阿知賀暮らし ~強がり少女と深切少年~   作:えればす

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四話 新しい友達と新しい日常

 

 

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。時刻は六時を回ったところだ。

 窓の外に見える空も、ほんの少しずつではあるが、徐々に赤みを帯びてきている。

 

「さあさあ、三人とも。今日のところはそれくらいにしましょうか」

 露子さんの一声で、全員がそちらを向く。こちらに微笑みかけた露子さんが、壁にかけられた時計を指差して言葉を続ける。

「もういい時間だし、続きはまた今度にしましょう」

「……そうですねー。って、いつのまにかもうこんな時間になってたの!?」

 望が驚いた声を上げる。

「……ホ、ホントだ! 今日はあっという間だったねー」

 先ほどまでの赤い顔を残しつつも、望と同じような表情で驚く晴絵。

「夏だから、俺も時間の感覚がちょっと麻痺してました」

「そうね。あんまり遅くなっちゃうと親御さんも心配するだろうから、今日はこれでおしまいね」

「ええー……」

 おしまいという言葉に反応したのだろうか。宥ちゃんが残念そうにため息をもらす。

 

「はいはい。また遊びに来てあげるからねー」

「宥ちゃん、またねー」

「うー」

 

 望と晴絵が、慣れた手つきで宥ちゃんの頭を交互に撫でる。宥ちゃんは、そんな二人を受け入れつつも、余り納得がいっていないような顔をしていた。

 

「それでは、今日もありがとうございました」

「ありがとうございました!」

 晴絵と望が露子さんに向き直り、ペコリとお辞儀をする。

「俺も。麻雀のこと色々教えてくださってありがとうございました」

 二人に習うように、合わせてお辞儀をする。

「いいのよ。今は私も仕事を押さえている時期だから、普段よりある程度時間が取れるの。だから、またいつでも来てね。宥も楽しみにしてるだろうから」

 顔を上げると、ニッコリ笑っている露子さんが見えた。

「おにーちゃん。おねーちゃん。ばいばい」

 宥ちゃんが、寂しそうな顔で手を振ってくれた。

「はーい。またね」

「また来るね! さよなら」

「またな。宥ちゃん」

 

 玄関まで送ってくれた三人に手を振り返しながら、露子さんたちの家を後にする。

 玄ちゃんを抱っこした露子さんが、ニコニコしながら手を振ってくれている。宥ちゃんは、最後まで名残惜しそうな表情で、同じように手を振ってくれていた。俺たちも、そんな三人が見えなくなるまで手を振り返し続けた。

 

 三人に見送られたあと、松実館の入口へと続く路地を抜け、建物の角から道路に出ると、目の眩む西日が視界に飛び込んで来た。

 眩しさから逃れようと、目の前を手で覆い隠しながら、前を行く二人に声をかける。

 

「二人とも。今日は誘ってくれてありがとう」

 

 松実館の前で、二人にそうお礼を伝えた。

 前を進んで談笑していた二人は、歩いていた足を止めてこちらに振り向き、話しかけてくれる。

 

「いやいや。お礼を言うのはこっちだって!」

「そうそう! こちらこそありがとうね。良太!」

 

 逆光のせいで二人の表情ははっきりとは見えなかったが、声のトーンから嬉しさが伝わってきた。

 

「あ、そうだ! せっかくだし連絡先交換しとこうよ!」

「そ、そうだね。せっかく……と、友達になれたんだし」

 望がそう提案し、晴絵も言葉につまりながらそれに同意する。

 

 友達か……。

 晴絵のその言葉に、嬉しさを感じる。

 こっちに来て初めて出来た、二人の友達。

 

「いいよー。ちょっと待ってくれよ」

 

 二人の提案には喜んで賛成するが、あいにく携帯電話はランドセルの中だ。

 二人に待ってもらうように言い、背負っていたランドセルを地面に降ろし、しゃがんで中身をガサゴソと漁る。ポケットに入れたまま持ち歩かないのは、以前の母さんの失敗から学んだ結果だ。まあ、携帯をズボンに入れ忘れたまま洗濯してしまうのは、うちの母親くらいだろうけど……。

