教師をする日程や教科、授業内容についていくつか確認し、寺子屋を辞した颯治が次に向かった先。それは、人里の貸本屋『鈴奈庵』であった。
「おはようございまーす」
「いらっしゃいませ……あ、颯治さん!」
暖簾をくぐるとすぐ、店番に座っていた少女が挨拶と同時に立ち上がる。
「いつも早くにすまん。借りてた本、返しに来た」
「開店してるわけですから問題ありませんよ。確認しますねー」
颯治が店の机に風呂敷を広げ、中の本を差し出す。小鈴はすぐにその内容を改め始めた。
父と息子のふたり暮らしは、決して裕福なものにはなりえなかった。それでも、颯治は寺子屋に通い、日頃から読書を積み重ねてきた。
雄吾は口癖のように、『生きるためには知識が必要だ』と繰り返し颯治に言い聞かせた。自分には生きるために必要な知識が足りなかった、だから今こんな生活になってしまっている。お前には俺のようになるんじゃない、と。颯治は雄吾の教えに従い、寺子屋で基礎的な教養を身につけ、読書によってその幅を広げていったのだ。
しかし、雄吾の理想を実現して読書の習慣を身に着けるために、あれもこれもと本を買い与えるような真似はとてもじゃないができなかった。だからこそ、安価で本を読める貸本という制度は颯治にとってこの上ない仕組みだった。
結果、颯治は貸本による読書習慣を実現するために鈴奈庵に通い詰め、鈴奈庵の看板娘・本居小鈴とは数少ない気安く話せる仲となっている。
「……はいっ、状態よしです。いつも丁寧に扱っていただきありがとうございます」
「よかった……追加料金をとられたらたまらないからな」
所定の期間に返却すれば延滞料金を取られることはなく、本を痛めなければ修繕費を取られることもない。長く本を借り、何度も修繕費を支払ってきた颯治は、ごく自然に本を大切にすることを心がけていた。
「颯治さんはお得意さまですから、少しくらいならサービスしますよ。はい。どうぞ」
言って、小鈴は番台に一杯の茶を置く。
「ああ、いつもありがとうな……ずずっ」
「いえいえ。私のついでですから」
颯治が来てから沸かしたというわけでもないのに、小鈴の出した茶はそれほど冷めてはいなかった。案外、自分の来訪に合わせているのかも、などと颯治は考え、すぐにそれを否定する。
「さて……ちょっと次の本を探させてもらうけど。教育関係の本ってあったか?」
「教育関係、ですか? 颯治さん、剣術教師でもされるんですか?」
椅子から立ち、本棚に向かいながら小鈴が問う。
「いや、剣術を教えるにはまだ経験が足りない。さっき寺子屋に行ってきたんだが、そのときに非常勤教師をやらないかと勧誘されてな。その準備をしておこうかと」
「寺子屋の、非常勤教師……それは、慧音先生から?」
「そうだ。まあ、他に教師はいないからな。じっくり新しい資料を作る時間が欲しいから、その間に教師ができる人材を探していたらしい」
「へ、へえ……」
小鈴の表情がひきつり、次の言葉が出てこない。
颯治が首を傾げてからややあって。
「えーと、きょ、教育関係の本ならこちらです」
「ああ、ありがとう」
ぎこちなく本棚を案内した小鈴は、慌てて番台に駆け戻る。他に客はいないのだが。
「……なあ、小鈴」
「なんですか、颯治さん?」
本棚を眺め、目に付いた本を手に取って軽くページをめくりながら、ふと颯治は問いかける。立ち読みは厳禁だが、適切な本を探すために軽く内容を確認する程度なら問題ないと小鈴からは言われていた。
「ここ数日、里の様子はどうだ?」
「あー……」
雄吾が死に、颯治が再び里に出るまでの二日間。家でふさぎ込んでいた颯治には、その間に里でなにが起きたか知る由もない。それを、なんでもない風に小鈴に問う。
「どう言えばいいでしょうか……ざわついてるけど静かというか。皆が雄吾さんのことを認識して、意識しているのに、誰もそれを口に出さないんです」
「なるほどなあ……」
その死を受けてなお、口にすることをはばかられる雄吾の存在。そこに、雄吾と颯治……大神家と人里との奇妙な関係が如実に現れていた。
「わかった。それじゃ、これ。借りていくよ」
数冊の本を小鈴に差し出して、小鈴が確認する間に財布から貸本代を出す。何度となく本を借りている颯治にとっては、小鈴が確認しやすいように本の向きを揃えて本と貸本代を出すタイミングを調整するなど慣れたものだ。
「……はい。貸本代、確かにいただきました」
小鈴はにっこりと笑って颯治に本を差し出す。颯治はそれを丁寧に風呂敷に包んで刀と干渉しないように背中にくくりつけた。
「お茶、ありがとう。それじゃまた」
「いってらっしゃいませー!」
「……それはなにか違うんじゃないか?」
よくわからないテンションで見送られることに苦笑しながら、颯治は鈴奈庵を後にしようとした――
