「妨害力さえ発揮しなければ、ここで見ててもいーのよ?」
第一学区の名もないビルを前に、蜂蜜色の長髪を靡かせた少女、食蜂操祈は告げた。「やなこった」と返したのは、金のメッシュと緑の腕章が輝く、
「ここまで連れて来られて、大人しく待てると思うか?」
「それもそうねぇ。あなたは忠犬ってよりは猟犬だものね☆」
「まだ言うか貴様」
睨みつける彼の視線を受け流し、静かなビルをじっと見つめる。見た限り、襲撃されたような形跡は無い。
ともかく、中に入って、直接確認するしかない。
「とりあえず入るわよ。ここ、私専用のトラップ力がたぁくさんあるからぁ、あんまり離れないでねぇ」
「トラップごときに、俺がやられるとでも?」
「そういう慢心力が隙を生むんだゾ☆」
図星をつかれたのか、悔しそうに押し黙る年上の少年を引き連れて、ビルへと入っていく。
ビルの内部は、窓どころか壁紙すらも貼られておらず、ひどく無機質な様相だった。点々とした灯りは足元をかろうじて照らすばかりで、非常口を示す緑色だけが、唯一の彩りとなっている。
色々見て回るが、やはり襲撃された形跡は無い。しかし進むにつれて、それが強烈な違和感となる。
「……静かすぎるな」
「ここで働いてるはずの職員すらいない……退避したのかしら。なら、ここの襲撃も時間力の問題ねぇ」
松浦さんの読みが正しかったことを確信し、思わず親指を噛んでしまう。
どうしてこの場所が分かったのか。関係者には何重にもプロテクトをかけたし、来るときだって万全の準備をしていたはずなのに――――単純に陰謀力で上回られた、ということだろうか。
「ここが戦場になる可能性もある……そうなったら野蛮力の発揮は頼むわね☆」
「……まあ、分かった。俺が戦えるなら、その方がいい」
表情1つ変えず、少年は同意した。むしろ、戦いを引き受けることに安堵すらしているように見える。
これは危ない兆候だ、と思った。
先ほどの会話からも分かるように、この少年は、自分の力を過信している。なぜなら、
そうなると、たった一度の敗北が致命的になる。
「相手は正真正銘の『暗部』よぉ。用心なさいっ」
「危険なのは承知の上だ。だが、涼乃や泡浮が、俺の知らないところで、俺が知らない戦いに遭うよりよほどマシだろ?」
「自分がすべてを管理したい、ってことぉ?傲慢力が過ぎるわねぇ」
「それでいいよ。俺は学園都市の『闇』に、涼乃たちを関わらせたくないだけだ。なんと言われても、俺の正直な気持ちはそこにあるんだよ」
なるほど。ツンツン頭の少年はもとより、この少年も大概のようだ。違う点と言えば、好意を向ける対象が明確であることだろうか。
「それより、ここは何なんだ。研究機関にしても何もなさすぎると思うけど」
「ひと言で言うなら『エクステリア』の保管庫かしらねぇ」
「『エクステリア』?」
「さっき見せたでしょぉ?」
先ほど
「『エクステリア』は私の能力を増幅・拡張するブースター……とでも言ったところかしらぁ……表向きはね」
「表向き?」
「『エクステリア』計画の本来の目的は、私の能力を誰でも使えるようにすることだったんだゾ☆」
「へぇー…………は?」
絶句する少年を横目に、最後の部屋に足を踏み入れる。
困惑しながら付いてくる少年に、私は独り言のように続けた。
「『エクステリア』に登録された人間は、能力者だろうと一般人だろうと、『
「………」
「ここ『
バァン!!と室内灯が一気に点灯し、広すぎる空間が露わになった。目が眩んだ少年が声を上げるが、それも無視して私は続ける。
「『心理掌握』は人格高潔な私だからこそ制御できる力。俗物が手にしたら無闇に振り回して危険だものねぇ」
そう言って、空間の中央へと歩いていく。
部屋の中央には、巨大なガラスの壁があった。というより、直径数十メートルの試験管を囲うように空間を作った、と言ったほうが正しいかもしれない。
その巨大すぎる試験管の中には、さらに別の、直径10メートルほどの巨大な試験管が2本立っていた。その中は、炎のような極彩色の液体に満ちている。
「……都市伝説で聞いたことがある。『能力を発生させるDNAコンピュータ』だったか?」
「ああいう噂ってどこから出てくるのかしらねぇ。そもそも正確には『機械』じゃないしぃ」
都市伝説は意外と嘘ばかりではない。火のない所に煙は立たないのだ。
『使うだけで能力
「誰にも知られたくないのに、初対面の男の子に見られるなんてねぇ」
『エクステリア』は、機械でもなければ、生物でもない。では、一体何か?
