とある風紀委員の日常   作:にしんそば

110 / 110
第110話

 

 

 

 

 

「いやはや、まさか捨て身の特攻をするとは。食蜂君も思い切ったね」

 

 名も無きビルの下層。電灯すらまばらな空間に、老人のしわがれた声が響いた。視界は悪いが、目の前に倒れる少女——学園都市最強の精神系能力者のことはハッキリと見えた。

 意識は無いものの、呼吸は確認できる。それを見て、ふぉっふぉと笑った。

 

「やっぱり空間移動(テレポート)は便利だねぇ。中村君がいなければ危なかったよ」

 

 僕が生きている、というより勝利できた理由。

 前(・)原(・)君(・)が(・)連(・)れ(・)て(・)き(・)た(・)中(・)村(・)君(・)の(・)お(・)か(・)げ(・)だ(・)。遭遇した際に洗脳し、少しだけ『細工』して、脳波を僕のものに変えておいた。

 おかげで僕は空間移動(テレポート)という手札を手に入れて、裏をかいた食蜂君の裏をかけたのである。

 要は、またも前原君のおかげ、ということだ。

 

「フム。では早速——」

 

 ピッと、ポケットの中でレーザーポインターを押す。その瞬間、脳内に文字の羅列が流れ込んできた。

 お目当ての外装代脳(エクステリア)のリミッター解除コードだ。これを入力することで、入江君は新たな扉を開き、『神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの(SYSTEM)』に向けて更なる飛躍を遂げるだろう。

 

「リミッター解除コード、ゲット。あまり猶予もないから早速——『LnuVAF8-BXesGD VjLnzNN-2SVgQs ——』……いや」

 

 そこまで言って、一度切る。

 捨て身の特攻までした食蜂君。そこで奪った情報を、そのまま信じるのは危ないかもしれない。

 例えば、リ(・)ミ(・)ッ(・)タ(・)ー(・)解(・)除(・)コ(・)ー(・)ド(・)と(・)自(・)壊(・)コ(・)ー(・)ド(・)が(・)入(・)れ(・)替(・)わ(・)っ(・)て(・)認(・)識(・)す(・)る(・)よ(・)う(・)仕(・)込(・)ま(・)れ(・)て(・)い(・)た(・)ら(・)、私は逆転負けを喫するのだ。

 

「少し探ってみようかな。幸い食蜂君が逃げなかったから、多少の時間はある」

 

 あまりに食蜂君らしくない行動に、用心しすぎることもあるまい。

 僕は食蜂君の頭に手をかざして、反対の手でもう一度ボタンを押した。ピッという電子音と同時に、膨大なデータが脳を突き抜ける。

 

「……ほほう、これはこれは」

 

 外装代脳(エクステリア)のコードは普通だ。しかし留意してみると、そこには僅かに痕跡があった。

 砂の上の足跡を綺麗に均しても、均した跡はどうしても残る。そこに違和感を見出すのは、そう難しいことではない。

 

「解除コードを書き換えて、食蜂君を含めて制御権を完全に放棄するとは考えにくい。となると、認(・)識(・)を(・)入(・)れ(・)替(・)え(・)た(・)の(・)か(・)な(・)」

 

 思わず口角が上がり、年齢の割には比較的綺麗な歯をのぞかせる。

 確信はないが、やってみる価値はある。これすらもブラフなら、素直に食蜂君の勝ちを認めるしかない。

 科学は理論立ててやるのが常だが、偶然や賭けに挑むのも、意外とよくあることなのだ。

 

「『LqtQB9e-BYlA 5ms5V696nk0hAMz-ElGX9H X00YwhE-xXwGDp 8765d6uvr0 LCkzEL4-WbeqiE 3vE3tU9-OeHNW akx479389』——入力完了」

 

 静かに、無機質にそう告げる。

 これが成功したならば、『8人目』たる入江君に、さらに強大な支配が及ぶようになる。別(・)次(・)元(・)の(・)人(・)格(・)が(・)生(・)成(・)さ(・)れ(・)た(・)後(・)も(・)こちらの世界に縫い止め、進化を観測することができるだろう。

 

「——お?」

 

