薄汚い灰色が、群青色の空を呑み込んだ。夏の風物詩である蝉の鳴き声は遠くに響き、どこか懐かしく聞こえてくる。
『ギ、ぎィィィいいいイイイイイ!!!』
「何なん、だよ!!」
歪な産声と共に、『何か』の背部から大量の触手が伸びた。それは地面を水のように掬い上げ、辺りの地形を強引に書き換えていく。
少し遅れて、火山が噴火したような音が炸裂した。
「木山――先生!!」
『アアァァァァァァァァァァアアアアアぁぁぁぁぁアアアア!!!』
前原将貴は縫うように『何か』の脇を通り抜け、力無く倒れる木山春生の元に駆けつけた。
『何か』の触手が当たったのか、左足がありえない角度に曲がっている。深い擦り傷が肌を汚し、体中から赤黒い血が流れていた。どうやら意識を失っているらしい。
『ぎ、ぎぎぎギギギぎぎ!!!』
「クソッ!!」
呼びかけるが、やはり反応は無い。金属をすり潰すような『何か』の咆哮も、先生の耳には届いていないようだ。
「撃てぇっ!!」
「うぇッ!?」
先生を抱き起こして距離をとると、そのタイミングを狙ったように、銃声が連続した。
音源を探ると、数名の
「(全然効いてない……)」
しかし、その風穴は数秒で再生して肥大化し、先ほど以上に分厚い鎧となる。弾の無駄遣いどころか、攻撃しない方が良いとすら思えてくる。
「緩めるな!!撃てぇ!!」
『……ぎィ?』
隊長らしき人が指示を出した時、ぎょろり、と『何か』が無機質な目を動かした。
そして次の瞬間には、警備員は宙を舞っていた。まるで、遊び飽きた子供が、人形を投げ捨てるように。
「………」
数秒後、警備員が地面に叩きつけられる。一瞬で意識が奪われたのか、受け身をとった者は誰もいない。ぐったりと手足を伸ばすその様は、伸びきったゴム人形のように見える。
「(今のは多分、
駆け出して、倒れた警備員に迫る触手を手刀で叩き落とす。べちょり、と粘つくような音がした。
するの、すぐ近くから甲高い悲鳴が聞こえてきた。見ると、眼鏡をかけた気弱そうな女性が、怯えた様子でこちらを見ている。
「あ、あなた誰!?こんな所で何してるの!?」
「……
そう言うと、女性は『何か』ではなく、俺を見て怖気の表情を浮かべた。
俺自身がおかしいのは事実かもしれないが、仮にも警備員が、その表情はどうなのだろうか。
「……貴女はそこに倒れてる人達を連れて、安全な場所まで退避してください」
「え?」
「あと、向こうの柱の陰に木山春生がいますので、そちらの回収もお願いします」
「え、えっとー……君は……?」
「アレを何とかします」
風紀委員が警備員に指示を出すという、本来なら逆の構図が出来上がる。
あんなモノを前にしたら無理もないが、戦意喪失するのが早すぎやしないだろうか。
「何とかって……何か手があるの?」
「いえ、別に」
「だ、だったら君も避難しないと!!」
「アレがある以上、そうもいかないでしょう」
背後にあるアレ――原子力実験炉を親指で差す。
アレが攻撃され、万が一にも事故が起きれば、悲劇なんてものじゃ済まない。最悪、核爆発が起こる。その後のことなど想像したくないが、少なくとも学園都市というシステムは壊滅的被害を受けるだろう。
「で、でも」
「いいから早く!!手遅れになる!!」
「……ッ、もー!!」
「あ、これ借りますね」
「好きにしてよ!!」
女性は不本意ながらも納得してくれたようで、倒れた同僚を、柱の陰に引っ張り始めた。
それを横目に、俺は警備員が肩に掛けていた、大型の銃器を拝借する。並のライフルより大きいが、レンコンのような弾倉を見る限り、回転式拳銃の一種だろう。
というか、弾丸が缶ジュースくらい大きい。もはや超小型ミサイルと言った方が正しい気がする。
「(反動と威力、あと射程距離は……撃ってみなきゃ分からんか……?)」
適当に振り返って、止まった。目の前の光景が信じられなかった――信じたくなかったのだ。
「……おいおい」
なぜなら、『何か』が物凄い速さで成長していたからだ。胎児のようだったその体は、今や3メートルを優に超えている。触手は数えるのも嫌になるほどに増え、それは合体と分裂を繰り返し、徐々に太くなっていた。