答えは、目の前に存在する。
「私の大脳皮質の一部を切り取って培養・肥大化させた巨大脳――それが『
試験管に浮かんでいたのは『脳みそ』。
大きさは10メートル近くあり、脳梁は無く、左右に分離して浮かんでいる。小脳にあたる部分は機械で補填されているものの、間違いなく『食蜂操祈の脳みそ』であった。
それを見た少年はぎょっと目を開き、視線を私に移した。驚いたというより、本能的な忌避に近いだろう。
「どう?驚いた?乙女の秘密力を暴くってこーゆーことだゾ☆」
絶句する少年を余所に、今後の方針を考える。
『
私がいない間に占領されることこそ、最悪。なればこそ、それを防げただけでも良しとしよう。
「……木原幻生はこの『脳』を使って、なにをする気なんだ?」
「さぁーねぇ。でもコレを使うには、数日かけて『登録』する必要があるのよねぇ……」
「仮に襲撃しても、そこまで悠長に居座るとも思えない、か」
そのとおり。
暗部はその性質上、日陰で息を潜めて生きている。そのため、襲撃した施設に数日も留まり、悠長に『登録』するなんてありえないのだ。
「……木原幻生の本来の狙いは、ミサカネットワークだったよな。『
「少なくとも、私が
「方向性?」
「そ。ミサカネットワークは、言い換えれば1万人の能力者の集合体……それがまとまって1つの行動を取れば、それだけで脅威力でしょぉ?」
極端な話、世界に散らばる
それを防ぐためのプロテクトであり、それを突破するには『
やはり、私の防衛力に、致命的な綻びは見出だせない。
「だが、その
「――松浦さんに託したから、見つからない。幻生はどうやっても、ミサカネットワークへのアクセス力は皆無なのよ☆」
やはり先手を打てたのが大きいだろう。想定より上手く事が運んでいる。部外者の参戦は想定外だが、松浦さんがいたなら嬉しい誤算だ――と思った、その瞬間。
ゴポッ……と、『
「――――ぇ」
脳を殴られたような感覚。
ガクリと膝が折れて、視界が歪んだ。しかし痛みはすぐに収まり、視界も戻った。まるで、予防接種の注射針のように。
「まさ、か」
ついたままの膝が、ぎゅっと固まったように動けない。
脳の奥に届いた痛みに、思い当たる節があった。それ以上に、
そんな中、唐突に電子音が響く。
「……?」
単調な電子音の正体は、どうやら少年のケータイの着信らしかった。少年はこちらを心配そうに見ていたが、やがてその体勢のまま話し始める。
「どうした美琴――――……涼乃が?」
少年の声が急に大きくなり、纏う雰囲気が一変した。
どうやら、幻生確保に向かっていた2人に、良くないことが起こったらしい。
いや、遂に始まった、と言うべきか。
「あ!?ごめん、なんて――クソ、急にノイズが――!?」
「っ、妨害電波……!?」
「とりあえず位置だけでも……!!」
少年が叫んで、舌打ちが聞こえた。
妨害電波の放射――いよいよ一刻の猶予も無い。だが、これは……。
「――行きなさい!!早く!!」
「っ、食蜂、すまん!!」
だんっ!!と地面を蹴る音が聞こえ、次第に小さくなっていく。その間、私は「なんで、どうして」と自己批判でいっぱいだった。
少なくとも今、確信してることは1つ。
『
*
同じく第一学区に位置する、風紀委員統括総司令部――通称『本部』。
治安維持の象徴とも言えるビルには相応しくない、ガラスが砕ける音が炸裂した。
「ドアから入ってよ、ね!!」
そう叫んで、松浦奏は横に飛んだ。金糸を編んだような髪と、それを後ろで飾る深紅のリボンが大きく揺れる。
その直後、私が今さっきまでいた場所に、鈍色の槍が突き刺さった。その槍は生き物のように蠢いてまとまり、ひとりでに人の形を作っていく。
「(さっきのと同じ――)」
私は床を転がって、自分の執務机の足を入れるスペースに飛び込んだ。
直後、機関銃で撃たれたような轟音が机越しに響く。しかし、机に風穴は空かない。
「(威力は想定内――あとは数)」
それは逃げながら見極めればいいか、と納得し、腕時計型の通信端末を操作する。こういう時、小さな身体で良かったと思う。
「――警戒態勢『第一種』。場所、副委員長執務室」
短く告げて、私はさっと通信を切った。
ぺちっと、机の内側を軽く叩く。
直後、すとんっと床に穴が空き、私はそのまま1mほど真下に落下した。万が一のために用意しておいた、私専用の避難経路だ。
