とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第17話

 

 

 

 

 

 グラウンドの乾いた土が、夏の日差しで白く輝いた。その日差しに、白い髪留めが光る中村涼乃は目を細める。

 黒い制服をパタパタさせ、中に風を送ろうとするが、効果は無かった。上下から肌を焼かれているようで、あまり長居はしたくない。

 

「あっつ……」

 

 第七学区、その南部に位置するとある高校。ありふれたスタンダードな構造は、変則的な造りの多い学園都市では、ある意味珍しいかもしれない。

 長めの階段を上り、誘導に従って歩いていく。そうして辿り着いた先には、『特別講習』と書かれた立て看板があった。

 

「……ふう」

 

 教室に入ると、私が1番乗りのようで、冷房の音だけが小さく響いていた。私は窓際の席に座り、ぼんやりと外を眺めることにする。

 

「………」

 

 数分か数十分か。しばらくそうしていると、教室には十数人の学生が座っていた。年齢や制服はバラバラで、私と同じ制服は誰もいない。

 

「あれ?中村さん?」

「……涙子ちゃん?」

 

 その声に振り返ると、そこには中学校の後輩――佐天涙子ちゃんがいた。彼女も私に驚いて、目を丸くしている。

 思わぬ知り合いに会ってしまった。私がここにいることは、できれば誰にも知られたくなかったのに。

 

「何で中村さんが……いえ、変なこと聞いてすみません」

「ううん、大丈夫」

 

 私が、そして涙子ちゃんがここにいる理由など、始めから分かりきっている。そして、それを口にするのが憚られることも。

 

「ねえ涙子。あの制服って瀬川だよね。知り合い?」

「え?知り合いというか……柵川(ウチ)の先輩だよ?」

「ウソ!?瀬川ってあの瀬川!?ってことは高位能力者ってこと?」

「……あれ、なら何でここにいるの?」

 

 教室が静かなため、会話は丸聞こえだ。悪意は無いのだろうが、実際に聞くとキツい。

 

 瀬川(せがわ)高校。

 第一八学区西部に位置する、学園都市有数の名門校だ。高位能力者や研究者が数多く在籍し、私や将貴が通う学校でもある。常盤台中学をライバル視しているが、それが冗談に聞こえない程の実力もある。

 

 そんな学校の人が何でここにいるのか、気になるのは当然だ。

 

「はいはーい、さっさと席に着いちゃってくださーい」

 

 自嘲げに笑っていると、それを拭うようなソプラノボイスが聞こえてきた。見ると、そこには教卓と同じ身丈しかないピンク髪の女の子がいる。

 その子は教室を見渡すと、とても真っ直ぐな笑顔でこう叫んだ。

 

「午前の講習を受け持つ月詠(つくよみ)小萌(こもえ)です!舐めた口を聞くと、講習時間伸ばしちゃいますよ?」

 

 私以外の学生全員が、示し合わせたように驚愕の声を上げた。そりゃそうだ。見た目は小学生にしか見えないもん。

 私は興味がないだけだけど。

 

「さーて、さっそく講習を始めますよー」

 

 カッカッと、女の子(?)がチョークを走らせる。丸く可愛らしい文字は、こんな言葉を形作った。

 

 『幻想御手(レベルアッパー)使用者特別講習』と。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 悪循環の最も恐ろしい点は、そこから簡単に抜け出せないことだ。絶え間なく襲う負の感情は、冷静さや理性を奪おうとする。それを打破しようとしても、無意味どころか逆効果になることも珍しくない。

 

「はぁ゙……ひゅぁ゙……っ!!」

 

 息が苦しい。足が嗤う。

 前原将貴の呼吸は不自然になり、今にも倒れそうだ。視界には血が滲むようにじわじわと、されど確実に闇が広がりつつある。

 

「が、ひゅぅ……!!ぁ゙あ゙……!!」

 

 背後から聞こえる足音は軽やかなものだ。それは追う者と追われる者の立場を明確に分け、恐怖心を煽ってくる。

 

「ぐっ……ぁ!!」

 

 どんなに喉を震わせても、その叫びは届かない。仮に届いても、助けが来ないことなど分かっているのに。

 

 だけど、その足は止めない。

 無様に腰を振ろうが這いつくばろうが、俺は前に進んでやる。その代償として、この身が削れるなら別にいい。この地獄は俺が望んだものなのだから。

 

 そう、ここは紛れもない地獄である。

 

「チンタラ走ってんじゃねぇぞ前原ァ!!お前はそんなもんか!!根性見せるじゃんよ!!!」

 

 

 

 師匠の──黄泉川さんの個人訓練は、本当に地獄だ。

 