そのときだった。
「ああ、ここにいらっしゃいましたか」
「あら、あんたか」
背後から聞こえた声に振り返ると同時に、小鈴が応える。
「おはようございます。もしかして、私になにかご用でしたか?」
颯治は振り返った先に立っていた少女に問いかけた。その頬に微笑を浮かべて。
「ええ。少し前に使いの者を送ったのですが、ご不在とのことでしたので」
そう言ってから、少女ははっとした表情を浮かべる。
「申し遅れました。私は稗田阿求と申します。稗田家の当主として、主に幻想郷史の編纂を担っております」
「ご丁寧にありがとうございます。私は大神颯治と申します」
お互いに挨拶を交わし、深々と頭を下げる。
稗田家のことは話には聞いていたが、こうして当人と会話するのはこれが初めてになる。
「相変わらず初対面の相手には堅いですねえ、颯治さんは」
小鈴に茶化される。先程の『あんたか』といい、稗田阿求とは仲が良いのだろう。
「性分なんだ。いくら年下に見えるからといって、いきなり対等に話すのは失礼だろう」
「それはまあ、そうかもしれませんけど……」
小鈴は悲しいのやら嬉しいのやら、微妙な表情で俯く。
「大神さんのおっしゃるとおりかと。それで、用件なのですが」
「っと、すみません。私をお探しとのことでしたよね。なんでしょうか?」
阿求に向き直り、微笑をたたえたまま颯治は問う。
「それなりに改まった話になりますので、ここではちょっと……できれば私の屋敷までご足労いただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、構いません」
この時期に改まった話ということは、十中八九親父のことか自分のことだろう、と颯治は推測する。そうでなくとも断る理由はないと判断して、颯治はそう答えた。
「では、早速ですが……と、鈴奈庵での用件はお済みになりましたか?」
「ええ、問題ありません」
「承知しました。では、参りましょう。小鈴、お邪魔したわね」
「はいはい。またどうぞー」
小鈴に見送られ、俺たちは鈴奈庵を後にする。
「っと、失礼しました」
「なに、構わんよ」
暖簾をくぐる直前、入れ違いで入ろうとした客と接触してしまう。ひとこと詫びてから、颯治は阿求の後を追った。
◆
「邪魔するぞい」
「あ、マミゾウさん。いらっしゃいませ!」
颯治と接触した女性……二ツ岩マミゾウは、颯治を目で追いながら鈴奈庵に入店した。
「今出ていった男、刀を帯びておったな。今時珍しいのう」
「そうですね。颯治さんは里守の役目をされてますから」
里守、という言葉にマミゾウの耳がぴくりと動いた……ような気がした。
「里守……? それはどういう役目なんじゃ?」
マミゾウは慌てて小鈴に問う。里守という存在を。里を妖怪から守り、妖怪への畏れを打ち消す存在なのかと。
「里守は里を外敵……特に、霊夢さんのような専門家による退治を必要としない低級の妖怪や妖怪以外の脅威から守る役目を担っています。特に、たびたび里の外で目撃される大型獣の討伐が目的で設けられた役目と聞いています。さっきの男の人……颯治さんのお父様が初代で、颯治さんが二代目ですね」
「大型獣? そんなものがおるんか?」
マミゾウは妖怪狸ではあるが、狸に限らず妖獣や獣の類に詳しい。その自身が認識していないことに、マミゾウは首を傾げながら小鈴に問う。
「そうなんです。頻度は数か月に一回程度とそれほど多くはないのですが、非常に獰猛で好戦的で、襲われて命を落とした人もいると聞いています。それに……先代の里守は大型獣が妖獣化したものに殺されたと」
「妖獣化もするのか……ますます危険じゃな。それは確かに、刀を持って守らんといかんのう」
マミゾウはまず安堵した。里守が妖怪の尊厳を脅かす者でないことに。そして同時に、その大型獣の存在に疑問を抱いた。
「それで、さっきの男……颯治といったか? あやつは何用でこの店に?」
「ああ、颯治さんはうちのお得意様なんですよ。たくさんの本を安く読むために、貸本を活用されているんです」
「ふうん……」
マミゾウは適当に会話を切り上げ、本題である外来本の売却交渉に映る。
大型獣については気が向いたら調べてみよう、とこの時のマミゾウは考えていた。
◆
ちなみに、本作は人里の人間が主人公なので、鈴奈庵の設定がベースになっています。完結したので途中で設定が崩れることもない!(続きが読めない悲しみを振り払いつつ)
一章までは現行の週3更新を維持できると思います。二章以降はおそらく1か月後くらい、内容がまとまってから週3更新という東方男娘録スタイルでいきたいと思います(あちらもストックが切れて自転車操業状態に突入したようですが……)。