 ふと、気の抜けた声が漏れた。

 リミッター解除コードは入力した。外装代脳(エクステリア)が自壊するような感覚は無い。

 つまり、私は賭けに勝ったということだ。

 

 にも関わらず、脳に強烈な違和感が走った。

 

「——おおおお?」

 

 思考という1本の線が、横から伸びた手に掴まれたような。不自然なほど鮮明だった視界の輝度が落ちて、いつも通りに戻ったような感覚。

 

「——ほお」

 

 明らかな違和感。間違いなく不都合なことが起きた確信。しかし、それでも僕の口元は弧を描いていた。

 

「ア(・)ク(・)セ(・)ス(・)権(・)を(・)奪(・)っ(・)た(・)のかい。大した逆王手をかけてくるねぇ」

 

 登録していた脳波か、それとも接続する電気信号を改竄したのか、それは分からない。

 いずれにせよ、今この瞬間に外装代脳(エクステリア)は奪われた。下手人は、まず間違いなく松浦君だろう。

 可能性は考えていたが、この早さは想定外である。大脳生理学にも明るいとは、天は彼女に幾つの物を与えたのか。

 

「リミッター解除コードを入力できてなかったら、この時点で負けていたよ。侮っていたわけじゃないけど、ほんの一瞬の差だったね」

 

 手元の端末をいじり、外装代脳(エクステリア)を管理する研究者たちに連絡を取る。内容はもちろん、書き換えられた情報の更なる書き換えだ。

 いくら松浦君とはいえ、強引に奪ったのなら、まだ防備は不十分なはず。奪い返すなら即座に、だ。

 

「危なかったけど、今回は僕の勝ちだ」

 

 もっとも、奪われたままでも、状況はさほど変わらない。

 リミッター解除コードは既に入力されており、入江君はさらなる領域へ突き進んでいる。言うなれば発射されたミサイルだ。今になってサイロや発射ボタンを無力化しても、ミサイルは止まらない。

 

「そうなると、ミサイルが着弾する前に撃ち落とすのが最善だが」

 

 そこまで言って、口の端から笑みが漏れ出る。

 あの幼き支配者は止めようとするし、おそらく手立てもあり、実力もある。勝ちを掴み取る能力で言えば、『表』でも指折りの実力者なのは間違いない。

 

 だが、『裏』のやり方は少し違う。『こうすれば勝ち』を狙う前に、『どう転んでも勝ち』を準備しなければ生き残れない。

 ゆえに僕としては、入江君が勝っても負けても、正直どちらでも構わないのだ。

 

「まあ、ゆっくり見届けさせてもらうとするよ。松浦君」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 学園都市の中枢、第一学区は荒れていた。街の一角の地面に怪獣が暴れたように捲れて、風紀委員(ジャッジメント)統括総司令部——通称『本部』の高層階には、大きな穴が空いていた。

 行政機能が集中する、要は来る用事も無いゆえに、風紀委員以外の学生はほぼおらず、大きな騒ぎになっていないのがせめてもの救いだった。

 

「(乗っ取り成功——だけど、一瞬遅かった)」

 

 その中心に最も近い場所で、松浦奏が呟いた。

 金糸を編んだようなミディアムの金髪と、それを背後で結んだ深紅のリボン。強気につり上がった蒼氷玉(スイスブルー)の瞳が特徴の少女だった。

 

 風紀委員の副委員長であり、この場の誰よりも背が小さく、誰よりも大きな責任を背負う少女であった。

 

「リミッター解除の凍結は——不可能、ね。それじゃ、全力の出力で干渉。それと心理掌握(メンタルアウト)によるリミッター解除かなー」

 

 いつも通り告げながらも、私自身も困惑していた。視界が広がるあまり、壁の向こうまで見えるような気分だ。確かに、これを全能感と錯覚するのも分かる。

 しかし、その全能感よりも理不尽な駄々っ子が目の前にいれば、そんな事は言ってられない。

 

「中・長距離要員は15秒待機。今からこの場にいる全員の能(・)力(・)の(・)上(・)限(・)を解除するよー」

 

 外装代脳(エクステリア)の奪取。

 今回、私が木原幻生に仕掛けたのはそれだ。といっても脳波を調律した訳じゃない。脳波は幻生のまま、電気信号の入出力のみを入れ替える『変換器』のようなものを挟み込んだのだ。

