とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第104話

 

 

 

 

 

 ピシリと、前原将貴の中で、何かが砕けた。

 その砕けた何かの隙間から、ドロドロと黒い液体が溢れ出して、腹の奥に落ちていく。

 

「………」

 

 視線の先では、異様な光を宿した薄茶色の瞳が、静かに俺を見下ろしている。

 いつもの柔らかな笑顔は消え失せて、貼り付けたような無表情を浮かべるだけだった。

 

「……涼乃に、なにをした?」

 

 俺は白衣の老人にそう問いかける。

 老人は考えるような仕草をして、しわがれた声でこう答えた。

 

「少し思考をイジらせてもらってねぇ。それと、無意識に能力を抑えていたようだから、()()()()()()()()()()だけだよ」

「……そう、か」

 

 老人の言葉なんて、正直どうでもよかった。なんて答えようとも、やることは決まっていたのだから。

 俺の拳に自然と力が入り、やがて痛みすら感じないほどに硬くなる。

 

「戦うのかい。君がそうすることを、中村君は良く思わないと思うけどねぇ」

「……俺の前で、その名を盾にするのか?」

 

 腹の奥に、真っ黒い液体が溜まっていく。やがて渦を巻いて流れ出し、薄い皮膚の下を駆け巡った。

 

 殺そう、と。自然に気持ちが固まった。

 

 初めてだった。知らない感情だった。

 初対面の人間にこんな気持ちになったのも、『殺す』ことを目的にしたことも。

 

「………」

 

 俺の数メートル前に、涼乃が急に現れる。ほんの一瞬遅れて、空気を切り裂く音が聞こえた。

 その手には、風紀委員(ジャッジメント)の支給品である特殊警棒が握られている。腕を振ってそれを伸ばすと、立派な鈍器の出来上がりだ。

 

「……っ」

 

 涼乃の薄茶色の瞳が、まっすぐに俺を射抜く。その目は、俺を憎むでもなく、何とも思ってないことを雄弁に語っていた。

 

 それを見て、泣きそうになった。

 涼乃が見ないなら、誰が俺を見てくれるんだ。

 この状況で、そんな独善的な考えばかり浮かぶ俺を、誰が認めてくれると言うんだ。

 

「(……ダメ、だ)」

 

 腹の底に溜まった液体が、別の何かに塗り潰された気がした。

 それ以前に、()()()()という存在が薄らいでいる。中村涼乃という『鑑』が曇ったいま、自分の存在がうまく見えない。

 

「(ど、どうすればいい……?)」

 

 周囲の酸素が急に低下したように、肺に息苦しさを覚えた。想定外の事態に陥ると、人は呼吸が上手くできなくなるらしい。

 

「(涼乃を相手取るなんて、無理だ)」

 

 できるできないではなく、不可能だ。

 そもそも、俺が戦いたくない。どんな間違いがあっても、涼乃に対して拳を握れない。

 涼乃を全反射(ハーモニクス)で拒むくらいなら、俺が空間移動(テレポート)で首を落とされた方がマシだ。

 

「(涼乃は操られてる。涼乃の意思じゃない……だが、これは……)」

「君の弱点を教えてあげよう」

 

 なんとか回そうとする思考に、冷水をかけるように、木原幻生の声が割り込んだ。

 焦っている俺が面白いのか、白衣の老人は口角を釣り上げながら、薄く開いた目で俺を見下ろしている。

 

「他でもない中村君だよ。君は彼女の事になると、視界をひどく狭窄させて、思考も著しく低下する。まあ、我々からしたら有り難いけどねぇ」

「………」

「要は君の弱点ゆえに、中村君に白羽の矢が立ったわけだ。どうかな。絶望、したかい?」

「……絶望?」

 

 ぼうっと、腹の底が熱くなる。頭の中が真っ黒になり、首を伝って足先まで、黒い何かが伝染していく。足元が床に着いていられないような感覚になるが、それと入れ替わるように、思考は冷えていった。

 

「……それは、これからお前が見る未来のことか?木原幻生」

「うんうん。いい目をするようになったね」

 

