「あそこに木原……さんが?」
「はい。14時からあの会議場で行われる、国際能力研究者会議という会合に、お忍びで参加するみたいです」
第九学区のビルの屋上に、柔らかな声が響いた。
茶色の短髪と血色の良い肌、化粧がなくとも整った顔立ちの少女は、名前に
そして隣には、『こういうこと』には縁遠いはずの人物が1人。
薄茶色の瞳、肩下まで伸びた同じ色の髪、それを留める白い髪留め。黒とグレーを基調とした体操服に身を包んでいるのは、
「食蜂曰く、一定数の関係者は掌握済みのようです。警備ロボや
「……わかった。じゃあ行こっか、美琴ちゃん」
「……いいんですか?こう言うのは何ですが、一度踏み込んだら、引き返すのは難しいですよ」
「だからだよ」
だが、
そう思っていると、ふとスズさんが話しかけてきた。
「美琴ちゃんはさ、自分の能力を信じてる?」
「……は?それは……一応
「だよね。私も信じてはいるよ」
含みのある言い方に眉を顰めると、スズさんは「だからこそ」と続けた。その表情が、ふっと緩む。彼女にしては珍しい、自虐的な微笑みだった。
「私は、自分の不甲斐なさが腹立たしい」
「……え?」
「幸運なことに私は、とても便利で、強力な能力がある。サポートなら何でも出来るくらいの、ね」
「………」
「でも私は、何にも出来なかった。4年もペア*1を組んでるのに、何も気付なかった」
スズさんと前原さんの付き合いは長い。積み上げてきた信頼は、並大抵のものではないだろう。事実この4年間、ペアの交代は一度も無いと聞く。
私で言うならば、同室の黒子が、人知れず暗部と戦っていたようなものだ。片翼とも言える存在の異状に気付けなかった心境は、推し量るには余りあるだろう。
「でも、今は違う。気付いた以上、やる。それだけ」
「……しかし、スズさんが戦うことを、前原さんは望んでいないのでは?」
「たぶんね」
少し失礼な指摘を、スズさんは笑って肯定した。
「将貴は優しいから、誰かが戦うことなんて望んでない。ペアでも私はサポートで、将貴が前衛だったからね」
「でも」と区切ったスズさんをもう一度見る。その目からは、既に迷いは消えていた。それを見て、私もふっと表情を崩す。
「それでも私は、将貴が大切だし、護りたい。それだけは譲れないの」
この人は、『裏』のことなんて知らない。興味すらないと思う。でも、そこに前原さんがいれば、きっと地獄の果てまで追うのだろう。
「……分かりました」
そう信じ続けられるなら、それは『強さ』だ。
ならば私は、この人を守ろう。この人が抱く、あまりに純粋で、あまりに眩しい想いは、学園都市の『裏』には似合わない。
加えてるなら、そんな恥ずかしいことを言えるなら、その本人からの想いにはいい加減気付いてほしい、とも思った。
*
会議場への侵入は、怖いくらい順調に進んだ。
もっとも、あらゆる壁を突破する中村涼乃と、電子機器を無効化・改竄できる美琴ちゃんが揃えば、ある意味当然の帰結である。
「
「ここまで順調だと、何かしらの罠を疑っちゃうね」
「やめてくださいよ、縁起でもない」
会議場地下にあった監視カメラの制御室に、美琴ちゃんの笑い声が響く。周りには武装した
「見た限り、会議も問題なく進んでいますね。下手に動かず、ここで探しましょう」
「そうだね。見つけたら私がパパッと迎えに行って、そのまま離脱して将貴たちと合流しよっか」
「え、3人でも
「重さによるけど、多分いけるよ」
試したことは無いが、最近の能力計測値から考えて、おそらく可能だ。ここ最近、能力もやけに調子がいいので、これからもっと伸びるかもしれない。
なのにペアではサポート役とは、将貴が強いのか、それとも優しすぎるのか。
「あ、休憩かな?みんな席を立ち始めたよ」
「分かりました。木原幻生を追います」
賓客として招かれているせいか、目標のお爺さんは、広い会議場でもすぐに見つかった。
しわだらけの顔、薄く開かれた目、禿げあがった額、背をまるめて歩く姿は、一見すると普通のお爺さんだ。何を企んでいるのかは、外からでは分からない。
「(……美琴ちゃんの顔つきが変わった。いよいよ本番かぁ)」
