とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第106話

 

 

 

 

 

 学園都市の首都と言える第一学区。

 そのビルの一角、風紀委員(ジャッジメント)統括総司令部。

 『本部』と呼ばれる施設の地下に、1人の少女がいた。

 

「―――」

 

 輝くような純白の髪は、床を撫でるほど長い。澄んだ蜂蜜色の瞳は深すぎて、感情の一切を読み取ることができなかった。

 見たこともないほど整った顔立ちに感情の起伏は無く、一見すると、職人が丹精込めて作ったビスクドールのようだった。

 

 その少女は、とある実験によって核兵器に匹敵する力をその身に宿しながら、過去と未来を否定された『置き去り(チャイルドエラー)』であった。

 

「――?」

 

 部屋の床に座っていた彼女は、ある瞬間、首筋に鋭い痛みを覚えた。

 声も出さず、眉も動かさなかったが、手は動いた。

 自分の首に触れてみると、そこに巻かれた何かから、首筋や額にコードが伸びていた。そのことに、いま初めて気が付いた。

 

「――?」

 

 それが何なのか、彼女は理解できない。

 コードを引き抜くこともせず、『痛み』という未知の刺激に首を傾げながら、いつものように天井を見上げた。

 

「――?」

 

 いつ見ても変わらない天井、そのはずだった。

 じわり…と。天井の真ん中に、黒い靄のような筋が漏れ出てきた。

 幾百、幾千もの靄がまとまって、鋭い矢のように尖ってた『黒』。

 

 ゆっくりと流れ落ちるその先端が、白い少女の額に当たった。

 

「――――?」

 

 ゴォンッ、と。金属塊が地表に激突するような音が炸裂する。

 音は地盤が揺れたように本部ビル全体に響き、そこにいた全員がその音を聞いた。

 誰もが等しく耳にしながら、鼓膜を破るほどの鋭さではないその音は、人間が知るそれとは明らかに違っていたのだろう。

 

 反物質を生み出す大能力者(レベル4)

 電荷反発(アンチマター)

 入江明菜。

 

「――――――」

 

 白皙の少女は、そうして立ち上がった。

 

 

 

 

  

 *

 

 

 

 

  

 振り返った時にはもう遅かった。

 荒れ果てた部屋の真ん中を、黒い靄のようなものが通過していた。そう、『通過』である。

 その靄は天井も床も、まるで存在しないかのようにすり抜けて、一直線に下方を目指していた。

 

「(……やられた)」

 

 副委員長(No.2)にしてビルの主である松浦奏は、その行き先をすぐに理解した。

 一瞬それを止めようかと思ったが、床を透過するならば、何を投げても結果は変わらないだろう。

 であるならば、発生するであろう被害を最小限に抑えるのが先決だ。

 

「警戒態勢『第一種・別法』。急げ」

 

 腕時計型の携帯端末に、努めて冷静に告げる。しかし最後には口調が上がってしまった。

 どうやら私自身、少なからず焦っているらしい。

 背中の痛みを我慢しながら、次の行動を必死に考える――すると、手元の端末から老人の声が聞こえた。

 そういえば、通信を切ってはいなかった。

 

『迅速な対応だねぇ。健闘を祈っているよ』

「……応援ありがとう。なら、私から1つだけ」

 

 ゴォンッ、と。金属塊が地表に激突するような音が炸裂した。

 ピタリと動きが止まる。そのままゆっくりと、何もいないはずの後ろを見た。

 

「――――――」

 

 何もなかったはずの広い執務室の中に、何かが浮かび上がっていた。それは白い光だった。

 床から数センチ離れて不自然に静止しているのは、人の形に似たシルエットだった。

 シルエットの背中から、翼が生えていた。

 雲を束ねたような薄衣の翼。長さは不均一だった。数センチ程度の物もあれば、天井を突き破る物もある。

 

『1つだけ、なんだい』

 

 手足が動かない。冷や汗すらも出ない。

 ゆえに私は、自分に言い聞かせるようにこう告げた。

 

「――私を出し抜いた程度で、風紀委員(ジャッジメント)が絶望すると思ったら大間違いだよ」

 

 はっはっは、と嗤う声を残して、通信が切れる。

 雑音が消えたことで、再度目の前の存在と相対する。

  

 副委員長として、ライフルを突きつけられても動じない精神性は持っている。

 しかし目の前の存在は、単純に理解ができなかった。

 自身の頭脳が他より優れていることを知っているからこそ、『理解できないこと』への違和感が大きかった。

 

「――――――」

 

 シルエットの首が滑らかに動く。眼球があるべき場所には、墨汁を満たしたような黒い穴があった。

 その穴が、確かにこちらを捉えた。

 直後。

 

 ゴッッッ!!!という衝撃が突き刺さった。

 

「――、ぇ?」

 

 次に見えたのは、一面の青だった。

 所々に白いグラデーションがかかった、鮮やかだが深い青。それと、慣れない浮遊感。

 

 そうして気付いた。

 私は空に弾き飛ばされて、まさにいま、地面に叩きつけられようとしている。

 

「あ――」

 

