「……朝、か」
まだ日も昇らない寅三つ時。
人里の片隅に追いやられるようにしてぽつんと建ったあばら家で、大神颯治は目を覚ました。
布団の中でぐるりと首を回して、その視界に誰も映らないことに少しだけ目を伏せる。
(……いやいや、この程度で沈んでる場合じゃない)
颯治は強く両頬を叩き、足を振り上げた反動で勢いよく立ち上がった。
もう、自分を支えてくれた親父はいない。自分の身体ひとつで、親父がこれまでやってきたこともこなさなければならないのだと決意を新たにして。
寝間着から着流しに着替えると、颯治は庭に出て、冷えた井戸水で軽く顔を洗う。
どこかぼやけていた思考がはっきりと冴え、頭が回り始めるのを実感した。
(親父。母さん。俺はまだなにもかも足りないけど、できるだけのことをやってみるよ……)
そう念じながら、庭の片隅に設えた墓前で腰を落として手を合わせる。
颯治の親父、大神雄吾が亡くなってから二日が経った。
葬儀もなければ、弔問もない。それは、人里に住む一人の男が死んだにしては、異常なほどに静かな終わりであった。
「……っし!」
しかし、颯治はそれを恨むことなく、ただ黙々と墓に向き合った。
墓前から立ち上がると、そのまま農具を担いで庭先にある畑へと向かう。
「ふっ……!」
鍬でうまく人参の周囲を掘り、傷つけることなく人参を収穫していく。
畑仕事には覚えがあるのか、その後も颯治は慣れた捌きで畑を掘り返し、いくらかの根菜や白菜などを収穫していく。それはひとりでは……いや、ふたりでさえすぐには食べきれないほどの量で。
「よし……とりあえずはこんなものかな」
やがて目的の収穫量に達したと判断した颯治は、それらを籠に詰めて自宅へと戻った。
畑仕事を終え、それでもまだ人里は目覚めていないであろう時刻。里が目覚めきらぬうちにと、颯治は収穫した野菜の入った籠を抱えて人里の一角、市場の方に向かう。
しかし、颯治が向かったのは市場ではなかった。
笠を目深に被り、人目を避けるように里の外周沿いを歩いた颯治は、その先にある一軒の家……その裏口に到着する。
「ごめんください。大神颯治です」
「おう、ちょい待ち」
戸を軽く叩き呼びかけると、すぐに家人からの返答があった。ややあって、裏口の戸が開き、威勢のよさそうな大男がにゅっと姿を現す。
「こちら、いつものです」
「ん、確かに」
籠を差し出し、大男が受け取る。このやりとりは今日がはじめてではない。これまでに何度も繰り返して、大男――颯治が世話になっている市場の仲介業者相手にも慣れてきたものだ……と実感していた。
しかし、それは全くの勘違いだったのだとこの日颯治は思い知らされた。大男は籠に入った野菜をひとつずつ取り出し、その質を厳しく確認していく。その鋭い目付きを前に、颯治は自身でも驚くほどに緊張で体をこわばらせていた。
「……よし、問題なかろう」
「ありがとうございます」
やがて、すべての野菜を確認し終えた大男がぼそりとつぶやく。颯治は少しだけ緩んだ表情で大男に感謝を述べた。
大男はいくらかの金銭を颯治に手渡し、颯治はそれを確認する。
「確かに頂戴しました。いつもありがとうございます」
受け取った金銭を財布にしまい、いつもなら礼を述べて帰るところ。しかし、今日は今までとは状況が違う。
「……雄吾が死んだわけだが、颯治よ。畑はどうするつもりだ?」
低く、重い声色に、びくりと体をこわばらせる。それは、今の颯治にはまだ荷が重い問いであった。
「しばらくは、これまでの分がありますので持ってくるつもりです。今後は……これがあるので、畑をどうするかはまだ考えられません」
言って、颯治は背負った刀を軽く揺らす。雄吾に託された刀ではなくそれまで自身が使っていた刀を。
「ああ、里守か……なら、それ以上は俺には言えねえが。お前の野菜は評判もいい。これからは定期じゃなくても、持ってきてくれたら買い取ってやる」
品質が落ちないならな、と付け加えて。厳しくはあるが、その瞳には暖かな光が宿っており。
「あ、ありがとうございます……!」
胸の奥が熱くなるのを感じながら、颯治は深く一礼してその場を辞した。
行きと同様に里の外周を歩いて自宅に戻った颯治は、すぐに朝食の準備にとりかかる。
「いただきます」
収穫したばかりの野菜を具材とした味噌汁。そして白ご飯、根菜の葉で作ったおひたし。手早く、無駄のない簡素な朝食で腹を満たす。味噌や米は自作していないので買うしかないが、安価で手に入るので痛手にはならない。理想的な朝食だと颯治は自負していた。
(……まずまず、かな)
物心がついた頃から、颯治と雄吾とのふたり暮らし。料理は専ら颯治の役割であったが、男二人の家庭ではどうしても味より早さや量を重視して大ざっぱになってしまう。今朝の食事だって、もう何度出したかわからない定番中の定番と言える献立でしかない。
だというのに。今までと材料も調理法も変わらないのに、どこか物足りなく感じてしまうのはなぜだろうか。
颯治は時折首をひねりながら、その朝食を食べ終えた。
朝食を終えた頃には日も出ており、颯治はしばらく陽光を頼りに読書に興じる。
娯楽の少ない生活の中で、読書は唯一といっていい颯治が自発的に楽しめる趣味であった。
颯治は人間の里全体で大きな注目を集めている作家・アガサクリスQの連載推理小説、その第一巻『全て妖怪の仕業なのか』を読み返していく。小説自体の面白さはもちろんのこと、この本には妖怪の生態に関する記述も豊富にあり、参考になる部分も多いと颯治は考えていた。
「幻想郷の作家、アガサクリスQ、ねえ……できれば話を聞きたいんだけど」
アガサクリスQはその小説の評価に加え、作者不明であることも注目を集める理由のひとつとなっている。関係のありそうな人物を問い詰めてもしらを切るばかりで足跡を追うことはできない。
これからの里守としてのあり方を考えるうえで、アガサクリスQの考え方は参考になりうる。だからこそアガサクリスQと直接対話したい、と颯治は考えていた。
「考えてもしょうがない、か……」
巻末まで読み終え、そっと本を閉じる。そしてその本と、机に置いていたいくつかの本を風呂敷に包むと立ち上がり、再び自宅を後にした。
やっぱり東方キャラが出てこないじゃないか(頭抱え)
つ、次こそはきっと……!