 

 

 第七学区に位置し、師匠が勤務するとある高校。訳あって1年前から始めた個人訓練に、俺は来ていた。

 

「ぐぅぇ……げばぁあ゙………っ!!」

「よーし、よく頑張ったじゃん。タイムは……ほほー、初めての割には上出来じゃんよ」

 

 ゴールラインを越えた瞬間、俺は糸が切れたように崩れ落ちた。真夏の強すぎる日差しで、どちらが上なのかは辛うじて理解できる。腕を動かす力も無く、瞼を閉じるので精一杯だ。

 

「給水はしっかり取るじゃんよ。ほい」

「あ……あ゙ざっす……」

 

 スポーツドリンクを受け取り、顔にかけるように口に流し込む。しかし勢いが良すぎて、陸で溺れそうになった。

 

「ぐぇほ!!げほっ!!うげ……っ!!」

「おーおー死にそうだな。まあ自業自得じゃんよ」

「誰の、せいだと……」

「前言った通りじゃん♪」

 

 師匠が楽しそうに笑うが、俺にそんな余裕は無い。もはや1周回って笑えそうだ。

 師匠は先日の『今度の訓練、いつもの倍な』という死刑宣告を覚えていたようで、普段の20キロ走が40キロ走に化けたのである。

 抗議なんてできないし、逃げ道など無い。

 

「お前は言っても聞かなかったし、約束も破ったからな。そんな大バカ野郎には、体に叩き込む以外に無いじゃん」

「それは、その……事情がありまして」

「言い訳すんな。もう1回するか?」

「すんません」

「あー、あと午後は私が講習受け持ってるじゃん。だから今日の訓練はここまでじゃんよ」

「え?あ、はい……分かり、ました……」

 

 立ち上がろうとして、思わぬ声がかかる。いつもなら筋トレ、格闘術と続くのだが、40キロ走で帳消しになったらしい。

 

「前原」

「はい?」

「よく頑張ったじゃん」

 

 振り返った瞬間、頭に小さな衝撃があった。思わず目を細めてしまうが、師匠はわしゃわしゃと俺の頭を撫で始める。

 

「……なんですか」

「と言いつつ嬉しそうだな。可愛い奴じゃんよ」

「悪かったですね」

「はは。そんじゃまたな」

 

 満足したのか、師匠はそう言い残して、さっさと校舎へ向かった。

 相変わらず掴み所の無い人だ……というか、師匠も40キロ走ってたよね?何であんなに元気なの?

 

「はー……」

 

 畏敬の念を抱きつつ、俺は両手足を大の字に広げて寝っ転がった。視界の隅では、天を突くような巨大な塔に日が当たり、青く鋭く輝いていた。

 

 学園都市は今日も平和である。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 つまんない。

 終わってもいない講習を、中村涼乃はそう結論付けた。『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』とかその成り立ちとか、そんなのはとうの昔に習った事だ。改めて九九を覚えるようなもので、時間の無駄でしかない。

 

「それでですね、ハイゼンベルクが提唱した不確定性原理を元にした量子論が――」

 

 白紙のノートにシャーペンを置き、窓の外に視線を向ける。その先のグラウンドには、見慣れた少年が走っていた。

 

 私の同僚にして、相棒とも言えるペア*1

 そして、幻想御手事件を解決し、1万人もの人々を救い出した英雄――前原将貴が、そこにいた。

 

「(……来てたんだね)」

 

 美琴ちゃんの話によると、将貴は要塞のような怪物を相手に、たった1人で戦っていたらしい。きっと想像を絶する戦いをしたのだろう――あんな怪我をしてまで。

 

「(……何がしたかったのかな、私)」

 

 本当、バカみたいだ。

 将貴のためと思い込んで、迷惑をかけた挙句、怪我まで負わせてしまった。当の本人は私の心配ばかりだが、私は自分を許せそうにない。

 

「はーい。午前の講習はこれで終わりなのですー。これからお昼になりますが、午後の講習には間に合うようにしてくださーい」

 

 そうやってもやもやしていると、いつの間にかチャイムが鳴り、座学の終わりを告げた。チャイムの響きはどこか懐かしく、小さく溜息をついてしまう。

 

「はー……やっとお昼かー……」

「これで半分しか終わってないんだもんねー。ホント、だっるいなぁ……」

 

 小さな先生が出ていくと、途端に教室から不満の声が湧いて出た。私も食事を摂ろうとするが、それは突如開いた教室の扉と、聞き慣れた鋭い声に阻まれる。

 

「中村はいるか?」

「……なんでしょう」

「話があるじゃん。ついて来い」

 