 首を回すと、人気の無い第一学区の街並みがあった。

 高さを考えれば、地面まであと3秒。

 使えそうな道具や能力は、無い。

 

 そもそも、必要ない。

 

「――副委員長!!」

 

 唐突な鋭い声に、意識が思考の海から釣り上げられる。

 いつの間にか私は、見慣れた少女の腕に抱かれて、地面に着地していた。

 

「副委員長、大丈夫ですか!?」

「――ありがとう。助かったよ正木(まっきー)

「いえ。しかし、まさか副委員長が自ら飛んで来るとは……」

「でも、何とかなったでしょ?」

 

 ひと呼吸して、にゃははと笑ってみせる。

 私を抱き留めた少女は、心底呆れるように溜息をついて、私を地面に立たせた。その腕には、緑色の腕章が映えている。

 

 この子は本部に所属し、かつ『警戒態勢・第一種』で窓から逃げる敵勢力を撃墜する――言わば対空要員の風紀委員だ。

 ゆえに遠距離攻撃に長けた者が多いが、もう1つ条件がある。それは『敵対者ではない転落者が発生したとき、助ける力を有する者』であることだ。

 

 ここは学園都市の治安を司る風紀委員、その本部だ。

 他人を救わんと奔走する者が、味方を救わない道理は無いのだろう。

 

「さて、とりあえず生き残ったけど……状況はっ、……?」

 

 本部に戻ろうとして、ぐらりと脳が揺れた。

 膝をついてしまい、口から何かが飛び出した。口元を拭うと、手のひらにべっとりと血が着いている。

 

「(やばいのは私も同じかー)」

 

 鼻に残る鉄臭さを、もう一度笑って誤魔化した。

 忘れていたが、たったいま私は、明菜ちゃんの一撃を真っ正面から受けて、ビルから弾き出されたのだ。

 大した能力者でもない小柄な私が、無傷でいられるわけがなかった。

 

「さて、戻ろっか」

「……分かりました」

 

 だけど、それが何だと言うのか。

 私はもう一度立って、前を見る。ブランドものの常盤台の制服は、煤と血で汚れていた。

 隣のまっきーは心配そうに眉を顰めたが、素直に従ってくれるあたり、さすがは風紀委員だ。

 

「(今の明菜ちゃんは、木原幻生の言う絶対能力者(レベル6)――に、成る途中かな?安定しちゃったら、それこそ私なんて消し飛んでたし。なら、明菜ちゃんが覚醒しきってないうちが勝負)」

 

 走ろうとした私の肩に、まっきーの手が置かれた。

 私は頷いて、降参したように手を広げる。するとまっきーは、お姫様抱っこのように私を担いで走り出した。

 身体強化系の能力者なだけあり、女の子とは思えないほど早い。

 

「(だけど、そもそもどうして明菜ちゃんに?)」

 

 抱っこされたまま、空いた時間で思考に耽る。

 

 気になるのは対象というより、方法。

 ミサカネットワークは、クローンによる同一振幅脳波と電撃使い(エレクトロマスター)の能力を並行利用することで成り立っている。

 つまり前提として、脳波も能力も違う明菜ちゃんは、ミサカネットワークに接続できない。

 波長の違う者が強引に接続したところで、1万人分の出力に、脳が焼き切れるのが関の山だ。

 

 だから私は、御坂美琴(みこちゃん)を標的にするのが、最も合理的だと思っていた。

 

「(でも違った。なら、波長を合わせる『何か』を使ったんだろうね。それっぽいのと言えば幻想御手(レベルアッパー)だけどー)」

 

 都市伝説のような音楽は聴かせてないし、そもそも明菜ちゃんに変なものは近付けていない、はず。

 しょーくんが何か与えた可能性もあるが、あれでも明菜ちゃんを思う気持ちは本物のため、可能性は薄い。

 では、元々持っていた物だろうか。例えば――

 

「――あのチョーカー」

 

 少し考えて、すぐ分かった。

 彼女が最初から、唯一身に着けていたもの。

 

 黒いチョーカーと、首筋と額に伸びたコード。

 

 思考という行為そのものを奪われた明菜ちゃんが、最低限の日常生活を営むための演算補助デバイス。

 なにより、その演算の源流こそが、ミカサネットワークだったはず。

 製作者は――確信は無いが、予想と一致していれば、明らかな敵対行為はしてこないだろう。

 

「とりあえず、方向性は決まったねー」

 

 にゃはは、と口角を上げる。

 ちょうど本部前に到着し、改めてビルを見上げた、その瞬間。

 

 ガカァッッッ!!!と。

 一瞬の光が見えた瞬間に、本部の最上階層が吹き飛んだ。

 

「――わぁ」

 

 光に遅れること、コンマ数秒。

 轟ッ!!!と、破壊の波が一瞬で拡散し、周辺ビルの窓ガラスが1つ残らず砕け散った。

 爆心地である最上階層――というか副委員長執務室があった部分には、天井が丸ごと無くなり、瓦礫と空だけが残っていた。

 

「(――並の能力じゃ、窓ガラス1枚割れないんだけどなー……いんにゃ。だからこそ、床が数枚抜けただけで耐えられた、とも言えるねー)」

 