 俺は返事を待つことなく、懐の拳銃を取ろうと手を伸ばす。

 その瞬間に見えたのは、急に目の前に現れた薄茶色の髪の少女が、特殊警棒を振りかぶる姿だった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 第一学区に位置する、風紀委員の頭脳たる『本部』。そのさらに頂点である松浦奏の執務室に、そぐわない轟音が炸裂する。

 金糸を編んだようなセミロングの髪と、それを後ろで飾る深紅のリボンが、見たこともないほど大きく揺れた。

 

「来たね!!」

 

 乙女の部屋に押し入る不届き者に、私は久しぶりの大声で吠えた。

 合計6体の人形は振り返ることなく、それぞれの背中から液体金属を射出した。鈍色の槍は、正確に私の胸を狙っている。

 

「――お気に入りなのに」

 

 私は持っていたシルクのハンカチを前で広げる。そして槍が刺さった瞬間、大きく腕を振った。

 ハンカチを通して横の力が加わったことで、槍の軌道が僅かに逸れて、槍は私ではなく後ろの扉に突き刺さった。

 

「(『書庫(バンク)』の情報が正しいなら、人形に視界は無い。代わりに反響定位(エコーロケーション)*1で周囲状況の把握してる。つまりー)」

 

 腕時計型の端末を操作し、スピーカーから少量の音を一瞬だけ出力する。

 その瞬間、頭に電流が走ったような痛みが走った。

 私は思わず顔をしかめるが、相手はそれ以上だったらしい。6体の人形すべての崩れ、灰色の泥のようになった。

 

「(音による攻撃は有効ってこと、だよねー!!)」

 

 部屋の隅にある消化器の形をした金属ボトルを手にとって、泥の山に走る。

 しかし私の身体は意思に反して貧弱で、金属ボトルは重いし、私の足は遅い。

 消化器と同じ要領で中身を吹きかけるが、やはり遅い。

 

「(3体くらいなら、これでいけたのになー)」

 

 中の粉末を吹きかけ終わると、鈍色の泥は油を差してない歯車のように軋み、やがて停止した。

 同じ流れで、近くにいたもう2体も動きを止めている。しかし、金属ボトルの中身や時間的余裕を考えると、これが限界だった。

 

「やばっ」

 

 ドシュシュシュ!!と、残った3つの鈍色の泥から、新たな槍が射出される。しかし狙いはデタラメで、いわゆる『回避のための攻撃』だった。

 ゆえに、床に伏せただけの私でも、なんとか避けれた。

 

「(今のですら上出来なんて、本当に喧嘩は苦手だなー)」

 

 呑気なことを考えながら、次の策を巡らせる。

 

 警策看取の液化人影(リキッドシャドウ)は、比重が20以上の液体を操る能力だ。

 しかし実用性の観点から、比重が20以上の液体なんて、学園都市でもほとんど存在しない。せいぜい重金属の化合物――その中で放射性元素を含まないものであれば、ほぼ特定できる。さしずめ、駆動鎧(パワードスーツ)の高度緩衝材で稀に使われていた液体金属、といったところか。

 

「(そこまで分かれば、()()()()()()()()()も分かる)」

 

 例えば、固体にすることも難しくない。無理やり作った物など、特定物質に対する反応性は抜群だ。

 その読みは当たり、ひとまず3体は倒せた。能力なしでこれなら、まあ上々だろう。

 

「(それに今ので、私が何を聴かせたか、も理解したかもしれない)」

 

 私の『音』と、音を極めて敏感に拾う反響定位は、相性が致命的に悪い。同じ手を何度も使うのは愚だが、『次が来る』と警戒させるのは有効だ。

 

「(とは言っても、『暗部』なら策を用意してるはず……カメラとか?人形の中でそれっぽいのは、首に巻いてたアレかな?)」

 

 人形はそれぞれ、髑髏のようなアクセサリーを首に着けていた。ほかは全身鈍色の人型だったので、色彩として浮かんで見えたのだ。

 つまり、まずはアレを破壊するか――利用するか。

 

『やるネェー、まさか3体も倒しちゃうなんて』

 

 鈍色の泥が人型となり、少女の籠った声が聞こえた。おそらく警策本人の声だろう。

 人形の顔が真後ろまで回り、ぎょろりと私を捉える。その瞬間、ギュオッ!!と、その手が鞭のように伸びて、私に襲いかかった。

 

「――っ!!」

 

