大覇星祭で賑わう街並みの中を、明らかに法定速度を無視した車が疾走する。乗っているのは、虚ろな目をした運転手と、体操服の少年少女だった。
片や縫い目のある
「……もう第一学区だけど、まだか?」
「我慢力が足りないゾ☆あの場所には誰も近付けたくないんだから、人の少ない学区を選んだのよねぇ」
常盤台の女王が、蜂蜜色の髪をいじりながら答える。
奏と話してから急に出発し、今ここにいる訳だが、行き先から目的まで、俺は何も知らないのである。
「誰にも近付けたくない場所に、俺が行っていいのか?木原幻生より優先するってことは、よほど大事なモンなんだろ?」
「詳しくは言ってから話すけどぉ、今回は本当に特別なんだゾ☆松浦さんに感謝なさいっ」
またそれか、と息を吐く。
奏と話してからというもの、食蜂が妙に素直だ。俺に通り魔を挑んだ前科があるため、普通に気味が悪い。
「……食蜂は奏の友達なのか?」
「……どういうことかしらぁ?」
「なんつーか、食蜂は奏に対して、全幅の信頼を置いてるように見える。精神系の能力者で、そういうのって珍しいだろ?」
失礼だとは思うが、事実でもある。
特に奏は高位権力者であり、それに相応しい実力もある。そんな相手を無条件で信頼するほど、食蜂の思慮は浅くないだろう。
「……そうねぇ。自分でもそう思うわぁ」
「?」
「これ以上教えてあげる義理力は無いわね。それに――ぃっ!?」
ガクンッと、劈くような音が聞こえると同時に、急激な慣性がかかった。シートベルトを締めていなかった食蜂の体が前に飛び出し、運転席に頭をぶつけた。
「ちょ、ちょっとぉ!!なに止まって――――渋滞ッ!?」
「珍しいな。事故か?」
非難するように顔を上げた食蜂が、目の前に広がる長い車列を見るなり、そう叫んだ。クラクションに混じり、怒声のようなものも聞こえる。
運転できる大人がそもそも少ない学園都市で渋滞なんて滅多に起きないのだが――と思っていると、おもむろに運転手が答えた。
「昨日学園都市を巡回する無人バスが爆発・炎上する事故がありまして」
「あー」
「原因究明と点検のためバスが全車運休。大覇星祭の主要な移動手段が失われたしわ寄せで、各地に数キロに渡る渋滞が発生しているようです」
そう言えばあったな、と昨日の報告を思い出した。
大覇星祭の初日にバスが爆発、という衝撃の報告は、本部から全ての
その余波が、こんな所にまで及んでいたか。
「……仕方ないわねぇ」
「食蜂?」
食蜂が前髪をくしゃりと握って、大きなため息をついた。やがて観念したように目を閉じて、小さくこう呟いた。
「――『エクステリア』。一三対目以降の任意逆流開始」
ピッ、という電子音。
その瞬間、クラクションが止んだ。
「……なっ」
少し遅れて、示し合わせたかのように一斉に車両が動いた。車列が左右に開いて、路側帯を越え、遮音壁スレスレまで幅寄せられる。
すると、まるでモーセの如く、渋滞の真ん中が左右にぱっかりと割れた。
「マジかよ……?」
「間を走り抜けなさい。全速力で!!」
運転手が力無く返事をして、車が急発進する。そのまま何の支障もなく渋滞の真ん中をぶち抜き、やがて開けた道路に出た。
「(数キロ先まで……千人近い人間を、一度に支配したってのか?)」
これが
風紀委員にも精神系能力者はいるが、こんな悪魔じみた能力など見たことがない。これがノーリスクで行使できるなら、それこそ
「(この力を向けられたら、俺でも跳ね返せない)」
平然としている食蜂を見て、ごくりと生唾を飲み込む。
この女を敵に回したくはない――と思う反面、意外となんとかなるかも、という根拠のない自信も生まれる。
厳密な数値は不明だが、『
しかしその上限が、去年より大幅に伸びているのも事実だ。
「(……色々終わったら、改めて
「こっちも質問するけどぉ」
「ん?」
