ゆえにトップの
言うならば、傀儡国の君主。公に動ける手駒は、統括理事会にとっては貴重だった。もっとも、暗部に堕ちる者も少しはいたが。
松浦奏は、そこに一石を投じた。
「特別なことは望まない」
14歳。身長は141cm。能力は
そんな非力な少女が、静かに吠えた。
「暗部のことなんて知らない」
その少女は彗星のごとく現れた。
風紀委員加入から僅か半年で本部に異動し、もう半年で中枢の役員に選抜。2年も経つ頃には
「私たちは人。あなたたちも人。人は平等。それを目指さない組織は、人の手による転覆の運命を免れないだろう」
前提として、彼女は暗部ではない。しかし『表』と言うには、暗部に近過ぎるのも確かだった。
どこにも属さず、姿も見せないくせに、強烈な存在感だけは滲ませる――まさしくジョーカーだ。そんな統括理事会を嘲笑うかのように、彼女は堂々とこう宣言した。
「ゆえに、私たちは何人も支配しない。ゆえに、私たちは何人の支配も受けない」
松浦奏は、学園都市すべての情報を掌握している――むろん誇張だろうが――と言われる。真偽はともかく、統括理事会すら、彼女に強く動けないのは事実だった。
「私たちは、暗部のいかなる部分にも干渉したことはなかったし、今後もそのつもりは無い」
彼女がとった策はシンプルだ。
各々が抱える、外部に出ては困る情報……『古傷』を探し出して、暗に提示したのだ――
「私は悪意を憎まないが、悪意を選ぶ者を憎む。そして自由意思に任せたとき、自発的に悪意を選ぶ者は誰もいないと信じている」
攻撃するならば、好きにするといい。こちらにはその用意がある。
古傷を開示すれば、自然と同士討ちが始まる。同じメンバーでも、仲間意識とは縁遠い統括理事会の特徴を、彼女は理解していた。
幸いなのは、彼女からの接触が無いことだろう。そんな毒には、こちらから近づくこともない。君子危うきに近寄らず、のとおりである。
「私たちの度重なる嘆願に対して、地を這う者は度重なる権利侵害で応えてきた。自由と秩序を掲げる風紀委員は、それを良しとする者を歓迎できない」
――というのは、言うは易しの典型であろう。暗部でもそう簡単に掴めない古傷を、片手間で、しかもメンバー全員にやってのける手腕は、異常のひと言に尽きる。
そもそも、古傷に触れた時点で、普通ならば消されているはず。ならばなぜ彼女は無事なのか。
答えはシンプルで、
「学園都市における至上の審判者たる学生に対し、副委員長の使命のもとに、あえて宣誓しよう――」
松浦奏は風紀委員。立場上、学園都市の『表』で起こる事件や事故は手に取るように分かる。すると、『不自然に処理された事故』に気付く。
それらを繋げて俯瞰すると、うっすらと『裏』の輪郭が見えてくるのだ。並べたパズルのピースが、足りない形を浮き彫りにするように。それはゴミ捨て場で飛行機を組み上げるような荒業だが、事実として彼女にはそれができた。
「――風紀委員は、自由にして独立した組織であり、またそうあるべきものである」
そして彼女は、『表』と『裏』の境界を正確に見抜いていた。あと1歩で暗部なら、その1歩前で立ち止まる理性があった。
底の無い暗部を見下ろして、その穴に網を張る余裕すらあった。その網に引っかかった者こそ、彼女の飼い犬――前原将貴である。
「学生への寄与と統括理事会への忠誠は、同義ではない。組織に対しては、自由なる1つの組織として、当然に行いうる権利のもとで動く」
風紀委員も、見方を変えれば3000人の実力者を抱える巨大組織である。しかも非殺傷とはいえ武器の携帯も、公での実力行使すらも認められている。
それを手放すことは、統括理事会にとって受け入れ難かった。そしてその決定を、彼女は断じて受け入れなかった。
「ゆえに、風紀委員に干渉しようとする企ては、それがいかなる些事であれ、私たちにとって危険なものとみなす」
