とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第15話

 

 

 

 

 

 不思議な歌だった。

 まるで脳に直接響くような、五感に訴えかけてくるような。そんな形容し難い旋律に、前原将貴は自然と口を閉ざしていた。

 

「――……」

 

 イヤホンを外し、静かに目を開ける。そこに映ったのは、先ほどとは明らかに違う、異様なほど冴え渡った景色だった。その思考も、大海原のように穏やかだ。

 

「………」

 

 俺は近くにあった柱に手を沿えて、()()()()()()()()。拳を握ると、手の中でコンクリートが粉々に砕け散る。

 普段ならありえないが、しかし俺は驚かない。これが幻想御手(レベルアッパー)の恩恵だと、無感動に受け止めるだけだ。

 

『aiydlwid悩rktskt』

「――――」

 

 何度目か分からない翼の一撃を、足にかかるベクトルを反射させ、一気に躱す。たとえそれが、15メートルを超える、広範囲同時攻撃であっても。

 

『dstt何dkzrifzknッッ!!』

 

 『天使』が氷の弾幕を張るが、俺の背中にすべて弾かれ、遠くに飛んでいった。振り下ろされる巨大な翼も、もはや圧倒されることはない。

 

「(……反射を右手に)」

 

 直後、砲撃のような爆発音が響き渡った。しかしその翼は、何かを掴むように掲げられた右手に突き破られた。

 

「(なるほど。破ることはできても壊すことはできない。これでようやく五分五分ってとこか)」

 

 冷静に分析して、少し距離を置く。

 いくら幻想御手を使っても、『天使』に圧倒的勝利を収めることはできないらしい。しかし、それでも先ほどと比べたら御の字だ。

 

「……っ!?」

 

 大きく踏み出そうとして、ぐらりと体が揺れた。古くなった蛍光灯のように、急に視界が点滅したのだ。

 恐らくこれが、木山先生が言う副作用だろう。症状が出る早さを考えると、『天使』がいかに強力か分かる。

 

「まだだ……」

 

 俺の声に焦燥の色が混じる。

 足りないのは、やはり火力。翼や能力を跳ね返しても、あと1歩が足りない。拮抗はしているが、それだけではいつまで経っても勝てない。持久戦になれば負けは必至だ。

 

「……っ!」

 

 今度は、頭をハンマーで殴られたような痛みが走った。瞬きをすると、冴え渡っていた視界が、先ほどより少しだけ暗くなっている。まるで何かを封印するように。

 この闇が視界を覆い尽くした時、俺は『天使』の下に堕ちるのだろう。それが直感で分かった。

 

「(……どうする?)」

 

 疲労とは違う汗が溢れ、血と混じって地面に落ちる。

 

 ……本当にどうする?

 痛みは動きを鈍らせるし、前兆が無いから身構えることもできない。加えて、明確なタイムリミットが見えたことで、少なからず焦りも生じている。それがさらに動きを悪くし、余計に焦って……と、毒に侵されるような悪循環に陥りつつある。

 

「(……本格的にやばいな)」

 

 飛び込むように転がり、飛んできた岩の鉄槌を躱す。その間も、思考は別の事に集中していた。

 

 『天使』の体を抉ることは可能だ。しかし、『核』の破壊まで至らない。体や翼をいくら破壊しても、すぐに再生されては意味が無い。それに、超小型ミサイルの砲撃にも耐えたのだ。『核』自体の強度も相当なものだろう。

 

 取っ掛かりが掴めない。出口の無い迷路を彷徨ってるような気分だ。もっとこう、壁ごとぶち抜いてゴールするような手はないだろうか。

 

「……?」

 

 『天使』の周囲を渦巻いていた水の壁が、一気に上方に伸びた。それは一定の高さで傘のように展開し、瞬く間に俺や『天使』を覆っていく。

 数秒後、その傘が崩れ落ちた。豪雨のようなそれは、長さ15センチほどの短剣である。瓶をひっくり返したような光景に、避けようという気すら失せる。

 

「……ッ!!」

 

 無数の短剣が、根本まで地面に突き刺さった。オレンジ色の火花が瞬き、空気を断ち切るような金属音が連続する。

 しかし、反射を纏った俺だけには刺さらない。

 雨を避けなくても、反射というレインコートで体を覆えば防ぐことは出来る――――はずだった。

 

「ぎ……っ!?」

 

 ふと、後頭部を刺されたような痛みが走った。思わず動きが一瞬止まるが、それが致命的だった。

 

『snfzknz酷mamrktbreeeeッッ――――!!!』

「――うっ」

 

 『天使』の翼が、弾幕を消し飛ばしながら迫る。

 それに、ほんの一瞬だけ、反応が遅れてしまった。

 そして──

 

「うおわああああああああああぁぁぁぁぁアアアアアッッ!!?」

 

 凄まじい轟音がして、俺と翼の双方が弾かれた。翼はその半分以上を消し飛ばし、俺は凄まじい勢いで幹線道路の柱に激突する。

 『切り札』が使えたため、バラバラになる事はなかったが、しかし一瞬の遅れで、トラックに追突されたような衝撃が駆け抜けた。

 

