豊かなスローライフを目指して   作:どん兵衛

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十三話 雛が巣立つ刻③

 

 城壁には外側とは違い、内側には階段がある。

 従って上がるのは簡単だ。簡単だが、上がったところで出来ることなんて限られている。

 場所が場所なだけに落下する危険性がないとは言い難く、子供が遊ぶ場所には相応しくはない。だが大人だって一度か二度、そこの景色を眺めれば大抵の人は満足するような場所である。

 三人が城壁の上へと上がった際、もう時間が遅いことも相まってか、周囲は閑散としていた。少し離れた場所に若い男が一人いたが、それ以外に人影は無く、まさに誂え向きの場所と言えた。

 だから三人は徐庶の予定通り、そのまま静かに外の景色を眺めればよかったのだが────。

 

「────ふむ、今日は風が騒がしいな」

 

 すっかり日も傾き始めた時刻。

 諸葛亮と鳳統と徐庶の三人は、唯一その場にいた若い男に目が釘付けになっていた。

 男は両腕を組み、そこに立っては吹き抜ける風にあたり、沈みゆく日輪を眺めながら赤い大地を俯瞰する。その落ち着きのある所作や、揺らぎなく立つ姿からどうしても目が離せない。

 見るからに上流階級と思わせる身なり。そして整った容姿を見ていると身分差を感じずにはいられないが、男の黒く柔らかい瞳は三人に言い表せない親近感を抱かせる。そこに平伏を促すような圧迫感はなく、話せばすぐにでも打ち解けられそうな、そんな魅力を三人は男から感じ取った。

 

 声をかけてみようと思ったのは徐庶。

 悪い人ではなさそうだし、今の沈んだ空気を変えるにはこういう出会いが必要ではないかと。

 それでも徐庶は声をかけられなかった。というのも次の瞬間、男がハッとするような遠い目をして何かを呟いた際、この人は一人でいることに満ち足りているんだと徐庶は察したからだ。

 黄昏時に差し込む光は美しく、三人は赤く照らされる男をジッと見つめていた。なんとも不思議な時間が流れる。あるいは時間そのものが停まっているような、そんな謎めいた感覚に襲われる。

 重々しくない沈黙。それを破ったのは場に吹き抜ける一陣の風。三人にとって追い風が吹く。

 

「────────あっ」

 

 強い風が吹き抜けては、鳳統の声が漏れる。

 風は鳳統の被っていた鍔の長い、楕円形のとんがり帽子を乗せて空高く舞い上げた。

 そしてそのまま、舞い上がった帽子は導かれるようにふらふらと男の前に落ちる。「あっ」と三人が声を揃えると同時に男は興味深そうに帽子を拾うと周囲に目をやり、三人の存在に気づく。

 

「やあ、この可愛い帽子は君達の落し物?」

 

 帽子を拾った男は落とし主であろう三人の下へと近づくと、にこやかに声をかける────。

 

「…………………………」

「…………………………」

「…………………………」

 

 ────も、誰からも返事が返ってこない。

 男に見入っていた三人は、急な展開にお互い顔を見合わせてはコクコクと頷くのみ。

 帽子を落とした鳳統は恥ずかしさのあまり、普段の癖で帽子の鍔深くに顔を隠そうとするも、被っていないので空振りに終わっては余計に恥ずかしくなる。顔も耳もたちまち朱に染まった。

 そんな様子を見た男は「ああ、そういうことか」と場を理解する。男から見ると三人は年若く可愛らしい少女であった。なるほど、見知らぬ男から声をかけられては戸惑い緊張しているのか。男は自らの名を明かすことで少女達の緊張を和らげたいと考えるも、すぐにその考えを流す。

 

「心配することないよ。僕は怪しい者じゃないし、君達に危害を加えるつもりもないからさ」

 

 そう口にした若い男の名は劉表。この地域一帯を治める南郡の太守の名である。

 そして劉表は思う。自分が名を明かせば目の前の少女達は委縮してしまうかもしれない。今でも硬い様子の少女達。なにも帽子を落としたぐらいで余計な気を回させることもないだろうと。

 気を利かせた劉表の配慮であったが、残念ながら効果は薄い。というのも、見る人が見れば劉表の高価な着衣や、洗練された立ち居振る舞いは到底、隠し通せるようなものではなく────。

 

(こ、この人、偉い人だ!)

