「ん〜……まさか負けちゃうなんて」
学園都市の第一学区、
声の主は警策看取。紫がかった黒髪のツインテールと、コスプレのようなナース服の少女である。
その実、暗部組織『メンバー』と統括理事会の仲介者という、正真正銘『裏』の人間であった。
「(圧勝できるとは思ってなかったけど、負けるとも思ってなかった。人形を部屋ごと爆破させるなんて、いい具合にイカれてるねっ)」
思わぬ敗戦に、むすっと頬を膨らませる。
治安維持組織の頂点に立つ者が、自爆覚悟の特攻なんてどうかしてる。あの金髪の小娘は、伊達に『裏』を牽制してきたわけじゃないらしい。
「エエット、一応ご報告を」
屋上の縁に座り、ブランコのようにゆらゆらと足を揺らしながら、ケータイである老人を呼び出した。
数コールほど鳴らすと、しわがれた声で応答があった。
『やあ。どうかしたかね』
「我々の別荘から情報を盗み出そうとした人物ですけどー、少なくとも松浦奏ではないみたいですよ?」
今までの情報をまとめ、簡単に報告する。
私が直接見て集めた情報だが――しかし、老人はこう一蹴した。
「入江明菜略取の件も、松浦奏が率先して動いたわけじゃなさそうですし」
『今頃気付いたのかね警策看取君ー?』
「えっ」
サラッと放たれたひと言に、目が白黒した。
驚きにも呆れにも似た感情が、そのまま声となって老人に投げられている。
「アノー……ご存知だったんですか?なら教えてくれても」
『教えたところで、君たちの仕事は変わらないでしょ?』
「それはそうですケド……」
『情報を獲ったのは大方、身代わりを用意した食蜂君だろう。そもそも松浦君が本気になったら、痕跡なんか残らないからねぇ』
素直に飲み込めないが、「それもそうか」と納得もできてしまう自分に噴飯したくなる。
痕跡を残すかどうかすら自由とは、あの金髪の少女にとって、情報戦なんてのは『おつかい』にすぎないのかもしれない。
「では、入江明菜の件は?」
『それも松浦君が遠因だねぇ。彼女は自分の飼い犬にも首輪を着けたくなかったみたいだ』
「ああ、
『彼は良い牙を持っているけど、猟犬としてはまだ未熟だからねぇ。匂いを辿るのは簡単だったよ』
それはそうだろう。松浦奏じゃあるまいし、『表』に住む人間が、『裏』での生き方なんか知る訳が無い。
ましてや、相手はあの木原一族だ。こと陰謀力において、ただの少年がこの老人を出し抜ける訳がない。
『その『責任』は飼い主が取るべきだ。存分に使わせてもらうとするよ』
「では、計画はこのままで続行で?」
『うん、現時点でオールグリーンだ。むしろ順調すぎて怖いくらいだよ』
ゾワリ、と両腕が震える。見ると、肌を焼くほど暑いはずなのに、鳥肌が立っていた。
それは暗闇を前にしたような、本能的な恐怖だと理解している。
『おっと、来客のようだね。そろそろ切るよ』
「あら、援軍はどうしますか?」
『いらないかな。いずれにせよ、警策君は警策君で準備を進めたまえ。いいね?』
分かりました、と答えて通話を切る。そしてすぐに、ふうっと大きな息を吐いた。
このイカレ老人の『オールグリーン』ほど不安なものもあるまい。目的が同じでなければ、今後は断じて関わりたくはないだろう。
「マ、『次』なんて無いからどうでもいいけどねっ」
あえて口にしたのは、自分に言い聞かせるためだろうか。その真意すら理解できないまま、黒い仲介人は自嘲げに笑った。
*
同時刻、名もないビルの屋上。
2人の風紀委員が衝突する光景を眼下に、ある老人が笑っていた。
しわだらけの顔、薄く開かれた目、禿げあがった額、背中をまるめて立つ老人は、名を木原幻生といった。
「前原君は相変わらずだねぇ」
眼下で起こる風紀委員の戦い――一方的な蹂躙を眺めて、満足そうに口角を上げる。
前原君は中村君に手を出すまいと、必死に逃げ回っているが、
しかし、その中でも前原君は、間隙を縫っては私を睨みつけている。その目には、『表』には相応しくない殺意が篭っていた。
「憎悪。熾火のような憎しみこそ、人の成長を最も強く促進する」
呟いて、すぐに視線を外した。
戦いの結果に興味は無かった。
「さて、きちんと対応しないとね」
白衣のポケットで鳴り続ける携帯端末を手に取る。
見ると、今時にしては素朴な白い端末――中村君の私物――が震えていた。画面には、『奏ちゃん』と表示されている。
その名前から、連想される人物は1人しかいない。
「やあ、松浦君」
『……誰?』
水底のように澄んだ声が、出鼻を挫かれたように、僅かに低くなるのが分かった。
いま彼女の頭脳は、私が何者で、いかにして今の状況に陥ったかを高速で繋げているのだろう。