 ようやくランドセルから探し当てた、少し古い型のスマートフォンを取り出す。小学一年生のころからの付き合いだが、まだまだ最新機種には負けていない、はずだ。

 二人に目を向けると、既にそれぞれのスマートフォンを手に持って待っていてくれた。望は、意外と女の子らしいピンクのスマートフォン。晴絵は、好きな色なのかな? 俺と一緒の緑色のスマートフォンを使っているようだ。

 

「おっ、晴絵のスマホ、一緒の色だな」

「……そそそ、そうだね! 私、この色好きなんだ!」

「おんなじおんなじ。俺もこの色好きなんだー」

 

 何故か全力で照れている様子の晴絵だが、おそらく色が被ってしまったことが恥ずかしいのだろう。気にしなくてもいいとは思うのだが……。なんだか少し申し訳ない気持ちになった。

 

「ほいほーい。じゃあ早速交換しとこうよ!」

「おっと、そうだな。とりあえずこのアプリでいいかな?」

 

 望が近寄ってきて、画面を覗き込む。俺は、おそらく最近の小学生なら知っているであろうアプリを起動して、望に見せる。簡単なメッセージ機能しかないが、その分お手軽に使える人気のアプリだ。今は、前の学校の友達との連絡手段に使っているが、重宝している。

 

「あ、そのアプリ。私と晴絵も入れてるよ! 便利だよねー」

「気軽にメッセージ送れるからいいよな」

「たださあ、このアプリ電話は出来ないじゃん? だから、番号は別で交換しとこうよ」

「そういえばそうか。じゃあ、番号は赤外線でいいか?」

「オッケー」

 

 望と手早く連絡先を交換していく。一通り終わったところで、晴絵のほうへ向き直る。晴絵は、何だか緊張しているような面持ちで、こちらに向かって歩いてきた。

 

「よ、よろしくお願いします!!!」

「……え……っと。こ、こちらこそよろしくお願いします」

 

 いきなりの大きな挨拶にびっくりして少し戸惑う。隣では、望が腹を抱えて大爆笑している。晴絵は、下を向いたまま携帯を突き出し、直立している。……どうすればいいんだろうか。

 とりあえず、このまま二人で固まっていてもらちがあかない。直立したままの晴絵に一声かけ、携帯を受けとる許可をもらう。それに無言でうなずく晴絵。

 いきなりの言動には驚いたが、そのまま連絡先を交換していく。幸い、画面は赤外線のアプリを開いてくれていたので、番号は問題なく交換できた。メッセージアプリのほうは、使い方がわかっているので、そちらも難無く交換できる。

 携帯を操作しながら、晴絵のほうをちらちらと見る。その作業の間は顔を上げることはなく、ずっと下を向いたままだった。

 

「えっと……。終わったぞ」

 

 そう言って、晴絵から受け取っていた携帯をその手に戻す。顔をあげた晴絵は、真っ赤な状態のままそれを受け取ってくれた。

 その直後の、画面を見た晴絵の表情に驚いた。その顔が、とても喜んでいるように見えたからだ。

 その瞬間の晴絵の顔は、思わず見とれてしまうくらいに、綺麗だった。夕日と見間違うほどにキラキラと輝いていた深紅の瞳は、心なしか、少し潤んでいるように見えた。

 

 こうして番号交換を終えた俺たちは、それぞれの家路につく。二人の家はどうやら逆方向らしい。

 松実館の前で別れを告げて、二人の後ろ姿を見送る。太陽に向かって歩いていく二人の影が、徐々に長く伸びていく。それに少しだけ寂しさを感じながら、近くのスーパーへ行くため、方向転換する。

 今日もばあちゃんと一緒に作る夕ご飯の準備が待っている。夕飯の買い物は、俺の役目だ。今日は何を作ろうかな。

 そんなことを思いながらの帰り道。今日の楽しかった一日を思い返し、思わず笑みがこぼれた。

 