「御坂さんが連れてきた
「……そうだが、なぜ知ってる?」
異様な輝きを放つ食蜂の瞳が、じっとこちらを見つめる。爬虫類に睨まれたような不気味に、こちらの背筋も自然と伸びた。
「あの子の能力、なにか『おかしい』と思ったことはある?」
「……どういうことだ?」
「遠くのモノを移動させたとか、ありえないほどの長距離を移動したとか、そういうのよ」
疑問はひとまず置いて、考えてみる――が、そういうのは無い、とすぐに結論が出た。
涼乃は高位能力者だが、
言ってしまえば、白井と同じ『一般的』な能力者だ。
「特に無いと思うが……何かあるのか?」
「……本当は言うべきじゃないけど、当事者だものねぇ。特別に教えてあげるわぁ」
「?」
「八月十日事件」
ピクリと、自分の眉が動いた。表沙汰にはなっていない事件だが、
「あのジーサンがやろうとしたのは、『空間移動系能力者によるAIM拡散力場の干渉実験*1』だったんだけどぉ、詳しいことは知ってる?」
「なにも」
「そっ☆要はアレ、クスリを使って意図的に能力を暴走させて、それを他の能力者で『内側に閉じ込める』実験だったんだけどぉ」
「……?」
「その『爆心地』に選ばれていたのが、中村涼乃さんだったんだゾ☆」
ザワリと、後頭部に何かが走った。
涼乃にトラウマを植え付けただけで許し難いのに、さらなる絶望が用意されていたのだ。未遂だろうとも、心穏やかでいられるはずがない。
「あの場には10人の
「………」
確かにその規模の実験ならば、『爆心地』の選定がランダム、とは考えにくい。少しでも強力な者、もしくは可能性を秘めた者を選ぶだろう。
だが、長年一緒に過ごした身として、涼乃にその『可能性』を感じたことは無い。むしろ俺と跳ぶ時の涼乃は、目標の座標が毎回微妙にズレており、完成しているとは言い難い現状だ。
「(……言い換えれば、涼乃の能力は
だが、
……分からない。
分からないことが、多すぎる。
「もうすぐ到着よぉ。準備しなさいっ」
「……そうか」
大きく息を吐いて、目を閉じる。脱線する思考を元に戻して、ゆっくりと目を開くと、目的であろう施設がそこにあった。
考えるのは、今はヤメだ。今は目の前のことに――彼女たちに降り掛かる火の粉を払うことさえできれば、それでいい。
*
風紀委員『本部』にほど近いビル。本部の全容が見える広い部屋に、
高比重の液体を遠隔操作する『
にもかかわらず、いま私は困惑している。
作戦に支障をきたした訳ではない。むしろ順調に推移しているが、人形から送られてくる映像が、あまりにミスマッチなのだ。
『本体は出てこないの?せっかく英国王女お墨付きを用意したのに、勿体無いなー』
「……ネェネェ、なんかおかしくない?なに呑気に紅茶淹れてるの?」
『え?だって好きだもん』
手元の端末には、目標である風紀委員の『王』――松浦奏が映っている。彼女はキョトンと答えると、平然とミルクと砂糖を手際よく準備した。
視界の隅には、匂わずとも分かる上等な紅茶。お客さんを家に迎えるような言動に、暗部に生きる私も、ただ困惑するしかない。
「(……こんなのが王様?アレレ、ターゲット間違えたカナ?)」
通気口を駆け上がり、一気に目的の部屋に突入するまではよかった。
しかし松浦奏は、強襲した鈍色の人形を見ても、特に驚かなかった。強気に釣り上がった
「……ノンキだねぇ。これから殺されるっていうのに」
『え、私殺されるの?』
「まーねッ。つーか統括理事会にあれだけケンカ売っといて、生きてられると思ってたの?」
『それもそっかー』
にゃはは、と松浦奏が笑う。自らの命運を、これほど他人事のように笑われたのは初めてだ。いまいちペースが掴めない。
「……とりあえず、命乞いとかしないの?」
『んー、交渉してくれるならするけど、どーする?』