時間にして数秒。やがて彼女は、こう口にした。
『もしかして、木原幻生?』
「ご名答。なにか用かな?」
『これはこれは。お話できて光栄ですねー』
一転して、緊張感の無い声に変わる。
年相応の、言うならば演技か素か分からない声色だが、その裏には鋭い激情が忍んでいるに違いない。
『すずのんは無事なんでしょーね?』
「さあ。見に来たらどうかな?」
『そうしたいのは山々ですが、色々と邪魔が入っちゃいまして』
にゃはは、と電話越しに軽やかな笑い声が聞こえる。そこに息苦しさは微塵も無かった。
松浦君は警策君の襲撃を跳ね除けて、既に本調子に戻っているようだ。大きな力も持たないのに見事なものだと、素直に感心する。
「『
『……わざわざ勝利宣言ですか?趣味が悪いですよ』
「もう『
問いかけると、「えぇ」と簡素な返事があった。
そのまま素っ気ないほど事務的な口調で、長年の私の夢を口にする。
『貴方の目的は、
「ご名答。よく調べているねぇ」
『なら、私がなんの対策もしてないとお思いで?』
「
私から答えを明かしたことに驚いたのか、再び一瞬の沈黙があった。
ここまで来たら、もう隠す必要もない。彼女がどれだけシュミレートしても、もう覆すことはできないのだ。
「確かに私の計画には、ミサカネットワークが必要だよ。そこで君は、その接続口となる
『なんのことで――』
「見事なものだよ。どれだけ調べても、ある地点でピタリと痕跡が消えてしまってねぇ。どれだけセキュリティが厳重な施設に預けたんだい?」
松浦君の声は変わらず軽やかだ。少しくらい警戒感を示せば分かりやすいが、流石といったところだろうか。
もっとも、何を聞かれたところで既に手遅れだが。
「詰めが甘いねぇ。君は聡明だが、やはり経験が足りない。この街で長く暮らした私の勝ちだよ」
『へえ?』
「ミサカネットワークへの接続口?心配ないよ。それも前原君が用意してくれたじゃないか」
『……しょーくんが?』
「要は、
『………………』
今までで1番長い沈黙。
やがて、ほんの僅かに息を呑む音が聞こえた。
ほぼ同時に、バヂィ!!と、落雷のような衝撃が屋上を揺らした。
「前原君には感謝しなきゃだねぇ。入江君を連れ出して、『
衝撃のあった方を見ると、無骨な屋上に、新たな光源が生まれていた。
青白い火花が、数十数百と生成と消滅を繰り返して、湿った空気を焼く音が響いている。
その中心に、学園都市で最も有名な人物の1人。
ある意味では、ミサカネットワークの生みの親とも言える少女が、そこにいた。
*
学園都市の中枢を担う第一学区。人気もまばらな街の上を、雷撃のように走る影があった。
常盤台中学の体操服を纏う彼女は、学園都市の頂点たる
化粧が無くとも整った顔立ちには、冷や汗と焦りが滲んでいた。
「(早く、前原さんに合流しないと……!!)」
身体中の水分が、じりじりと干上がっていく感覚があった。
つい先ほどまで一緒にいた
追うことは実質不可能ないま、まずは情報の共有だ。しかし敵からの広域ジャミングにより、携帯電話は使い物にならない。
であれば、まずは前原さんに報告し、そこから松浦さんに話を通すのが効率的だ。
「(甘かった。遠回りでも私が行くべきだった……!!)」
ギリッと、私は少し前の選択を悔やみ、奥歯を噛んだ。
いくら効率的でも、木原幻生の回収をスズさんに任せたのは間違いだった。
カメラ越しのため、何をしたかは分からない。しかしスズさんは、幻生の『何か』に敗れた。そして今、幻生と共にどこかに消えている。
「(スズさんに何かあったら、前原さんが平常でいられるはずがない……!!)」
でも、やはり最初は前原さんだ。
スズさんに何かあったと知ればどんな行動に出るか、正直分からない。しかし、変に隠して手遅れになるのはもっとまずい。
あの人は実力者だが、スズさんに関しては脆弱極まりないのだから。
「(前原さんまで敗れたら、松浦さんの策も破綻するかもしれない。もしミサカネットワークが陥落したら、どうなるか分かったものじゃない……!!)」
えも言われぬ焦燥感が、肌の下にじんわりと広がる。先ほどまでの余裕なんて、もはやどこにも無い。
それを埋めるかのように、私は速度を上げた。
目的地は、ジャミング寸前で前原さんが位置情報を送ってくれた、名も無き高層ビルだ。
「――見つけた!」
目的のビルを見つけて、その屋上に勢い良く降り立つ。
そして、その体勢のまま、固まった。
「――――は?」
屋上には、2人の風紀委員がいた。
薄茶色の髪を肩下まで伸ばした少女と、金のメッシュが一筋走った少年。
その2人が、正面切って戦っていた。
「……え?」