 

 その日の晩ご飯の時間。

 いつものように、リビングで三人仲良くちゃぶ台につく。

 今日のメニューは、オニオンスープとオムライス。

 机の上にある半熟ふわとろのタンポポオムライスは、ばあちゃんの店の人気メニューの一つだ。

 特に、もはや芸術と言っても過言ではないプレーンオムレツは、半熟のプルプルとした柔らかさを残しつつもしっかりとその形を保っており、まさに職人技と呼べるものだった。

 以前食べさせてもらったそのオムレツの記憶を、口の中で思い出す。

 舌に乗せた途端にふわっととろけてなくなってしまうのに、濃厚な卵の柔らかな甘みとバターの芳醇な香りが一瞬で口内を満たしていった。それが過ぎると、牛乳のコクのある優しい甘みと、マヨネーズの口慣れた甘酸っぱさがほんのりと残る。まさに、至福の一品と呼ぶに相応しいと思う。

 あとで聞いた話だが、隠し味にみりんとほんの少しのハチミツを入れることが、ばあちゃんのこだわりだそうだ。

 こっちに来てから初めて教えてもらった料理。

 俺もそれを実際に何度か作ってはいるが、当然ながら、まだまだばあちゃんの足元には及ばない。とはいえ、今夜の出来はそれほど悪くはないかな、と思う。

 いただきますの挨拶を全員でしたあと、目の前の自分で作ったオムレツに、ナイフで十字の切り込みを入れて開いていく。

 母さんは、俺が作った分を食べたかったらしく、隣でお小言をつぶやいている。自分で作ったものは、とりあえず一番最初に味見してみたい人間なので、そこはいかに母さんといえども譲れなかった。「ゴメンね」と謝りつつ、ナイフを動かす。

 オムレツは、ばあちゃんのそれには及ばないが、それでもしっかりと卵の半熟部分を残したまま、形も崩れることなく綺麗に切り開くことが出来た。そのまま、下のチキンライスに覆いかぶせるように、開いたオムレツを重ねていく。成長を実感し、心の中で一人ガッツポーズをする。

 ばあちゃんがそれを見て、「上手く出来てるわよ」と褒めてくれた。嬉しいな。

 切り開いた流れで、仕上げのケチャップをかけようと手に取ったが、母さんがやりたいと言って聞かないので、それは任せることにした。

 母さんは俺からケチャップを受けとると、躊躇なくオムレツにハートを描いていく。そして、そのハートの中に、これまた躊躇なくカタカナでラブの文字を入れる。こういうことにも、少しずつではあるが恥ずかしさを覚えてきている今日この頃。叶うならば、ちょっとだけ遠慮してほしいのだが、それを言うと間違いなく泣いてしまう人なので、心の中で思うだけにする。

 母さんの顔を見ると、鼻を膨らませながら、やり遂げた、といった満足そうな表情をしていた。

 ……まあ、いいか。

 

 ご飯を食べながら、転校初日とは思えないくらいの充実した時間を過ごせたことを、二人に話す。

 クラスのみんなのことや、二人の麻雀仲間のこと。そして、露子さんの家での出来事。二人は、そんな俺の話を、笑顔でただ黙って聞いてくれた。

 話すのに夢中になっていた俺は、ふと見つめたばあちゃんの顔の変化に気づいた。ばあちゃんの目には、うっすらと涙が溜まっていた。

 ……何かまずいことでも言ってしまったのだろうか。

 口から淀みなく出ていた言葉が止まる。

 すると突然、隣で座っていた母さんが近づいてきて、俺をギューっと抱きしめてくれた。その力は余りにも強くて、ちょっと痛いくらいだ。

 「急にどうしたの」と尋ねる。

 母さんは、「なんでもない」と言いながら、更に強く抱きしめてくる。

 不思議に思ったが、何故だか嫌ではない自分がいた。

 俺は、そんな母さんのなすがままになっていた。

 ばあちゃんは、そんな俺たちを見て笑いながらも、目から光るものをこぼしていた。

 

