理由は一章のラストを見るとわかるかもしれません(露骨な読了圧力)。
「どうぞ、お入りください」
「失礼いたします」
阿求に連れられて、颯治は稗田家の屋敷に足を踏み入れた。
大神家など比較にならないほど特異な家柄である稗田家の屋敷は、他の長者の屋敷と比べても特別な雰囲気をまとっていて。颯治はごくりと喉を鳴らしてから敷居をまたいだ。
「こちらです、どうぞ」
「はい……あっ」
「どうしました?」
靴を脱いで玄関に上がってすぐ、颯治が小さく声を上げた。
「大変失礼しました。刀をお預けすべきですね」
言うが早いか、颯治は刀を提げる紐を解いて両手に抱える。
「私は気にしませんが……いえ、お預かりした方がよさそうですね」
「そうしていただけると助かります」
阿求は小間使いに刀を預かるよう指示し、颯治はその人に刀を渡す。
「危険なものですし大事なものです。くれぐれも丁重に扱っていただけますようお願いします」
小間使いは震える手でそれを受け取ると、そろりそろりと屋敷の奥へと向かっていった。
颯治が通された部屋は広く、紙の匂いに満ちていた。
「出しっぱなしの墨や筆がありますのでお気をつけください」
阿求の注意に従い、颯治は墨や筆に気をつけながら机を挟んで阿求と向き合うように座る。
「それで、私にご用とは……里守に関することでしょうか。それとも雄吾の?」
重苦しい空気になることを避け、颯治から口を開く。
「そう、ですね。順番としてはまずはこちらでしょうか」
阿求はそれに応じるように、机の上に置いてあった小さな巾着を颯治に手渡した。
「これは……?」
「一昨日、先代里守・大神雄吾が妖獣を討伐した際の報酬金です。里の者で協議して、あなたに渡すのが適切であるという結論に至りました」
颯治がそっと巾着を開くと、中身は確かに小銭が詰まっている。それも、ただの大型獣を討伐したものよりもかなり多い。それを自覚した途端に、巾着の重みが一層増したような感覚に囚われた。
「では、ありがたく頂戴いたします。……それで、あの」
「なんでしょう?」
「以前は他の長者より報酬金をいただいていましたが、なぜ今回は稗田様からいただくことになったのでしょう?」
颯治の問いを受けて、阿求はこめかみに手を当ててしばらく黙り込む。颯治も追及することなく、ただ阿求の回答を待った。
「……今回の件を受けて、里は大神颯治さん、あなたを次代の里守と正式に認めました。今後は颯治さんと里が連携していくことになります。それにあたって、私にその連携役を担ってほしいと依頼を受けたのです」
やがて、絞り出すように出てきた答えに、颯治はその間に起きたであろうことを推し量らずにはいられなかった。
「……ご迷惑をおかけします」
低く、くぐもった声を漏らして俯く。阿求ははっとしたように顔を上げて、
「い、いえ。編纂の仕事も一日中しているわけではありませんし、今回のような出来事は記録しておくべきなのかもしれません。そういった意味では、私が適任と言えるでしょう」
「身内の恥を晒すようでお恥ずかしい限りですが……いずれはそういったことも含めて記録として残した方がいいのだろうと考えています」
雄吾と颯治が今の境遇を歩むに至った経緯を思い返し、颯治はため息をつきながらそう語る。阿求もそれに同意するようにうなずいて。
「私自身は……稗田家は大神家との禍根はありませんので、公平な立場でお相手できるものと思います。これからどうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
阿求は畏まり、優雅な所作で深く礼をする。颯治はその所作に一瞬見とれてしまい、慌てて頭を下げた。
「……というのが、私が颯治さんを呼び出した用件の本題です」
「え、はい」
阿求の発言の意図が掴めず、颯治は呆けた声を上げる。
「それでは、ここからは大神家と稗田家の話ではなく、颯治さんと私の話にしましょう。颯治さん、小鈴とはどのようなご関係なんですか?」
「え、ご関係? ええと、私は鈴奈庵の常連で、小鈴とはその関係でよく会話しています」
雰囲気が変わったという程度で済むものではない。それまでの稗田家当主としての姿は全くなりを潜めて、見た目相応の少女としての姿が突然姿を現したようで。颯治はその変貌に動揺しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「では、あくまで客と店員の関係であると?」
「うーん、そう言われると少し違うような……貸本屋としての会話以外もするので、友人と言った方が近いのかもしれません」
「ですよね! ではお願いがあるのですが」
「は、はい。なんでしょう?」
小鈴がどう思っているかは別ですが――と付け加える暇もなく、阿求がずいっと詰め寄る。
机越しではあるものの、文字通りずいっと寄ってきた阿求に体をこわばらせる。
「私にも小鈴と同様、友人として接していただきたいのです」
詰め寄ってきた阿求の表情は、真剣そのものであった。颯治の緊張が解ける。
「小鈴と同様にというと、敬語を使わずに?」
「ええ。公の場では難しいかもしれませんが、今ですとか鈴奈庵でお会いしたときですとか、そういった周囲に気を配る必要のないときにはぜひともそうしていただきたいのです」
「それは構いませんが……理由をお聞きしても?」