「があ!!げばこぼっ!!ゔぇっ!!」

 

 蛇口を捻ったホースのように、俺の口から赤黒い液体が撒き散らされる。それでも立とうとするが、体幹や内臓が揺さぶられ、足元が揺れる。

 

「あ゙ー……あークソ……!!」

 

 膝をつきながら、何とか前を見る。

 見えたのは、小さな商業ビルのごとく鎮座し、翼を修復する『天使』の姿。全身に散らばる紅い眼球のすべては俺を捉え、理解の及ばない言語で叫んでいる。

 

「(…………冗談きついぞ)」

 

 疲れや痛みとは別に、原始的な呼吸が聞こえる。

 視界は既に薄暗く、もう目を凝らさないと世界が見えない。体内で百足が暴れてるような痛みと吐き気で、今にも気が狂いそうだ。まだ揺れる足元は、1歩でも踏み込んだら崩れ落ちてしまいそうだ。

 

 ……どうする?

 分からない。足りないんだ。何もかも。

 どうすればいい……?

 

 誰か、教えてくれ――――

 

「…………涼乃」

 

 泡が消えるような声で、呟いた。

 世界で一番大切な、とある風紀委員(ジャッジメント)の名を。

 

 ぐちゃぐちゃになり、闇に侵された胸の内に、蝋燭のような明かりが灯る。淡く、頼りなく、暖かな光だ。

 

 そうだ。

 俺はあの時、誓ったんだ。

 すべてを投げ打ってでも涼乃を守ると。

 

「……ぁ、あぁ」

 

 涼乃が、待っているんだ。

 あの『天使』を倒した先に。

 

「ぁ、が。が……」

 

 それを……それを奪おうと言うのか。

 

 これ以上、涼乃を傷付けると言うのか。

 

 ……そんなのは。

 

 そんなのは、神でも許されない。

 

「がああああああああああああああああアアアアアアァァァァぁぁァッッ!!!」

 

 それはもはや、咆哮に近かった。限界を飛び越えた体の奥から、自分の知らない力が湧き出る。

 その力で、なんとか立ち上がった――その時だった。

 

「……え?」

 

 すぐ近くから、声が聞こえた。何かで抉り取られたように、放棄した思考に空白が生まれる。

 

「…………あ?」

 

 そちらを見るとその少女は、俺の僅か数メートル後ろに立っていた。どうやら、柱に隣接された非常階段を降りてきたようだ。

 灰色のプリーツスカートに半袖のブラウス、サマーセータの女の子――――御坂美琴が、そこにいた。

 

「……ま、前原さん!?大丈夫ですか!?」

 

 悲鳴にも似た叫びを上げ、御坂が俺に駆け寄った。頭の中が整理できないのか、手を宙に泳がせ、珍しくオロオロとしている。

 

「うわ、すごい怪我……肩を……え?」

「………」

「なに、これ……」

 

 肩を貸そうと思ったのか、俺に触れた御坂の動きが止まる。俺の血がべっとり着いた手を、信じられない様子でじっと見つめている。

 

「……ナイスタイミングだ。御坂」

「ど、どこがナイスなんですか!?早く病院に!!」

「うるさい。そんなの後だ」

 

 思ったよりも低く、冷たい声が出る。喉がおかしくなったのか、別の力が込もっているのか、判断がつかない。

 

「御坂。詳しい話は全部後だ。今はアレを倒すのに協力してくれ」

「いや、それより前原さんが――」

「それも全部後だ。頼む」

「いえあの……」

 

 頭を下げると、それだけで腹が捩れるような痛みが走った。熱いものが喉の奥からせり上がり、口内に鉄の味が広がる。

 偶然か必然か知らないが、この状況で思わぬ助け舟だ。まさに奇蹟と言える。

 

「……わ、分かりました」

「すまん、恩に着る」

「……後で全部話してもらいますからね」

「分かってる」

 

 ……さて、具体的にどうしようか。

 御坂美琴――即ち、超電磁砲(レールガン)という、超高火力。アレなら『天使』を撃ち抜くことも、『核』を砕くことも可能だろう。

 しかし、それを黙って見過ごす『天使』ではない。発射自体を止めるか、翼を犠牲にして超電磁砲の軌道を逸らすのは想像に難くない。だが『核』の位置や装甲の厚さを加味すると、真っ正面から撃つのが最も効果的だ。

 だから、御坂が全力で、かつド真ん中に撃ち込めるような状況に持っていくには――

 

 

 

 ………

 

 

 

 ……………

 

 

 

 …………………

 

 

 

 ………………………

 

 

 

「……よし。御坂」

「あ、はい!」

「まずは――」

 

「――――」

 

「――――。出来るか?」

「出来ます。任せてください」

 

 迷いの無い返事に、俺は思わず笑った。作戦と呼べるほど立派なものじゃないが、それでも超能力者(レベル5)の返事は心強い。このカリスマ性と精神力こそ、彼女がエースと謳われる所以なのだろう。

 

「チャンスは1回きりだ。2度目は無いぞ」

「分かってます。1発で仕留めて見せますよ」

「頼んだぞ」

 

