えていた。

 そして劉表は、その極々限られた一握りに相当すると司馬徽は見ていた。だからこそ二人には、その目で劉表を見定めて多くを知って欲しい。司馬徽はそう考えていたのだが────。

 

「────あ、あわわ!朱里ちゃん。街ってどうやって行けばいいのかな??」

「え、ええっと────歩いていけばいいと思うけど…………街の方向はどっちだったかな?」

 

 まず二人が街まで辿り着けるか心配だった。

 どうしたものか、と司馬徽が息を吐くも次の瞬間、待ってましたとばかりに部屋の戸が開く。

 そして勢い良く部屋の中へと飛び込んで来たのは、諸葛亮と鳳統と並び立つ水鏡女学院が誇る三傑、その最後の一人である徐庶であった。

 

 

 

 

 

「────先生!話は全部聞かせてもらったで!襄陽城までの引率、ウチが引き受けたる!」

 

 司馬徽の自室へ勢い良く入ってきた美少女。

 徐庶。字を元直。真名を紅里(あかり)。地方の方言が全面に出ている、いかにも活発そうな美少女。

 僅かに肩に掛かる長さの髪は、桜の花びらのような薄紅色に染まっている。その髪は毛先のいたるところが豪快に跳ねているが、それが一層、徐庶の活発さを強く印象付けているようにも映る。

 徐庶はいつも白と赤の巫女装束に身を包み、眠りに就く時にだけ緋袴を脱ぐ。顔や体型は年相応であったが同年代の諸葛亮や鳳統に比べると大人びているため、二人に偉ぶることもしばしば。

 

「あらあら、紅里。貴女も聞いてたの?」

「はい!面白そうな話なら逃すまいと、ずーっと襖の奥に隠れて盗み聞きしとりましたわ!」

 

 水鏡女学院が誇る三傑。

 その中でも諸葛亮や鳳統とは異なり徐庶は少し、いや、かなり毛色が違っていた。

 

「はわわ!太守様の回し者の紅里ちゃんだ!」

「あわわ!一番最初に買収された紅里ちゃん!」

「ふふふ、それは褒め言葉やな!ウチは長いものには巻かれる主義やから、しゃーないんよ!」

 

 三人の中でも徐庶は諸葛亮や鳳統の二人とは違い、劉表のことを早くから受け入れていた。

 劉表と言うよりも、統治者に従うことは当然のこととして受け入れていた。徐庶は二人の気持ちも理解していたが、おそらく今の太守なら心配しなくとも大丈夫だろうとも思っていた。

 そして司馬徽は三人の中で、徐庶が一番しっかりしていると考えていた。山中に篭っては、いくらか浮世離れした生徒達が多い中でも、徐庶は一つ筋の通った意思を持っていると考えていた。

 

「それなら紅里。朱里と雛里と一緒に襄陽城まで向かってくれるかしら?流石に城の中に入ることは叶わないだろうから、城下の街並みを見て来ることが目的になると思うけど」

「はい、先生!ウチに任せて下さい!後、みんなにお土産こうてくるんでお小遣いも下さい!」

「あらあら、紅里はちゃっかりしてるわね」

 

 徐庶はその曇りの無い、赤く大きな瞳を輝かせては司馬徽に小遣いをねだる。

 司馬徽はそれに柔らかく応じると、懐から生徒の人数分の代金を取り出しては徐庶に手渡した。

 

「雛里ちゃん。紅里ちゃん抜け目ないね」

「うんうん、これが本当の狙いなのかも?」

「ほーん、朱里と雛里は土産なんていらんと。ならそうやな、浮いた代金の使い道は────」

 

 しめしめ、とばかりに笑顔で受け取る徐庶。徐庶を見ながらひそひそと話す諸葛亮と鳳統。

 そんな二人の会話を聞いた徐庶は笑顔のままポンと手を叩くと、浮いた代金の使い道をわざとらしく考える。何か買い食いするのもいい。きっと街には美味しいものが溢れているだろうと。

 諸葛亮と鳳統の二人は師である司馬徽に「え、いいんですか」と視線を送る。司馬徽は思わせぶりに微笑むだけで、それ以上は何も告げなかったので「これは不味い」と二人は前言撤回する。

 

「うそうそ!私もお土産欲しいな!」

「紅里ちゃん、意地悪言わないでよ!」

「────ま、ええやろ。ウチは優しいからな。そんじゃ明日は三人で楽しく行くとしよか!」

 

 三人は学問所でも大の仲良しであった。

 後に劉表の三賢者と称えられる諸葛亮と鳳統と徐庶の三人は、こうして旅立つことを決めた。

 

 

 

 

 

 翌日、三人は日帰りで襄陽城へと旅立った。

 

「先生、行って参ります」

「先生、行って参りましゅ」

「先生、お土産期待しとってなー!」

 

 どことなく元気のない様子の諸葛亮と鳳統。そして普段と変わらない様子の徐庶。

 司馬徽は三人を見送りながらそう遠くない日、学問所を巣立って行くであろう三人を想った。

 何時の時代も人の世とは住みにくいもの。智に働けば角が立ち、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈である。だが、そんな人の世をこれから三人は渡り歩いていかなければならない。

 

「────だからこそ、貴女達は真に仕えるに足る主を、その目でしっかりと見定めなさい」

 

 司馬徽は若人達の未来を想い呟く。

 秋分も疾うに過ぎた秋の暮れ。静かに吹き抜けるからっ風は、迫る冬の訪れを予感させた。

 

 




その②を次話に書いて領主編前半が終わりです。
領主編後半は加入したキャラの拠点を書きつつ、袁術や孫家の話などを書いてから黄巾の乱編に流れることになるかと思われます。







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