(絶対偉い人です。うぅぅ、恥ずかしい……)

(間違いなく、やんごとない身分の人やろなあ。なんでこないな場所に一人でおるんやろう?)

 

 ────三人にはバレバレであった。

 それでも気を遣われていることは理解する。帽子を拾ってくれたことといい、良い人だと。

 このまま感謝の言葉を述べて離れるのであれば、それであっさり終わる話であった。それでも前述の通り、徐庶は沈む空気を変える何かを求めては先程、劉表に声をかけようとしていた。

 ならばこの出会いを逃す手はないんじゃないか。そう考えた徐庶は人懐っこい笑みを浮かべると、両手を擦り合わせながら劉表の懐に一歩踏み込んでは、おどけた口調でこう続けてみせる。

 

「────またまた兄さん、かなんわぁ。怪しい人ほど怪しくないって言うもんちゃう?」

「ハハハッ。それもそうかもしれないね」

「まー兄さん、カッコいいから怪しくてもええかな。せやからウチらと、お話していかへん?」

「お話?ああ、君達が良ければ僕は構わないよ。ところでこの帽子は誰に返したらいいのかな?」

 

 徐庶の申し出を劉表は快く承諾する。

 劉表のことを偉い人だとは思っていても、まさか太守とまでは考えていない徐庶。

 その影に隠れてモジモジと照れ臭そうにしている諸葛亮と鳳統の二人も同様である。そして劉表の方も何気なく話しかけた相手が、まさか諸葛亮と鳳統と徐庶だとは露程も思っていなかった。

 

 

 

 

 

 公的な場ではなく私的な場であれば、身分を明かさない方が話しやすいこともある。

 劉表は一期一会となるかもしれない人との出会いにおいては、なるべく対等な関係で話したいと思っていた。身分を明かすことで口調や態度を改められるということは、時に窮屈でもある。

 

「────ほうほう、君達は来訪者なのか」

「せやねん。ウチら三人で観光に来てんよ!」

「ふむ、日帰りの観光とな。楽しそうでいいけど、暗くなる前には帰らないとね」

「フフッ。ウチこれでも剣には覚えがあってな。追い剥ぎが出たら剥ぎ返すから大丈夫や!」

「うーん、それは大丈夫と言っても良いのやら。まあ、いいや。それでこの街はどうだった?」

 

 だからこうして徐庶が気さくに受け答えしてくれていることは、劉表にとっても楽だった。

 だが、そんな徐庶とは異なり、諸葛亮と鳳統の二人は依然として硬いまま。相手の身分を察していて馴れ馴れしくするなんて真似は難しい。むしろ二人は、徐庶の軽口に冷や冷やしていた。

 そんな様子を見てか、徐庶は劉表の問い掛けをそのまま二人へと投げる。ジッと視線を送り、最初に目が合ったのは諸葛亮。諸葛亮は思わず「はわわっ」と動揺してみせるも、徐庶がこうなっては逃してくれないことを長年の付き合いから知っていた。諸葛亮は意を決して劉表へ口を開く。

 

「え、ええっと、良い街だと思います!」

「そうかそうか。楽しんでくれたら何よりだよ」

 

 いくらか緊張気味の諸葛亮は無難に答えるも、その面白味のない回答に徐庶は眉を曲げる。

 不満気な徐庶は「うーん……」と唸っては天を見上げると、すぐに手の平をポンッと叩いては劉表の服の袖を掴む。そしてクイクイと二度引き、それを受けて屈んだ劉表にそっと耳打ちをした。

 

「あんなあんなー兄さん…………」

「うん?どうかしたの?」

「あの子なーんか真面目ぶっとるけどさ。実はさっき、こっそり書店に入って行ってさ────」

 

 艶本買ってたんよ、と徐庶は暴露する。

 その声は耳打ちと呼ぶには大きく、すぐ傍にいた諸葛亮と鳳統の耳にも届くことになった。

 

「────ほうほう。可愛い顔して意外とませてるね。まあ、そんなお年頃なのかな?」

「ちなみに知らん顔しとる横の子もグルやで!」

 

 暴露は瞬時に鳳統へも波及する。

 諸葛亮と鳳統の二人は徐庶の暴露に顔を赤く、どころか目をグルグル回しては慌てふためく。

 

