豊かなスローライフを目指して 作:どん兵衛
一話
姓を劉。名を表。
これが二度目の生を受けた僕の名だ。三国時代に詳しい人なら知っていることだろう。
付き合いの浅い人からは劉表と呼ばれ、親しい間柄の人からは真名の大和と呼ばれる。真名があることから、どうにも字の重要性が薄い世界だが、細かいことは気にしないでいいと思う。
そして字と同じように僕の一度目の人生。現世での出来事なども、この世界で永く生きた今となっては特に重要性を感じられない。全ては過ぎ去った遠い世界の古い思い出だ。時間に追われる忙しない日々を送ったことも、不慮の事故に遭って死んでしまったことも、今は昔のことだ。
「しかし、過去に転生するとは驚いたもんだ」
そんなわけで過ぎ去った未来の話よりも、現在進行形で歩んでいる過去のことを話そうと思う。
僕は劉表として後漢の名族に生まれ落ちた。過去にタイムスリップした原因がどうとか、生まれる年代がおかしい等の混乱はあったが、死んでしまったことに比べれば些細な事に思えた。
そして決意する。どうせ原因なんて解かりっこないんだから、いっそ現状を前向きに受け入れて二度目の人生を満喫しようと。劉表、大いにけっこうじゃないか。三国時代を十全に生き、荊州一帯を治めた優秀な為政者の名だ。
「天下を望むには足りないが、治世を生きるには釣りがくる大人物。僕の理想に近い」
僕は後漢から三国時代にかけての人物や起こった出来事について、それなりに見識があった。
だから劉表の名は知っていた。他にも主力級は勿論のこと、準主力級の人物も把握している。未来で起こる出来事や大成する人物についての知識があるというのはバカにならないはずだ。
「未来知識を活かし巧みに立ち回れば、あるいは天下も…………」と考えられなくもないが、僕はそんなものには興味がなかった。何十年も戦いに明け暮れるなんて日々なんてごめんだ。
「うん。勝者に頭を下げるスタンスでいいかな。そもそも僕は天下人なんて器じゃないし」
僕は前世で十分に忙しい日々を送ってきた。だから二度目の人生は緩やかなものを望んだ。
人生を楽しみ、その上で生活の質が高ければ申し分ない。言うならば「豊かなスローライフ」。
来る乱世で望むには酷かもしれないが、僕はその大望を叶えるべく、歴史知識持ちの名族という恵まれたポジションにも過信せず、後々に楽ができるようにと幼い頃から勉学にも励んだ。
そして己をさらに磨くべく、成人を前にして都にある私塾の門戸を叩く。都の私塾は学ぶことが多いのは勿論のこと、家柄が良い、または権力者の子息・息女が通っていることでも有名だ。
顔を繋いで損はないし、未来の有力者がいるなら、せっせと媚びるのも悪くない。そんな打算的な思惑を胸に僕は、新たな舞台へと旅立った。
「貴方、中々優秀ね。名を名乗りなさい」
「僕は劉表。字は景升。色々と至らない点も多いだろうけど、仲良くしてくれると嬉しいな」
僕は幸運なことに初日から先に通っていた先輩にあたる一人の美少女に声をかけられた。
奇特なドクロの髪飾りを付けた、巻き髪の金髪美少女。巻き髪の金髪とあって一瞬ギョッとしたが胸は小さい。事前調査で同じ私塾に通っていることを掴んでいた袁紹とは別人のようだ。
第一印象は重要である。もし袁紹だったら滅多なことが言えない場面だが、そうじゃないなら大丈夫だ。美少女とお近づきになるチャンスを逃す手はない。僕はそう思い、明るく楽しげに話を続けることにしたのだが────。
「覚えておくわ。精進なさい。並大抵の努力では、私が学んだ道の後ろを歩むことになるわよ」
「おお、カッコいい台詞だね。ところで君、小さくて凄く可愛いね。名前を聞いてもいいかな?」
後になって思えば、これが迂闊だった。
「わ、私が小さいですって…………?」
「うん。ああ、でも誤解しないでくれ。君が小さいから名前を聞いたわけじゃないからさ」
「え、ええ、そう。まあ、まあいいわ。現段階の私が小柄なことは事実。これから伸びるのは確実なんだから、この場は怒らず寛容に…………うん、そうよ。堂々と振る舞えば問題ないわ!」
目の前の美少女が現世において武帝と称えられている人物であると知らぬまま────。
「ああ、うん。きっと伸びるよ。そのうち伸びる。僕も気がついたら伸びてたからなぁ」