 しかし、あくまで窮余の策。強引に挟んだ変換器はすぐ対策されるし、再度奪取されるだろう。

 その前に、可能な限りの手を打つしかない。

 

「まもなく——いま」

 

 ピッ、と。腕時計型端末のボタンを押す。

 びくりと、周辺の風気委員たちの肩が跳ねた。今この瞬間、彼らの能力は幻想御手(レベルアッパー)を使用したかのように底上げされている……はずだ。

 ひとまず火力の底上げはできた——が、足りない。

 次にやるべきは、明菜ちゃんの洗脳解除。

 

「(問題は、どんな洗脳をされて、どんな状態なのかまるで分からないこと。範囲の指定ができないこと。今回以外のことにまで影響したら、私はともかく食蜂操祈(みっちゃん)も困るんだよねー)」

 

 私の策は、所詮は『変換器』。過去に何がどれくらい流れたのか、なんて分からない。

 そうなると、時間単位での解除が現実的だろうか。

 

「次いで洗脳解除を試す。動きが鈍った瞬間、攻撃を開始」

 

 急激に冴え渡る思考に戸惑っていた風気委員たちは、私の号令を合図に、各自で攻撃準備の態勢を取った。

 こちらは問題なさそうだ。とはいえ、法(・)則(・)の(・)外(・)側(・)に(・)変(・)化(・)し(・)つ(・)つ(・)あ(・)る(・)明菜ちゃんに対して、これが決定打になる、という確信はない。

 

「まもなく——いま」

 

 ビタリと、白いシルエットの動きが止まる。

 その瞬間、シルエットが爆発した。正確には、指示した通りシルエットへの攻撃が集中し、爆ぜたように見えたのだ。

 

「観測は省略。攻撃中止の下令まで続行せよ」

 

 了解、と歯切れの良い声が連続し、風紀委員たちは攻撃の手を加速させる。攻撃の余波により、本部の上層階が気持ちいいほどに崩れていく。

 彼らは言わずとも分かっているのだ。自分たちの圧倒的劣勢と、極僅かなチャンスがこの瞬間であることを。

 彼らはデスクワークだけやっている訳じゃない。苛烈な環境を過ごす中で選び抜かれた、本物の強者たちなのだ。

 

「——!攻撃中止!対ショック姿勢!」

 

 広がった視野の端に、影のようなものが映る。瞬間、私は叫んだ。

 風紀委員たちは好機を前に闘争に酔う——こともなく、即座に手を止め、その場で身を屈める。

 直後、覆っていた砂埃がドーム状に膨らんだ。

 

「(間に合——)」

 

 コンマ数秒以下の刹那、私の視界がブレる。

 

 轟ッ‼︎と、津波のような衝撃波があった。

 直後、皮膚を突き破るような爆風が吹き荒れ、シルエットの足場が完全に崩落する。

 

 ——しかし、それだけだった。伏せた風紀委員たちは誰一人欠けることなく、各々立ち上がっていく。

 

「危なかったー」

 

 私も立ち上がり、にゃはは、と笑う。

 その視界に映ったのは、スプーンで掬ったように抉れた雲の跡と、根本からへし折れた風紀委員の旗だった。

 

「怖いなぁ——、と」

 

 ぐらりと脳が揺れて、体が僅かに傾く。視界連鎖(カットイン)による攻撃の空振りも、まだ有効らしい——が、外装代脳(エクステリア)で底上げした状態で、まだ引っ張られた。

 ならば、明菜ちゃんはいよいよ埒外の領域に入ってきた、と判断せざるを得ない。

 

「(外装代脳(エクステリア)、時間、あと私の意識。何を失っても危ない。畳み掛けてくるなー)」

 

 腕時計型端末を操作しつつ、少しだけボヤく。

 この端末だけでは、外装代脳(エクステリア)の維持にも限界がある。それらしい設備のある場所で全力で防衛したいところだが、この現場もある。

 

 それに——

 

「副委員長!対空警戒探知‼︎」

「——掩蔽(えんぺい)*1、覆え‼︎総員、衝撃に備え!」

 