「たいしたことではありません。この通り私は屋敷で長く過ごしており、友人と呼べる者はそう多くありません。ですので、この機会に同年代の友人が増えてくれると嬉しいというだけです」
阿求の願いは真に迫るものだった。御阿礼の子としての使命を背負った彼女がどのような日常を送っているのか……それまで交流のなかった颯治でも、巻物や紙にあふれた部屋の様子を見ればある程度の察しはつく。
颯治自身も友人と呼べる存在は片手で数えるほどしかいない。阿求の提案を断る理由などなかった。
「そういうことであれば喜んで。よろしくな、阿求」
「え、ええ! よろしくお願いね、颯治」
年相応の輝くような笑顔に、颯治は目を細めるのだった。
「それじゃ、なにかあったらまた来るよ」
「ええ、お待ちしています」
それからはいくらかの雑談をして、颯治は剣の鍛錬のために稗田亭を辞することとなった。
特に颯治が鈴奈庵で借りて読んだ本に関しては阿求も食いつきがよく、会話が弾んだ。ただ、アガサクリスQについては思うところがあるのか阿求の歯切れが悪かったが……同じ本を書く者として価値観の違いがあるのだろうと考え、颯治はそれ以上触れなかった。
「こちら、刀でございます」
「確かに。預かっていただきありがとうございました」
玄関で刀を受け取り、手早く背中に提げる。
「それでは、失礼いたします」
颯治は一礼して稗田亭を後にする。阿求と小間使いはそれを見送った――阿求は笑顔で、小間使いは俯いたままで。
帰る道すがら、颯治は里の中心街を見て回ることにした。
(もう、人が集まってきたな)
市場はとうに開き、中心街は新鮮な野菜や肉を求めて活気づいている。遠目に覗くと、先の仲介業者に卸した野菜は既に完売しているようであった。それを見て颯治はほっと胸を撫でおろす。
その後も、ただひたすらに黙したまま颯治は里を練り歩く。そんな颯治を里の人間は必ずと言っていいほど目に留め、それぞれに表情で反応を寄越してきた。慌てて目を逸らす者、なんでもない風に視線を逸らす者、そうして、明確に嫌悪感を覗かせる者。そうした視線を、しかし颯治は表情を変えることなく受け入れ、絶対に自分から接近し、声をかけるようなことはしない。
(今の俺は刀を帯びている。下手に手を出せば余計な騒ぎを招きかねない)
幸いにして、颯治に声をかけようという者はいなかった。ならば、こちらから声をかけることもないだろう。
(もっと、人当たりのいい表情ができればいいんだけどな)
颯治の嘆き。ずっと親父とふたりで暮らし、他者との関わりを避けてきた颯治にとって、他者と積極的に関わっていくことは経験に乏しく、苦手意識を感じていた。
どうしても鈴奈庵に通い詰める必要があったため、会話する機会が多かった小鈴は数少ない例外と言ってもいい。
(親父……親父は、どう感じていたんだろうか)
雄吾が受けた視線、その厳しさはどれほどのものであっただろうか。視線だけでなく、衝突も幾度となくあったことだろう。しかしその姿を、雄吾は決して颯治に見せることはなかった。
帰宅して本を置いた颯治は、二振りの刀を手にして庭に出る。一振りはそれまで背負っていた自身の刀。そしてもう一振りは雄吾から託された雄吾の刀。
颯治は自身の刀と雄吾の刀は同じ大きさのものを用意したと聞いていた。しかし、実際に手にとってみると明らかに違和感がある。
「重い……」
雄吾の刀を抜き、正眼に構える。確かに大きさに違和感はないが、いざ抜き放つと重心が違う。試しに少し激しく振り回してみると、思ったように体が流れずにバランスを崩してしまい、剣先は乱れ、踏ん張るのに余計な力を使ってしまった。
この刀の扱いに慣れ、実戦で使いこなせるようになるにはもう少し時間がかかりそうだ、と颯治は目を伏せてため息をつく。
(まあ待て、焦るな、落ち着け)
心に焦りを感じてすぐ、颯治は動きを止めて目を閉じる。
(今この刀を使いこなせないのは仕方ない。だけど……俺はこれからこの刀で戦っていく。そのためには、できる限り早く使いこなせるように鍛錬しなければならない)
自分に言い聞かせるように、左手を胸に当てて、深呼吸を繰り返す。
(有効な鍛錬は素振りと、打ち合い……は、できないのか)
今の颯治に、刀で打ち合ってくれる相手はいない。ならば、できる範囲の中でできるだけのことをやるしかない。
(となると、基本は素振り……打ち合いができないなら、そこは仮想敵の脳内イメージで補完するしかない)
そこまで考えると、颯治は目を開き、両手で刀をしっかりと握り締める。
「親父から受け継いだこの刀で、親父の果たせなかった願いを果たせるように」
この日、人里の様子を見聞きして、颯治の中にはひとつの決意が芽生えていた。
雄吾の死を受けて、里の様子はわずかずつでも変わらざるをえなくなっている。その変化の中心に自身が立っていることを、颯治は強く実感していた。
そこに立ち、自身の目指すところは何なのか。
(その実現にはまだ遠い……今できることをひとつひとつ確実にこなしていくしかない)
再び正眼に構え、一度だけ目を閉じて深く息を吸い、吐く。そして、目を見開くと同時に――
「これからよろしく頼むよ――『
その刀の銘を、読み上げた。
なんとか水曜投稿できてほっとしました。
普段は(後で同人誌にするときに修正が大変なので)ルビをなるべく使わないようにしているのですが今回ばかりは使わざるをえなかった……。