「はわわ!紅里ちゃん!?」

「あわわ!気づいてたの!?」

「そら、気づくよ。不審でしかなかったしな!」

「あ、そっか。それもそうかも────じゃなくて!どうして言っちゃうのさ!?」

「そうだよ!お兄さんに変な子だって思われちゃうじゃない!ダメだよ紅里ちゃん!」

「そんなん知らんわ!ウチを仲間外れにした朱里と雛里が悪い!ホンマ薄情もんやで!!」

「だって紅里ちゃんペラペラ喋っちゃうし!ほら、今だってそう!それにこの前も────」

 

 何時の時代も女三人寄れば姦しいもの。一度火がつけば賑やかにワイワイと話し始めた。

 その結果、身内話に入れず半ば置いてけぼりとなってしまう劉表。それでも劉表はニコニコと相槌を打ちながら話を弾ませる三人を眺める。

 その後も話は続いたが、空が次第に暗くなると、それに合わせるかのように次第に口数が少なくなっていく。諸葛亮と鳳統と徐庶の三人は、そろそろ水鏡女学院へと帰る時刻が迫っていた。

 それに気づいた劉表は、名残惜しくも今日の話の締めとばかりに口を開く。だが────。

 

「最初は少し元気がないようにも見えたけど、どうやら僕の杞憂だったかな。街を楽しんでくれたみたいでよかったよ。また何時でも遊びに来るといい。短い時間だったけど、ありがとうね」

 

 劉表が言った何気ない言葉が心に沁みては、どうしようもなく諸葛亮と鳳統を辛くさせた。

 

「────────っ!」

「────────っ!」

「はぁ、兄さんも間が悪い…………ってこともないか。悪いのはどう考えてもウチらの方や」

 

 額を抑え、ため息をつく徐庶。

 そして俯く諸葛亮と鳳統の二人は、どこか許しを請うかのように心の内を劉表に曝け出す。

 

「────私にそんな資格はありません」

「私もそうです。本当なら今日、街を楽しむ資格すらありませんでした。なのに私は…………」

 

 

 

 

 

 諸葛亮と鳳統の二人は今日ここへ来た時の心情や、それまでの経緯を劉表に吐露し始める。

 師である司馬徽の名を伏せたことを除いては、ほとんど全てを打ち明けた。打ち明けてしまえば楽だった。あまりにもスラスラと言葉が続くことに苦笑いを浮かべたくもなるほどに。

 二人は言う。先に続く道が拓けず行き場のない自分達は、今の心地好い居場所を失いたくなかった。それが恒久的に続くものではないとは知りながらも、それに執着しようとしていたと。

 

 自分達はこの街を貶めるために来た。

 それでも街に触れて行くに連れ、自分達の浅はかな考えが次第に恥ずかしくなったのだと。

 今になって思えば、全ては必然のことだった。愚かな自分達に進むべき道なんて拓くわけもない。そして話の結びに二人は、自分達はもう二度とこの街に来る資格がないとまで言った。

 

「────うん、君達の気持ちはわかったよ」

 

 話が終わるまで黙って聞いていた劉表。

 劉表は目の前の少女達が心情を打ち明けることで、叱責を受けようとしていることを察する。

 それでも自分がこの街の太守であることに気づいている様子はない。なんとも因果なものだと劉表は思った。そして自分は、この二人になんと声をかけるべきだろうかと考える。

 もう十分に反省している二人に、今更厳しい言葉をかけることはない。劉表は目の前の二人の少女を見た目通りの子供として接するべきか、それとも少女達が口にした話の内容に見合った、大人として接するべきかどうかを思い悩む。

 

 子供として接するのであれば落ち込む二人を優しく慰め、許し励ましてあげればいい。

 だが、大人として接するのであれば、今の話を聞いた自分の意見を述べることになる。それは必ずしも優しい言葉が続くとは限らない。

 悩む劉表は二人の少女に目をやった。顔を上げた二人は劉表の言葉を待ちながらも、見据える瞳には少女らしからぬ強い意志が宿っていた。それを見た劉表は「太守とまでは思っていなくとも、高い地位にいると承知の上で打ち明けたのだろう」と気づいては小さく微笑み、口を開く。

 

「環境の変化を嫌うことは間違ったことじゃない。程度に違いこそあれ多くの人が抱くこと」

「…………………………」

「…………………………」

「そして同じく程度に違いこそあれど、誰もが一度ぐらいは過ちだって犯してしまうものだろう」

 