 降り注ぐガラスの破片と衝撃波から、まっきーが私ごと守ってくれるなか、そうやって呑気に考える。

 治安維持の中枢、特にその最上階層から煙が上がる光景は、なかなかに珍しいし衝撃的だ。

 そのため、一部の人間はもう気付いているはずだ。

 

「達する。副委員長執務室にて事態発生。傷者及び異状の有無を知らせ。その(のち)、非対処員は『別法』態勢を維持しつつ本部の全機能を地下に移管せよ」

 

 端的にそう告げる。

 ここからビルの内部は見えないが、今の号令により風紀委員1人ひとりが訓練通り動き回り、それ以上の事態に対処すべく備えるのだ。

 

 少女のひと声で、選りすぐりのエリート数百人が動くのだから、なるほど風紀委員とはイカレ集団かもしれない。

 

「なお原因は保護対象1名の癇癪によるもの。ちょっと暴れん坊だから、対処員は完全装備で急行せよ」

 

 にゃはは、と歯を見せて笑ってみせる。

 そんなイカレ集団のテッペンが教範通り動いては、示しがつかないというものだ。

 

 犬には牙、猫には爪があるように。

 私は私の領域と、私のやり方でやらせてもらおう。

 

「さーて、人助けの時間だよー」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「どうやら失敗したみたいねぇ」

 

 第一学区の名もないビル。

 外装代脳(エクステリア)を抱える研究施設内で、食蜂操祈は呟いた。

 

 風紀委員本部ビルの高層階が爆発したのは、ここの窓からでも見えた。

 爆発があった時点で、普通のテロなら成功と言える。

 そして風紀委員本部は、普通のテロが成功するほど脆弱ではない。

 

「落雷力は無かったし、爆心地は『8人目』かしらぁ?」

 

 そうこぼして、バチバチにデコった携帯端末を操作する。数コールで出た相手の返事を待たず、端的にこう告げた。

 

「風紀委員本部で爆発力があったけどぉ、現場及び周辺には警備員(アンチスキル)含めて誰一人入らせないでちょーだい☆」

『はい、はい。了解いたしました』

 

 相手が誰とは言わない。

 だがこれで、正式な命令として、警備員は誰一人周辺には近付けず、野次馬の退避と誘導に全力を注ぐだろう。

 

「ま、警備員が出張ったところで死体の山を築くだけだしねぇ……」

 

 痛む頭を抑えつつ、ビルの深部へと足を向ける。

 初動が成功してしまった以上、主導権は既にあちら側だ。だが、外装代脳(エクステリア)を軸にした計画ならば、次の手の推察はできる。

 

 つまり、外装代脳(エクステリア)のリミッター解除コード。

 

「(覚醒する入江さんの誘導を継続するには、現在の外装代脳(エクステリア)の出力で足りるとは思えない)」

 

 そのため、そのリミッターを解除する必要がある。

 そして、解除コード含め重要機能のコードは、外部記録には一切残しておらず、私の脳内にだけ刻まれている。

 その隠蔽力こそ、外装代脳(エクステリア)の要。

 重要機能の秘匿と独占もそうだが、もう1つ。

 

「(解除コードをどこにも残していないことは、幻生もすぐに気付くはず……つまり実質、私との一騎打ちってことねぇ)」

 

 このビルを含め周辺の建物には、通常のセキュリティとは別系統の、私だけが起動できるトラップが多数仕込んである。

 解除コードが分からないなら、私から無理やり聞き出そうとするはず。そうやって出てきた幻生を、これで無力化できれば望ましい、のだが――

 

「後手力に回りすぎるのも考えものねぇ」

 

 はあ、と甘い溜息をつく。

 可愛くて可憐でスタイル力抜群で、いたいけでか弱い美少女である私が、どうして主導権を奪われて、かつ追われなければならないのか。

 

『いーじゃん別に。誰からも狙われない女王サマなんて寂しいよー?』

 

 そう愚痴ろうとした時に限って思い浮かぶのが、金髪に深紅のリボンが似合う少女の、やたらと無邪気な笑顔だった。

 

 常盤台中学と風紀委員。

 『常盤台の女王(わたし)』とは違うベクトルで頂点に立ち、その王冠を弄ぶ少女。

 私の思う『信用』からは最も遠いが、他の誰よりも『信用したい』と願っている、そんな不思議な味方。

 

「私の敗北を想定してないほど愚鈍力じゃないと信じてるんだぞっ。松浦さんっ☆」

 

 きっと彼女なら、こんな状況でも笑っているだろう。

 そんな確信を抱きながら、あまり期待できない迎撃トラップを起動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




●警戒態勢『第一種・別法』
(前項『第一種』の追記とする)
 統括総司令部に属するすべての風紀委員は、別に定める戦闘守則を一部凍結し、殺傷を除く戦闘力の全能発揮に努め、状況に即応若しくはそれが可能な態勢を維持する。
 派遣及び遭遇による応援に当たっては、個人の適切な判断のもと状況に応じた同等の処置を認める。
 発令権者は風紀委員長もしくは副委員長。



※風紀委員総則より抜粋。
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