私の呟きは、鋭い金属音に掻き消される。少女が振りかぶった特殊警棒を、少年が拳銃の銃身で受け流したのだ。
一瞬の衝突の後、少女の姿が消失する――と思う間もなく、少年の肩に強烈な殴打と、鈍い衝撃音が炸裂した。
「まえ、え?すず、さん……?」
スズさんは表情を一切変えず、燕返しのように特殊警棒を振るった。前原さんは顔だけでそれを避けたが、その顔は苦痛に歪んでいる。
「なに、が……?」
眼球以外の感覚が無くなったような気がした。口が小さく開かれたが、言葉を紡ぐことさえできなかった。
先ほどの焦りなど、既に消えている。そのくらい、この光景が非現実的だった。すぐ目の前のことなのに、理解できる情報が1つも無い。
スズさんが、あんなに冷たい目をすることも。
前原さんが、スズさんに武器を取ることも。
「(喧、嘩……?でも武器使って……それになんか、違う、というか……)」
スズさんの瞳は無機質だが、異様な輝きが宿っているようにも感じる。それに前原さんへの攻撃に対して、欠片ほども感情が動いていないようだ。
正気でそんなことをするとはとても思えない。まるで誰かに洗脳されたような――
「(――洗、脳?)」
ゾワリと、後頭部の髪が逆立つような感覚があった。同時に、蜂蜜色の髪を靡かせる、同級生の姿が脳裏をよぎる。
だが、仮にそうだとすれば、すべてに説明がつく――そう思いかけた時、しわがれた声が聞こえた。
「――やあ、御坂君」
ハッと意識が蘇る。足元の感覚が戻り、少し遅れて荒い呼吸を繰り返した。
息を整えて、ゆっくりと振り返る。声のした方――反対の屋上扉の屋根には、2人の戦いを観戦するように、1人の老人が立っていた。
「木原、幻生……!!」
「わざわざ来てくれて感謝するよ。前原君のおかげかな?」
薄く開かれた目が、じっと私を捉える。そして確信した。この背中をまるめて立つ老人こそ、すべての元凶なのだと。
やがて木原幻生は、白衣のポケットから小さな筒を取り出した。プレゼンや会議で使う、市販のレーザーポインターのようだ。
「スズさんに……前原さんに、何をしたァッ!!」
ズバヂィッ!!と、ひときわ大きな雷撃を地面に叩きつける。怒りが頂点に達し、何かしらで発散したい気持ちが抑えられなかったのだ。
「中村君の意識を少しイジらせてもらっただけだよ。面白いものが見れただろう?」
しかし木原幻生は、満足げな笑みを浮かべたまま、けたけたと笑うだけだ。
なにが面白いのだ、と駆け出しそうになったその瞬間――ピッ、と。木原幻生の手元で、レーザーポインターのボタンが押された。
「御坂君が普段張っている電磁バリアも、今の僕なら突破することは容易い」
ガツンッ!!と、額に弾丸を撃ち込まれたような衝撃があった。倒れそうになる体をどうにか支えるも、私の脳裏には、何百人もの人間に視姦されたような、とてつもない不快感が残っていた。
しかし、そんなのは木原幻生には関係ない。
「それに、ミサカネットワークに特製のウイルスを打ち込むこともね」
ギンッ!!と、側頭部を槍で貫かれたような衝撃が続く。今度こそ足が崩れ、体が屋上と激突した。
少し遅れて、声を上げるどころか、開けた目を閉じることすら困難な痛みが、頭からつま先まで一気に駆け抜けた。
「……ッ――!!」
じわり……と。私の頭から、黒い稲妻のような筋が滲み出るのが、視界の隅に写った。
太さは数ミリから数十センチ、長さは数センチから空の彼方に続くような幾千もの筋が、靄のように第一学区全体に広がりつつあった。
「(なに、これ……)」
壊れかけの蛍光灯のように明滅する意識の中で、ようやく小さな疑問が浮かぶ。
私がこの老人に利用されたのは、この意識でも分かる。
でも、誰を目的に?私を起爆剤にするのなら、この力は誰に向けて使うものなのだ?
「素晴らしいねぇ。でもこの膨大な力も、用途がなければただのショーにすぎない。では、この力の1番面白い使い道は何かなぁ?」
ジロリと、木原幻生の薄い目が大きく開かれた。
その目――特に左眼は、黒と白が逆転したような、同じ人間とは思えない眼光を放っていた。
「科学者とは難儀なものでね。自らの理論が正しい証明を何より求めるが……結果が分からない未知の実験には、特別に期待や興奮を覚える生き物なのだよ」
黒い靄が、空のある一点で収束していく。
その真下にあるのは、風紀委員『本部』――そのすべてを貫くように、一筋の『黒』が落ちた。
「さぁ実験を始めよう」
聞いた中で、最も喜色を帯びた声が響く。ともすれば、新しいオモチャを買ってもらった子供のように、罪もなくニコニコと微笑みながら、科学者は高らかにこう言った。
「入江君は