将貴も美琴ちゃんも、今日初めて会った食蜂さんも、奏ちゃんすらも、このお爺さんに用事があるらしい。それも、明らかに非友好的な。
私はこの人がどんな人かも、何をしたのかも知らない。だから、本当の意味で敵対はできない。
でも、やると決めたのなら、やるしかない。それが私の覚悟なのだから。
「……ちょうど1人でバルコニーに出ましたね。外の空気を吸いたかったのでしょうか?」
「ほんとだ。周囲に人影も無さそうだし、早速連れてこようか?」
「ん〜……なんか都合が良すぎる気もしますが……お願いしていいですか?」
改めて覚悟を決めていると、いきなりチャンスが現れた。周りには誰もいないし、連れてくるだけなら5秒もかからない。
ここは行こう――
「よし――」
一瞬の浮遊感。同時に、すべてが入れ替わる視界。ヒュンッと空気を切り裂く音が、ほんの少し遅れて聞こえる。
その音に気付いたのは、目の前にいた、腰の曲がったお爺さんだ。数秒前まで画面の中にいた人が、ゆっくりとこちらを向いて、私の存在に気付いた。
それとほぼ同時に、私も空間移動で跳ぶために、お爺さんの肩に手を伸ばす――
「おや、中村君かね?」
「――え?」
伸ばした手が、空中で止まった。驚くでもない予想外の返答に、数秒だが確実に止まった。
私はこのお爺さんは知らない。少なくとも、名前を覚えられることをした覚えは無い。
疑問符が浮かんで口から出る前に、お爺さんが再び口を開いた。
「久しぶりだねぇ。去年の8月以来かな?」
「去年の、8月……?」
その時期で、最初に浮かんだ事が1つある。しかし、それは公になっていないはずの事件だ。
ならば知っているのは高位権力者か、もしくは当事者――
「――ぁ、え?」
ゾワッと、冷たい舌で舐められたような気がした。ただその言葉だけで、私の世界は一時停止した。
「君の『素養』は実に素晴らしかったねぇ。よく覚えているよ?能力は進化したかい?」
「――あ、ぁ」
「ああ、前原君は元気にしているかな?」
何を言われたのか理解できなかった。何を言っているのか全然分からなかった。
分かるのに、分からなかった。
隠密行動であることすら忘れた身体が、強い覚悟を決めていたはずの体が、途端に動かなくなる。
「(この、人は……)」
受け入れられない。
受け入れたくない。
だってようやく、克服できそうなのに。
暗闇はもう、怖くないはずなのに。
「(そんな、わけ……)」
気付きつつある事実を、頭で何回も、何十回も否定する。その中でふと、ある言葉を思い出した。
『この中で1番強力な能力者は誰だい――』
『じゃあ起爆剤は彼女にしようか――』
『科学の発展に犠牲はつきものだからねぇ――』
あの時、彼を救った日に、彼に救われた日に聞いた台詞。暗闇の中で聞いた台詞。
それが去年の8月だ。『去年の8月』なのだ。
「あ……ぁ、……」
言葉とは裏腹に、私の頭は段々と冴えて来た。元々
「そ、んな……」
将貴も奏ちゃんも、この人には非友好であるという。あの優しい2人が、明確に嫌悪する相手なのだ。
それが『八月十日事件』の首謀者だったのなら、筋は十分通ってしまう。
「ふむ。僕は長くこの世界にいるが、こんなのは初めてだね。まさか
当たり前だろう。今は悪意を向けるどころか、私自身で手一杯なのだ。
美琴ちゃんと離脱した方がいいのは分かってる。しかし、私の身体を支配するのは、手足に大量の虫が群がるような、壮絶な忌避感だけだ。
「――っ、はぁっ、はぁっ!!」
呼吸すら忘れていたのか、本能が限界を訴えて、慌てて酸素を取り込む。
自分を守るように肩を抱くと、全身に鳥肌が立っているのに気付いた。ポケットでケータイが忙しなく震えているが、取る余裕なんて無い。
「前原君の干渉は想定の範囲内だか……あいにく、
「あ……ぁ……!」
「まあ、
私の覚悟を嘲笑うように、お爺さんが口角を上げる。
その笑いが、すべてを表していた。
「ああ、分かっているとは思うけど」
明確な敵意に晒され、ようやく身体に力が戻ってくる。けど、動くにはあまりにも遅すぎた。
「彼は
ピッ。