 

 母さんのハグから解放された俺は、そのあと夜ご飯の片付けを手伝った。洗い物をするばあちゃんの横で、濡れた食器類を慣れた手つきで拭いて、棚になおしていく。隣のばあちゃんはなんだかご機嫌そうで、鼻歌交じりに食器洗いに勤しんでいた。

 

 お風呂にも入り終わったので、そろそろ寝ようとリビングへ向かう。二人に寝る前の挨拶をするためだ。

 ばあちゃんの家は、リビング、キッチン、水回りを除くと二部屋なので、必然的に母さんと同じ部屋で寝ることになる。案の定、来た当初から母さんは大喜びだった。

 俺も、最初のころは母さんのことが心配だったから、一緒の部屋なのはちょっと嬉しかったかな。まあ、今は以前の母さんに戻りつつあるので、その心配も少しずつ薄れてきてはいるが。

 そんなことを考えながら、目の前の扉を開く。リビングで仲良くテレビを見ていた二人におやすみを言ってから、部屋へと向かう。

 母さんと使わせてもらっている部屋に入り、押し入れの中にある布団の準備をする。いつものように二人分の布団を敷き終わった俺は、さっさと布団にもぐる。

 今日は色々あって疲れたし、明日の朝も早い。とっとと寝てしまおう。

 そう思ったのだが、充電器に挿していたスマートフォンが振動する音が部屋に響く。

 眠ろうとしていた寸前だったので若干面倒に感じたが、横になっていた体を布団から起こし、部屋の机の上に置いてある携帯電話へと向かう。

 電源ボタンを押して画面を表示させると、メッセージが二件きていた。一件は、どうやらお風呂に入っている間に届いていたようだ。

 早速アプリを起動して、内容をあらためる。送り主は、今日連絡先を交換したばかりの晴絵と望だった。

 望からは、簡単な挨拶と、一言が。晴絵からも同じような一言が送られていた。ただ、晴絵の文には、交換した時の態度についての謝罪の一文もあった。

 

 どもども! これからも麻雀仲間としてよろしくね! まあ、良太もこんな可愛い子二人と友達になれて嬉しいんじゃないの? なんてね。

 

 連絡先交換したときは、なんか変な感じになっちゃってゴメンね! えっと、これからもよろしくお願いします!

 

 望からのメッセージは、らしい文だなあと思う。晴絵からのメッセージにはクスリと笑みがこぼれ、文字からも少しだけ緊張が伝わってくるなあ、と感じた。

 さっきまでの面倒だった気分は消え失せ、そんなメッセージに嬉しくなりながら、早速二人への返信を考える。望には、あえて同意の文でも送ってみるかな。そっちのほうがなんか面白そうだ。晴絵には、フォローを入れておこう。明らかに動揺していたしなあ。……まあ、可愛い反応だったよなあ、と思うけども。

 そんなことを考えながらメッセージを作成する。よし。こんな感じでいいかな。

 

 そうだな! 二人とも可愛いからちょっとドキドキしてるよ。こちらこそ、これからもよろしくな!

 

 気にしなくていいよ! なんか緊張させちゃったみたいでゴメンな! こちらこそ、これからもよろしく!

 

 こんな感じでいいかな。送信っと。さて、それじゃあそろそろ寝るとしよう。

 俺は、今日の楽しかった出来事を思い出しながら、布団にあらためて潜り込み、眠りについた。

 

 

 

 その日の夜、夢を見た。何故か妙に意識がはっきりしている気がするが、見えている人物の姿が、写真で見た小さいころの自分にそっくりなことから、これが夢なんだと判断出来た。

 

 誰かから貰ったのだろう。小さな手のひらに乗せた五百円玉を見つめながら歩いているようだ。その道は何となく見覚えがあったので、どこに向かっているのかすぐにわかった。どうやら、ばあちゃんの店の近くの和菓子屋さんへ行くようだ。