『ぎ、gi…?キィiぃイイいッッッ!!!』
「何なんだよアレは……!!」
俺は不安を掻き消すように、ぐっと引き金を引いた。聞いたことの無い銃声が響き、巨大な銃弾は一直線に『何か』に吸い込まれ、直撃した――――のだが。
『ぎィ……グッ……グュウゥ……』
予想通りと言おうか、そんなのは通じなかった。煙を薙ぎ払い、数秒で風穴を埋める『何か』を見て、思わず溜息をつく。テストで適当に書いた答えが間違っていたような気分だ。
「(……ホントなにアレ?)」
何度目か分からない疑問を浮かべる間も、攻撃の手は緩まない。迫り来る触手を何度も躱し、弧を描くように『何か』の背後に回る。
知能が無いのか、攻撃パターンがかなり安直だ。躱すのもそう難しいことじゃない。
「――ふんっ!!」
真後ろに入った所で急停止し、超小型ミサイルの引き金を引いた。至近距離で放たれた特大の弾丸が、『何か』の背部――触手の付け根に着弾し、爆発する。
『ギぃぃぃイイいいいッッ!!ぎ、ギぃイイィィぃ……』
胴体に風穴を空けてもすぐに再生する。先ほど触手を叩き落とした時も、『何か』は損傷部位を切り落として再生していた。
ならば、すべての触手が収束する付け根を吹き飛ばせば、どうなる?
「……!!」
ぼちょり、と。水糊のような音と共に、すべての触手が地面にこぼれ落ちた。再生するような様子は無く、蠢いたりもしない。
俺はガッツポーズしたい衝動を抑えながら、畳み掛けるように引き金を引いた。
「……ん?」
超小型ミサイルが放つ、肺が叩かれるような轟音が連続する。すると、背中の鎧が剥がれた中に、明らかな異物が混ざっているのが見えた。
「なんだ、これ」
それは、高さ5センチほどの肌色の三角柱だった。
その場でくるくると回る物体の側面には、格子状の切れ込みがびっしりと入っている。数ミリに区切られた部分が不規則に凹み、キーボードのように高速で何かを打ち込んでいる。
「(全然分かんねぇ……けど、とりあえずぶっ壊す!!)」
引き金を引き、ほぼゼロ距離で最後の一撃を放った。能力が無ければ鼓膜が破れそうな轟音の中で、弾丸が直撃したのを視認する。
その直後、辺りに散乱したすべての触手が、空間に溶けるように消えていった。その様子は、俺には何かからの解放のように見えた。
*
――――『核』の深刻な損傷を確認。
――――損傷率は39%。
――――外見画像識別、超音波透過検査、磁粉探傷検査等の適合率は99%に一致……事実と断定。
――――自己修復プロセスを始動。
――――損傷率が53%を上回ると個体及びネットワークの維持が不可能となるため、『核』の修復を最優先項目に変更。
――――正面に人間を補足。
――――敵対意思を感知……脅威と判断。
――――自動迎撃システムを始動。
――――これより『敵』を排除します。
*
『――――g、gghi――』
「――っ!?」
『――gi、ギッガッ……』
あの世からの使者のような声に、前原将貴は勢い良く振り返った。そこにいるのは、首を切られた蛇のように蠢く『何か』。それは蹲る子供のような体勢で、呻きに似た重い泣き声を、どこからか響かせてくる。
「(しぶとい……)」
超小型ミサイルを肩で担ぎながら、躊躇なく近付く。慢心と言われても仕方ないが、体の大半を消失した『何か』に、脅威が薄れるのも無理はない。
「オラァッ!!」
『ぐ、ぎゅっ、gugggggu……!!』
弾丸が無くなり、鈍器となった金属の塊を、俺は何度も何度も振り下ろした。原始的な暴力の音が連続し、『何か』の体がさらに小さくなっていく。
そして最後に、重い1発を振り下ろそうとした瞬間――
「――っな」
ゴバッッ!!と。『何か』の背中から、無数の刃が放射線状に拡散した。刃と超小型ミサイルがぶつかり、刺すような金属音が炸裂する。
視界が直角に歪み、背中から地面に落ちた事を遅れて理解した。肺にある空気がすべて吐き出され、軽い呼吸困難に陥ってしまう。
「げほっ、がぼ……ぁっ!!?」
しかし、それを遮る痛みが左腕に走った。まるで溶けた金属を流されたように。