風紀委員長を通して彼女を処理しようとしたが、それも無駄だった。彼女に希望を見出した愚かな君主は、支配から逃れるべく、彼女の足元に跪くことを選んだのだ。
直接彼女を始末しようにも、『背後のひと突き』を警戒して動けない。ここでは『
「私たちが維持する組織、正当な原則に基づいて行使する私たちの権利に対し、これを抑圧すること、支配することを目的とする介入は――」
ここまでやって、なお分からないのが目的だ。
彼女は、何もしない。文字通り、見ているだけ。
危険と分かっていて、暗部を睨むことを止めない。風紀委員という『王国』に君臨しながら、動かない。
やろうと思えば何でもできるのに、何もしない彼女は、人によってはさぞかし不気味で、癪に障ることだろう。
「――どのようなものであっても、私たちに対する非友好的な意向の表明としか見ることはできない」
そこまで言って、松浦奏が破顔する。
悪意の欠片も知らない、花が咲くような笑顔を浮かべて、最後にこう付け加えた。
「まあ、耳ある者である皆様方には、そんな心配はいりませんけどねっ♪」
*
第一学区。風紀委員統括総司令部――通称『本部』。その屋上に、1人の男が立っていた。
本名は
「ええ。ええ。手筈通りに進めます」
周囲には、犬の形をしたロボットが何体も並んでいる。さらに胸元には、相手を完全に無力化する蚊のロボットが潜んでおり、準備は万全だった。
「『松浦奏の確保もしくは排除』……たったこれだけの命令に、随分と時間がかかったねぇ」
通話を切った馬場が、けひっと笑う。
松浦奏の排除命令――その知らせは暗部にとって、まさしく福音のごとく響き渡った。
ようやくあの女を始末できるのか。
ようやくあの女が一歩踏み外したのか、と。
「いくら『表』にいても、結局は自分の牙に殺されるわけだ。そこらの凡夫と変わらないじゃないか」
暗部である『ハカセ』との衝突。
そして、8人目の
どちらも暗部堕ちには程遠い、しかも『飼い犬』が起こした事だが――なにが気に入らなかったのか、上はその『飼い主』に責任を求めた。
「まあ、運が無かったと嘆くべきだろうね」
既に本部のハッキングは終了している。確かに強固だったが、
「やはり戦いとは、綿密な情報収集とそれを有効活用できる判断力で決まるね」
松浦奏を始末したとなれば、暗部としての地位は確立したも同然だ。万が一部下にできれば、暗部どころか統括理事会すら、僕を一目置くに違いない。
なにより、あの生意気な金髪が跪く姿を想像しただけで、笑いが止まらない。
「……早速、始めるか」
ポケットからボールペンのような筒を取り出して、ノックを押す。すると筒の先端が開いて、中から数匹の蚊が飛び立った。
常盤台の能力者をも一瞬で混濁させたナノデバイスを搭載した、蚊型の超小型ロボット――通称
「閉鎖を一部解除。区画F−7の通風口を開放」
閉じられた通風口が勝手に開いていく。ビルの主の部屋へと続く、勝利への道筋だ。
そこに滑り込ませるように、犬型のロボット――通称
大気に触れれば即座に拡散し、僅かでも吸えば即座に意識を奪うという、『表』には出回らない学園都市製の催涙ガス――『ソムヌス』である。
「これで眠らせれば、後はどうにでもなる。王が消えれば、王国なんて勝手に滅びるさ」
松浦奏は――いた。
職員室のような部屋の奥にある机に、静かに突っ伏している。小さな体躯、金糸を編んだような金髪には、真紅のリボンが飾られている。その瞳は閉じられ、幼さがありつつも美しい顔立ちは、まるで人形のようだった。
「(……気に食わないな。脳天気な顔をしやがって)」
画面の向こうの松浦奏は、こちらの気も知らずに、穏やかに目を瞑っている。自分が排除されることを理解していないのだろう。
「松浦奏さえ無力化すれば、本部の半分は落ちたも同然。あとは運び出すだけだ」
けひひっ、と笑いが漏れる。何らかの抵抗を予想したのに、まさかここまでうまくいくとは。
僕は手元の端末を操作し、閉ざされた扉や通風口を次々と開けていく。まるでこのビルそのものが新たな王を出迎えるようで、妙な昂ぶりを覚えた。