 声の主は、豊満ボディを持て余す警備員(アンチスキル)、黄泉川先生だ。その眼光はあまりに鋭いが、不思議なことに恐怖は無い。

 

 無感情に着いて行った先は、鉛色の殺風景な屋上だった。この学校は高台にあるようで、街全体を見下ろせる展望デッキのようだ。

 

「メシは持ってこなくてよかったのか?」

「構いません。気分じゃないので。それより、話って?」

「分からないか?」

 

 分からないはずがない。間違いなく将貴のことだ。

 それ以外に、私と黄泉川先生に共通点なんて無い。

 

「ん?あいつ、トラックラインも書いてくれてんのか。頼んでもないのに、さすがじゃん」

 

 自慢気に、満足気に先生は笑う。その姿は、教え子を褒める教師のそれだ。

 視線の先には、泥だらけの服で、校庭に白いラインを書く将貴がいた。疲れているのは明白なのに、その目は前にしか向いていなかった。

 

 

「………」

 

 同じ年齢、同じ学校、同じ風紀委員(ジャッジメント)

 同じ知識を積み、同じ任務をこなし、同じ時間を過ごしてきた。

 それでも、こんなに差が生まれた。周回遅れのように、近くにいても全然違う。同じものを見ていても、見える景色が同じとは限らないのだ。

 

「つい先日まで入院してたなんて信じられないよな。大したモンじゃん」

「……なにを目的にして、将貴はあんなに頑張ってるんでしょうね」

 

 それが本当に分からない。

 将貴はやり過ぎなほど努力を重ね、自暴自棄になり、絶望し、そしてようやく願いを叶えた。なのに、その足は止まるどころか、より速くなったように思える。

 

 何故、そんなに迷い無く走っていられるのか。

 誰でもいいから、教えてほしい。

 

「なんでってそりゃ、お前に追いつくためじゃん」

「……え?」

「前原が憧れてるのは、他でもない中村涼乃じゃん。一緒にいて分からなかったのか?」

 

 ……分からない。意味も、分からない。

 憧れる?将貴が?私に?なぜ?

 

 思考に『?』ばかりが生まれるが、それを一掃するように、黄泉川先生の言葉は続く。

 

「アイツは考えが甘いし、単調だ。結局は自分がしたい事を優先する、ガキがそのままデカくなったような奴じゃん」

「……怒りますよ?」

「だからこそ、前原は絶対にブレない。決めた事は何としてもやり遂げる、そういう奴じゃんよ」

 

 まだ困惑する私を他所に、黄泉川先生がまっすぐ私を捉える。縛り付けるような、刻み込むような、そんな強い目だ。教師でも警備員でもなく、前原将貴という少年の師として告げる。

 

「お前が自分をどう思おうが勝手だ。だが、自分で自分を蔑んでも何にもならないじゃんよ」

「………」

「そんな事をしてる間にも、前原は進んでるぞ」

 

 ……そんな事、分かってる。

 私がしていることは、ただの自己満足。自分を否定的に捉えて、『反省している』と自分に思わせたいだけ。今回のような失敗を恐れ、前に進むことを躊躇ったまま。

 でもそれでは、いつか将貴に置いてかれる。

 

 ……それは、嫌だ。

 

「大丈夫じゃん。二度も前原を助けたように、お前の優しさ、その『強さ』は本物だ。自分の思うように動けばいい。それがお前の『正解』じゃん」

「……『正解』、ですか」

 

 目を細めると、ふと笑いが込み上げてきた。

 思考に空いた穴も、いつの間にか何かに満たされている。その感情を何と呼ぶかは分からないけど、心地良いのはよく分かった

 

 

 

 〜〜〜

 

 

 

 講習が終わると、空は真っ赤に染まっていた。立ち込める陽射しは淡く、夕刻であることを静かに告げている。

 帰路に着こうとした私は、階段の上からある人物に気付いた。

 

「……?」

 

 空のペットボトルを片手に、前原将貴が、そこにいた。将貴は私と同じ制服、同じ腕章をつけて、嬉しそうに私に手を振っている。

 私の口元が自然と緩む。意味も無く1段飛ばしで駆け下りると、飛び込むように将貴に駆け寄った。

 

「――おかえり。涼乃」

 

 同じものを見ていても、見える景色が同じとは限らない。考えてみれば当然のことだ。

 

 それでも私達は、同じ空の下にいる。

 だったら私は、その足を止めない。いつか、あなたと同じ景色を見るために。

 この想いを止めないためにも。

 

「――ただいま。将貴」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
校外において、風紀委員が風紀活動を円滑に行うための最小単位。2人1組が基本。

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