それでも何とか立ち上がると、はらり、と。左腕から腕章が落ちた。風紀委員のシンボルである盾は真っ二つに切り裂かれ、鮮やかな赤がそれを彩っている。どうやら刃が左腕を掠めたようだ。
「(あっぶねぇ……)」
大きくひしゃげた超小型ミサイルを横目に、俺は冷や汗を頬に感じた。
刃が銃身に当たったのは、本当にただの偶然だった。ほんの少しでもズレていれば、刃は俺の体を貫いていたに違いない。
『tkrs苦gindk』
「……マジか」
そして眼前にいるのは、体を膨らませる『何か』だ。陽炎のようだったその体は、視認するだけでも優に5メートルを超えている。聳え立つ大木のような体表には、紅く血走った眼球が大量に埋もれている。
――まるで要塞だ。
「(嘘だろおい……どーすんだこれ)」
『ntst憤ndnre』
人智を超えた声と共に、空中で全長3メートルの氷柱が2本生み出された。先端は両方ともこちらを向き、俺を敵と認識したのが分かる。
「……ははっ」
俺は何故か笑ってしまった。これはきっと、本能的な恐怖だ。未知のモノ、底が見えないモノ――人が暗闇に対して抱くような、原始的な恐怖だ。
怖い。怖い。怖い。
……怖い?
だから、何だ?
ここを退くのか?
涼乃を、見捨てるのか?
「(――そんなの、ありえないだろ)」
飛んできた2本の氷柱を躱し、軽く頭を整理する。
拳は握れる。膝は地面についていない。目は前を向いている。まだ、戦える。
でも、どうやって?
超小型ミサイルはもう無いし、今の『何か』にそれが通じるとは思えない。そもそも、あの再生能力がある以上、並の火力では歯が立たないだろう。
『mewc羨dstiydッッ!!』
「うおッ!!」
空間を焦がす音と共に、青い閃光が駆け抜けた。それは撒き散らすような攻撃ではなく、明らかに俺だけを狙った雷撃だった。冗談も大概にしてほしいが、『何か』は知能を獲得したらしい。
「(ここにきてマジか――!!)」
俺はとっさに、左手を前に突き出す。結果、避雷針のように電撃が集中し、反射で一気に吹き飛ばした。方向転換した雷撃の槍は、近くにあった街灯の残骸へと吸い込まれていき、轟音と共に消えた。
親友の上条当麻がやっていたことだが、上手くいったようだ。
「(……タイミング合わねぇとやばいな)」
今回は何とか凌げたが、こんな事が何度も続くとは思えない。俺の反射には上限があるし、雷撃は目で見えないほどに速い。こんなのが続けば、いつか致命傷を負うだろう。
『ntm怖sidustッ』
今度は、空中から水色の液体が生まれた。それは一瞬だけ動きを止め、直後に機関銃のように大量に発射される。一見ただの水鉄砲のようだが、水圧が恐ろしく高いのか、幹線道路のコンクリートを豆腐のように砕いていった。
「――ラァッ!!」
直撃コースの水鉄砲と拳が交錯し、液体が爆散した。制御から外れたのか、その水が再び集まることはなかった。
「……ッ!」
『ndkr苦w……?kibq歎ngッ……iydkwi……』
「……?」
すぐに反撃の体勢をとったが、次の攻撃は来なかった。
何故か分からないが、『何か』は俺とは無関係に苦しんでいるように見える。ネットワークに乱れでもあったのだろうか。
「(そのまま止まってくんねぇかな……)」
それが叶うならこんな状況になってないが、そう願わずにはいられない。少なくとも、俺は何かに縋りたいくらいは追い詰められているらしい。
そんな思いを示しているのか、大きく上がった灰色の緞帳の先では、曇りかどうかもはっきりしない空模様が一面に広がっていた。
*
――――現在『核』の損傷率は23%。自己修復プロセスを継続。
――――警告。
――――これ以上の自己修復は『核』のエネルギーバランスを崩壊させ、深刻なエラーが発生すると判断。
――――自己修復プロセスの停止に成功。
――――『核』の補完にあたり、外界からエネルギーを獲得することで一致。
――――『敵』の無力化に失敗……警戒を継続。
――――『敵』の排除を最優先項目に変更。
――――また『敵』は攻撃に対し効果的な能力を持つことを確認。
――――自動迎撃システムを修正します。