 火箸を押し付けられたような痛みが、手足の両方に走った。見ると、私の右腕と左足に、決して浅くない切り傷が走っている。たらりと、赤い液体が膝を伝って流れた。

 

『デモデモー、やっぱり奏ちゃん本人は何の力も無いもんねっ』

「(っ……やっぱり、私1人じゃ絶対勝てない……!!)」

 

 鈍色の人形が、蹲る私をけらけらと笑い始める。

 距離があったため、直撃はどうにか免れた。だが、ただでさえ軟弱な私の身体には、この傷すら致命傷なりうる。

 

『奏ちゃんのことは調べさせてもらったよ?ガッチガチに守りを固めてる割に、好奇心が旺盛だよねっ』

「……あいにく私は、椅子にふんぞり返るだけじゃ満足できないの。身の安全を心配しながら生きても、生きた気がしないからねー」

『カッコイーねっ。ケドー、上に立つ者としては最悪だよ?』

「現状維持なんて衰退を、黙って見てるのは無理かなー。それに――」

 

 私は立ち上がり、胸元のポケットから、手のひら大のタクティカルペンを取り出した。それを魔法の杖のように構えるが、当然、先端から炎なんて出てこない。

 

「リーダーにはとるべき態度ってものがあるから」

『アッレェ?まさか武器のつもり?そんな棒っきれでも、暗部への『敵対意思』になっちゃうケド?』

「既に人を送っておいて、今更って感じだねー?」

 

 3体の人形の口角が、切れ込みを入れたように釣り上がる。私もそれに応えて、同じように口角を上げた。

 

 私は握っていた手を開いて、中の物を床に落とした。そしてその陰で、タクティカルペンの握り方をこっそり変えた。

 

「(……確かに私1人では、この子には勝てない――なら、逃げる!!)」

 

 カンッ、という軽い金属音。

 直後、光の爆発が部屋中を覆った。腕で目を隠していた私すら、眼球の奥に痛みを覚えるほどに。

 これは風紀委員では支給前の、まだ実験段階の閃光弾である。ゆえに、適切な光量である保証は無い。

 

『っ、この――』

 

 光が収まる前に、私は走った。光で頭がくらくらするのを無視して、棚の近くまで移動して、だんっ!!と床を踏みつける。

 人形と感覚を共有する、警策のうめき声が聞こえるのとほぼ同時に、私の視界が暗転した。

 

 本部の至るところに用意し、先ほども使用した、緊急用の避難通路である。

 

「(見えた限り、残りは3体。でも警策本人を撃破しないことには、私がジリ貧――っ!!?)」

『ヤァヤァ奏ちゃん。次はどこに行くのカナ?』

 

 一本道の薄暗い通路――その真正面に、鈍色の人形の顔があった。光のない眼孔が、明確に私を捉える。

 先回りされた――いや、避難通路を使ったのを見て、予備の4体目を待機させておいたのだ。

 

「やばっ――」 

『そう何度も、同じ手を許すわけないでしょっ!!』

 

 今度は後ろから声が聞こえる。ほぼ同時に、私の足に、冷たい何かが巻きついた。

 通路が狭くて見えないが、それが何かはすぐに理解できた。

 

『つーかまーえたっ!!!』

 

 ぐんっ!!と、凄まじい力で足が引っ張られ、一本釣りのように部屋に引き摺り出される。

 引っ張る速さで視界が歪んで、景色が無数の線のようになったことしか、私には分からなかった。

 

 思考が戻ったのは、投げ出された私の背中から、雷が落ちたような轟音が響いてからのことだ。

 

「がぁ、はぁあっ!!!ぐっ――痛っ……!!」

 

 少し遅れて、目を開くことすら困難な激痛が、骨を通じて全身を駆け回った。壁から落ちたことで、背骨が軋むような痛みがさらに加わる。

 どうやら、壁にかけてあったデスクトップに、背中から衝突したらしい。そのまま壁に衝突しなかったのは不幸中の幸いといえる。

 

『ダメダメだねー。猿山の大将気取って暗部に喧嘩売っておいて、その程度ナノ?』

 

 うつ伏せのまま前を見ると、2体の人形が――残り2体は避難通路にいるのだろう――私を笑っていた。

 私は痛みを噛み殺し、言葉を出せるよう必死に呼吸を整える。なんとか離さなかったタクティカルペンを、これでもかと強く握り締めた。

 