「……マ、話し合って解決するなら、それに越したことはないよね」
その答えに、松浦奏が満足そうに笑った。その笑みが不気味で仕方ない。鼠を追い詰めたのに、これが罠だという確信めいた予感がある。
「(……音は出していない。というかこの部屋に来て割と経ってるけど何も無いし、侵入に気付いたのは
自分の立場を思い出し、ふーっと息を吐く。
こういう得体のしれない者を相手取るとき、余計な話はしない方がいい。相手のペースに呑まれた者の末路を、私は経験で知っていた。
「デモデモー、上から命令には従わなきゃだからさ」
『上から?』
「そ。遺言とかあるなら聞くけど、どうする?」
人形を操作し、狙いを松浦奏の胸に合わせる。彼女はそれに気付かないのか、用意したナプキンを上品に太ももに乗せていた。
『そーだねー。じゃあ2つだけ』
鈴を鳴らすような声が、人形越しに滑らかに響く。まっすぐな瞳が、人形の眼孔を通じて私を見つめている。
『まず、私は喧嘩は売ってない。売られたものを買っただけ』
「ふぅん?」
『もう1つは、簡単なことだけどー』
ティーカップを置いて、くすりと笑う。
そうして確信どころか、自明の理を述べるような口調のまま、こう告げた。
『姿すら見せない人に、私は殺すのは無理じゃないかなー?』
ドッ!!と、一切の前触れもなく、人形の胸元から液体金属が射出された。
鈍色の槍は、松浦奏の小さな胸元にまっすぐ進み――白い何かに遮られ、後方のソファーに突き刺さった。
「……は?」
「――!!」
隙だと思った。それ以上に、松浦奏から一瞬でも目を離すことが、不気味だと思った。
そんな不安を拭うように、私は人形を操作し、
「ギッ――!?がぁっ!!?」
ジジジジジジッッッ!!!と、あまりに唐突に、脳を炙られたような痛みが走った。少し遅れて強烈な吐き気に襲われ、その場で膝をつく。
火傷のような痛みは脳にずっと残り、ようやく落ち着いたとき、新たな事実に気付いた。
「――が、はぁっ!!はぁっ……な、え?」
操っていた人形が、どこかに消えた。厳密には、操っていた感覚が消えた。
違う、私の操作が及ばないよう、無力化されたのだ。おかげで何も動かせないし、周りの景色も分からない。
「凍らせた?それとも……アレ?」
少し遅れて、さらにもう1つ気付いた。
手元の端末の映像が断絶されている。つまり人形も、人形に付けていた小型カメラも壊されたせいで、情報の一切が遮断された。
要は、私にとって絶対の武器である『液体人形』は、武器も持たない1人の少女に、完全に負けたのだ。
「……アハ、アハハハハハ!!すごい、すごすぎるでしょ松浦奏!!まさかここまで読んでくるなんて!!」
怒りが込み上げ、思わず変な笑いが出た。
少なくとも戦闘力において、松浦奏はまったくの弱者だったはずだ。少なくとも、『忠犬』が立ち塞がると思っていた。
なのに負けた。あの非力な支配者に。
「(――落ち着こう。相手はあの松浦奏。そんな簡単に殺せるなら、今日まで生きてられる訳がない)」
僅か数秒のやりとりで、既に幾つも疑問が生まれる。
どうやって『人形』を無力化した?その前の『ノイズ』は?最初の刃はどうやって防いだ?馬場芳雄はどこに追いやった――――どこまで、読んでいた?
「読んでいた、ネェ……それはこっちも同じだから!!」
ガシャンッ!!!と、部屋中からガラスが割れる音が響いた。部屋に並べてあった器が砕けて、そこから何体もの『人形』が飛び出した。
「ここからが本番。首洗って待っててねっ!!」
表情が切り替わる。己の覚悟が上書きされる。
つまるところ、私は松浦奏を舐めていたのだ。所詮『表』の人間だと。そこを突かれ、第一波を防がれた。
だが、今度こそ本気だ。私の目的のために、持ちうるすべてを以て、あの女を叩き潰す。
『闇』の深さを侮ったことを、その命をお代に教えてやろう。