 遠くから響く怒号のような声。反射するように号令を叩きつけると、風紀委員たちは、1つの生き物のように動いて防御姿勢を取った。

 時間にして数秒後。ぼたり、と鈍色の水滴が落下した。

 

「そろそろ来ると思ったよー」

 

 ザァァァアアアッッ‼︎‼︎と。

 雨よりも硬くて暴力的な、耳元で太鼓を乱打されたような衝撃が、周辺一帯を支配した。

 降ってきたのは、鈍色の金属矢。厳密に言えば液体重金属の雨だった。

 

「……‼︎」

 

 1つでも直撃すれば致命傷。

 そんな暴威を前に、隣にいた正木委員(まっきー)が能力を展開して、傘のようにそれを防ぐ。周囲の空気が一瞬押し潰れたように、音が重さとなって胸の奥まで響いてくる。

 

『オォー?今ので1人も倒せないんだ?風紀委員のテッペンって聞いたけど、思いの外やるネェー』

 

 雨という名の破壊の嵐が上がり、どこからともなく聞こえる声。暴威に晒された風紀委員たちは、立ち上がりはしたものの、至るところで負傷者が出ていた。

 

 予想はしていた。これを好機に、『裏』が私を殺そうとするだろう、と。

 つまり、先ほど私を強襲してきた暗部——警策看取の再来だった。

 

「(ま、狙ったんだろうねー。ちょっと厳しいカモ)」

 

 視界の隅で、鈍色の液体がうぞうぞと蠢く。それらはやがて密集して、少女のシルエットを形成していく。

 それが1体、2体、3体……20体ほど。

 見覚えのある人型。遠隔操作に極めて優れ、殺すことに特化した能力——液化人影(リキッドシャドウ)。

 

「スピーカーを前に」

 

 明菜ちゃん相手だけでも劣勢。そこに『裏』の物理的妨害は、流石に分が悪い。

 狙いはまず間違いなく、私の首。『裏』を幾度となく牽制してきた私の排除だ。

 

「(指揮継承順位は決まってるから、私がいなくても現場は回る……けど解決手段の糸口も、外装代脳(エクステリア)を握ってるのも私。死にたくないけど、状況変化が激しいこの状況で地下に潜るっていうのも……)」

「副委員長」

「ん、どーしたの」

 

 数秒だけ考えていると、ふと横から声がかかる。

 主に私の防衛を担当してくれる正木委員だった。

 彼女は数多の軽傷を負い、震える肩で息をしながらも、迷いのない目で私を見ている。

 

「彼女のことはご心配なさらず。ここは我々に任せて、副委員長は、思う絵を描いてください——あるのでしょう、勝つ手立てが」

 

 その声に、周辺にいた風紀委員たちが振り返る。みんな焦りも恐れもない、良い表情をしていた。

 

 にゃはっ、と笑ってしまった。

 そう、これが風紀委員。ここぞという場面で、やたらと頼りになるイカレ集団、その上澄みだ。

 お前たちなんかにできっこない、と言われれば、彼らは必ず成し遂げる集団なのだ。

 

「ん、分かった。それじゃとりあえず——私を連れて逃げ回って」

 

 正木委員は一瞬驚いたようだが、了解と返した。

 明菜ちゃんの対応は任せたい……が、警策看取は私がどうにかしよう。

 

「各員は変わらず、目の前の暴れん坊の対応にかかれ。横からの妨害に留意せよ。……ただし、みんなが望むなら、撤退してもいーよ」

 

 端末越しに、すべての委員にそう告げる。

 瞬間、ピクリと彼らの眉が動く。たとえ事実であろうと、こう言われて何も思わない者に、風紀委員の資格はない。

 私は口角を釣り上げて、試すようにこう続ける。

 

「私があなたたちに望むのは、勝利じゃない。『身勝手』だもん」

 

 これもまた事実。本当に必要なのは、勝利ではなく救済だ。目の前の少女を救えるならば、本部ビルなんていくら倒壊してもいい。

 では、救済とは何か?