 劉表は自分の意見を淡々と述べ始めた。

 諸葛亮と鳳統は黙ってそれを聞いていた。徐庶は一歩後ろに下がり、外から三人を静観する。

 劉表は必要とあれば、二人に対して強い言葉を言い放つことも覚悟していた。それでも結局、劉表という男は善性の強い側面があった。口から溢れ出す言葉は、やはり人としての性質が出る。

 

「どんなに優れた人であっても、時には我を忘れるものだ。過ちだって犯してしまうかもしれない。だからこそ重要なのは、その後だと僕は思う。君達は犯した過ちに気づき、それを悔いているんだろう。ならば後は改めればいい。人の真価とは苦しい時にこそ現れるものじゃないかな」

「…………………………」

「…………………………」

「愚か者を笑う人はいても、愚かな自分を変えようと努力する者を笑う人はいないよ。少なくとも僕はね。過ちは犯さないのが最もいい。その次にいいのは、犯した過ちに正しく気づくことだ」

 

 だから前を向くといい、と劉表は締め括る。

 乱世においては時に弱点となり得る劉表の性質も、今の治世下においては美点であった。

 劉表の言葉を聞いた三人の胸に温かいものがこみ上げる。それは長くかかっていた、諸葛亮と鳳統の心の霧を晴らすきっかけとなった。

 そして劉表は諸葛亮と鳳統の二人が話した言葉を思い出しては、自分の進むべき道について今一度振り返り、それが道に迷う少女達を導く手助けになればと考えては口に出す。

 

「────まあ、しかし進むべき道とは深いね。言い換えるなら夢や目標か。中々難しいな」

「兄さんにも、そういうのあったりするん?」

「ああ、ちっぽけだけど僕にもあるよ。君達の参考になるかは微妙だけど────そうだね。僕はただひたすら、僕の手の届く範囲が平和で在り続けることに尽力していくつもりだ」

 

 劉表の進むべき道とは、豊かなスローライフへと続く道に他ならない。

 そのためには劉表自身は勿論のこと、治める領内も平和である必要があった。これから世が長く乱世となるのであれば尚更のことである。

 劉表の言葉には強い決意が込められていた。そして後に続く、その理想の未来図には具体的な形があり、鮮やかな色があり、手を伸ばせば触れられそうなぐらい鮮明に描かれていた。

 三人は劉表の話に強い興味を惹かれる。それは話が具体的であるということや、自分達の話を真摯に聞いてくれたということもあるが、一番は劉表が唱える長期的な統治戦略の内容。自分だけでなく他者を重んじることこそが、末長い平和に繋がるという考えに感銘を受けたからである。

 

(ああ、そうか、この人は…………)

(先生と同じことを言われてる…………)

 

 劉表の言葉は、奇しくも二人が出立する前に司馬徽からかけられた言葉と同じであった。

 諸葛亮と鳳統は司馬徽の言葉を思い出しては劉表の言葉に深く感じ入るものを受け、その視界が潤む。その一方で徐庶はと言うと、劉表の正体にそろそろ当たりが付き始めていた。

 

(この兄さん、ひょっとすると…………?)

 

 劉表が描く未来図とは、自分が統治者であることを前提に練り上げられていた。

 一歩下がって静観していた徐庶は、諸葛亮や鳳統よりも広い視野で捉えていた。そして一度でもそうだと思えばもう、それが正しく思えてならない。徐庶は自分自身の心臓の鼓動を聞く。

 

「まあ、本当は大陸全土が平和であることに尽力、ぐらいカッコいいこと言えたらよかったんだけど、そんな器でもないしね。だからこそかな。僕は僕の手が届く平和だけは守りたいと思うよ」

 

 徐庶の変化に気づいていない劉表は、そう言っては少し苦笑いを浮かべる。

 長く沈黙を守っていた諸葛亮と鳳統の二人は、そんなことはないとばかりに口を開いた。

 

「とても立派なお考えだと思います…………」

「今の私達には眩し過ぎるほどでしゅ…………」

「ハッハッハ。そうかねそうかね。そう言ってくれると嬉しいよ。僕には昔から向上心の強い友人が多くてね。「面白味がない」とか「簡単なことでは?」なんてイチャモン付けられたもんさ」