 日暮れが近いのか、赤く染まりはじめた空が辺りを包んでいる。

 何やら心踊らせた様子で、慣れたようにスイスイ歩いて行く小さな俺。どうやら、前方に目的の場所を見つけたらしい。

 その時、店から小さな俺と同じくらいの子供が出てきた。可愛らしい白い大きめの帽子を目深に被り、急いでいるのか妙に早足だ。腰までかかる赤く長い髪とスカートを履いていることから、女の子なのだろうということがわかる。両手には、そのお店の紙袋を抱えていた。

 瞬間、足がもつれてその子が転んでしまう。幸い、抱えた荷物がクッションとなり、その子と地面との間に挟まれる。だが、中身は……。

 何が起きたのかわからない様子だったその子は、自分の下敷きになってつぶれてしまっている紙袋に気づいたようだ。途端に、辺りに小さな泣き声が響き渡る。

 小さな俺は、少し迷った様子だったが、どうやら意を決して目の前のその子に話しかけてみるようだ。

 声をかけたその子は気づいた様子だったが、なぜだか急に下を向いてしまった。その口からは、小さく嗚咽がこぼれている。

 小さな俺も、それ以上はどうすればいいのかわからない様子で、立ち尽くしてしまっている。下を向いたまま泣きつづける少女。

 二人の間には、何ともいえない気まずい空気が流れ始めていた。

 女の子の泣き声に気づいたのだろう。見覚えのあるお姉さんが、店の中から出てきてくれた。

 小さな俺は見知った顔に少し安心した様子で、お姉さんに近づく。そして、自分が今見た光景をお姉さんに伝えて、なんとかならないかとお願いしている。

 話を聞いたお姉さんは、ニコッと笑い女の子へ近づくと、「交換してあげるから一緒に中へ行こう」と言葉をかける。

 女の子は、その言葉で泣き止んだのか黙ってうなずいて、お姉さんと一緒に店の中へ入っていった。そのお姉さんは店に入る直前、小さな俺に向き直り、こっちへきて、というように手招きする。

 立ち尽くしていたいた小さな俺だが、それを見て一緒に中へと入っていった。

 

 お姉さんの話によると、女の子がつぶしてしまった和菓子の一つが、その子が買ったもので最後だったらしい。今新しく作っている最中だそうで、次が出来るまで二十分ほどの時間がかかるようだ。

 女の子と、帰るタイミングを無くしてしまったらしい男の子は、お店の中の椅子に、微妙な距離を空けて腰掛けている。

 相変わらずうつむいたままのその女の子に、元気になってもらいたかったのだろう。握っていた五百円を使い、大好きなうぐいす餅を三つ買って、隣の女の子に一声かけて渡そうとしている。

 その声に反応してそっちを向きかけた女の子は、何故か慌てて体を戻し、背中を向ける。

 その瞬間、可愛らしいお腹の音が、店の中に響く。音の発信源は、その女の子のようだ。

 お腹の音を聞かれてしまったことが恥ずかしかったのだろう。体をぷるぷる奮わせ、さらに身を小さくして、うつむいてしまっている。

 小さな俺はそんな女の子へにっこり笑い、「どーぞ」と声をかけもう一度うぐいす餅を渡そうとする。女の子は、帽子で顔を隠したまま小さな俺に向き直り、ちらっとうぐいす餅を確認したあと、それを黙って受け取ってくれた。

 小さな俺は、うぐいす餅を食べながら、自分の両親のことや幼稚園での出来事、うぐいす餅の良いところなんかを話し始めている。

 女の子は、うつむいて両手でモソモソとうぐいす餅を食べながら、そんな話を黙って聞いていた。

 