 

「各員、自分たちの『正解』を優先せよ。身勝手を示し、身勝手で動くことができる人にこそ、その腕章は相応しい——期待してるよー?」

 

 告げた瞬間、破壊に晒された周辺一帯から、雄叫びのような声が上がった。

 単純、実に良い。あーだこーだ理屈をつけるより余程好印象だ。やはり風紀委員はこうでなくては。

 

「ではお連れします。どのように動けば?」

「ひとまず、あの人形たちに捕まらないよう全力で逃げ回って。なるべく広く、高くね」

「了解しました」

 

 待機していた正木委員にお姫様抱っこされて、ひと息で戦場を駆け抜ける。

 その僅かな時間で、残った違和感を洗う。

 

「(さっき洗脳を解除したけど……それはつまり、そ(・)の(・)期(・)間(・)に(・)入(・)江(・)明(・)菜(・)以(・)外(・)に(・)か(・)け(・)ら(・)れ(・)た(・)洗(・)脳(・)も(・)解(・)除(・)さ(・)れ(・)た(・)ってことだよねー)」

 

 その影響がどの程度か分からないが、せいぜい少ないことを祈るとしよう。

 それを見届けるためには、いま目の前にある脅威を排除しなければならない。

 

「でも一応、私が死ぬくらいの想定はしといてねー?」

「……私は副委員長の意思に従うまでです」

 

 ならせめて目を見て言いなよ、と苦笑する。笑うだけでは戦えないが、笑いが消えた戦いというのも危険だ。

 余裕があるように振舞っておけば、いずれ成長して、その余裕に見合うようになるだろう。

 

「(そこまで求めるのは酷、なのかなー)」

 

 そんな思いを胸に押し込めたまま、私は人形から逃げるように戦場を駆け抜けた。

 その問いもボヤきも、背後に置き去りにしたままに。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「————、え?」

 

 あまりに唐突に、中村涼乃は目を覚ました。

 脳を覆っていた洗脳の幕が、糸が切れたように剥がれ落ちる。

 ふわふわしていたすべての感覚が元に戻る。音が止まって、呼吸が戻って、視界がぼんやりと世界を認識し始める。

 

「え?」

 

 目の前に、人が倒れている。

 声が漏れたが、感情は乗っていない。そもそも、理解がまったく追いついていない。

 

「……え?」

 

 倒れていたのは、前原将貴だった。

 私と同じ風紀委員で、同僚で、仲間で、誰よりも信頼する少年。

 その首に、左右の手が伸びていた。

 

「…………え」

 

 角度。

 位置。

 圧力。

 体温。

 戻ってきた触覚が、徐々に現実を伝えてくる。指先が震えるが、それでも理解は追いつかない。

 

「……あ」

 

 理解が追いつく前に、思い出した。

 特殊警棒を振り抜いて殴打した感触。

 空間移動(テレポート)で致命傷を与えた感覚。

 怒りでも恐怖でもない、『戻ってきてくれ』という願いだけが籠った瞳。

 声にならない謝罪と、伸ばした腕。

 

「……なん、で?」

 

 それら断片が浮かび上がり、やがて線となり、線が形となって。ようやく私は、自分が何をしていたのか理解した。

 ふいに視界が歪む。頬に熱い何かが流れていた。

 

「……や、やだ」

 

 将貴は何も言わない。手から伝わる呼吸の浅さ、脈の弱さが、反応できない事実を雄弁に語っていた。

 首に伸びていた手が、頬を包むように移る。

 

「やだ、将貴……やだ……」

 

 ボロボロと落ちた涙が落ちて、将貴の頬を濡らした。

 不思議なほど穏やかな表情をしている彼は、何も答えてはくれない。

 

 しかし、長年で培った癖はそう簡単に抜けないみたいだ。意識を喪失した人間を前に、私の頭の冷静な部分は、静かに最適解を導き出していた。

 

「呼吸……頸動脈洞反射……?」

 

 将貴の頬から手を離して、私は一歩離れる。そうして将貴の両足を掴んで、垂直になるように持ち上げた。

 将貴の服は学校指定の体操服。つまり首元は始めから緩んでいる。であれば、次は足を高く上げて脳への血流を促すのが有効だ。

 

「呼吸がまだ浅い。何か、血とか詰まって……」

 

 そう呟いて、すぐに思い出す。

 将貴の体内に、弾丸を入れたのは私だ。吐血したのなら、消化器官のどこかが傷付いたのだろう。その血、もしくは弾丸が、気道を閉塞しているのかもしれない。

 