 

 笑った劉表は、久しぶりに謝罪以外の言葉を話した二人の頭を優しく撫でてはこう続けた。

 

「後悔するのは一度で十分。そうだよね?」

「はい…………」

「はい…………」

「だから、また何時でも街へ遊びに来るといい。君達の謝罪は確かに僕が受け取ったよ」

 

 心にかかる霧が晴れると潤んだ瞳の先に道が拓ける。劉表の言葉を受け何度も頷く二人。

 そして悩める少女達が立ち直ったのを見届けると、劉表は静かにその場を離れていった。最後まで名乗らぬまま、それでも解決したことに劉表は満足そうに頷きながら踵を返していく。

 その背を見送る諸葛亮と鳳統の心の中では幸福感が止めどなく輪を広げる。強く惹きつけられる出会いであった。その始まりから結びに至るまで、鮮やかに彩られた出会いであったと思う。

 

「────私が主君を仰ぐなら、あのお兄さんみたいに優しくて温かい人がいいな」

「────うん、私も朱里ちゃんと同じこと思った。お名前、聞いておきたかったな…………」

 

 そう呟いたのは諸葛亮。

 間を置かず鳳統が同意する。そして名前を聞きそびれたことを残念に思っては潤んだ瞳を拭う。

 二人の会話を聞きながら徐庶は、天の意思というものについて考えた。言い換えるなら運命。宿命。そして思う。もし全てが天の意思なら、自分の辿り着いた答えは外れないだろうと。

 

「────なあ、朱里、雛里。ウチ、あの兄さんの正体がわかったかもしれん」

「紅里ちゃん、本当??」

「教えてよ紅里ちゃん!!」

 

 天の意思など徐庶は信じる性質ではない。

 なんなら面白がって背いてみるのもいいなと考えるぐらいだ。ただ、今回だけは自分の辿り着いた答えが正しい方がよっぽど面白いと思う。

 徐庶は自分の考察を諸葛亮と鳳統に話す。二人は「えっ?」と同時に驚いて見せるも、違うと言い切ることはなかった。むしろ色々と辻褄が合って、やけにしっくりとくるぐらいである。

 

「え、でもそうだったとしたら私達…………」

「とんでもないこと言っちゃったよ…………?」

「それも全部ひっくるめて、また遊びに来いって兄さんは言いはったんやろ。まあ、でも確かにウチの深読みかもしれへん。けどさ────」

 

 もしそうならどうする、と徐庶は続けた。

 そう訊ねられ、二人は同じ答えが浮かんだ。あらかじめ用意していたかのようにスッと答えが浮かんだことに二人は頬を緩める。そして自分達もそれを望んでいることに気づかされる。

 諸葛亮と鳳統は目を合わせ、先に鳳統が頷いた。それを受けて諸葛亮が代表して口を開く。

 

「────もし、そうなら私はあの人の役に立ちたい。私が力添えをすることで、あの人の手の届く範囲が少しでも広がるのなら────うん、それがきっと私の成すべきことなんだと思う」

 

 言ってしまうと清々しかった。

 長く二人の心に滞り続けていた霧は既に無く、見上げた空には銀色の星達が輝いている。

 

「よっしゃ!なら答え合わせといこか!」

「うんうん!そうしよう!」

「せーの、の後にみんなで言おうね!」

 

 徐庶が手の平を二度叩いてはそう切り出し、諸葛亮と鳳統がそれに応じる。

 そして小さくなった劉表の背に向かい、持てるだけの声を張り上げてはその名を叫んだ。

 

 

「「「────────太守様!!!」」」

 

 

 分が悪いとは誰も思わなかった。

 むしろ確信を持って三人は声を張り上げる。そしてその声は明るく響き渡った。

 呼ばれ慣れた名が聞こえ劉表は止まり、振り返っては小さく手を上げる。そして「聡い子達だな」と呟いては小さく微笑むと、これ以上は無粋とばかりにまた歩き出して行く。

 それで三人には十分であった。もうすっかり夜となった城壁の上。空には細かく散った銀色の星。月明かりに照らされる一本道は、まるで三人の進むべき道を照らしているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからの日々は、三人にとってこれまで過ごした日々とは異なる時間が流れる。

 特に諸葛亮と鳳統の胸には高い決意が宿っていた。明確に進むべき道が拓けた二人は、これまで以上に学問に励んでは、その極みに手を届かせようと溢れだす才知を惜しみなく発揮する。