「なんか雑ね。まあ、いいわ。それと私の名は曹操。字は孟徳よ。しっかり覚えておきなさい!」
うっかり軽口を叩いてしまった。
曹操という名を聞いた瞬間、全身から冷や汗が噴き出す。私塾に曹操が居るとか聞いてない。
どうして袁紹の話はあちこちで耳にしたのに、曹操の話が聞こえてこなかったのか。もしや誰かが僕のことをハメようと工作したのか。
いや、待て。まだ今の年代だと、超名門出身の袁紹と曹操とでは知名度の差が歴然なのかもしれない。そういうことならば納得はいく。納得はいくが、この場はどうすればいいんだ。
「……………………………………」
「あら?返事はどうしたのかしら?」
口をつぐむ僕に曹操が挑発的な視線を向けた。
うん、可愛い。可愛いけど不味い。面と向かって曹操の背の低さを指摘してしまった。
これは不味い。さらに不味いことに曹操の背が低いことは確か後世に伝わっていたはずだ。それなのに僕は根拠もないまま背が伸びるだなんてことを、いい加減に口にしてしまった。
けっこう気にしてそうな様子だったし尚のこと不味い。どうする、どうすればいい。知らん顔してスル―するか。いや、この先、曹操の背が伸びない現実を前にする度に、僕の迂闊な失言を思い出しては腹を立てるなんてことあり得る。
それが遠因となって数十年後、戦争に巻き込まれるなんて未来は避けなければならない。
「返事?ああ、失言を申し訳ない…………」
「別に謝る必要はないわよ。私としてもちょっと過剰反応だったかなって思うしね」
「いや、もう一度しっかり謝らせてくれ。まず、小さいと言ってしまったことに対して心から謝罪を。そして君の背が伸びるだなんて妄言を吐いてしまったことを、この場で訂正したい!」
その未来を避けるにはどうすればいいか。
この場を言い繕ったり逃げ出して、やがて時間が洗い流してくれるのを待つのが正しいのか。
違う。そうじゃない。僕は悪気がないにせよ、余計な一言を言ってしまったんだ。なら、まずは謝罪をするのが筋だろう。誤ったことをしてしまったら謝る。人として当然のことだと思う。
「はぁ!?」
「本当にすまなかった」
「すまなかった、じゃないわよ!妄言?この私の背が伸びるのが妄言だっていうの!?」
「さっきは流れで言っちゃったけど、実際もう僕らぐらいの年齢だと伸びても誤差だろうしね」
「せ、成長には個人差があるじゃない…………?」
きちんと謝罪を済ませた僕の心中は、さっきまでの動揺が嘘のように晴れやかだった。
曹操という超大物に軽口を叩いてしまったことで僕は大いに動揺してしまったが、冷静になって考えてみれば曹操はそんな小さなことをイチイチ気にするような御方じゃないはずだ。
僕のような小心者は考え過ぎてしまいがちだが、考え過ぎは大物相手だと却って失礼にあたるかもしれない。うん、きっとそうだろう。危なく初日から大失態を喫してしまうところだった。
「ま、背丈の話はこのぐらいにしてさ」
「────んな!?」
「改めてよろしく頼むよ。色々と至らない点も多いだろうけど、仲良くしてくれると嬉しいな」
僕は雪解けを迎えた春のような爽やかな笑みを浮かべ、そう軽快に言ってみせた。
曹操は少しの間、両手を腰にあてては何やら考えている様子だったが、やがて小さく一つ息を吐いては微かに笑みを浮かべる。
「ここは私の器の大きさを示すべきね。ええ、いいでしょう。劉表、貴方のことは覚えておくわ」
流石は武帝・曹操。なんと器が大きい。
こうしてなんとか無難に初日を終えることができた。そう、無難に終えられたのだが────。
「────失礼。あら、劉表だったのね」
「────っと。いや、こちらこそ失礼した」
「柱だと勘違いしてぶつかってしまったわ。だって貴方、無駄にデカいから仕方ないわよね?」
「ああ、体格差を微塵も感じさせない実に重い一撃だったよ。無意識の腹にズドンとさ…………」
それから曹操に絡まれるようになった。
それも身長ネタを使った割と理不尽な内容が多いです。武帝・曹操。器が大きいかは怪しい。
まあ、曹操とギスギスした関係にならなくてホッとした。それと今更だけど、やっぱりこの世界の英傑って女性なのね。董卓や呂布も女性なのかな。信じられない半面、見てみたい気もする。