 そう言うと、俺は赤い唾を吐き捨て、一言で告げた。絶望的な状況に、しかし挑戦的に口元を歪めて。

 

「さあ、人間の力を見せてやろう」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ある少年は嘆いた。

 

「……もう、やめようぜ」

 

「こんなの野球じゃない。どうにもなんねぇよ」

 

 幾千幾万の努力が、たった1つの才能に打ち砕かれる現実に。

 

 

 

 ある少女は嗤った。

 

「学園都市って残酷よね」

 

「能力を数値化して、どっちが優秀かハッキリさせちゃうんだもん」

 

 能力によってすべてが区別され、差別されてしまうこの街に。

 

 

 

 ある少女は願った。

 

「もっと強くなりたい」

 

「彼の力になりたいから」

 

 心の弱さに負け、なにひとつ成長していなかった自分自身に。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「おおおおおぉぉぉぉぁぁぁぁッッ!!」

 

 雄叫びで激痛を塗り潰し、前原将貴は襲ってきた雷撃の杭を吹き飛ばした。強烈な閃光が目に沁み、雷撃の軌跡が宙に浮かんで見える。

 

『まず俺が、『天使』の注意を可能な限り引きつける』

 

 足にかかる力を反射し、滑り落ちるように『天使』の体表を駆け上がる。行く手を阻む多才能力者(マルチスキル)を1つ残らず跳ね返し、そのままタックルのように翼の付け根にしがみついた。

 

「――ク……ウッ、お、ぉぉぉおおおおオオオオオオオッッッ!!!」

 

 重金属が捩れるような音が炸裂する。『天使』は振りほどこうと足掻くが、反射によって力が捻じ曲がっているせいか、あちこちから自壊の音が聞こえてくる。

 

「ォォぉぉぉぉぉおおおああああああああああッッッ!!!」

『itymtkrohdow止hnrstindr――――ッッ!!!』

 

 音そのものが爆発したように、鈍い金属音が一瞬だけ響いた。同時に、『天使』の翼が本体から分離する。俺はその翼の下に入り、背負うような体勢で重力を反射する。

 

『その隙に、御坂は『天使』の正面に移動してくれ。その時に攻撃は無し。防御だけに専念しろ』

 

 ふわりと体が浮き上がり、やがて空に吸い込まれるように加速していく。

 その結果ものの数秒で、上空数百メートルにまで達した。何トンあるのかも分からない、ただひたすらに巨大な槌を携えて。

 

『いずれ俺が何かしらの方法で攻撃を仕掛ける。余波で吹っ飛ばされんように気を付けろ』

 

 地球上の落下物には、すべからく空気抵抗が働く。飛翔体や落下物の邪魔をする、という点では、日常生活でも無視できない強力な力だ。

 例えば、空気抵抗を無視して雨滴が落ちた時、地上に到達する速さは時速1000キロにも及ぶ。しかし実際は、空気抵抗によって時速30キロに収まる。

 

 では、その抵抗を無視して、何トンもの大質量を落下させたら、どうなるだろうか?

 

『nditiydkwi痛idrktggggggggッッッ――!!!』

 

 轟ッッ!!!と。

 地盤が砕けたような轟音が、『天使』の悲鳴を掻き消した。破壊の鉄槌は『天使』の体を突き破り、蜘蛛の巣のような地割れを大地に刻んでいく。

 

『hzknds殺tsnkerktbr――――ッッ!!!』

 

 炎の剣、氷の槍、雷撃の杭、水の短剣、風の鎌、岩の刃、土の弾幕、青白い砲弾――――あらゆる能力が、全方位俺に集中する。体の3分の1を失った『天使』が仕掛けた、俺を殺すための一撃だ。

 

 俺はもう反射どころか、立つことすらできない。避けることなど到底不可能だ。

 しかし、そもそもそんなのは必要ない。

 

「――無茶してくれます、ねぇッッ!!!」

 

 真っ黒になる視界の隅に、1メートルほどの金属塊に拳を叩き込む御坂が見える。それは彼女の代名詞、超電磁砲(レールガン)そのものだ。

 

『反撃してくる隙に、御坂は『天使』のド真ん中に、できる限りの最大火力を叩き込め!!』

 

 雷が落ちたような爆音が駆け抜ける。その数秒後には、すべてが終わっていた。

 『天使』は3メートルもある一閃に中心を貫かれ、体に大穴を空けた。その先で、肌色の三角柱が、粉々に砕け散るのが見える。

 

「っ、――……」

 

 しかし、それ以上は何も見えなかった。視界のすべてが黒くなり、音も聞こえない。上下も分からなくなった世界で俺は、声に出せたかも分からない声で、こう呟いた。

 

 ざまあみろ、と。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ――――『核』の深刻な損傷を確認。

 

 ――――損傷率は不明。

 

 ――――外見画像識別――不能。超音波透過検査――不能。磁粉探傷検査――不能。

 

 ――――自己修復プロセスへの移行――失敗。

 

 ――――個体の維持が不か能デす。

 

 ――――ねっトわーkuの維ジが、ガ、がg、gggggがggg――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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