 そんな二人を師である司馬徽は温かく見守っていた。たった一度の出会いが人をこうも変えるものかと思いそうなものだが、真に深い緑とはそういうものであることを司馬徽は知っていた。

 

「────で、全部先生の思惑通りなん?」

「そんなことありませんよ。貴女達が太守様と出会ってくるなんて思ってもみませんでした」

 

 ある日、徐庶が司馬徽にそう切り出した。

 それでも司馬徽の言葉を聞いては簡単に納得する。意図的というにはあまりに運命的だった。

 

「紅里から見て太守様はどのような方でした?」

「めっちゃカッコよかったで!」

「あらあら、それはけっこうなことですね」

「ほんで優しい人やった!太守様ウチのこと妾にでもしてくれへんかな。そしたら一生安泰や!」

「紅里は本当にちゃっかりしてるわね。それで、紅里から見て朱里と雛里は大丈夫そうですか?」

 

 徐庶が運命的であるとまで感じたのは、自分もそうだが諸葛亮と鳳統のこともある。

 二人の姉貴分を自称する徐庶は、その行く末を司馬徽と同じく案じていた。だからこそ街までの引率も引き受けたし、二人が劉表にその思いを打ち明けた際は一歩後ろに下がって見守った。

 

「朱里と雛里なら大丈夫やと思うで。艶本買ったんバレたんだけが、唯一の懸念材料やけど」

「それは何よりです」

「ホンマ何よりですなぁ」

「それで紅里、貴女はどうでした?」

 

 そんな徐庶は、劉表になら二人を任せられるだろうと思っては内心、安堵していた。

 これで「めでたしめでたし」と話が終わるのであれば、徐庶は二人の引率に過ぎない。それでも徐庶もまた、諸葛亮と鳳統の二人と同じくこれから羽ばたくべき若き才の一人であった。

 司馬徽の言葉には、そんな徐庶に対する期待も込められている。「貴女はどうでした?」と聞かれた徐庶。その言葉はなんとも照れ臭く、ついついおどけて誤魔化したくなるも、諸葛亮と鳳統の二人がこの場所にいない今、ここらで一つ正直に話すのも悪くないと徐庶はその口を開く。

 

「先生にはなんでもお見通しかぁ」

「伊達に私も貴女達の師をやってませんよ」

「────ふふ、流石は先生や。せやけどウチもほんの少し、太守様の器に触れただけやから、はっきり断言できることなんてないかもしれへん。それでも、あの日からウチも────」

 

 胸の高鳴りが止まらない、と徐庶は心のままに花笑みを浮かべては、その気持ちを表す。

 それを受け微笑む司馬徽には近い未来、学問所を巣立つ三人の姿が浮かんだ。それでいいと司馬徽は思う。出会いの数だけ別れがあるのなら、その別れは明るいものである方が好ましいと。

 やがて劉表が文武官の公募を掲げると、諸葛亮と鳳統と徐庶の三人は文官として仕官するべく準備を始める。そして春を越え、夏が過ぎれば季節は秋へと移ろぎ、三人は巣立ちの刻を迎える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生、行って参ります!」

「先生、行って参りましゅ!」

「先生、あっさり落ちたらすぐに帰ってくるけど、そん時はまた温かく迎えてなー!」

 

 荷物を抱え、元気よく声を張る三人。

 

「ちょ、ちょっと紅里ちゃん!?」

「考えないようにしてたこと言わないでよ!」

「ま、きっと大丈夫やろ!せやから我らが水鏡女学院、三天龍の実力を世に知らしめるで!」

 

 徐庶の軽口で和んだような混乱したような。

 大よそ普段通りのやり取りを交わしつつ、三人は試験場のある襄陽城へと歩き始める。

 師である司馬徽に大きく手を振る三人。手を振り返す司馬徽はやがて、遠く離れていく三人の背に向かい、小さく惜別の言葉を贈った。

 

「────朱里、雛里、紅里。頑張るのですよ。良き主君に仕え、何時までも仲良く元気でね」

 

 雛が巣立つ刻。親鳥はその明るい未来を願う。

 吹き抜ける初秋の新涼。暖かく射し込む日差しは、三人の出立を見守るかのように光り輝いた。

 

 


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