 時折来るお客さんにも気付かない様子で、そんな他愛のない独り言を続けている男の子と、相変わらず黙ったままの帽子の女の子。

 そんな二人を眺めていたら、いつのまにか時間が経っていたのだろう。

 お姉さんがカウンターの中から出てきて、女の子に紙袋を渡してあげている。「気をつけて持って帰ってね」という一言に、女の子は黙ってうなずいた。

 その直後、消え入りそうな微かな声で、「ありがとうございました」と言ったのは聞き逃さなかった。

 小さな俺は、そんな様子をニコニコ眺めている。

 お姉さんにお礼を言ったあと、二人で店を出ていく。女の子は、小さな俺の後ろを静かについていく。

 

 店の玄関先で向き合っている二人。女の子は、まだ恥ずかしいのか、いまだに下を向いたままだ。

 結局、最後まで帽子に隠れて、はっきりと顔は見せてくれなかったその少女。腰の辺りまである綺麗な長い髪が、夕日に染まって更に赤く輝いて見える。

 そんな女の子に、「気をつけて帰ってね」と声をかけ、その子の手を握り、余っていたうぐいす餅をそっと手渡す小さな俺。女の子は少し驚いた様子だったが、そのまま受け取ってくれていた。

 そして、「ばいばい」と言って手を振り、そのまま立ち去っていく小さな俺。

 

 

 

 そこで目が覚めた。

 妙にすっきりした体をゆっくり起こし、枕元に置いた目覚まし時計を見る。時刻は、朝の五時半になろうかというところだった。隣では、母さんが大きないびきをかいている。いつもの見慣れた光景である。

 途端に、さっきまで鮮明に覚えていたはずの夢の記憶が、どんどん薄れていく。

 

 あれは、俺が小さかった時の記憶なんだろうか……。

 とはいえ、その辺の記憶は幼かったこともあってか、曖昧だしなあ。あの女の子は、そういえば同い年くらいだったのかなあ。

 

 なんとか記憶を絞りだそうとするものの、夢の欠片は散りじりになり、記憶の闇に消えていってしまった。

 ……まあ、いつまでもこんな事をしていても仕方がないか。タイミング良くいつもの時間に起きれたし、さっさと起きて弁当の準備でもしよう!

 そう気合いを入れて、目覚まし時計のタイマーを解除する。そして、母さんを起こさないように静かに布団をたたみ、押入れになおす。

 そのままゆっくりと部屋の扉を開けて、リビングに連なるキッチンを目指し歩みを進めた。

 

 相変わらず、いつ起きているのかな。

 そこには、いつものようにばあちゃんが立っていて、朝食の準備と、喫茶店で出すであろう料理の仕込みをしていた。慣れ親しんだハヤシライスの甘くて良い香りが、リビング中に広がっている。今日の日替わりランチのメニューなのかな。

 そんなばあちゃんに、「おはよう」と声をかける。ばあちゃんは、特に驚くこともなく、いつものように朝の挨拶を返してくれる。

 

 ここに来た当初は、俺の早起きや料理をすることに関して心配な様子を見せていたばあちゃん。しかし、自分で望んでやっているということを一生懸命伝えたところ、その意思を汲んでくれた。

 今では家事の役割分担もしっかり出来ていて、朝食はばあちゃんが。弁当は、朝食の一部とあとは自分で。夕食は出来るだけ二人で作るように、と三人で話し合って決めた。

 洗濯はもちろん、ばあちゃんと俺が交代でやる。そんな中、掃除だけは母さんの役目になっている。どうやら、完璧に見えるばあちゃんでも、掃除の腕では母さんには敵わないようだ。

 理由を聞いてみたところ、小さいころに俺のおじいちゃんに褒めてもらったことがきっかけで、妙に力を入れるようになったらしく、それが途切れることなく今日までずっと続いているようだ。

 もっとすごい内容を期待していた俺は、あまりにも単純過ぎるその理由に、自分の母親ながらもつい、可愛らしいなあ、と思ってしまった。不器用というか、純粋というか。

 父さんも、そんな真っすぐな母さんを見て、好きになったのかもしれないなあ、なんて。

 しかし、ここに来て早々、母さんとばあちゃんには無理を言ってしまったかもしれないな。でも、それを受け入れてくれた二人には本当に感謝している。

 