「さて、最期くらいは僕が手を下してやるか」
カチャリと、何重にもロックされている天井のドアが口を開けた。僕は頬を緩めながら、犬型ロボットを従者のように侍らせ、ゆっくりと開かれたドアへ向かう。
そうして、まさに本部に入ろうとした直前――バガンッ!!と床が抜けて、視界が暗転した。
「――あ?」
疑問に思う間もなく、背中全体に衝撃が走る。あまりの痛みに叫ぼうとしたが、その視界の先で、音もなく落ちた穴が閉じられた。
瞬間、視界がゼロになる。自分の手も見えない中、ザザザとノイズだけが遠くに聞こえる。
『あー、聞こえるー?』
脳天気な声だ。声変わりすらしていないような、悪意の欠片も知らない声。
しかしそれは、背中の痛みを忘れさせるには十分すぎる恐ろしさがあった。
「ま、松浦奏!?バカな、確かに眠らせて……いつ気付いた!?」
『どーだったかなー』
「ふざけるな!!!」
とぼけるような声と共に、狭い空間に機械音が響く。視界がゼロだからこそ、色んな音がハッキリと聞こえる。
「わ、分かっているのか!?『ハカセ』に続いて僕にまで手を出して、ただで済むと思ってるのか!?もう命令は出てるんだ、すぐに別の奴が来るぞ!!!」
『あ、そーなの?大変だねー』
「ぼ、僕なら口利きができる!!まだ引き返せるぞ!!どうだ、悪い話じゃないだろう!?」
『そーだねー』
変わらぬ声の裏で、タンッというクリック音が、やけに鮮明に聞こえた。
言いようの無い恐怖を察知し、どうするかを必死に考えようとする――その瞬間、意識が急激に遠くなる。
『とりあえず、お返しするねー』
相手を、間違えた。
自分の催涙ガスを利用されたことすら思い当たらず、遠くなる意識でそう思った。
強いとか弱いとか、そういう話じゃない。そんな常識が通じる相手じゃなかった。
気が付いたら、負けていた。
「く、そ……」
馬場芳郎は正真正銘の暗部である。
ゆえに、あまりに強い光に照らされても、どこで焼かれて消えようとも、誰も気にしない。
*
「こちらが侵入したロボットです。蚊型ドローンは、そちらの2つですべてのようです。館内閉鎖を再度実施します」
「ありがとー。あとは任せてー」
ガシャンと、松浦奏の目の前に犬のようなガラクタが置かれる。完全に壊れており、ピクリとも動こうとしない。
私の手元の試験管のような筒には、小さな蚊型のロボットがあった。そのお腹には、人の行動力を一瞬で奪うナノデバイスが仕込んである。
「(これでも
カエル顔の医者への連絡は済んでいる。
次なる問題はこちら側だ。
「(さっきの子は
私用の椅子に座り、その上で胡座をかく。退屈そうに足を揺らしては、時折くるくると椅子を回した。机の前で止めると、そこには壊れた携帯端末がある。
しょーくんが撃破した『ハカセ』のものだ。当然、暗部の物であり、重要な情報源となりうる。少なくとも、『表』の者が持っていていい物ではない。
「ま、いーけどさ」
既に壊れているし、碌な情報も獲れないだろうが、『暗部を知ろうとした』と解釈はできる。
シロではないグレー。グレーとはすなわちクロだ。さっきの子は『もう命令は出ている』と言ってたし、暗部への道は既に拓かれているらしい。
「堕ちたら堕ちたでやり方はあるしー」
遅かれ早かれ暗部とはぶつかる予定だったし、変なタイミングで難癖つけられても困るので、むしろ良いタイミングだ。明菜ちゃんの件と同時に、色々とカタをつけるとしよう。
「大人しく堕ちてあげるほど、私はお利口さんじゃないからねー」
にゃはは、と笑う。
その瞬間、部屋の隅にあるディスプレイの端っこで、赤色の光が点滅した。地上付近のダクトより、招かねざるお客さんがいらしたようだ。
「とりあえず、紅茶でも淹れよっと」
すぐに目を逸らして、部屋に置かれたキャビネットを漁る。上段にある茶葉を取ろうと跳ねると、後頭部で飾った真紅のリボンもぴょこぴょこと揺れた。