「(警策看取……やっぱ生きてたかー)」
私は、この襲撃者を知っている。というか、記憶している。
学園都市では稀に、高レベル能力者や優秀な学生が、収監された少年院から姿を消す。街が取引を持ちかけ、秘密裏に出所させている――とかなんとか。
いずれにせよ、学園都市に良い影響を与えるとは考えにくい。
ならば、1人残らず調べ上げれば、イザという時の対策も立てやすい。
「(14ヶ月前にテロ未遂を起こして、少年院に収監。そして2ヶ月前に心不全で死亡、直後に焼却処分……怪しさ満点だもんねー。そりゃ覚えるってー)」
能力は
比重が20以上の液体を操る能力で、数百キロ離れていても自在に操れる遠隔操作性と、高い戦闘力・精密性を誇る。
「(――ただし、人形は自分と同じ容積、形状じゃないと、操作性はグッと落ちる……マ、期待半分だねー)」
這うように避難経路を進みながら、一瞬見えた映像を情報として処理する。
色合いや威力を見た限り、人形の元は液体金属だろう。というか、比重が20以上の液体自体、ここ学園都市でも数えるほどしかない。
「(見えた限りだと、人形は6体――予備を用意してないわけがないし、10体と考えよっか。ならギリギリ足りないかなー?)」
避難経路から這い出てると、執務室前の廊下に出た。ガラス張りの廊下からは、学園都市の心臓部、第一学区の街並みが見える。
静かに目を閉じて、私の能力――
「みーつけた」
姿の見えない敵を見つけ、口角を上げる。私の
経験として、ある程度の実力を持つ狩人は、
向こうとしても、野兎が抵抗もなく死んだら面白くないだろうし――
「私は柔らかい椅子が好きだけどー」
――なにより、向こうから来てくれるなら、鈍く短い野兎の牙すらも、その喉元に届きえるのだから。
「前に向かってひたすら走るのも、嫌いじゃないんだよねぇー!!」
*
暗い施設に明かりを求めて、前原将貴が駆け抜ける。
先ほどの電話であった、美琴の焦った声。『涼乃の様子がおかしい』という、聞き逃しがたい文言。
嫌な予感が、嫌な汗が止まらない。
「(やっぱり、涼乃を連れてきたのは間違いだった……!!)」
一緒に戦いたい、というのは涼乃の願いだ。
ゆえに何よりも優先して聞き入れた――が、甘かったと言わざるを得ない。思考停止と言ってもいい。
涼乃は平和を愛する子だ。
そして、誰かが戦いで傷付いていたら、自分が代わりに戦うような風紀委員だ。
だが『暗部』にあるのは、『戦い』ではなく『殺し合い』、もしくは虐殺だ。そこに風紀委員なんて肩書きに価値は無い。
少なくとも、風紀委員と名乗っても
「(涼乃に嘘をついてでも、近付かせるべきじゃなかった……!!)」
ギリッ、と奥歯が軋む。目の前にあった外への扉を蹴破り、苛つくほどに青い空を睨みつける。
涼乃には正直でありたい、『涼乃の正解』を優先したい気持ちが、最悪な形で働いてしまった。
涼乃が笑っていることこそ、俺の『正解』なのに――
「――『俺の正解』……って、なんだ?」
ゾワリとした。思わず足が止まり、俯くように下を向いてしまう。
涼乃の正解と、俺の正解――優先すべきは涼乃に決まってる。
だが、俺はいま、嘘をついてまで『涼乃の正解』を否定しようとしたのか……?涼乃を
「久しぶりだねぇ、前原君。元気そうで何よりだ」
ふと後ろから、しわがれた声が聞こえた。
その老人は、俺が通ってきた通路の屋根に立っていたらしかった。どうやってそこに登ったのかは、考えられなかった。
「会えたのは喜ばしいが、今は実験中でね。少し行かねばならないんだよ」
その声に、俺はゆっくりと振り返る。
そこには、食蜂が見せてくれた写真と同じ、背中の丸まった爺さんがいた。
それと、その陰にもう1人。
「その間、彼の相手は頼めるかい?」
「――――」
黒を基調とした制服と、緑色の腕章。
薄茶色の髪は肩まで伸びたセミロングで、素朴な白い髪留めで飾られている。
そんな、俺が最も見慣れた少女が。
俺が最も安心する薄茶色の瞳が、静かに俺を見下ろしてた。
●警戒態勢『第一種』
天災、テロ等の対象危機により状況が緊迫し、統括総司令部の運用に甚大な影響が発生する、もしくはその可能性が逼迫していると認められる場合。
対処員に指定された者は、殺傷を除く戦闘力の全能発揮に努め、非対処員は緊急運用に即応できる態勢を維持する。
発令権者は風紀委員長もしくは副委員長。
※風紀委員総則より抜粋。