 そんなことを考えていると、いつものようにばあちゃんが話しかけてくれる。

 

「今日の朝ごはんは、きんぴらごぼうと塩サバ焼きよ。付け合わせの大根おろしは、良太にお願いしてもいいかしら?」

「やった、サバ大好きなんだ。大根のほうは任せて」

 

 ばあちゃんの隣に立った俺はまず手を洗い、手際よくおろし金を準備し冷蔵庫の中から大根を取り出す。包丁を手に取り、まな板の上で大根を半分に切る。そして、皮の部分に包丁の刃を当てながら、大根をクルクルと回して皮を剥いていく。そうして、皮を剥き終わった大根をおろし金にセットしてすりおろしながら、ばあちゃんに話しかける。

 

「今日の弁当のおかず、豚肉の生姜焼きにしようと思うんだ。昨日買い物に行ったとき、ちょうどタイムサービスで安くなってたから、思わず買っちゃった」

「あら、いいわね。きんぴらも良く合うから、持っていきなさいな」

「ありがとう、そうさせてもらうよ。あ、そうだ。ついでに、余った大根と冷蔵庫にあったきゅうりとにんじん。それと、そこのツナ缶も使わせてもらってもいいかな?」

「はいはい。好きなもの使っていいからね」

 

 会話を続けながらも、手は休ませずに動かす。

 カウンターの上にあったツナ缶が目に入り、そんな提案をしてみる。ばあちゃんは、いつものように快く了承してくれた。

 大根おろしの準備は終わったので、次は弁当のおかずになる予定の、豚肉の生姜焼きから作っていこうかな。それとも、大根ときゅうりとにんじん、ツナ缶を使って、先にサラダを作っちゃおうか。

 そんな会話を楽しみながら、料理を続けていくばあちゃんと俺。

 すると、リビングの扉がガチャリと開く音がする。少しの間手を休め、音のしたほうを見やる。その扉からは、眠そうな目を擦りながら、寝癖だらけの頭の母さんが入ってくる。

 

「おふぁよー」

 

 大きなあくびを隠すことなく、ノソノソとリビングの座椅子に座る母さん。そのまま流れるようにちゃぶ台の上にあったテレビのリモコンを手に取り、スイッチを入れる。テレビには見慣れた朝の情報番組が流れ始め、アナウンサーがちょうど六時になったことを告げた。

 いつもの美人な母さんが、台無しになっている瞬間だ。

 

「母さん。おはよう」

「おはよう。相変わらずだらしないわねえ」

「えー? だってさー……」

 

 そんな母さんに朝の挨拶を返すばあちゃんと俺。母さんは口を尖らせながら、小さな子供のような小言を言う。

 これが、これから恒例になっていくであろう、俺たちの朝の光景だ。

 

 

「じゃあ、いってきます!」

「母さん。いってくるねー」

「二人とも、気をつけていってらっしゃいね」

 

 ばあちゃんに見送られて、家を出発する母さんと俺。昨日からではあるが、これもまた、この先の日常の一部になっていくんだろうな。

 

 

「じゃあ、良太。気をつけてね」

「母さんも。仕事無理しないようにね」

「あ、待って良太! んー」

「……はいはい。もう行くからね」

 

 母さんとの別れ際。父さんが生きていた時から恒例にされていた、いってらっしゃいのキスをしようとしてくるこの人。以前は家の中だったからまだいいけど、昨日からは、松美館の前で実行しようとしてくるから驚きだ。もう少し、周りの目を気にしてほしいんだけど。

 それを顔を逸らしてかわしながら、学校に続く道へ体を向けて歩き始める。振り返ると、残念そうな顔をしながらも、手を振ってくれている母さんの姿が見えた。それに俺も手を振り返し、あらためて学校への道を歩く。

 

 もうすぐ一学期も終わり、夏休みがやってくる。

 まだまだ、阿知賀での生活は始まったばかりだ。

 

 

 


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