「私の、せいで……」

 

 また視界が歪んでしまう。それを見ないように目を瞑って、足をぎゅっと抱きしめる。

 私の鼓動だけは分かる。憎らしいほどに。

 

「……ゅ」

 

 一瞬、将貴が話したような気がした。冷静さが一瞬で吹き飛んだ私は、思わず足を離して駆け寄る。

 呼吸音は変わらず浅い。先ほどのは無意識の痙攣だろうか。けれど私には、将貴が終ぞ言わなかった『痛い』という訴えに聞こえてならなかった。

 

「……私のせい、で」

 

 将貴の胸元に顔を埋める。まるで許しを請うように。涙が溢れるたびに、思考が悪い方向に向いてしまう。

 

 今回の件に、関わりにいったのは私だ。

 将貴を問い詰めてまで『共に戦う』ことを選び、挑んで、そしてまんまと利用されたのは私だ。

 私が、将貴を瀕死に追い込んだのだ。

 

「……私、なんか」

 

 守ると決めたのに。

 一緒に戦うと決めたのに。

 1人で傷付くことは許さないと告げたのに。

 

 傷付けていたのは、全部私だった。

 

「——消えちゃえ」

 

 瞬間。

 

 カンッと。

 遠くに小さな金属音が聞こえた。

 見ると、それは真っ赤に濡れてはいるが、黄金色の弾丸だった。それがコロコロと転がって、止まった。

 

「……?」

「ひゅ……」

「——!将貴、将貴!?」

 

 急に聞こえた呼吸音に、思わず叫ぶ。それでも返事はない。

 スイッチがもう一度入った私は、すぐに切り替えて考える。前原将貴を助ける最善手を。

 

 意識はない。骨に異常はない。私が圧迫した時間。吐血。そして呼吸の音。これらを合算すると——

 

「——頸動脈圧迫による脳虚血と、血液による気道の部分閉塞」

 

 脳虚血自体は、血液が脳に戻れば自然と治る——はずだ。しかし、問題は呼吸。

 呼吸自体はあるが、気道が血で部分的に塞がっている。要は呼吸が不足して、脳に十分な酸素が行き届いていない状態だ。

 そうなると有効な手段は——人工呼吸で酸素を補うこと。

 

「……なん、で」

 

 将貴の顔の近くに膝をついて、片手で額を押して、もう片手で顎の先を持ち上げる。

 人工呼吸は必要なことだ。やり方も、有効性も分かる。将貴が相手なら、抵抗なんてある訳がない。

 

 でも、どうして。

 どうして。

 

「こんなことに……」

 

 悔しさや悲しさを空気と共に吸い込んで、私はひと思いに唇を重ねた。

 人生で初めて重ねた唇は、想像していたような甘いものではなく。乾いた血と、少しの涙の味がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:
敵火から人員、物資などを保護するための物理的な遮蔽状態のこと。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

助けた女の子に「責任を取りなさい」と迫られてる件(作者:萩月輝夜)(原作:魔法科高校の劣等生)

崑侖方院によって全てを失い世界へ憎悪と破滅を望む少女の四葉真夜。それを現実世界での原作小説をみて一目惚れした男がとある事からスパダリの少年に転生し悲劇の前に救い出され脳を焼かれたらどうなるか。▼※この作品は一部劇場版魔法科高校の劣等生【四葉継承編】のネタバレを含みます。▼ご了承ください。▼劇場公開で真夜様の狂喜を見て救わなければ…となったので救済をします。▼…


総合評価:8971/評価:7.95/連載:21話/更新日時:2026年09月23日(水) 10:26 小説情報

日本からアベンジャーズ入りしました。尊敬する人?五代さんと一条さんです(作者:ken4005)(原作:MARVEL)

▼クウガとアベンジャーズのクロスです。▼マーベルは完全ににわかです。▼原作を Avengers から MARVEL に変えました。▼短編から連載に変えました。▼謝罪0906▼作品を読み直した所、時系列に誤りがありました。▼黒雄が2010年4月から2014年3月までの四年間高校に在籍していたことになっています。そこで、明記はしませんが、未確認生命体関係で高校を…


総合評価:10365/評価:8.18/連載:107話/更新日時:2026年10月04日(日) 00:17 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>