『苦しそうだねっ。なら助けでも求めてみる?泣き叫んでみれば、風紀委員とかいうイカレた奴らが来てくれるかもよ?』

「……イザという時、誰かが助けてくれると思っちゃだめだよー。けど、そのうえで言うなら――」

 

 まだ戻らない呼吸の合間に、口角をすっと上げる。

 私は伏せた状態のまま、握っているタクティカルペンのノック部分を、親指で思い切り押し込んだ。

 

「――通路から出してくれてありがとう、かなー?」

 

 ガカァッッッ!!!と、先ほどの閃光弾を上回る閃光が、避難通路から炸裂した。

 一瞬遅れて、落雷ような轟音が脳を揺らす。視界は紅と黒の業火に染まって、喉が焼けそうになった。

 

「(伏せてなかったら、今度こそ背骨やってたかも)」

 

 なんてことはない。

 仕掛けておいた爆弾を爆発させ、人形を全部まとめて吹き飛ばしたのだ。

 

「(思ったより拡散が早い――私に爆炎が届かなかったのはラッキーだったねー)」

 

 爆弾といってもダイナマイトではない。

 学園都市製の気体爆薬『イグニス*2』である。人体には無害だが、僅かな火気で引火する強力な爆薬だ。

 

 それを、今の今まで使っていた避難通路内に充満させておいたのである。

 それを操作するコントローラーが、このタクティカルペンだ。先端から火は出ないが、限定した場所を爆破できるなら、これも魔法の杖と言って差し支えないかもしれない。

 

「(少なくとも、通路内にいた2体は消した。あとの2体は……?)」

 

 煙と炎がある程度収まったのを確認して、私はゆっくりと立ち上がった。酸素が急に使われたせいか、呼吸がしにくいが、苦しいほどじゃない。

 

「(少なくとも扉はない。あの一瞬でダクトから出たとも思えないし、砕けた窓ガラスから叩き出された……いずれにせよ、とりあえずは勝てたのかな?)」

 

 私はそう結論付けて、ゆっくりと息を吐いた。ここでようやく、口内に血の味が広がっていることに気付いた。

 『裏』の大能力者(レベル4)を相手に、この程度の怪我で済んだのは、私からすれば大健闘だ。

 

「(私1人じゃ警策には勝てない――でも、誰も1人で戦うなんて言ってない)」

 

 もっとも、仮に私がここで死んでも、なんとかなる。

 最初の『警戒態勢・第一種』の号令により、本部では臨戦態勢が整っていたし、指揮継承順位も総則で定まっている。

 執務室内の状況は監視カメラで共有してるし、窓から落ちた人形は、能力者による対空砲火で撃破する手筈になっていた。

 堂々と私の首を狙ってきた点を除けば、すべて予定どおりだ。

 

「侵入者本体の位置をいま送ったから、対処員を送って無力化して。そこにいなければ、深追いは不要だから、すぐに本部に戻るよう伝えてねー」

 

 腕時計型の端末に指示を出し、ようやくひと息つく。

 

 本人の位置を割り出せたのは、単純に私の能力だ。

 私の能力『視覚連鎖(カットイン)』は、一定範囲にいる対象の視覚に干渉し、視覚を操作、共有できる――逆に言えば、()()()()()()()()()()()()()()が判別できる。

 ゆえに、『範囲内にいて、かつ本部を注視する人物』が分かれば、その視野の角度から、場所の特定は容易だ。

 

「『裏』に興味なんて無いけどさー」

 

 だが、今のは前哨戦だ。

 警策本人を倒したわけじゃないし、なにより、木原幻生の目的が分からない以上、まだ先がある。

 

「私が小手先で勝てる程度には、勉強不足だったねー」

 

 にゃはは、と私は笑った。

 粉々に砕け散った窓に近付いて、街を見下ろす。いつもと変わらぬ街の景色に、明日もこの景色を見れるといいな、なんて、らしくないことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
自ら音を発し、その反響で相手の位置や輪郭を特定する方法。コウモリやクジラが使用する。

*2
原作の超電磁砲第27話でフレンダが使用。本作でも第49話で妹達(シスターズ)が使用している。

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